【演出の独り言】

《演出の現場2》

■演出の愚痴

バランスが悪いと感じる芝居があるよね。
漫才コントやオペレッタと大衆演劇が混ざったようなバランスの悪さ。
表現様式が、単彩である必要は無いのだけれど、
様式を選択するセンスは大事にしたいね。

バランスの悪さは意外とつくった当事者には分らなくて、
のんびり観に来た部外者に指摘される事が多い。
稽古が密にならないか、通し稽古の数が少ないか、役者と演出の会話が無いか、
種々な理由が考えられるけれど、一番ひどいのは、通し稽古に辛抱出来ない演出だね。

通し稽古を始めて次から次とダメ出して、通し稽古が出来ずに終わると、
まるでパッチワークのような継ぎはぎだらけの芝居になっちゃうもんだよ。
役者さんにとっては、全体の流れを感じる事は出来ても、
出来映えを評価する事なんて無理な話。
自分の出番と芝居に精一杯だろうし、違和感を感じても
ただひとり見るためにいる演出がOKを出していたら、誰も否とは言え無いモンだ。
演出は全体を眺めるために、辛抱が必要だね。

絵画と一緒で、細部にこだわるとかえって全体が意味不明になってしまう。
モザイク画がいいのは、作り手のセンスが光るからだよね。
全体から部分の出来をとらえ直すと、思ってもみなかったようないいアイデアが
フッと浮かんで来たりする。
出来上がりをイメージして、省くところは省いて整えると、
強弱濃淡の色合いの付いた出来のいい作品が仕上がるよ。
本を読んだ時の感動を、そのまま舞台に上げようとするのでは無く、
役者さん達やスタッフと共に、自分達の舞台作品でお客さんを感動させようと企もうね。

役者に出来ない事をもとめる演出家がいるね。
「君のもう一歩踏み出した演技が見たい」とか言って、
無理矢理不得意な演技を要求しておいて、
終わったら「期待外れだった」とかなんとかいって、
評判の悪さから自分だけ逃げ出してしまう演出家。
欠点のない人間はいないし、もちろん欠点の無い役者もいない。
どんな欠点を持っていようと、公演を前提としたなら、
その欠点が目立たないように、その役者の美点がより際立つように
仕掛けてゆくのが演出の仕事だとおもうな。
役者さん達が誉められて、「演出は目だたなかったね」ぐらい言われるようになると、
演出の仕事が「藝」の域まで到達したんだろうね、そうなりたいね。

「本」・・
ひどい本があるよね。台詞が日本語になっていなくって、
といっても別段英語や中国語で書いてあるわけでは無いのだけれど、
読んでも喋っても、意味不明。
書かれた背景を調べれば、そんな本が成立する理由はとっても多くて、
・単に大勢の劇団員を舞台にあげるためだけに書かれたもの
・覚え書きが綴られて本の体裁らしきものになったもの
・舞台を作る事が目的で書かれたモノ。
書きたいこと、書かずにはいられないこと、があって書かれたものでは無いから、
そんな本を上演候補の台本に持ってこられた時には、私は逃げ出したいね。
でもいい本をダメにしてしまう演出もいるよね。
老舗の団体なんか、芝居はこうあるべきとか決まッていて、
どんな本でも、観客に伝えるメッセージは一緒とか。
時代を切れる言語や表現は、やはり若者の特権かも知れないね。
30過ぎたら若者に学ぶべきなんだろうね。
50過ぎたら時代と戦う芝居は無理だね。残された道は、
人間の本性と向き合う芝居を作る事だね。
歳喰ったらしんどいね。
演出も肉体労働だね。


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