お楽しみはこれからだッ!!
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第18回 “少年マンガ問題”
 掲載誌 糸納豆EXPRESS Vol.10. No.1.(通巻第23号)
 編集/発行 たこいきおし/蛸井潔
 発行日 1992/2/29


 あ、どうも。最近すっかりファミコンにハマってしまったたこいです(笑)。“お楽しみはこれからだッ!!”連載第18回はホームグラウンドの糸納豆です。

 今回のテーマは“少年マンガ問題”。

「ジュウザ!!」
「久し振りだな、ラオウ!!」
「やはり雲のジュウザとはきさまの事だったか!! だが、なぜ動いた。すでにこの世におのれの心を捨て去ったきさまがなぜ!!」
「雲ゆえの気まぐれよ」

 台詞は言わずと知れた“世紀末救世主伝説(笑)”『北斗の拳』。今回この原稿のために“南斗六聖拳編”を読み返したのだけど、これが思っていたより面白かったので、実はびっくりしている。何というか、次々と設定が変更されて物語としてはとっくに破綻してしまっているのに、それががちっとも気にならない。

 『北斗の拳』は少年ジャンプ的少年マンガの極北の到達点(笑)じゃないか。ケンシロウは無限に強く、負けることがない。ケンシロウ歩くところ、仲間がどんどん集まってくる。一度闘った敵はすべからくよき強敵(とも)となる。古えの『アストロ球団』やらなんやらの頃から変わることのないジャンプのマンガの定石(セオリー)を完膚なきまでに体現している。『北斗の拳』にはそれ以前のジャンプのマンガが持っていた“友情・努力・勝利”のエッセンスが凝縮されている。こんなマンガは『北斗の拳』の前にはなかったし、『北斗の拳』の後、今に到るまで出現していない。ジャンプという雑誌の歴史の中でも空前にして、絶後かもしれない(笑)。


 ところで台詞は『北斗の拳』の中でも一番もったいなかったキャラクター、と、いわれている雲のジュウザとラオウの対決より。

 雲のように勝手気ままに自由に生きている。ノリがよくて明るくて享楽的。しかも闘いにかけては天賦の才に恵まれていて、めっぽう強い。割と重々しいキャラクターの多かった『北斗』の中では際立って異色で、その存在感は初期の名脇役、南斗水鳥拳のレイに匹敵していた。にもかかわらず、物語の進行上単行本の1巻にも満たないわずかな話数しか活躍できなかった。

 また、このジュウザ、“拳王”ラオウと対等に渡り合うほどのキャラクターであるにもかかわらず、ケンシロウとは距離の離れた存在であった。“南斗六聖拳編”の他のキャラクターは、雑魚キャラ以外は必ずケンシロウと拳を交えるか、協力者となるか、とにかく何らかの形でケンシロウの“レベルアップ”のためのキーとしての役割を持っていた。しかしこのジュウザだけは、ケンシロウとは一度も見えることなくラオウと闘い、死んでゆく。ジュウザというキャラクターの描かれ方はけっこう異質なものであったといえる。

 ケンシロウとラオウの対決に向かって物語が収束していく中にあって、その本筋から少しだけ離れたところに位置していた。いわば『北斗』という物語の中のはみだし者。このジュウザのためには、『北斗』ではない、もっと別の舞台があってもいい筈である。

「これからは全て金で動く世の中になっていく。金で動かぬものははみだし者さ。世の中からどんどん抹殺されて行くんだ」
「寂しいな」
「ああ。
 そんな時代だ。お主のような男がいなくなれば、俺も寂しい」

 雲のジュウザのために用意された新しい舞台(笑)、現在も週刊少年ジャンプで連載中(当時)の『花の慶次−雲のかなたに−』より。故隆慶一郎の長編歴史小説『一夢庵風流記』を原作とするこのマンガの主人公、“傾奇者(かぶきもの)”前田慶次郎のキャラクターは、一見して雲のジュウザそのものといっていいくらいに似通っている(顔はケンシロウそのものなんだけど(笑))。

 いかにも原哲夫らしい破天荒な魅力にあふれたこのマンガ、一体原作はどういう話なんだろうと思って読んでみたら、マンガの通りの話だった(笑)。

 いや、ストーリーはいろいろと少年マンガ向けにいじってあるし、原作にないエピソードも多いのだけど、原作とマンガの間にイメージの落差が感じられない。この原作に対して原哲夫というのはまさに“人を得たり”といった印象。隆慶一郎先生も草葉の陰で喜んでおられることでしょう。全国一千万の(笑)ジュウザファンだって、時ならぬジュウザの復活(?)を喜んでいるに違いない(笑)。

 と、いう訳で『花の慶次』は実に面白いのだけど、この前田慶次、根っからのいくさ人であったがために、秀吉から家康に支配権が移っていく時代の中で、次第に居場所を失っていくのである。いわば歴史の流れからのはみだし者。実際、実在の人物であるにもかかわらず、正史の上には登場しないので知名度は極めて低い。そこら辺も、ジュウザとイメージがダブって見える一因かもしれないね(笑)。


 しかし、『花の慶次』がいくら面白いといっても、これは少年ジャンプ的少年マンガとは少し異質である。作品自体のテーマが、歴史の流れを描くことにあり、主人公は、先にも書いたようにその流れからはずれたところに位置しているからである。少年マンガの場合、主人公は自分で歴史を作ってしまうくらいの存在でなくてはならない(笑)。

 連載第16回(TTに掲載)の話で書いたのだけど、ジャンプ的少年マンガの主人公は、

1 卓抜した能力と人間的魅力を兼ね備えている。
2 能力が卓抜しているので(笑)、無条件に強い。負けることがない。
3 人間的魅力にあふれているので(笑)、放っておいても親友、仲間が集まってくる。
4 物語がどんなに長く続いても成長することはない。
5 常に闘い続け、勝ち続けなくてはならない(笑)。

と、いう特徴(笑)を持っている。

 こーゆー主人公は一言でいうと“ガキ大将”ということになるかと思う。

 “大将”だから、勝ち続けなくっちゃならない。負けちゃったらもう“大将”じゃないからね(笑)。

 で、“ガキ”だから成長しない。この手の主人公は往々にして“少年のような無垢な心(笑)”を持っていることになっているので、成長なんかしちゃいけないのである(笑)。

 こうしてみると、『北斗の拳』がジャンプの理想(?)をそのままマンガにしたような作品だということがわかる。

 まあ、便宜上“ジャンプ的少年マンガ”といったのだけど(だって、このパターンにいちばん典型的なマンガばっかり載ってるもんね(笑))、この傾向は少年マンガのほとんどに多かれ少なかれあると思う。いい例がいわゆる“スポ根もの”で、ほら、『巨人の星』『あしたのジョー』から『ドカベン』あたりに到るまで、大体この図式にあてはまってるでしょ?

 しかしまあ、冷静に考えてみれば、こういう少年マンガの主人公のような人間が自分の身近にいたらさぞかし傍迷惑だろうと思う(笑)。なんたって、そいつにとっちゃ、世界は自分中心に回ってる訳だからねえ(笑)。

「たわばさん、
 わたしは19年間連勝を続けてきた男ですよ」
「なるほど、これはすごい」
「わけのわからんことをいいだすんじゃない!!」

 台詞は『究極超人あ〜る』より。この台詞の主、“史上最強のOB”鳥坂は、その少年マンガの主人公の必要条件をほとんど兼ね備えている(笑)。まあ、まさにガキ大将がそのまま大人になったようなキャラクターである。

 意味のない自信と裏付けのないプライドに満ちあふれていて、唯我独尊の権化。『あ〜る』においてはまさに世界は鳥坂を中心に回っていた(笑)。傍の人間にしてみれば横暴そのもの。まったく迷惑な話である(笑)。この鳥坂というキャラクター、うがった見方をするなら、ゆうきまさみによる凡百の少年マンガ主人公のパロディなんではないかと思ってしまうのである。


 ゆうきまさみという人は、知っての通りかの“OUT”のアニメパロディから世に出た人である。そういう人だけに、鳥坂が少年マンガの主人公のパロディだという見方もそうそうはずれたものではないと思う。実際、『あ〜る』というマンガは特撮、SF、アニメ、マンガのパロディの塊でもあった。

 パロディというのは反骨の産物である。それはまた、現実にあるものに対する鋭い観察力と、ものの本質を見極める洞察力を必要とする。本質のありかがわからない人間に反骨ができる道理はない。

 観察力がしっかりしているので、ゆうきまさみの描く世界は非常にリアルなものとなっている。我々の暮らしているこの日本と比べ、違和感は微塵も感じられない。それはゆうきまさみの行うパロディ、反骨の土台として絶対に必要なものである。

 ゆうきまさみのマンガの基本パターンは、ごく日常的な世界にSF、特撮、アニメ的な設定、ガジェットを無造作に放りこむ、というものである。そこに生じた日常との違和感、常識と非常識の落差(ギャップ)をギャグにしたのが『あ〜る』の世界であろう。

 しかし、『鉄腕バーディー』『機動警察パトレイバー』のような作品では、そういった設定、ガジェットは土台となる日常世界にとりこまれて、現実の一部となっている。こうなると、それはもはやパロディとしては機能していない。この強固な土台の上でゆうきまさみはいったい何をしているのか。

「週刊誌の作り方知ってるかい?
 強きをけなし弱きをわらう。
 勝者のアラさがしで庶民の嫉妬心をやわらげ、敗者の弱点をついて大衆にささやかな優越感を与える。
 これが日本人の快感原則にいちばん合うんだな」
「卑しい国民だ」
「だから独裁者も革命家も出現しないんだよ。
 いい国じゃないかまったく」

 『パトレイバー』の敵役、多国籍企業“シャフト”の影の活動を司る企画7課の課長内海とNo2の黒崎の会話。

 この毒! 少年マンガでこんなことをしている人は他にいるだろうか。

 最近の『パトレイバー』の展開は、実際とんでもない。レイバー暴動事件では外国人労働者問題、大手メーカーと下請中小企業という産業構造の問題にスポットが当たる。御丁寧なことには、どこかの政治家のような頭の硬い国粋主義の会社社長まで登場する。この社長の言動は醜悪そのものである。

 続く“シャフト逆襲編”では、“パトレイバー”98式AVイングラムの製造元、篠原重工の大規模贈賄が暴露され、一大政治スキャンダルが巻き起こる。巨大ロボットが工作機械として使われる1999年の未来になっても、日本人のやることはなあんにも変りはしない。科学や技術の進歩は、一国の国民性に対しては何ら影響など与えはしない。それはこの日本に生きている我々が一番よくわかっている筈の認識ではないか。『パトレイバー』というマンガは、ゆうきまさみによる日本人文明批判の書なのである。

 してみると、『あ〜る』の鳥坂というキャラクターも、少年マンガ主人公の単なるパロディではなくて、少年マンガそのものへの痛烈な皮肉なのかもしれない。と、いうのは考えすぎか(笑)。


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