※金光君、大山登山マラソンを走る(2010/04/01)
※繁成君、パラリンピックの開会式へ(2010/03/21)
※掩体壕:これ読めますか?(2009/10/05)
※管理人、こんな話を聞きました(2009/08/26)
※管理人より、Kikou25に短いお話
※近況報告 吉野幸夫(2008/12/30)
※JP宮崎君よりKikou25へ投稿。タメになります!(2008/07/11)
※石井重光君、近況(2008/06/20)
※ボンジュール、25期の皆さん(2006/12/21)在仏、酒井君からの生活記
※大森君に会いに、北海道に(2006/10/20)
※新年のご挨拶(2006/01/05)・・・・森田順平に依頼した近況報告です。
※後輩に会いました/奥屋君帰省記(2005/10/21)
※サックスに導かれて-永松君体験記(2005/10/01)
※某君からの寄稿 (2002/09/24)
※奥屋君 転勤のお知らせ(2002/07/20)
※繁成君、大学と我が家を語る(2001/10/17)
※緊急寄稿、友田 敦久君、アフガニスタンの北より(2001/9/20)
※及川君、モルジブに行く (2001/03/01)
※上野 友義 君 オランダ生活記 (2001/02/19)
※永嶋君 引っ越し騒動記その1(2001/02/05)
※謎の解けた須田由美さん、山に登る(2000/12/03)
※或る二世選手 ゲスト/高36期 浜中隆志さん
※中野 稔彦 君 近況報告 (2000/03/16)
※匿名K君より Funny Q&A (2000/03/16)
※奥屋 博雅 君 上京話抄 (2000/03/13)
※タイよかとこ? 武若 耕司 君 (2000/03/12)
※ウズベキスタン訪問記 垣迫 裕俊 君 (2000/02/21)
※タイに暮らす、武若 耕司 君
※奥屋君、健康維持の取り組みの一部を紹介
※45歳前の独り言 壱岐尾 英治 君
※友田君の その後のウズベキスタン
※管理人寄稿 中高校生のお子さんを持つ同窓生へ
※ウズベキスタンの桜事情 友田君のE-Mailより (1999/04/06)
※須田(関屋)由美さん(27期)の近況
※友田君のウズベキスタン情報第2弾 (1999/03/11)
※奥屋君とこのスパルタン生後4ヶ月近影
※奥屋・松井・藤村・河野のミニ同窓会
※友田、E-Mail Addressゲット! 現地報告No.1
※スパルタンが行く 奥屋 博雅 1998/11/21
※匿名希望さんのHDD取り替え・増設記 (1998/11/02)
※世界の国から/風土と文化と石油 吉永 一臣/出光ケミカルズ・ヨーロッパ(3年9組)(1998/08/18)
AC広告の多さ、普通じゃないよね 管理人(2011/03/18)
管理人に限らず、最近のAC広告(旧公共広告機構)の多さに違和感を覚えておいでの方はたくさんおられると思います。そこで事情をネットで調べてみました。
出演している広告タレントが不祥事を起こしたとか、広告企業がダメージを受けている最中である場合などに、放送予定のCMの差し替え広告として流されるのが、AC広告のようです。今回は、皆さんも想像しているかと思いますが、東北・太平洋沖大地震で、多数の方々が被災されている真っ最中であることが、大量放映の原因になっています。
要は、通常は世間で容認されるような営利追求のためのCMも、この危急存亡のときに、普段と変わらず流していいのですか・・・・。そんな庶民の普通の感覚で企業がCMを自粛しているのだそうです。
ソフトバンクのような大企業ならば、現在は平時のコミカルCMに代えて、災害時の伝言ダイヤルのようなCMを急遽制作して放送していますが、そうでない企業は(急にそんな代替CMを作れない企業は)、AC広告で穴埋めをしてもらっていることのようです。
ところが、こんなに大量にAC広告が流れると、予想もしないクレームが起きたようで、以下、これにまつわる(社)ACジャパンの謝罪文を以下に紹介致します。
**********************************
「東北地方太平洋沖地震」にあたって
ACジャパンのCM放送についてのお詫びとお知らせ
【(社)ACジャパン】
この度、東北地方太平洋沖地震で被災された皆様、ご関係者の皆様には謹んでお見舞い申し上げます。
現在、民放テレビ・ラジオ各局において、震災の報道の合間にACジャパンのCMが多数放送されております。これらのCMは、ACジャパンの会員社である放送各局でACジャパンが制作した公共広告を放送していただくためにご提供し、放送局のご判断で必要と思われた場合にお使いいただく広告素材です。
未曾有の大惨事となったこの度のことを受けて、多くの企業がCMの放送を自粛され、ACジャパンのCMが放送されることになりました。
これらのCMはかならずしも非常時に対応できるようには作られておりません。そのため、視聴者の皆様に大変ご不快な思いをおかけしましたことを、心より深くお詫び申し上げます。
現在、ACジャパンでは、「東北地方太平洋沖地震」で被災された方々を応援する臨時キャンペーンCMを企画・制作中でございます。
被災地の方々におかれましては、一日も早い復旧がなされますことをお祈りいたしますとともに、ACジャパンでは広告活動を通じて支援活動を続けていく所存でございます。
皆様には、何卒ご理解をいただきたくお願い申し上げます。 以上
http://www.ad-c.or.jp/information.html
**********************************
皆様がご存じのように、AC広告は社会性・道徳性の高い広告で、時に心洗われる思いもする、すぐれた内容を持っていますが、繰り返し繰り返し、しつこく流れると、見る人によってはその徳も失われるのかもしれません。
金光君、大山登山マラソンを走る(2010/04/01)
金光君が、3月14日に神奈川県伊勢原市でで開催された「大山登山マラソン」に出場しました。距離は9kmほどですが、1650段の坂が最後に待っているという、マラソン大会というよりはクロスカントリーに近い設定です。先ほど、その様子を記した写真が届きましたので、こちらをご覧下さい。繁成君、パラリンピックの開会式へ(2010/03/21)
大変ご無沙汰しています。最近、同窓会にも参加する事が少なくなり申し訳ない。関東に来て丸3年が経ちましたが、家族5人で元気に過ごしています。
3月12日にバンクーバーで開かれた国際シンポジウムに参加した時に、パラリンピックの開会式のチケットが現地で手に入ったので参加してきました。カナダの人たちの熱狂振りに圧倒されながら、見応えのある演出に3時間余たっぷりと楽しむことができました。バンクーバーは景色もよく、食べ物も上手いし、市民もフレンドリーなので、みなさんにもお勧めできる観光地です。今回は5回目のバンクーバーでしたが、再来年、国際シンポジウムで発表するためにもう一度行こうと思っています。
それでは、お元気で。(写真をご覧になりたい方は、こちら。)
繁成 剛 [Head Linesに戻る]
掩体壕:これ読めますか?(2009/10/05)
「エンタイゴウ」と読みます。知っていましたか?掩体壕は戦闘機などを敵の攻撃から守るための格納庫として建造された、いわば戦闘機のシェルターで、上空からは小山にしか見えないようにカモフラージュされていたものです。
先週末から大分県の宇佐市に帰っていました。生まれ育ったのは小倉ですが、父親がリタイヤ後に故郷に移り住み、そこが帰省場所になっています。父は6年前他界し母は昨年5月から入院中で会話も出来ない状態です。弟がいますので助かっていますが。
宇佐には小さい頃から何度も帰っていましたが、掩体壕の存在は約10年前に知りました。柳ヶ浦駅に行くとき(その道路は滑走路の跡です)車から田んぼの中にあるその外観は見ていましたが、今回、記念公園に整備されたことを知り、行ってきました。以前から飛行訓練基地とは知っていましたが、大戦末期には神風特攻隊の基地だったとは知りませんでした。近くには、爆弾池もあります。(最初のアドレスの後ろのほうに写真があります)
祖父?からは、宇佐は飛行隊があるため空爆も多く、近くの山からの砲撃でB-29が撃墜されて米兵が捕虜になった等の話は聞いたことがあります。
皆さんにも知って欲しく、メールしました。
それと、私には思想的な主義、よりどころはありませんが、今回の宇佐の特攻隊もそうですし、靖国に行ってもそうですが、国のために命を落とした人たちがあって、今の自分たちの日本があるんだとは、いつも思います。いつも思っていられればいいのですが、そのときのみです。
【参考サイト】
大分県宇佐(城井【じょうい】1号)掩体壕
掩体壕(海軍宇佐航空隊)
宇佐航空隊滑走路跡
Wikipedia掩体壕
滑走路探検隊>掩体壕(トップページ)
金光 敏弘
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管理人も、昨日、二輪で城井掩体壕に行って参りました。片道約1時間30分。もうちょっと走れば、歯科医を開業している同級生の安部経夫君の町です。
さて、くだんの掩体壕ですが、質の良くなさそうなコンクリート造りです。主翼の付近のコンクリートの厚さは約1m。尾部付近は1.5mほどです。充分な量の鉄筋が入っていれば、小さな爆弾をしのげそうですが。外からは判別できませんでした。しかし、いざ壊そうとすれば大変な強者です。今も残っている理由は、それでしょう。
154名の名を刻んだ石碑があります。そのほとんどが、ここで訓練を受けた後、鹿児島県串良基地や知覧基地に移動して、南海の空に散っていったと聞きます。甲飛(甲種飛行予科練習生)は満15歳以上20歳未満の志願者で構成されていたとの事ですから、彼らに我々の高校時代の姿をかぶらせてしまいます。元々、泣き虫の私ですが、この年になるとひどいものです。刈り入れ前の田んぼが延々と広がる中、人影が乏しいのを幸いに、落涙のまま立ちつくしています。あのときもこんな青空だったのだろうかと思っていました。 [Head Linesに戻る]
管理人、こんな話を聞きました(2009/08/26)
さきほど、管理人の中学以来の友人K君に、こんなことを聞きました。先日、K君はATMでの振り込みに、小倉北区の某所に向かいました。そこはF銀行のATMが2台並んで設置されています。K君は来客せまる自宅に早く戻るため、急ぎで財布を取り出し、キャッシュカードで所定の振り込みを済ませました。いざATMを後にし、車を走らせてすぐ、「あれ? 財布はどうしたっけ?」と異変に気づきました。信号停車で、くまなく、我が身に加え車内を探しましたが、ありません。 「そうだ、ATMのあそこに置き忘れた!」と思うや、急転回。まっしぐらにATMに戻りました。
再び舞い戻るのにかかった時間は10分余、ひょっとしたら、まだあるかも・・・・・。 しかし、無念。すでに思い当たる場所に財布はなく、呆然、その場所を見つめるだけでした。6枚のカードに新幹線の回数券、そして現金7万5千円。心中、「金は諦める。しかし、せめてカードと、できたら回数券も戻ってこないか。」と思ったのですが・・・・。
しかし、そんなはかない願いを持って感傷に浸っている場合ではありません。すぐ気を取り直して、最寄りのF銀行に電話を入れました。しかし、なんら届出はないとのこと。「やっぱり。」 落胆する気持ちとともに、一番近くの交番に行きました。遺失物の届出をするためです。 ところが、なんと、行った交番に財布が届いているではないですか。警官と共に財布の内容物の確認、本人確認。財布は、欠ける物一つ無く戻ってきたのです。「是非にお礼を・・・・。」とK君が言いかけると、警官がこう言いました。「お届け下さったご本人のご希望で、そのまま受け取って下さいとの事です。けっして届けた人の個人情報を漏らさないで下さいと承っています。」
なんということでしよう。困ったときはお互い様、とは言うものの、実際にこんな人がいるとは・・・・。K君は感激しました。もともと「金は諦める。しかし、せめてカードと、できたら回数券も戻ってこないか・・・・。」 と思っていたので、交番を後にしたその足で、社会福祉協議会に行き、7万5千円を寄付してきたのです。彼は7万5千円の社会貢献ができた事に加え、人の善意を確認できた幸せに、しばし酔う事ができたのでした。
はて、私は同じことができるだろうか。いやいや、その拾得された方と同じことをしよう、もし拾った財布の現金が百万円以下なら。・・・・・・・。ええい、テメェみたいな奴が居るから世の中が良くならないんでぇ(自己批判)。
以上、K君から直接聞いた実話です。 [Head Linesに戻る]
管理人より、Kikou25に短いお話
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ルールが設けられる目的
(「最後のパレード」<天国のお子様ランチ>より抜粋:3月28日読売新聞)
数年ぶりに主人とディズニーランドに遊びに行きました。
この日は、1年前に亡くした娘の誕生日であり命日でした。娘はからだがとても弱くて、生まれて間もなくこの世を去ってしまったのです。主人とずいぶん長い間、深い悲しみにくれました。助けてあげられなかったこと、なにひとつ我が子にしてあげられなかったことがいまでも悔やみきれません。 「子どもが生まれたら、ディズニーランドに連れて行きたい」という夢を果たすこともできませんでした。そこで主人と話し、その日は供養のために訪れたのです。
家を出る前にガイドブックを見て、かわいいお子様ランチがあることを知りました。それを娘にぜひ食べさせてあげたいと思い、ワールドバザールにあるイーストサイド・カフェに入ってのです。
ところが、そのお子様ランチは8歳以下の子どもにしか注文できないメニューだとわかってすぐにあきらめました。ディズニーランドはとてもマニュアルがしっかりしているところだと聞いていたからです。
ただ事情だけでも知ってほしくて、つい店の人に話してしまいました。するとお店の人は
「では3名様、こちらへどうぞ。」と言いました。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
最初は、心配りができるお店の従業員の優しさに、つい涙しました。で、何度も読み返していると、涙が止まりました。ポイントは『「では3名様、こちらへどうぞ。」と言いました。』です。従業員はルールで、この誰が見ても8才以下に見えないカップルに、お子様ランチは出せません。だから、特別のはからいでルール破りをするときは、他のお客様の目に付かない、あるいはせめて目に付きにくい場所に誘導しなさいとする、さらなるルールというかマニュアルがあると気づかされたのです。ディズニーランドのサービス精神ってすごいと、感心した次第です。
いい話の価値が下がる事はありません。「3名様」と言った従業員は充分に優しく機転の利く方です。そのいい話に加えて、サービスのプロがそれをさらに普遍化できないか、サービスを尽くせないか考えたであろうことが、つくづく素晴らしく思えるのです。この話、人に伝えて小さな問題提起はいかが? [Head Linesに戻る]
近況報告 吉野幸夫(2008/12/30)
近況報告25期、元3年10組の吉野です。大学以来東京の生活が長くなり、小倉とはずっとご無沙汰していました。ホームページの紹介をしていただいた機会に勤務医から開業にいたる近況報告をします。
医科歯科大学時代は東京に出てきていた小倉同期の上野俊司君や永松利一君達に世間というものを教えてもらいました。
卒業後は眼科を選択し医科歯科大学と都立広尾病院を中心に勤務医をしていました。専門は眼科の中では武闘派の網膜硝子体手術で関東から九州にかけて出張手術にも出向いていました。また外務省や読売新聞の後援で、太平洋戦争のとき戦場となり迷惑をかけた南洋のミクロネシアやマーシャル諸島に白内障の手術を実施に行っていました。現地では器具の消毒は鍋でしたが、徒歩5分で行けるサンゴ礁と南十字星がきれいでした。
都立病院に10年以上いた関係で東京都の長のつく方(元病院長、局長など)の白内障手術はだいたい私が担当してきました。ただし現知事の石原さんは「短気症」はありますが白内障はありません。
ハイテクと小切開手術の進歩により白内障から網膜剥離まで眼科の手術のほとんどが日帰りでできるようになったので2007年に東京、国分寺で、にしこく眼科、ホームページnishikoku-ganka.comを開業しました。東京都の予算がきびしかった反動で手術器械をぜいたくに買ってしまいましたが関東一円から患者様の紹介を受けなんとかやっています。
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ご無沙汰の後、いきなり現れたかと思えば、我々の知らぬところで大活躍。2008年の締めくくりにすばらしい近況を聞くことができて嬉しいですね。なお、近況を伝える彼のPDFもあります。ご覧になりたい方はここをクリック。[Head Linesに戻る]
JP宮崎君よりKikou25へ投稿。タメになります!(2008/07/11)
石井重光君、近況(2008/06/20)
管理人のご高配により寄稿のチャンスをいただきましたことをまず御礼申し上げます。25期のホームページに予告がなされているのを見まして驚きました。3年3組の石井重光です。永らくのご無沙汰、ご無礼、おゆるし下さい。かつて、無線部制作だったと思いますが、小倉高校のページを見たことがありました。それ以来、アクセスすることもなく、たまたま今年になって、インターネットで小倉高校を検索すると公式ホームページになっていました。さらに、100周年の案内がありました。縁を感じます。
「たまたま」、「縁」と書きましたが、これはある映画がきっかけです。私は大学で教えていますが、新入生に高校時代のことを毎年尋ねます。高校時代は暗かったという学生が最近増えてきています。そうなのかなあと思いつつ、あの『世界の中心で、愛をさけぶ』のDVDを取り出して久しぶりに観ると、高校生の亜紀と朔太郎が着ている制服が、倉高の制服に似ていることに気がつきました。夏の日に二人がバイクに乗って駆け抜けるように、まぶしい光が私の心の中を飛び行きます。そしていてもたってもいられずに、小倉高校をインターネットで検索し、卒業以来三十数年かけてとうとう皆様に邂逅することができました。高校時代がまぶしく思えるのは三十数年の時がなせるしわざでしょうか。
つまらない前置きで申し訳ありません。しかし、あの時代がまぶしいという気持ちは、日に日に強くなってきます。同窓会のページの百周年記念事業の名簿を見ると、私の名前の前後にかつて同じクラスにいたなつかしい友の名前が連なっています。ああ、また一緒にいる、感慨です。25期のページにも懐かしい名前が見られます。皆の当時の顔が次々と目の前に浮かび、そして滲んでいきます(年なのですね)。声までが耳の奥底に残っています。ただ、とても残念なのは、すでに亡くなられた友のこと。村元君がすでに数年前に亡くなられていたのは衝撃でした。二人でカメラに向かって笑いかけているアルバムの写真は、いまでは見るのがつらいものとなりました。南无合掌。
センチメンタルな話はこれで終わりにして、、、『センチメンタル・ジャーニー』という曲をご存じの方は多いと思います。いえいえ、松本伊代ではなくて、ジャズの名曲です。「センチメンタル・ジャーニー」という言葉はこの名曲の題名として用いられたのが初めてなのではなく、18世紀のローレンス・スターンというイギリスの僧兼作家が書いた小説の題名が起こりです。さて、いまここでしたような話題の振り方を英文学ではスターン的というのですが、このスターンが私の専門です。そもそもは、ジェームズ・ジョイス(こちらはご存じの方が多いと思います)が学位論文でしたが、スターンが晩年を過ごした地のヨーク大学に留学して以来、スターンを専門にしています。
3年3組当時は、女子大の先生になると言っていましたが、そのとおりに某女子大に奉職し、いまは近畿大学で教えています。飯塚に産業理工学部があるので近畿大学の名前はご存知かもしれませんね。しかし黒マグロの完全人工養殖の大学といった方が分かりやすいでしょう。東大阪市の本部キャンパスだけで、一学年に6000人の学生が在籍するマンモス大学です。そこで、英語を含めた外国語教育の教務関係のまとめを現在しています。
大学の先生は休みが長くて、たしかにその分自由な時間が多いのですが、学期中は学内行政に忙殺されます。現在、語学カリキュラムの大改定に向け作業中です。私たちの学生時代の教養としての語学というものはとうに姿を消しました。いまでは、CEF(Common European Framework of Reference for Language)という世界基準に合わせようと、各大学が準備を急いでいる状況です。
近畿大学で小倉高校出身と言う学生に出会ったことはありませんが、非常勤先の国立大学では出身者に巡り合います。ここで、皆さんと再び巡り合えたご縁を大切にしたいと心から思う次第です。前回例会か何かの写真を見ました、今回探そうとして見つからないままなのですが、たしか藤村君が写っていたと思います。あまり変わってないですね。私もあまり変わってないようなので、会えば分っていただけると思います。再会を楽しみにしております。
ボンジュール、25期の皆さん(2006/12/21)在仏、酒井君からの生活記
ボンジュール 25期の皆さん、若葉の出始める前にスタートした独身生活は早くも7ヶ月たち、パリの街はクリスマスデコレーションに飾られ、(年齢不詳の輩も含めた)パリジェンヌが颯爽とショッピングを楽しんでいる今日この頃。 時がたっても一向に仏語が上達せず、街行く女性に話しかけることもできない内気な人間も、なんとなく浮き浮きとした気持ちにさせる不思議な魅力のある町、パリ。
フランス人は英語をしゃべらないという話を聞いていたものの、実態は彼ら(彼女ら)はプライドが高い割には満足に英語がしゃべれないだけのこと。 ボンジュールの一言を皮切りにこちらがあまりにひどい仏語で問いかけると、彼らも少し自信を回復し、下手な英語で答えてくれます。4月に来た時には150人の仏人社員の中に日本人一人、呆然としていたものの、これはいかんと一念発起(自分が仏語を習う代わりに)。日本語のしゃべれる駐在員(当たり前!?)を一人追加手配し、その後は会社でも英語・日本語、そしてほんのちょっとの仏語を交えて生きのび、最近は仏人社員に英語を習ってもらっています。 外交官、駐在員、自営業者、美術・美容・芸術を専攻する学生等、街に住む日本人もバラエティに富んでおり、東京にいるときより色々な人、いろんな人種と付き合いが広がってます。
枯葉の季節の一番は、なんといっても生牡蠣でしょう。 5種類の生牡蠣(たぶんもっとあるのだろうけれど)を、山ほど大皿に並べて、ワインと一緒に会話を楽しめば、仏語まみれになって過ごした日中のこともすっかり忘れ、ただひたすら満足感に浸ることができます。 食事時に聞く仏語は不思議なもので、特に美しく響き、いつの間にか日本にいるときよりも牡蠣が大好物になりました。 さらに日本では全く存在すら知らなかったモロッコ料理、縁の遠かったベトナム料理、一風変わった中華料理も、なかなかのもの。いずれも旧植民地料理をフレンチ風にアレンジしているものの、本場物を知らない人間にとっては新しい発見です。
美術・音楽等は、観光客がいなくなる冬場の楽しみに取ってきたものの、一人で行くのはやはりつまらないので、先生や25期の皆さんのどなたかパリに来られる予定はありませんか? ダビンチ・コードで垣間見たフランス版キリスト教「聖母(=ノートルダム)教会」の三大カテドラル(パリ、シャルトル、ランス)もカーナビを頼りにご案内できますよ。
それではオールボアー !!
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フランス駐在生活を、仕事面では懸命に、プライベートでは伸び伸びと暮らしている様子がありありと伝わってきます。 大きな会社の海外支店を引っ張っていくのはそれなりに大変でしょうけれど、この文章を読んでうらやましいと思うのは、私一人でしょうか(管理人談)。[Head Linesに戻る]
大森君に会いに、北海道に(2006/10/20)-10組 大山 誠 君のエッセイ
行ってきました北海道。大森君に会いに!2月の25期会で博多に参加した3年10組の大森和男君のこと。今月7・8・9日の初日7日、札幌駅「東出口みどりの窓口」で待ち合わせ。外気温10度以下、さすがに寒い。でも、現れた彼は九州でいえば秋の装い(寒くないのかよ)。と思いつつ握手して友好を確認。実はこの場に、江別市の学校に今年から通っているご長男が同行。札幌駅前よりタクシーに乗り大森君の案内ですすき野のすし屋へ直行。北海道の海の幸を堪能(さすが北海道の海の幸は最高)。大森君と俺は話に花が咲き、子供そっちのけで盛り上がった。彼には女の子が1人いて、携帯の待ち受け画面を見せてもらったが、カワイイ!(大森の娘?似てない。奥さん似?)中学3年生、来年は受験で、今回は来なかった。すし屋で記念に写真を撮ろうとしたけど(魂を取られる?)と思ったかどうか分からないけど、「イイよ、イイよ」で撮らずじまい。残念!
後は流れにまかせ、スナックを梯子し、最後は2人共ぐでんぐでんでどうやって帰ったか分からずじまい。
2日目は小樽運河を見に、小樽へ。あいにくの台風崩れの影響で風雨が激しく、キャップは飛ばされるし、歩いていて上から鉄板は落ちてくるはで(2mずれてれば直撃大怪我)。仕方がないので、小樽倉庫群で時間を過ごした。そこには、あるわあるわ、タラバガニ・花咲ガニ・男爵・定番白い恋人、枚挙にいとまが無いぐらい豊富。
当方初めての北海道なので、食材の豊富さ、九州では信じられないくらいで、しかも「安い!」
3日目、9日、飛行機の時間は午後4時出発なので大通り公園を散策し、時計台・テレビ搭・雪祭りの会場になる周辺を廻った。さすがにたてよこ碁盤の目のように区画されていて、まるで京都に来ているようだった。次は北海道大学へ!クラーク像・銀杏並木・ポプラ並木・・・・、まだ紅葉はしていなかったが、満喫した。
札幌駅を中心に地下鉄が走っていてススキノなんかは中心中の中心で便利がいいわ!
てなことで3日間の1人旅は終わり。
でもよっかった!初めての北海道だったし、大森君には会えたし。次は嫁さん連れて、新婚旅行みたいな気分をもう一度![Head Linesに戻る]
新年のご挨拶(2006/01/05)・・・・森田 順平 君 に依頼した近況報告です。
皆様、新年明けましておめでとうございます。どのような正月をお過ごしでしょうか? 僕は昨年の疲れを本質的に取るべく、ひたすらダラーッとしています。とは言え子供はまだ上の一平が5歳、下のマリヤが3歳ですから、そうはゆっくりさせてもらえないのが実情です。一平も、今年、小学生、マリヤも今年から幼稚園というわけで、早いようでもまだまだ先はう〜んと長くて気が遠くなりそうです。皆の所の子供の平均年齢は大体中学生から高校生にかかる15歳位でしょうか?そこまでもまだ10年もあります。上の子が大学を卒業している人もかなりいる様で、大西などには「大変だぞ〜」といつも励まされています。俳優業という仕事はいつどうなるか分からないだけに、まずは経済的に頑張らなければいけませんね・・・。それにはまず仕事が常時あること! そしてそれをクリヤーできる健康な体を有している事。子供と遊ぶためにも体力は必要ですものねえ。何だか新年早々、気の重い話しになって行きそうですが、当サイトの管理人から「新年の抱負というか近況というか、なんか書いてくれんね」と頼まれたので、指の動くに任せてちょっと書いてみましょう。昨年の疲れ・・・と冒頭に書きましたが、昨年は久しぶりに舞台づいて、なんと演出を含めて4本もやってしまいました。春に金八の収録と平行して、代演出を兼ねながら所属事務所の公演の稽古をして、5月に本番。その途中からやはり所属事務所の若手の発表会の演出を始め、7月に少し稽古をして、8月の名古屋御園座で「金八先生」の舞台の再演を一ヶ月。帰ってくるなり演出の方は追い込みに入り、本が面白いのでついつい引き受けてしまった劇団NLTの公演に、客演の稽古も重なって始まる始末。10月末に発表会を無事終わらせてから、猛烈な追い込み稽古をして11月中旬に本番。と、晩秋まで休む間もない状況でした。特にNLTの公演はほぼ出ずっぱりの喋りっぱなしで走り回るという舞台。ヘトヘトに疲れました。年齢とともにそれなりに力を抜く術も見に付けては来たものの、やはり舞台は体力が要ると言うことを、今更ながらに思い知りました。実は最近興味を抱いているのが演出という仕事。これも脳の体力を使うという点では疲れは一緒で、役者と違って稽古を休めないので、より辛いものがあります。とは言え、身体の疲れに反して精神の方は非常に満足しているのが不思議で、やはり舞台が好きな人間なんだなあと自分のことを思いました。今年も5月30日〜6月4日まで新宿の紀伊國屋サザンシアターで、所属事務所の公演「桜の花にだまされて」という新作の喜劇を演出補と出演を兼ねてやる予定です。詳しくはまた改めてお知らせします。
まあそんな訳で大好きな声の仕事も昨年は10本近く断ってしまい、吹き替え作品の数が激減してしまいました。今年はなんとかペースを戻してもっとやって行きたいと思っていますが、うまく行くかどうか・・・。ともあれ、1月の23日と30日の二回、あの名作アニメ『名探偵コナン』にゲスト出演いたします。「超秘密の通学路」前・後編ですので新聞のラテ欄を確認の上ご覧下さい。(放送日がずれることがあります。ちなみに時間は夜7時半からで日本TV系列です。) 平山先生という新任の先生の役ですが、はたして彼は・・・? ま、見てのお楽しみということで。しかし最近のアニメの多さには驚きます。その分、仕事は増えるはずなのですが、何分にもアニメの方はまだもうひとつ慣れなくて四苦八苦しております。子供たちも喜ぶので頑張って、もっと出演出来るようにしたいと思っています。
長々と書いてきてしまいましたが、一昨年から私、所属事務所の養成所で講師の仕事もやるようになりました。若い人たちを教えるのは大変ですが、とても楽しいものです。彼らの個性を殺さないよう正しく伸ばしてあげる作業は、取りも直さず己の演技のチェックにもつながり、彼らを育てながら自分にも磨きをかけられるのです。以前は「演技は教えられない」と思っていましたが、今は自分が培ってきたものを少しでも若い世代に伝えていく責務があることを感じます。それから「演出」。これがちゃんと出来る様に今年も勉強をしていきたいと思っています。さらに体力の衰えを少しでも遅くするべく日々の鍛錬を忘れずに、子供たちとの時間も極力作って大切にし、父親業も充実させたいと願っております。そしてまたたくさんの新作を皆さんに提供できるよう頑張って行きたいと念じています。今年もどうかよろしくお願いします。
森田順平 [Head Linesに戻る]
後輩に会いました/奥屋君帰省記(2005/10/21)
奥屋です。ご無沙汰してます。相変わらず、矢板で寒い思いをしてます。
久しぶりに、近況を報告させていただきます。
私の自宅のある東広島市は、日本酒で有名な地域です。それも、東広島市西条町というところに集中して、酒造業が10数社あります。毎年、10月の体育の日の前の土、日に「酒祭り」が開かれます。第一の楽しみは、各蔵元を回って、日本酒を味わいながら歩く、スタンプラリー。第二の楽しみは、公園を仕切って、日本全国数百銘柄の日本酒を3升づつ集めて、1500円(前売り券は1000円で飲み放題の酒広場もあります。)。でも、越乃寒梅とかは、10分程度で無くなってしまいます。今年は、忙しくて、二日目の14時過ぎに会場に入ったのですが、殆どのお酒は無くなっており、広島の酒をだしていました。
さて、その酒広場を出て、西条駅近辺で倉高の後輩に会いました。報告です!たこ焼きの屋台の前でたこ焼きが焼けるのを待っていると、なんと、私は、倉高の後輩に会ったのです。「君たちどこの出身?」と聞いたら、「九州」と言うじゃないですか!「僕も、高校時代は、北九州の小倉に居たんだ。」というと、一斉に「えーーーー!」という歓声!「僕、小倉高校!」「私達も!」「えーー、倉高なの!」で、話が盛り上がってしまいました。「何期?」と聞くと、「53とか52とか!」えー、ちょっと待ってよ、『俺は、25期なんだけど、若いな!』と心の中で、叫びながら!暫く、楽しい、会話を楽しみました!ブラスバンドの先輩・後輩のグループとのことです。
写真に向かって私の左の男性は、倉高54期の江口君です。「今は、広島大学工学部第四類で建築を専攻」とのことです。僕の長男と同じ年とのこと!皆さんは、ブラスバンドをやってた先輩・後輩との事です。前の女性人は、左から53期磯崎さん、53期中尾さん、52期倉光さんです。既に、皆さん、社会人とのことで、可愛い後輩の江口君を頼って酒祭りに来たとのことでした。なお、僕の右隣は、私の会社の先輩です。たまたま、後輩と話している時に、通りかかったので、一緒に写真に納まっていただきました。
世間って、狭いですよね!ちなみに、順平の事は、皆さん、ご存知でした。やはり、金八先生の威力は絶大ですね!
なお、 11月2日は、東京モーターショーに行ってきます。一昨年も行ったのですが、こちらに居る間に、見れるものは、何でも見てやろうと思ってます。
広島から300人転勤してきて、 そのうち、100人は、更に亀山へ転勤したのですが、殆どが単身赴任なので、こちらに居るときの休日は、皆で遊びまわってます。たくさん乗れる車で、日帰りだと、とても安く観光地に行けます。高速、ガソリン割り勘ですから! 10月1日蔵王へ行ったのですが、一日で530km走って、7人で1人あたり、交通費は、2000円弱でした。僕の車は、犬が毎月最低1回は、山大の獣医学科に通うので、広島に乗って帰ってます。一昨年、子供にバイクをもらったのですが、それでも色々と出かけてます。
9月19日には、海が見たくなって、いわきまで行って、美味しい魚を食べてきました。
10月2日は、前日の蔵王の疲れも忘れて、赤城山まで行って、イニシャルDのコースを走ってきました。
10月16日には、福島と新潟の県境の奥只見まで行き、帰りにやはりイニシャルDのコース(県道塩原−矢板線)を走ってきました。
今年も尾瀬に二回行きました。1回は、本当に、空が真っ青で感激しました。今年こそは、草紅葉をと思ったのですが、10月の3連休がピークだったようで、時期を失してしまったようです。
山も、近辺の山は、かなり、制覇してきました。なんせ、車は割り勘で、払っても1000円くらい。(尾瀬の場合は、自家用車乗り入れ禁止なので、バスの往復が余分に2000円弱かかります。)。コンビニの弁当と発泡酒くらいかな?スペシャルドリンクは自分で調合します。それでも、2000円あったら、一日、遊べて、心地よい疲れが残ります。まあ、単身赴任でつらいことが多い分、仲間と発散してます。
東北で行ってないのは、大きなところでは、白神山地、恐山、八郎潟、まあ、もっとあるでしょうが、メジャーは大体、行きました。今年夏、キャンプに行った、田沢湖の北東の秘境の乳頭温泉はお奨めです。それは、行ってからのお楽しみ!キャンプ場も静かで、蚊も少なく、じっくりと、皆さんと語らいが出来ました。
それでは![Head Linesに戻る]
サックスに導かれて 永松君体験記(2005/10/01)
「9月10日の『カサブランカ』でやった谷口君の演奏、どうだった? 聴きに行ったんだろ?」「ああ、楽しかった。谷口君ね、クラリネットではさすがにトップクラスなんだって。『こう吹いて欲しい。』と思ってその通り吹いてくれるのも楽しいけれど、やっばりジャズでしょ。こっちが想像もつかない遊びや掛け合いも楽しいんだよね。キース・ジャレットやマイルス・デイビスほど遊ばれるとついていけないんだけど、彼はちょうどいいんだよね。」
「良かったろうなぁ。」
「今年はたまたま10月3日に、もう一度、小倉で楽しめるけれど、残念なのは、彼の演奏活動は東京中心で、そうそう頻繁にライブを楽しむことはできないことなんだよね。」
「そいつはしょうがないね。」
「でも、夕べ、ビックリがあったんだ。」
「ビックリって、何が?」
「『カサブランカ』に谷口君を聴きに行ったそのとき、受付で9月の演奏スケージュールを渡されたんだよ。一人で行ってたし、手持ちぶさただったので、読んでみると、9月30日・田部俊彦の演奏があるんだよ。」
「誰よ、田部俊彦って。」
「サックスの奏者で、うまい。去年の夏、砂津のチャチャ・タウンにパソコンの部品を買いに行ったんだ。あそこは土日や祝日に中庭で、大道芸やマジック、音楽演奏なんかアトラクションをやってるでしょ。その時、演奏していたのが田部俊彦だったのよ。遠くから聞こえてくるサックスに『いけるナ。』と思って寄って行ったの。プロなんだから、まともに吹けば、うまいってのは当たり前なんだけど、音に気持ちが乗ってるんだなぁ。クラリネットやサックスなんかの管楽器は、声に近い、感情の乗せやすい楽器だもんで、そこが、聞かせるか聞かせないかのポイントだよね。小倉にこんな人がいたんだ、田部俊彦、田部俊彦、田部俊彦。覚えておこう。・・・・で、『カサブランカ』のスケジュール表に彼の名前を見つけた時には、絶対行くぞと思ったわけ。」
「そりゃ、ビックリかもね。で、どうだったの、夕べ。」
「ビックリはそれじゃないんだけど、演奏は、ハァーーーーーッ、良かった。『男と女』に始まって、店の名前にあやかったのか『As time goes by』、『浜辺の歌』のジャズ・バージョン、『スター・ダスト』・・・・。だいたいスタンダードナンバーをメインに、70分間があっという間。」
「ホントにうまいんだ。ところで、『それじゃないビックリ』て何よ。」
「ウン、俺って、厚かましいジャン。」
「今さら、そんなこと。」
「それで演奏が終わった後、田部俊彦が一人になりそうなところをつかまえて、話しかけたのよ。『去年の夏、チャチャタウンでお見かけしました。すばらしい演奏ですね』って。」
「初対面で、ホントに厚かましいね。」
「これぐらいじゃないと、世の中、開けていかないの。で、お前は知らないだろうけど、俺ね、ここのところ、サックスにハマって、ケニー・GだとかT-Squareの伊東たけしとか、立て続けに買い込んで聞いてるのよ。そんな中で、伊東たけしがテナー(サックス)以外にアルトもソプラノも持ってるってのを知っていて、それなら田部はどうなんだろうと思うじゃない。『このテナー以外にアルトやソプラノなんかも演奏されます?』て尋ねたんだ。すると『みんな持ってます。それに、私、もともとフルートを吹いていたんですよ。』って言うじゃない。『それじゃあ、恵田さん(北九州地元のプロ・フルート演奏家・永松の古い知人)てご存じですか?』てきくと『えぇ、知ってますよ。彼は今はもう大先生ですよ。』だと。世間は狭いね。ここまで来ると田部も地元出身かなって思うよね。で、演奏の合間に田部が51才だってことをしゃべっていたので、『田部さんと私と同級生なんですけど、高校はどちらですか?』と尋ねると、『常磐高校です。』でしょ。たたみ込んで『中学は?』と尋ねると、『板櫃中学です。』 俺にとってはこれだけでもビックリ。『じゃあ、到津小学校の同級生で板櫃に行った和田、春本、川添、中村なんかもご存じですか。』『ええ、仲良かったですよ。ただ、川添は40位の時に亡くなりました。』 訃報まで聞かされちゃったよ。」
「結構、縁があるんだ、会ったことが無くても。」
「ビックリはこれからで、俺も調子に乗って、『高尾ってご存じですか?』って尋ねたのよ。すると『えぇ、知ってます。』『私の高校で同級生の高尾ですか? それともお父さんの方?』『息子さんはベーシストで、東京で活躍されておいでと伺ってます。直接は知らないんですけど。』『とすると、新世紀でサックスを吹いていたお父さん(故人)をご存じなんですか。まさか一緒にセッションしたなんてことじゃないでしょうね。』『というか、このテナーサックスは、病の床にあった高尾さんのお父さんにいただいたものなんです。』」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「俺も、しばし絶句よ。 絶句。 その後も色々と話しをしたね。そして『カサブランカ』に、唯一、田部セルフ・プロデュースのCDが1枚あったので、買って、それにサインももらった。田部が地元のジャズハウス、『ビッグバンド』のオーナーだってこともわかって、ま『たお会いできますね』と言って、店を出たんだ。店を出てからは、即、高尾に電話、今晩がステージだったかどうかも確認しないで。電話したらすぐに出てきたんで、『お前、親父のテナー・サックスが、今どこにあるか知っとお?』って聞くと『確か亡くなったおふくろが処分した。どこに行っとるかはわからんなぁ。』『俺はたった今、見た。』『えぇ! どこで?』『小倉の田部さんというサックス奏者が吹いているのを、たった今、聞いてきた。親父さんのサックスがうなっているCDも買ったんで、すぐに送るよ。』『すまん。楽しみに待っとるよ』ってことなんだ。」
「・・・・・・・。なんて言っていいかわからない。すごい巡り合わせだよね。将来、高尾と田部がセッションできたらいいね。」
「どうしたらいいか、もう考えてるよ。簡単さ、高尾が来るか、田部が行くか、どっちかなんだから。」
「実現できたら、ある意味、田部と高尾親子のトリオ演奏だなぁ・・・・・・。」
「高尾がそのCDを聞いたら、『ここの音は親父の音だ。』って感じるところが、きっとあるだろうな。」[Head Linesに戻る]
某君からの寄稿 (2002/09/24)
以下は同級生の某君からのE-Mailですが、内容にさわりのある部分もあり、一部編集してお届け致します。//////////////////*//////////////////
友人から、下記のメールが届きましたので、転送します。笑ってはいけないけど、失笑してしまう話です。
それでは、秋の夜長を楽しんでください。
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在日中の某外国人が受けた日本語検定試験とその回答(実話らしいです)
問1 「あたかも」を使って短文を作りなさい。
答え:冷蔵庫に牛乳があたかもしれない。
問2:「どんより」を使って短文を作りなさい。
答:「僕は、うどんよりそばが好きだ」
問3:「もし〜なら」を使って短文を作りなさい。
答:「もしもし、奈良県の人ですか?」
問4:「まさか〜ろう」を使って短文を作りなさい。
答:「まさかりかついだ金たろう」
問5:「うってかわって」を使って短文を作りなさい。
答:「彼は麻薬をうってかわってしまった」
以上
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まじめに勉強されている方を笑うつもりはありません。立場を変えて、私たちが英語学習などの場で、同じような間違いを笑われたら・・・・とは思うのですが、これは面白過ぎ。他にどんな間違いが出来るだろうか、自分の国語力と想像力がいかほどのものか、トライしてみたくなりました。(管理人談話)[Head Linesに戻る]
奥屋君 転勤のお知らせ(2002/07/20)
こんにちは、奥屋です。先日、転勤の指示をうけました。新勤務地は、栃木県の矢板市です。(福島との県境に近いです。)8月1日より、出社します。
シャープのAVシステム事業本部の本拠地で、国道4号線沿いに約1.3kmの敷地があります。現在は、広島でオーディオ事業部のアウビィ事業推進部で1bitアンプ搭載機器のコントロールマイコンのプログラム開発でした。栃木では、液晶プロジェクター事業部で、リアプロジェクターの回路設計を行うように、聞いております。単身赴任です。
広島の皆さん、お世話になりました。でも、月に一回は、帰ってきます。残った、家内と次男を宜しく、お願いします。
山口を始め、中国地方の皆様、なかなか、お会いできなくなりますね。
四国地方の皆様、遠くなっちゃいますね。
愛大の皆さん、年に一回の夏の集い、今回は、着任日近くで参加出来ません。ごめんなさい。次回から、盆休み前にして!
九州の方、なかなか、いけなくなるけど、倉高25期の皆さん、年末には、小倉に集まろうね。南九州の皆様、マイレージを貯めて、すぐに、行くよ!
近畿、北陸、東海地方の皆様、飛行機で飛び越してしまいますが、いつか、また、伺います。
関東のみなさん、お会いできる機会が増えますね。倉高25期東京同窓会の皆さん、定例会、臨時会の 僕の席を確保しておいてね。
関東北部、東北の皆さん、お待たせしました。
北海道の皆さん、近くなって、行きやすくなるよ!
To People of Hawaii ! I want to go from Narita!
さあー、がんばるぞ![Head Linesに戻る]
繁成君、大学と我が家を語る(2001/10/17)
添付された写真をご覧になりたい方は ここをクリック4月から小倉を離れ、いま家族と暮らしているのは、福崎という人口2万人弱の小さな町です。姫路から播丹線に揺られて25分、福崎という駅があります。ここは日本民俗学の祖といわれる柳田国男の生まれた土地として知られています。今でも小さな藁葺きの生家が保存されていて、昨日も中学生になった次女の美菜が社会科のレポートを書くために見学していました。
現在の職場である「近畿福祉大学」は町外れの山裾にあり、福崎駅から車で5分くらい。ただし歩くと30分以上かかるので、大学が巡回バスを出しています。どこの田舎もそうだけど、車がないと不便な世の中です。我が家もここに来て以来、家内が子供の送り迎えと買い物で、車の走行距離を伸ばしています。連休や夏休みには帰省したので、ソニー損保で契約した年間11000キロを超えてしまった。ともかく、長男の恵は駅の近くの保育園に、次女は歩いて20分の中学に、長女の由佳は姫路にあるルネス花北という施設に週2回通っています。家内の美由喜は、引っ越しの片付けは一段落したけれど、毎日の家事と子供の世話に追われて結構忙しそう。
実は大学の敷地内にある教職員住宅を2棟借りていて、1棟は普段使わないものを収納したり、お客さんの宿舎として使っています。贅沢でしょう。なぜかというと、ここの大学の先生はほとんど近隣圏からの通いで、60棟もある住宅に住んでいるのは我が家を含めて7人しかいないから。大学側も5人家族で荷物も多いからという理由で1棟の家賃で2棟貸してくれました。というわけで実に静かな環境で暮らしてます。家の周りは野良猫の家族が7匹いつも食べ物をねだりにうろついているし、時々たぬきも散歩している。野鳥も多いけど、驚いたのは鹿。まだ姿は見てないけど、近ごろは毎日のように鳴いている。亀も次女と学生が拾ってきて家で飼えとわざわざ研究室まで持ってくる始末。もう家にはウサギ1匹にハムスター2匹、セキセイインコ1匹(これは逃げた)、実家に残してきた犬と猫がいるのに勘弁してくれよ。というわけで家の周りは自然動物園のようになっています。
ところで大学の方はようやく本格的に忙しくなってきました。10月からやっと担当の講義が始まったからであります。それまで何をしていたかって? そう、強いて言えば準備をしていました。学会や研究会に張り切って参加していたら前期で1年間の出張費を全部使ってしまった。大学というところに半年も勤めると、はっきり言って日本の大学教授は実にいい加減で気楽な職業だということが解ってきました。もちろん野依さんのようにノーベル賞を受賞されるようなりっぱな研究と実績を上げている先生もいらっしることは確かです。しかし多くの大学教授は、今の地位と自分の研究にあぐらをかいているような気がしてなりません。僕はこういう大学と教員の保守的で自己本意な在り方を変えたいと意気込んでいます。無駄な努力と思わずに見守って下さい。
まず、授業を変えたい。学生達の人生観が変わるような、目を覚ますような、眠っていた能力を開花させるような、そのきっかけをつくるような、刺激的で創造的でわくわくするような教育を目指したい。今やってることは、毎回授業が終わる10分前にレポートを書かせること、授業の内容の要約とその感想と質問を書かせて、学生達とのコミュニケーションをはかっています。講議を担当している福祉産業学科の2年生は180人。2回にわけて、90人づつ教えています。レポートを読むのは時間がかかるけれど、愉しみでもあります。次の授業では前回の質問に答えないといけないし、資料を5枚程度人数分コピーするので準備もたいへん。助手が欲しいところだけど、内の大学は講座制でないので全部自分でやらないといけないのがつらい。少しずつ学生に手伝ってもらうつもりです。
というのは5月から「テクノエイド研究会」というサークルを作ったら、学生が15人くらい集まってくれました。週2回集まって、福祉用具を作らせている。工学系やデザイン系と違って思うようにできないけども、まあ気長につきあっていこうか。
11月16日から18日まで北九州の西日本総合展示場で国際福祉機器展が開催されますが、そこに研究会の学生15人を連れていこうと考えています。17日は僕もケアマネージャーを相手に車椅子の解説をする予定です。みなさんよかったら、会場でお会いしましょう。最近の福祉機器はなかなか面白いですよ。
本業の福祉機器の開発も怠ってませんよ。企業秘密ですが、現在、滋賀県、大阪府、地元の福崎町、岡山県そして北九州の某メーカー数社と新製品の開発を進めています。そのうちの数点は、来週東京ビッグサイトで開かれる日本最大規模の国際保健福祉機器展でデビューする予定です。お楽しみに。
少々長くなりましたが、このへんで近況報告を終わります。みなさん、お元気で。また、いつかお会いしましょう。 [Head Linesに戻る]
緊急寄稿、友田 敦久君、アフガニスタンの北より(2001/9/20)
アフガニスタンと国境を接するウズベキスタンの動向を心配される方が多いので当地の状況を緊急報告します。 ウズベキスタンの現状は極めて平穏で、特にテロに対する警護を強化しているわけではなく、独立10周年記念日の9月1日の前の方がテロに対する警戒が厳重なほどでした。
ウズベキスタンでは、小生が赴任した98年11月の後、99年2月16日にタシケント市内4箇所で同時爆弾テロ事件が発生しました。これは、政府のビル、すなわち大統領、首相および閣僚がいる閣僚府と、内務省、警察庁、それに当国最大の近代的建物である国立銀行ビルの4箇所を同時に爆破したというものです。イスラムにとって4はラッキーナンバーらしく、今度のアメリカへのテロも4箇所でかつ狙われたところが似ているところからも、イスラム過激派の犯行は間違いないと見られています。99年2月16日の犯行は、その後キルギスタンで日本人技師を拉致したISLAMIC
MOVEMENT OF UZBEKISTAN(IMU)と言う組織で、この資金源はOSAMA BIN LARDINと当時から言われており、IMUもウズベキスタンから92年以来追放されており、拠点はアフガンにおいています。このIMUはその後、アメリカで国際テロ組織として認定され、いついかなる時でも見つければ逮捕すべしとの団体になっています。
従って、ウズベキスタンは既にその時点からアフガンを基点とするテロ活動には十分注意を払い、国内のテロ容疑者を検挙し、他の欧米諸国にもテロに対する一丸となった対応を提唱してきました。当時は、その検挙のやり方が、疑わしきは片っ端から逮捕し疑義が晴れた者だけ釈放するという旧ソ連時代のやり方であったため、欧米からは人権侵害、やり過ぎだとの批判も出て、各国の反応は鈍く、ウズベキスタンの主張が無視されていました。
今回のアメリカのテロ事件を経て、欧米ではテロに対して断固とした対抗措置を取るコンセンサスが生まれ、ウズベキスタンはその意味では、一国でテロに立ち向かわずアメリカ、NATO他欧米諸国と協調できることになった分、肩の荷が下りたということもできます。
テロと言う観点からウズベキスタンがパキスタンと違うのは、テロを保護しているタリバンとは最初から敵対関係にあり、国内のテロリストを略一掃し、検挙しているので、パキスタンのようにタリバンを指示する勢力が国内に存在せず、その分、OSAMA
BIN LADINやタリバンに呼応した国内テロが起こり難いという点が大きな違いです。
アフガンは20年来の内戦国で、タリバンと言う政治組織がRULING PARTYになっていますが、この地方は現在、全世界の麻薬の70%を生産しており、これがテロの資金源となっています。ちなみにアメリカ大使館の友人によると、世界の麻薬取扱量は金の流通量と同じく約4000トンでこのうちの70%がアフガン、タジキスタン、パキスタンなどの地域で生産され、昔は東南アジアのメコンデルタ地帯がGOLDEN
TRIANGLE(魔の三角地帯)と言われていましたが、最近はアフガン近辺を称してGOLDEN CRESCENT(魔の三日月地帯)と呼ばれているそうです。
ウズベキスタンの独立記念日前の警備はどうであったかというと、タシケント市内への入り口は検問所が設けられ、全ての車のトランクをチェックし、主要道路には30m置きに警官が立って警備。独立記念日の2週間前には地方からタシケントに来ていた労働者は全員故郷に帰らせると言う徹底振りでした。
独立記念式典に呼ばれ行ってみたところ、先ず上記閣僚府の横に作られた特設会場付近は一切の車は入れず道はトラックで隙間を埋める形で封鎖し、約2km先から歩いて行かされ、閣僚府の前にある路面電車道には空の電車を連結させてテロがあった場合でもテロリストが簡単に乗り越えられないようにしていました。但し日本と違い、今でもテロには常時十分注意しており、主要道路には50m置きに警察が立っており、タシケント市内への道路の検問もずっと実施されています。
今、ウズベキスタンでは軍施設のアメリカへの供与に対して議論されており、ロシアがCIS諸国はアメリカに軍事基地を供与すべきでないと主張し、タジキスタンとトルクメニスタンはそれに従っていますが、ウズベキスタンは2年前にCISのCOLLECTIVE
SECURITY TREATY(CIS統合安全条約)と言う組織から脱退しているので、アメリカが正式に申し入れると拒まないのではと言われています。一方、アメリカが軍事活動を起こしロシアが参加すると、ロシア軍に対してアフガン国境にあるテルメス市か300kmほど離れたカルシ市の軍事基地を提供する可能性があり、これは旧ソ連時代に、アフガン進攻の際、使用した軍事基地であったそうです。
以上、簡単に近況報告まで。
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今般のことがただごとではないと安穏とした日本にいて感じている我々ですが、諸外国のなかには日常的にテロに備えている国々もあります。そしてそこで働く友人もいます。日本人が、そして日本が単独で生きていけないことを再確認している管理人です。
【付録】この寄稿をいただいて後に、
カザフスたん
ウズベキスたん
タジキスたん
トルクメニスたん
アフガニスたん
パキスたん
と花札の役のように「6たん」そろうのだけれど、この「たん」は何の意味・由来があるか知ってる? 知っていたら教えてちょうだい。−−−−
と質問をしたところ、以下の回答を寄せてもらいました。
「スタン」はイスラム教の国でland(土地、…の地)のことです。ウズベキスタンは旧ソ連時代ウズベク、カザフスタンはカザフと呼ばれていたそうです。
昨日のテレビ放送で、ロシアの軍関係者と共にウズベキスタンのカリーモフ大統領が出演し、「テロに対して断固として戦うが、ウズベキスタンをアメリカの軍事基地として提供するとは言っていないし、アメリカから要請も来ていない」との談話を発表しました。ウズベキスタンがアメリカに基地を提供すると危険度が上がり、本社から一時退避と言うような指示がくることも考えられましたが先ずはほっとしているところです。
いまだ緊張の続くウズベキスタンです。[Head Linesに戻る]
及川君、モルジブに行く(2001/03/01)
及川 政治 君より頂いたE-Mailよりえ〜、またしても南の海に行って参りました。昨年末に引き続き、モルディブであります。しかし今回は、仕事でございます、れっきとした出張であります。「いつ連絡しても捕まらないじゃないか!」と、お怒りのあなた、そんなわけで私、忙しかったのでございますよ。 お詫びに南の海の写真を差し上げるから、これでひとつ、許してくださいませね。では、皆様、寒い日本でお風邪など召しませぬよう。(実はモルディブ帰りの2日後には、新潟へスノボ出張、今日の夕方、帰宅したばかり。暑かったり寒かったり、我ながら良く働いとるなあ)
写真をご覧になりたい方は ここをクリック。 [Head Linesに戻る]
上野 友義 君 オランダ生活記 (2001/02/19)
こんにちは、25期(3年7組)の上野友義です。いつも楽しみにホームページ見ています。関係者の方々にはご努力感謝いたします。
あちらこちらで同期会が開かれているようで、日本に帰国したならばぜひ参加したいと思っています。名前もおぼろげになっている上に、写真で見る容貌も(お互い)大きく変わり、同級生であったことを思い出せるかどうか、思い出せてもらえるかどうか、一抹の不安もありますが・・・。
近況報告(犬の飼育編)
25期のみなさんこんにちは、ご無沙汰しております。
オランダ南部の片田舎にある富士写真フイルムの欧州工場に赴任し、早くも3年半がたちました。従業員1500名のうち日本人は30名強。毎日、身長190cm前後のおっちゃん(のように見えるが実は私より若い)達を相手に、「ものづくり」の最前線で働いています。帰国の予定は決まっていませんが、おそらく現在折り返し点の少し手前あたりではないかと思っています。オランダ人の生活や価値観など、来蘭当初は驚きの連続でしたが、私達日本人の生活ぶりも含めて、近況報告を始めようかという余裕が出てきました。最近はローラーブレードで会社に来る人を見ても、ある課の部屋中の人全員が熊の変装をしていても(もちろん勤務中)あまり驚かなくなりましたので、私自身の感度が鈍っていますが、楽しい話題を提供できればと思います。
今回は、犬の話題です。奥屋君に刺激されたわけではないのですが、子供達の要望もあり、久しぶりに犬を飼い始める事を決定したのが、一昨年。希望の犬の入手に半年を要し、現在ちょうど1才、体重37kg。遅まきながら今週から犬の訓練所での訓練を開始しました。
[犬の入手]
犬はペット屋には置いてなく、ブリーダーから直接買うのが普通です。私の場合、犬種をバーニーズマウンテンドッグと決めていたので、その犬種の愛犬協会に子犬待ちの順番登録をするのが最初の仕事です。その時点で3ヶ月待ち。3ヶ月過ぎても音沙汰が無いので督促の連絡をしたら、ちょうど私の順番が回ってきたとのこと。どうも蕎麦屋の出前みたいで怪しげだが、こちらではよくあること(順番がちゃんと回ってきただけまだマシ)。とにかく子犬が生まれたばかりというブリーダーを紹介してもらい、そのブリーダーを訪ねて、気に入れば交渉成立です。犬を引き取るまでの2ヶ月間に子犬を選んだり、契約書の内容確認などで数回ブリーダーを訪問します。
待望の生後2ヶ月のオス犬「さんたろう」が我が家にやってきたのは昨年の3月でした。
[犬との生活]
オランダ人の多くが犬を飼っており、2匹以上もごく普通。日本人駐在員はあまり犬を飼わないので、日本人は犬が嫌いなのかと思っていた、と近所のオランダ人に言われたことがありますが、それほど彼らにとっては犬を飼うことは当たり前のことのようです。散歩中の最大の注意事項は、さんたろうと私が他の犬の糞を踏まないように歩くことであり、最近はだいぶうまくなりましたが、これが結構テクニックを要します。それほど路上や草むらの糞が多い。ちゃんと始末しているのは私達家族くらいなものです。一体オランダ人は糞を踏んだ犬が部屋の中にいても何とのないのだろうか?今度機会があったら聞いてみることにします。
[しつけ]
概してよく躾られた犬が多いので自然にそうなるかなと期待していましたが、(当たり前ですが)やはりきちんと訓練しないとダメのようです。訓練所(といってもただの広場)で5〜6匹の犬とオーナーがトレーナーから訓練を受けるわけですが、いままでわがままに暮らしてきた犬が突然言うことを聞くような特効薬などあるはずも無く、これからの16週間の訓練期間がどうなることやら。毎週土曜日に連れて行くのですが少し憂鬱です。なにしろ訓練の対象は犬では無くそのオーナーなのですから。種々の事情で訓練開始が遅れたことを悔やみつつ、とにかく愛犬との格闘が始まりました。訓練の基本は「人間は主人、犬と同格ではない」ということを「誉めながら」教えることのようです。今までの友達付き合いを解消して、叱らずに訓練する、果たしてできるであろうか?
[結び]
自宅から会社への道すがら、歩きながら目にするのは運河と地平線と牧場の牛や馬、それと工業団地内の倉庫群。退社後飲み屋に行く回数は激減しました。二千年紀の始まりも21世紀の幕開けにもあまり縁がなく過ぎた3年半でしたが、着実にオランダでの思考の傾向が体に染み込んで行くのがわかります。それは、(仕事より、または同等くらいに)家庭重視であったり、個人(の意見、行動)を尊重するまたは、しすぎることであったり、また彼らの先見性や合理性でもあります。これからも日本流、オランダ流の選択ではなく、どうそれらに折り合いをつけ、良い結果を生み出して行くかということが日系企業として求められつづけるのだと思います。
観光案内情報でも発信できれば良いのですが、私自身、列車で3時間ほどのパリにさえも行ったことが無いので、お察しください。ではそのうち面白い話題が溜まったらまた寄稿します。さようなら。
ここにも犬好きがいたか。どうも長期の滞蘭になりそうなので、きっと続編を送っていただけるものと期待しているゾ。(管理人)[Head Linesに戻る]
永嶋君 引っ越し騒動記その1 (2001/02/05)
永嶋 正志 君がこのたび転居されました。ところが直後に「横浜近辺で弁護士を知らないか?」とのE-Mailが届き、「それは何事?」と尋ね返すと、どうも引っ越しにまつわるトラブルらしいのです。忙しい中、その件でKikou25をお願いしたところ、ありがたくも、本日、原稿を頂戴しました。早速、ご紹介。///////////////////////////
では、まず敷金でもめた話からしましょう。場所は東京町田市で全国的に通用する話ではないかもしれませんが。
昔バブルの始まる頃、85年かな、結婚を機にマンションを購入したのだが、よくある話で家を買うと転勤。それもアメリカ転勤になり、結局4年8ヶ月後の91年に帰国。"うわっ、日本の家は狭い!"〔特にこのマンションは狭かった。54平米〕てんで引越を決めたのだが、もちろんバブルの後期で家など買える状況ではなかった。で、マンションを売って小金を持った状態で賃貸に入ることにした。それが92年から2000年11月まで住んでいた94平米のタウンハウスで、一時は同じタウンハウスの2軒隣に浜美枝の親が住んでいた。一度浜美枝が回覧板を持ってきたこともある。こんな住宅街でも芸能人スマイルで歩いている。で家賃は22万8千円。それだったら家が買えるんじゃないかと思うかもしれないが、そこはアメリカから帰ってきたばかりで、狭い家と駅から遠い家は嫌だった。東京に住むからには交通の便が良くないと、と言う変な考えを持っていた。
前置きはこのくらいで、小金が中金になりバブルも終わって久しいので家を建てこのタウンハウスを出たのが去年の11月。その後、退去に伴う修理代でもめる羽目に。たまたま11月に賃貸退去時の現状修復費のもめ事の特集がテレビであった。まさか自分がと思ったが・・・・。
まず、現場立ち会い。不動産屋の若い姉ちゃんと内装業者が一緒に来る。ほとんどこの内装業者が傷をしらべて確認して回る。要は借主負担になる場所の指摘である。「畳、障子、ふすま」、ちょっと待て。テレビでは貸主負担と言っていたが。契約書にそう書いてある。「通常の使用で考えられる汚れや傷以外の修復は借主様の負担となります。」「でもどうせ壁紙替えるんでしょ、8年も経ってるんですから。」「いや、そうとはかぎりません。」「キッチンの流しがへこんでますね。」「最初からですよ。不動産屋さんには報告してあります。」「いやこれは新築ですからそんなことはあり得ません。」てな具合で立ち会いが終わり、数日後に見積書約53万円なりが届いた。何が高いって壁紙。こちらの責任の傷があると壁紙一枚全部の張り替え費用を請求される。そんなばかな。1枚12万8千円というのもある。
敷金は3ヶ月だったから少しは戻ってくるけど、これは不動産屋と内装屋のぐるとしか思えない。フローリングや洗面台の傷を指摘されると冷や冷やしていたのに全く指摘無し。壁紙しか興味がないのか。おまけに貸主は地元の地主で不動産屋はその親族らしい。貸主と社長の姓が同じ。今ごろ気がついてどうすんの。
で、町田市の消費生活センターの相談室に行く。「イヤー高いですねえ。裁判所の調停を申し出たほうがいいんじゃないですか?でもまあここに建設省のガイドラインがありますからこれを貸主さんに送ってみたらどうですか。普通は取り下げますよ。」 そうだろそうだろと意を強くし、このコピーとともに貸主と不動産屋に手紙を送り付け修復代の再検討を依頼。(参考:http://www.moc.go.jp/house/house/topics/keiyaku/ka.htmihukugaido)
ところが不動産屋からもう一度現状確認を依頼され、今度は例の内装屋と不動産屋からはBMWで女性が乗りつけてきた。後で分かったことだが不動産屋の社長夫人らしい。今回の立ち会いも前回と似たようなもので壁紙の話ばかり。「こんな傷でも壁紙1枚分全額負担するの?」「それは貸主さんとの交渉ですよ。」 だったら大家出てこい。一度も会ったことないけど名前からすると地主のばあさんか。「いったいいくらくらいだったらなっとく頂けるのですか?」と内装屋。「せいぜい10万円くらい。」「あっ、それはないですよ。」
で、再度消費生活センターへ。「裁判所ですかねえ。」「もう一度このガイドラインで納得のいく金額を提示してみては。」と言うことで今度は金額を明示し、敷金差額の返金期限を記載した文書を内容証明郵便で送り付けた。細かい話だが、借主負担部分の壁紙交換費用は4分の1に。契約書に書いてあっても畳、ふすま、障子は貸主負担〔契約書って何だろ〕。キッチンは水掛け論になるのでのむ。クリーニング代9万8千円も払う。でちょうど家賃の1ヶ月分くらいになった。要はいくら欲しいかだけだろ。
この時まで内容証明郵便など知らなかったが訴訟をにおわせる通知に使われるらしい。弁護士が代理で送るともっといいらしい。内容証明郵便は本局まで行かないと受け付けてくれないしお金も千円以上かかるが、今回は効果があった。すぐに振り込み予定通知と「今後これに関してこれ以上の請求はしません」と言うような誓約書〔こっちが書く〕が送られてきた。フローリングと洗面台の傷を隠してあるので向こうにも誓約して欲しかったがやぶ蛇は目に見えている。
と言うわけで一件落着したが、腹立つなあ。向こうもそうかなあ。一般的に不動産屋〔貸主〕は敷金は返さない積もりでいるらしい。そんなこと知るか。浜美枝は全額耳をそろえて払ったんだろうなあ。おれは芸能人じゃないぞ。
ちなみに2年ごとの契約更新時に礼金として半月分を払ってたが、これは法的には払う必要がなかったらしい。外せといえば外さなくてはいけない。気前よく払ったもんだ。結局、敷金分は取られたことになる。
これで賃貸とはおさらばで、一戸建てで幸せにとは問屋が卸してくれなかった話はまた次回に。
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ムフムフッ。かなり面白いし、興味深いことも多いゾ。永嶋、大変だったね。管理人は実は小倉の某所に貸家を持つ大家でもあり、入退去のトラブルを貸し主側で経験をしているけれど、今回は貸し主側が少し厚かましいみたいだね。でももっとひどい貸し主もいるって聞くよ。「その2」も楽しみにしてるよ。[Head Linesに戻る]
須田由美さん、山に登る ゲスト/高27期 須田由美さん
登山はもともと友人M子と2人でしていて、今回、20年ぶりにM子と登った。M子の方が登山歴豊富。「★1つのところにしとこうね、自信ないから」確かにM子はあたしにこう言った。あ〜〜それなのに、それなのに。夫はウエスト90cm以上・・・つまり、何も背負ってなくとも負荷が20kgほどあるので留守番です。途中でばてられてもあたしは背負えないしね。
夫 「ハイキング行こうよ」
あたし 「かったるいのはお断りよ」
このような夫婦です。(夫は囲碁、将棋、読書が趣味です。)正反対でございます。「動」と「静」ってとこか?
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昨年に続き(仙丈ケ岳)、8月下旬に南アルプスの北岳(富士山の次に高い山)に登った。友人と2人で。二十数年振りの夜行に乗り(登山服を着た人で満員、通路にも寝てる状態)、ほとんど眠れないまま登山口に着いたのが9時半。本当は山小屋二泊の計画だったのに・・・・ひたすら登り続け、午後4時過ぎに3000mの「肩の小屋」に着いた。寒かったのなんのって・・・・。Tシャツ、セーター、ダウンベスト、ヤッケ着てもブルブル状態。寒かった。
翌朝、「きょうは山頂に登り、後は下るのみ、楽勝!! ちと、寄り道しながら下山しよう!!そして、麓の温泉で一泊しよう!!」と予定を立て、バットレスでロッククライミングしているパーティを見物するあたりまではまだ良かった。が、その後、な〜〜んと膝にきた。 ・・・「膝が笑う」を通り越したらなんて言うの?「マウンテンステッキなどババくさいものは要らん。」とわめいていたあたしを、出発前夜、強引に山の店に連れて行き買ってくれた夫に感謝!! ステッキにおすがりしながらノロノロと下山しました。
その夜、温泉に何度つかっても筋肉痛はち〜〜っともおさまらず。部屋から浴場への往復の方がよっぽど辛かった。
昨年の山行では全く筋肉痛などなかったので、調子に乗ったのがまずかった。(_ _ )/~~ 今回は、下山後、三日間筋肉痛に泣いた。 でも、懲りずに来年は「八ヶ岳」へ登る予定。北岳よりハードらしいから鍛えねば・・・・。ハシゴ、クサリ場多いみたいですね。
ではでは[Head Linesに戻る]
或る二世選手 ゲスト/高36期 浜中隆志さん
かつて炭坑で栄えた筑豊のとある野球場へはやる気持ちを押さえながら、車のハンドルを切る。窓を開け心地よい秋風を頬に受ける。先週までの暑さが嘘のようだ。季節は確実に秋を告げていた。夏の予選では背番号17の補欠だった楠城祐介が、秋には正捕手として颯爽と公式戦デビューする事を僕はどんなに待ちわびていただろう。楠城徹。九州の弱小球団である太平洋クラブライオンズの正捕手でエース東尾修(現西武ライオンズ監督)の女房役だった。と言っても当時パ・リーグで万年Bクラスの球団の正捕手の名前なんて誰が覚えているだろうか?福岡県立K高校時代に甲子園出場。東京六大学のW大学でも正捕手の座を掴み、ドラフトで地元ライオンズに入団。引退後、スカウト。そして今は現役時代と同様に西武ライオンズのヘッドコーチとして東尾監督の隣で参謀役を勤める姿を見ることができる。
「楠城って、あの楠城の息子さんですか?」
「そうです。」
公式ガイドブックに珍しい姓である楠城の文字を見かけ、真夏の大会の応援で日焼けした応援団顧問の先生に聞くと嬉しい返事が返ってきた。試合後、同級生に電話で楠城祐介君の事を話した。
「そうなんだよ。楠城は所沢辺りに単身赴任中で、家族だけ小倉に残しているらしいよ。」
東京近郊の野球のエリート高校に進学させるのでは無く、自分が通ってきた野球人生のコースが最高との思いでわざわざ福岡のK高校に入学させている楠城徹の気持ちが、一OBとして僕もわかるような気がした。私立のエリート高校には無い「何か」を学ばせたいのだろう。
球場に着き、花文字でKのイニシャルのユニフォームを着た球児の中に背番号2を探す。『あれが楠城の息子か。』ライオンズファンの僕の眼は、背番号2を追う。
「先行のK高校の守備を案内します。ピッチャー松田君。キャッチャー乙木君。・・・・・・。」
『楠城をコールしない。二年の秋もベンチなのか?』放送部の女子生徒がアナウンスをしているのだろう。でも僕は上の空だ。守備練習も終わり、予備員がトンボでグランドをならしている。そろそろ打順のアナウンスが始まる頃だ。
「先行のK高校の打順は、一番ショート廣石君。『夏もレギュラーで打順も一番。チャンスメーカーだったな。』二番サード前原君。三番ライト重豊君。四番ファースト柳川君。『へー。一年で四番か。でかいな。ホームラン頼むぞ。』五番センター楠城君。『センターか・・・。』六番・・・・・。」今度は楠城のコールが耳に響く。小学校の時から「キャッチャー楠城」を聞きなれていた僕には、『残念。』又は、『新鮮』の気持ちが複雑に入り組む。
試合は、第一打席でレフトフライに倒れるも「祐介ガンバレ。」の応援で第二打席は右中間二塁打が飛び出した。
『祐介って呼び捨てするって家族か親戚だな。』
後ろの家族連れに思わず声をかける。
「すみません。ひょとして、楠城コーチの関係の方ですか?」
「この方が、コーチの奥さんですよ。」と親戚と思しき男性が紹介をしてくれる。
「楠城選手のファンだったんですよ。だから今日は楠城君の応援に来てます。」
「ありがとうございます。」と楠城コーチの奥さんは遠慮がちに応えた。
好投の松田が突如と崩れる。エラーがらみでいやな感じだ。5回裏に5−0から一挙に5−6と逆転され、さらに8回裏に1点追加。5−7絶望的だ。
ツルー。ツル−と後ろの席から携帯電話の着信音が聞こえる。
「もしもし。」と応えて、楠城君のお母さんは席を立つ、しばらくしてから戻ってきて開口一番。
「主人から。5−7で負けたんだって。松坂君で負けたからなんかサバサバしてたわ。あきらめてるのかしら?『そっちはどう?』って聞かれたから、『5−7で負けってるけど、祐介は2二塁打でがんばってるよ。守備もいいよ。』って言ったら、『いやな予感だな。同じスコアじゃないか。』だって。」実際に残すところ9回表を残すのみ。打順は三番の重豊からで楠城コーチの悪い予感があたれば、楠城祐介でゲームセットだ。早くも選抜大会出場の夢が途絶える。
先頭打者の重豊がヒットで出塁。次打者の柳川が倒れるも、何とか楠城も渋くライト前ヒットで続く。振り向きお母さんと一緒にニッコリ笑う。みんなで立ちあがって声援だ。一死1・2塁。『まだまだ行けるぞ。』六番ピッチャーの松田が左の打席に入る。前打席はヒットだ。いやがおうでも期待がかかる。相手チームのエースが投じた初球を打つ。『やばい。内野ゴロだ。』幸運にもショート前のイレギュラーバンドで何とか2・3塁に進塁。でも二死だ。「7番キャッチャー乙木。」『正捕手乙木。楠城の分まで打って、2塁ランナーを返せよ。』と念じた。鈍い音を立ててセカンド方向に打球が飛ぶ。「落ちれ。落ちれ。」思わず立ちあがり叫んだ。『ポテンヒット。』と思った瞬間には、本塁へのハーフウエーを祐介がガッツポーズしながら走っている。同点だ。結局、10回表も祐介のレフトフェンス直撃の二塁打等もあり3点勝ち越し。そのまま松田が相手の裏の攻撃を押さえ、10−7で勝利をおさめた。
秋の大会の1回戦はナイターとなり、薄暮に浮かぶ祐介の顔は晴れ晴れとしていた。
「楠城君に又、ヒット打つように。それからいつも応援に行くからとお伝え下さい。」
「ハイ。」楠城コーチの奥さんは、今日の一勝一敗の一勝の方の喜びをかみ締めてるようだった。
僕も楠城母子と同じ思いで両翼92mの球場を後にした。
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これを寄せていただいたE-Mailには「はじめまして。36期の浜中隆志と申します。ちょっとしたニュースです。散文調にまとめました。ノンフィクションですが、ちょっと記憶のあいまいなところがありますので私より事実関係が詳しい方からメールをお待ちしてます。」とあったのです。
添付されてあったファイルを読むと、ちょっと複雑な気持ちになりました。ご本人はニコレポのサイトに掲載してくれ等とは頼んでいません。そのまま解釈するならただの問い合わせかもしれません。しかし、私に見ず知らずの同窓生がこのようなものを送ってくるからには、ニコレポInternetしか思い当たるところがありません。「誰彼と来られよ」の姿勢からすれば、承諾を取ってさっさと掲載すれば良いようなものです。しかし、はっきり申し上げて、このまま掲載するかどうか迷いました。未知のOBからのE-Mailだったからではありません。同窓会員名簿に掲載もある名で、同窓生であることを特定できる他の情報もありました。迷った理由は、このウェプサイトは公に発信する場所ではあるものの、運営する25期会の根本には倉高の同窓会があるからなのです。それを思いますと、私より10期をさらに下った後輩が、大先輩の楠城さんを称するに呼び捨ての部分があるのにはかなり抵抗があったのです。しかし、この短さにもかかわらず、スポーツ中継のような小説のような不思議な魅力があり、大先輩の栄光の昔もたどれば、現役の後輩の今も知ることが出来る文章と内容で、捨て置くに忍びない気持ちになったのです。同窓会以外の人が読めば自然な文章ですし、呼び捨ての部分も、ノンフィクション的な雰囲気を醸し、文章の流れも出していますし、敬意の念もあります。やはり、捨て置けない。
そこで、早速、ご本人に了解を取り付け、ここに掲載の運びとなりました。わずかの編集を、ご本人了解の上、加えましたが、ほぼ原文のままです。
短いとはいうものの、まとめるにはそれ相応の時間がかかったことと思います。浜中さんがなぜ25期のウェブサイトに送っていただいたのかわかりませんが、ニコレポを発表の場に選んで、この魅力ある文章を送っていただいたことに感謝申し上げます。(管理人) [Head Linesに戻る]
中野 稔彦 君 近況報告 (2000/03/16)
管理人宛の中野 稔彦 君のE-Mailにあった彼の肩書き "法人第2部長"を、勝手に人事部長と読み違えて、「 営業畑が楽とは思わないけれど、今、この時期に「人事」部長とは大変なこと。就任より早1.5ヶ月。どのような新任地の状況でしょう。また、居住困難な東京県域でのご家族の皆様は窒息もせず生活しておいででしょうか。」と、トンチンカンな問い合わせに対して、以下の返事を頂戴しました。ちなみに彼は今年、名古屋から東京へ転勤となっています。//////////////////
残念ながら、”人事”部長ではないのです。”事業法人第二部”部長という肩書きであり、株式公開企業に対する営業の総本山なのです。一部二部という区別は、東京地区に本社のある公開会社は、2000社を超え、しかも毎年毎年増加し続けていますから、それらの会社をグルーピングして、担当している訳です。
私の部は総勢15名ほどのこじんまりとした所帯で、担当公開企業の資金調達や、提携買収といった案件、資金運用案件、子会社公開案件等など、公開会社から生まれてくるさまざまなニーズに対して、大和SBCMの各部署と連携しながら、ビジネスを展開していくことをミッションとされています。これはこれで、なかなかに忙しくもあり、夜となく、昼となく、ウィークデイとなく週末となく働かされる部署なのであります。
家族は、学校の都合で、当分、名古屋にいたままであります。ですから、必然的に私は単身赴任の身になりました。
いろいろ、ご案内がありましたら、参加させていただこうと考えていますので、お引き回しの程、宜しくお願い申し上げます。
取り敢えず、現況報告であります。[Head Linesに戻る]
匿名K君より Funny Q&A(2000/03/16)
匿名K君から以下のメールを頂戴しましたので、ご本人了解の上、転載させていただきました。//////////////////
おもしろいメールをもらったので送ります。
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件名:ソフトの不具合について
ソフトのことでちょっとお尋ねします。
昨年、ガールフレンド7.0からワイフ1.0にアップグレードしたところ、思いがけない事が次々と起こり、困っています。アップグレードして間もなく、チャイルドという名前のプログラムがいくつもでき、容量をすごくとるので、お金をつぎ込んで環境を変えざるを得なくなりました。さらにワイフ1.0は、他のプログラムに勝手に自分をインストールし、今ではプログラムの監視をしています。例えばゴルフ3.1や飲み会5.0といったアプリケーションは、動きが悪くなっています。キャバクラ6.2に至っては、まったく動きません。選択するだけでクラッシュしてしまいます。
そこで、ワイフ1.0をガールフレンド7.0に戻したいんですが、このワイフ1.0のアンインストールがうまくできません。強引にアンインストールしようとすると、システム全体を巻き込んでしまいそうです。いい方法を教えて下さい。
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件名:Reソフトの不具合について
お世話になります。ワイフ1.0の件ですが、同様のご質問をよくいただきます。たいていの場合、原因は大きな誤解にあります。ガールフレンド7.0からワイフ1.0にアップグレードする時、単なるユーティリティソフト又は無料ソフトと考えて、何となくアップグレードする方が多くいらっしゃいます。しかし、ワイフ1.0はユーティリティソフトではなく、OSです。ガールフレンド7.0とは根本的に異なると考えたほうがいいでしょう。
ですから、いったんワイフ1.0をインストールしてしまうと、アンインストールしたり、ガールフレンド7.0に戻すというような事はほとんど不可能です。ここで無理に、ワイフ2.0やガールフレンド 8.0をインストールするような事があれば、問題がいっそう大きくなり、回復不可能になります。このあたりの事は、ヘルプファイルの「養育費」「財産分与」に詳しく書かれていますので、丁寧にお読み下さい。
したがってワイフ1.0はそのまま触らずに、周りの環境をワイフ 1.0に合わせていくべきです。何度もクラッシュしたり、ほかのプログラムへの影響が大きい時は、C:\gomen.neと打ち込んでみてください。これでたいていの場合、回復するはずです。
新しいソフトを買う時は、ワイフ1.0との相性を考える必要があります。現在分かっている中では、ケーキ4.0や花束5.2とのなどは、非常に相性がいいようです。時機を逸すると、ダイアモンド3.0Kのような高いソフトでないとマッチングが取れなくなるようです。
ご健闘をお祈りします。また何かありましたら、お知らせ下さい。
以上、匿名K君からのメールでした。 [Head Linesに戻る]
奥屋 博雅 君上京抄話(2000/03/13)
2月18日(金)から、2月20日(日)まで、新しい,インターネットビジネスの可能性を調査と新しい栄養学の勉強をするのを主目的として、東京に行ってきました。設立2年で、世界第2位(アメリカでも2位でAOLより、アクセスポイントは、多い。)のISPとなったBIG PLANET社の日本での立ち上げが、4月3日に決定したのと、元々は、12月の上京の際に、藤井君を始め、集まって頂いた同窓生の皆さんに、ファーマネックスの大会が、東京で、あるけど、1月から、次期の1bitアンプ搭載のMDステレオの開発が本格化するので、東京にくるのは、難しそうだと行ったのですが、また、来いと約束させられたという背景もあります。なんと、2月16日(水)は、次期の1bitアンプ搭載のMDステレオに使用する文字フォントの開発会社への調査及び仕事の依頼に急遽、東京へと出張となりました。木曜だったら、そのままいても、良かったのですが、仕事ですので、そのまま、日帰りで、広島に帰宅しました。この文字フォントの開発会社は、クレオの「筆まめ」のフォントの1/3程度(流麗体、連綿体等)や、挿絵の殆どを開発している会社です。もし、そういう、フォントや絵の開発を仕事で依頼されたい場合は,かなり、優秀ですので、紹介致します。筆まめはV9しか持ってないのですと話すと、なんと、帰りに、おみやげでV10をくれました。
株式会社 シーアンドジイ 代表取締役 坂本達(さとる)氏(03-5261-3591)です。
話しは変わりまして、上京の時の行動ですが、
18日(金)
10:30 私用で上京したのですが、フォントデータをもらいに、フォント開発会社に行きました。昼食をご馳走になってしまいました。
14:00 全日空ホテルで、TV朝日の佐々木君と会いました。昨年、弊社のMZ-MJ10VというDVD付のパソコンを御世話したのですが、今回は、大和田 獏さんが、同じものを手配して欲しいとのことだったのですが、残念ながら、半年前の機種は無く、後継のMZ-MJ10Vを手配しました。今、整備中です。
16:30 東京ドームでファーマネックスの説明の方に行きました。コレスチンという、高脂血症用の紅こうじ米から精製した健康食品の開発者であるマイケル・チャン博士(メルク社では、やはり、高脂血症治療薬のメバルチン(副作用有り)の開発者)や、文化功労賞を先日受賞したギンコライト(いちょうの葉からの抽出物でアルツハイマーに効果)の発見者のコロンビア大学名誉教授の中西博士の生の声を聞くことが出来ました。また、経口避妊薬ピルの開発者のジュラシー博士(ファーマネックス社のスポンサーの一人)は、ビデオで登場しました。ひとつ、感じたのですが、英語は必要ですね。
コレスチンはすごい効果ですよ。コレステロールが、210以上の人は特に、240以上の人は下げないと危ないです。
19:30 ファーマネックスの方は、19:30にぬけて、吉祥寺の「赤い烏」で、高尾君のジャズライブを聞きました。来てくれたのは、幹事の藤井君を始め、三浦君、27年振り再会の上野君、中野君、25期のマドンナの31期の秋田さんです。やはり、皆の前で、渋く演奏している高尾君は,若いですね。僕はジャズライブは、始めてだったので、広島に高尾君が来たら、聞きにいこうと思いました。
その後,新宿で藤井君、秋田さんと、飲んでました。秋田さんは,途中で,帰られましたが、藤井君とは4時過ぎまで、飲んでいて、始発で彼は、帰りました。藤井君と一緒に写っている写真は息投合した大学生の4人組の女の子に撮ってもらったものです。
20日(日)
15:50 信濃町の駅の近くで、大迫君と会いました。
調子にのって飲みすぎて、時間をはかり間違い、飛行機に乗り遅れました。居酒屋で飲んでいて、発時刻18時40分の1時間20分前に出たのですが、乗り遅れました。正規運賃22,000円を余分に払って19時35分発で、帰りました。がっくり。それも、お金がなかったので、JCBです。
近所の方に御願いした、ホテル込みの切符なので、変更できず、戻ってきません。しっかりと、笑ってやってください。
写真は、高尾君のライブの様子です。藤井君と二人のものは、女子大生に撮影してもらったものです。元気な中年と言われました。そう言われれば、彼らの親の年に近い年齢です。 [Head Linesに戻る]
タイよかとこ? 武若 耕司 君(2000/03/12)
先日、管理人がTVを何気なく見ていたところ老後の生活場所として海外の紹介がありました。その時間の多くがタイの事情に当てられていましたので下記のE-Mailを武若君に出しました。------------------------------------------------------------
タイが老後の永住場所として最近人気なんだと。
・物価が安い。都市部で日本の1/3〜1/2。
・人件費が安く、介護関係の人的量が豊富。
・医療も都市部なら日本人専門の施設病院がある(入院1日3万円前後)。
・温暖で現地の人の気質も一般的に穏やか。
とテレビで特集を放映してた。
武若の目から見たタイの寸感を送ってくれん?
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それに応えて、武若君から返事がありましたので紹介します。
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武若です。
下記の条件、基本的にはYESです。問題は、定住をどのように考えるかです。もし、日本で暮らしていると同じような条件でタイに住もうとすると、それなりの出費は覚悟しなければならないでしょう。
例えば、住居を例に取ると、例えば、日本と同じような便利さで、ユーティリティーもちゃんとしていて、しかも最も重要なセキュリティーを日本と同じように求めるならば、日本の賃貸マンション程度以上の住居費は覚悟しなければならないかもしれません。
物価の面では、確かに、食料品や衣料品の相場は日本の1/5かそれ以下でしょう。タイ人は、食事を家で余り作らないと良く言われます。外で食べると一食100円以下で食べられ、家で作った方が割高になるためです。この国は、有史以来飢えを知らないとも言われますが、国王の政策にもよって、極めて安く食事が出来ます。衣料品も市場に行けば1500円程度で上から下まで揃うこともあります。ただ、これらについても品質や衛生面を考えた場合、日本と同じような条件を求めると、必然的にかなり割高になります。あくまでタイ人のレベルで品質や衛生面を考えた場合ということを忘れてはなりません。日本と同等と考えた場合、これらは、精々日本の1/2程度がいいところでしょう。
それともう1つ、これは余談ですが、旅行者と定住者での物価に対する感覚の違いがあります。老後を過ごす(余生を過ごす)場合には、余り問題ないことかも知れませんが、我々のように家族を養っている中産階級の者では、長期にこの国で生活していると、いわゆる無駄遣いの感覚が頭をもたげてきます。現在、1バーツは約3円程度ですが、タイ国内での価値的には、1バーツが10円程度です。例えば、100バーツの買い物をした場合、日本人は300円の買い物をしたと考えますが、日本人がタイ人の感覚でその買い物を見た場合、1000円の買い物をしたように見えます。長く住んでいると、どうしても300円の買い物には見えなくなってしまうのです。変な話ですが、最近小生は100バーツが高くてしようがありません。
人件費の問題、これも極めて安いです。ただ、これも、10人雇うと10人分の仕事をしてくれると考えると大きな間違いです。精々半分程度の仕事量と考えるのが無難でしょう。それでも、安く仕事が出来ることは間違いないですが、人を使うことに慣れていない日本人は、結構ストレスがたまるかもしれません・・・。
医療設備については、確かにバンコク市内の大きな”民間病院”は、ほとんどが日本人スタッフあるいは日本語を話せるスタッフを置いていますので、治療を受けることについては、全く問題はありません。ただ、良い先生は限られているので、その先生の治療を受けようとするとかなり待たされる場合があります。また、薬が山のように出されて、しかも、日本に比べてかなり強い薬が出されている様に思います。これも余談ですが、タイでお腹を壊した時は、日本の市販の薬は全くと言って良いほど効きません。でも、病院の薬をもらうとウソのように直ぐに直ります。もし、旅行でタイに来られた時にお腹を壊されたら、迷わず病院(ただし、民間の大病院に限る)に行くを勧めます。旅行保険を掛けていれば治療費はそれで処理できます。
老人医療については、情報を持っていないので分かりかねますが、タイは日本のように高齢化社会ではない(聞くところによると平均寿命は60歳代?)ので、それほど進んでいるとは思えないのですが・・・。実際、街を歩いているタイ人の老人をほとんど見かけません。歩いている老人の多くは日本人か欧米人の観光客です。また、バリアフリー施設も日本の比ではなく少ないと考えた方が良いでしょう。歩道は狭く段差も多く、決して老人にやさしい作りにはなっていませんよ・・・。
気候については、温暖という表現は間違いでしょう。暑いです。ただ、日本と違うのは、蒸し暑さをそれほど感じないということです。したがって、だらだらと汗をかくことは、雨季でもありません。その代わり、日差しの強さとむせ返るような熱気があります。一方、室内は寒いくらいです。殆どの建物(いわゆるビル形式のもの)は常に冷房が効いていますので、結構快適に過ごせます。小生は、外での日差しと建物内での寒さを防ぐために一年中長袖のシャツを着ています。
タイ人の気質については、人種差別になるといけませんので詳しくは省略しますが、個人差が大きいです。全般的には、良く言えば、”ゆったりしている”というところでしょうか・・・。
さて、以上のような小生の実感をどう解釈しますか? 小生ならどうするか?って・・・・それは、多分20年後の日本とタイの違いによるでしょう。
以上、お問い合わせに答えて。
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なんとも甘いもんじゃないねって感じを受けるなぁ。
それと武若君の健全な金銭感覚にちょいと感心。管理人だと金持ちになったような錯覚をするんじゃないかと思うところだけど・・・・・。[Head Linesに戻る]
ウズベキスタン訪問記 垣迫 裕俊 君(2000/02/21)
去る1月下旬から約2週間、ウズベキスタンに行って来ました。なかなか行けるところではないので、話題提供の意味で25期の皆さんにその報告をします。 そもそも何の目的で行ったかって? 北九州市は環境面の国際協力を熱心に進めていることは、ご存知の方も多いでしょう。実は私は5年ほど前、中国・大連市との国際協力担当として、しょっちゅう中国に行っていました。現在は環境・リサイクル産業の振興を担当していますので、直接は国際協力とは関係ありません。
ところが、昨年夏に、ウズベキスタンからの日本への研修生一行が北九州市を訪れた際に、過去の環境対策、最近のリサイクルの取り組みに大変興味を持ったのです。そこで、国際協力事業団(JICA)から環境政策の専門家を派遣してほしいとの依頼が北九州市にあり、私が(専門家かどうかはあやしいけれど)派遣された、という経緯です。
さて、ウズベキスタンに入るにはどういうルートを採るか? なんとドイツ・フランクフルト経由なのです。成田から延々12時間かかってフランクに入り、それから6時間かかってタシケントに到着するのです。ソウルからのアシアナ航空、イスタンブール経由のトルコ航空などの選択肢もあったようですが、便数の多さ、安全性から考えると、ルフトハンザ航空のフランクフルト経由が選ばれたようです。
首都タシケントは、人口200万人を越える大都市。旧ソ連時代の遺産として、幅広い道路、地下鉄まであります。ウズベク人が多く、ロシア人も1割弱。キルギス人、タジク人、カザフ人もいるとのことですが、私の目からは全く区別できません。ロシア人は、旧ソ連時代の方がよかった、と現在の不遇をぐちる人が多いようです。街には物乞いのおばあさんもいます。びっくりしたのは、スターリン時代にスパイ容疑(の濡れ衣)で、ソ連国境付近の朝鮮民族20万人を強制連行でタシケントに連れてきたとのことで、朝鮮民族が多いのです。したがって韓国料理屋もたくさんあります。
ただ、韓国人が経営する「アリラン」という日本料理屋での「しゃぶしゃぶ」には、たまねぎやキャベツが入っていたり、「北京」という中華料理屋では菅原洋一の「知りたくないの」が流れていたり、どこか変なお店が多いのも事実です。
街の骨格はしっかりしていますが、何せお金がないのか、メンテナンスがきわめて悪いのが目につきます。水道、下水道をはじめ衛生状態もよろしくない。専門的な話は省略しますが、多くの環境問題を抱えています。
私の仕事は、日本の環境政策、北九州市の公害対策、リサイクル産業政策について都合8回ほどセミナーを行うことでした。質疑応答の時間も長く、いろいろな質問が出ました。日本でいえば明治10年、または昭和25年、といった感じでしょうか。独立の大混乱の時期を乗り越え、さあ今からどういう国を作っていこうか、というまさに「建国時代」といえます。地方自治制度、公務員制度、地方財政制度などについての説明をくわしく求められた時は、夕方6時を過ぎてもまだ質問がつきないほどでした。
さて、今回の訪問ではわが25期の友田氏に大変お世話になりました。みなさんご承知のとおり、彼は現在、三井物産タシケント所長として新しいビジネス展開のために奮闘しています。事前の資料準備の段階からまずもってお世話になりました。
到着した初日に、他の同行専門家とともに夕食をごちそうになり、二次会としてロシア語カラオケスナックに案内してもらいました。美人で歌のうまい女性がいて日本のスナックのような雰囲気そのものでした。(友田君、通いつめているかも…)。
翌日の夜は、友田宅におじゃま。サウナ付き、小さなプール付き、立派な家でした。その夜は現地の日本人企業駐在員(現在、在留邦人は合計100人余り)数人が集まり、わいわいがやがや。話題は、ウズベキスタンの政治状況にはじまって、宗教問題、環境問題、日本の公共事業のあり方まで、とどまるところを知らず、ついつい夜11時すぎまで話し込んでしまいました。
サッカーを楽しんだり、大統領側近から電話があったり、といった彼の生活のほんの一部分もあわせて垣間見ましたが、毎週土曜日は、友田邸が溜まり場になっているらしく、さすが友田君、と感心した次第です。25期の仲間として、本当にうれしく、また頼もしく思いました。
温度はさほど低くなく、滞在中に一度雪が降ったくらいでした。休日に、サマルカンドに車で四時間かけて行きましたが、延々と続く百km以上の直線道路、チムール帝国名残の遺跡の数々、中央アジアらしさにもふれることができました。
(付録)
友田君のところで話しをしていたときに、彼が、小学校1年生のときに教科書にあった「ちいさいしろいにわとり」という物語が感動的だった、と、彼らしくない?言葉が出ました。
それは、自己犠牲、人のために尽くす、博愛の心を伝える文章だった、というのです。実は、私の家内も、結婚した当初(約20年前)に、「ちいさいしろいにわとり」が好きだ、といっていたので、そんな話しで盛り上がり、その全文はどんな文章だっただろうか、調べようということで、その夜は別れたのです。
私の家内の記憶では、こうです:
******************************
小さい白いにわとりが、こむぎのたねをもってきて、みんなにむかっていいました。 小さい白いにわとりは、みんなにむかっていいました。 小さい白いしろいにわとりはみんなにむかっていいました。 小さい白いにわとりはみんなにむかっていいました。 小さい白いにわとりは、みんなにむかっていました。 小さい白いにわとりはみんなにむかっていいました。 |
******************************
さて、私は、全く記憶がないのですが、環境局にたまたま来られた附属小学校の先生をつかまえて、聞いてみました。そうすると、現在は、一年生の道徳の副読本に「だれのパンか」という題名で、同じような文があるとのことでそのコピーを入手しました。以下のとおりです:
******************************
にわとりが、こむぎのたねをもってきて、なかまのものにいいました。 めがでました。おおきくなりました。ほがでました。みのりました。 かったむぎを、かわかしました。 こんどは、こなにひくのです。 「みんなでやこう、おいしいパンを。それから、みんなでたべようよ。」 「あ、パンをやくにおいだ。おいしそうなにおいだ。」 にわとりは、しっかりしたこえで、みんなにいいました。 |
*******************************
さて、私の家内は怒りました。昔の文章と全然違う!と。しかも、内容に問題がある。
私もこう思うのです。
昔の文章のウラをとっていませんので、ここのところは少し留保したとしても、
(1)言葉づかいに違和感がある。
「なかまのもの」…「なかま」とか「ともだち」でいいのではないか?
「あたい」…なんとなく品がない(と、私は思う)。
「くちをあいてみていました」…「・・くちをあけて・・」が正しいのではないか。
(2)結論を考えさせる内容になっていない。
昔の内容は、最後ににわとりが取る行動にはいろいろなパターンがありうる。どれが正解かは、わからない。いろいろな答えによって、多くのことを考えられる。
(3)今の文章はあまりに殺伐としている。
働かざるもの食うべからず、といってしまえばおしまいだが、そんな割り切り方が、あまりにドライでさびしい。読後感が悪い。友田君も悲しんでいるのではないか。
******************************
いかがでしょうか?みなさん。
友田君のおかげでいろいろな世界が広がったこの1ヶ月でした。
なお、昔の原文をお持ちの方(先生やっている方?)、是非、正確な文章をお知らせください。そして、どうしてこんな殺伐とした内容になってしまったのか、ご意見を。 [Head Linesに戻る]
※タイに暮らす、武若 耕司 君
お久しぶりです。このようなメールを交わすのも、貴殿(管理人)が鹿児島に来られて以来ではないかと思います。さて、私こと、昨年4月より、JICA Expertとして、2年間の予定でタイにある国際機関のアジア工科大学院(AIT)に派遣されております。こちらでは、School of Civil Engineering(土木工学部に相当)に所属し、大学院生に対してコンクリート工学関係の講義と研究(大学院生の論文指導)を行っております。AITは、1959年に設立され、最近まで東南アジア唯一の大学院大学として、アジア各国から優秀な学生が集い、また、卒業生も非常に高い評価を得ています。国際機関であるために各国の援助によって支えられておりますが、中でも日本の援助は金銭的な面だけではなく、人的な面でも非常に大きく、現在ここには、JICA派遣の教官だけでも10名ほどおります。
タイは、12月、1月が最も過ごしやすい時期といわれますが、雨季に入っても(5月中旬頃から)日本の梅雨のようなじめじめした状況ではないため、梅雨と冬が大嫌いな小生にとっては、思っていたほど悪くはないといった感じています。また、バンコクだけをとってみるとは、高速道路上から見る景色は東京にも匹敵する位いに大都会です(下を見ると、色々と見たくないものも見えてきますが・・・)。
時間があれば是非一度遊びに来てください。歓待いたします。
武若君の在タイ中の住所やE-Mail Addressのお問い合わせはE-Mailで管理人までどうぞ。 [Head Linesに戻る]
奥屋君、健康維持の取り組みの一部を紹介(1999/12/06)
9月24日より、11月26日まで、2ヶ月間、コレステロールを減らすコレスチンを飲んだ結果がでましたので、今までの健康診断の結果も含み、連絡致します。今回,毎日,帰宅が、23時近辺で、その後,犬の散歩ですが、時間がきついので,早足歩きの1時間から、自転車の30分に変わり、、入浴が,23時30分食事開始が24時となり、飲んで食べて、2時頃の就寝、6時から6時30分の起床ということで、良く寝るためにお酒の量がかなり増えました。不摂生です。すみません。おかげで、
体重は,74.5→76.0kg
γ−GTPは、39→60と増えてしまいました。
でも、
コレステロールは、219→164
中性脂肪は、119→66
最低血圧は,96→76と減りました。
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奥屋君は「癌」「活性酸素」「ビタミンC」など様々なタイトルでメールを送ってくれます。自らの健康診断書の写しなども提供してくれ、具体性を伴った内容に、思わず膝を打つ場面も多々あります。同様の興味をお持ちの方がおいででしたら、直接、彼にE-Mailを出されてはいかがでしょう。歓迎され、丁寧な返事が受け取れること請け合いです。(管理人) [Head Linesに戻る]
45歳前の独り言 壱岐尾 英治 君
はや倉校を卒業して20数年経ち、そろそろ45となる年齢も、知らず知らずのうちに、決して若者ではない風格となってしまいました。同年代のみんなはどう感じてますか。最初の会社(大沢商会)での7年間の在籍での良いことは、今の女房に当たった事かな。その幸せとは裏腹にその会社も倒産となり、管財人SEIBUの後押しで再建されたけど、若手は引く手あまたでトラバーユし、結局残ったのは当時のおじさん連中であり、そのおじさん達もほとんが飛ばされたと聞いています。当時バリバリの小生も若さゆえの取り得で、古河電工に入社となりました。この2〜3年の間にリストラ・倒産・景気回復兆しの低調の話を聞きますが、小生は30歳前に既に経験済みなのです。技術畑の小生はその為か約3年毎の転勤族となり、自動車部品関連一筋でトポトポと歩み、品川・小山・三重・小山・テキサス・丸の内と移り変り、今は横浜の住人で1時間半の通勤で平塚へ通ってます。
ここでチョット宣伝させてもらうと、自動車メーカーから自動車紹会販売活動を求められおり、部品メーカーでも販売活動の一端を援助せねばなりません。この機会に『買い替えの時は一報ご連絡頂ければ、更に少し安くなりますよ!!』
この歳になると、両親の老い、子供の進学、体力の減退、妻との交わりの少なさ、部下への期待と反面の頼りなさ、仕事の多さと年収のアンバランスの不平・不満・憤り・挙句の果てはあきらめ等など、考え事も多くなりますが、そうは言っても、超平凡(平凡さの難しさ)な幸せにどっぷり漬かっています。
最近の興味は『釣り』かな。その釣りもここ一年間は遠ざかり、自分の根性無しと執着しない性格に、そんなモンかなと変に納得しています。しかし、どう言う訳か週2回の水泳も1000メーター泳ぎきるわりには、腹の贅肉がなかなか落ちないのが残念です。
そう言えば最近の恐怖は『富士急ハイランドのFUJIYAMA(ジェットコースター)』でした。7両編成の乗客となり、ガタガタ、ゴトゴトと地上70メーターまで登り詰めたとたん、一気に地上すれすれまで約60度の傾斜で落っこち、途中でお尻が宙に浮くムズガユイ感触を覚えたとたん、更に登り、右や左に振られて、またまた急降下で人生の終わりを想像して、隣の女房など無視しての大叫びと前に乗った娘の恐怖など考えず、ほんとにエンジョイしました。さすが世界一のギネス登録はすごいと思って狭い座席を下りたのですが、両膝がガクガクと笑うチョットした興奮と軽い喜びが、それとも軽度のエクスタシーとでも言うのか、久しぶりに心臓がバクバクし最高でした。
こんな興奮を味わっていますか?
いつもの永松君の面倒見の良さに感謝して、取りとめ無い、45歳前の独り言でした。
※こんな寄稿を頂けることこそが励みです。ありがとう。(管理人) [Head Linesに戻る]
その後のウズベキスタン 友田 敦久君
その後のウズベク生活:昨年11月にウズベクに赴任して以来、早1年が過ぎようとしています。最初この国には、シルクロードの通過都市で砂漠の真っ只中のオアシスという先入観を持って赴任しました。実際は旧ソ連の中央総督府が置かれインフラも整備され、地下鉄や路面電車もあり、緑あふれる国と言うギャップで、見るもの聞くものが目新しく見えたものでした。
しかし、最近は違う切り口でこの国を見ています。それは、日本人に取ってなじみの薄い2点、すなわちベールに包まれていた旧ソ連の国で、且つイスラム教を国教とする国と言うことです。最近は、これがこの国を知る上で最もわかりやすいキーワードと思うようになりました。この国は其の二つの切り口から次のような特徴が現れていると思います。
旧ソ連であること
旧ソ連であると言うのは、つい8年前までアメリカと対抗できた国であったと言う大国意識に象徴されます。旧ソ連人のプライドを持った国と言うことです。これは、例えば軍備的にも先進国に匹敵する技術を持っていた為、実際は優秀な技術者はソ連崩壊後、西側諸国やモスクワ等へ移っているにもかかわらず、産業界には自国の技術は進んでいると考えているエンジニアが殆どで有ることで、顕著です。更にタシケント(管理人注:人口220万人、ウズベキスタンの首都)は旧ソ連の中央アジア総督府が置かれた、管理中枢機能を持っていた為、意識の中に中央アジアの中心、覇者と言う気持ちを強く持っています。さらには、中央アジアを取り巻くその他の諸国、アフガニスタン、パキスタン、イラン、トルコ等に対しては、意識の底で軽視している節が有ります。但し、それらはイスラムの国であると言うことでの警戒感も加わっています。(後述)
ウズベキスタンは旧ソ連崩壊後のCISの中でも、改革を急激に進めず(Shock Therapyを行なわず)、旧体制をゆっくりと改革して行く漸進主義(Gradualism)を取っており、これによりウズベクは独立後GDPが約半分に減るほど経済的打撃を受けたCIS諸国の中でも比較的堅調な経済運営を行なうことができました。このShock
Therapyかどうかというのは、IMF(国際通貨基金)の言うことを聞いて先進国並みの為替自由化に象徴される開放的制度を採りいれたか否かと言うことです。
結果的にズベキスタンは、マレーシアと同様IMFの言うことをそのまま聞かず、戦後日本が取ったのと同じような、官僚主導による統制が行われており、現に日本の経済運営モデルを参考にしています。
当地には日本の大蔵省、通産省の方々が来られ、民間の幹事会社と言う立場で色んな方とウズベキスタンの経済に付いて意見交換する機会が有りますが、この官僚主導による建国の意識の高い統制経済というところが、日本の官僚の方々の共感を煽るようで、「日本もつい昔はそうだった」と、この国の経済運営に共鳴するか、IMFとの不合意に同情を示す方が多いようです。
イスラムが国教であること
旧ソ連でありながら、ロシアと根本的に違うのはイスラム教が国教である点です。ソ連崩壊後、東欧、ロシア等が欧州化して行く中で、中央アジアがアジアの一員として一線を画せるのは、イスラム教を国教としている為と思います。すなわち中央アジア諸国が、ソ連崩壊後独立して行った中で、イスラムの復興が民族文化の復興と結びついて行ったということです。
元々、旧ソ連時代はペレストロイカまでイスラム教を実質禁止しており、イスラムは密教化していたのが、1991年独立と同時に中央アジアの至るところで民族のIdentitiy昂揚と共にイスラム国教化が始まりました。この旧ソ連であることと、民族独立において弾圧されていたイスラムを国教としたいわば合い対立したイデオロギーの国家ができたことが中央アジアの特徴だと思います。
ウズベキスタンには、イスラム文明を代表するブハラ、サマルカンドという宗教都市が位置し、東方イスラム世界の重要な地域であったことをウズベク人は誇りにしています。時々其の誇りが強すぎて、他の近隣イスラム諸国はウズベキスタンを羨ましがっていると思っている節も有り、これが若干鼻に付くところとなっているのも事実のようです。
イスラムの動きの中でウズベキスタンが極めて警戒しているのが、テロ行為を平然と行なうイスラム原理主義者です。これは、カリーモフ大統領がウズベク建国と共に駆逐し、海外で活動を進めている反ウズベク政府運動者の存在を見ても明らかです。今回のキルギス人質事件で、日本にも有名になった如く、ウズベクの反政府運動家がウズベク以外で活動をしている程、ウズベキスタンの中では取り締まりを厳しくしていることも事実です。特にウズベキスタンを取り巻く国の中で、イスラム原理主義が横行している国、前述のアフガニスタン、パキスタン、イラン、トルコ等に対しては、極めて強い警戒心を持っており、この点から外交政策上の色んな動きが見られます。
ちょっと難しい話しになりましたが、旧ソ連とイスラムの融合イデオロギー国家であるところが、この国を面白くしていると思います。イスラムの国でありながら、ウオッカがぶ飲み、豚肉は食べるし、奥さんを4人まで持てる(これは非合法ですが)のも、ここら辺から来ており、この国を独自なものにしているのでしょう。
ウズベキスタンの旅行記をアップしているホームページは豊富ですのでちょっとサーフィンするのも面白いかも。お勧めの一つはhttp://www.ibj.co.jp/~yesakiです。(管理人) [Head Linesに戻る]
管理人寄稿 中高校生のお子さんを持つ同窓生へ
中学生高校生の英単語記憶学習ソフトのご紹介1.英単語ターゲット1900速脳速習ソフト
(大学受験生〜一般向け 使用OS : Windows95/98)
私たちの時代の「試験に出る英単語」のように、今の学生の英単語バイブルは旺文社の「ターゲット1900」のようです。しかし、これは遺憾ながら、内容はともかく、形式は私たちの時代と変わらず、ただの厳選された厚手の単語集としか言えませんでした。
ところが 、「でした」なのです。と申しますのも、新日本速読研究会と株式会社えいすう総研が、旺文社の協力を得て「ターゲット1900」に準拠したパソコン用英単語記憶支援ソフトを開発したのです。
どんなソフトかを簡単に言い表すなら、英単語をディスプレーに表示した状態で、パソコンが正しい発音や和訳を、繰り返し繰り返し、等倍から2.5倍相当の速度で発音する・・・・といえばいいでしょうか。
管理人は社会人になってから英語と数学を中心に中高校生数名の家庭教師をしてきております。その乏しい経験と実績を通じて同級生やOBに対して英語の勉強方法を述べるのは汗顔の至りです。それゆえ笑われるのを覚悟で披露させていただけるなら、乏しいなりの経験から得た英単語の効果的な記憶方法は「数をこなせ、書かずに発音しろ」だったのです。書くより発音する方が数をこなせるのは自明のことでしょう。また、これはネイティブが単語を覚える方法に近いとも言えます。
「それだと読めても書けないんじゃない?」と御指摘の向きもあろうかと思います。しかし、基本的に英語は表音文字で綴られますので、正しい発音ができれば、発音に則り正しく書くことができるのです。気をつけるべきはサイレントのあるknife、bomb、tombや、umbrellaのように"l"などが重なる単語です。また"b"と"v"、"l"と"r"のように正しく発音しなければ間違う単語もあります。
当然、このソフトではネイティブが発音していますので、それらの違いが明瞭に(といっても数をこなさないと判別できませんが)わかるのです。
また、管理人はパソコン学習ソフトにかなりの投資をしてきており、それなりに目を通していますが、「ソフトを買って与えていれば、自学自習できる」ソフトはほとんどなく、ソフトと共に、横に補助指導者がついていないと用をなさないのが実状です。その点、このソフトは初期段階で指導すれば、後は学習者が全く一人でやりとおせる長所も持ち合わせています。
このソフトは受験生のみならず私たち年代でもできます、楽しめます、高い効果をもたらします。「酒に焼かれた脳味噌にも効くの?」 そうなんです。言葉が足らず良さがわかりにくいかとも思いますが、やってみればおわかりになります。投資額は8400円(税込み)と振込手数料のみ。外で一杯飲むのを一晩控えて、家族全員で是非トライしてみて下さい。きっとゲーム感覚で単語が頭に入っていくのを実感できると思います。
問い合わせ先
発売元/〒162-0843新宿区市谷田町3-1eisuビル市ヶ谷
Tel.03-3235-0553 Fax.03-3235-0554
ホームページURL http://www.eisu.co.jp
販売代理店
株式会社インフィニットマインド東日本
〒162-0843新宿区市谷田町3-1eisuビル市ヶ谷
Tel.03-3235-1118 Fax.03-3235-1170
株式会社インフィニットマインド西日本
〒556-0011大阪市浪速区難波中1-14-14エミューイモトビル
Tel.06-6641-1711 Fax.06-6641-1752
株式会社インフィニットマインド九州
〒810-0042福岡市中央区赤坂1-12-6赤坂Sビル
Tel.092-726-2870 Fax.092-726-2871
2.天才バカボンの 単語バスター
(中学生向け 使用OS : Windows95/98)
「英単語ターゲット1900速脳速習ソフト」のできがあまりによいので、発売元に電話を掛けて、「これ以外には速読術を活かした学習ソフトはないですか?」と尋ねたのですが、「2000年春頃に予定しているものがあります。」との頼りない返事しかありませんでした。
しかし、私の娘は小学校5年生。英会話は習い始めて久しいものの、この頃は日本語ほどには英語のボキャブラリーがないために、表現に苦しんでいる様をよく見かけるのです。「ターゲット1900」の中学生版がないなら、これに代わる物を探さないといけないと思っておりました。ゲームボーイを利用した単語学習ソフトも2点見ました。一点はダメでしたが、Z会発行の物はそこそこでした。しかし「ターゲット1900」に比べるとグッと見劣りがします。そんなある日、偶然見つけたのが、「天才バカボンの 単語バスター」です。 価格は税別5800円と比較的廉価でした。残念ながら「ターゲット1900」ほどには能率が上がるようには思えませんが、初級学習者に学習しやすいように、ゲーム性を高めており、まず取っつきがいいことは長所に挙げられるでしょう。また、一つの英単語に付されている訳語はほとんど一語で、これも初級学習者には好都合に思えます。例えば"mean"には「意味する、重要である、〜のつもりで言う、〜の予定である」など、どれも大学受験レベルでは欠かせない意味があるのですが、初級学習者にはとりあえず「意味する」だけで充分であることに異議を唱える人はいないでしょう。ただし、中学生レベルでも一語の訳語で足りない単語も多くあり、少し進むとその点はやはり不足感を覚えられるかもしれません。ですからあくまで一つの英単語には最初に覚えるべき一訳語だけがついているととらえておいてください。「これだけ覚えていれば中学生レベルでは充分。」だとは言えない内容なのです。
なお、ゲーム性が高いと申し上げましたが、この中には二人で競うゲームが入っています。このゲームは、5者択一の問題を二人同時に取りかかり、一人はキーボードで正解の番号を打ち、もう一人はマウスで正解をクリックすることで戦うのです。マウスとキーボードを交代しながらやってみたのですが、熱くなりますよ〜〜〜。
問い合わせ先
株式会社ゼスト
〒104-0033 中央区新川1-16-14 アクロス新川ビルアネックス
Tel.03-5540-8327(サポート専用)
ホームページURL http://www.zest-net.co.jp
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ウズベキスタンの桜事情 友田 敦久君
『4/1に小倉の森林公園で25期会お花見をしました。 ところで、赴任地には桜はある? お花見をする風習は日本だけだよね。』とする管理人のメールに友田君より返事がありました。/////////////////////////////////////////////////////
桜は有ります。
さくらんぼはこの国の名物で、更に今は殆ど散ってしまいましたが、3月は杏子、アプリコット、桃、梅(のような木)が咲き乱れていました。この地域にこのような種類の木が街のいたるところや、軒先に多く植えられていることは驚きでした。杏子の花は桜の花とそっくりですが、おしべが長いこと、なかなか散らないところが違います。葉っぱが出る前に枯れ木に花が咲くと言う系統の花が多いのは、シルクロード、中国、韓国、日本と繋がっているように思います。中国人が憧れた秘境の桃源郷とはこの地方のことかもしれません。
因みにこの種の花は東南アジア、北米、南米、ヨーロッパ、インドなどには見当たりません。日本的な花見、すなわち桜の下で酒を飲むと言う風習はないようです。(北米のワシントン、カナダのトロントでも公園に日本から持ってきた桜が植えられていますが、公園で酒を飲むことは禁止なので花見は不可能です)但し、この国では戸外に縁台を設けてお茶を飲むと言う習慣が有り、その側に「枯れ木に花」系の木が植えられていますので花を愛でるという習慣は有るのでしょう。
先週日本大使とも話したのですが、すぐ散ってしまう桜の花を見ていると何となく物のあわれを感じるようで、古来持っている日本人の共通感覚のようです。従って、桜にそっくりな当地の杏子の花を見てもちょっと違うと言う感じです。この意識は極めて日本人的で、日本人の美的感覚、精神に繋がっているようで、桜の花見だけは別格と思います。
バラがいくら美しくても、前に座って酒をのみたいとは思いませんよね。 友田
東京で大使級の人に面会することはきわめて珍しいことだと思うけれど、ビジネスでウズベキスタンにいる友田にとっては日常的なことなんだ。ウズベキスタンにいるってことは日常的ではないけれどね。ところで、「花見縁台」、日本にあってもいいけど、活用時期がちと短いか。ただの公園のベンチってことになりそう。(管理人) [Head Linesに戻る]
須田(関屋)由美さん(27期)の近況
須田由美? そんなの食べたことないぞ・・・・って、食べもんなわけないだろ! 以前、ジオブックに「3」だけのメッセージを残してくれた謎の人物ですよ。引っ越しに当たりジオブックを子細に見ていたら、E-Mail Addressが残っていたのと同窓会員名簿に須田由美さんの名前がありましたので、E-Mailを出して連絡を取り、今回Kikou25に登場願いました。彼女は27期ですから、我々とは同時期の1年間、倉高に通ったことになります。お顔を見たらわかるのかなぁ。同級生の顔がわかんないんだから、無理だろうね。(管理人)/////////////////////////////////////////////////////
始めまして。
かなり以前、友人が「倉高のHPに昔懐かしの先生の画像でてるよ」と教えてくれて、のぞいたついでに一言と思ったものの、「私って何期生?」と思いなおし、やめたつもりだったのに・・・・。
私の近況報告といたしましては、単なる個人的趣味から、ワイルドメダカ(絶滅危惧種となった)の生息状況を昨年から調べてます。そうそう、私は、愛知県知多市という田舎に住んでます。一応、知多半島全般を目指して、暇があれば、主に溜池ですが、調べてます。 ところが、"いない"、こんなにいないものとは。代わりに、バスの類が何と増えたことよ。「リリースなんてカッコつけずに、煮るなり焼くなりして食べてね!」と言いたいです。北九州市はホタルの保護活動が盛んだそうですね。ボスが生物の(ウ〜ン、名前が出てこん(((・・ )( ・・))))先生だったお方とか(これを老人力という)。某博物館の学芸員の方から、メダカの件でお話が来たり、HP作成のお手伝い頼まれたり(私の実力を知らんから)して、ずっと、専業主婦してた私にとってはちと、環境が変わりつつあります。
パソコンは昨年の6月下旬に購入、全くの独学ゆえに進歩せず。 安尾さん(旧姓古賀さん=文系)は映画通でありますが、パソコンは彼女が先輩で、お互いにHPもどきを作っては、遊んでました。過去形なのは、奥が深い&飽きてもうたということです。彼女の独断と偏見に満ちた映画のHPはおもろいと思います。
そうそう、私が作ったページがEcowebにアップされたことが、私個人としてはニュースでしたが、テーマが「森の恵みで遊ぼう」(リースとか)でしたので、更新され、今は見れません。子供向けの原稿は読めますが。
だらだらと書いてしまい、すみません。もう、3年も帰省してません。玉屋もなくなるとか。夏あたりに帰れたらと思ってます。
それでは お元気で (^-^)/~~~ [Head Linesに戻る]
友田君のウズベキスタン情報第2弾(1999/03/11)
ウズベキスタン便り:皆さん、お元気ですか、友田です。
2月15日の帰国翌日にショッキングなことが起こりました。
2月16日の11:00にタシケント市で大統領を狙った爆弾テロ事件が起こり、多くの一般市民が巻き込まれました。報道では15人死亡、120人の怪我人が出たと言っていますが、一つの病院だけでも20人亡くなり、200人が病院に担ぎ込まれたと言っていますので本当の所はもっと多い模様です。結構、やばい事件で、安全で政情が安定していると言われていたウズベキスタン建国以来の初め4で心で心で心で心で心で心で心で栴な深く傷ついています。特に小生もちょくちょく出入りしていた大臣官房がひどく、爆弾が3発爆発し、窓ガラスは粉々、付近を歩いていた市民は爆風と共に跡形も無く散り散りになり、書庫の側で爆発したのでは、舞い上がった書類が10分後に空から降ってきたと言われています。小生は、たまたま11:00に政府関係者とアポが有り、郊外の場所にいたので、その頃にダウンタウンでドゴ〜ンという音と黒煙が見えただけで特に恐い思いはしませんでした。しかし、事務所では所長室の半開きの窓が勢いよく開くほどの衝撃が有ったそうです。当社の関係するウズベク国営銀行の人間が巻き込まれ、彼は左手しか見つからず、その嵌めていた時計で本人と認識できたということもありました。やはり、日本とは違う国だと、つくづく実感しました。
この事件を通して、大使館情報の重要性の認識と、小生に入った情報のうち、現地職員も含めて言わない方がいいと思われる情報(いたずらに恐怖心を煽るようなもの)の選別とか、奇怪な情報、悪意の情報(過激派組織・政治集団からの情報)等、種々の情報分析が重要であることを認識しました。ということで、いっときの間は社内に向けて、事件のあらましを伝えるCNNのようなことをやっていました。
一方、気候はそんなことにお構いなく、今年は冬が見事に短く、もう春になってしまいました。昨日は、梅かプラムの花が咲き乱れる中、気温が20度まで上がり、半袖でゴルフができました。(インは45だったぞ!) 考えてみるに、小生の日本での気分転換は、サウナに入ること、カラオケ歌うこと、ゴルフをすること、酒を飲むことですが、ここではそれらが全て揃っているのであまり苦になりません。
来週、当地のテレビに日本の紹介番組が流されますが、その最後に小生が日本の進出企業の代表者として、拙宅でビデオ撮りされました。内容は、当地の大統領が日本に来たとき天皇陛下と共に話されている映像を流したり、日本の町の紹介フィルムを流したり、色々に編集されているうちの一部のインタビュー部分として撮影されたものです。結構やらせが多く、私服を着てくれだの、カラオケ歌えだの、廊下を歩いている所や、本を読んでいる所を撮りたいなどと注文が多く、3時間かかりましたが、放映は2分ほどでした。「あなたの歌を聴いたウズベク人からファンレターが来るわよ。」なんて、アナウンサーのおねぃさんにおちょくられていましたが、さすがに歌は流れませんでした。
と、若干危険になったウズベキスタンで、着々と活動を広げている今日このごろです。
以上。
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大変な地域にいながらも、友田君の逞しさを感じますね。とは言うものの、彼の無事を皆で祈らずにはおれない内容の寄稿です。(管理人) [Head Linesに戻る]
奥屋・松井・藤村・河野のミニ同窓会(1998/12/31)(写真ページへ)
これは、12月31日に、小倉で、行いました。例年は、正月の2日に行っていて、25期の同窓会が、2日の時に、何回か出席させてもらいました。ところが、正月は、忙しい人が多く、特に、今年は、3日が日曜で、銀行や会社によっては、4日から初出社という人がいたためと、僕自身も、現在住んでいる団地が、アンテナを建てても、TV(V,UHF)の映らない為に、CATVが、あるのですが、この維持管理を公的機関(地域振興整備公団)から、民間に強制的(受信契約約款に違反の上に、赤字CATV会社の救済の為)に移管しようとしていることに、反対(法律的なアドバイスは江副君に、御願いしてます)していて、この会の、打ち合わせ等が、2日からある為に、今年は、12月31日に行いました。女性がいれば、忙しくて無理なのでしょうが、男ばかりなので、開くことが出来ました。次回からも、12月31日に、行う可能性があります。この会は、もう、足掛け25年やってます。場所は、特定してませんで、大体、開催日の13時に集合し、18時から21時の間で解散です。北九州に残っているのは、河野君だけ(今回は、江副君が出席してくれましたので彼もですが)で、それぞれ、散らばっている人が、集まってきます。
今回の場所は、大きな居酒屋、料理屋等が全て、閉まってましたので、随分と探しまわったあげく、絶対にここなら、開いているという、”赤かべ”で、行いました。小倉駅の南口の線路沿いの通り(ピンク映画館の近く)です。綺麗な所では、ありませんが、13時40分から、17時40分まで、居座ってビールをジョッキで、一人あたり2杯くらいと、焼酎を1本キープして、空けて(その他、ライム、サイダー、氷、お湯)、料理を鍋、焼き鳥、牡蛎、海鼠、等を、結構、腹いっぱい、食べて、一人あたり、割り勘で、3633円でした。僕なんかは、子供が大きくなって、段々と、小遣いが、減っている上に、広島から来てますので、安いと助かります。この後は、年末と同じ写真を、光成(森松)さんに、送ったのですが、どうも、見れないらしいです。インターネットエクスプローラ等の、プラウザを、使用していれば、見ることが可能だと、思っていたのですが、見れない場合があるのでしょうか?
それと、潮田夫妻が、4月に、北九州に戻ってくるようなことを、聞きました。
今年は、長男が受験で、今が、追い込み時期です。夜、遅くまで、勉強している姿を見ていると、昔を思い出しました。次男は、昨年、中学受験して合格して通ってます。片道100分の通学です。僕が起きる前の6時20分頃、出てます。帰ったころは、もう、寝ていて、日曜日に顔を合わすくらいです。最近、次男の視力が落ちて左が0.2、右は、1.2です。何か良い方法は、御存知ないですか?
それでは、また。 (情報提供:奥屋君/写真提供:江副弘幸君) [Head Linesに戻る]
友田、E-Mail Addressゲット! 現地報告No.1
友田です。長らく御無沙汰ですが、元気?やっと、念願のE-mailが入ったぞ!! これで、日本との距離がグーーンと近くなりました。取りあえず近況報告:
11月16日に日本を発ち、中央アジアの中心地であるタシケントにやってきまし た。日本より寒いと聞いてきたので、防寒着を重ねた厚着をしてきました。ところが、気温は約15度、なぁーんだぜんぜん違うじゃないかとたかを括っていた所、3日後に大雪が降りました。現在はまた暖かくなって先週土曜は20度に戻り半袖でゴルフをしました。1週間の気温差が大きく、当地の気候はいとおかし。
食事は何を食っているかって?
この国は、野菜が豊富、ヘルシーな食生活が送れます。牛肉、マトン、チキン、ポーク、馬肉、犬の肉(朝鮮系が食べる) 等肉類は何でも有りますが、玄界灘育ちのグルメには泥臭い魚しかないのが残念。昼は会社で、タタール人の賄いのおばさんが二人で日本食に近い料理を作ってくれます。このおばさんは、建築関係のエンジニアですが当地は給料が低く(約100ドル/月)止む無く外資企業の賄いに甘んじてもらっています。出身が、エンジニアのせいか、彼女たちの作るおにぎりは、角が尖った正三角形です。味は、日本から持ってきている永谷園のマーボ春雨の素や、国安君のハウス食品のバーモントカレーをふんだんに使用しているので、それなりに美味しい。
夜は、朝鮮料理系が主流です、が、本当の主食はウオッカで、食事は酔わないように腹に詰め込むということでしょう。
運動:
毎週土曜日に、我が社のサッカー部でミニサッカーをやっています。
先々週は、対ドイツ大使館。先週は、近くのワイン会社、今週(明日)は、何と元ソ連がオリンピックで優勝したときのキャプテンと元ウズベキ代表チーム3名を交え、懇親サッカーゲームです。
その後、我が自宅(三井ハウスと呼んでいます)で、サウナ、宴会コースを行いみんなとどんちゃん騒ぎの予定です。
もちろん魂胆あってのことで、今後我がチームに助っ人で入ってもらうこと、彼らのコネを利用してウズベキ人の青田狩りをし、倉高に留学、できればJ-Leagueに連れてきて2002年のワールドカップに間に合わせる等夢の大きい魂胆を描いています。
日曜は、今年の9月に完成した当国唯一のゴルフ場で3千円ほどでプレーしてい ます。 どうです、健康的でしょう。
仕事:
出発前に言った通り、この国はほとんど国営で、かつ日本ウズベク経済委員会の事務局の関係で官僚と会う機会が多く、いろんな人に会いました。(ほとんど忘れて困っています)一国の首相に会えるなんてのは、めったにないことですが実現しました。 (スルタノフ首相は、根岸徹に似た良い男でした)
夜:
良く寝ています。 えっ、そんな意味じゃないって? カラオケ屋は有ります。ロシア人の美人もいます。この国のシステムは黒井君の好 きなカザフスタンと違い、日本と同じく横に座ってお話、ダンスするぐらいで後はなし。ただし、言葉ができなければなーんにも起こらず、安全 と、いうことでやっぱり悪くない所でした。
ところで、年末は28日に帰国し、正月は九州の予定です。(1月4日に帰国) みんなで会う話が有れば教えてください。
スパルタンが行く(奥屋君とこの愛犬談)
懐かしい顔(25年ぶりに見たり話したりした人の多かったこと)が、たくさん、集まった25期会の25周年記念大会が終了し、無事、小倉から帰ってきて、1週間、我が家に、黒のラブラトールレッドリバーがやって来ました。名前は、子供達がスペースシャトルの中継を見て、相談して、スパルタンと決めたみたいです。生まれは、今年の9月25日。10匹の兄弟に恵まれた、幸せな家族の一員として、この世に、生を受けたそうです。生まれは、東広島市にある、警察犬の訓練所です。この警察犬訓練所は、シェパード等の警察犬の生育と訓練を主に行っていますが、家庭用の犬の生育と訓練も行っています。僕は、大きな生き物を飼うのは、始めてなので、最初は、反対したのですが、反対するもなにも、僕に話が、有ったときには、もう、口約束をしてしまっていたようで、完全な事後承諾でした。つまり、僕に話が来た時には、その警察犬訓練所とは、契約が成立していた訳です。これこそ、現在の家庭を象徴する亭主不在です。おお、日本の父権は、どこにいったのだろう。それでなくても、子供が大きくなるにつれて、僕の居場所はなくなるのに、これでは、この狭い家で僕はどこに座れば良いのだろう。
考えると、怖い気がします。何と言っても、大型犬の部類に入るらしく、親と一緒のところを見に行ったところ、のそのそと歩く、母親の姿を見て、こんなに大きい犬は、僕の家では、難しいと思ったのですが、何と、家の中で飼うというでは、ありませんか。ここは、広島と言っても、JRの山陽本線で、一番標高の高い場所で、ここに住みだして、最高で、積雪70cmを記録してます。温度も氷点下5度は当たり前、時には、氷点下10度以下となります。冬の出勤時には、毎日、フロント硝子に60度前後のお湯をかけなければなりません。40度前後では、お湯をかけるそばから、凍ってしまうのです。温度が高すぎると、フロントガラスが割れる可能性があります。旭硝子の中研勤務の従弟に聞けば、まあ、大丈夫だろうとのことですが、やはり、不安です。よく、カーショップで売っている、フロンドガラス用のシートも試してみましたが、シートごと、フロントガラスに凍って張り付いてどうにもなりません。それと、カーショップで売っている解氷剤を購入し、使ってみました。500円以上するものです。スプレー式で、1本まるまる使用しても、フロントガラスの半分程度の氷をを融かすのがやっとです。やはり、一番良いのは、50円か100円で売っている、プラスチック製の氷かき用板です。通勤時の積雪は、年に10回程度しかなく、雪がそんなに多いほうではないのですが、放射冷却により、テカテカに道路が凍結することが多く、あちらこちらで、道路の溝や田んぼに落ちた車を見かけます。そのシーズンの最初の積雪の日は、スタッドレスかチェーンをはめてない車で、みんなの通行の邪魔をする車が現れます。「そんな、寒い外で飼うのは本当にかわいそうだ。」という女房の一言で、家の中で飼ってしまうことになりました。僕の居場所は、どうでもいいの!「今は、まだ、小さいからいいけれど、雄だよ、母親より大きくなるよ。」という、僕の負け犬みたいな遠吠えは、段々と小さくなるのです。きっと、今に、スパルタンが、僕より、大きな顔をしだすのは、まちがいないでしょう。
ところで、子犬というのは、よく寝るもので、起きると、旋風のごとく暴れまわり、飽きると、食べては、水を飲み、おしっこ、うんちをして、また寝てしまうのです。それも、あちらこちらの物を噛みまくってしまうのです。藤の籠、サイドボードのつまみ、クッションの椅子、衣服、応接用の椅子、とにかく噛めるものは、なんでも、噛むのです。もう、家の中、傷だらけです。おまけに、隙をみせると、人間にも噛みつきます。他の物を噛むのに比べて、人間を噛むときは、ゆるく噛んでいるようですが、やはり、歯が尖っているので、不意をつかれると結構痛いです。
おしっことかうんちは、家の中用の檻のなかで、やってくれるようにうまく躾ができ、ホッとしてます。うんちは、一回も失敗無く、決められた場所にします。おしっこは、10回程度失敗しましたが、確率9割でうまく出来てます。犬用檻のドアが閉まっていると、遅れてしまうようです。見に来た近所の人が、たいしたものだと言ってたそうです。今回、犬を飼うにあたり、犬の躾かたという小難しい本を購入し、普段、全く本を読まない、女房が、先ず、本に目を通し、長男が、次に、読みこみ(長男は、来年早々高校受験なのですが、こんな本なんかに時間を取っていいのだろうかと僕としては気になるところなのですが)、次は、次男が通学の電車の中で(長男の中学は、歩いて5分のところなのですが、次男の中学は、車でJRの駅まで送り、そこから、JR、その次に広島電鉄の宮島線、その後、徒歩20分で計片道100分かけて通ってます。)完全に読破し、そして、僕は、元来ののんびりやのせいで、犬が来てから、読み始めました。動物とは、ひどいもので、自分より強いものには服従、弱いものに関しては、馬鹿にするという性質を持っているらしく。噛む力も、徐々に強くなってきます。ここで、負けてはならじと、僕の奮戦が始まったのです。本に書いてあるとおりに、噛もうとすると、寝技に持ち込み、仰向けにして押さえ込みました。しかし、敵もさるもの、体をくねらしてすり抜け体制を立て直し、向かってくるではありませんか。なんと獰猛なやつだと思ったのですが、本によると子供のうちならどうにかなるが、これが、成犬になってからでは、体重も30Kg以上になるので人間が力負けするとの文章を思い出し、なんとか、また、押さえ込み、腹をさすってやって、安心させたのです。今では、僕を見ると、体をすりよせてきて、自分から仰向けになり、甘えてくるようになりました。と、書きたいのですが、少しでも、隙を見せると、すぐに挑んでくるのは、野生のなせる性でしょうか? ところで、このラブラトールという犬は、盲導犬にもなっているらしく、どちらかというと、犬のうちでは、従順な方だとのこと。それでは、もっと獰猛な犬は本当にどうなるのでしょうか。食欲に関しては、飼い主に似たのか、腹が減ると機嫌が悪くなり、エサの入れ物に飛びついたり、人間に向かって突進してきたり、大変なことこの上なし。水も、ゲボゲホ言って吐くまで飲むという、意地汚さ。今後は、どうなることやら。
また、気が向いたら報告しますので、どうなったか、心配しながら応援してください。きっと、次に、報告出来る時には、飼い主の言うことを聞く、従順な犬のスパルタンとなっていることでしょう。 [Head Linesに戻る]
匿名希望さんのHDD取り替え・増設記
以下は駄話ですので、ひまなときにお読み下さい。 Pen2-450IIのニュー・マシンを自分で組み立てたのは良かったんだけど、LANでつないだ3年11ヶ月前のEPSON君(DOS/V)の調子が悪い。ScandiskやCheckdiskをかけるとポロポロとFATの修復が行われる。これは今までに3度ほど体験したハードディスク・クラッシュの前兆であるぞ、ということでハード・ディスクを買いに行った。IBM製で6.4Gbyteが26,800円、8.4Gbyteが28,800円。「どっちにしようかなぁ。」と店員に話を振りながらよく見ると6.4GbyteはMade
in Hungary、8.4GbyteはMade in Thailand。「へぇー、おんなじIBM製でハンガリー製とタイ製ってあるんだぁ。ウーン、どうせサブマシンが8Gbyteなんて使うこともないし、ハンガリー製でいいかぁ・・・・。」とつぶやくと、店員が「青い目もいいでしょうけど、2,000円しか違わないし、タイ製の方がタイだけに熱に耐性(タイ製)があるんじゃないでしょうか。」と愚にもつかないことを言う。「よし、じゃぁタイ製にしよう。(ナンナンだ、俺は)」ってことで少し明るめの気持ちで帰った。内心は「サブマシンでも8.4byteかぁ。」ってやっぱ嬉しいんだよね、メインマシンは10.4Gbyteだし、ちょっと財布は減ったけどPC環境ではリッチになれそうな気分。
ところが、そう、こういう話にはつきものの「ところが」、最初の立ち上がりでは「IBM3440・・・」とHDDを認識しているのにFdiskがきかない。「こいつは存在しないってことかぁ?」 あわてて同ショップで頼りになる別の店員に電話をかけると「あぁ、それはきっとマザーボードでしょう。3年11ヶ月前のマザーボードでは6Gbyteくらいまでしか認識しないのが普通でしたからネェ。」 おいおい、それじゃこのHDDはどうなるんだ。そしてサブ・マシンは立ち直れるのかぁっ?
「8.4GbyteのHDDのために新しいケース、CPU、メモリー、サウンド・カード、ビデオ・カード、を揃えると7万円くらいはかかるなぁ。」云々としばらく一層貧乏になる道も検討したけれど、さすがに踏みとどまって新しく4.3GbyteのHDDを購入することにした。翌日4.3GbyteのHDDをつけて、めでたく生まれ変わったEPSON君、LANも安定して良かったぁ。で、8.4GbyteのHDDはどうする?どうする?どうする?
結局、買い手はいたものの14,000円なら、10,000円なら、という人の不幸を笑った上に足下を見透かす奴らしかいなくて、「しょうがない、メイン・マシンのデータドライブにしよう。」ってことでメイン・マシンに付けてしまった。10.4Gbyte+8.4Gbyte=18.8Gbyte。18.8Gbyte・・・・まるで体育館に座布団を敷いて一人で座っている気分。
まぁそのうち、お客さんも増えるでしょう、PCの世界はそんなもんだもん。って、いつの話だか。
以上、HDDの取り替え・増設記でした。 [Head Linesに戻る]
世界の国から/風土と文化と石油(月間出光'98年4月号掲載)
吉永 一臣/出光ケミカルズ・ヨーロッパ (3年9組)
ベルリンの壁崩壊とドイツ統一という巨大なドラマの後に、ヨーロッパ最大の大国ドイツが生まれて8年目になります。ヨーロッパ統合を目指し隣国フランスと協調しながらEU通貨統合に向け邁進するドイツ政府のコール首相の姿には使命感が漂っています。一方、国内は10%以上の高失業率が依然として続いています。
さらに緊縮財政政策による社会保障制度の改革が進められるなど国民の不満が高まりつつあります。難民問題は規制法改正後いくぶん静まりましたが、多国籍民族が街に溢れドイツの様相を日毎に変えつつあります。
総合感冒薬のない国
ヨーロッパ大陸のほぼ中央部を占める35万7千平方キロの面積に、約8200万人の統一ドイツ人が住んでいます。周辺は東北から西南にかけて9ヶ国と国境を接していますが、EUの拡大で往来は殆どフリーになりました。この地理的特徴は輸出大国ドイツにとって大きなメリットです。
ところで、ヨーロッパビジネスの窓口といわれる、ライン河に添った美しい商業都市デュッセルドルフには、日本企業が345社も進出、6500人以上に及ぶ日本人がドイツ社会にとけこみ活躍しています。
そこで、一般的ドイツ人のメンタリティーについてですが…。古代ローマの史家タキトゥスは、ゲルマーニーはただ「自分みずからだけに似る」独自性に富んだ民族と表現しています。ゲルマン民族を主な祖とするドイツ人ですが、確かに自己主張が強く、几帳面で少々融通がきかない面が目立ちます。しかしそれだけ考え方や行動は合理的で正確です。
一例としてドイツには『総合感冒薬』がありません。風邪をひいて医者に行きますと頭痛の場合は痛み止め、咳がでれば咳止めの薬、鼻水しかり、発熱、関節の痛みなど症状に応じて各々の処方箋を書いてくれます。つまり総合という概念がないのです。この発想は職業、教育、宗教、建築、住宅様式などすべてに当てはまります。
大気汚染に敏感なドイツ人
環境先進国を自負するドイツ人の環境意識は実に徹底しています。世界で初めて廃棄物の循環経済法に基づくデュアルシステム(焼却を一切なくすことにありました。以前、酸性雨の影響でドイツの黒い森が枯れた時、緑の党が生まれました。モミの木は神聖な樹木としてドイツ人の魂に深く関わっているのです。ダイオキシン排出規制基準をいちはやくクリアするその対応の早さは、戸外のフレッシュな空気を常に重視し、散歩を好むドイツ人の国民性からきています。
さてドイツのエネルギー事情は、石炭、天然ガス、原子力、水力など自給率は42.4%(1994年)と安定しています。石油需要は1995年実績で1億3580万トンに及んでいます。石油製品輸入比率は20%と欧州では最も高く、ガソリンスタンド数は1万7660ヶ所の水準にとどまっています。SSのセルフ化は96.2%と高水準です。
ドイツ大手化学企業のバイエル、BASF、ヘキストのご三家は、徹底した合理化で高収益を上げています。海外投資も活発です。ベンツ、BMW、VWに代表される自動車産業先進国ドイツの自動車保有台数は4766万台に達しています。ドイツ全国を網羅する走行距離1万1千キロのアウトバーンは、中央ヨーロッパ道路交通網の大動脈として、年間5000万台の車が通過しています。最近はチェコ、ポーランドなど東欧圏から来た車の交通が目立ちます。面白いことに夏のバカンス時期に入りますとオランダからキャンピングカーを引っ張った車の流れが延々と続きます。しかし彼らはドイツを通過するだけで休暇の目的地は殆どオーストリアです。アウトバーン料金はもちろん無料です。 [Head Linesに戻る]
