2003年8月


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第三弾
2003年8月1日(金)

しばらく古い映画の話が続きましたが
そうしているうちにも、世の中は
動いており。


シリーズ第三弾、決定!

劇場版とっとこハム太郎 
ハムハムグランプリン
オーロラ谷の奇跡
リボンちゃん危機一髪!
http://www.hamutaro-movie.com/3rd/index.html

タイトルが長い・・・。「オーロラ谷の奇跡」
で良いのでしょうか。

いや、第二弾の「幻のプリンセス」が興行
的に“まあまあ”ぐらいだったということ
なので、今年はどうかな・・・とハラハラ
しながら半年を過してきましたが、
めでたい。

年末の風物詩で「第九を聴く」とか「くるみ
割り人形を観る」といったものがありますが、
ここのところは、映画館で大音量の
「ハム太郎っとっとこうた」を聴かないと
一年が終わった気にならないですからね。

あのうた、イントロがド派手で好きなんです。

苦渋の選択
2003年8月2日(土)

関東地方で梅雨明けが宣言されました。
平年より13日遅れとのこと。
13日といえば明日TVで『13デイズ』
というキューバ危機を描いた映画が放映
されますがこれは結構いいですよ。
という話ではなく、やっと暑くて夏らしい
日々になりそうです。


青い空を仰ぎ見ても、私の心は晴れない。
なぜか。

1月から見続けてきたTVアニメ『明日の
ナージャ』の視聴をストップしました。

日曜の朝8:30、四年間続いた名作
アニメ『おジャ魔女どれみ』シリーズの
後をうけて東映アニメーションがおくる
番組。前作のスタッフが制作とのことで
期待してみていたのですが。

半年たっても、なにかこう・・・うまく
行ってない感じなんですよね。ちょっと、
つきあいきれなくなってしまいました。

孤児院で育てられた少女、
母が遺したブローチに秘められた秘密、
旅芸人一座と20世紀初頭の欧州各国を
放浪、旅先で出会う人たち、
etc、
いろいろな要素が揃っているのだけれど、
ことごとく空転している。
映画評論家の双葉十三郎さん風に言えば

“心”が無い

という一言に集約されるような気がする。

難しいなあ。

SS(SuperS)終了
2003年8月3日(日)

一週間遅れの記述になりますが、
テレビ朝日の日曜朝6:30から再放送
されていた
「美少女戦士セーラームーンSS」
が、7/27で終了しました。

最終回、敵の親玉ネヘレニアがとうとう
暗黒世界から出てきて、おいおい、
あと20分しかないんだから もう
どうしようもないだろ、と思ったら
案の定あっさり退散してしまって
拍子抜けしました。しかしさすがに声が
榊原良子さんで、この人は破滅の悲壮美、
みたいなものを表現すると抜群。その点
では堪能しました。

残念だったのは、(当然ではあるのですが)
本シリーズ前半を盛り上げたオカマ軍団、
“アマゾン・トリオ”に何の言及もなかった
ことです。好きだったんだけどな、彼ら。


セーラームーンは秋(10月か)から
実写版が放映されるとのこと。
チャーリーズエンジェル並みに戦闘して
くれるといいが・・・かなりコワイ気が
する。『プレイガール』みたいに
ならないことを祈る。見るのか?俺。

横浜ローカルの話です。
2003年8月4日(月)

この日記で
「○○という映画を見逃しているので
見たい」
などと書くと、その翌月にTVで放映され
たりすることが、意外と良くあります。


この間、見逃し映画を何本か記述した中で

『裸の大将』(1958年/堀川弘通監督)

も挙げたのですが、これが近所で上映される
こととなりました!

伊勢佐木町にある横浜松坂屋の催事場で
“山下清展”をやっているのですが、
その関連企画として8/9・10に、同じデパート
内にある映画館で特別上映されることに
なったのです。

ビデオも廃盤で、近年上映されることも
少ない映画なのでありがたいことです。
脚本を書いた名シナリオライターの
水木洋子さんが今年の4月に亡くなられた
ので、その追悼の意味でも観て来ます。

『小林旭読本』
2003年8月5日(火)

去年(2002年)の春に発売された本で、読もう
読もうと思いつつ一年半たってしまった

『キネ旬ムック
小林旭読本
歌う大スターの伝説』
責任編集 小林信彦+大瀧詠一
キネマ旬報社 2002年3月20日発行

図書館で借りて、やっと読みました。

たしか小林・大瀧コンビで小林旭の本を
出す、とう話は私が大学に入ったころ
・・・1983年頃か・・・からあり、
20年待たされた。やや遅きに逸したの
感もあり。
小林信彦の書いた部分は、すでに氏の他の
著作で読んだような内容で目新しさは
ありませんでしたが・・・


大瀧詠一の執筆した

「アキラ節の世界」(p.146〜181)

という35頁ほどの文章には瞠目!

小林旭の音楽活動を、クリエイターと
パフォーマーの両面から、丹念に論述
した文章で、ものすごく啓蒙されました。

「ダイナマイトが百五十屯」を
「スーダラ節」と並ぶ
≪明治近代から現代までの最高の楽曲≫
と評価。また

映画スターとして語られることが多いアキラ
を、≪映画と歌≫は五分と五分で、その密着
度はエルビス以上のものがある

との指摘など、実証的な文章で、ハッタリ
ではない説得力を持っています。
個人的には「ギターを持った渡り鳥」に
ついてふれた

> 長調のメロディでこれほど泣かせることの
> 出来る歌手は日本では三橋(美智也)と
> アキラの二人だけである。
> (特に「一人ぼっちの〜」のところからは
> 涙なしでは聞けない)

という記述には大いに共感しました。


また、この本では

小林旭は演技力がある

ということにも力点が置かれていて、
これまた大いに共感しました。

そういえば、今まで誰も「下手だ」とは
言っていないけれど、「上手い」とは
発言していなかったんだよね。
今さらの感はありますが、大いに強調したい
と思います。


小林旭には直接関係無いのですが、
驚きの事実を一つ知りました。

この本には詳細な“小林旭全出演作リスト”
があって、各作品のスタッフ・キャストが
記載されているのですが、意外な名前が。

1964年12月19日(私の誕生2週間前だ)に
公開された『ギター抱えたひとり旅』は
“ギャンブラー”シリーズの第三弾。
ヒロインは松原智恵子さんなのですが
バレリーナという設定で、映画中で
彼女が参加する牧阿佐美バレエ団の公演
「胡桃割り人形」でクララ役を踊っている
のは

森下洋子さん

なのだそうです! おお!!

まあ別に絡みはないのでしょうが、

森下洋子 Meets 小林旭.

というのは凄い。この映画是非みたい。
どうやらビデオは出ていないようだ。
牧阿佐美バレエ団に頼んだら観れるか?


森下洋子さまは1948年12月7日生まれなので、
この映画の公開時点では16歳か。

自伝本『バレリーナの情熱』で読んだのだ
と思いますが、少女時代は雑誌のグラビア
とか色々が仕事があって、「白鳥の湖」ふう
の写真を撮るため湖のほとりでバレエ衣装の
まま待機しているとき あまりの寒さに
凍えた、というようなことを書かれていま
した。
いろいろたいへんだったのですね。

図書館映画
2003年8月6日(水)

図書館の書棚でたまたま見つけたのですが

『図書館映画と映画文献』
飯島朋子著・2001年8月10日発行
日本図書刊行会発行・近代文芸社発売

という本を興味深く読みました。
1999年に刊行された『映画のなかの図書館』
という本の改訂版だそうで、書名の通りに
“図書館”が登場する映画をリストアップ
し、代表的な作品には解説なども付いている
という本です。メーリングリストの情報も
もとにしているとのことですが、すごく
細かく調べられていて驚きました。

世の中には、“聖書の文句が出てくる映画”
とか、“マザーグースから引用されている
映画”を徹底的に調べている研究者・団体
などもあるようですが、“図書館”っていう
のが渋くてイイですね。気にしている司書の
方とかも細かそうだし、より詳細な研究が
期待されます。

私個人が“図書館が登場する映画”を挙げろ
と言われたら、パッと浮かぶのは
『大統領の陰謀』
『フィラデルフィア』
『君は僕をスキになる』
『耳をすませば』
『LoveLetter』
ぐらいかな・・・。もちろんこの本には
載っている。

読んで「ああ、そうか〜」と思ったことは
多々あり。

有名作品でも意外と覚えていない。
例えば『ある愛の詩』で主役の二人が
出会うのが図書館のカウンターだ、と。
そう言われればそうだったような気もする。

アニメ映画
『ペンギンズ・メモリー/幸福物語』
この映画けっこう好きなんだけど、
主人公(声:佐藤浩市)が図書館員だ
なんてすっかり忘れてた。彼は戦争で
心身ともに傷つき、旅に出て立ち寄った
町の図書館の職員になる。そんなに
簡単になれるかよ、司書の求人なんて
ほとんど無いよ!・・・ということなかれ。
それは人間界のことで、これはペンギン
世界の話だから。

薬師丸ひろ子主演の『ねらわれた学園』
で、彼女が図書館で「超能力の謎」という
本を読むシーンがあるそうだ。
全く覚えていない・・・。

スタローン主演の『デモリションマン』
はSFアクション映画なのですが、
「シュワルツェネッガー記念図書館で
勉強したわ」なんてセリフがあったらしい!
細かいギャグが楽しめる映画だったけれど
これは気が付かなかった!

やっぱりこういうのはメーリングリスト
とかで多くの人の知恵を結集しないと
いけませんね。

東宝の特撮サスペンスもの
『ガス人間第1号』は、主人公が図書館員
らしい。未見なのでみてみたい。

大好きな映画の大好きなシーンが取り上げら
れていました。1945年のエリア・カザン監督
の映画『ブルックリン横丁』より、
主人公の女の子フランシーと、図書館司書の
間の会話。文学少女フランシーがバートンの
『憂愁の解剖』を借りようとすると・・・

「あなたが読むの?」
「はい」
「難しすぎない?」
「たぶん」
「なぜこの本を?」
「著者名目録Aから順番に読んでるんです。だから」
「図書館の本を全部読む気?」
「ええ」
「でもこの本は・・・」
「決めたんです。あらゆる事を知りたいから」
「分かったわ、でももう一冊お持ちなさいな。
“花の騎士道”面白いわよ。せっかくの休日だもの。
少しは息抜きしなきゃ。いいわね」
「ええ」


※『図書館映画と映画文献』p.64より引用

品川さん
2003年8月6日(水)

私は朝、京浜東北線の座席に座っていた。
今は夏休み。
私の前に二人の快活な少女が立っている。
聞いているわけではないが、大きい声なので
いやでも会話が聞こえる。彼女たちは小学
5年生らしい。
社内にアナウンスが流れる

「次は〜 品川〜 しながわです〜」

それを聞いた彼女たち
「そういえば、クラスにしながわサンって
いるじゃん」
「うん」
「カノジョねえ、4年生の時○○くんに
コクられたんだって」
(年配者向け注:コクる=恋を告白する)
「へぇー」
「でも、○○くんに△△さん(女)が
コクっちゃって〜」
「はぁー」
「で、三角関係なんだって〜」

電車は品川駅に到着。私は下車、彼女たちは
着席した。ゆえに、三角関係の行末は知らない。


甥っ子が来年4年生だ。
彼が、コクるのか、コクられるのか。
その時、彼の父(私の兄)の反応は。

今後、品川駅を通り過ぎるたびに
考えてしまうだろう。

『うる星やつら2』だっちゃ
2003年8月7日(木)

NHK−BS2で朝、“夏休みアニメ特集”
みたいな感じで「うる星やつら」映画を連日
放映してました。で、DVD発売されたけど
買えずに悔しい思いをしていた

『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』

を録画して観ました。

1984年の封切の時に劇場に二度足を運んで
観た傑作映画ですが、久しぶりに観返しての
感想は・・・

やっぱり良い映画でした。

私たちはその後、この押井守監督の
『機動警察パトレイバー2 the Movie』
というこれまた素晴らしい映画も観ている
わけですが、

“夜道で『存在』を考える”

といった表現に相通じるものがあります。
それをSFラブコメやロボットもので
やってしまう大胆さは たいしたものです!


難を言えば、後半の“目覚めの連続”の部分が
ちょっと粗雑なのが残念なんだけど。

しかし、そこまでの“夢”のシーンは圧倒的に
刺激的です。
この「安全を確保された廃墟」というのが
非常に魅力的で、初見の時も思ったのですが
「こんな廃墟を魅力的と楽しんでしまう自分は
おかしいのではないか??」という感覚(登場
人物も同じ指摘をする)が、かなり観客を
撃ってきます。

こういう“批評的”な作品をつくるのは冒険
だろうに娯楽映画として成立してるのが凄いや。


いまさらながら、ラムちゃん役の平野文さんの
声はいいです。ルパン三世=山田康雄に匹敵
するような“代わりのいない”配役だと思います。
髪が緑色の声、といえましょう(説明不能)。


ちなみに昔、「・・・だっちゃ」というのは
山口県の方言、と聞いたので会社(当時)の
他部署の後輩(男)に山口県出身の人がいたので
「キミの田舎では皆ラムちゃんみたいな話し方を
するの?」
と聞いたところ
「そうですね」
と標準語で冷静に言われました。

みんくるのテーゼ
2003年8月7日(木)

以前に“予定”だけ書きましたが、東京都の
都バスホームページに「みんくる小学校」
が開校されました。

みんくる小学校 1時間目 歴史

都のお知らせで曰く−

交通局では大正13年に乗合自動車の営業を
開始してから、来年1月をもちまして80周年を
迎えます。これを記念してロゴマークを決定し、
下記の事業を実施いたします。
2 都バスホームページに「みんくる小学校」を
開校します(7月予定)
マスコットキャラクター 「みんくる」が都バスに
ついていろいろ教えてくれるコンテンツ

−だそうです。

みんくるがフワフワ飛んでいて、けっこう可愛い
です。背中の羽根は伊達ではない・・・

つまり 天使なんだよね、みんくる。

♪だけど いつか 気づくでしょう
その背中には
はるか 未来 目指すための
羽根があること

という、エヴァの主題歌「残酷な天使のテーゼ」
の歌詞が頭を巡ります。

♪窓辺から やがて 飛び立つ

行かないで。

<広島折り鶴放火事件>
2003年8月7日(木)

すみません。
新聞を真面目に読んでいないもので、
8月1日の朝に発生した、折り鶴放火事件に
ついて全く知りませんでした。まぬけ。

昨日8/6、新聞を読んで気付き、ネットの
新聞ニュースであらかた読みましたが・・・

これは
戦後58年を
全否定する
出来事です!

なにかこう、足元からひっくりかえされた
気持ちがします。

家の中で折り紙を探して、同居人と
鶴、折りました。

それしか出来ない。コメント不可能。

<広島折り鶴放火事件>2
2003年8月8日(金)

たとえばユダヤ人の大学生が、
ナチスの強制収容所跡へ行って
供えられた花にガソリン撒いて
火をつけ「大学の留年が決まって
むしゃくしゃしてやった」と言う
−というような事態がありえるか?

ありえない。

ありえないというか、ありえ
させないということでヨーロッパ
の市民レベルの戦後史は成立している。
(国家レベルは知らん)

残念なことに・・・
日本の戦後史は崩壊してしまった。

発想の原点を否定しちゃったわけだから。


今年は、戦場で爆弾拾ってきて空港で
爆発してしまったというのにも驚いたけど、

「どーゆーつもりよ?」 と問うと

「そーゆーつもりじゃなかった」 と答えが

かえってくるので、
二の句がつげない事件たちである。


本当の動機は、“挑発”なんだろうか?

「鶴がなんだバカヤロー、ただの紙
じゃねーか」

みたいな?

追悼するより行動せよ! みたいな
アジ行為なのか?

わからん。
ただ、「留年してムシャクシャ」より
救いのある動機のような気がする。
(実際には救いは無いが)


幼児によるイタズラ、ならまだしも、
22才の大学4年生っつーのがね。
心神喪失状態だったと言ってよ、って感じ。


私も若いとき燃やしたことあるけど・・・

家で飼ってた犬のヒゲ。

悪いことしたなあと思うが、ヒゲはまた
生えてくるから。と自己弁護。


でも、人のことばかり言ってるけど自分も

人の心に属する行為を踏みにじる

ことが、意識的にも、無意識にも
多々ある。


近所でやってた日曜学校から
「♪ハレル〜ヤ」
という歌声が聞こえてきたら、
それに向かって外から
「♪ブタゴ〜ヤ」
と叫んで走って逃げたり

ナガタ幼稚園の裏の墓地に
侵入して、墓石の上を土足で
渡り歩いたりとか

カミングアウト大会かよ!
でもどちらも小学生の時だ


ものごとの本当の意味を知るためには
一度壊さなきゃいけないもんなのかね。
この本来“ありえない”この事件も、
日本人を覚醒させる意味はあったのかも
しれない。痛みを受けた人にはスマンと
言いつつ。そう考えるしかないです。

底が抜けて、地面に着地したっていう感覚。
抜けた瞬間の衝撃は大きい。ムチウチ注意。

『少林サッカー』
2003年8月8日(金)

遅ればせながら、WOWOWで放映された
『少林サッカー』を観ました。
ワールドカップサッカーの頃公開されて
ヒットした香港映画で、日本のまんが
「アストロ球団」との相似などが話題に
なった(朝日新聞の映画記事でも指摘されて
いた)作品です。

私の感想を言うと、

「きっと学生の頃に観ていたら
夢中になっていただろう・・・」

というものです。夢中になれない自分が
寂しかったです。


表現の大げさな映画は「劇画的」と言われて
否定される風潮がありました。
80年代に大林宣彦とか金子修介が一生懸命
やっていて私はもうメチャメチャに支持して
いたんですが。世評は芳しくなく...。
例えば大林の『姉妹坂』冒頭のチャンバラ場面
とか、『水の旅人』の野球シーンなんかは、
バカバカしいまでに誇張された描写が好きだった
んですけど。

『少林サッカー』を観ると、監督が意図した
ニュアンスがちゃんと表現されているようで、
CG製作者と感覚が通じ合っているんだろう
な〜と推測されます。

以前は技術サイドと監督が意図しているもの
の間に齟齬があったように思え、そのギクシャク
したところも一つの味ではあったのですが。
まあ、いい時代になりました。


なんだけど、『少林サッカー』は、押しすぎで
途中から、正直言って飽きます。
最後の 地が裂ける必殺のシュートも、他の場面
と画調が一緒なのであんまり凄いと思わなかった。

と、文句を言っているようですが、
例えて言えば、
昔好きだったタイプの少女に会ったけど
俺はもうトシだよ、
というイジケというかクッタクなのかな。
ちょっと違うか。


フリーキックで敵の殺人シュートを受ける前に
キーパーが家族に携帯で最後の電話をかける−
という涙のギャグがあるんだけど、
これってTVアニメ『ギャラクシー・エンジェル』
の傑作エピソード「サインはブイヨン」の
バレー試合で、蘭花(ランファ)・フランボワーズ
が命を懸けた必殺(=放った者が死ぬ)サーブを
打つ前にダーリンへTelする場面に流用されて
ますね。


個人的には饅頭売りの女の子の初登場シーン、
粉を溶いている水面が陰陽道のマークになる
あたりの呼吸が大好きなんですが。
(あの子がもうちょっとうまく話にからんで
きたらもっと面白かったと思う)


荒唐無稽な表現が好き、という趣味は変わって
いないんだけど、強く支持する熱意が無くなって
しまっているので、やや冷静に見てしまったよう
です。さみしいね。

まんが・アニメの実写化
2003年8月9日(土)

きのう書いた『少林サッカー』は非常に
まんが的・アニメ的な画面を、CGを用いて
実写で表現した映画でした。

アメリカでは1989年にスーパーヒットした
『バットマン』以来コミックスの映画化
企画が続いて絶えることがありません。

その前に、1987年に『アンタッチャブル』が
大ヒットしていて、往年の人気TV番組の
映画化−という流れとともに、アメリカ映画の
一大潮流になっているようです。

この夏も『チャーリーズエンジェル』とか
『ハルク』とかやってるしね。


しからば、日本では。

人気TVシリーズがすぐに映画になる、って
いうのは多いけど、往年の・・・っていうのは
・・・あまり無い?
アメリカの流行をすぐ取り入れる日本にしては
珍しい。
しかし、例えば。
『七人の刑事』が映画化されて...見るかな?
『キイハンター』が映画化されて...見るかな?
というように、ちょっと事情が違うか。
『細うで繁盛記』なら見たいかも(わたし的には)。


ドラマはともかく、まんが・アニメの実写化は
たくさん企画があるそうだ。

『美少女戦士セーラームーン』
10月からTVドラマ化。

『忍者ハットリくん』
香取慎吾主演、映画。来年夏公開

『キューティーハニー』
サトエリ主演、とは聞いていたのだが
監督が庵野秀明と知り、驚いた!
でも どこかの掲示板で、
“お尻の大きな女の子でも良いのか?!”
という意見が書かれていました(笑)

『新造人間キャシャーン』
実写映画ですと。

こんなところが最近のニュースで見かけたものかな。
『鉄人28号』なんて話も。『アストロ・ボーイ』に
対抗なのか。
ハリウッドで『エヴァンゲリオン』っていうのも
本当なのかね。

ずいぶん前にSMAPの五人が扮した『ガッチャマン』
のCM(NTTだったか)が話題になったことが
あったけど、ショートフィルムならともかく、
1時間半をもたせられる監督っているのかな・・・。
期待と不安の比率は4:6といったところでしょうか。


そういえば江利チエミのサザエさんって見てないな。
星野知子のならチラッと見たけど。


1985年に金子修介監督(当時デビュー2年目)の
トークをあるイベントで聞いたんだけど、
その時に

「『ガンダム』をハリウッドで映画にしたい」

と熱く語っていました。
あれから20年近くたちますが、待ってます。
是非実現して下さい。

まんがの実写化への野望(Like Dreamers...)
2003年8月10日(日)

きのう、昨今のまんが・アニメの実写化に
冷ややかな意見を述べてしまいましたが、
実は私にも野望はありました(過去形)。

学生の時に8ミリで自主製作映画を撮って
「自分には映画をつくる才能は無いな〜」
ということは判ったけれど、
想像の世界で、
「映画監督になったらこんなの撮りたいな」
とお遊びで考えるのは面白いことでした。

俳優は誰それを起用して、カメラは誰それ−
といった、まあ、子供が「歌手になったらねえ・・・」
と夢想するようなレベル


で、私のやりたかった企画の一つが

大和和紀さん原作のまんが
「はいからさんが通る」の完全実写による映画化!!

だったのです。

当時すでにTVアニメにはなっていたのですが、
あえて実写でやりたかった理由は何か?

それはやっぱり、原作の大きな魅力である
大フィクション、“美貌の軍人と武闘系少女の
ラブロマンス”・・・というのを生身の人間の
ドラマで見てみたい、ということに尽きます。

原作は連載引き伸ばし(?)のためにバランスの
悪い作品になってしまいましたが、ライサさんを
出さずともロシア革命を後半のポイントに置いて
構成しなおして・・・などと勝手に考えていました。

失笑ものですが、想像上のスタッフは

撮影:成島東一郎、美術:戸田重昌
音楽:武満徹

→大島渚組のひとたちですね。大正時代を
表現できる、絶対の実力者の方々です。
とくに成島カメラマンのロシアのロケ映像は
見たい。

キャストはですね・・・

考えていたのは80年代初頭なのですが、
決めていたのは
伊集院忍=草刈正雄
忍の父=丹波哲郎
だけです。のちに南野陽子主演で東映映画
になった時、丹波氏はこの役を演じたそうです。
見てませんが。ちなみに少尉は阿部寛で、
やはりモデル出身の長身美男。わりと人間の
考えることって一緒なのかしら。

肝心の、花村紅緒は誰を想定していたかと言うと、
条件的には10代の女性なわけですが該当者が
いなくて。可愛いだけじゃダメ、武闘系少女で
ないと・・・なので。
かといって志穂美悦子では強いけど柄が違うし。
当時水野美紀がいれば・・・と言っても仕方ない。
結局、イメージキャストは秋吉久美子さんだった
わけです。好みに走ってすみません。もっとも、
彼女は1954年7月29日生まれなので(来年50・・・)
当時20台後半でありちょっと無理があったのですが。
ただ、
・怒ったら怖そう
・酒飲んだら人格変わりそう
・超美人ではないが男の人がほっとかなさそう
といった条件に合致していたので。
アクションは未知数でしたが、戦闘能力は高そう。

原作まんがは何度か読み返していますが、
このシーンはこう・・・、この人物はこう設定を
変えて・・・と、非常に自己満足的に脳内で
映像構築していました。

どうしようもない話ですみませんでした。


他にもまんがの実写映画化、というのはいくつか
“夢”として考えていたのですが、スッカリ忘れて
しまいました。何だったかな。

『750ライダー』なんかもそうだったか。
光と委員長で、委員長の名前は「久美子」。
するとやっぱり年齢はさておき彼女の役は・・・
[エンドレス]

「クルーズ・コントロール」
2003年8月11日(月)

世間的にはお盆休み、という時期になりました
が、「電車がすいてていいなあ」と感じるに
とどまっています。

クルージング気分でも味わいますか、ということ
で、録画してあった「スピード2」を観てみる
ことにしました。

大ヒットした「スピード」の続編で、公開当時
評判が芳しくなく、映画館ではパスした作品
です。

映画が始まると
「SPEED 2:CRUISE CONTROL」
とタイトルが出る。
「CRUISE CONTROL」というサブタイトルは
邦題に反映されていない。

サンドラ・ブロックはキアヌ・リーブスと別れた
設定になっていて、今度は別の警官とおつきあい
していた。
でもって、二人で豪華クルーズ行こうよ!と
出かけると、船が乗っ取られてさあ大変、と
いうお話。

犯人がウィレム・デフォーなんだけど、リストラ
されたシステム・エンジニアが自分が開発した
船舶システムをコントロールして会社に意趣返し
しようという趣向。
マッドなSEというのも「ジュラシック・パーク」
あたりからよく見るけど、ますます増えるかな?

前半はかったるくて、たしかに評判が悪かった
のもうなずける。中盤の船から客を脱出させよう
として、ボートが宙吊りになってバタバタする
くだりなんか状況描写も適当で段取りも悪く、
とてもハリウッドメジャー作品とは思えない
出来だけど、後半は面白い。

デカい客船がリゾート村に突っ込むのが
大きな見せ場で、かなり危険なスタントも
ある。けれど描写はサイレント喜劇風で、
物をぶっ壊す手順も、昔の映画を研究した
形跡が見える。けっこう楽しい。

デフォーがサンドラを誘拐して逃げ、主人公の
警官が追う。モーターボート→ジェットスキー→
海上飛行機・・・と乗り物を次々に換えての
追っかけは見ごたえあり。
往年の名作「リオの男」なんかを彷彿させる
ものもある。
「リオの男」なんか知らない・・・という人も、
知らずまんがで読んでいるハズ。石森章太郎の
「サイボーグ009」の1巻、ブラックゴースト
に次々誘拐されてゼロゼロナンバーサイボーグ
にされてしまうシークエンスで、003の誘拐
劇の場面が「リオの男」のパクリです。バイク→
車→ボート→飛行機・・・と追跡していくさまが
そのまんま。ちなみに「リオの男」でヒロインを
演じていたのはフランソワーズ・ドルレアックで、
003の名前も「フランソワーズ」でした
(アルヌールだけど)。

で、結局予想通りに事件は解決、彼氏が彼女に
結婚指輪を渡すという、映画館でかかる宝石店の
コマーシャルフィルムのような展開になって、
彼女が言う

「これから休暇のクルーズは私が仕切るわよ」

と。
ああ、「CRUISE CONTROL」っていう副題が
シージャックの意味と、カカア天下宣言の
ダブル・ミーニングになっていたのね・・・
と苦笑させて、映画は終わります。

ビッグ・バジェット・ムービーなんだけど、
こんな苦笑で締めるあたり、ホドホド感
があって私は結構好きな映画になりました。

アート宝飾(前編)
2003年8月12日(火)

横浜市民に問う!

きのう私は

> で、結局予想通りに事件は解決、彼氏が彼女に
> 結婚指輪を渡すという、映画館でかかる宝石店の
> コマーシャルフィルムのような展開になって

というようなことを書きました。

映画館ではよく宝飾店のCFが流れて、観客
カップルを居心地悪くさせます。
いろいろなお店がCFを作っていたようで、
東京で見たCFの一例をあげると。

ローカル線。若い男女が座っている。
女は、寝ている。男のセリフ
「彼女が 眼を 覚ましたら・・・」
男、懐から結婚指輪を取り出す。
「彼女が 眼を 覚ましたら・・・」
時間経過。
女、眼を覚ます。
眼をこする。フト手を見る。
自分の指に結婚指輪が光っている。
男と見る女。
微笑む男。

まあ、こんなので最後に店の名前が出て終わり、
というのがパターン。

しかしこれ、結構 怖いよね。人が寝てる間に
何すんのよ!って破局になる別バージョンも
あったりして。電車で寝てるのも「高校教師」
のラストみたいで、ほんとは死んでるんじゃ
ねーの?とか思ったり。

他にもいくつか記憶にあるが、結局は
女の人に指輪をはめさせればOK、という
コント仕立てのものが多いように思います。
最近は封切り館に足を運ぶことも少ないので
今でもこの類が流れているのかはわからない
のですが。

東京でもいくつか見ましたが、わが横浜が
生んだ一品にはかなうものがありませんでした。

横浜市民諸君、私が何を言おうとしているか
もう分かっていますね?

そう、今はなき横浜東宝会館でかかっていた

「アート宝飾」

のコマーシャルのことを、私は語ろうと
しているのです。

すでにため息をついている人、涙目になって
いる人がパソコンのディスプレイの向こうに
見えます。

ある意味、「崎陽軒」のテレビCMソングと
並ぶ 魂の一編でしょう。

♪旅の 窓辺の 思い出は
二人で 開いた シウマイの
ひとつ ひとつの 物語
あの シウマイは 崎陽軒
あの時の 二人
今の 二人
おいしい シウマイ 崎陽軒


今でも別バージョンがあるそうですが
http://www.kiyoken.com/f_topic10.html


全国区で有名。ナボナ並みかな?
以前「すすめ!パイレーツ」でも取り上げ
られたことがあるぐらい。

「あの時の 二人 / 今の 二人」の
部分で子供ながらに感じた仏教的な無常感は
今でも消え去ることはありません。
口ずさむ度に思い起こされます。

ヨコハマ・ドメスティック・エモーション

とでも言ったらいいでしょうか。

その核心に迫る「アート宝飾」は明日!

アート宝飾(後編)
2003年8月13日(水)

横浜東宝会館というのは馬車道にあった映画館
で、「アート宝飾」も同じ通りのお店です。
http://www.artjewelry.co.jp/

コマーシャル・フィルムは以下のような構成
になっていました。

舞台は外国の田舎町。登場人物の三人も外人。
男:列車に乗っている。旅をしてきたのか、
都会に出てたのか。とにかく故郷へ向かう
列車に乗っている。
女:彼氏の帰りを待っている。
じいさん:女の身内らしいが家族ではない
だろう。使用人なのかな。

男側と、女側の様子がカット・バックで
描かれます。以下男=M、女=F

M:列車の中。寝ている
F:フォトフレームに男の写真。
カメラ引くと女が笑顔で身づくろいしている。
じいさんに手を引かれ馬車に乗る。
馬車、駅に到着。
M:列車、駅に近づく。停車。まだ寝てる。
F:停車した列車から、彼が出てくるのを
待つが、出てこない。不安。
M:列車、発車する、ガタンという動きで
男眼を覚ます
F:ガッカリした女、じいさんに肩を抱かれて
ションボリ駅から帰ろうとする。
M:男、列車のデッキから出てきて女に叫ぶ
F:女、驚き喜んで彼に胸に飛び込む
MF:じいさんの馬車で田舎道を進む。
じいさんのスキを見て二人、パッと馬車を
おりて茂みへ駆け込んで座る。
髪をほどこうとする女。
男、彼女に結婚指輪を差し出す。
女、驚き喜んで彼と抱き合う。
キッスしようと近づく二人からカメラは
ゆっくりパン(横に振る)して、
馬車を操るじいさん、夕陽に照り返す
川を馬車が進んでいく逆光の画面を
ロングショットでとらえる。
ナレーション
「ダイヤモンドは永遠の輝き
永遠の愛を贈るアート宝飾」


うーん、こうやって書いてみると
よく出来てるよ、これ。ちょっと涙ぐみ
ながらキーインしてました。

で、画面に流れる音楽なのですが、
ある時期までは
「歌 アレサ・フランクリン」
という字幕が出て、英語のうただったの
ですが、ある時期から日本語の歌になって
ビックリしました。画面はそのまま。

変わったのいつごろかな・・・私が高校・
大学の頃だから、1980年代前半、と
しか言いようがないけど。

日本語のうたの歌詞は



ふりむけば すぐそばに 君は いた
その瞳 見つめれば ほほえんでいた
きずついて さまよった 遠い日の旅
もう二度と このぬくもり なくしたくない
この おもい このおもいを のせて
いま きみに きみだけの ために
ダイヤモンド フォエバー アンド 
アイ ラブ ユー


細かいところが違っているかもしれないが
まあ大体は合ってると思います。


前編・後編で終わるつもりだったのですが、
もう一回を費やす必要があるようです。
明日は(続・後編)として、
「横浜の青春」=「アート宝飾」を
総括したいと思います。

アート宝飾(続・後編)
2003年8月14日(木)

さて、昨日客観的に詳述したコマーシャル
であるが、「よく出来てるよ」というのは
どのへんが評価ポイントなのであろうか。
るる述べてみましょう。

まず、男と女が最初から一緒に登場せず、
“カット・バック”で描かれるのが良い
ところである。お話風に展開するので、
人によっては最初これが結婚指輪のCM
だと気付かない人もいた(最後に店名が
コールされると笑いが起こる場合もあった)。

そしてこのフィルム、ナカナカ場面の
繋ぎが巧みなのである。
女が部屋で出支度をして、ベッドの上の
上着を取ろうとパッと手を伸ばすと、
次のカットでは伸ばした手をジジイが引き
上げて女が馬車に乗る、という箇所がある。
これは、岡本喜八監督が『暗黒街』シリーズ
なんかでよく使っていた手法で、なんというか
“連想つなぎ”とでも呼称したらよいか。
これ、簡単なようでいて、動作の位置やタイ
ミングを計算しないと効果が出ない(実作で
経験済み)。

列車の発車を告げる汽笛(蒸気)がアップで
とらえられ、ガタンと揺れて男が眼をさます
あたりの編集もけっこう巧い。

汽車が駅に到着するところのクレーン・ショット
もなかなかスケール感があって、このCFって
あなどれない技術センスだったように思う。

ちなみに女はカレン・アレンに似たタイプ
(当然別人)、男の方は・・・マイケル・
サラザンぽい顔だったかな(当然別人)。


一つ個人的なことを書きますと、このCMの
最後、男女が馬車から飛び降りて逃げるんだけど
馬車のジジイはそのまま行ってしまう・・・
というのがエンディング。若い二人を思って
わざと知らんふりをしている腹芸なのか、
ただモウロクしていて気付かないのかが
微妙な線引き。余韻が残って、私は結構好きな
描写なのです。

で、後者(モウロク説)の見地に立つと
「なんで気付かねーんだよ」というツッコミが
はいるわけですが、これを自作の映画で応用
してみました(1986年)。

学園で二人の男が延々と殴り合いをするシーン
を撮ったのですが、清掃員のオジサンがリヤカー
をひいていて そこに二人が乗り込んで、
引き続き殴り合いをしている・・・という風に
してみました。
車上でのバトル、というのは『北国の帝王』
というロバート・アルドリッチ監督の名作の
パクリだったのですが、アクション描写は
『ランボー/怒りの脱出』のヘリ上の乱闘を
参考にしました。しかし、リヤカーを引く
オジサンが「なんで気付かねーんだよ」
というのがこのシーンの隠しポイントで、
これは実は
「アート宝飾」のコマーシャルへのオマージュ
だったのです!!
ええ話や・・・誰も気付かなかったけど。
人はそれを自己満足と呼ぶ。

ともあれ、これは大学4年の時に撮った映画
だったのですが、このように“青春の決算”を
アクションシーンに込めていたわけです。
だからそれは自己満足だってば!


そのように愛を捧げた馬車道の映画館も
今はない。話のついでに、他にどのような
コマーシャルが流れていたかを明日書いて
終わりにします。(番外編)としますか。

アート宝飾(番外編)
2003年8月15日(金)

話のついでに、横浜の封切館でどのような
コマーシャルフィルムがかかっていたかを
思い出してみようということで。

アート宝飾のほかに、といえばそれと双璧を
なす「乗セン」、とすぐ行きたいところです
が、外堀を埋めてからにしましょう。

日の出町の方の映画館、松竹系洋画の“横浜
ピカデリー”、そして邦画の“横浜松竹”。
こちらは、場所柄もあって馬車道の方に比べる
と・・・。まず思い起こされるのは

「桃玄」
ハッキリ言って、ラブホテルです。
♪チャッチャッチャッチャッチャ・・・
と怪しいラウンジ・ミュージック風の曲が
流れ、人のいない客室の映像が 無機的に
映し出される、不気味なCFでした。
さらに!
ある時期から、音楽が無くなり、
冒頭と最後に
「とうげん(とうげん)(とうげん)(〃)・・・ 」
※カッコ内はエコーです
という女の声が入るようになりました。
ちなみに余計な事を付言すれば、
「このCMを見て、『じゃあ帰りに行こうか』
とささやきあうカップルがいるんだろうか?」
と子供ながらに思ったこともあります。

「シルクハット」
元ロッテ・オリオンズの倉持投手が出演のCM。
カジノみたいな店?彼が経営してるの?
よくわからないが、
「どんなもんだの 夜にしよう」
というナレが響く。

「カウベル」
陽気なアジアン・ダンサーがいるお店。
♪ラララ カウベル〜
歌う カウベル〜
楽しい 仲間〜
というテーマソング(?)に、ちょっと腰が引ける。

といった酒・女・金・・・といった世界から離れ、
日本の西洋文明発祥の地・馬車道へ話を移しましょう。

「カレーハウス リオ」
これは東宝会館にあったカレー屋。スライド広告
のみの登場でした。

「結婚式場協議会」
詳細は忘れたが、これも館内にあった施設。
カップル観客へ与えたプレッシャーは相当な
ものだったろう。

「クリフサイド」
素敵な音楽で優雅に踊れるところ。
ちなみに私の大学のジャズオーケストラが
ここで演奏していたようだ(バイトで)。

「トヨペット乗用車センター」
真打登場。レンタカーのお店です。
このCF、私が知る限りでは3バージョンあります。

【その1】赤い風船編
乗センの車のあいだあいだに、赤い風船が見え隠れ
する。職員が「?」と見ると、小さな子供が
風船を持って歩いていたのだった。
昭和40年代、牧歌的なノリが残っていた。

【その2】ランニング編
佐藤蛾次郎が出演。
赤いジャージを着たガジローが、住宅街を
「ジョウセン、ジョウセン」と言いながら
走っている。
俯瞰のロングショットでとらえられた彼、
トヨペット乗用車センターへ吸い込まれる。
その後、カウンターで商談するガジロー。
前半と後半の意味のつながりがよく分からず、
結構 不条理 なCMである。
ちなみに(前にも書いたが)このバージョンで
流れる音楽は、故・山根成之監督の
『さらば夏の光よ』の流用。
脱線しますが山根成之監督は70年代の松竹
青春映画のエース。郷ひろみ・秋吉久美子さま
共演の『さらば夏の光よ』『突然、嵐のように』
は抜きん出た傑作。後者にはガジローも出演
しています。

■おさらい■
「乗セン」CMのフォーマットを確認して
おきましょう。

(1)どうやってもいいので観客を乗セン(場所)に
誘導する
(2)観客が乗センを認識したところで、女声ナレー
ションで以下を説明する
「そうです。トヨペット乗用車センターは
元町・中華街・山下公園をひかえた便利な場所に
あります」
ちなみにこの言葉にウソは無く、確かに中間点に
位置している。
(3)観客が納得したところで、主演者がリード、
「クルマのことなら〜」
「なんでも ジョウセン!」
と従業員一同で叫ぶロングショットで締める。

以上が、乗センの黄金パターンです。

【その3】営業マンの帰還編
小松政夫主演で、おそらくこれが一番有名でしょう。

オープンカーで乗センに凱旋する小松。
「よぉー よぉー よぉー」
降り立ち、従業員とハイタッチ。
画面に向かい
「ボクは このトヨペット乗用車センターの
トップ・セールスマンでした」
元上司(ふう)の男、営業成績グラフを出す。
小松が最下位。
小松、そのチャートを物凄いイキオイで奪い、
後ろに隠して
「コワイですね〜 コワイですね〜」
(言うまでも無いが淀川長治のマネ)

あとは、「そうです」以下の黄金パターン。
良くみると、小松がお客に巨大なカップで
コーヒーをすすめる小さいギャグがあるが、
わかりにくい。

細かいことだが、ラストの「なんでもジョウセン!」
のカットで、全員が右手を上に突き出してシメる
のだが、上司のオヤジがすぐに手を下ろして
だら〜んとしているのがスゴク気にかかる
・・・ということを昭和の証言として付記して
おきたい。


さあ!

皆さん、思い出しましたか。
アート宝飾の別(新)バージョンなんていうのも
あるんですが、もう執着が無くなっていた頃だった
ので、物語は以上です。
もう「神奈川ニュース」を語る気力・体力は
残っていません。

とにかく、学生時代はお世話になりました、
っつーか、若くて無垢だった脳に
かなり刷り込まれてしまったなア・・・

「コワイですね〜 コワイですね〜」

というのが最終的な感想です。おわり。

『破れ太鼓』
2003年8月16日(土)

ああ、久しぶりに「良い映画を観たあ〜」と
充実感を味わっています。観た作品は
木下恵介監督の

『破れ太鼓』

です。BS−2で阪東妻三郎主演映画の特集が
あって、その中の一本として放映(8/12)された
のを観たのです。

ずいぶん前から見たいと思っていたのですが。
この映画、フランク・キャプラ監督の
『我が家の楽園』
の影響下にある、という紹介文を目にしたこと
があったので、じゃあそちらを先に観てからに
しよう、と決意(こういうところだけ厳格)。
『我が家の楽園』を観る機会がなかなか無くて、
今年に入ってやっとのことで観た次第。で、
条件の整ったところで放映されたので飛びついて
観たわけです。

脱線しますが、やっと観た『我が家の楽園』は
他のキャプラ映画に比べると今ひとつでした。
奇人変人が前面に出すぎて、拡散した印象。
期待しすぎたのもいけなかったか。でも、いつも
どおりジーン・アーサー次第で事態が収束する
展開が面白かったけど。

『破れ太鼓』はこんな話。土建会社社長の父親
は家でも妻と六人の子供の上に絶対的な権力と
して君臨している。戦後、状況も変わり会社の
経営は苦しくなる。長男は反発しておばの事業
に参加。長女は父の押し付けた政略結婚を断り、
清新な絵描きと交際。父親は激怒するが母が
かばい、彼女は長年の我慢もこれまで、と子供を
連れて家を出る。とうとう会社も倒産、次男と
三男だけが残った寂しい家で、裸一貫になった
父親は・・・。

阪東妻三郎が主人公のガンコ親父を演じている
のですが絶品です。まず阪妻を見る映画。
家でも会社でもやたらと演説するオヤジなんだ
けど、必ず右手を前に出して(ヒトラーみたいに)
しゃべるのがオカシイ。この振り付けがこの映画
の抜群のアイデア。『パッとん大戦車軍団』の
パットン将軍(ジョージ・C・スコット)にも
相通じる、バカ親父の栄光と悲惨が象徴されて
います。

1949年の映画です。昭和24年。下山事件
なんかがあった年だが、映画は黒澤の『野良犬』
とか小津『晩春』、それから木下監督のもう
一本『お嬢さん乾杯』なんていう傑作が多い年。
しかし本作も、54年前の映画とは思えない
面白さ。テンポが良くて、メッセージがあって。
あらためて木下恵介監督の天才ぶりを痛感しました。

コメディなんだけど、感覚が良いんだなあ。
鵠沼海岸で長女と絵描き、その両親が散歩
するシーンがあるんだけど、絵描きの両親が
シャンソン(仏蘭西語!)を唄い、歩く松並木
の後ろには大きな富士山。松・富士にシャン
ソンとは・・・このセンス最高。
全体に、編集・画面アングルが冴え音楽も快調。

高圧的な父権と抑圧された家族が描かれた作品
ではあります。終戦直後の映画では戦前の権力
を糾弾する(左翼的な)作品も多かったようです。
しかし。
ネタバレしない程度に書くと、この映画のメッ
セージは、うっとおしい父親を全否定するわけ
ではなく、「態度がモンダイ」なので、親と子
の間の愛情は「なくなったわけではないのだ!」
というものか。この映画、告発系のギスギス
したところは無くて、なんとも優しい、感情
豊かです。木下監督の資質でしょう。

しかも、この作品テーマ(?)を失意の親父
にオダヤカに諭すのが、あまり目立たない
音楽家のナヨっとした次男だった、と言うのが
楽しい意外性である。庭の水撒きばかりさせら
れていた彼、カントクの弟の木下忠司。いい役
をもらっているわけで、なんとも微笑ましい。
木下忠司は音楽家で兄の作品の音楽はほぼ担当、
知らない人もTV『水戸黄門』のテーマ曲を
かいたひとだよ、といえばアアとなるはず。
(ちなみに『ぼくはカリメロ』も彼の曲)
彼が父親に、いくつか諺めいた言葉を掛ける
のだが、そのなかでさりげなく
「わが青春に悔いなし」
と言うのに爆笑。当時木下監督のライバルと
目されていた黒澤明の映画タイトルをシレーッ
と出し、それに阪妻が泣きながらうなずいてる
光景は相当おかしい。
ほかにもハジける笑い場が多々あり、
「7分の笑いと3部の涙」
という松竹映画の王道を爆走。
本当に「面白い映画を観たあ〜」という
1時間50分でした。新作映画もこれぐらい
楽しませて欲しいものだ。
ひさしくたえて無いよ!

宇野重吉、『姉妹坂』
2003年8月17日(日)

昨日書いた『破れ太鼓』には、爽やかな青年
画家の役で宇野重吉が出演していました。

このことで一つ、思い出したことが。

1986年の映画で、大林宣彦監督の『姉妹坂』
という作品がありました。4人姉妹を描いた
ものなのですが、不治の病にかかった次女
(浅野温子)が家を出て、さまよってたどり
ついた海辺の町で出会う老人が、宇野重吉。
で、彼が彼女に人生トハ、みたいなことを
ジミジミ語るシーンがありました。ボンヤリ
としか書けないのは、あまり「感じなかった」
からなのですが。

宇野重吉の登場が唐突だなあ、と思っていた
のですが、当時映画雑誌に乗った大林監督の
インタビューで、「宇野さんは僕らにとっては
J・スチュアートのような存在で・・・」と
いう発言があって、これには「???」でした。

まあ年代が違うのですが、我々にとっては
宇野氏といえば「食えないジイサン」といった
役が定番の人。映画『金環蝕』の金貸しの
ジジイなんかがパブリック・イメージだったの
ではないでしょうか。
昔の映画で若い姿を見たことはあったけれど、
主として独立プロの映画(新藤兼人とか山本薩夫
とかの作品)で地味な役を演じている印象しか
無かった。まあ、民藝の人だし。

ところが『破れ太鼓』はイノセントな若者でね〜。
バスの乗客として初登場したとき、
「あっ!寺尾聡と同じ眼をした青年がいる!」
と思ったよ。
小林トシ子とデートするんだけど、満天の星空の
下でスキップ!!(正確に言うと三段跳びの
ような歩み)
しかしあの星空。東京郊外の出来事だけど、
昭和24年だから星が見えたのかね。画面は
特撮だとおもうけど。
ちなみに、同じ年に封切られた黒澤の『野良犬』
でも、刑事の三船敏郎と女スリの岸輝子が話を
するシーンの背後に、こぼれ落ちんばかりの
星空をとらえたショットがあった。
スクリーンに定着された戦後風景の一つと言え
ようか。きわめて印象が強い。

で、話は『姉妹坂』に戻るのですが、浅野温子と
宇野重吉が会話を交わすのは夜の海辺で、
二人のバックには巨大な月と多くの星があったと
記憶する。
特に『破れ太鼓』に限定されないと思うが、
たぶん大林監督の意図としては何か失われた
長い年月のメタファーとしてこの画面を創出
したものなのであろうと、今にして思い当たる。

まあそうなのかどうかもわからんし、
今わかってどうなるものでもないが、
墓に持っていく疑問点が減っていくのは
ありがたいことである。なんて。

田原俊彦シングルベストテン
2003年8月18日(月)

かなり時間がたってしまいましたが、
TVの「爆笑おすピー問題」という番組に
田原俊彦がゲストで出た回を、うちの
同居人が見たそうです。

報告によると、爆笑の田中が かつて田原
ファンだったそうで興奮、彼による
“田原俊彦の曲ベストテン”を発表に
及んだ、とのことです。

それを聞いて、私の胸の奥で「OFF」に
なっていたスイッチが、ONになりました。

細かい説明は省きます。ここで、

爆笑田中に対抗して、田原俊彦の
MYシングル・ベストテンを発表します!

でも、彼のデビュー後3年(1980〜1982)の曲
しか聞いてないな。私がちょうど高校生だった
三年間。テープの音源は、FMラジオや
レンタルレコードだった。
たぶん、甥っ子に「レコード」と言っても、
「コンピュータのデータのことですか?」と
返されてしまうかもしれない。
そんなことはどうだっていいんだ。

以下、発表。順位・曲名とコメント


1.ラブ・シュプール

「♪あいしてるぅ〜(ランランランラランラン)」
「♪あいしてるぅ〜(ランランランラランラン)」
「♪あいしてるぅ〜(ランランランラランラン)」
ここは歌謡史上最高の盛り上がり!!!
映画を観たい(『ジェミニYとS』)

2.悲しみ2ヤング

切ない系の傑作。サビ部分の高音ペットが泣けるよ。

3.ブギ浮きI LOVE YOU

「♪笑うしかない ハハハハハハハ バカだね」の
一人ツッコミがカッコいいことといったらないよ!

4.君に決定!

「♪けって〜」の後の鐘の音に心燃え立つ。
「♪キスキスグッタイミン ウ〜イェイ!」も燃焼度高い。

5.恋=DO!

「♪シャイなハートが欲しい〜」
本当に欲しい。

6.原宿キッス

このイントロに燃えない人間はいないだろう

7.NINJIN娘

「♪ニンジン食べなきゃ(ハア〜〜)」カッコ内の
合いの手が最高! 思い切った歌だ!

8.ハッとしてGood!

ファースト・インプレッション。
好感度高かった。

9.君に薔薇薔薇と・・・いう感じ

このへんで、歌手としてはさらばトシ、っていう
時期だった。私としては。
田原俊彦は「薔薇」という漢字を書けなかっただろう。
もちろん私も書けはしない。同年輩で
書けるのは、醤油の宣伝に出ていた安田成美だけ
だろう。(古い話でスマン)

10.哀愁でいと

私にはそれほど思い入れがないけど、まあいい曲。
同居人にはベストワンらしいが、レイフ・ギャレット
に引きずられてるの感あり。


以上です。

マッチも書こうかな・・・。そのうち。

言い忘れたが、トシちゃんは「3年B組金八先生」
出身なので、

“年上の同級生”

といった感覚だ。

『小さな恋のメロディ』(前編)
2003年8月19日(火)

先日WOWOWで放映された映画
『小さな恋のメロディ』
を観ました。20年ぶり。

1971年のイギリス映画ですが、本国では
さほど評判にもならなかったけれど
日本でだけ異常な人気があった作品で、
製作者たちも首をひねったとか。

11歳の男の子と女の子が恋をする、という
だけの話ですが、WHYなぜに? 
日本の青少年たちの心をつかんだのか。

私は「残念ながらご縁が無くて・・・」という
感じで、さほど思い入れがないのですが。
ともあれ、これだけ巨大な存在になると黙って
通り過ぎるわけにもいかないので、個人的な
「すれ違い記」をここにメモっておきましょう。


私が熱心に映画ファン雑誌『ロードショー』を
読んでいたのは中学の時、1977〜79年頃
のことですが、よくこの映画のことは取り上げら
れていました。すでに封切りから7年以上経過
していたことを考えると、これはスゴいことです。
シールとか付いてたもんなあ。

ことに主演女優のトレーシー・ハイド、当時の
表記に合わせれば「トレーシーちゃん」の人気は
根強いものがあったようです。毎月読者投票の
男女スター人気ベストテンが掲載されていたけれど
いつもテン内に入っていたものねえ。

たとえていえば、今でも『アニメージュ』の
キャラ投票で“ナウシカ”がランクインしている
ことにも似た現象なのか。

参考までに当時の女優部門ベストスリーは
リンゼイ・ワグナー
ファラ・フォーセット=メジャース
テイタム・オニール
が独占していました。

若干補足すると、リンゼイさんはTV
「バイオニック・ジェミー」の主演者、
ファラさんは「チャーリーズ・エンジェル」、
テイタムちゃんは説明の必要ないですね。

ちなみに男優は
ロバート・レッドフォード
ジュリアーノ・ジェンマ
ブルース・リー
アラン・ドロン
といった人たちが上位の常連だったか。

ジェンマは知らない人もいるかな。
マカロニウェスタンのハンサムスターで、
当時日本のCMに出ていたはずです。

雑誌の巻頭にはスターのグラビアが何ページか
掲載されていたのですが、トレーシーちゃんも
いつも載ってました。もっとも、もう大分
大きくなっていたけれど。たしかキャプション
には、OLやってるようなことが書いてあった
ような記憶が。写真も、なんか駐車場とか
イカニモそのへんで撮りました・・・という
ものが多かった印象。きっと「なんで日本の
人たちはこんなにいつまでも注目しているの
かしら」と不思議に思っていたことだろう。


で、まあこれだけイロイロ目に付くと、私とて
「観てみたい」と思うのは人情であるわけで、
再公開の機会があれば観てみようかな、と
思ったわけです。

あれは中2の夏休みだったか、その映画が
都内単館でリバイバル公開されました。
よし、と思いつつ卓球部の練習が忙しく、
夏休みも終わりに近づくちょうど今頃か、
練習が午前中だけだった日の午後、
有楽町へと向かいました。

駅前の「有楽シネマ」に着いた私はボーゼン。
看板には・・・

(以下 後編)

『小さな恋のメロディ』(後編)
2003年8月20日(水)

(前編のあらすじ)
『小さな恋のメロディ』を見るため、横浜から
有楽町へ向かった少年。映画館の前で彼が
眼にしたものは・・・


『キタキツネ物語』

の文字。

・・・

この映画大ヒットしていて、どうも公開館が
増えたらしい。それにしても。

当時、情報誌は週刊でも隔週刊でもない月刊
だった。月末の情報は不確定である。
まだそれが身にしみていなかったヤングデイズ。
おでかけの前には電話でご確認をという教訓。

当時は邦画嫌いだったので、さすがにキタキツネ
物語を見る気にはならず、

♪さまよい びと に なる〜

の私。
その日は抜けるような青空の、暑い日だった
・・・と終戦記念日を回顧する老人モード
になりかけているが、フラフラと日比谷方面へ。

『サタデーナイト・フィーバー』

がかかっていた。当時『ロードショー』でも
さかんに取り上げていた話題の映画である。
見ようかな・・・とも思うが、入場していくのは
大きいお兄さんたちだ。
坊主っくりのチビはおじけづいて回れ右。

結局何もしないで帰った
・・・これが25年前(1978年)の夏の出来事
であります。


その敗北を抱きしめたまま、
翌年「本を読むクラブ」の時間に
ハヤカワ文庫NVでノベライズ本を読んでしまい、
映画を見る前にハナシを把握してしまった。
まあ、ジュブナイル本(と言っていいのか)と
してけっこう良かったですが。

高校に入ると邦画ファンに転向してしまい
この映画のことも忘却の彼方へ・・・と
なってしまいました。


故・荻昌弘さんの口上付きの「月曜ロードショー」
でやっと見ました。見ている途中でサークルの
先輩から電話があって、「明日の撮影でこれこれの
ものを持ってきてほしい」と言われた覚えがあるの
で、大学1年(1983年)の夏のことだろう。

その電話があったのが、彼と彼女が音楽室の
控え室で合奏を始めるシーンでね〜。なんとも
間が悪かったけど「今『小さな恋のメロディ』を
見ているので10時54分以降にかけ直します」
とも言えず。

そんなこんなで、やっと見れたにもかかわらず
今ひとつ のめりこんで見れなかったリグレット。


で、死ぬ前に真面目にもう一度見てみよう、という
ことで今回の鑑賞に相成った次第。

私も老いて子供にかえりつつあるためか、
初めてのような気持ちで見ることができました。

と、言いたいところなのですが、身に付いた
余計なものが邪魔をする。

「監督ワリス・フセイン」って、フセインって
名前は怖いなあ。

爆弾マニアの少年が出てきて、最後に大人の
クルマを爆破。時に71年、社会変革を求める
運動がテロ行為に走り市民から遊離していく
動きの前兆か。
ダニエルが食卓で親の新聞に放火してニヤつく
シーンなんか、鬼気迫るものがある。

なんてことが脳裏を走る。またトリビアルなことで、

「編集ジョン・ビクター・スミス」、それから
メロディの父親が「ロイ・キニア」って
リチャード・レスター監督作品の常連だな。
特に編集はレスターっぽいところもあるな〜。
ダニエルのお母さんが「女装したジョン・レノン」
といった風貌なのも

なんてことも思ったりね。
つまらないことだが、マーク・レスター君は
なぜ始終まぶしそうに眼をしかめているの
だろうか。


まあ最後にあわてて付け加えると、
トレーシーちゃんは確かに可愛い。

四半世紀にわたってすれ違ってしまったため
もう好きになるのは無理だが、道端の水場で
金魚を遊ばせるシーンを見ると、当時夢中に
なった人の気持ちの一端は分かるような気が
します。


それにしても。

うらめしいぜ、俺と彼女の仲を裂いた
『キタキツネ物語』。

のぼる MY LOVE 
2003年8月21日(木)

女子大生を主人公にした推理小説を
読んだところ・・・。
(北村薫『空飛ぶ馬』1989)

文学部の学生なので、文学がらみの連想や
比喩が出てくるのですが、知識が無いので
サッパリ判らない。

短編連作で全五話なのですが、
第4話「赤頭巾」、主人公が歯医者で治療を
受ける場面で

《歯が痛い、歯が痛い》という女の子の出て
来るのは誰の芝居だったかしら

と頭の中でつぶやく。

ああ、これは知ってるぞ〜。

この芝居は、イヨネスコの『授業』ですな。


ここで本題に入るわけですが。


渋谷のジャンジャンでこの芝居を観た事が
あります。ほとんど演劇は見ない私がこれ
を観に行ったのはなぜか?

主演していた 仲谷昇 氏のファンだった
からです。

不条理劇『授業』は中村伸郎氏の持ち役
ですが、上演後期に仲谷氏が演じていた
ことがあったのです。
よくわからないままに劇が終わって、頭が
ハテナマークのまま公園通りをさまよった
記憶があります。


さて、仲谷氏というと
「こんばんは。私の研究室へ、ようこそ」
と語りだすTV番組『カノッサの屈辱』
(1990〜91)の教授役で馴染んでいる人が
多いのではないかと思いますが、私が
仲谷ファンになったのはその十年ぐらい
前の高校生の頃です。

テレビ(土曜ワイド劇場だったか)の
松本清張原作ドラマ、『帝銀事件』での
平沢貞通の役を見て、
スゲ〜 と思いました。虚言癖のある
オヤジをグレーに演じていて、たいへん
印象に残りました。(1980年)

続けて松本清張原作の映画『疑惑』を
みたところ、桃井かおりに翻弄される
オッサンの情けなさが絶品。桃井が
球磨子っていう名前なんだけど、
「く、くまこ〜〜〜」と叫ぶ仲谷氏の
声の響きは、映画を観た人の脳から
消えることはないでしょう。(1982年)


そんな新作群で注目し、古い映画をみて
いくと、若い頃からたくさん出ていて、
どれもグンバツよ!(←ケーシー高峰風)

私の印象に強く残った映画群を以下に
リストアップ

『にごりえ』
今井正監督の文芸オムニバス映画だが
第2話「おおつごもり」で登場する
若き日の仲谷氏のカッコ良さは
もう最高!!
完全にハート鷲掴みにされました。
「お帰りじゃねえ、お出かけだ!」
というセリフはmy favorite.

『おとうと』
市川崑監督の文芸名作だが、岸恵子に
言い寄る怪しい男を好演。紳士ぽく振舞って
いたのが一転、「げんちゃんよお」と
ナレナレしい口調に転じる切れ味が絶品。

『怪談』
小林正樹監督のオムニバス映画。
第4話「茶碗の中」に登場、この超大作の
作品カラーを決定づける素晴らしい存在感
を示しています!
映画史上に残る最高の笑顔だね。
相対した滝沢修もスゴかったけど。
この映画、今年DVDになりました。
こちらに適切な作品紹介があります。

『さらば夏の光よ』
郷ひろみの父親役で、短い場面ながらも
圧倒的な威厳をしめす。

『影の軍団・服部半蔵』
“情けない系”の最高演技。
悲惨な最期における滑稽味が見せ場。

『小説吉田学校』
昭和の妖怪、岸信介を演じた。


ほかにも色々あるが、とりあえず。
TVもたくさん出ていて、NHKの
『天下御免』の田沼意次なんか見て
みたいんだけど・・・。
シナリオ本だけは読みましたが。

『カノッサ』以後はドラマ出演が多い
ようだが、たっぷり演じる役が少なく
残念。1929年生まれの方だが
まだまだがんばっていただきたい。
よろしく。


ちなみに仲谷氏はかつて岸田今日子さんと
結婚していたわけだが、岸田さんが
『ムーミン』の声をを演じていたときは
まだ夫婦だった。
家で、セリフ合わせとか手伝ったんだろうか。
仲谷氏がノンノンやスナフキンのセリフを
読む光景を想像してみる私・・・。

岬めぐり
2003年8月22日(金)

昨日の、仲谷昇氏についての中で、ひとつ
書き忘れていたことが。

木下恵介監督の大ヒット映画
「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)
に、仲谷氏はちょこっと出演しています。
佐田啓二・高峰秀子夫妻の長女と結婚する
男の役で。その娘婿は海外赴任が決定、
娘夫婦を乗せてカイロ(だったか)に
向かう。船が沖を通り、老いた灯台守夫婦
が灯台の灯をともし 船がそれにこたえる
・・・という感動のラストシーン。
仲谷氏は娘の横で神妙な顔で
「立ってるだけ」で、セリフは無かったと
思う。それでも私は満足だった。


ちなみに木下監督の映画で、
「船に乗った新しい夫」を演じた個性派俳優
−ということだと、
もう一人思い起こされますね。
「二十四の瞳」の天本英世。
大石先生(デコちゃん)の夫役で、
たしか初登場シーンは船の上で立っていて
「家族ゲーム」の松田優作登場シーンの
ようだった。
高峰秀子は自叙伝で共演した天本氏について
「そうとうな変わり者だった」
と綴っていた。そうでしょう。


で、先に記した「喜びも悲しみも幾歳月」
のラストシーンは、例の有名な主題歌が
勇壮なコーラスで流れて圧倒的な感動を
呼びました。

確かこの映画はTVドラマにもなっていて
(記憶あいまい)
私はテレビ番組で歌を知ったと思います。
作詞・作曲は『破れ太鼓』で庭の水撒きを
していた(←しつこいな)木下忠司氏。


俺(おい)ら岬の 灯台守は
妻と二人で 沖行く船の
無事を祈って 灯(ひ)をかざす
灯をかざす

・・・と、これが一番で四番まであり、
ラストの


よろこび 悲しみ 
目に浮かぶ 
目に浮かぶ

が泣けるところである。正確に書くと


よろこび(よろこび〜 ←コーラス)
悲しみ (かなしみ〜 ←コーラス)

となります。
あ、書いてるだけで泣けてきた。


それはそれとして、何が言いたいかと言うと。

実は、この歌は小さい頃から
“心の中の愛唱曲”
だったのですが、歌詞を間違えて認識して
いました。

冒頭の「♪俺(おい)ら岬の」というのを

「おおいら岬」という固有名詞(地名)
だと思っていました!
漢字イメージ=「大伊良岬」。
「いらご岬」(伊良湖岬)みたいな。
ちなみに伊良湖岬には伊良湖灯台もあるし・・・。

カラオケで歌詞を見て気付いたので、だいぶ
年取ってからだなあ。お恥ずかしい限りです。
まあよくあることだけど。

恥ずかしさを紛らすために、
とりあえず書いてみました。

黄金時代
2003年8月23日(土)

先日、この本を読みました。

小林信彦『テレビの黄金時代』
文藝春秋、2002年10月15日・刊

著者が60年代、テレビ業界に関わっていた
時の見聞記です。メインの話題は放送作家
として参加していた『九ちゃん!』という
番組のこと。
いつもながら時代相の描き方が正確(と思わ
れる)で、人物の描写も鋭く、面白く読みま
した。

で、著者が業界から抜け出て、その後のこと
をちょこちょこっと書いた部分に、私の心を
突き動かすものがありました。
例えば、60年代の日本のバラエティ番組を
支配していたのはナベプロこと渡辺プロ。
それとケンカした日テレが、ナベプロの
タレント無しでもバラエティは作れる、と
制作して成功したのが『うわさのチャンネル!』
である、というところ。うーん、そうだったの
か・・・と感じ入るところがありました。



『金曜10時! うわさのチャンネル!!』

は73年から79年にかけて放映されていた番組で、
かなり下品な笑いも含む騒々しい内容で
“ワースト番組”のレッテルを貼られるに
ふさわしいものでした。

しかし、私はこの番組が大好きでね〜〜〜

あの、裸の女の人が座っている部屋で、どこに
宝石が隠してあるか探す・・・というコーナー
だけは恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかった。
小学生だったから。

「アコのゴッドねえちゃん」
バカバカしくて面白かったなあ・・・。
あの、フィンガーステップしながらフレームイン
してくるオープニング。
せんだの「おねーたま」。
デストロイヤーの四の字固め。
あのねのね が出演していた時は、必ず清水国明が
上半身裸になってデス(←この呼び名も凄い)に
襲い掛かるんだけど、結局四の字をかけられて悶絶
する、という展開がお約束で好きだったなあ。

マギー・ミネンコ。ここに書けないような
えげつない決めゼリフが有名だが。
当時のことでハッキリ覚えているのが、小学校の
遠足で浦賀(神奈川県横須賀市)に行ったのだが、
造船所の前の道で

♪ななひゃくごじゅう の えんじん〜

という、マギー・ミネンコの『燃えるブンブン』
という歌をクラスの皆と大きな声でうたいながら
歩いたことです。浦賀遠足はたしか4年生の時の
こと(1974年)。

♪もえる〜 ブンブン!

ここの「ブンブン!」をエンジン音のように
発声するのがポイントでした。


長い番組だったので出演者も色々変わって、まだ
アイパッチをしていたタモリがハナモゲラ語なる
奇妙な言葉をしゃべっていた。ちなみに彼のコーナー
が始まる際のジングルは

♪タンタン タモリの 
かんがーえてますよーだ デュワ〜

というもの。若い人には「かんがーえてますよーだ」
が理解できないと思うが、これは当時萩本欽一による
フィルムのCM「どっちがトクかよく考えてみよう」の
何世代目かのバージョンで、このコピーをチンパンジー
に向かって言うと、その猿が答えて言うセリフなのです。

山城新伍とせんだみつおの絡みも異様だったなあ。
「三日月刑事 正義の雄叫び」
というコーナーでの取調室のコント。
せんだが机の上に立って、多羅尾伴内(藤村大造)
風に言う

ある時は警視総監
またある時は掃除のおじさん
そしてまたある時は謎の中国人マン・コーシェン
そしてまたある時は映画監督イチカワ・マン
しかしてその実体は
正義と真実の使徒、
ちかん・まんごろう だぁ〜

ここで稲光のSEが入ってせんだが紙テープを
投げると、山城が「出たな妖怪」とか「またお前か」
と言う、のがパターン。「曲紹介の山ちゃんです」
なんてのもありました。

後期の見せ場は、なんと言っても轟二郎の木の葉のこ
への求愛シーン。前にも書いたので省略するが、
この一景は大好きだったなあ!!

番組の最後は出演者が総出で、歌手を前にして
エンディングテーマを唄う。
やはり長寿番組なので、いくつもバージョンがある。

「いちぬけた」

やってられない やってられない やってられない
ここで わたしは いちぬけた〜
あんた それほど いうのなら
すこしゃ まごころ みせとくれ
おまえ だけだと いいながら
きょうの こうすい またちがう
みっか よっか と うろついて
それで ごめんは ないだろう
だけば すむよな ことじゃない
やってられない やってられない やってられない
ここで わたしは いちぬけた〜

これは演歌っぽい歌でした。振りもなかなか良かった。


「ウンガチョコ先生」

ウンガチョコ ソコドコ
ウンガチョコ ドコソコ
ウンガチョコ ソコドコ ココ?(ドコ?)
ウンガチョコ ソコドコ
ウンガチョコ ドコソコ
ウンガチョコ ソコドコ ソコ?(ドコ?)

ナンセンスソング。
詳細は忘れたが「ウンガチョコ先生 教えて〜ん」
という歌詞もあったので、何かエッチっぽい歌だった。
人前では歌うのは はばかられた。歌詞の意味も判ら
ないし・・・。ちなみに(ドコ?)と合いの手を入れる
のはせんだと山城。


「(タイトル失念)」

たたりじゃ たたりじゃ
何の たたりじゃ
何が どうして こうなった

コミックソング。
このフレーズしか覚えていないが確か阿久悠の作詞で
せんだが「先生唯一の失敗作」と言っていたような
気がする。


この番組が自らの原点であるとは、口が裂けても
言いたくはないのですが、感性上、大きな影響を
受けていることは間違いないでしょう。

ワンライン
2003年8月24日(日)

先日NHKのBS−1で四夜連続で放映された
イギリス制作のドキュメンタリー番組

「カラーで記録した第2次世界大戦
アメリカ編」

というのを見ました。
戦時の映像はモノクロ、が多いですがこの番組は
全部鮮明なカラー映像で、また違った印象があり
ました。
強制収容所に収監されてしまったの在米日本人たち
を映した場面で、女の子が着ていた赤いカーディガン
なんかが目に焼きつきます。

「アメリカ編」なので、アメリカ国内のことも
たくさん出てくるのですが、番組のポイントとして
“女性”や“黒人”が戦時下にどのような扱いを受け
どのような地位を占めるに至ったかが描かれていて
この部分が興味深かったです。

番組では映像と共に、多くの書簡が朗読されて
いました。その中で、太平洋上の島で戦死した米兵が、
死ぬ前に子供に書き送った手紙が読まれました。
草や花、世にある素晴らしいことを続けて書き綴り

「良いことには 終わりが無いのだ」

と子供に諭していました。
このワンラインにはハッとするものがありました。
普通に暮らしていると「悪いことには終わりがない」
と思うことばかりなので・・・。

「さぁ〜 なつ ほんばん!」
2003年8月25日(月)

梅雨前線から秋雨前線へとワープ航行の
ように移行、と思われていましたが、
本当に夏みたいな陽気になりました。

こうなると、頭の中に浮かぶフレーズは

「さぁ〜 夏 本番!」

である。通常ならば7月末なのだが。

さて、このフレーズを脳内で発声する場合、
好き嫌いは別としてどうしても

小川哲也氏の声

になってしまう。
名前は出しましたが顔は見たこと無くて、
昔ラジオで愛聴していた
文化放送の日曜13〜16時、

「小川哲也の決定!全日本歌謡選抜」

のパーソナリティ氏ですね。番組ジングルは

「(エコーかかりまくりで)
けってい!
ぜんにほん
かよぉ〜〜〜〜せんばつ!!
(ジャジャジャ〜ジャ〜〜〜ン←音楽)」

です。

たしか、歌謡ランキング50位ぐらいから
カウントダウンで紹介する番組で、歌謡マニア
の私にはこたえられないものがありました。
小5ぐらいから高3ぐらいまで断続的に聴いて
いましたが、もっとも熱中してきいていたのは
中学1・2年の時かな。卓球部の練習がある
ときでもラジオを体育館に持ち込んできいた
こともある。まあ大概顧問の先生がいて
聴くスキはなかったけど。

ヒット歌謡曲を存分にきかせてくれる番組内容
はともかく、この小川哲也っていうのが・・・
イイ声してるんだけど、エラク態度がデカイ
おっさんでね・・・。どういう大人になりたい、
という定見は無かったけど、こんなエラそうな
オヤジにだけはなりたくないって思ったよ。

番組では歌手が多数電話出演するんだけど
小川が・・・例えば河合奈保子がゲストと
すると
小川「ハ〜イ 奈保子、今どこぉ?」
河合「いまドコドコで〜す」
小川「フーン、そう。で新曲の○○なん
だけどさあ、××なわけぇ?」
といった調子で、ナレナレしく、
すげームカツク。

嫌いならここで書くなよ、といったご感想も
あろうかと思うが、声はいいので、
ラジオCMでもよく登場してて耳に残ったのよね。
「さぁ〜 夏 本番!」
も何かのラジオコマーシャルだったと思う。


司会者にムカつきながらも、たとえば

太田裕美「しあわせ未満」
高田みずえ「だけど」

といった名曲とのFirst Meet の場所になった
番組であり、嫌いになれないの。

ちなみに番組のスポンサーはトヨタ自動車で、
車のことには何も関心のない私だが、
CMで田中邦衛が「息子と カムリで旅に
出た・・・」というやつがあまりにしつこくて
脳裏から離れない。原田知世の「ウィンディー
じゃなきゃヤダ!」というのは、もうノスタルジー
でしか語れないものがある。

ということで、夏本番、には各人いろいろなもの
が心に去来するのである。
「ああ、トシィ? 元気ぃ?」
(声:小川哲也。対・田原俊彦)

1周年
2003年8月26日(火)

この日記、去年(2002年)の8月26日に
はじめたので、ちょうど1年たちました。
すぐ飽きてやめるかと想像していましたが、
思いがけずご意見ご感想をいただくことが
はげみになって、意外なことに続いています。

そりゃまあ、好きなことだけ書いてるんだから
続くんだろうよ、と自分に言いたいところ。
たとえば「あなたにとって自由の概念とは何か」
とか、「制服の着用の可否について」といった
論題で書いてたら三日でやめていただろう。


ダイエー(西武)の秋山幸二選手の引退宣言に
衝撃を受けて始めた日記だが、あれから一年。
すっかりプロ野球にも関心が無くなり、どこが
優勝しそうなのかも分からない状態。
実際にはその前から興味が遠のいていたのだが、
やはりその原因は「FA制度と巨人」ですね。
今さらイキリ立っても仕方ないし、
“怒るより、見ない”というのが心的防衛に
なってます。


それにしても、なぜ皆ジャイアンツに行くのか。
清原なんか、あの時阪神に行っていたら男を
あげていたのにねえ・・・。

古い話だが大洋ホエールズの松原選手や
シピン選手がGに行ったときも非常にガッカリ
した。辻元清美ふうに言えば「なんでやねん!」
という気持ちだった。

横浜に来なかった江藤選手。来てればスタジアム
でたくさんホームラン打てたのに。
広島の選手で言えば、川口和久。本当に不思議
なのだが、なんでだろう。好きな選手だったのに
ジャイアンツへ行くともう関心度はゼロ値へ。
あの広島VS西武の日本シリーズでもうヨレヨレ
なのに連投してた彼の勇姿がかすんでいった。

残念なことであるが、まだまだ続くのだろうか。
野球そのものは嫌いではないので、プロ野球には
まともな状態になってほしいものだ。

スーパープレイヤーの転業
2003年8月26日(火)

書き忘れたけど、秋山幸二さんのことで。

引退後、いつだったか朝日新聞にインタビュー
記事が載りました。
愛娘の“まりんちゃん”のことに話が及んだ
のですが、こんなことを語っていました。

まりんはまだ小さいんだけど、自分(父親)が
野球を辞めたことはわかっているらしく、
「今度は何のお仕事をするの?」
と聞いて来た。
「う〜ん」と言いよどんでいると、

「じゃあケーキ屋さんかお花屋さんはどう?」

と言われたそうな。


「それはまりんがなりたいものでしょ!」
とツッコミたいところでしょう。
(笑)と書かれていましたが、まさしく微苦笑が
ふさわしい。なんとも可愛いエピソードでした。

火曜夜7時半
2003年8月27日(水)

久米宏がニュースステーションを降板する
との報道を眼にしました。
まあ、この番組はそんなに好きでもなかった
ので、特に感慨はないのですが。でも、
以前勤めていた会社ではパートの女性が
休憩時間に「昨日のニュースステーションで
こう言っていた」とかよく話題にしていたし、
影響力は大きかったのでしょう。

私はTBSラジオを聴く習慣がなかったので
久米宏を知ったのは人気のテレビ番組「ぴったし
カンカン」でした。その後「ザ・ベストテン」、
それから「TVスクランブル」と見ましたが
どの番組も面白かったですね。


イキナリな話ですが、宮崎駿監督。
同世代のアニメファンと話をするときに
引け目を感じてしまうのは、私が
「未来少年コナン」
をリアルタイムで見ていないからです。
この番組は1978年の放映で、私は中2。
見られたはずで、当時、同じクラスの
アニメ好きな子から「コナンは面白いよ!」と
言われていたのに、なぜ見なかったか。

「ぴったしカンカン」と同じ時間帯だったから
です。火曜日の夜7時半。

コント55号と平田昭彦の出ている番組。

これを見逃すことが、出来るでしょうか。
いや、出来はしません。どうして出来ましょう。

ことに、東宝の怪獣映画でおなじみだった
平田昭彦氏のノーブルでチャーミングな
素顔が見れるのはこの番組だけだった!

真面目な人柄がしのばれる回答ぶりで、すごく
好きでした。たしか、一度だけ久米宏が出られ
なかった時に「司会の代行」をしたはずです。
汗を流しながら懸命に進行していた姿が
思い出されます・・・。
氏が1984年、56歳という若さで亡くなら
れたことを思うと、「ぴったしカンカン」を
見ていてよかったと思います。「コナン」は
いつでも見れるけど(←今現在の意見に過ぎない
が)、「ぴったしカンカン」はもう見られない
からね〜。

人生は“選択”の連続。
この、1978年の火曜夜7時半を思うとき、
どう選んでもホニャララとホニャペケ(*)が
残るものだ、と痛感するのである。


ここでは
ホニャララ=幸福
ホニャペケ=後悔
としておいて下さい。
わが青春にホニャペケなし

ふつう
2003年8月28日(木)

NHKのBS−2の番組「BSマンガ夜話」。
放映されるたびに見ています。

うちの同居人はこの番組を
「作品の選択が偏りすぎ(少女まんがが少ない)」
「出演者のビジュアルが見るにたえない」
という理由から嫌っているようです。
まあ、それについては確かにそう、と言えなくも
ない。

岡田氏が冗談めかして言っている、
「この番組のコンセプトは
“高校漫研の部室の再現”」
というところが好きで、私は面白いと
思うんですが。


BSマンガ夜話でよくある風景として、
若い人が熱心に「このまんがのコレコレの
表現が素晴らしい」とホメあげると、
いしかわ氏が
「そんなのふつうだよ」
誰でもやってることだよ」
と客観的に突き放す、というのがあります。

まあ“目利き”になるとそういう見解も出る
わけで。

この展開を見るたび、
ああ自分も何かを絶賛している時にどこかで
「そんなのふつうだよ」、
特別でもないことで何を騒いでいるんだよ、
と思われているんだろうなア・・・
と考えるのであります。

客観と主観はどちらも大事で、物を言うときは
これをごっちゃにしないように気をつけたい
ものだと自戒しています。

今を生きる
2003年8月29日(金)

この日記では、昔の出来事を語るケースが
比較的多いようです。比較的、というより
大半、と言った方がいいかもしれません。
昔こういうものを楽しんだとか書いていますが、
しからば今現在、貴様が楽しみや喜びを見出す
ものごとはないのか?と客観の声が耳に聞こえ
ます。

あるよー。

例えば、最近うれしいことは、現在の勤務地
には社員食堂があるのですが、ここは

漬物が取り放題

なのです。
今時は珍しくないのかもしれませんが、私は
初めてでうれしくて、毎日

「たくわん」

を山盛りにとって食べ満足しています。

そんなに好きなら買って家で食べればいいじゃん
といわれそうですが、そんなことをしたら
「おかずより たくわん が好きなんだね」
と炎の料理人に言われてしまうのでダメです。

山岸凉子さんの「恐怖の甘いもの一家」
というまんがで、実家の何でも甘い味付けが
苦手なR子ちゃんが少女時代を回想して
“当時好きだったのは たくわん だけ”
とモノローグで語るところがあります。
お父さんから「旅館の女中さんは、おかずは
たくわんだけ」という意見(偏見)を聞いた
R子ちゃんが、私は女中さんになるしか
ないんだろうか、でも何段も重ねたお膳を
運べそうにない・・・と悩むところが非常に
面白いです。

ともあれ、そのように今という時を
アグレッシブに生きている私なのです。

純情フェバリットフルーツ
2003年8月30日(土)

昨日に引き続き、今現在を駆け抜ける私の
意見を開陳。

いま、最もうれしいことは、

なし(梨)

の安価で美味しいものを存分に食べられる
シーズンになったことでしょう。
梨は私が一番好きなくだものです。
ちなみに順位を付ければ

1位 なし
2位 ぶどう
3位 いちご
4位 みかん

ということになりましょうか。年間摂取量で
ランキングすれば みかんが一位でしょうが。

季節ごとにおいしい果物が食べられる幸せを
思う時、四季のある国、日本にうまれて
ヨカッタ・・・と昨夜の
「朝まで生テレビ!〜激論!愛国心と国益」
で3時間論じられた“愛国者”に変貌するわたし。

「おかずより くだもの が好きなんだね」
と三つ星シェフに言われてしまう危険を顧みず
心の命ずるままに「なし」を求める季節。

個人的に少々寂しいのは、他の「ぶどう」
「いちご」「みかん」は題名になったり、登場
する文学等の作品が多いのだけれど、
「なし」はあんまり無いみたいなんだよね。

宮澤賢治の『やまなし』ぐらいしか思い浮かば
ないよ。りんごだったら大島渚の『青春残酷物語』
とか樹村みのりの『冬の棘の木』などなどで
印象的に描かれているのに。
なぜ「なし」はだめなの?
色が地味だから?
味が水っぽいから?
まあ義憤にかられても仕方ないけど。

ともかく、食べても食べても飽きないよ。
落語で言えば、ああ 梨が怖い 梨が怖い
ここらで一杯お茶が怖い・・・といったところ。

『想像版 じゅげむ・THE フューチャー』(2013年)
2003年8月31日(日)

落語といえば、最近本屋のカウンターに
「じゅげむ」の本が積んであって
なんでだろう? と思っていました。

新聞の投書欄で、NHKでやっている
“にほんごであそぼ”に出てきたことから
子供の間で流行っていると書いてあって
へぇ〜と読みました。

落語を聴く習慣はないけれど、小学生の時に
子供向けの落語の本は何冊か読んでいて、
けっこう好きでした。超有名な「じゅげむ」
は面白かったので当時暗記したので、
今でも言えるはず・・・
書いてから、正解と照合してみよう

【わたしの記憶】

じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ
かいじゃりすいぎょの
うんらいまつ ふうらいまつ
くうねるところに すむところ
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンガン
ポンポコピーのポンポコナーの
ちょうきゅうめいの ちょうすけ

【正解】

じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ、
かいじゃりすいぎょの
すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ、
くうねるところにすむところ、
やぶらこうじのぶらこうじ、
ぱいぽぱいぽぱいぽのしゅーりんがん、
しゅーりんがんのぐーりんだい、
ぐーりんだいのぽんぽこぴーのぽんぽこなーの
ちょうきゅうめいのちょうすけ

【講評】
×「すいぎょうまつ」→抜け
×「やぶらこうじのぶらこうじ」→抜け
×「グーリンガン」→ ○「ぐーりんだい」
× 二回目の「ぐーりんだいの」→抜け

自分では覚えているつもりだったけど、採点は
55点、といったところか。あてにならんな〜。
ちなみに漢字では−

寿限無寿限無、五劫のすりきれ、
海砂利水魚の 水行末 雲来末 風来末、
食う寝る所に住む所、
ヤブラコウジのブラコウジ、
パイポパイポパイポのシューリンガン、
シューリンガンのグーリンダイ、
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助

−だそうで、これでやっていたら40点ぐらい
だったかな。


高校の時に学年全員で行く「落語鑑賞会」
があって、“星の王子様”こと円楽を聴いた
のですが、前座の若い人がこの噺「寿限無」を
演りました。生意気な高校生にもかなり
ウケていました。面白いよね。


ここ数年、私はこの「寿限無」が応用できるの
ではないか? という一つの現象に注目していました。

名前の長さ、ということではテレビの
「2時間ドラマ」は相当タイトルが長い。
例えば昨日の土曜ワイド劇場は

『広域捜査官・楠錬三郎、
整形美男美女連続殺人!
3+1=3?
立体パズルの謎』

である。じゅうぶん長いが、
「アニメ・特撮の映画」のタイトルも相当に長い。
この夏も

『劇場版 爆竜戦隊アバレンジャー
DELUXE
アバレサマーはキンキン中!』

『劇場版 ポケットモンスター
アドバンスジェネレーション
七夜の願い星 ジラーチ』

といった具合である。


10年後、例えば17歳の高校生・あかい(仮名)と
14歳の中学生・ゆうぞう(仮名)の従兄弟同士の二人が
下記のような会話をかわす場面が想像される。


あかい「昔映画とか親と行ったよね」
ゆうぞう「うん」
あかい「『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ&
ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』
(1999年)なんか
覚えてる?」
ゆうぞう「僕はウルトラマンだと『劇場版 ウルトラマン
コスモス2 THE BLUE PLANET ムサシ(13才)
少年編』
(2002年)からだね」
あかい「ポケモンは?」
ゆうぞう「『劇場版ポケットモンスター 水の都の護神
ラティアスとラティオス』
(2002年)からかなあ?」
あかい「ふうん。じゃあ『超生命体 トランスフォーマー
ビーストウォーズメタルス コンボイ大変身!』
(1999年)
なんかも見てないんだ」
ゆうぞう「年齢的にキビシイね」
あかい「『デジモンアドベンチャー02 
前篇:デジモンハリケーン上陸!!
後篇:超絶進化!!黄金のデジメンタル』
(2000年)
も見てない?」
ゆうぞう「それはテレビで見た。『劇場版 幻・想・魔・伝
最遊記―選ばれざる者への鎮魂歌(レクイエム)』
(2001年)
もビデオかな」
あかい「お父さんは『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ
モーレツ! オトナ帝国の逆襲』
(2001年)を見て泣いてたよ」
ゆうぞう「『映画 ドラミ&ドラえもんズ 宇宙ランド
危機イッパツ!』
(2001年)あたりから見てるよ」
あかい「逆に『爆転シュートベイブレードTHE MOVIE
激闘!!タカオVS大地』
(2002年)あたりから見てないな」
ゆうぞう「『劇場版 とっとこハム太郎 ハムハムグランプリン
オーロラ谷の奇跡 リボンちゃん危機一髪!』
(2003年)も
見てないんだ!」
あかい「ゆう君、そういえば、どうして僕たちは映画の題名を
完全な正式タイトルで呼称しているんだろう?」
ゆうぞう「しかも製作年度まで」
あかい「血筋かな・・・ほら、親戚のいさお叔父さんぽいよね」
ゆうぞう「ああ、伯父さんはすぐ製作年度を言うよね」
あかい「マニアだね、あの人」
ゆうぞう「ああはなりたくないよね、僕ら」


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