【古事記にみる道成寺原説話】3 本牟智和気王故、その御子を率て遊びしさまは、尾張の相津にある二俣スギを二俣小舟に作りて、持ちのぼり來て、倭の市師池、輕池に浮かべて、その御子を率て遊びき。 然るにこの御子、八拳鬚心の前に至るまで真事とはず。 故、今高往く鵠の音を聞きて、始めてあぎとひしたまひき。 ここに山辺の大たかを遣はして、その鳥を取らしめたまひき。 故、この人その鵠を追ひ尋ねて、木國より針間國に到り、また追ひて稻羽國に越え、 すなはち旦波國、多遅麻國に到り、東の方に追ひ廻りて、近つ淡海国に到り、 すなはち三野國に越え、尾張国より伝ひて科野國に追ひ、遂に高志國に追ひ到りて、 和那美の水門に網を張りて、その鳥を取りて持ち上りて献りき。 故、その水門を號けて和郡美の水門と謂ふなり。 またその鳥を見たまはば、物言はむと思ほせしに、思ほすが如くに言ひたまふ事なかりき。 ここに天皇患ひたまひて、御寝しませる時、御夢に覚して曰りたまひけらく、 「我が宮を天皇の御舎の如修理りたまはば、御子必ず眞事とはむ。」とのりたまひき。 かく覚したまふ時、太占に占相ひて、何れの神の心ぞと求めしに、その祟りは出雲の大神の御心なりき。 故、その御子をしてその大神の宮を拝ましめに遣はさむとせし時、誰人を副へしめぱ吉けむとうらなひき。 ここに曙立王トに食ひき。 故、曙立王に科せて、誓ひ白さしめつらく、「この大神を拝むによりて、誠に験あらば、 この鷺巣池の樹に住む鷺や、誓ひ落ちよ。」とまをさしめき。 かく詔りたまひし時、誓ひしその鷺、地に堕ちて死にき。 また「誓ひ活きよ。」と詔りたまへぱ、更に活きぬ。 また甜白檮の前にある葉廣熊白檮を、誓ひ枯らし、また誓ひ生かしき。 ここに名を曙立王に賜ひて、倭者師木登美豊朝倉曙立王と謂ひき。 すなはち曙立王、菟上王のニ王をその御子に副へて遣はしし時、 那良戸よりは跛盲遇はむ。大坂戸よりもまた跛盲遇はむ。 ただ木戸ぞこれ掖月の吉き戸とトひて出で行かしし時、 到ります地毎に品遅部を定めたまひき。 故、出雲に到りて、大神を拝みをへて還り上ります時に、 肥河の中に黒き巣橋を作り、假宮を仕へ奉りて坐さしめき。 ここに出雲国造の祖、名は岐比佐都美、青葉の山をかざりて、 その河下に立てて、大御食献らむとする時に、その御子詔りたまひしく、 「この河下に、青葉の山の如きは、山と見えて山に非ず。 もし出雲の石くまの曾宮に坐す葦原色許男大神をもち拝く祝の大廷か。」と問ひたまひき。 ここに御伴に遣はさえし王等、聞き歓び見歓びて、御子をば檳榔の長穂宮に坐せて、駅使を貢上りき。 ここにその御子、一宿肥長比売と婚ひしましき。 故、その美人をかきまみたまへば、蛇(おろち)なりき。 すなはち見畏みて逃げたまひき。 ここにその肥長比売患ひて、海原を光して船より道ひ來たりき。 故、益々見畏みて、山のたわより御船を引き越して逃げ上り行でましき。 ここに覆奏言ししく、「大神を拝みたまひしによりて、大御子物語りたまひき。 故、参上り來つ。」とまをしき。 故、天皇歓喜ばして、すなはち菟上王を返して、神の宮を造らしめたまひき。 |
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