【道成寺攷 参考資料】

[1975年8月15日採録 道成寺 小野管主による]

[「鐘巻道成寺由来」]

「この御寺は、皆様よく御存知の奈良の東大寺大仏殿をお建てに成りました
聖武天皇の御母宮子姫様の御縁によって、文武天皇の勅願で大宝元年西暦701年の建立です。
高野山よりも110年古い、紀州最古の寺で御座居ます。
幸い1270余年、焼けたことが無いので仏像が沢山ありまして、今は重要文化財指定のものが15点ある。
とかく道成寺といいますと、安珍清姫とお芝居で有名になり過ぎて、
立派な仏像が沢山有ることはよく知られておりません。
…略…本堂は600年程前建て変えたんですが、柱はみな古い。
カンナは使ってません。
門は新しくなってますが、500年程前のものである。
十数年前、台風で傷んだから、元の通り建て変えました。
塔が有ります。
和歌山県で珍らしい三重の塔。
塔の隣りに書院も有る。
県指定の文化財。
門と本堂は国指定の重要文化財。
さて御本尊は観音様、千手観世音菩薩。
御丈一丈二尺、素晴しい立派な観音様。
……略……手の数四十本、一つの手が二十五の働きをなさいます。
智恵と愛と勇気を授ける、特に子年生れの方の一生の守り本尊です。
大変珍らしいことに、ここにこのような御本尊があちらにもう一体ある。
裏がありません。
裏無し堂。
何故そういうことになったかわけその理由をお話します。
皆様御存知の奈良の大仏をお建てになった聖武天皇の御母、
宮子姫様は藤原不比等の養い娘でお妃に上ったんですが、実はこの近くで生まれた。
その方が御願いをして、この寺を建てました。
今この寺から海岸まで四キロ、一里程ありますが、千二百年前までは、この辺は入江であった。
入江のほとりに漁師が住んで居まして、その漁師の娘として生まれたんですが、
女の子ですけれども頭に髪の毛が無かったと言う。
女の命という髪、その髪の無い子供が生まれて、親達色々と手を尽したのですけれど髪がはえません。
或年のこと、不漁が続いて村人が難儀している。
どうかして、海底に何かチカチカ光るものがある。
それがために不漁だと思いますが見届けに行く者が居無い。
そこで、お母さんが考えます。
せっかく生んだ女の子が髪の毛が無いという事は、我々が前生で何か罪を作った報いに違いない。
罪滅しのために、多くの人を助けましょうと健気な決心を致しました。
……略……さてお母さん海の中に入って光るものの正体を探しに行った。
これが一寸八分の闇浮檀金という観音様の御姿である。
不思議なことで、海の底から観音様の御姿を拾い上げ一生懸命御信心しておりますと、
有難いことに髪が生えてきて、髪長姫と言われる。
髪の長いのが美人と言われた時代、その事が奈良の都へ聞えまして、右大臣の娘分となって、
宮子姫と申して、時の帝のお妃様に昇ります。
この、まことに不思議な夢のような出世が出来たのも、観音様のおかげですと申し上げる。
しからば勅命下って寺を建てて、海の底で拾い上げた一寸八分、大きな一丈二尺の胸に納めて、
奈良の都が此寺より北にあたりますので、北向きに坐します。
後に我々のため、南向きの本尊が出来、あちらは正、こちらは副。
正副二体天主本命鎮護国家。
御祈祷する寺ですから、神殿造りといって神仏合体、鏡と御幣が飾ってあります。
ここは、神様と同じ手を打って拝みます。
(筆者註 三度。パン、パン、パンと手を打つ)この宮子姫が聖武天皇を生んで、
聖武天皇が大仏建立ですから、ここは大仏様の母寺ということです。」

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