The Counterattack of Alpha-Ralpha Express

Lesson #3 "Rock'n Roll Gazer."

両谷承


 不評にもめげす第3回やっちゃうもんね。とりあえずたこいさんも何もいってこないしさ。もう図々しくやっちゃう。今回のお題はパール兄弟。

 ……うーん。このバンドには知る人ぞ知る個人的な記憶がひっかかってるんで、やりづらい事はやりづらいんだけどさ。


 まず、ロックバンドっていうのを考えてみる。ヴォーカルがいて、ドラムがいて、ベースがいて、キーボードがいたりして。みんながまとまって一つの個性をつくる。  これは、基本的にはロックに特有の形態だと思う。四人が一人欠けてもビートルズにはならないし、ストーンズでは二回のギタリスト交代のつど別の個性を示して来た。ミックのいないクラッシュはクラッシュじゃなかったし、シドを失なったピストルズはついに復活しなかった(最近また噂があるけど)。いくら補化のメンバー達が括弧よくても、イズィ・ストランドリンのいないローゼズを愛しつづけていけるかどうか自信がない。

 あんまり他のジャンルでこういった事はないんじゃないかな。パーソネルが変わったからジャズ・メッセンジャーズを聴かなくなったって人もいないだろうし、メンバーチェンジでジュリアードやスメタナがファンを減らす、ってのも……ひょッとしたらあるのかなあ。

何がいいたいのかっていうと、要はバンドとはバンドの名のもとにかたちづくられたペルソナである、と。まあ例によって一般論だから、例外もあるけども。


 考えてみると、サエキけんぞうってヴォーカリストはソロ活動をしたことがない。少年ホームランズ→ハメルンズ→パール兄弟って流れだから、ずっとバンドばかりやってるんだよね(知ってる限り)。

 だけど、サエキけんぞうは作詞家でもある(歯医者もやってるけど)。つまり、本業は言葉だったりする。その彼がヴォーカルを取る、ってのは面白い。

 歌うってのは、言葉にメロディとリズムを与えて発声すること。つまり、言葉に音楽的肉体を与えるって事だよね。でも、それだけで充分とは限らない。

 言葉を聴き手に伝えるための、耳をそばだてさせるための手段が必要になる。もちろん言葉以上のものを伝えることが出来ればもっといい。それがパール兄弟の「ロック」だと言ってもいいんじゃないかな。

 音楽には身体がいる。タフでソリッドなだけじゃなくて、色気のあるリズム。まあ、筋肉みたいなもの。それが、ドラムのまっちゃんの役割になる。

 人を魅きつけるための、表情だっている。感情の動きを表わす、外向きのスクリーン。素敵にブンチャカ鳴る窪田パルオのギターがその仕事をする。音楽の神経、ってとこかな。

 もちろん、骨格だっているよね。一つ一つの動きをばらばらにしないで、ひとつの大きな流れにつなげていく、理性みたいな働きをする奴がいなきゃいけない。言うまでもなく、これはバカボンの担当。

 ひとりひとり超一流の、それぞれ強い力を持った連中が寄り集まって、同じ方向に向かう表現ディヴァイスになる。バンドとソロのロックンローラーとの大きな違いのひとつは、バンドは自分たちだけで音楽という表現を行なって完結してしまう事ができる、って点。パール兄弟は四人分の個性だけで、その名のもとに音楽をつくってしまえる。それぞれが違った個性を保ったまま補ないあって、パール兄弟ならではの音楽が生まれてくる。

 ……これは、ロックバンドとしては理想的なかたちなんじゃないかな。

 ついでに、ぼくが理想のロックバンドをイメージしようとした時に頭に浮かぶのは、キース・ムーンがまだ生きてたころのザ・フーね。メンバー全員がまるで、他の奴なんて知ったこっちゃないよ、とでも言いたげな勢いで好き勝手に自分の楽器を鳴らしてて、それなのにひとつひとつの音が同じ曲の中で重なった瞬間にとてつもないパワーを発揮する(「ライヴ・アット・リーズ」なんてすごいよ)。例えばゼッペリンだって、ポリスだって、誰かひとりが凄かった訳じゃないよね。ひとりひとりの個性が束ねられて、ひとつの個性になってたんだから。

 パール兄弟は、表現する。なにを? もちろん、ナインティン・エイティ・エックス。


『ナインティン・エイティ・エックス シンデレラ城の幻/見えるような気がした ウィンドウを右手にすぎて』(TRON岬)

 「TRON岬」は、近未来に千葉に作られた人工の岬なんだけど、その近未来ってのは「パールトロン」が発表された八七年の時点での、八十年代のある時代なんだな。

『Chiba Cityねむれない。Chiba Cityねむれない。/ジュール・ベルヌの貝殻だもの』(TRON岬)

 ここでなんとなく思い出すのは、当時いとうせいこうが使ってた「サイバー・リアル」って言葉。八十年代末期に、こんな気分ってあったような気がする。「TRON岬」に歌われている風景ってのは、現実のChiba Cityそのまま何だけど、でも近未来的。

 八十年代の終わりってのは、世界のスピードが人間のスピードを追い越したターニング・ポイントなんじゃないかな。もう世界は、人間の感覚が把握できるスピードじゃ動いてない。八十年代の始めには世界より人間の方が速かったけど、そのうち人間は世界に追いたてられはじめる。

 ここで世界って言ってるのは、ぼくらをとりまく大きなシステムの事ね。八十年代前半までは、ぼくらはこれからの世界の動きを皮膚感覚のレヴェルで想像することができた。だけどぼくたちは、少しずつそれに追い抜かれてゆく。八十年代ってのは世界と追いつ抜かれつのデッドヒートをみんなで演じてた時代だと思うし、それがあの頃に得る事のできた唯一のスリルだと思う。

 ただの京葉工業地帯が近未来になっちゃったり、人間のあずかり知らない所でコンピューター・プログラムが株価を暴落させちゃったり、本来作っちゃうはずのものだった流行を気付いたら血まなこで追っかけてたり。

『オハヨウ、昨日のままでは笑われるよ/あせるね、ボタンはめわすれて』(世界はゴー・ネクスト)

 ……これはこれで、楽しかったかもしれないよね。情報化社会、ってやつなのかもしれないけど。


 世界がどんどん速くなってゆく。そうすると、取れる態度はふたつ(まず思いつくのはね)。ともかくもう、すべてを振りすてて身も世もなく全力で一緒になって走るか、それとも世界の方は勝手にゴー・ネクストさせといてひたすら自分の居場所を守るか。八五年あたりから九十年ぐらいまでのぼくたちはこのふたつの間をうろうろしてた、って感じがする。ちなみに後者をあの当時、おたくって呼んでた。

 パール兄弟の最初の3枚のアルバムから、何となくこの辺の事情が検証できるのではないかな。

『タイミングよく、すべりこんだら/フルカラーだよ、楽な青春/気持ちいいね、気持ちいいね、俺たち』(快楽の季節)

『映画でも見に行こうよ/晩めしを食いに行こうよ/ロックでも聴きに行こうよ/たまには恋をしようよ』(ハレ・はれ)

 広告コピーの疾走感、DCファッションのマニエリスム、資本ばらまきのショービジネス。当時すでに化石と化したパンクスだったぼくにも、いろんな事が思い出せる。「八十年安保」の向こうの時代。

 自分の個性がどこかにプログラムされてて、日常生活はそれをシミュレイトしてるだけみたいな感覚。自分の中のどんなエモーションだって作りものくさいし、ちょっと油断すると恋だってニセモノくさく感じられる。(この辺は、「純愛ブーム」辺りから始まったトレンド恋愛の流行のせいで自己パロディ化されてしまった。年に一度、松任谷由美のご神託で恋愛のし方を決めちゃうってんだから、これはもう統一教会を笑えない。ついでに脱線しちゃうけど、「トレンディ」って死語があるよね。ぼくは基本的に、世界と自分の距離をしっかりと掴んで暮らしてる人はみんな最先端だって考えるから、この言葉は「時代の先端より正確に一歩分ダサい」としか訳せなかった。ひゃひゃひゃ)

 ここで、ニセモノだからそれがどうした、って開き直っちゃったのが、第一回で書いたフリッパーズ・ギター。でもパール兄弟は、パーフリよりもずっと地べたに近い所で世界とにらみ合っている。本物の感覚、本当のエモーションがまじってるから、逆にずっとイカサマくさい。この辺りがきっと彼らの表現のコアだったんだと思うし、聴き手に不安を感じさせる部分だったんだって思う。パルオ、バカボン、まっちゃんのとてつもない表現力はサエキさんの言葉につばさを与えるけれど、でもそれを単に宙づりにするだけじゃない。飛行機は止まると堕っこっちゃうし、バイクは止まるとすっころんじゃう。スピードに、不安と危機感はつきもの。

『卑劣な夜に隠しきれないtrauma/胸が危ない 情けが欲しいんだ無性に/話につまる言葉足りないつきあい/顔が危ない 手術したいんだ渋谷で』(バカヤロウは愛の言葉)

 手の届くのは、自分の感覚の範囲だけって事には、何の変わりもない訳だし。どんなにスピードを上げたって、自分は自分でしかないんだし。

『やけにあいそがよくなった近頃は/自分勝手なアイデア 得意そうにしゃべっても/使い古しのペシミズムが顔を出し/だいじなはずのドリーム 忘れそうに走ってる』(風にさようなら)


 うむむ、一枚目と二枚目の話をしただけで枚数が尽きてしまった。八十年代が終わって、サエキがパルオっていう「正妻」を失なって、なんて事を書くスペースがない。でもまあ、ニュー・アルバムも明日発売だし(今日は四月二十四日)その辺りはまた機会があればね。

 何だか「検証・懐かしの八十年代」みたいなコーナーになってきちゃったから、今度があったらもっと新しい話をします。

 それでは。


音楽関係エッセイ集に戻る。
「糸納豆ホームページ」に戻る。