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| 平安時代のサーカスのようなパフォーマンス。 綱渡りをしながら、ジャグリングをしています。 |
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| 東湖八坂神社の「蜘蛛舞」神事[秋田県南秋田郡] (本田安次 錦正社 「日本の伝統芸能」より) |
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北野神社風流絵巻の散楽。1本足、2本足の高足 (本田安次 錦正社 「日本の伝統芸能」より) |
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西浦田楽の「高足」[静岡県磐田郡] (本田安次 錦正社 「日本の伝統芸能」より) |
| 735年 | ★『続日本紀』に『散楽』初見…「散楽戸」(養成機関)も作られたが782 年廃止。 主な内容(日本芸能の体技の基) ○物真似・歌舞・曲芸軽業・幻術・手品・傀儡子・褌脱(コダツ)舞 『体伎の伝承経路』 曲芸軽業:「高足・一足」(散楽)→田楽へ→太神楽へ→サーカスへ 物真似・歌舞→猿楽へ→能・狂言へ→歌舞伎へ 傀儡子:「人形操り」→文楽 「褌脱舞(コダツ)」(褌脱:動物の皮の縫いぐるみを被って舞う)→延年の大風流の走物に大きな影響を与え、歌舞伎にも伝わる。 [延年大風流の走物]:ぬいぐるみを着て、舞台を走り回る軽業 『雑秘別録』に「剣気褌脱は 相撲節会に散楽雑技芸とて 様々のものひきまといて、かへるのかたをかつぎて 桔簡などふきて 舞にこの楽 を催す」とある。 相撲節会に行われた、猿楽・桔簡は、猿と蛙の「褌脱舞」のこと |
| 749年 | ★行基没する。日本の説教師の草分け。 話芸・語り芸の祖[平曲・説経浄瑠璃・浄瑠璃・祭文・落語・講談・浪花節]等の芸の源流 ![]() |
| 765年 | ★京畿内の『踏歌』を禁ず (隋唐で流行し、奈良朝以前に日本に伝来した 祝いの詞を歌い乍ら輪を作って練り歩くもの。後に催馬楽に発展) |
| 796年頃 | ★『催馬楽』この頃行われる。民間の流行歌。笏拍子で歌われたという。 今様の前身とも…… 今様の『今』は「現代風」という意味があり、『様』は振り、節の意味である。 そのため、平安中期に流行った今様も後期には廃れた。 歌謡の変遷は平成の今日と同様に甚だしいものであったと言える。 |
| 1096年 | ★『洛陽田楽記』大江匡房 11世紀末の『田楽』の大流行(京、近畿) 軽業を基とする舞。鉦、太鼓、鼓などの楽器が用いられる。 1説に、タイコ:田鼓:太鼓から田楽と言われたという。 |
| 1115年 | ★白拍子の初め…… 神楽の男巫、殿上の淵酔、呪師、延年の白拍子の芸をとって、宴席に侍ったため白拍子といわれるとされる。 立烏帽子・水干・白鞘巻の男装した女性のはじめ。 延年の白拍子:声明の只拍子を白拍子という。 平板な拍子という意味で一説には白拍子の名がここから起こったと言う。 今様、朗詠などの歌を特有の節回し(曲節)で歌いつつ、鼓の伴奏で舞った。 白拍子舞の名人:島の千歳、和歌の前、磯の禅師、静、祇王、祇女の名が残る。 後に曲舞(クセマイ)に影響を与え、女猿楽、女歌舞妓へと系譜を引く ●延年の流行…遐令延年(カレイエンネン)に由来する。 貴族の接待や寺院の僧侶達の演芸大会で、芸能によって心を和らげ、寿福増長をはかるもの。 非常に華麗な演芸大会であったと想像される。鎌倉時代中期まで続くが、その後衰退する。 延年の特徴は、全体を雅楽風の演出や演目で包みながら、庶民的な芸能を混在させて居るところにある。 |
| 1140年 | 佐藤義清の出家:西行法師 ●仏教の民衆化に伴い、説教場といわれる寄席(小劇場)が淀川沿いに建てられていく。 寺のない地方の布教拠点であり、当時の門付け芸とは別の寄席芸(劇場文化)の発達基盤となった。 |
| 1155年頃 | 強装束、十二単衣、男子の眉墨・白粉・染歯が始まる |
| 1167年 | 『平清盛 大政大臣となる』 |
| 1169年 | ★『梁塵秘抄』 編者 後白河法皇 12世紀末の風俗 平安時代末期の雑芸の歌詞を分類集成したもの。 事例:「この頃都に流行るもの、肩当て、腰当て、烏帽子止め、襟の立錆烏帽子、布打ち下袴、四幅指貫」などと、都の最新ファッション情報も今様に 歌われて情報伝播したことが分かる。 |
| 1173年 | 『山家集』西行法師 |
| 1180年頃 | 『保元物語 平治物語』など戦記物が誕生…軍記語りの誕生(説教) 都の大事件を伝播するため作られた語りが物語となって記録される。 この語りの手法は説教師の手法が取り入れられたと考えられている。 ○曲舞が成立。白拍子舞から発生した。 鼓を伴奏として、歌謡に代わって物語りしつつ舞うもの。 |
| 1192年 | 『鎌倉幕府を開く』(京都、鎌倉間、飛脚便7日で往来) |
| 1233年頃 | ★京都に猿楽流行 |
| 1275年 | ★一遍 時宗を開く 踊り念仏の初め(文字や理屈ではなく、身体で念仏称名 を唱えることを覚える方便)陶酔感をももたらし、大流行する |
| 1402年 | ★世阿弥『風姿花伝』(能の芸術論 技術論) |
| 1410年頃 | ★茶の湯、挿花流行する |
| 1418年 | ★世阿弥『花伝書』(能の芸術論集成) |
| 1446年 | ★能の完成…足利義満によって、翁舞を世阿弥が舞ったことにより、神能の性格を喪失し、芸能化をはじめるといわれる。 |
| 1452年 | ★『連歌初学抄』一条兼良 連歌新式追加 |
| 1460年頃 | ★曲舞の一流派「幸若舞」起こる (桃井幸若丸) |
| 1465年 | ★華道 立花宗家 池坊専慶 |
| 1467年 | 『応仁の乱』貴族階級の没落 [京都・伏見・大坂]町衆の隆盛 (1568年信長入京まで続く貴族文化と町衆文化の融合) |
| 1479年 | 蓮如、山科本願寺を築く |
| 1497年 | 蓮如、大坂石山本願寺を築く |
| 1505年 | ★『粟田口猿楽記』によれば素人(町衆)の演能(手猿楽)が盛んとなる。 女猿楽、児猿楽も見える(歌舞伎を生む流れの登場)。 能や猿楽が、神社、仏寺の束縛を離れていることがわかる。 |
| 1518年 | ★『閑吟集』連歌師 宗長 町衆に愛唱されていた歌詞を集めたもの。 『梁塵秘抄』に収められていたものが、口づてに伝承されている間に時代の選別を受けて変容してきたことがわかる。 「木幡山路に行き暮れて、月を伏見の草枕」 |
| 1542年 | 『種子島へ鉄砲伝来』 |
| 1550年頃 | 木綿の衣服が一般に普及する |
| 1560年頃 | ★狂言の完成?大蔵虎政(大蔵流狂言の祖) |
| 1570年頃 | ★隆達節の完成か?三味線、鼓、笛などを伴奏とする、小唄の祖。 閑吟集に集められた歌詞などを受け継いでいる。 「泣いても笑うても 行くものを 月よ花よと 遊べただ」 |
| 1603年 | ★出雲巫女 お国 歌舞伎(妓)創始 民間舞踊『風流念仏踊』から男装麗人となる『カブキ(傾き)踊』へ 念仏躍りが風流念仏踊となって、惣躍り(盆踊りや練行)に、主人公を設けた見せる芸を確立。 隆達節や狂言の小謡など、当時の流行歌をもとに構成する。 |
| 1629年 | ★ 女歌舞妓 禁止 |
| 1640年頃 | ★長唄の源流起こる 隆達節や狂言の小謡など、当時の流行歌、囃子、風俗歌を組み込み、4段乃至5段組の長唄として演奏する |
| 1642年 | ★安楽庵策伝 浄土宗誓願寺竹林院に没。落語の祖。説教師。 『醒睡笑』によって1000作以上の小ばなし、落とし話を今に残す |
| 1659年 | ★ 若衆歌舞妓 禁止 |
| 1678年 | ★坂田藤十郎 大坂に歌舞伎[和事]を確立 写実的演劇の初め |
| 1698年 | ★竹本義太夫 操り芝居を挙行 |
| 1703年 | ★近松門左衛門『曽根崎心中』実際の事件を題材に、写実的筋を確立 |
| 1753年 | ★京の中村富十郎『京鹿子娘道成寺』江戸中村座にて初演。 『娘道成寺』舞踊の決定版となる。(現代に伝承される) 江戸興行のために、「鞠歌」等、上方観光ガイドブックの役割も務める。 此の時期の前後から、芸能発達の主流が上方から関東へ移行していく |
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