2004年4月


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書き忘れ
2004年4月3日(土)

先日「復活の日」を観て当時の周辺情報に
ついて記したのですが、一つ書き漏らしました。

当時の朝日新聞の映画評でのこと。
この映画の後半、生物の死にたえた野をゆく
草刈正雄が朽ちた教会に入り、崩れ落ちた
十字架のイエス像と対峙するシーンがある。
ここで、彼の思考が字幕スーパーで出て、
神に語りかける・・・という趣向があった。
これについて映画評で、「神との対話の
シーンは『陽気なドン・カミロ』を連想させる」
というようなことが書かれていたのである。

「陽気なドン・カミロ」とは、お若い人には
ご関心が無いかもしれないが、
ジュリアン・デュヴィヴィエ監督が1951年に
撮ったイタリア=フランス合作の映画。
この評を読んだ約10年後にレーザーディスク
でやっと観た。
イタリアの田舎町を舞台に、片や司祭、片や
共産党の地区委員長になった二人の幼馴染の
対立と騒動を描いたコメディ映画です。
この映画の中で、司祭がライバルとケンカを
しようと教会を飛び出そうとするたび、イエス像
が彼に語りかけて止める、という繰り返しが
該当部分とわかった。

で、そのまた10年後に「復活の日」を観たら、
これが違うんだなあ。草刈正雄は神様に問い
かけるんだけど、神様は答えず、近くに転がっ
てる死体が、彼に答えるんだよね。
まあ、深作欣二に「神の沈黙」というような
テーマがあるわけはない。しいて言えば
「死者は語りかける」というのが戦中派の彼の
思想でしょう。そういった意味では感慨深い場面
ではあったが。ここで20数年を経て朝日新聞に
ツッコミを入れたい。神様と人間が対話をして
いないので、「陽気なドン・カミロ」の趣向とは
異なるよ、と。

細かいことばかり言っているのは趣味が悪いけど。
いちおう、自らの青春の決算(?)のため書いて
みた次第。

ちなみに、続編の「ドン・カミロ頑張る」(1953年)
は未見です。

勝ち負けは無いが。
2004年4月4日(日)

人からタダ券をもらって、久々に映画館で映画を
観る。日比谷みゆき座で観たのは
「ラブ・アクチュアリー」。
なかなか面白い恋愛群像劇だった。

この映画の中で、コリン・ファース演じる作家の人が
傷心のまま南フランスの別荘に滞在する。
そこでのワンカットに眼が釘付け。田舎風の別荘で、
ドアを開けるカットがあるんだけど、木の扉に小さく
横を向いた天使の姿がくりぬかれているのである。
この意匠が可愛くて、最近国粋主義者の傾向を
強める私ではあるが、思わず「ま、負けた」と思った。

♪よろこびと ともに のみほそう この盃
2004年4月5日(月)

最近久しぶりに読み返したのが木原敏江さんの
「あ〜ら わが殿!」。
高名な作家さんではあるが私は作品との出合い
の機会があまり無くて、唯一保有している単行本
がコレ(全集の第1巻。89年購入)。

むかし読んだ時は「ふ〜ん」と思っただけだったが、
再読したら涙ぼろぼろ。こんなに良かったか...。

旧制中学を舞台に、日本で初めて共学クラスで学ぶ
ことになった男女生徒たちの騒動とラブロマンスを
描いた作品。主役の女の子が男の子を好きになるが、
彼は年上の女の先生に夢中。しかし先生は別の
生徒と学校を去ることになる・・・という展開。

非常に非常に驚いたのは、クライマックスシーン。
主役の男の子が汽車に乗り去っていく先生を追って
馬を走らす場面と、学校で上演されている劇を
カット・バックで描いた数ページ。
上演されているのは「椿姫」で、例の有名な
「乾杯の歌」が流れている、という設定。
音楽の教科書にものっている曲であり、
メロディを知らぬ人はいないだろう。

読むこちらは、脳内でこの音楽を再生しながら読むこと
になる。で、このカット・バックとメロディの絶妙の合い
具合に驚く。
その華やかさとはかなさ。その鮮やかさとせつなさ。
なんという達成だろうか。お見事。

文章で再現する術は無いが、あんまり感激したので
ここに書き記しておきます。

2004年4月6日(火)

NHK−BS2で春休みのアニメ特番があって、
手塚治虫原作の映画を二本観た。
「ジャングル大帝」と「海のトリトン」。

「ジャングル大帝」は7,8年前に松竹で封切られた
手塚プロの作品。おそらく、ディズニー「ライオン・
キング」へのカウンターパンチとして製作された
ものと推測されるが、「動き」(アニメート)が
今ひとつだった。でも、ヒゲオヤジ役の富田耕生
さんの声には感動した。

「海のトリトン」は、手塚原作とはかなり異なる
らしいが・・・。
昔のTVアニメの再編集版で、たしか前半部分は
1979年の「ヤマトフェスティバル」で観た覚えが
ある。後半は劇場公開されず、近年DVDで発売
されたらしいが、こういうものを見せてもらえると
NHKに受信料を払っている甲斐があるというもの
だろう。
「海のトリトン」はTVでは断片的にしか観ておらず、
今回、「こういう話だったのか・・・」と感慨に
ひたった。
今現在のアニメ画面に比べ、相当にワイルドな
線画が圧倒的な魅力。声優さんの熱演も併せ
ぐいぐいと話に引き込まれる。各エピソードの
結末だけをつなぎ合わせたような構成が単調
だけれども、原シリーズの魅力の一端には
ふれさせてもらったような気がする。
あの、説教しまくる白いイルカ、好きだったん
だよ。まつげが長くて。声は北浜晴子さん。
「奥様は魔女」のサマンサの人ね。

それにしても、「春休み」と「アニメ」という
取り合わせは、何か相性が良いように感じら
れる。なぜだろうか。
それは、宿題の無さに通じる精神の自由さか。

2004年4月7日(水)

ここ数年来、やむことのない「人気まんが」の
再編集による商売。
新しいファンを生む効果は認めつつも
「あこぎやなあ・・・」と書店やコンビニの店頭で
天を仰ぐ。

大和和紀さんの特集本「Dream」をスーパーの
雑誌売り場でぱらぱらと見ました。
うーん。例えば「月刊ガラスの仮面」は白泉社
らしいマニアックな編集が「笑芸」として成立
していたが、講談社さんのこの本は、どうにも
中途半端な感じだなあ。
でも、萩尾望都さんとの対談で、若き日の一瞬の
邂逅が語られるところと、「小夜の縫うゆかた」が
B5判で読める!ところは良いと言えましょう。
次号はくらもちふさこさんが登場とのこと。

それより、若木の単行本を復刻してほしいんだけど
なア。それがマイDream。

「マイ・ダイヤモンド」〜「ロマンチックLOVE」編
2004年4月15日(木)

講談社文庫から出た

「マイ・ダイヤモンド」

という少女まんがアンソロジー本ですが、

「ロマンチックLOVE」編と「ドラマチックLOVE」編の
二冊(来月はまた第三集が出るらしい)のうち
好きな作家さんの作品が載っている
「ロマンチックLOVE」編を買いました。

収録作品9編について、読んでのコメントを。
(著者/初出年)

■500番目はだれだ!?(山本鈴美香/72年)

作品が面白いこともさることながら、本年3月の日付の
山本先生のメッセージが記されていることが驚きです。
いや、別に相手も人間なのだから、文を書かれたからと
言って驚くことも無いのですが。構えすぎですみません。

■ねむり草の夢(大和和紀/76年)

これは「大和和紀自選集1」で何度も読んでいるので
あまり有り難味がないかな・・・。すきですが。

■この娘に愛のおめぐみを(大矢ちき/74年)

作者メッセージとして、この作品がきっかけでパズル作家
への道を歩むことになったと書かれているが・・・
私は、その『ぴあ』のパズルで「おおやちき」と出あった
クチでした。ず〜っと後でまんが作品を読んで
「こんな凄いのを描いていたのか!」とスゴく驚きました。

■この秋のおわりに(篠崎まこと/75年)

いやいや、篠崎まこと先生は好きで『りぼん』マスコット
コミックは全部持っていますが、この作品が極めつけの
代表作でしょう。

■6月の神話(高橋亮子/84年)

私も本格的に高橋亮子さん作品を読み始めて日が浅い
ので、ここではコメントは差し控えておきまする。

■とびきりとばしてミッドナイト(塩森恵子/79年)

これは、CHARの曲タイトルをもじって

♪気絶するほど懐かしい

と言うべき一編。
初出を見ると、『マーガレット』1979年の秋頃の
ようだが、私はこの作品、
「塾に行く前にI駅前の本屋で立ち読みで」
読んでます。本屋の屋号は一心堂(今もある)。
作中に落書きで所ジョージの「東京ナイト&デイ」
(という曲があった)の歌詞が書いてある・・・
後頭部を鈍器で殴られたような衝撃です。

■わたしはしじみ!(最終回)(土田よしこ/75年)

版元が講談社なのに、なぜか『りぼん』作品の掲載が
多い不思議な本だ。
これは、「旧作を大事にしない集英社への抗議」 と
とらえるのが自然だろう。講談社には心ある編集者が
いるらしい (すべて推測)。

■こんにちは男の子(いがらしゆみこ/73年)

何度も書くが、この、「いがらしゆみこ」という人の
執筆パワー(表現衝動?)との強さには
出合う度に圧倒される。決して好きではないのだが、
つくづく「まんが家」であるなあ、と思う。

■40−0(フォーティ・ラブ)(樹村みのり/77年)

文庫だとどうだろう、と思ったが縮小してもゴチャゴチャに
ならないスッキリ具合に思わず平伏。
以下、くだらないことを書きます。
主人公の二人は年齢が10ぐらい違う。10歳違いとする。
そう仮定して最後のシーン。
妻の「大人と言われる年齢」=30歳とすると、
夫は40歳になっており、それで
「フォーティ・ラブ」(40歳の愛)というタイトルなので
しょうか。
KMさんのファンの方には読ませられない説だね、
これは。


「ドラマチックLOVE」編は、古本屋に出たら、
読むことにします。

私が命を賭けたもの
2004年4月16日(金)

「亡くして判る大切さ」という、あまりにも語り
つくされたテーゼを痛感。
まんが家の横山光輝氏がお亡くなりになり
ました。ご冥福をお祈りいたします。

我が家には横山作品は一冊も無いし、この日記で
「横山光輝」という名前を書いたことも一度もない。
まんが作品は「バビル2世」しか読んでいない
でしょう。「マーズ」を連載初期に、あとは学年誌
連載の暗い未来世界を描いたSFものぐらい
しか雑誌で読んだことはない。
でも、多くの人と同様に、TVでの映像作品には
親しんでました。「魔法使いサリー」「バビル2世」
特撮もので「仮面の忍者赤影」。アニメの「鉄人
28号」は年代が違うし、白黒なのであまり再放送
されておらず見ていない。

特撮番組で、私が最も好きだった番組
「ジャイアントロボ」は横山作品。
ああ、「ジャイアントロボ」!!
思えば、大学映研で監督した8ミリ映画で、私は、

「『ジャイアントロボ』を見たいが為に危険を冒して
命を落とす青年」

を描いていたのだった。

それは私だ!

無意識のうちに表現していた人生テーマ。
ああ(←くどい)、私はこんなにも「ジャイアントロボ」
を愛していたのだった。
ありがとう横山先生、私にも愛の感情はあったのでした。
それを気付かせてくれたのは・・・(絶句)

♪ビルの街に
2004年4月17日(土)

忙しくて書けなかったのですが、4/7から
始まっている新作アニメ

「鉄人28号」

は良いです。水曜の深夜1:30からの放映で
既に2話を見ていますが、初対面の第1話には
心が震えました。

多忙な現代人の皆様に対して「見ろ」とは
強制できませんが、オープニング・タイトルが
素晴らしいので冒頭の1分間だけでも一度は
見てほしいな〜なんて思います。
OP曲は、昔の有名な主題歌を編曲したもの。
「すすめ!パイレーツ」が初めて巻頭カラーに
なったときに、冒頭で歌われた曲ですね。
ジャンプで読んだ時のことが思い起こされます。

気付かず
2004年4月18日(日)

テレビ朝日の土曜早朝に「エースをねらえ!」の
再放送が行なわれていることに気付きませんで
した。4:55っていうのは・・・。1月からやっていた
そうだが、そうか、ドラマやってたしね。ドラマは
一度だけ断片的に見たけれど、コーチ役の
内野聖陽が良かった、という印象のみ。
テニスできない人にテニスのドラマやらせるのも
どうか、と思った。

ちなみに宗方コーチは「むなかた」コーチな訳だが、
昨年NHKBSで小津安二郎監督の「宗方姉妹」
を観たら、これは「むねかた」きょうだい、であった。
別にいいんですけど。

ともあれ、放映されている以上は一度は見るのが
礼儀であろう、ということで昨日のをビデオに録って
みると

第13話「すき!すき!すき!藤堂さん」

でした。
見て行くと、画面の上の方に「浦和 晴れ」みたいな
天気予報が出る。しかし、そんなものは何の障害にも
ならず、25分間どっぷり作品世界に没入してしまい
ました。おそるべきパワー。その素晴らしさを語るには
あまりにも時間が無い。一言だけ言うとしたら、これ
だけでしょう。「わが青春に悔いなし」。

2004年4月19日(月)

珍しくベストセラー本を読む。
養老孟司「バカの壁」(新潮新書)
人から借りた。

で、感想はと言うと、難しくてよく判らなかった。
置いてけぼり感。
しかし、人は、この本に何を求めて殺到したの
だろうか。

ちなみに養老孟司という人については映画
「ガメラ2/レギオン襲来」においてレギオンの
死骸を解剖する医師の役で出演していた・・・
という知識しかない。ニヤリと不敵に笑う演技が
良かった。

サムライ
2004年4月20日(火)

下ネタですみません。

「歩きながら」携帯メールをやっている人、という
のはもう珍しくない眺めなのだが、今日、手洗いで

「小用を足しながら」携帯メールをやっている人

を目撃。 

ジュリー(沢田研二)の往年のヒット曲の

♪片手に ピストル〜

というフレーズが頭に浮かんだ。
しかし、そんなに「手が離せない」ほど大事なメール
のやり取りが恒常的にある人って大変ですね。

二つの構想
2004年4月21日(水)

来週末封切りの映画

「スクール・オブ・ロック」

は、この前映画館で予告編を観たけど
面白そう。

と、いうか悔しいなあ。


この映画は「ロックンローラー先生」の話だけれど、
私は昔から「“おたく”の先生」の話をやりたいなあ、
と構想をあたためていたので。まあ誰でも
考え付きそうな話だが。

例えば。「いじめ」のはびこる荒れた学園に
おたく先生が赴任。彼は生徒達にアニメや特撮の
素晴らしさを教え、文化祭ではクラスで自主制作
アニメを作成することに。厳しいスケジュールと
困難な作画・動画作成作業において不良たちや
殻に閉じこもっていた女生徒が創作の喜びを知る。
そして文化祭当日、そのアニメが圧倒的な好評を
もって迎えられ、先生と生徒は熱い抱擁をかわす
のであった・・・という感動編。

でも、先を越されてしまったので、もういいや。


もう一つ構想があって、こっちは家族劇。

企画書を提出するならば、冒頭にこう書きます
「少年のひと夏の経験と成長を描くドラマ」
と。

こんな話。主人公の少年(小学生かな)は、両親の
都合で、夏休みを伯父さんの家で過すことになる。
行ってみると伯父さんは独身でアニメや映画の
好きなスーパー・オタクだった。少年は伯父さんの
徹底的な指導により、オタク的な才能を開花させる
ことになる。夏休みが終わり実家に帰って来た
少年はすっかり目つきの変わったオタクになって
いた。両親は「これも運命だろう」と息子から
申し出のあった同人イベント参加申込書の
「保護者欄」に印鑑を押すのだった・・・。

いちおう作品テーマとしては、「洗脳の恐怖」
「親族といえども油断はならない」という
ネガティブ・テーマと、結局子供は親の意向に
反して自分の道を行くのだ、というポジティブ・
テーマの両面から迫っています。


ほかにも怪しい企画はいくつか胸に秘めて
いるので、またの機会に。

スクール・オブ・・・
2004年4月22日(木)

さて、現実の世界で「おたく」の先生に出会った
ことはないのですが、「準おたく」の人ならば一人
いました。
高校の物理のS先生。

この人は、私が所属していた映画研究部の
顧問の先生でした。もっとも、顧問といっても
何一つ口出し・顔出しすることはなかったが。
そもそもこの映画研究部というのが奇妙な
存在で、通常考えられる部活の形態とは
いちじるしく異なっていた。そもそも、まず
S先生が保有していた(私物の)8ミリカメラ
と映写機があって、これを借りて文化祭で
映画を作る、という行為だけのクラブだった。
よって、それ以外の活動は何も無く、
上下間のつながりもなかった。
高校2年の映画好きの人間がS先生の
機材を借りて映画をつくる、というだけ。

今考えると、自分の私物を勝手に使わせて
いたS先生も太っ腹というか、何も考えて
ないというか。

ここでS先生の風体を記述してみる。
トータル・イメージとしては、藤子不二雄の
「ジャングル黒べえ」に出ていた
パオパオ というキャラに似ていた。
眼が小さくて、ほどんどしゃべらない。
あの頃、何歳ぐらいだったんだろう。
30代後半? 頭髪はゴマシオで、不精ヒゲ
も白髪混じり。いつも白衣。古臭い眼鏡。
ボソボソ小さい声で話す。

1年の時は地学を教わって、3年の時は
本職の物理を教わった。物理では、勉強
しなかったので0点をとったことがあったが、
超やさしい追試で救っていただいた。
ありがたい。

この先生で本当に「ありがた」かったのは、
以下の出来事だった。

1年の地学の時。この先生はボソボソ小さい
声で、冗談や無駄話を言うこともなく淡々と
板書しまくって授業を終える、というのが
常だったが、ある時。物理室へ来いというので
何か実験かな?と思って行くと、

「今日は映画を観ます」

と言う。
クラス一同、彼の平常の行動からかけ離れた
宣言に凍りつくが、8ミリ映写機とスクリーンが
セットされ、映画が上映された。

「キートンの鍛冶屋」

という短編だった。
全てが謎だった。突然映画を見せたのは何故。
キートンの映画なのは何故。何故貴方がそれ
を持っている。

ともあれ、映画は面白く、場内爆笑・・・とは
いかないまでも結構好評?な空気のうちに
その時間は終わった。
それ以降、映画はなく、生徒が要求することも
なく、「それはなかった」かのように地学の
一年は終わった。

余談ではあるが、これでキートンが気に入った
私は大学に入ると上映会をまわって当時日本
で観れた作品はほとんど見たと思う。
かような影響を生徒の一人に及ぼしたことを
彼は知る由もないだろう。
昨年(2003年)の年末にNHK BS-2で
キートンの短編が何本かまとめて放映された。
これも勿論見た(近年発掘されたもの含む)。

ちなみにS先生は私が三年の時にどうも
ご結婚されたそうで(自分でハッキリ言わ
ないので聞いただけ)、そういえばある時期
から表情が明るくなったような気がする。
準おたくに幸あれ!と願ったのは、自分の
将来を見越してのことだったか。

物理室は、私なりものの発祥の地の一つ
ともいえましょう。そうでもないかな。

シンニュウ・シャインに会った日の私的な考察
2004年4月23日(金)

いま勤めているところで、新入社員が研修を
終えての部署配属があったようで、ぞろぞろ
とやってきた。20人の若者が、つぎつぎに
挨拶をおこなっていく。

「持ち前の明るさで頑張ります」
「一日も早く戦力になりたいと思います」
「とても緊張しています」
「特技は野球です」
「元気だけがとりえです」
「わからないことばかりですがご指導下さい」
etc

17年前に某所でこんなことしたなー。
私は山口瞳でも開高健でもないので 
新入社員に贈る言葉はないんだけど
一つだけ言えるとしたら、自分の私生活は
大事にしてください ということだけだな。

今でも非常に悔やまれるのだが、私は
会社に入るや非常に忙しく、月の残業が
恒常的に150時間という生活に突入して
しまい、時間の無さから それまでの『りぼん』
『りぼんオリジナル』『アニメージュ』の購読
を中止してしまった。いまにして思うと、
ここで自らのアイデンティティを放棄して
しまったことが後半生の混迷につながっている
ものと断言できる。

人生にはいくつかの節目があるが、自分の
大事なものだけは捨てないでね。
淳子のお願い(※)。


※桜田淳子ちゃんが風邪薬?のCMで
可愛く発声していた名フレーズ。
今年の新入社員は知る由も無かろう。

ジャッジメント・タイム
2004年4月24日(土)

あまり書きたくないことだが先日、映画監督の
今関あきよし氏が児童買春禁止法違反の疑いで
逮捕、という新聞記事を見て何とも言えない
暗い気持ちになった。「何とも言えない」のなら
黙っていればいいのだが、一言。
今関氏は私が8ミリ映画を撮り始めた高校の頃は
「自主映画界」では非常に有名な人物であった。
少女を主人公にした映画を制作しており、私も
池袋だったか、で自主映画上映会で作品を見た
覚えがある。でもって私が大学入った次の年には
「アイコ16歳」という作品で商業映画デビュー
している。この映画、けっこう評価が高かった
らしいが、私は期待していたけどなんかピンと来な
かった。特別好きな監督ではないが、なんとなく
「8ミリ映画出身」の監督は無条件で応援して
いるので、そういう人が、という。。。 しかし
「映画を撮ろう」なんて思う人はだいたい心の
ダークサイドを抱えているけど。それにしてもな〜。
どんより。

♪水平線の向こうには あああ
2004年4月25日(日)

図書館でこの本を見かけて、読んでみた。

古澤 由子 「『海のトリトン』の彼方へ」
風塵社、 1994年刊

このあいだ「海のトリトン」のダイジェスト版
映画を観たばかりなので、なんとなく興味を
もって。
著者の人は「海のトリトン」の初放映を小学生で
見た、ということなので同年輩と推測される。

さて、この本を読んで思ったのは、
「うーん、困ったなア」
ということである。

著者は略歴によるとどうも文学研究者?
のようなのだが、文学作品や哲学書の類が
バリバリに引用されている。あまりにも頭脳が
ハイブラウで、言わんとすることがよくわからない。

たまに眼にすることだが、何か自分の好きな
ものを好きでありすぎるがゆえに 余りに
高次元なものと並べてしまう、というパターン
があり、どうもこの本はそれに連なるものの
ように感じられる。

例えば、数年前にもある研究者が
今村昌平とドストエフスキーの比較研究の
本を出したが、
「そもそも比較に意味があるのか?」
という批判を浴びたことがあった。

“自分じゅうぶん”の場所に引っ張り込んで
称揚する、というのは避けたいパターンだ。


私も時間(と文章力)があれば
「風のピュンピュン丸」
の研究本でも書いてみたいものだが、
その深い愛ゆえに、おそらくバランスを
逸して失敗することだろう。強い主観を表現
するための客観の力を身に付けたいもので
ある。

道半ば
2004年4月26日(月)

絶版書籍を投票により復刊させようというサイト
復刊ドットコムにおいて

「千明初美傑作集 全3巻」

の投票数が50になりました!!
目標の100の半分まで来たことになりまする。

引き続き、元りぼん読者の諸氏諸嬢に投票を
お願いする次第であります。

みどりの季節
2004年4月27日(火)

新緑が美しい時期となりました。
あさって4月29日は国民の休日「みどりの日」
です。

さて、「みどり」と聞くと脳内でオーディオ再生が
開始されるのが、
TVアニメ「山ねずみロッキーチャック」
のオープニング曲「緑のひだまり」である。

♪緑が森の ひだまりは 
かくれんぼするのに よいところ

で始まる主題歌はあまりにも有名。
クールなコーラスがシビれる、名曲と言えましょう。
(作詞:中山千夏 作曲:宇野誠一郎)

二番の

♪金色めだまの ふくろうに
たち聞ききされても 知らないよ

というところが私は好きです。

かの「ハイジ」の前番組であったこの作品、
再放送の機会も少なく(ハイジが多すぎ)
ご存じない若い方も多かろう。
私が小学校3年生ぐらいの時の放映。
歌詞冒頭にある「緑が森」というのは
ロッキーたちが棲みつく地名です。

それから幾星霜、私は「緑が岡」(←やや仮名)と
いう名前の高校にすすむことになった。
当時私は

「ロッキーチャックの“緑が森”みたいだね!」

と、誰かと気持ちを共有したかったのだが、
あいにくと周囲にはアニメ嫌いの おたかく
とまった人が多くて、言い出す機会は無く。
この思念は以後数十年、私のポケットの
奥深く しまいこまれることとなった。


(↑某名作まんがのセリフを悪引用している
ことをお詫びいたします)

うさこちゃん
2004年4月28日(水)

4/3〜5/5、横浜駅東口のデパート、横浜そごう
で「ディック・ブルーナ展」をやっているが、
見ぬままに終わりそうだ。
横浜市内のブルーナ好きな方はお見逃しなき
よう。


さて、ブルーナの「ミッフィー」は私も大好きです。
むかしは「うさこちゃん」だった彼女が「ミッフィー」
と呼称が改まってメジャーステージに上がる様を
見守り続けてきました。

家では、かつて千趣会でブルーナの会みたいの
に入っていたので、ガラクタ・・・じゃなくて宝物が
そこらじゅうにあります。貯金箱、皿、時計、
タッパー、etc。しかし便座カバーとトイレマット
は、少々抵抗あり。可愛そうで。子供に対しては、
「汚さないようにしなきゃ」という意識を植え付け
る教育的効果が高いと推測されるが。


10年ぐらい前にTVのミニ番組「ブルーナ」
を必死に見ていた。

♪ミッフィー ミッフィー ミッフィーちゃん
みんな 大好き
長い耳と 丸い目が すてき
ミッフィー ミッフィー いっしょに
遊びましょう

という主題歌が良かったです。
見たエピソードで特に覚えてるのが三つ。

その1は、ミッフィーが自転車を乗りまわす
話。シチュエーションは忘れたが、
「ミッフィーは人生を楽しむ天才です」
というナレーションが入る。
私もそうなりたいものだ、と心から思う。

その2は、ミッフィーの飛行機乗りの
おじさんがやってきて、一緒にフライトする
話。ひとしきり楽しんだ後、おじさんは
飛行機で去っていくのだが、その背中に
ミッフィーのセリフが入る
「おじさま また いらしてね」。
実人生でこのセリフを聞くことはない。

その3「ミッフィーのゆめ」
これは有名な幻想的な一編。白ミッフィーと
茶色ミッフィーが夢の中で、空を飛んだり
雲に乗ったりして遊ぶ話。
キング牧師の「私は夢を見た」のスピーチ
で語られたような、人種差別反対の
寓意を秘めたエピソードなのだろう。


ミッフィーの欲しさに作った「あさひ銀行」の
通帳は今も手元に。「りそな銀行」になって
しまった今日であるけれど。

キャラクター
2004年4月29日(木・祝)

日本人は「キャラクター好き」であるといわれるが
私もご多分に漏れずキャラクター好きだ。


たとえば、身に付けているものでは
家の鍵に付いている「ゴマちゃん」の
キーホルダー。
携帯ストラップはディズニー「ピノキオ」の
金魚。スペアとして「ハム太郎」の
ストラップも有り。

家に帰ると、次々にキャラクター群が
目に入る。
【台所】
電灯の紐にぶらさがった黄色いクマ(ブルーナ)
のマスコット
壁にはピカチュウの封筒刺し。
冷蔵庫にはセーラービーナスのマグネット
炊飯器の横には「パンダコパンダ」「ハイジ」
のボトルキャップがごろごろ。
ピカチュウの栓抜き。
食器類ではハム太郎の皿。
ミッフィーの湯のみ・きゅうす。
スヌーピーのマグカップ。
オバQのフォーク。
ピカチュウのスプーン。
おジャ魔女どれみのティーカップ。
ハム太郎のペアワイングラス
【居間】
1/1(実物大)ピカチュウぬいぐるみ。
しおれている「ぷくぷく みんくる」。
ピカチュウの目覚まし時計。
ミッフィーの整理ボックス
キティちゃんの小物ボックス
ミッフィーのアルバム
オバQのボールペン
ピカチュウのボールペン
プリンセスチュチュの下敷き
ドキンちゃん(アンパンマンの)のマウスパッド


とは言うものの、一般的な日本人はまあこんな
感じでキャラクター商品に囲まれて生活している
だろう。特に私が特別なわけではない。

ピカチュウが多いように感じられるが、
風水では西の方に「黄色いもの」を
置くと良いらしいので、効用はありそうだ。

息継ぎせずに書く
2004年4月30日(金)

土曜早朝のアニメ「エースをねらえ!」再放送、
一回ぐらいは・・・と言いつつもう一回見てみた。
関東大会ではお蝶夫人とダブルスを組むように
言われたひろみが萎縮して思い悩む、の回
でした。お蝶夫人に突き放され、すっかり
落ち込んで夕暮れの街をさまよい歩くわけで
あります。この一景を見て、かつてローティーン
の頃にこの番組に没入した、当時は気付かな
かった理由の一端にふれたような気がしました。
ノンビリと学園生活を楽しもうと思っていた
主人公がイキナリ違うステージに放り込まれて
なんでなんでなんで?と悩みつつも周囲の
期待を受けつつ自分とはなんぞや?を
つかんでいくサマが、きわめて純度高く
描かれている。原作もそうであるわけだが、
このアニメでは出崎統の特長の「止め絵」
がバリバリに効果的だ。経済的な理由も
あるこの手法だが、張りつめた感情を
表現するにはこれしかない!というほど
ベストマッチ。70年代初頭には映画の
世界でも「ストップモーション」技法は
流行っていたようだが、この油絵的な
止め絵のモンタージュが達成した表現は
また一味違う。映画の「時間を批評する」
ような違和感とは異なり、感覚の延長として
五感を刺すものがある。
最近の綺麗にフォーマット化されたアニメ
では許されないワイルドな手法的冒険を
享受出来たことはかけがえのない幸福で
あったのだなあとしみじみと思われる。
これが先日書いた「わが青春に悔いなし」
の補足説明です。「昔はいいなあ」ではなく
現在の創作者たちのアドベンチャー精神に
期待を継続するものです。


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