演劇ラボ

[俳優訓練の理論2]

[第三章 感性の稽古へ到る道]

(感性の稽古とは創造性を高める訓練の事…筆者注)
感性の稽古は、約四年間多くの若い演技者と共に、様々な試行錯誤と実験を経て生みだされたものである。
しかし、この稽古法を生みだす基となった演技実験を行ってくれた独りの有能な俳優を忘れてはならない。
昭和48年の冬、当時の私は「よりよい舞台を創るために、俳優の創造する演技を中心とする。」
という主張をもって演出に臨んだ。
演出は多くの場合、舞台装置や其の他俳優以外の諸々に演出の主張を盛込み、
演技者の演技創造に直接関与することは少ない。
何故なら完全な演技創造は、観念的な演出の指摘など足元にも及ばないほど細部まで創造され、
演出が演技者の演技指導の教師でない以上、演技という俳優独自の創造に対して、
演出者が間接的にしか関与できないことは致し方ない。
だが私は、直接俳優の創造に関与することを欲し、更に俳優の中に埋もれている創造意欲に火を点け、
俳優以外の全ての舞台要素が、俳優の演技創造の糧とも助けともなることを要求した。
私は俳優が舞台創造の中心であることを願ったのだ。
それが幾許かでも成就したと言われたのは、私を助けてくれるスタッフと俳優が優秀であったためである。
この演出を通じて度々失敗を演じながらも、演技に関わる演出があくまでも間接的なものでなければならないことを私は悟った。
演出といっても、演出もまた演技創造の一つの糧にならなければならないのだ。
私はまた、演技者にとって舞台で演技を行っている数十分あるいは一〜二時間の精神の集中が大変困難なことであることに気がついた。
加えて演技空間として与えられている場にある様々なもの[演技によって命を吹き込まれるように用意されているもの]が、
演技者の舞台状況に対する安易な思い込みや、創造すべき状況の不正確・不安定な認識、曖昧な表現によって場面を説明するだけの
無用の飾りものに成ってしまったことに気がついた。
私はこの時の経験から、長時間の精神集中に耐えられる演技者を欲した。
そして集中した意志の力で自分の感覚と感情を制御し、より素晴らしい演技創造に挑んでくれる俳優を求めて初期の訓練実験を考案した。
その時私には私の求めることを理解し積極的に協力してくれた俳優がいた。
もしかの俳優がいなかったなら、この稽古法は生まれてこなかったであろう。
いまもかの俳優に感謝の念を捧げる。
初期の実験は、スタニスラフスキーシステムを基に、エジンバラ大学でのわずかなヒントやグロトフスキー「実験演劇論」などを選択のひとつとして、
様々な演技訓練書からの理論・課題を借用して始めた。
この時の大きな成果は、ファーストポジション(FP)の発見である。
東洋の武道「大極拳」などや様々な舞踊などには、[体(たい)]と言うものがある。
一定の型を、必要とする以外の全ての力を抜いて維持し、手の位置、肘や首、肩の位置、膝、足の位置、腰胸の位置や向き、
これらすべてを一瞬にして分からなければならないという。
この体(たい)を修得するためには、何年もの厳しい修行が必要であると言われている。
要は身体全体に対して均等に注意を集中すると言うことである。
手や足などに注意が偏ってもまた全身へ注意が散漫になってもいけない。
余分な力を加えて緊張すれば、身体の各部分が分からなくなってしまう。
この体(たい)から生まれたのが、[ファーストポジション(FP)(現スタンディングリラクゼーション…筆者注)]である。
FPによって自分の身体と対話して、様々な感覚へより深く注意を集中していくことが可能となった。
ザハーヴァは演技について次のように語っている。
「俳優の単に肉体とかあるいは様々な情緒を必要に応じて喚起する能力とかだけではなく、その内心の思想や夢、彼の芸術上の見解や原理、
彼の感覚や感情、彼の想像力、彼の教育、彼の趣味、彼の気質、彼のユーモアの感覚全てが演出の芸術の材料である。
演技は一つの過程であり、過程は変化し続けることを意味する。すなわち流動性、速やかに移り変わる流れ、不断の運動である。」
俳優の全存在の在り方が、舞台芸術の基として捉えているザハーヴァは、俳優の創造と言う問題にもはっきりとした考えを述べている。
「俳優の創造的状態が存在するのは、予期された刺激に対する反応が、予期されない刺激に対する反応と同様に自然で真実である場合だ。
俳優の創造的役割は、反応の完全な自由と言うことを含んでいる。
俳優は彼が舞台状況において受けるあらゆる刺激に対して、それが新鮮であり全く細工したものではないような風に反応しなければならない。
つまり他には何とも反応の仕様が無いので、その特殊な反応を示すと言うようにだ。」
ザハーヴァの言葉で私が心に銘記しているものがある。
『演出は、俳優を愛し、敬い大切な創造者として扱う。』
この言葉に現れているザハーヴァの姿勢は、そのままスタニスラフスキー門下の演出者の姿勢でもある。
スタニスラフスキーとそのシステムについては、多くの解説書や詳しい研書が発行されているので、基本的なものを簡単に述べてみたい。
スタニスラフスキーは、優れた俳優達に共通するものを、彼の経験の中から発見した。
彼等は舞台の上で、多くの俳優が緊張に囚われ紋切り形の演技を繰り返しているとき、緊張から解放され素晴らしい創造的状態へ自らを導いていた。
何故彼らは自由な創造的状況を獲得できたのであろう。
スタニスラフスキーはそこに舞台上の真実と言う問題を発見した。
俳優は舞台上に起こっている事柄を信じなければならない。
しかし俳優の見付けるべき真実は舞台上に落ちているわけではない。
真実とは俳優の感覚と感情に他ならない。それが演技創造のもととなるのである。
俳優の豊かな想像力と子供のような素朴さが、舞台上の虚構を想像の真実に創りあげるのである。
スタニスラフスキーはまた、日常の生活が舞台のために必要な真実を創り出す糧となることも指摘している。
彼の功績は、俳優の天賦の才能に任されていたものを、訓練によって修得できると考えたことである。
訓練によって、緊張から解放され精神の集中力を高め台詞まわしその他を技術として習得し、それが俳優の習性として演技に現れるとき、
彼は舞台上の真実が創造されると考えたのである。
欧米ではスタニスラフスキー以後、彼の影響によって、多くの演技論が生まれた。
しかしスタニスラフスキーが門下と共に提起した多くの問題は、解決されたとはいい難い。
感性の稽古もまた、多くの演技論と同じく彼の問いかけに答えていこうとするものである。
常に試み、学び、より優れた方法論となるよう努力したい。

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