[◆ポドテキスト]■目的…「役の内的感情生活の理解」感情表現(情動)に直接働きかけたり、感情を直接再現しようという試みは、このメソッドのやり方ではありません。 『さあ、笑って』『この台詞は悲しいね、泣いてみよう』という演技ほど無意味なものはないのです。 私達の問題は、感情を生み出す根源にあります。 一つの事件のビジョンでも、それを語る人間の個人的体験、経歴、人生の志向、その時の状況によって、 全く異なった評価、判断、扱いをうけることがあります。 子供は火事を見て、美しく素晴らしいものだと面白がるかも知れない。 しかし大人は同じ火事を見ながら、破綻や死を思い恐怖にかられるかも知れない。 また未来への予想によってもことなります。 日照りの時の雨は良い収穫を約束し、農夫を喜ばします。 あるいはまた、都会人には折角の休日を台無しにされた不愉快な思いを感じさせるのです。 1つの事件に対する様々な態度……それが登場人物の間の葛藤を生むバネなのです。 ●演技創造の実際には、俳優は自分を登場人物の生活状況(戯曲・台本から読み取った)で包み、 登場人物の行為の論理を把握しなければなりません。 其の論理は、人生に対する登場人物の態度、目前の現象に対する登場人物の判断(評価)から生まれます。 つまり、言語行動を実現するには、鮮やかで内容豊かなヴィジョンのフィルムを作るだけでは足りなくて、 登場人物の一貫した生きていく目的(超課題)に応じた、ヴィジョンのフィルムに対する態度の決定が必要なのです。 その時、内面で感じ取れる登場人物の[精神生活]が形作られるのです。 それは台本・テキストの言葉の下を絶えず流れて、言葉を裏付け、言葉に生命を与えるものなのです。 演劇の実践では、テキストの発言を裏付ける、登場人物の内面生活の事を『ポドテキスト』と呼びます。 行動の領域で一貫した行動と名付けるものを、話言葉の領域では『ポドテキスト』と言うのです。 創造すなわち『ポドテキスト』であり、『ポドテキスト』は俳優の創造の主たるものなのです。 ●ポドテキストは、登場人物の本心の考え、感情、企み、欲求を表現するヴィジョンです。 ヴィジョンと異なるのは、ヴィジョン及びヴィジョンのフィルムは言葉によって語られることを目的としますが、 ポドテキストは、台詞(台本・テキスト)と矛盾してくることもあります。 言葉は、本当の思惑や志向を隠したり、カモフラージュするために発せられることが少なくないのです。 例1. A:愛してる。 B:愛してる。 A:私も愛してる。 例2. A:愛してる。 B:愛してる。 A:帰る。信じられない。 例3. A:愛してる。 B:愛してる。 A:どうしたの?。 1.例1.2.3.はそれぞれ夫婦または恋人達の会話だと考えられます。しかし、その他の可能性は? 2.Bの『愛してる』のポドテキストは、それぞれ全く異なりますね。誰に、あるいは何に言っていますか? 3.書かれている台詞からポドテキストを読み解くには、相手役の反応を読み解かなくてはなりません。 4.作家が考える世界は、Bの台詞だけでは理解できなくて、AがBの言葉を聞いて行動した事により、 Bが、何をAに与えたかがわかります。 5.何時、どこで、誰が、誰に、なぜ、なにを、どうしたのか。それを考えてみましょう。 6.ミステリー・ラブストーリー・スリラー・ホラー・サスペンスなど考えられるジャンルの会話を作ってみましょう ●現実の生活でも舞台でも、人間の内面の世界を知る手掛りは、出来るだけ長い時間を掛けて その人の行為の論理を注目することです。 現実の生活でも、その人が何を言っても、何を成したかが問題です。行動が本心の反映なのです。 人間の隠された内面の欲求も、台本(テキスト)の言葉に隠れて見えないポドテキストも、 行為の論理をたどれは暴露できるものなのです。 ●ポドテキストは言葉を発するときだけ必要なのではなく、相手役の話を聞いている時にも必要です。 聞いているという時の身体行動、沈黙のほうが、いかなる言葉よりも雄弁な時もあるのです。 話すほうもただ言葉で働き掛けるだけでなく、話しながら相手役の反応を知覚し評価し それに応じて自分を変えたり新しい働き掛けの方法を捜したりするのです。 ○注意点… 創造の段階に入ったら、俳優はポドテキストの事を考えないようにしなければなりません。 昨日とは違う今日の相手役の微妙な演技の変化を知覚し、対応できるように あらゆる事前のたくらみから自由でなければならないのです。 ●俳優は台詞の研究に際して、その中の考え、理念の戦い、様々な観点の衝突等を、比較的容易に発見します。 しかし言語の戦いには簡単に分析できない感情の戦いもあります。 対立する考えや理念だけではなく、対立する情動、感情表現(言葉や行為による)があるのです。 未熟な俳優は、相手役がその直前に発した台詞のトーン音調(言葉の抑揚やテンポリズム)に影響されて 自分独自の表現にもどれず、相手のトーンに引きずられる事が多いのです。 それは、舞台全体のリズムを弱め、退屈な単調さを生み出していきます。 ★課題 相互行動のエクササイズをジブリッシュ(めちゃくちゃ言葉・感情言語)を用いて創造します。 ★課題 事件と事実のエチュード。A テキストの中から事件と事実を抽出して、その事件と事実をジブリッシュ(めちゃくちゃ言葉)を用いて表現します。 ○注意点… テキストの中の事件と事実についてより鮮明なヴィジョンをつくり、 言葉の意味ではなく言葉の抑揚や感情表現力で相手と交流すること。 ★課題 事件と事実のエチュード。B テキストの中から、事件と事実を抽出して、その事件と事実を台本の台詞を使わないで 即興的に行為と言葉をつくって、事件を発動し、事実を開示して、場面を表現します。 ○注意点… 台本の中の事件と事実について、より鮮明なヴィジョンを作り、自分の言葉で台本とは違った視点から、 事件を生みだして観客に知らせるべき事実を相手役に伝える事。 【ポドテキスト訓練用課題】 「何時・どこで・誰と誰が・何故・どうやって・どんな目的があって会話しているのか」を取り決めながら、 ポドテキストを表現してみる。 1. A:「寝てるの」 B:「いや起きてる」 A:「夢をみたよ」 B:「ああ」 A:「寝てるの」 B:「いや起きてる」 A:「寝ないの」 2. A:「空が青いね」 B:「ああ青いね」 A:「天高く馬肥ゆる秋だね」 B:「天高いの」 A:「ああ高いよほら」 3. A:「雨がふりそうだね」 B:「バスは…」 A:「雨降るかもしれません」 B:「歩きませんか」 A:「何処へ」 B:「次の停留所まで」 A:「一緒ですよ」 B:「ああそうだね」 4. A:「まだ生きてると思うかい」 B:「ああだろうね」 A:「目が赤い」 B:「ああ赤いね」 A:「鰯や鯖だと傷んでるよね」 B:「ウサギはじゃあ傷んでるのかい」 A:「ああそうだね」 (四篇 作/深津 篤史) ■アイホールでは、ポドテキストの練習をとても大切にしました。 ポドテキストは、俳優の創造の根幹を成すものです。 俳優にとって、長い道のりの地図でありコンパスになるものです。 しかし、事前に巧に工夫しても、相手役との出会いの瞬間に、それを捨てなければなりません。 台詞をいかにうまく再生するかということより、台詞を使って何を表現するか、何を伝えるかを 大切にして欲しいと思います。 |
[◆身体の魅力]■目的…「身体表現の研究」身体の魅力は動作・しぐさの美しさにあります。 スポーツマンのように鍛えられた身体そのものが美しいよりも、 俳優は行動の軌跡、動作・しぐさに美しさが必要です。 そのため、ダンスやスポーツなど様々な身体訓練への取組が必要です。 特に動作が意味や感情を伝達しなければならない様々なジャンルのダンスは、 俳優の肉体的表現能力や感受性の向上のためにも最低限必要なカリキュラムです。 ○注意点…このテキストでは、身体の表現能力を直接高めるダンスを学ぶことを強く薦めます。 自分にあったダンスと教師を選択し、習得する努力をしてください。 心肺機能を高めるためには、ジャズダンスやエアロビクスが良いでしょうし、 身体の形や動きの美しさのためには、バレエが相応しいでしょう。 しかし、身体表現としては、できればしぐさが意味を持つようなフラメンコや日本舞踊なども勧めます。 ●歩くという一つの習慣的な動作を考えてみても、だらだらと歩けばだらしない傲慢な人だというように、 その歩き方によって他人は様々な印象を受け取ります。 別に意味無く歩いているのに、その歩く姿から、他人は様々なメッセージやイメージを受け取っているのです。 逆にいえば、歩き方一つで、様々なメッセージを表現できるのです。 俳優はその人生の中で、様々な歩き方を身に付けています。 これは一つの表現の武器でもあるのですが、一方で何の意味も発信していない歩き方を身に付けなくてはなりません。 習慣となっている行為の矯正は、大変困難なことに違いないのですが、俳優は日常的な部分から、 自分の表現力の可能性を磨き上げていく努力が必要なのだと理解してください。 |
[◆ことばの魅力]■目的…「話し言葉の研究」舞台上で用いられる言葉の魅力は、音声としての聞き易さや心地好さに加えて、音楽的な抑揚やテンポリズム、 感情を表現する媒体としての機能にあります。 日本語は欧米各言語にくらべて拍発声を必要とすることが特徴で、メロディーラインを奏でる欧米的な言語活用ではなく、 打楽器に似て、粒立った抑揚やテンポリズムの正確な発音が必要とされます。 またその言語的特性から、より言葉としての意味の伝達機能を高めようとするとき、明治の壮士芝居や新劇導入期以降、 感情の媒体としての機能(抑揚・呼吸)が軽視されてきました。 しかし、「言語行動は、身体行動の一部である」というストレートプレーの立場では、 感情表現の媒体として重要なものと考えます。 特に、行為としての言葉を発する運動が、医学的に感情を励起していると分かってからは、 具体的な行為の結果として生まれる言葉の行動を、より大切にする必要があると考えています。 また、言葉は同じ日本語でも、時代や世代によって明らかに違います。 例えば。20世紀後半のある会社の新規事業開発チームの場面では、 会議室の中で社員達が「プロジェクトのコンセプトに従って、ストラクチャを求め、そのスキームに従ってキャスティングする」 という言葉が使われるでしょう。 訳せば「新規事業に対する我が社の期待・指針・目標・姿勢に従って、関係部署の関わり方や新規事業開発組織の組み立てを行い、 その組織の中の役割に相応しい人材を配置する」という意味になります。 しかしこの訳文も漢字文化国からの輸入言語で作られているのですから、 本来のやまとことばに訳すと「あらたなるなりわいをおこすにあたって、おもいはかりゆくままに、 まつろううやからうからのあろうありかをとくおもんはかりえて、……」となるわけで、 日本語が古代から輸入言語と輸入思想によって、言葉のテンポ・リズムさえも含めた構造変化を起して来たことがよく分かります。 話し言葉の研究では、その時その時の時代のリアリティと表現すべき内容とを勘案して、 より観客に伝わりやすい手法を選択するか、または発明、発見する必要が有ります。 |
解説【行為と言葉】 |
[◆行動のテンポリズム]■目的…テンポは行動の速さの程度を示す言葉です。しかしテンポは必ずしも内面の状態に本質的な影響を及ぼすものではありません。 未熟な演出家が芝居のトーンをあげようとしてもっと速く話せ・もっと速く行動せよと要求することがありますが、 しかし外面的に機械的に速度を速めたからと言って、それで内面の積極性が生まれるわけではありません。 リズムはテンポとはいささか違います。 例えば「芝居にリズムがない」というときそれは速度のことではなく、 俳優の行動や心理体験の緊迫度や変化の程度のことを指しています。 リズムは舞台上の事件が、その中で展開していく内面の情熱的灼熱度のことを指しているのです。 またリズミカルという表現で、律動的な行動を現すこともあります。 ようするに行動の動的性格、その外面および内面の表現を定義づける言葉と言えます。 ○注意点… 同一のテンポであっても、例えば競技場を走るスポーツマンとギャングに追われている人間との行動のリズムは、 一方が厳しい律動性を表現しているのに対して、一方は突発性や不安定な行為の連続等が見られるなど、 全く異なったものとなります。 テンポとリズムは互いに関連し合った概念であり、多くの場合相互に直接依存し合っているのですが、 しかし両者がはっきりと対立することもあります。 『検察官』の中で、検察官の登場を告げる二人が速いテンポで人々に語る場面がありますが、 メイエルホリドはこの二人が興奮のあまり焦って話を続けられなくなるように、と演出しました。 そのために周りの人々の待ちきれない気持ちが鮮やかに描かれることとなったのです。 メイエルホリドはこのエピソードのテンポをゆるめることで、リズムを鋭いものにしたわけです。 この例からも、遅いテンポが様々な原因で生まれることが分かります。 内面の必要以上の緊張や安定しきった精神状態、完全に意気消沈している場合などです。 どの場合にも独自の行為のリズムが生まれます。 ●行動のテンポとリズムは、与えられた状況によって変化していきます。 ★課題 ……簡単な練習は、行動の一貫性はそのままに、時間の状況を変化させていくものです。 例えば俳優は舞台に登場するためには状況いかんにかかわらず、一連の定まった行為を遂行しなければなりません。 …楽屋に入る、服をぬぎ化粧をする、かつらをつけ衣装を着る、出番を待つ。 …しかしなんらかの理由で遅刻して、自分の出番までに数分しか無い場合、 開演1時間前に楽屋入りした時とは全く異なるテンポとリズムとなります。 逆に、行為(行動)の論理がゆったりとしたテンポと落ち着いたリズムを要求しているときには、 行動を速めることはできません。 『戴冠式を大急ぎで一気にすましてしまう皇帝と皇后』はあり得ないのです。 ○注意点… 与えられた状況を正しく認識し、それを土台に役の行為の論理を把握すれば、 俳優は行動の正しいテンポとリズムを創り出せるのでしょうか? 舞台上の創造の場では、行為の論理とテンポとリズムの自然なつながりは、しばしば狂ってくるものです。 観客を前にして緊張したり、また必要以上にしまりがなくなったりするのです。 観客に理解されないことを恐れて自分の行為をしつこく引き伸ばしたり、噛んで含めるようにしてみたり、 反対に観客を退屈させないように、わざとトーンをあげて無理な行動をとったりするのです。 どちらの場合も俳優はその場面で生まれた偽りの演技(登場人物の感じている情動では無く、俳優自身の情動)や 自分の想い込みを、無意識に描写すべき人物の行為になすりつけているのです。 正しいテンポとリズムからの逸脱は、いかなるものでも必ず登場人物の行為の論理と、 戯曲の一貫した行動を歪めてしまいます。 テンポとリズムのコントロールは、俳優技術の重要な要素の一つなのです。 ★課題 例…歩く、立ち上がる、振り向く、挨拶をする、腰掛ける、何かを手に取る、 服を着直す等、あらゆる行為を様々なテンポとリズムで繰り返してみる。 するとこのテンポで無ければ効果が出せない、という一つのテンポを発見するでしょう。 また創り出したリズム自体に俳優自身が影響されて、実に多彩な内面の感覚や感情を発見したり、 思い出したり、受け取り、自分自身を知ることにもなるでしょう。 |
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