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山域としての秩父は、山梨県から長野県にまたがる非常に広い範囲を指し示すのであるが、住む人々の生活圏からみれば、この山は秩父の最奥に位置していることになるのだろう。 バスは赤平川に沿って登っていく。整備の進んだ国道から、集落のある旧道に入ると河床スレスレを走る狭い道路であった。使われなくなったつり橋が道路の上で川を渡り、新道も高いところを橋で超えている。 新道に戻ると、巨大な電力の開閉所が現れ、山間をいききする高圧線がここに収束している。秩父の山々は、大都市東京に電力を供給する背骨ともなっている。 その背骨を作る石灰岩のほうも都市を作るために消費されていくのである。 川は蛇行しているが、先ほどよりいくらか川幅が広がってきた。納宮からは、両神山への登山コースがあるのだが、バスから降りる人はいなかった。バス停の脇には、集中豪雨によって登山道は通行止めと書かれていた。 前方には二子山が見えてくる。石灰岩の特徴的な山容の双峰だけに一目でこれが目的の山だとわかる。 荒川の一源流をさかのぼるバス旅も、30分で終わり坂本についた。 登山道に繋がるコンクリートの車道を登っていく。車道は一軒屋で終わり、歩道に変わった。沢に沿って登っていく植林中の平凡な歩道であるが、木立の天井にはこれから登る白っぽい峰が見えている。 車道に出た。国道299号である。登人という民宿のすぐ先で分かれる林道に入ると、山の概要図が立てられていて、そのすぐ先には登山道の入口がある。この図によれば、高い方の西峰は標高1165m。 鞍部という言葉にピッタリの形をした股峠まではここから70分の道のりである。 バス停のところから登ってきた沢筋に再び出ると、さっそく道が崩壊している。沢におりて迂回した。沢を埋める石は白っぽい。かつて山頂付近の峰を形作って岩の一部であろう。水流を2分する二股に出た。 右側の北に向かっていく沢に沿って道は続いている。沢と平行して登っていくから勾配は、沢と同じで急だ。所々で崩壊していて、沢に降りた。 再び沢は二つに分かれている。今度は左側に進む。植林は終わりあたりは混合林に変わった。沢もだいぶ詰まってきた感じで峠は近そうだ。スイッチバックしながら登る急な坂を終えると峠であった。 ここは風が通り涼しい。上の方から、岩峰を登る人たちの合図の声が聞えている。左右には西東2つの峰に向かう道が分かれ、直進は倉尾におりていく道である。 私はまず東峰側に少しだけ登り、峠からそそりたつ西峰の岩を眺めることにした。急傾斜の斜面を木に頼りながら登っていくと、樹林の切れたあたりに少しだけ広くなった平らな場所があった。 慎重に岩を乗り越えながら先端まで伝っていくと、もう前には何も邪魔するものはなくなる。足元の岩は峠まで切れていた。 高い紡錘形の岩が峠をはさんだ向かいにそびえたっている。時間もちょうど正午になったので、食事を作りながら、風景を楽しむことにした。 南側に目をやると、両神山の一帯のピーク群が対座しているのであるが、どこが山頂なのか判別できない。つづら折に登っていく車道が右端に見えているからその上が八丁峠であろう。 昼食をすませ、峠まで降り、こんどは西峰側に登る。すぐ上級者コースとの分岐があらわれる。どう考えても私は岩になれているとは思えないから、迷わず右を進んだ。小刻みにスイッチバックしながら登っていくと、 突然続きがなくなった。たよりの赤ペンキの印にしたがって岩を這い上ると稜線に出る。三角点のある山頂は細い岩尾根の上を少し西に行ったところにあるはずだが、まずは展望のよさそうな岩の上にたつことにした。 踏みあとにそってホールドを頼りによじ登ると、絶景が待っていた。
三角点のある頂上に立つと、岩を登ってくるパーティの姿が見える。登り終えた達成感を考えると一回やってみたい気もするが足が震えそうだ。西を見ると姿を失った叶山が見える。平らに削り取られた四角いスペースは風化していない 石灰岩のため純白である。 頂上からさらに西に向かって魚尾道峠に降りるルートを行こうか迷ったが、これから東京まで戻ることを考えると、4時30分のバスに乗れるように下りたい。こちらのルートは次の機会にまわすとして、時間の確実な往路をもどることにした。 股峠までは慎重に降りざるをえないので時間はかかったが、そこから先は一気下り、60分で林道まで出た。 | ||||||||||
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<地形図>万場(五万分の一). <交通機関>西武秩父線、西武秩父駅下車. 西武バスで小鹿野町役場前まで行き、坂本行きに乗り換える.終点坂本で下車する. | |
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