2003年7月


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「高原へいらっしゃい」(再)
2003年7月1日(火)

再放送されていた田宮二郎主演の
「高原へいらっしゃい」が終わりました。
全17話だったのですが、残念なことに途中
でパソコンのデータベースが壊れてしまい
(パソコンで録画していた)結局とびとびに
6話ぶんしか見ることができませんでした。
最終回はかろうじて見れました。

いや〜でも良かったこの番組。


以前は気付かなかったが、主人公の名前が
“清次”という。これ、「悪名」シリーズでの
田宮二郎の役名じゃない!(小学生では
気付くはずもないが) 
明らかに田宮二郎へのアテ書きだったわけですね。

田宮二郎らしさ(カッコ付け)を共演の前田吟
にバリバリ批判させつつ、不器用なキャラクター
の魅力を生かすという・・・山田太一らしい
“俳優リスペクト”が冴えています。

連想で思い出した山田作品。
同じくアクション俳優に“サービス業従事者”
を演じさせた作品がありました。1986年頃か、
千葉真一がコンビニ店長に扮した
「深夜にようこそ」。

準主演の松田洋治(のちに「もののけ姫」で
アシタカの声を演じた)も良かったのですが、
千葉チャンの非・アクション演技が当時話題に
なりました。

「高原へいらっしゃい」「深夜にようこそ」
と並べると題名も似ていますが、両方とも
中年男性がエリート路線からは脱落しつつも
ちょっと正規のルートからは外れたところで
自分なりのカムバックを果たそうとする話。

山田太一氏ははドラマ内容もさることながら
俳優への目のつけどころもすぐれてるなあと
いつも感心します。新版の「高原・・・」
では自身が佐藤浩市を指名されたそうです。


さて、「高原へいらっしゃい」が語られる
場合には必ず引き合いに出されるのが主題歌の
「お早うの朝」。

27年ぶりに聴きましたが、一番の歌詞は
完全に覚えていました。一字一句たがえず。


ゆうべみた 夢の中で
僕は石に なっていた
見知らぬ町で 人に踏まれ
声を限りに 叫んでた
夜の心の 暗闇から
夢は わいてくる
覚めても夢は 消えはしない
けれど おはようの朝は来る


クレジット・タイトルを見たら
「作詞・谷川俊太郎」とあったので、驚いた
というより“あーやっぱりなー”と思いました。
どうもこの人にはご縁があります(←勝手な
思い込みです)。

今回この歌を書き出してみて、構成的に似てる
歌があるなあ・・・と思いました。
市川崑監督のTV時代劇「木枯らし紋次郎」の
主題歌「誰かが風の中で」です。作詞は市川崑
夫人の和田夏十さん。


どこかで 誰かが
きっと 待っていてくれる
雲は焼け 道は乾き
陽はいつまでも 沈まない
心は むかし死んだ
ほほえみには 会ったこともない
きのうなんか 知らない
きょうは 旅をひとり
けれども どこかで
おまえは 待っていてくれる
きっと おまえは
風の中で 待っている


どちらの曲も、前半で“悲惨な状態”を
これでもかっていうぐらいに描写。
前者の悪夢、後者の日干し感と、どちらも
キツい現実である。
「だけど」「けれども」という逆接の
接続詞でブリッジして、それでもほんの
一握りの希望が残されてるよ、という
認識を示す。


「お早うの朝」は、歌詞を後ろのほうから
追っかけていくと、

人と人は気軽に「おはよう」と声をかけあって
いるが、一人一人は暗く孤独な夜を過している
のだ、・・・ということをしみじみ感じさせる。

空に雲が浮かんでいるのを見、人が身近に
感じられる日もあるが、人はそれぞれ自分の
心のひずみとたたかっているのだ、
という感銘深いエンディングの名作まんがが
あるけれど、そんな表現とあい通じるものを
感じたりもします。

ちなみに二つの曲はともに作曲・小室等。
谷川俊太郎は和田夏十さんの遺稿を集めた
「和田夏十の本」を編著している。

そんなこんなで、いろいろ考えさせられた
再放送でありました。

キャサリン・ヘプバーンさん死去
2003年7月2日(水)

6月29日(日本時間30日)、米国の大女優
キャサリン・ヘプバーンさんが亡くなりました。
享年96。
史上最多4度のアカデミー賞主演女優賞など、
輝かしい業績は各種報道を参照。

数多い作品歴の中で、数えるほどしか見てない
ですけれど、この人については“とにかくスゴイ”
という印象。女優の一人ではなくまさに
「キャサリン・ヘプバーン」というワンジャンルを
形成していたの感あり。


わずかに見た作品のひとこと感想(製作年度順)

「男装」(1936)
●若い。題名にもある男装は可愛いが映画としては
それほど取り立ててどうこう言うものでもなかった。

「赤ちゃん教育」(1938)
●この映画は傑作!ヘプバーン氏のマシンガン・
トークに圧倒される。

「アフリカの女王」(1951)
●アクション映画だけど彼女の細かい感情の変化が
みどころ。

「旅情」(1955)
●代表作かな。大監督と大女優のタッグは、世にも
細やかな心理映画。

「雨を降らす男」(1956)
●バート・ランカスターと共演!“ハイミスの心理
はお任せ!”的な熟練の役柄把握。

「ディスク・セット」(1957)
●未公開映画。私が見た時のTV放映題名は「おー!
ウーマンリブ」。IBM協力の電算機コメディです。

「去年の夏突然に」(1959)
●すみません、山岡久乃が吹き替えだったなあ・・・
ということしか覚えてません。

「招かれざる客」(1967)
●スタンリー・クレイマーは尊敬する監督だけど、
この映画はやや舞台的すぎて・・・ごめんなさい。

「黄昏」(1981)
●ヘンリー・フォンダとのツーショットを見るだけ
でも価値がある上に...映画の出来も良かった。


□見逃し作品・みたい理由□

「勝利の朝」(1933)
○「女優志願」のオリジナル作品だ。

「若草物語」(1933)
○ジョー役だそうで。これは見たい。

「フィラデルフィア物語」(1940)
○ジェームズ・スチュアートと共演。

「女性NO.1」(1942)
「アダム氏とマダム」(1949)
○スペンサー・トレーシーとコンビ。

「冬のライオン」(1968)
○ピーター・オトゥールと共演だ。

「トロイアの女」(1971)
○そうそうたる大女優共演編。

「オレゴン魂」(1976)
○ジョン・ウェインと共演とはね。

「めぐり逢い」(1994)
○結果的に遺作なので・・・。



私はきっとこの女優さんの本当の魅力(という
のか)がわかっていない。わからないなりに
「うまいじゃないか」「すごいじゃないか」
と騒いでるだけなので恥ずかしいのですが。
良いものを見て自分の感覚を磨きたいと
おもいます−−−なんていう、あおぎみる
“山の頂上”を思わせるヒトでありました...。
ご冥福をお祈りいたします。

勝手にシンドバット
2003年7月3日(木)

【7月1日のニュース記事より】

「シンドバッド」が四半世紀経てトップ獲得

サザンオールスターズのデビュー曲「勝手に
シンドバッド」(78年)が結成25周年を記念
して6月25日に再発売され、音楽情報誌「オリ
コン」の7日付けシングルチャートで初登場1位
となった。25年前の発売時は3位が最高で、
25年越しのトップ獲得。初チャートインから
1位獲得までの期間の長さで、浜田省吾「悲しみ
は雪のように」の10年3カ月を抜き歴代1位に
なった。


・・・だそうです。へえ〜。
私は一貫してサザンオールスターズには関心が
なくて。理由は、何を歌っているのかよくわか
らないから。音楽を理解してなくてすみません。

とはいうものの、長年第一線でやっている人たち
なので、私の関心分野である映像関係で見かける
こともいくつかあり。

四半世紀記念ということで、記憶に残っている
サザン・桑田関係のことをメモ書き。


TV番組『ザ・ベストテン』の“今週のスポット
ライト”コーナーで、TV初出演(だったか)の
サザンを見ました。「ウォー」とか騒がしく出て
きたね(中継)。私が中学2年の時。


「勝手にシンドバット」で思い出すのはこんな
場面。当時、映画のチラシを集めてて、馬車道の
東宝会館でゲットした帰路、自転車で伊勢佐木町
商店街(黄金町の方)を走っていたら、この曲が
大音量で流れていました。ちなみにその時手にして
いたチラシは『サスペリア2』で、以来「勝手に
シンドバット」を聴くと『サスペリア2』の宣材
絵ヅラがパッと浮かびます。嫌だけど。


テレビドラマ主題歌で有名なのが
『ふぞろいの林檎たち』→「いとしのエリー」
『ずっとあなたが好きだった』→「涙のキッス」
まあこれは特記しても仕方ないか。


映画で使われた例

『アイコ一六歳』→「Never Fall In Love Again」
ほかにも色々使われてた。まんがオタクとしても
有名な富田靖子のデビュー作。評判は良かったが
私は今ひとつノれなかった。

『冬物語』
原秀則がヤングサンデーに連載してたまんがの
映画化。「C調言葉に御用心」が主題歌として
OPとEDで使われていた。見ている人が少ない
けれど、なかなかイイ映画でした。昔の東宝青春
映画みたいで。予備校教師役の草野大悟が良かった
です。


西村望原作の『犬死にせしもの』という映画が
ありました。井筒和幸監督、真田広之主演。
たしかこの作品、企画初期に監督は大森一樹で
主演は桑田佳祐にオファーしている・・・という
報道がされたように思います。


角川映画『蒲田行進曲』には桑田佳祐・作の
「恋人も濡れる街角」(唄・中村雅俊)という
曲が唐突感イッパイに流れます。撮影は松竹
大船でなされた作品なので、湘南つながり
での起用だったのでしょうか。


サザンの曲が目一杯フューチャーされている
のが『彼女が水着にきがえたら』。ホイチョイ
は前作(私スキー)をユーミンで当てたからって
今度はサザンって安易・・・と思ったけど、
冒頭の「さよならベイビー」のイントロの入り
方なんか絶妙で、けっこう見直しました。
かなり“東宝映画マニア”な映画で、佐藤允が
中国を喋るだけでその筋の人(?)は大喜び
だったでしょう。


平成ウルトラマンなどを手がけた小中千昭が
学生時代に撮った映画「刑事あいうえ音頭」。
“クレージーの無責任もの”にオマージュを
捧げた映画で、主旨に賛同したのか桑田佳祐
がカメオ出演してました。たしか自衛隊に
勧誘される男の役で、セリフは「入って
みようかな・・・」だったように思う。


桑田佳祐がウルフマン・ジャックの声をあてた
「アメリカン・グラフィティ」吹き替え放映
があったはず。


肝心なの忘れてました。「稲村ジェーン」。
昔の湘南のさびれた感じがマアマア良かったけどね。
草刈正雄が胸を病んだ男の役で出てて、彼のファン
としては得点高い映画。


これぐらいかな・・・。しかし四半世紀かあー。

7月3日に生まれたトム君。
2003年7月4日(金)

きょうは7月4日でありますが、

「7月4日に生まれて」
(Born on the Fourth of July)

という映画がありました。オリバー・ストーン
監督のベトナム戦争映画。この監督を悪く言う
人は多いですが、私はけっこう好きなんですよね。
この映画も強い感銘を受けました。

トム・クルーズの演技が評判になりましたが、
私も「やるじゃない〜」と感心しました。
私の好きな俳優の範疇から外れるのですが、
つまり・・・
@私はハンサムスターは好みじゃないんだけど
A私は背の高い役者が好きなんだけど
・・・ところが例外的にトム君は「7月4日に
生まれて」以来、比較的追っかけています。

同居人がトム君大嫌いで困ってます。いわく、
「叫ぶような演技がワンパターン」「チビ」
だって。まあそうとも言えるが・・・。

ちなみに彼の誕生日は1962年の7月3日
です。私の兄貴と同じ年月の生まれだな。

以下、出演作とヒトコト感想(カッコ内は製作年)

○は観た映画、●は見てない映画です。


エンドレス・ラブ(1981)
●デビュー作らしい。怖そうな映画・・・。

タップス(1981)
●共演者の評判(T・ハットン、S・ペン)が
高かったが。

アウトサイダー(1983)
○コッポラ監督の佳作。T・クルーズは印象薄い。
レイフ・ギャレットの印象が強い(笑)

卒業白書(1983)
●初の主演作。作品の評価が高かったので
観ようと思いつつ逃した。

栄光の彼方に(1983)
●しーん。

レジェンド/光と闇の伝説(1985)
●リドリー・スコット監督って私ニガ手なの。

トップガン(1986)
●大ヒット映画だけど、トニー・スコット監督
も・・・。ニガ手兄弟。

ハスラー2(1986)
○トム・クルーズ評価!P・ニューマンに
負けない力強い演技。

カクテル(1988)
○「つい見てしまった」としかいいようがない。
アイドル映画みたいなヘンな作品。

レインマン(1988)
○この映画のトム君も良かった!わたし的には
D・ホフマンより印象強いよ!

7月4日に生まれて(1989)
○この映画でハッキリ「トム君支持」を
心の中で明確化。ツバ吐き合戦が笑える。

デイズ・オブ・サンダー(1990)
●こういう映画を見る勇気はないナ・・・。

ア・フュー・グッドメン(1992)
○評価が高かったけれど、この映画の演技は
ちょっと硬かったような気がするなア。

遙かなる大地へ(1992)
●ロン・ハワード監督の映画は嫌いなのです。
金もらっても見たくないぐらい。

ザ・ファーム/法律事務所(1993)
●なんとなく見逃し。ホリー・ハンター共演
か・・・。チビッ子コンビだね。

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア(1994)
●評判いまいちだったので見なかったけど
出演陣は気になる。

ミッション:インポッシブル(1996)
○けっこう面白い。プロデュース作品だけど
バネッサ・レッドグレーブ出演がポイント高い。

ザ・エージェント(1996) Jerry Maguire
○今のところトム君のベスト作品だね!
アカデミー賞とってもおかしくなかった。
レニー・ゼルウィガーもヨカッタ。

アイズ・ワイド・シャット(1999)
○難しい役をよくやっていたと思います。
さらにポイントアップ。

マグノリア(2000)
●上映時間の長さにおじけて見てない。

M:I−2 (2000)
○ぎゃはははは!面白いこの映画。トム君も
スタントしまくりで好感度アップ。

バニラ・スカイ(2001)
●ごひいきキャメロン・クロウ監督の作品なので
WOWOWで放映されたら必ず観ます。

マイノリティ・リポート(2002)
○アクションスターだねえ・・・ほれぼれ。
殿堂入りのオーラをまといつつある。

オースティン・パワーズ/ゴールドメンバー(2002)
●カメオ出演らしい。TV放映待ち。

ラスト・サムライ(2003)
●真田広之共演。今年の12月公開予定だと。

Mission: Impossible 3 (2004)  
●今回はデビッド・フィンチャーが監督らしい。
2004年5月に全米公開の予定とか。


今後も期待してますよ〜。

トムは真夜中の庭で
2003年7月4日(金)

トムついで、で。
トム・クルーズではなく、有名な児童文学作品
「トムは真夜中の庭で」を読みました、という
短いコメント。先日読んだもので。

ネタバレですので、これから読もうという人は
ご遠慮下さい。すみません。


【岩波ブックサーチャーの紹介文】
友だちもなく退屈していたトムは、真夜中に
古時計が13も時を打つのを聞き、ヴィクトリア
時代の庭園に誘いだされて、ふしぎな少女と
友だちになります。歴史と幻想を巧みに織り
まぜた傑作ファンタジー。


≪時間もの≫に感心のある私としては、いつか
読もうと思っていた作品(1957年・英)。
作者はフィリパ・ピアス、日本では岩波少年
文庫に入っていて広く読まれているようです。
読んでなかったのは僕だけかな・・・。


この作品、ホントによく出来てます。話は
アイデア倒れになってなくて、登場人物には
血が通っています。
異界のルールがハッキリしていて、ファンタ
ジーにありがちな“勝手な設定にバカにされ
てる感”が無い。
ともに孤独を感じている二人、現代の少年トム
と、過去の時代の少女ハティ。それぞれの心
持ちがキッチリ描かれてる。


友達になった二人だけれど、時の流れの
違いから別れることになる・・・。
それで終わりだったら普通の作品なのだが、
同じアパートに住む老婆がハティだった!
驚きながらも会話をかわすトム。
ラスト、別れ際にとってかえしたトムが
ハティを抱きしめる光景を、彼の叔母さんの
述懐で締めくくる手際が鮮やか。


老女の中に変わらぬ“少女”を見てそれを
いとおしむという感性。自分が習得できな
かった豊かな想像力を見て、ため息をつく
ばかりです。


たとえば漫画家の樹村みのりさんの描いた
「となりの一平くん」という子供向けまんが
の一篇『おばあちゃんと一緒』でも、
≪時間を経ても変わらないもの≫への
まなざしが感じられました。切なさと、
豊かに心満たすものを・・・優れた
≪時間もの≫作品は与えてくれます。


と、言ったことろで“今さら感”ありですね。
若い頃の読書体験の無さが悔やまれまする。

傘が(思い出せ)ない
2003年7月5日(土)

えー梅雨時ニッポン列島、というわけで
毎日傘の持ち運びが不便ですね。

と、いうこと(強引)で“傘”が印象的に
登場する映画をリストアップしてみましょう。

(最近このパターン多いな・・・。ボケ防止の
ためにやってるの説もあり。)

無限にありそうな気もするが、例によって自分が
覚えているもののみ。


●「シェルブールの雨傘」
そのまんまでゴメン、と謝りたい気持ちだが
オープニングの俯瞰映像は楽しい。

●「007は二度死ぬ」
オープニングといえばこれだね。ナンシー・
シナトラの歌声に傘デザインのタイトルがかぶる。

●「ポリスストーリー/香港国際警察」
ジャッキーが傘一本で爆走する二階建てバスに
ぶらさがる。危なすぎる。死んじゃうよ!

●「侍」
岡本喜八監督のハード時代劇。傘をバサっと開く
カットで映画が始まる。

●東宝映画のマーク
“唐傘”と呼ばれているらしい。

●スパイ映画(よくある)
傘の先から何か出る。刺したり、撃ったり。

●「続・悪名」
田宮二郎の“モートルの貞”が刺客に襲われ
俯瞰で捉えた傘がゆっくり倒れる。名シーン。

●「おとうと」
上と同じく宮川一夫の撮影。冒頭、雨に濡れて
歩く川口浩に姉の岸恵子が傘を差し掛ける。

●「緋牡丹博徒・お竜参上」
藤純子と文太が雪の橋で別れ。傘を差し出すと手に
したみかんが落ち雪の中を転がる(記憶不鮮明)。

●「マイノリティ・リポート」
バックにヘンリー・マンシーニの「ムーン・リバー」
が流れるシーン。面白い。

●「メリー・ポピンズ」
飛んでくる。

●「八月の狂詩曲」
あのオチョコになるシーン!
黒澤明はやっぱりスゴイ。

●「ライアンの娘」
崖から落ちるのは・・・日傘だったか。
息を呑む映像。

●「鴛鴦歌合戦」
マキノ監督のオペレッタ映画。志村喬が傘張り
をしていて、傘がイッパイ出てくるシーンあり。

●「海外特派員」
ヒッチコックの映画。傘の群れの中での殺人。

●「肉弾」
売春宿の店名の書いてある唐傘が重要な小道具に
なっている。岡本喜八監督はけっこうこだわりが
あるようで、「斬る」でも使っている。

●「明日の太陽」
大島渚監督のデビュー前の短編。赤い傘をさした
若い十朱幸代が、新人俳優たちを紹介していく。

●「四月物語」
松たか子が本屋で傘を借りる。岩井俊二監督が
臆面もなく少女まんがテイスト全開で迫る。

●「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」
S・コネリーが傘で脅かして鳥の群れを追いたて
敵のヘリ(だったか)を撃墜。面白いアイデア。

●「まぼろしの市街戦」
傘をさしたジュヌビエーブ・ビジョルドが
綱渡りでやってくる。

●「となりのトトロ」
バス停。

●実験アニメ映画
手塚治虫の「おんぼろフィルム」だったかな?
違うか。古い映画フィルムには傷がついて
“雨”のように見えるが、アニメの人物が
それに気付いて傘をさす・・・というメタ・
フィクションのギャグがあったような記憶が。


とりあえずこんなところで。

ハーモニーの美しさ
2003年7月5日(土)

5月頃から放映されている
新ウナコーワクールのCM。

参考:CM報道

このCMソング、すごく良いですね。
初めて聴いたときから気に入ってます。

「♪しずまれしずまれ」の箇所の
ハーモニーの美しさが泣けます。

歌詞もいいねえ。

♪かゆいところは〜ど〜こ〜 
しずまれしずまれ
虫さ〜さ〜れ〜 
かゆいところ〜にお手伝い〜♪

短いですけど、聴けます↓

コーワのCM一覧

雨まんが大王
2003年7月6日(日)

梅雨よ早く明けろ〜という願いを込めて、
本日は「雨」が印象に残るまんがを挙げて
みます。おそらく天文学的な作品数がある
と思いますが、あくまで自分の読んだごく
少数の作品からです。

(敬称略)

特定作家さん、偏りましてご容赦。

●樹村みのり
「雨の中のさけび」「雨」「解放の最初の日」
「となりの一平くん」(雨の夜はみんな・・・)
「カッコーの娘たち」「晴れの日・雨の日・曇りの日」
「Flight」「夏を迎えに」
「海辺のカイン」「母親の娘たち」
「ナイト・ドライブ」「家への長い道のり」
雨は主人公の厳しい現実、を象徴するもの?
短編ながら「雨」は傑作だ。「夏を迎えに」は
季節感とプロットの絡みが絶妙で、うなる。

●千明初美
「ちひろのお城」「雨のぬくもり」
「七夕」「バイエルの調べ」
主人公が追い詰められた局面で雨がうちつける。
あ〜刺すような冷たさ・・・。しかし苦しみが
洗い流される。


以下は思いつくまま。

●大島弓子「綿の国星」
冒頭、チビ猫が雨の中で臨死体験。
エンディングとのコントラストが鮮やか。

●山岸凉子「雨の訪問者」
不思議短編。

●太刀掛秀子「雨の降る日はそばにいて」
好きな作品。続編「6月のシロフォン」も。

●軽部潤子「君の手がささやいている」
聾唖の母・美栄子に、娘が初めて話しかけた
手話が“あめ”。幸福な瞬間。

●軽部潤子「ケイ先生の通信簿」
エピソード『プロポーズ』。読んでくだされ。

●水島新司「野球狂の詩」
“雨・・・バラ・・・?”岩田鉄五郎が語る
初恋エピソード。名作。泣けます。

●中沢啓治「黒い雨にうたれて」
初期劇画調ながら強烈な内容。この怒り、
和製オリバー・ストーンと言いたい。

●チャールズ・M・シュルツの
「スヌーピー」シリーズの一編
雨の中に立つルーシーとスヌーピー。
ルーシー「女の子はみんな雨の中の
初めてのキスにあこがれるわ・・・」
スヌーピー「(チュッ)」とキス
ルーシー「今のがそうだったの?」

●美内すずえ「ガラスの仮面」
雨に打たれて熱を出す。わざと。

●高野文子「黄色い本」
雨の日のバスで本を読むと酔うかな?

●山本鈴美香「エースをねらえ!」
突然の雨・・・。ひろみが冷えないよう藤堂さん
が・・・。書いてて顔が赤くなります(←バカ)。

●矢代まさこ「フォルテシモで飛びたて!」
クライマックス・シーンの盛り上がり、矢代さんの
豪腕がうなる。

●しりあがり寿「真夜中の弥次さん喜多さん」
しとしと降る雨の中、存在が溶け出していく・・・。

●さくらももこ「ちびまる子ちゃん」
大雨で清水市が水没。

●樹村みのり「家族の風景」
大雨で川口市も水没。

●つげ義春「海辺の叙景」
海水浴場の雨ってさみしいものがあります。


手塚治虫・萩尾望都・大島弓子なんかは作品数も
ボー大だし、本をめくればイッパイ出てくると
思うけど・・・。今のところはこれぐらいしか
出てこないなあ。

「パール・ハーバー」
2003年7月7日(月)

WOWOW放映を録画しておいたビデオを
見ました。ダメ映画とは聞いていたけれど、
予告編の“真珠湾攻撃シーン”が気になって
いたので、これだけのために。


感想としては「ダメ映画です」としかいい
ようがないです、確かに。『タイタニック』
の成功をバリバリに意識した造りですが、
恋愛モノのところがもうどーしよーもなく、
この部分は佐野元春の
「勝手にしなよ(Do What You Like)」という
歌をくちずさみながら見物しました。

映画の最初のほうで、看護婦さんが兵隊のケツ
に注射をするコントを延々と続けるところは、
なんか香港映画のノリでした。


これの封切時、近所のシネコンに別の映画を
観に行って、チケット売場に並んでいました。
私の前の若いカップル、男の方が窓口で
言いました
「『パール・パーラー』大人二枚」

窓口のおねえさん
「『パール・ハーバー』ですね」
彼「あ、そうそう」。彼女「バカ〜!」
二人で笑っていました。

パール・パーラー・・・そんなパチンコ屋
ありそう。


“真珠湾攻撃シーン”ですが、何と言ったら
いいのやら。

CG技術の進歩で、
「本当に殺している感」
がアップしているので、こころ穏やかに
観ることができない・・・。
海に浮かんでるたくさんの米兵めがけて
何度も何度も、本当に何度も何度も
機銃掃射して殺しまくる日本軍。
水中撮影では、海中でも弾道が泡で書き込
まれていて水中でもバリバリ殺害されていて
恐ろしい。
いや、父親が昔 海でグラマンに機銃掃射
された、って聞いたことがあったもので。
自分の存在が問われる(?)・・・。


非常に感情に訴える映像。
うーん、「プライベート・ライアン」なんかも
リアル映像だったけれど、違うんだよな〜。
「プライベート・・・」はある感情を誘導しよう
という意図が無かったように思う。

とにかく描写が一面的なので、子供に見せる
場合は、いろいろと説明が必要な映画だと思う。
PG−15だな。


映画の予備知識がなかったので、そのあとで
1942年の“ドゥーリトル東京空襲”が描かれて
いたのが意外でした。
戦時中(1944年)にアメリカで作られた
「東京上空30秒」というのがドゥーリトル
東京空襲の映画、ということぐらいしか知らな
かったので、こういうものだったのかーと。


バカ映画なんだけど、使いようによっては
映像教材になると思います。
取り扱い注意だけど。

七夕
2003年7月7日(月)

7月7日なので書いておきます。

千明初美さんの佳作「七夕」を含むりぼん
コミックス(『いちじくの恋』・絶版)の復刊を
星に願う!

千明初美作品を復刊させよう!

千明初美 傑作集 全3巻
〜『蕗子の春』『いちじくの恋』『バイエルの調べ』

復刊ドットコムのリクエスト投票には
住所・氏名などの入力が必要となりますが…

ご協力をお願いしま〜す!

「いつもそばに本が/石坂啓」
2003年7月8日(火)

きのう「パール・ハーバー」の事を書いて、
あ、あれ・・・
と思い出して新聞の切り抜きを引っ張り出す。


まんが家の石坂啓さんが『朝日新聞』日曜朝刊
書評コーナーの「いつもそばに本が」という
読書体験エッセイを書かれました。
上中下の3回(5/18、5/25、6/1)。

その(中)の文章には
“描きたかった「反戦」/読書で戦争を追体験”
という見出し。

本文より抜粋

「マンガ家になって何を描きたかったのかと
いうと、かなり口はばったいのだが、実は
『反戦』なのである。」

「私には戦争体験がないが、さまざまな資料
から追体験することはできる。」

「この春、あっけなく『有事法案』が衆議院
を通ってしまった。慄然とする。『有事』と
は『戦争』ということではないのか。」

*いずれも『朝日新聞』2003年5月25日朝刊
より引用


エライまんが家さんとタメ口きくなよ、と
いわれそうですが、こういった感性は
非常に近しいものに感じます。
良くも悪くもね。

“戦争体験”への関心、
創作テーマとしての“反戦”、
現在の“戦争”意識の変化への反応

・・・これらは、石坂氏の文章にもあるの
ですが、思春期に芽生えて根をおろし、
現在でも自分の課題になっているもののよう
です。


しかし、こういった関心は、多くの人の中に
あるものですが、みな静かに心の中で思う
ものであって、80年代(高校・大学時代)に
発言するとずいぶん周囲から浮いたものです。

この頃、石坂氏は「安穏族」やその他でも
作中で戦争について書かれていて、
読んで私は「がんばっているなあ」と
共感したものです。

私みたいに共感していた人もいた反面、
ずいぶん「ウザったい」「左翼がかっている」
とケナす人も多かったようですが。

それから20年たったいま、その人が
「マンガ家として『反戦』が描きたかった」
と書かれているのを読んで、描けばちゃんと
届くものだ、の感を新たにします。


「なんで『戦争』に興味があるの?」
「なんで『戦争』についての本を読むの?」

と聞かれて、とっさに答えることは難しく、
そこは・・・ゴニョゴニョとするしかない。

何でかな・・・ハッキリ理由を言えないことに
対して、弱気になることもあります。
テーマ違いではあるのですが
「14の時からそのことしか考えたことがない」
と言う某作家さまですとか、
石坂氏のような「自ら感じるものがあり、
戦争を許さないことを表現したい」と言い切る
人たちに(作品を読むことで)接すると、
理由・根拠を完全武装するよりも自分の感覚の
方を信じてもいいのかな・・・と思ったりも
します。

「反戦映画」をつくる
2003年7月9日(水)

昨日の文から、続く。

まんが家の石坂啓さんの文章のマネになって
しまうのだが、

「自主映画を製作するにあたって何を描きた
かったのかというと、かなり口はばったいの
だが、実は『反戦』なのである。」

というのが学生時代の私の意見であった。


映画監督の市川崑さんはインタビューに
答えて、
「戦争は自由な表現活動を妨げるものなので
反対する」
といった主旨の発言をされたことがあります。
私もそう思います。

で、“表現の自由”を訴えるべく、8mmで
『荒野の二十一条』という映画を撮りました。
題名はジュリアーノ・ジェンマ主演のマカロニ・
ウエスタン『荒野の一ドル銀貨』のパロディ
として付けました(オチをパクってます)。
学園の言論の自由を封殺する殺人集団に対し
一人の男が立ち上がる・・・というアクション
コメディ。

憲法21条擁護・・・というテーマがテーマ
だけに、硬直化した表現にならないよう工夫
したつもりだったのですが、アクション場面
やモンタージュに妙に凝りすぎてしまい
“わけのわからないヘンな映画”になって
しまいました。

雪辱を期し、より明解な主張を込めて続編
『夕陽の九条』
を企画しつつも果たせず、学生時代を終えて
今日に至る・・・ということになります。


やはり映研時代に、後輩と共同監督で
『時に忘れられたオカモトミワコ王国』
というスパイ映画を撮ったのですが、
ここでは誘拐されて自由を奪われた男を
通じて、憲法で保障された“人権”の
尊さを描きました。

某王国が戦争の歴史を変えるような兵器を
開発したとの報に、スパイがその国へ潜入。
発明したのは20年前に拉致された日本の
科学者だった。機密を託しスパイの脱出を
助けた科学者は、王国秘密警察の銃弾に
倒れる。スパイは亡き科学者の懐に一冊の本
を見た。樋口一葉。彼は娘に“たけくらべ”
という名前を付け(注:これはギャグ映画です)
望郷の想いを託していたのだ・・・。

誰も見てないのをいいことに自画自賛しますが、
この科学者絶命シーンに付けたビクター・ヤング
の“Around The World”のソフトなインスト曲が
ベストマッチで、国家の非情と親子の情愛が
うまく表現できたと思います。


冗談はともかくとして。

自分は表現技術が稚拙で、テーマをうまく伝達
できませんでした。残念です。
今でもあきらめてるわけじゃないんだけど。


さて、私が観た限りの狭い範囲でも、古今の映画
には優れた「反戦映画」がたくさんあります。
次回以降は、それを紹介してみたいと思います。

そもそもなぜ反戦?
2003年7月10日(木)

映画を紹介する前に、そもそも・・・の話。


ここのところ“反戦”という言葉を
軽々しく使っていますが、
「戦争を起こすことに反対する」
という主張・・・
これに同意し、その主張を表現した表現
−に共感するのは何故でしょう。

@死ぬのがイヤだから
A殺すのもイヤだから
B戦闘に参加しなくても、行動が制限される
から
C軍隊に入りたくないから
D戦争状態によって財産や生命を失うから
E核兵器が使用されると、地球が終わるから
F話し合いで解決しようとしないのが
人間的でないから

など。

と、わかっていても、戦争起こったよね、
ついこのあいだ。支持したよね、日本。

「話し合ってもムダだよ。あいつ凶器隠してる
し、ヤバイよ。殴って言うこときかせようぜ。
まわりに迷惑かけないから。すぐ終わるし〜」

といったアル中のオヤジみたいな言い草で
米国が対イラク戦争を仕掛けた。
「声なき声」で支持をしてしまった我々、
さっきの@〜Fに対して

@ぼくら日本人は死なない
Aぼくら日本人が殺すわけじゃない
B戦闘してないので、行動が制限される
わけではない
C志願しなければ軍隊には入らない
D戦争状態によって財産や生命を失う人が
いるが、ぼくら日本人ではない
E核兵器は使用されないと思う
F話し合いで解決したほうがいいけど、米国が
なるべく被害少なく早めに終えるって言ってる
から

・・・とまあ、
“理屈と膏薬はどこにでも付く”
という言葉もあるように、とりあえず当事者
ではないというコトで、「戦争には反対だけど
対イラク戦争は仕方ないか・・・」と支持した
わけである。

目の前になければOK。

当事者にならなければOK。

なんだよね、残念ながら。
残念というのは、
「目の前にいない人への共感がないこと」
「当事者になる可能性を意識しないこと」
に対してです。
そういうことにキリキリ頭を使ってばかり
いては生活できないしィ〜。

そんなことを思いださせてくれる表現物
(新聞・週刊誌の記事、TV番組、
小説、映画、etc)があります。
機械が生み出しているわけではなく、
「とりあえず何かが言いたい人」が発信
しているわけであります。
忘れずに何か言ってくれる人がいるのは
タイヘンありがたい。

フツーに暮らしていきたいので、
フツーに暮らせない状況になることに
反対する。これ当然。

ゆえに、“反戦”なる主張を持つ表現、
思い出させる表現に共感し、支持するもの
であります。

なんか中学生の作文みたいだな・・・。


TV、小説、映画、etc・・・の中でも、
映画は力強い表現をたくさん持っていました。
次回から。

第6部・完
2003年7月11日(金)

ちょっとブレイク。

『ジョジョの奇妙な冒険PART6
ストーン・オーシャン』

の17巻(ジョジョ・・・としては80巻)が
刊行されたので早速読みました。
空承徐倫(くうじょう・じょりーん)が主人公の
第6部がここに完結!

収録の関係か、いつもより厚い(260ページ
ぐらいある)この一冊を読み終えたとき、
一筋の涙と深いタメイキが・・・。

国民的な人気(?)の作品だけに、私が特に
こまごました感想を書くつもりはないんですが、
単行本80冊出しても尽きない奇想の数々には
心底恐れ入ります。


『ジョジョの奇妙な冒険』は1987年から
連載されているのですが、私が始めて読んだのは
翌88年の頭かな。単行本でいうと6巻に
収録されている「“柱の男”蘇生実験の巻」です。
読んだシチュエーションは、会社の昼休み。
先輩社員と喫茶店に入ったところ彼が麻雀ゲームを
やり始めたので、店の『少年ジャンプ』をなんとなく
手に取った。『ジョジョの奇妙な冒険』という
変わったタイトルが目に入った。頁を開いた。
シュトロハイムというナチス将校の異常性格が
描かれていて、「なんじゃこれ?!」と驚く。
その後、見開きで「ドドドド」とジョセフが
オートバイで砂漠をやってくる絵。そして
奇妙なアクション。再び「なんじゃこれ?!」。
次の休みの日、近所の本屋で単行本の既刊を
全部購入、以後『ジャンプ』を買って読むように
なったのです。

『ジャンプ』購入は第2部までで、以後は単行本
のみで読んでいます。しかし私が“新入社員くん”
だった時から連載が始まり、こちらが初老のリストラ
世代になっても「ドドドド」とテンションが落ちて
いないのはホントに凄い・・・。

営業みたいな仕事の日、汗みどろになって歩き回り
ながらも ファミレスで対・ワムウ戦を読んで、
さらに熱くなったなあ・・・などという状況も
思い出されます。



> もしかしてこのイベント行ってた?
> http://homepage2.nifty.com/kajipon/jojo3.htm

これは最近、人からもらったメールに記されて
いたものだけど、そこまでのマニアじゃないよ。


第7部も期待してます。

共通点?
2003年7月12日(土)

ちょっとブレイク、の続き。

『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦先生
といえばもう国民的(?)な作家さんなわけで、
自分なんかとくらべるのは恐れ多いのですが、
一つ共通点があるんです。


自分のfavoriteな人との共通点を
見出す、例えば「あの人はそばかすで、私も
そばかすだ」というようなことで喜ぶという
のは、まあ一つのファン心理ということで
許容していただきたい。


血液型がA型で・・・っていうのもあるけど、
これだと日本国民の何割かが該当してしまう。

豪華本『JOJO A GO!GO!』や
今年CSフジで放映されたインタビュー
でもふれられていましたが、荒木先生は

双子の妹がいる

のだそうです。これが自分との共通点です。

感想:
あんまり可愛い妹が二人もいると、兄は
ちょっと性格が破綻しちゃうのかな・・・。
荒木作品に登場する女性はことごとく
「へんな女」ですが、なにか影響があるので
しょうか。そして、そんな荒木作品に
シンクロ率100%超の自分は何なのか。


今日のは、特に意味の無い話でした。

ゴゴゴゴゴゴ

My反戦映画ベストテン(邦画・洋画)
2003年7月13日(日)

7/10(木)から続く。


隙だらけのゴタクはともかくとしまして、
自分の本題へ。

本当は終戦記念日のある8月にやるのがいい
のですが、ちょっと早めにということで。

テンの中には「えっ?これがなんで?」という
ものも含まれていますが、マアあくまでも
“My”ということで。
基準としては以下の三点−

1.表現に工夫があること。ただセリフで
「戦争はやめよう」と説明しているような
図式的な作品は対象外です。

2.ストーリー、映像、演技...によって
表現されているもの。小説など、文字でも表現
できるじゃん・・・というものは対象外です。

3.強く心に残ったもの。心がうごいたもの。
あくまでも“私が”なので、かなりクセがある
ものに偏りがちですが。

−です。
並びは製作年度順、カッコ内は年度/監督。

【邦画】
『野良犬』(1949年/黒澤明)
『また逢う日まで』(1950年/今井正)
『野火』(1959年/市川崑)
『独立愚連隊』(1959年/岡本喜八)
『兵隊やくざ』(1965年/増村保造)
『戦争と人間(3部作)』(1970-73年/山本薩夫)
『仁義なき戦い』(1973年/深作欣二)
『宇宙戦艦ヤマト』(1977年/監督・舛田利雄)
『太陽の子・てだのふあ』(1980年/浦山桐郎)
『戦場のメリークリスマス』(1983年/大島渚)
『黒い雨』(1989年/今村昌平)

【洋画】
『独裁者』(1940/チャールズ・チャップリン)
『禁じられた遊び』(1951/ルネ・クレマン)
『戦場にかける橋』(1957/デビッド・リーン)
『渚にて』(1959/スタンリー・クレイマー)
『誓いの休暇』(1960/グレゴリー・チュフライ)
『ニュールンベルグ裁判』(1961/S・クレイマー)
『博士の異常な愛情』(1964/S・キューブリック)
『僕の戦争』(1967/リチャード・レスター)
『スローターハウス5』(1972/ジョージ・ロイ・ヒル)
『五つの夜に』(1979/ニキータ・ミハルコフ)
『ウォー・ゲーム』(1983/ジョン・バダム)

両方とも11本あるような気がするが・・・
まあ、いいや。
次回から、上記の20本を中心に、その他の
作品も含め、私の思うところを書いてみたいと
思います。

『戦争と人間・三部作』
2003年7月14日(月)

【My反戦映画・邦画 その1】

日本は平和憲法を持つ国でありますから、
私も受けた教育で「二度と戦争を起こしては
はいけません」と習いました。みんなと同じ
ように。

高校に入ると保守的な思想を持つクラスメイト
が出来、冷戦がヒートアップしていた80年代
初頭のことですから
「お前はソ連が攻めてきても戦わないのか?
自分の国を守るために軍隊も持たなければなら
ないし、戦争も必要だ」
と、
さんざん言われました。
「それはそうだけどネエ・・・」
だからと言って、
「軍隊OK、戦争OK」
と言えないのは、頭の中にイロイロな断片が
あるから。


まあ誰でも小さいころからTVを見たり
本を読んだりしているわけで。

たとえば夏休み、NHKの連続テレビ小説
を見ると、女の一代記的な話をやっていて、
戦争で苦労するさまが描かれている。
「雲のじゅうたん」「風見鶏」「鳩子の海」
いろいろありましたが。
アストロ球団、野球狂の詩、といった野球
まんがでも戦場に散った選手のエピソード
とかあったし。
小学館の学年誌の終戦特集、家でとっていた
政党新聞の記事、etc。

なかでも『少年ジャンプ』で連載されていた
「はだしのゲン」。小学校低学年で読んだ私
には強烈・・・という以上のインパクトを
与えた作品でした。

余談ながら、アメリカ映画は安易に核兵器を
爆発させるので、神経を疑う。シュワルツェ
ネッガーの『トゥルーライズ』(1994年)で
キノコ雲を背景に主人公男女がキッスする
馬鹿シーンがあるが、怒りを通り越して、
アキレかえった。J・キャメロン監督は
『はだしのゲン』を読んでいない!


想像力のない、ぼんやりした子供だったので
普通の人より気付くのが遅くて。

目を開かされた思いがしたのが、中学の時に
TVで見た
「戦争と人間」
でした。
五味川純平の原作を山本薩夫が監督した映画。
『第一部 運命の序曲』(1970年)
『第二部 愛と悲しみの山河』(1971年)
『第三部 完結篇』(1973年)
を続けてみました。

この映画で驚いたことは二点あって、

まず第一は、戦場のシーン。
日本兵が塹壕から銃を撃っているんだけど、
一人が頭を打ち抜かれて死ぬ。いとも簡単に。
驚いたというより「やっぱりな」という
感想。だいたい、TVドラマでは兵隊は
腹を撃たれて、傷口を手でおさえて「うう〜」
とうなってガックリ倒れ、一言三言つぶやいて
死ぬ、というのが戦場死のパターンだった。
ところがこの映画では なんとも即物的に、
一瞬後にはもう死体。
山本監督は共産党の党員でもあるし、まあ
今では“社会主義的リアリズムだネ”と
言えるんだけど。さっきまで生きてた人が
簡単に、一瞬のうちに死体になるモノデアル、
ということを思い知らされました。若いから
ナイーブだった。

第二に、三国連太郎扮する“大陸浪人”の
描写。軍とつるんで、中国で盗むは殺すは
やりたいほうだいの悪いヤツなんだけど、
これがもうハンパでない邪悪さ。
“絵に描いたような悪人”という表現があり
ますが、善悪のハッキリした図式的でな映画
では、「あとで正義によって裁かれるための
悪」として表現されるものですが、この映画の
三国連太郎はツバを吐きまくって あまりにも
楽しげで、欲望に忠実な人間ってこんなもん
かな・・・というリアリティがありました。
たしか死なずに途中から登場しなくなる、
っていうのも、生き延びてんだろうな・・・
と、何か象徴的でした。

映画全体としてはメロドラマっぽい部分が
冗長だったのですが、いろいろ啓発される
ところが多い作品でした。今みたら図式的
すぎてダメかもしれないが...。
DVDは出てなくて、ビデオ(全6巻)が
レンタルショップにあると思います。
昔は夏によくTV放映されてたんだけど。

有名な話ですが、金子修介監督は『ガメラ2/
レギオン襲来』(1996年)を『戦争と人間』
タッチの戦争映画として撮っています。
いいですよ〜。

『野良犬』
2003年7月14日(月)

【My反戦映画・邦画 その2】

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表題作品のネタバレです。ご注意下さい。
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高校時代に夢中で観たクロサワ映画のなかでも
『野良犬』という映画にはたいへんな感銘を
受けました。

刑事ものであり、戦争映画ではないのですが、
ストーリー的に

“戦争というものがどれほど
人間の境遇を変えてしまうか”

を考えさせる作品でありました。

映画が公開されたのは1949年(昭和24年)、
下山事件なんかがあった、まだ戦後
間もない時期です。どんな話を作っても
戦争の影響はまぬがれないのですが。


若い刑事がピストルを盗まれ、その銃で
連続殺人事件が起こる。先輩刑事と捜査、
戦後の風俗−闇市、野球場、ダンスホール
と、見えない男を追う。雨の中、先輩刑事
が犯人の一撃に倒れる。雨上がりの駅で
刑事は犯人を発見し、後を追う。ピストル
にはまだ銃弾が残っている・・・。


という話です。黒澤明はジュールス・
ダッシン監督の『裸の町』(1948年)という
セミ・ドキュメンタリー・タッチの映画に
インスパイアされたそうで、ロケを生かした
すぐれた映像を展開しています。当時の
風俗(野球場のシーンでは背番号16の
川上も写る)も楽しめます。
スダレ越しに太陽を撮ったショットなど
テクニックも斬新。
ちなみに、女スリを追う若い刑事・三船敏郎
が画面の奥からカメラの方に走ってきて
アップになり、左右を見る・・・という
カットは、スピルバーグ監督が『レイダース
/失われたアーク』(1981年)で まんま再現
しています(カイロ市街のシーン)。


この映画の面白いところは、犯人のことを
調べていくと、自分(刑事)と境遇が似て
いることに気付いていく部分です。
二人とも復員兵で、同じ経験をしていること
がわかる。帰国してきて故郷へ向かう列車の
中で、全財産といえる復員袋を盗まれている
のです。それを機に、三船は刑事になること
を決心し、犯人(木村功)は犯罪の道へ。

貧困に追い詰められた犯人を「自分かも
しれない・・・」と思い始める三船。
映像的にも、終幕の対決シーンなど
二人の区別のつかなさ、が強調されています。

黒澤映画のイメージの強烈さはいまさら
言うまでもないのですが、ラストも近くの
二つのシーンには心底参りました。

一つは、追ってくる刑事に犯人が撃ち、
腕から血を流した三船と、顔面蒼白の木村
が雑木林の中で対峙していると、
近くの家で女性が弾いている、ピアノの
音が聴こえてくる・・・。

まあ言葉で説明すると、
ようやく始まった戦後の平和な生活と、
まだ戦争をひきずっている若者の悲惨の
対照・・・ということになるのですが、
ここで感じたいいようのない
“痛み”の感情は、戦争というものが
いかに人の生を狂わすかということを
実感させました。


犯人の名前は遊佐(ゆさ)というのですが、
ラスト、傷の癒えた先輩刑事が、まだ終わった
事件にこだわりを見せる三船にこう言う

「遊佐のことなんか、そのうち忘れるよ」

・・・このセリフとともに、この映画、
この登場人物たちが一生忘れられないもの
として、心の中にすみついてしましました。
そういう人はけっこう多いのではないで
しょうか。

『戦場のメリークリスマス』
2003年7月15日(火)

【My反戦映画・邦画 その3】

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
表題作のネタバレです。ご注意下さい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

大島渚監督のことを書こうと思ったら
13日、大島作品の常連役者である
小松方正さんが亡くなられてしまいました。
『絞死刑』『無理心中・日本の夏』『儀式』
などなどで強い印象を残していますが、
何より『ユンボギの日記』(1965年)のナレー
ション、これが超・強烈。スチル写真を構成
した16ミリ映画なんだけど、
「イ・ユンボギ、君は10歳の少年」
あの“語り”は一生耳に残るよ。
余談ながらいわゆる“大島組”の俳優さんは
声のイイ人が多かった。
佐藤慶。戸浦六宏。小松方正。渡辺文雄。
ゆえにこの人たちが「声優」となった映画
『忍者武芸帳』(1967年)はすごく好きです。
ちなみに
佐藤慶=坂上主膳、戸浦六宏=影丸、
小松方正=鬼吉、渡辺文雄=織田信長
...でした。
小松方正さんを最後に見た映画は、たぶん
89年の『社葬』だと思いますが、スゴイ演技
でした。合掌。


大島渚といえば日本を代表する映画監督であり
名前を知らない人はいないと思うけど、意外と
「作品は見てなくて」という人が多い。

前衛的な表現を行なっていた時期もあるので
とっつきにくいのかもしれない。私がこの人
について言えるのは

ロジカル&ナイーブ
という相反した資質をあわせもった
稀有な存在

ということです。近作の「御法度」なども
そんなタッチの生かされた傑作でした。


『戦場のメリークリスマス』は1983年に
公開されてヒットした映画です。当たった要因
として、“同性愛を描いた映画”でアル、
ということを挙げる人もいました。たしかに
D・ボウイと坂本龍一のキッス・シーンという
のが話題にはなりました。

第二次大戦下、ジャワの捕虜収容所を舞台に
して展開する話でありますが、大島渚が
「戦争はいけない」という主張をするはずも
なく、なんでこのカテゴリーに入れるのか
不可解に思われる向きが多いでしょう。
私がこの映画を見て思ったことだけ書いて
おきます。


大島渚はデビュー作から一貫して何らかの
“犯罪行為”を描いてきた人であります。
デビュー作の『愛と希望の街』は鳩を
売る詐欺行為、第二作の『青春残酷物語』
は美人局、・・・最近の『御法度』は殺人
集団内部の規律と罰則。
『戦場のメリークリスマス』では日本軍の
捕虜への虐待と処刑が描かれています。

この映画の中で、何故日本兵はあれほど
捕虜を虐待したのか?・・・という見る側
の問いから、そもそも日本は何故欧米に
戦争を仕掛けたのか?・・・という問いが
連想されてきます。

骨子を単純に書けば−−−
ヨノイ大尉(坂本龍一)が捕虜のセリアズ
少佐(D・ボウイ)に惹かれて、逆に
精神的な“囚われ人”になってしまう。
ヨノイは錯乱したところをセリアズに
助けられる。セリアズは処刑されて死ぬ
−−−というものです。

「憧れる→支配しようとする」

戦争の契機となるモチーフであり、

「自由にできない→相手を殺す」

戦争行為の当然の帰結であります。

個人たちの愛憎を描きつつ、違った次元の
大きなドラマを語っている・・・ように
感じられるのが、この映画の面白さです。

また、この作品は“矛盾”“倒錯”の
イメージのオンパレードです。

この二人の人物、ヨノイは2・26事件で
逝き遅れ、セリアズは身障者の弟のイジメ
を黙過したという、ともに精神的な負い目を
感じている人物であります。そんな人たちに
戦争というものが、愛情の代償の機会を
与えてしまうこととか。

自分のせいで捕虜を処刑するはめになった
ヨノイが、土中に埋められて死ぬばかりの
セリアズに敬礼するシーン・・・。こういう
関係が美しく描写されること自体が異常。

監督はそれを意図的に描いていると思うが、
あまりにも美しくて悲劇的であることが、
自然と「我々は本来、何を求めて戦争を
始めたのか・・・」という問いを
逆説的に投げかけている−と感じました。

『野火』
2003年7月15日(火)

【My反戦映画・邦画 その4】

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
表題作、および『東京オリンピック』
『足にさわった女』『ビルマの竪琴』
のネタバレです。ご注意下さい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

市川崑監督は、ほとんどの作品で“戦争”に
ふれています。
『ビルマの竪琴』『野火』『ブンガワン・ソロ』
といった第二次大戦を舞台にした映画のほか・・・

古代侵略戦争を描いた『火の鳥』(1978年)

戦争で失明した男をめぐるメロドラマ
『夜来香』(1951年)

戦時体制へ向かう中で傾いていく旧家の
女性たちをはかなく描いた『細雪』(1983年)

名うての女スリが、戦中親にスパイ容疑を
かけた村人に復讐(といっても法事をあげる
だけだが)しようとする『足にさわった女』
(1952年)

それと、『ど根性物語・銭の踊り』(1964年)
という勝新太郎主演のアクション映画があるの
ですが、犯罪組織の一員のロイ・ジェームス、
これが
“軍隊で殺人技術を徹底的に仕込まれた男”
の役。
ポスト・ベトナム映画の復員兵たちをも
連想させる人物像になっています。

大ヒット映画でも・・・

『犬神家の一族』(1976年)は、連続殺人事件
の遠因に、犬神製薬の爆発的な発展の理由と
して軍からの麻薬製造要請を描いています。
また松子夫人の岸壁の母ぶり、静馬の軍事参謀
ぶりなど、戦争の影響をドラマに織り込んで
います。

『東京オリンピック』(1965年)は、
スポーツマンの競技だけをひたすら追うことで、
戦争状態でないことの尊さを描いています。
冒頭、オリンピックの歴史を読み上げる中で
「1940年、東京、戦争のため中止」
というナレーションとともに英語タイトルが
出る意図、そして大長編のラストを
「人類は4年に一度 夢を見る
この夢を 作られた夢で
終わらせていいのか?」
と締めくくったことからも明確であります。

『ビルマの竪琴』は二度にわたって映画化
(1956・1985年)されておりどちらも好評でした。
カラー版では水島が川床で拾う真紅の
ルビーが印象的で、これを見た隊長が
事情を察する(?)長い長いモノローグに
説得力を与えていました。


そんな市川崑監督の映画のなかでも、ひときわ
強く、戦争についての考えにいざなう作品に
『野火』があります。

ストーリーをかいつまんで言うと、
病気で基地を追われた兵隊が戦地をさまよい
歩き、人肉を食って生き延びている仲間と
遭遇。現地兵の銃弾に倒れる
・・・といったところか。

この映画のユニークなところは、
戦場での敗走、飢餓・・・といった悲惨な
状態を、情に訴えずに、ほとんど“ブラック
ユーモア”としか言えないような行過ぎた
リアリズムで描いていることです。

たとえばこんな感じ。
幽鬼のような大勢の兵隊たちが規則正しく
歩いている。
敵機来襲。みんな伏せる。
ダダダダダと機銃掃射。
しばし沈黙。
生きているものは立ち上がる
死んだものは立ち上がらない。
生きている兵隊たちは、また規則正しく
歩いていく・・・。

まあ、もしかしたらこうなのかもしれない
けれど、普通こうは描かれないリアリズム
である。あまりにも機械的な描かれように、
ヴォネガットの小説ではないが

「そういうものだ」

という言葉しか言いようがない。
ここで欠落しているものは、横で死んでいく
ものへの同情であり、本来持つべき感情で
ある。つまり、見ているこちらに訴えて
くるのものは、「そういった“人間的なもの”
すら奪う戦争の実相」−であろう。

この映画は、人間は戦争でどこまで
“人間的なもの”を奪われるのだろう?
それでもなお残っているものはなんだろう?
という問いかけに満ちています。

戦争について考えるとき、まっさきに頭に
浮かぶ映画の一つです。

『独立愚連隊』
2003年7月15日(火)

【My反戦映画・邦画 その5】

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表題作ネタバレは無いつもりです・・・
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個性的に“戦争”を描いた映画監督は多いの
ですが、ほとんど「アクロバティック」と
いっていいほどの独自表現で異色の傑作を
放ったのが岡本喜八監督で、その大傑作映画は
『独立愚連隊』です。


岡本監督は近年も『助太刀屋助六』(2002年)
という時代劇の佳作を発表するなど健在、
テンポの良い展開と切れ味の鋭いアクション
でファンの多い監督です。
長いキャリアの代表作としては
『日本のいちばん長い日』、『大誘拐』などが
ありますが、出世作はデビュー五作目で、
オリジナル脚本もてがけたこの『独立愚連隊』
ということになりましょう。
古い映画なので、私は当然名画座で観ました。


終戦間近の中支戦線。一人の従軍記者が
前線基地を訪れる。そこの将校に、
敵地へ深く食い込んだ部隊のことを尋ねると、
それは通称“独立愚連隊”と称する部隊
だという。危険だと止める将校を振り切って
その部隊へ向かう記者。彼はその地で倒れた
下士官の死因を調べているのだ・・・。

馬にまたがって中国の大地を疾走する記者。
将校との拳銃の腕比べ。なんと、中国戦線を
舞台に、“西部劇”をやっているのである!
そして、謎の死因、手がかりの品物、怪しい
人物の去来・・・と、ストーリーは翻訳
“ミステリー”調。

それだけでも驚くが、そんな「見た目」で
その実、描かれるのはほとんど戦争への
“呪詛”ともいえる怒りの感情である。

展開の快調さや、画面の爽快さが
逆に重いテーマを浮き彫りにするという、
稀有な例です。
こればかりは観てもらうしかないな...。

情に訴えるでもなく、
リアリズムで告発するでもなく、
上出来な娯楽映画の意匠でそれを表現した
とは奇跡的な出来事であります。

まあ当然、奇跡というのはたびたび起こる
ものではないので、以降の岡本作品は
ややメッセージ色が強くなって、軽快さを
失ってしまうんだけど。


そんな中でも『江分利満氏の優雅な生活』
(1963年)は、戦中派の重い重いこだわりを、
違う世代の客観の目も交えて描き、感銘深い
作品です。


『日本のいちばん長い日』(1967年)の
青年将校たちのバカさ加減は「痛ましい」と
しか言いようがありません。

『肉弾』(1968年)は上の作品から欠落した視点
で描きたかったという監督の思いの強い映画。
高校の時に観て非常に感動を覚えた作品です。


オフ・スクリーンでも“反戦”を説き続けた
岡本喜八・天本英世のコンビでしたが
天本氏今は亡く、岡本監督にはまだまだ
がんばって撮り続けていただきたいものです。

『仁義なき戦い』
2003年7月16日(水)

【My反戦映画・邦画 その6】

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表題作については無いつもりです・・・
だけど『里見八犬伝』はネタバレ。注意
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「『仁義なき戦い』って反戦映画なの?」
と問われれば、否、ということになるけれど。

深作監督ならば『軍旗はためく下に』(1972年)
という、左幸子が戦場から帰らない夫の死因を
徹底的に調べる作品がある。これはどこから
見てもバリバリの反戦映画。

『仁義なき戦い』は、ヤクザがキリのない
抗争で殺しあうさまを描いたシリーズもの。
まあ、無理矢理に言えば「こういう殺し合いは
やめしょうネ」という教育的な効果(?)が
あるのかもしれないけれど。それを言ったら
ジョン・ウーやタランティーノの映画も
反戦映画ということになってしまう。


シリーズ作品では、必ず冒頭に原爆ドーム
が写ります。作者が、冒頭や終幕という、
自らの創意を示す場所で、意味の無い意匠を
提示することはありません。ダメな監督なら
あるかもしれませんが、深作監督のような
映像作家ではありえないことです。

しからば、『仁義なき戦い』における
原爆ドームの意味とは。
私はこう考えています。

広島市への原爆投下は非戦闘員の殺傷を
目的としたもので、人道から見て許される
ものではない。

その広島でのヤクザ戦争。抗争そのものは
人間の「欲の張り合い」であり、当事者間の
争いは、ある意味イキイキと、活気に満ちた
表現がされています。
しかし、どの作品でも“意味もわからず
ただタマとして殺されていく若い奴”は
情感を込めて描かれている。

いつの世も、どんな状況でも弱いものから
食い物にされていく。東西を問わず。

普通の状況でも実はそうなんだけど、
オブラートに包まれていてわからない。
舞台は普通の町なんだけど、殺すか
殺されるかのヤクザ戦争で、それを
グイーンとクローズアップしている。
行き着くところが、原爆ドームに象徴される
ところの究極の殺傷。
そんな、日常に潜む戦争へいたる構造を、
物語の骨組みで示しているのが
『仁義なき戦い』シリーズ
なんだよね。それが、凡百の暴力映画
との違いです。
エネルギーとしての暴力でなく、
それが結局向かっていくベクトルを
示していくのか。


近作の『バトル・ロワイヤル』(2000年)でも
結局は殺されるだけ、という若い連中を
(そうとう照れ臭いほど)共感をもって
描いていた深作監督、
少年だった戦中に多くの同僚を空襲で
(目の前で)殺された経験があるとも聞く。
アクション映画『里見八犬伝』(1983年)で
主人公二人に対して 戦いで死んだ仲間たちが
墓の中から「生き延びてくれ!」と呼びかける
ラストシーンを思い出すと、どうも胸が
詰まるものがあります。夏木マリが暴れる
ヘンな映画だったんだけどね・・・。

『兵隊やくざ』
2003年7月16日(水)

【My反戦映画・邦画 その7】

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表題作のネタバレです。注意
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作家論っぽい話が続きましたが、今回は
単一作品のことを。


『座頭市』が北野武監督主演でリメイク
されるそうですが、勝新太郎には
『座頭市』
『悪名』
『兵隊やくざ』
という三つの人気シリーズがありました
(というか、“あったそうです”というのが
正しい言い方か)。

さて、その三つ目のシリーズの第一作
『兵隊やくざ』は増村保造が監督で、
かなりの力作であります。

元やくざものの兵隊・貴三郎が、インテリの
兵隊(田村高広)とコンビを組んで
軍隊を脱走するまで・・・を描いた作品。

この映画の設定で面白いのは、カツシン
扮する貴三郎が異様に身体が頑丈で、
軍隊の鉄拳制裁が効かない・・・という
ところです。

たとえば山本薩夫監督の『真空地帯』
(1952年)なんかを見ると、陸軍内務班内部
での下のものを殴る・殴るの描写の連続で
「軍隊には行きたくネエー」という
感情が沸き起こる、リッパな反戦映画
です。
と同時に、戦争の遂行には
(1)天皇を頂点とする完全な指揮系統
(2)指揮系統を確立するための規律
(3)規律を維持するための恒常的な体罰
というものが不可欠であることがわかります。

『兵隊やくざ』では(3)が効かない人物を
登場させることで、(2)の脆弱性が笑われる
ことになる・・・まあ、本来ありえない、
フィクションというよりか
「魔法学校が登場する」といったようなことと
同レベルの“ファンタジー”であります。

カツシンでしか実現できない映画マジック
ですが、超マジな増村監督は(1)にも
肉迫していたようで、何かで読みました。
この映画で上官に反抗するカツシンと、
田村がこんな言い合い
「お前は天皇とでもケンカするのか?」
「ああ、オレは天皇とでもやる!」
をするシーンもあったそうですが、
大映がヤバいと思って自主的にカット
してしまった・・・というエピソード。

暴れん坊の兵隊が勝手に逃げ回るという
娯楽映画なんですが、ラスト、軍の列車から
車両を切り離して脱走するシーン。
連結器をはずす前に、兵隊たちが眠っている
満員の車両内が写る。その映像に田村の
回想ナレーションがかぶる
「彼らは○○戦線で全員戦死した」

都市伝説になった「どらえもん」の最終回
じゃないですが、『兵隊やくざ』という映画
も戦死した貴三郎が土の中で見た夢だった・・・
なんていうオチなの?そんな寂しい連想も
浮かぶ、厳しい一言のナレーションでした。

『また逢う日まで』
2003年7月16日(水)

【My反戦映画・邦画 その8】

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表題作、『二十四の瞳』『拝啓天皇陛下様』
『儀式』ネタバレ。注意
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前回までのところ、やや自分の“深読み的”
な評価の、個性の強い作品が続きました。
ここでは、ストレートな作品を取り上げたい
と思います。
この【その8】ではクラシック編、
次の【その9】では現代編、ということで。


高校生だった頃はまだビデオが普及して
いなかったので、古い映画を観ようとなると
「東京の名画座」を訪れることとなりました。

それゆえ、モノクロの日本映画の鑑賞体験は
観た場所とつながってくるのですが、
いままで挙げてきた作品も、しかりで。

新宿で観た『ビルマの竪琴』
新橋で観た『肉弾』

上記の二作は特に・・・。
どちらもケバケバしい原色の街だけに
モノクロ画面の戦争を観終わった後、
外に歩み出た時のとてつもない違和感・・・。
なにか、現実が「色を塗った卵のカラ」の
ように見えた体験でした。


昨年末に『本日休診』という映画について
書いたときも記したのですが、昭和20年代・
30年代の日本映画は戦争の影が濃い。
自然と、誰にもあった近親者の死・・・と
いうものへの、さまざまな感情が描かれて
います。
当たり前のことながらそこには
「戦争はよかった」という感想はありえず、
死者を悼む気持ち、戦争を厭う気持ちが
浮かんできます。
左翼的(という言い方も乱暴だが)な映画では
戦争責任の追及が激しくなされたけれど、
一般的に受け入れられたのは“追悼”、
“厭戦”という気分だったのでは。
この文脈での代表作は、今井正監督の

『また逢う日まで』

でしょうか。原作はフランスの小説ですが
今年4月に亡くなった水木洋子さんの脚本
が素晴らしいです。私は非常に有名な“ガラス
越しのキスシーン”よりも、冒頭と終幕のに
感銘を受けました。言葉は覚えて無いんだけ
ど、死んだ男(岡田英次)のナレーションが
流れ、カメラが生前暮らしていた部屋に
ゆっくり近づいていく・・・。こう書くと
ホラー映画かと思われてしまうんだけど、
日本において、お盆に霊が還ってくるという
信仰?の自然な表現になっていました。
静かな描写ゆえに、訴えるものが大きい
という、代表例だと思います。


淡々とした語りに映画館の観客全員が泣いた
のが木下恵介監督の

『二十四の瞳』(1954年)

の終盤の一場面。かつての教え子たちは大きく
なり出征。帰って来た一人(田村高広)は戦場
で傷ついて盲目になっている。その彼が
昔の写真を手にして先生に、写真の端に写って
いるのが誰それで、その隣が誰それ・・・
と懐かしんで語るシーンは、どんな人たちも
等しく傷ついた時代をあらわして痛切きわまり
ない。

ただ、これを批判する声もあったそうで
曰く、こんな純真な青年も、アジアで人を
殺していたのだ、という意見。


野村芳太郎監督の『拝啓天皇陛下様』(1963年)
は貧農に生まれた男(渥美清)が、貧乏より
軍隊のほうがマシだ・・・と思いながら
死んでいくオロカサを描いたコメディ。
私はあんまりいい出来だと思わなかったが
怖いシーンがある。終戦後にこの男の友人が
彼を訪ねる。男は久しぶり、トリでも食おう
と言って、そのへんにいた鶏を「徴用!」と
叫んで殺す。こんな無邪気な男が、戦場で
何をしていたのか・・・と心胆寒からしむ
描写でありました。


「なぐった痛み」と「なぐられた痛み」が
あるわけですが、前者は論理で、後者は感情で
ふりかえりたい。映画は感情に訴えるメディア
であるので、被害者の悲しみが心により残る。
以下ランダムに


小林正樹監督の

『日本の青春』(1968年)

は、戦争で障害の残った男(藤田まこと)が
かつての憧れの女性(新珠美千代)に思いを
うちあけるまでの長い長い逡巡を、子供世代の
若いカップル(酒井和歌子・黒沢年男)との
コントラストで描いた小品。武満徹の音楽が
つらかった時代への鎮魂歌になっている。


『東京物語』(1953年)
の戦争未亡人、原節子の白いブラウス姿の
美しさは、単に容姿が美しいという以上に
何か象徴的な表現であるように思う。
あまり適切ではないが、葬式での白すぎる
白、といった印象に近いものがある。


『儀式』(1971年)
大島渚が日本の戦後史を、ある一家の冠婚葬祭
を通じて描こうとした野心作。
主人公は満州から引き揚げてきたのだが、
“生きながら満州の地に生き埋めにされた子供”
のイメージに囚われていて、たびたび地面に
耳を当てて、声を聞こうとする。
大島渚は『飼育』『戦場のメリークリスマス』
『愛の亡霊』といった映画でも
“埋められたもの”への関心を示している。
この映画での、大地から声を聞こうとする
姿勢は、なにやら静かに、こちらにも迫るもの
がある・・・。

『太陽の子・てだのふあ』
2003年7月17日(木)

【My反戦映画・邦画 その9】

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表題作、『父よ母よ!』『伽や子のために』
ネタバレ。注意
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それまで洋画一辺倒だった私が日本映画も
観るようになったのが高校一年のとき。
1980年ですね。すでに戦後35年。
映画のなかで戦争やその影響が描かれる
ことも昔に比べれば少なくなったようですが、
すぐれた映像作家の人たちが取り組んだ
真摯な表現に出合うことも多々ありました。


浦山桐郎監督の
『太陽の子・てだのふあ』
は、神戸を舞台に戦争で傷ついた沖縄の人たち
を描いた作品でひときわ印象に残っています。
灰谷健次郎の原作がすぐれていることもあり
ますが、人間と歴史というものの関わりを
深く考えさせます。
この映画、主人公の少女の父親が沖縄戦での
悲惨な体験からものすごいトラウマを負って
精神を病んでいるのですが、演じているのが
河原崎長一郎。
この人は同じ浦山監督の『私が棄てた女』や
『青春の門』なんかでも物凄い内面演技を
見せた恐るべき俳優さんで、私は大好きなん
です。TVだと『おれは男だ!』のウミウシ
とか『いじわるばあさん』の息子になっちゃう
んだけど・・・。
『太陽の子』の河原崎・父の沈痛な表情と発作、
結局娘は父が心に抱えていたものを理解すること
は出来なかった。
先行する世代の、出来事は理解できても、
何を心に抱えていたかは・・・想像すること
しかできない。
そしてこれは、傷の重さを想像しよう、と
思わせる映画だった。


木下恵介監督の
『父よ母よ!』(1980年)
は非行に走る現代の少年少女を描いた映画なの
ですが、終幕で戦争のイメージが出てきます。
事件をおってきたルポライターが九州(だった
かな?)の特攻隊慰霊地(だったかな?記憶
曖昧で失礼)を訪れる。おそらく子供を戦争で
失ったのであろう老夫婦に会釈する遠景に
彼のモノローグがかぶる
「父よ母よ、と呼ぶ声は変わらないが
今と昔のなんという違いか・・・」
(細部は違うがそういった意の言葉)
木下監督というのは感覚的な表現をする人なの
で、私は唐突に提示されたこの感慨に対して
一瞬「?」と思ったのですが、その後こう考え
ました。
・非行に走って親や周囲を傷つける少年
・望まず戦争に駆り出され命を失った少年
二つとも、時代は変われど社会の影響はまぬが
れえず、そしてまた彼が親の子であることは
変わらない。まア、どうあっても親子の情愛は
不変なものなのダ、それを妨げる状況を自分は
訴えていくのダ・・・というようなことが作者
の主張ではなかろうか、ト。


小栗康平監督の
『伽や子のために』(1984年)
(「や」=「にんべん」+「耶」です)

在日朝鮮人青年と日本人少女の悲恋を描いた
静かな静かな映画。青年の心の逡巡を繊細に
つづられていますが、戦時下の朝鮮人連行と
いった歴史が、登場人物たちに影を投げかけて
いてその重さを感じさせます。
青年が少女に「でも、戦争がなければ出会え
なかった」と言うセリフが、何とも痛い、痛い。


意外な感想を観る人に持たせた映画が

『戦国自衛隊』(1979年)と
『二百三高地』(1980年)

前者の“長篠の合戦”、後者の“203高地
攻略戦”という凄まじい戦闘が
クライマックス・シーンになっています。

どちらも「娯楽アクション映画」のつもりで
気楽に見たのですが、戦闘シーンのアキレる
までの長さ・しつこさ・・・に驚きました。

まさに“人海戦”で、100人死んだら200
人投入、200人死んだら300人投入、以下
同様・・・で、最後に一人残って勝てばOK、
といった調子。

「結局そういうもんなんだよな・・・」

としかいえない描写で、反戦感情というよりは
徒労感?虚無感?を100%味あわせてくれる、
教育的効果の高い映画でした。特に
『二百三高地』は『仁義なき戦い』の笠原和夫
が脚本を書いているので、意図は明確です。
ちなみに監督の舛田利雄は二年後にマッチ主演
の『ハイティーン・ブギ』(1982年)を撮って
いますが、ここでも壮絶なバイク戦闘シーンが
あります。こっちはあまり感情が動かないけど。

余談ながら
「防人の詩」(『二百三高地』主題歌)、
「ハイティーン・ブギ」(作曲・山下達郎)
とも、私のカラオケ愛唱曲です。
でも「防人の詩」は長いので、歌ってる間に
みんなどこかへ行っちゃうんだよね・・・。
気持ちを込めて唄ってますので、聴いて下さい
お願いします。それでは
♪おーしえて〜 くだーさい〜 (以下略)

『黒い雨』
2003年7月17日(木)

【My反戦映画・邦画 その10】

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表題作、『ゴジラVSキングギドラ』
『億万長者』『生きものの記録』の
ネタバレあり。注意
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日本は、第二次世界大戦で“原爆”を
投下された国です。

一瞬にして多くの人が死に、さらに
多くの人が後遺症で長く長く苦しんで
います。

これは、日本国、のアイデンティティ
とも言うべき体験であります。

ここを起点に考え、行動することが
日本の国のありようだったように思い
ますが、現実にはそうではなく、最近は
「また戦争やるぞコラァ」といわんばかり
の法律も制定してしまいました・・・。


映画においては、核兵器の脅威を訴え
その存在を糾弾する力強い作品が
数多くあります。
新藤兼人監督の『原爆の子』(1952年)
など まっさきに頭に浮かびます。


1954年、ビキニ環礁水爆実験の
死の灰を浴びた「第五福竜丸事件」
に直接的な影響を受けた

『億万長者』(1954年・市川崑監督)
『ゴジラ』(1954年・本多猪四郎監督)
『生きものの記録』(1955年・黒澤明監督)

の三作は、今見ても作り手の真剣さが
伝わってくる傑作です。


『億万長者』
は税務署の職員を主人公にした風刺喜劇
なのですが、登場人物の一人に久我美子
扮する女性がいます。彼女は戦争で家族
全員をなくし、自身も頭がおかしくなって
いるのだが、敵に復讐しようと、下宿屋の
二階の部屋(!)で原爆を製造しようとしている。
1979年の『太陽を盗んだ男』よりむちゃくちゃ
先を行っています。
税務署員が雨の日に道で彼女に会って、
「濡れるよ・・・放射能雨かもしれない」
と傘を差し出すと、
「放射能って何?」
とこたえるシーンが哀しいです。


『ゴジラ』
は原水爆の恐怖をそのままマテリアルに
表現した大傑作映画。いろいろ言及されて
いるので付け加えることは無いです。

『ゴジラVSキングギドラ』(1991年)
は平成のタイムスリップ映画。ここ
でも、大森一樹が初作コンセプトを踏襲。
ゴジラを冷凍してオホーツク海に沈めて、
これで一安心・・・と思ったら
ソ連の原潜が誤って衝突してしまい
ゴジラ復活(笑)。ある意味でコメディ
なのですが、核の拡散を表現し糾弾した
名シーンです。
ナルホドねえ〜と、うなりました。


『生きものの記録』
は、まだ30代だった三船敏郎が老人に扮した
家族ドラマ。彼は核への恐怖からブラジルに
移住しようとするが、家族から猛反対されて
準禁治産者(←この映画で言葉を知った)に。
“現代社会では人間は本能で生きられない”
ことを痛烈に描いた異色作で、こういう視点も
あるんだなあ・・・とたいへん感じ入った映画
でありました。


『黒い雨』
は、浦山桐郎監督が撮るときいていたのですが
早くにお亡くなりになってしまい、その後
兄弟子にあたる今村昌平監督の手によって映画化
されました。

被爆した女性、戦場で頭がおかしくなった青年
を中心に戦後の一つの村がえがかれていますが、
原爆症の患者たちがまた一人、また一人と
死んでいくさまが、静かな田園風景の中で
淡々と描写されていて、かえって恐ろしさが
迫ってきます(音楽は武満徹)。

なによりこの映画は、被爆した姪(田中好子)
を見守る叔父(北村和夫)が、
朝鮮戦争(だったかな?)のラジオニュース
を聞いて、激怒して言う

正義の戦争より、
不正義の平和のほうが 
まだましだ

というセリフ・・・。
なんかもうギリギリ、という気がします。
原作の小説にもあるそうですが、
北村和夫のナマの言葉として聞こえました。

「正義の戦争」か。
最近新聞でよく目にした言葉だなァー。

『宇宙戦艦ヤマト』
2003年7月17日(木)

【My反戦映画・邦画 その11=終わり】

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表題作、『火垂るの墓』
『紅の豚』のネタバレあり。注意
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邦画編、これで終わりです。読んでくれた
方、お疲れ様でした。


さて、アニメ。
さかんなドンパチで、好戦的?という印象を
持ってる人も多いかもしれません。戦時中に
戦意高揚のアニメが作られたっていう歴史も
あるけど。

反面、独立プロの、いわゆる“民主的”(?)
団体がつくったアニメで、戦争の悲惨さを語り
継ぐ・・・というものも多々ある。
「見せられた」人もいるでしょう。作品名は
あえてあげないけれど、「戦争反対」という
意図は立派なんだけど、描写がイカニモ図式的
でなんだかなァ〜というものが多くてね。

でも、すぐれた表現のアニメ映画もたくさん
あります。


『火垂るの墓』(1988年)
これについてはこの日記でも何度も書いている
ので詳細は省きますが、なにより
“人々が他人への寛容さを失っていく悲惨”
が描かれていることがポイントであるように
思います。
ラストで現代の街の灯りが写りますが、作中の
蛍の灯=はかなく命が消えてしまうもの
とのイメージとしての連想が、強く訴えて
きます。


『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』
『紅の豚』
私が書かなくても全国民が関心を持っているし
・・・ということで、あまり書きたくないの
ですが、一言だけ。この宮崎氏ほど、人間の
“戦闘衝動”にこだわり続けている人もいない
ですね。『ナウシカ』『もののけ』とも、
単純に戦争反対とは叫ばずに 人間の愚行を
見つめる視点が貴重です。
『紅の豚』の戦死者へのイメージは作品歴から
すると異色だけれど、心のこだわりが人間の
外面すらも変えてしまう(豚にならなくても・・・)
というアニメ表現がすごいです。


さて、
『宇宙戦艦ヤマト』
なんですけど。
ある意味、大東亜戦争よりベトナム戦争より
われわれ(←・・・)に身近だった
「地球VSガミラス星の戦争」。
こう書くと馬鹿丸出しだけど。
この作品について良く語られるシーン。
ガミラス星での最終決戦が終わり、結果は
ヤマトの勝利。完膚なきまでに叩きのめした
ようで、ガミラス星にはもはやひと気がない。
そこで古代くんが、滅ぼすことが目的じゃ
なかったのに・・・と長めの述懐を漏らし
「平和か・・・くそでもくらえ!」と
手に持っていた銃を地面に叩きつける。
(セリフはちょっと違うと思います)

この箇所について、よく友達と雑談レベルで

「さんざん殺したあとで よくゆーよ」
「勝った後に 言うんじゃねーよ」
「帰り道でも躊躇なく戦ってたじゃねーか」

といったツッコミを入れまくった経験が
あります。若さゆえ、セリフの唐突さに
反感を持ったことは確かです。

でもその後、感想変わりました。

やっぱり行き着くところまで行き着かないと
愚かしさってわからないものだな、ト。
人類の歴史はその繰り返しなのだな、ト。
この作品の主張も、このささやかな表明だった
のだナ、と。

大人気アニメでたくさんの人が見た作品ですが、
人それぞれにきっと色々と考えたのではないで
しょうか。私もそれなりに体験させてもらって
感謝しています(1stシリーズにはね。
それ以降のことはナシにしてほしい・・・)。


おわり。


日本映画で反戦映画として評価の高い作品
ですが、今のところ未見で心残りなものに
以下があります。
(カッコ内は製作年・監督)

『陸軍』(1944・木下恵介)
『ひめゆりの塔』(1953・今井正)
『雲ながるる果てに』(1953・家城巳代治)
『裸の大将』(1958・堀川弘通)
『人間の条件(6部作)』(1959〜61・小林正樹)
『笛吹川』(1960・木下恵介)
『ゆきゆきて神軍』(1987・原一男)
『TOMORROW 明日』(1988・黒木和雄)

全然観てないで書いてるじゃん・・・と
言われそう。ボチボチみますね。

前置き
2003年7月18日(金)

【My反戦映画・洋画 その1】

洋画編、スタートします。
7/13に挙げた11本を中心に書いていく
予定です。

が、前置きとして、少しゴタクを。


“洋画”とは書いたけれど、“日本映画以外”
という意味。であれば、アジア映画も、という
ことになるんですけど、そもそもあまり見てい
ないもので言及できません。パッと思い浮かぶ
のは・・・軍国主義日本の侵略に対する香港の
『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)ぐらい・・・。
韓国、中国映画その他、インド、イラン映画
とイロイロあるでしょう。

東京で単館ロードショーされるような映画は
経済的理由からあまり観れないもので。

アメリカ映画がナチスドイツを悪役にした作品
をたくさんつくったように、アジア映画で
大日本帝国を悪鬼のごとく描いた娯楽映画も多く、
日本敗北のシーンに拍手が沸くとも聞く。
商業的な上映では、日本では見れないだろう
なあ。

日本と同じように悲劇を静かに描いた作品も
たくさんたくさんあるんでしょうが、ナカナカ
観る機会がありません。TVでやっていても
見過ごしているのかもしれない。


欧米映画、西洋映画としての“洋画”についても
世評が高いが見逃し続けている作品が多い。
たとえば
『西部戦線異状なし』(1930/ルイス・マイルストン)
『ヨーク軍曹』(1941/ハワード・ホークス)
『ラインの監視』(1943/ハーマン・シャムリン)
『鉄路の闘い』(1945/ルネ・クレマン)
『友情ある説得』(1956/ウイリアム・ワイラー)
『攻撃』(1956/ロバート・アルドリッチ)
『大列車作戦』(1964/ジョン・フランケンハイマー)
『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1990/ケビン・コスナー)
などなど。いま挙げたのはアメリカ映画中心で、
ヨーロッパ映画では知らないものも無数にある。
陸続きの欧州は、戦争の歴史だしね。


戦争が描かれていても、
作り手のポイントの置き所なのか
見る側のポイントの置き所なのか
どちらかわかりませんが、意外と単純に
“戦争はいけないものだ”という感想に
結びつかないものも多いです。

たとえば『風と共に去りぬ』(1939年)なんて
いうのは、南北戦争を舞台にしていて、戦乱に
よる被害も多々描かれているけど、ドラマの
主眼は「へこたれない女」であって、戦争は
その舞台背景でしかないような気がする。

ぐっと新しいですが『ディア・ハンター』(1978年)
も、反戦映画という人もいるけれど、これも
「男の友情」みたいな映画としか思えないんだ
けど。

近年の反戦映画傑作と言われる『プライベート・
ライアン』(1998年)も戦闘シーンの悲惨さには
息を呑むんだけど、どうもメッセージとしては
「戦争で戦った皆さん、ご苦労さまでした」
ということしか受け取れなかった。

私の感性パターンに“クセ”がありすぎるんだ
ろうと思います。まあ読んでる人にはすでに
わかってると思いますが。

そんなわけで、邦画編もそうでしたが万人に
訴える“反戦映画”選出になってないんですけど、
辛抱しておつきあい下さい。
ゴタク終わり。次からスタート。

『ウォー・ゲーム』
2003年7月19日(土)

【My反戦映画・洋画 その2】

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表題作のオチを完全に記述しちゃってます。
注意してくだされ。
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外国の反戦映画で、私が勝手にナンバーワン
だと大いに評価しているのが、1983年のアメ
リカ映画『ウォー・ゲーム』。
監督のジョン・バダムは『サタデー・ナイト・
フィーバー』や『ブルーサンダー』なんかを
つくった娯楽アクションの職人監督さんです。

コンピュータ・マニアの高校生が、試験の成績
を改ざんしようと学校のコンピュータにハッ
キング。ふとしたことから軍事コンピュータに
アクセス、それと知らず軍事シュミレーション
を行なってしまい、それが原因で米ソの第三次
世界大戦の危機が勃発してしまう
・・・という話。

20年前の映画なので、今見たらコンピュータの
古さに失笑の連続だろうけど・・・。

あくまで娯楽映画なのですが、軍事衝突の
“後戻りの効かなさ”の描写に迫力があります。
なによりこの映画・・・オチなんだよね・・・
書きますよ、オチ・・・見てない人は退避して
下さいね。

米ソのコンピュータが対立して、どちらかが
勝つまで(核兵器が使用されるまで)状況は
終わらないことが判る。人類絶体絶命。
そこで、主人公の男の子が、軍のコンピュータ
に「ちょっとゲームをしようよ」と持ちかける。
そして“○×ゲーム”(三目並べ)をコンピュ
ータにやらせる。ものすごい勢いで計算を開始。
やがてコンピュータは勝ち負けがつかないこと
を学習してしまい、「勝者なし」というメッセ
ージを表示して、ゲームをやめてしまう。
結果、軍事対立もやめてしまい。戦争の危機は
間一髪で回避される・・・というものです。

映画の最初の方で主人公(若き日のマシュー・
ブロデリックです)とコンピュータが
“○×ゲーム”で のんびり遊んでいるシーン
があるのですが、最後にこう来るか・・・と
たいへん感心しました。

たとえば1993年のボスニア紛争をベースにした
戦争ドラマ、各国の映画祭で受賞して評価の高い
『ノー・マンズ・ランド』(2001年)なんかも、
結局「勝者なし」という思いが伝わる秀作ですが、
形は違えど相通じるものがあるように思います。

コンピュータが“○×ゲーム”の猛計算をして
いる間、主人公が祈るように「学べ、学べ・・・」
とつぶやいているシーンがヒューマンな感動を
呼びます。

まあ、「そんなうまくいくかよ!」というツッコミ
どころの満載な映画なのですが、

機械ですら学ぶ、ましてや人間をや・・・

という古文調の感慨に導くものがあります。

やっぱりアメリカ映画の“単純さ”って強いよね。

そんなわけでこの作品、もしも私が文部科学省の
大臣だったら、全・中学生に鑑賞させるように
とりはからいたい・・・と思うオススメ映画なので
あります。

『独裁者』
2003年7月20日(日)

【My反戦映画・洋画 その3】

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ネタバレはないけど『殺人狂時代』の
ラスト近くのセリフに言及してます。注意
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いま、東京の方でチャップリン映画の
リバイバルをしているようですが。

『独裁者』はたしか小学生の時にテレビ観て
それっきりなのですが、かなり強烈な印象を
残しています。たしか独裁者の名前が
アデノイド・ヒンケルっていうんだよね。
チャップリンの映画にしては、最後に長い
演説のシーン(6分との事)があったりして
だいぶ普段と違うなアと思ったりはしました。
地球儀の風船を手玉にとって世界制服を
夢見るシーンとか、パレードの沿道で
「ハイル・ヒトラー」とばかりに彫刻の
ミロのヴィーナスや考える人なども
手を挙げている(!)という凄いギャグ
などを覚えています。それにしても1940年の
映画ということには驚きます。万人必見。

ちなみにこの映画、関心を持ったヒトラー
がフィルムを取り寄せ三回ほど観ている、
と巷間伝えられています。


『殺人狂時代』も同時期にテレビで観ま
したが、これはいつもの浮浪者スタイルで
ない作品なので、ちょっと小学生には
難しかったようです。後に再見しました。
オーソン・ウエルズ原案というセリフ

一つの殺人が悪人を生み、
百万の殺人が英雄を生む。
数が行為を浄化する。

というセリフがあまりにも有名で、よく
新聞などで
「一人殺せば悪人で、千人殺せば英雄」
などと短縮して引用されています。

開き直って使うと「戦争で千人殺していいん
だから、おれだって一人ぐらい殺してもいい
じゃん」と取られかねない論理ですが、
製作後50年近くを経ても古びない挑発性は
すごいと思います。


オーソン・ウエルズは出演作『第三の男』
でも刺激的なセリフを提供していますね。

ボルジア家の圧制はルネサンスを生んだ。
しかしスイスの五百年の平和は何を生んだか?
鳩時計だけだ。

というもの。
映画の本など読んでいると、戦時下の国策
映画で特撮やアニメ技術が向上したとか、
ベトナム戦争の技術から特殊メイクが進化
したとか、そういう事実を知ることがあります。
歴史の皮肉は多々あり、技術の面ではそう
なのでしょうが、基本的には戦争は戦争という
ものは表現の自由を損なうものであるとしか
言いようがないですね。

チャップリンも『殺人狂時代』を作ったため
“赤狩り”でイギリスに逃げざるをえなかった
わけだし。

(今日は引用ばかりで失礼しました)

『博士の異常な愛情』
2003年7月21日(月)

【My反戦映画・洋画 その4】

この映画については昨年、キューブリック監督
について書いた時にもふれたので・・・
しつこくてすみません、と前置きしつつ。


さて昨日チャップリン・ウエルズという映画史
における巨人の名前が出ましたが、やはり後世
巨匠と呼ばれるような大きな人は、「戦争」と
いう大テーマに挑むことが必然だったようにも
思います。わが日本でも黒澤明・宮崎駿といった
巨匠が戦争を丸ごと描くような・・・「乱」とか
「もののけ姫」といった大作を作っています。

こういった人たちは、“局所的な戦闘”ではなくて
“人類の業(ごう)としての戦争”みたいな、より
大きなものを描こうとしているように思います。

そんなこだわりを持つ大巨匠の一人に、
スタンリー・キューブリックがいます。
『スパルタカス』『突撃』『博士の異常な愛情』
『バリー・リンドン』『フルメタル・ジャケット』
といった凄い作品群。さらに、本当は『ナポレオン』
が撮りたかったそうですが、諸般の事情から実現
しなかったそうで残念。とてつもない映画になって
いたはず・・・観たかった。


キューブリック監督の作品はどれもユニークですが
一般的な意味での「反戦映画」に一番近いのは
『突撃』(1957年)
でしょうか。
第一次大戦のフランス軍。無謀な作戦で死んでいく
兵士たち、作戦失敗の口実に無実の逃亡罪で銃殺刑
になる三人の男。これがなんとも冷え冷えとした
タッチで描かれ、「情に訴えない」のが、余計に
こたえます。
ある意味、情感たっぷりに描かれると、
泣いてスッキリ(←極端に書いています)
で終わってしまうんだけど、この作品のように
淡々と「昆虫絵日記」みたいに綴られると、
人間の脳にうちこまれます。

のちの作品『フルメタル・ジャケット』(1988年)
も同様。映画前半の「新兵訓練日記」、
後半の「戦場さまよい日記」ともに、
画面温度の低い(?)描写が観る人間を震撼
させます。

いま、「○○日記」と書きましたが、キューブリック
の映画って、昔の人の書いた日記みたいなところが・・・

〇六〇〇 起床
〇七〇〇 朝食焼魚
・・・
二二〇〇 就寝

といった、生の営みぃ〜みたいなトコがあります。

でもって、『博士の異常な愛情』。
米軍基地の隊長の発狂から第三次世界大戦に至るまで
の進行を、これまた「人類バカ日記」ともいえるような
冴えすぎた目で描いて、比類のない作品です。
しつこいけれど未見の方には一見をおすすめします。

前置きの続き
2003年7月22日(火)

【My反戦映画・洋画 その5】

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『悪魔が夜来る』の全ストーリー記述。
注意! でも、これって戦争映画?
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前置きで書き忘れたことアリ。

米国産エンタテインメント戦争映画について。

亜米利加の娯楽戦争映画には“ゲーム的”と
いえるものが多々あります。有名どころでは
『特攻大作戦』『ナバロンの要塞』『眼下の敵』
など。良く出来ていて面白いものもあります。
基本的には
♪悪〜い ナチスを やっつけろ〜 フジ丸〜
といった
「風のフジ丸」主題歌ノリの作品です。

戦争アクションものは銃器が使えて派手な画面
が作れるし、悪いヤツをやっつけてスッキリ
できる、ト。

我彼を考える。日本は戦争負けてるし〜
戦場を舞台にして勧善懲悪の娯楽映画は
作りようがなかったんだよな。いや別に
作りたいわけじゃないんだけど。
人に歴史あり、国に歴史アリ。

アクション映画の傑作『大脱走』もややゲーム
的−という批判もあったそうだが、あれは、
「俺たちは絶対に負けないぜ!!」
という正義と自由の抵抗精神を描いた映画
だからね...。それがために後世に残る作品
なのです。

同じく戦時下の“抵抗精神”を描いても
ヨーロッパ映画は様子が違いますね。

高校の頃TVで見て大へん感激した映画に
『悪魔が夜来る』(1942年)
という作品があります。
中世の話で、悪魔が人間の恋人たちを妨害
して、最後には二人を呪いで石にしてしまう。
しかし!恋人たちの心臓だけは石にならず、
熱く鼓動を続けている!悪魔が鞭を入れても
いつまでも・・・
というロマンチックな結末にウットリして
いたのですが、後でものの本を読んだら、
この映画はドイツ占領下のフランスで作られた
映画で、フランス人の自由を求めるメッセージ
を密かに織り込ませた話なのだという。
一粒で二度感動。まあ裏話で評価をしては
いけないワケだが、思わずうなりました。
やぱり侵略と戦乱の繰り返しの欧羅巴。
年季が違う。

というように、亜米利加の娯楽ノリも、
欧羅巴の底知れぬ重層さも、といった
感じでイロイロある・・・映画たち
なのです。

『スローターハウス5』
2003年7月23日(水)

【My反戦映画・洋画 その6】

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表題作のネタバレあります。注意
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この映画についても、ジョージ・ロイ・ヒル
監督が亡くなった時にふれたのですが、重複
しないように書きます。

宇宙人の家畜になり、過去・現在・未来を
行き来する弱気な男を描いた変わった作品
です。どの時代に行っても、子供の虐待・
戦争体験、飛行機事故、妻の自動車事故、
息子のベトナム出征・・・と、必ず暴力と
死がある。けれど、必ず戻っていって
主人公のコアになっているのが、
ドレスデン大爆撃の被災体験なのです。

爆撃時の死亡者は13万人という、
連合軍による空前(絶後ではない)の
無差別大虐殺。ドレスデンはドイツの美しい
古都だったそうで、日本で言えば京都に相当
か。そういえば、京都も原爆投下の候補地
だったとか。山に囲まれてる地形は効果が
高いらしい・・・。

彼は“屠殺場5号”というドイツの捕虜収容所
に捕らえられていたアメリカ兵で、大空襲に
あうもそこの地下室で九死に一生を得る。
外に出ると死屍累々の荒地。捕虜たちは死体の
収容にあたるが、同僚が小さな壺(?)かなにか
を拾って、娘の土産にしよう・・・と笑うと
命令違反のかどで独兵に射殺されてしまう。
これがさいたるものだけど、この映画は
そんなイメージが無数に散らばっている。
しかも過去も未来も等価に。

では悲惨で暗い映画かというと、さにあらず。
奇妙に安らぎに満ちたシーンも上に等しく、
まあ結局は「そういうものだ」ということに
なる。

どこまで行っても悲惨な戦争体験に心が
戻っていく人間。それをSF映画の体裁で
極めてユニークに描いた作品で、頭の中に
イメージがリフレインする傑作です。


やや文学的なアメリカ反戦映画で、
やはり強く印象に残るのが
『ジョニーは戦場に行った』(1971年)。

第一次世界大戦の戦場で被弾して、手足、
目口鼻も失ったが一命はとりとめた青年
の意識を描いた作品。主演のティモシー・
ボトムズの繊細なナレーションも良く、
撮影(色彩)の工夫も効果をあげていました。
少々しんどいですが、見て欲しい映画です。


むかし、「浜崎あゆみはバカじゃない」と
いう主張がありましたが、それに倣えば
「アメリカ映画もバカじゃない」といいたく
なる、内省的な作品たちです。

ただ、あまり思索的になりすぎると・・・
『シン・レッド・ライン』(1998年)
みたいに、こちらとしては
「よくわかりません、すみません」
となってしまうのですが。
個人的な感想でした。

『HOW I WON THE WAR』
2003年7月24日(木)

【My反戦映画・洋画 その7】

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表題作のネタバレあります。しかも
作品の核心となるアイデアにふれてます。
注意〜
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異色の作品で、続きます。

リチャード・レスターという監督名を挙げても
WHO?と言われてしまうことも多いのですが
ザ・ビートルズの映画−『ア・ハード・デイズ・
ナイト』と『HELP!』を撮った人、といえば
ああ、と判ってもらえると思います。
そのレスター監督が1967年につくった
が“HOW I WON THE WAR”。
当時『大勝利』というタイトルで公開される予定
だったのですが、オクラ入りになってしまい、
日本では深夜TVで放映されただけ−という
ナカナカ観る機会のない映画でした。90年代に
なってようやくLDで発売された時のタイトルが
『ジョン・レノンの僕の戦争』。主演はマイケル・
クロフォードで、J・レノンは脇役なんだけど・・・。
今はそのままの題名でDVDになっています。

私は大学映研時代レスター監督が好きで、
♪好き 好き 好き 好き 好き 好き〜
「一休さんの主題歌かよ!」と周りにうるさがれ
ながら過ごしました。
しかし当時“HOW I WON THE WAR”は観る機会がなく、
しかたがないので輸入版ビデオを取り寄せて
(2万円ぐらいしたかな)、字幕ナシで見ました。
先ほどもふったように“超難解映画”なので
サッパリわからず、のちに字幕版を見て、ああ
こういう映画だったのか・・・と感動しました。

第二次大戦中の話で、北アフリカの敵地にクリケット
場を作るという任務を帯びたイギリスの中隊が、
その後フランス・ドイツと転戦していくさまを
描いた作品。タイトルが“私はいかにして戦争に
勝ったか”というように、中隊の隊長が戦後に回想
する形式となっています。

役者がカメラに向かってしゃべったり、死にかけた
兵隊のところに突然家族が現われたりと、かなり
前衛的なつくりで、わかりやすさや、見る側が
感情を移入する部分は0%という映画です。

でもこの映画、すごい趣向があって・・・。
兵隊たちがバタバタ死んでいくんだけど、
戦死するシーンは突然ドキュメンタリー調の
画面になる。モノクロなんだけど、赤とか
青に染まった画面。
で、戦死した兵隊が、死んだ場面の色(青とか)
に塗られた姿で、その後も中隊に黙ってついて来る!
これが、異様な光景。ゾロゾロ・・・。

乾いたギャグ的な画面の連続が、見るものに
つきつけるのは、本当に愚かなのは何なのか、と
いう視点です。余人の真似できない超ユニークな
方法で反戦を描いたレスター監督には本当に脱帽
します。


異色の戦争映画といえば、こちらも大学時代私が
♪好きさ 好きさ 好きさ
とザ・カーナビーツ状態だった
フィリップ・ド・ブロカ監督の

『まぼろしの市街戦』(1967年)

非常に有名な作品なので説明の必要もないかも
しれませんが。
第一次大戦中のフランス。ドイツ軍の時限爆弾を撤去
するため村を訪れた伝令兵。村人はみな避難した後で、
精神病院から抜け出した患者達が自由を楽しんでいた
が、さて・・・という話。

昔、雑誌『ぴあ』が月刊だった頃、“もあテン”で
上位に挙がっていた作品です。
『ぶ〜け』誌で三岸せいこさんがこの映画の内容に
インスパイアされた「ヴィクトローラきこゆ」と
いうまんがを描いていて、これがナカナカいいです。


日本では絶対に出来ないような異色作たちだなあ・・・

同じような題材でも日本と他国ではずいぶん違う、
という例として、やはり異色の作品

『脱走山脈』(1968年)

イギリス人捕虜が動物園の象を連れてドイツから
脱走して、スイスの山を越える。

日本では動物園の象にエサをやらないで・・・(泣)と
いう戦争悲話があったが、ずいぶんな違いだ。

またソ連では(映画じゃないけど)、ドイツに包囲
されて俺たちゃ食うものがないけど、動物園の象たちを
飢えさせたりしないぜ!と気合で助ける話・・・ええと
何だっけ・・・そうそう、『九〇〇日の包囲の中で』
という本です。

そうかと思うとアメリカ。ヨーロッパでは戦争の始まっ
ていた1941年に空を飛ぶ象のアニメ公開。
『ダンボ』
スピルバーグ監督の『1941』でロバート・スタック
がこの映画を観て泣いていた。

・・・とまあ、戦争と象もいろいろであるが、この
『脱走山脈』、フランシス・レイの音楽は素晴らしいし
スイスの野山は美しく、象はのんびり歩いている。
こういったものと相反する、殺伐としたものへと
向けられるのはおのずからノン!という感情だろう。

『戦場にかける橋』
2003年7月25日(金)

【My反戦映画・洋画 その8】

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表題作のラストのセリフにふれてます。
注意
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異色作品が続いてしまいましたが、王道系に
戻ります。
『戦場にかける橋』はデビッド・リーン監督
による大作、アカデミー受賞など評価が高い。
作品が素晴らしいことはもちろん、
わたし個人としても興味深い鑑賞体験を
させてもらった映画です。

話は有名なので紹介するまでもないですが、
1943年の舞台はビルマ(ミャンマー)近くの
タイのジャングルを流れるクワイ河。日本軍は
鉄道敷設のため、架橋工事を行なおうとするが
うまくいかず、英軍捕虜に協力を依頼。
日本軍大佐と英軍中佐の間で葛藤があるが、
工事は進行。その間に捕虜収容所から一人の
米兵が脱走し、橋を爆破する工作隊として
戻って来る。完成した橋に爆弾を仕掛けるが
さて・・・というのが大まかなストーリー。

この映画を私はTVで4回観ました。

一回目は小学生の時。動機は、運動会でも流れる
有名な主題曲「クワイ河マーチ」が聞きたかった
のと、吹き替えに政治家の荒船清十郎氏が参加
する、という話題があったためです。
(当時ロッキード事件の国会で注目されていた)
たしか軍人役で、
「おい、こら、そこ、なにやっとるか」
というようなセリフ一つだけでしたが・・・。
さすがに小学生では作品の理解はかなわず、
オリンピック観戦のように自国選手(?)に
ばかり注目していました。つまり、外国映画の中で
日本人がどう頑張っているかという。
斉藤大佐役の早川雪洲については、TVドラマなど
で見る日本人俳優とは違ったタイプだな〜と思いながら
力強い演技を見た記憶があります。

二回目は中学生の時。この時は、すでに『スター・
ウォーズ』を観ていたので、オビ=ワン・ケノービ
のアレック・ギネスさまに大注目しての鑑賞。
ギネス演じるところのニコルスン中佐の性格描写に
うますぎるな〜とうなりました。また、すでに映画
好きになっていたので後半のサスペンス演出や
スゴいスペクタクル映像に感心したようです。

三度目は高校生の時。なんとなく気になってTV
放映されると見てしまう状態。今度は、アメリカ兵
シアーズを演じたウイリアム・ホールデンに注目
しながら観ました。さすがにイギリス人監督だけに、
アメリカ人の<軽薄さ>?<好戦性>?を見る視点
が辛らつだなア〜。などと思いました。この時点では
すでにホールデン氏の『ピクニック』などをみていて
わりと好きになりかけていたので、「でもやっぱり
演技は巧いよね」などと自己弁護しつつ見たように
思います。

四回目は大学生の時。この時点では自主映画制作
なんてしていたもので、表現として戦争をどう描く
か−などということを考えて見たんだと思います。
そういう思惑はともかく、初めて見るような感動を
持って見終えた気がします。
今回は、脇役の軍医に注目する結果となりました。
主要人物のドラマを客観的に見ていた彼が、最後の
最後の結末を見てつぶやく
「狂気だ・・・狂気の沙汰だ・・・」
結局、この大作映画の全てがこの最後のセリフに
集約されるんですよね。努力、友情、信頼、
それらの全てをケッキョク吹き飛ばすもの。
それはまさに気違いザタである。名優の演技合戦
から結晶のように表現された崇高なものを全て
破壊する、という意味でこれ以上ないメッセージ
となっています。

何度も観ないとわからないのかよ、と自らのニブさ
を恥ずかしく思うのではありますが、貴重な鑑賞
体験となりましたです。

【その8】の補足
2003年7月26日(土)

【My反戦映画・洋画 その9】

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『第十七捕虜収容所』の重要なセリフに
ふれてます。ご注意を。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

【その8】の『戦場のかける橋』に関連して
いくつか補足。


やはり敵・味方の友情と、戦争の狂気を
描いた作品としてジャン・ルノアール監督の

『大いなる幻影』(1937年)

があります。
素晴らしい名画でした。ちなみにリチャード・
レスター監督の理想の戦争映画は、この作品
であるとのこと。1981年に来日した時に
手塚治虫と対談して、そう発言していました。


大自然を背景に、人間の争いの虚しさを描いた
ウイリアム・ワイラー監督の

『大いなる西部』(1958年)

も忘れられない名作です。今の時点でのコメント
に過ぎないのですが、リベラル派のG・ペック
と保守派のC・ヘストンが野原でエンエン殴り合い
をするシーンが面白い。


非戦主義の大人物を描いた

『ガンジー』(1982年)

は、もっと早く製作されていれば、きっとアレック・
ギネスが変装して演じていたことだろう。
ベン・キングズレーの演技は素晴らしかったけどね。
ギネス氏はD・リーン監督の遺作『インドへの道』
にも出ているんだけど、どこ?と思ったら原型を
とどめぬほどの変装でインド人になってました(笑)。

忘れられないのが、大学一年の時にバイトの面接で
映画が好きです、と言ったら面接官に「最近面白かった
のは?」と聞かれ、『ガンジー』と答えたところ
その人いわく−

「ああいうのは みんな ありがたがっちゃうんだ
よな・・・ 親鸞みたいなもんで」

−この例えが ツボにはまるオカシサでした。


『戦場にかける橋』は何度か見返すたびに感想が
変わっていく、というケースでしたが、やはり
戦争もの、かつW・ホールデン主演の映画で、
見直してずいぶん印象が変わった作品があります。

『第十七捕虜収容所』(1953年)

ビリー・ワイルダーが監督、アメリカ兵捕虜がドイツ
収容所で遭遇したスパイ疑惑の事件と脱走を描いた
コメディ&サスペンスの傑作映画です。
ホールデンは要領のいい男を演じているのですが、
スパイ容疑でリンチされ半殺しの目に遭い、怒りに
燃えて 仲間の中に潜む真犯人を探します。
その後いろいろあって、
空軍中尉を連れて脱走することになる。
床下の穴にポンと下りて、
姿を消して去っていったかと思うと、顔を出して
周りの男たちに言う−

「戦争が終わって、町で俺を見かけても
気安く声をかけるんじゃないぜ」


初めてこの映画を見た時、このセリフにショックを
受けました。

スパイ容疑で仲間に半殺しの目に遭ったことは、
絶対にチャラにしないぞ、ということで。

「ま、あれは戦争中の手違いで・・・」というような
言い訳は許さんぞ、という怒り。

戦争中だったから、では許さない。
殴ったのはお前個人だ、という追求。

そんな凄みを感じて、ゾゾゾゾっとしたわけです。


ところが、ビリー・ワイルダー監督が亡くなった時に
TVで追悼放映されたので久しぶり(10年ぶり?)
に見てみたら、このセリフの印象が全然違う。
ワリと明るい感じで、捨てゼリフっぽく言われていて
「アレ??」と拍子抜けしました。

たぶん・・・

はじめに観たのは日本語吹き替え版で、ちょっと
ニュアンスが違ったんだと思います。日本的な
演出だったのかな・・・。


でも、私の心の中では、あのセリフは最初の印象通りの
凄んだ調子で残っています。

異常な状況の中での個人の暴力が、状況終了後に
すべて許されるわけではない、

というメッセージとして。

『禁じられた遊び』
2003年7月27日(日)

【My反戦映画・洋画 その10】

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ネタバレ全開です、ごめんなさい。注意
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

さて、この映画シリーズを書いている中で、
“反戦映画”という言葉を不用意に何度も
使っているわけでありますが、語義をここで
もう一度定義すると

“STOP THE WAR”
というメッセージを訴える映画

ということになりましょうか。まあその主張を
そのままセリフで言うだけだったら、アジビラ
を配ったり、電柱に貼ったりすればいいことな
のであまり意味がない。

前にも書いたような気がしますが、私の兄と
いう人が「図式的」な表現に非常に敏感かつ
笑い飛ばせるセンスを持ったヒトで、影響を
受けた部分があります。
彼は「図式的」な“反戦映画”のパターンを
こんな風に言っていました

1.子供や連れ合いを亡くした老婦人が
「戦争はもう嫌だよ・・・」とため息をつく
2.純真無垢な子供が目をキラキラさせて
「どうして戦争をするの?」と大人に訴える

当然、どちらも否定してはいけない主張で
ありまして、笑い飛ばすつもりはないのですが、
ただ「表現」として、十年一日のごとく古色蒼然
とした描写で繰り返されては・・・作り手に対して
「ホントにマジメに考えてるの?」と言いたくなる
気持ちをおさえることは出来ないですな。
わたし的には−
一本一本が ちがった 独特な
−表現を試行しているものに感銘を受け、人にも
強くおすすめする次第・・・なのであります。


前置きが長くなってしまいましたが、
『禁じられた遊び』
は、それらしいセリフの一つもないままに
“STOP THE WAR”を強く訴えかける
傑作の一本です。

都会から避難する途中で空襲を受けて孤児になった
5歳の少女ポーレットは田舎の家に引き取られる。
その家の少年、11歳のミシェルと彼女は小動物や
虫などのお墓を作って十字架を立てる遊びに夢中に
なって・・・という話は皆さんご存知の通り。

あまりにも有名なナルシソ・イエペスのギター主題
曲のせいか、センチメンタルな映画と誤解している
人も多いようですが、さにあらず。ルネ・クレマン
監督はドキュメンタリー的な映画で世に出た人でも
あり、メロドラマチックなところはありません。
冒頭、フランスの白い田舎道。独軍機からタタタタ
という乾いた音をたてて機銃掃射。あっけなく
ポーレットの両親が死んで、アッというまに
彼女は孤児。
今年(対イラク戦争の頃か)の週刊誌のコラムで
小林信彦氏は、戦争になれば子供はあっと言う間に
孤児になる、ということを体感的に書いていましたが、
この映画ではまさに即物的にそれが描かれています。

それにしても、墓作りに熱中する少女・・・平時
だったら、やれトラウマだ、保護は、ケアは、
と識者・行政を巻き込んで大騒ぎになるところ
だが・・・。
ラストで少女が人ごみに紛れて見えなくなって
しまうのに象徴されるように、「そんなのいくら
でもある的な状況なんだよ!」という強い主張が
感じられるのであります。


日本映画の『野良犬』のところでも書いたのですが、
一つのセリフが強く頭に残って、一生住み付いて
しまうことがあります。この映画にもそれがあって。

子供二人は水車小屋に盗んだ十字架を隠している
んだけど、そこには一羽の老フクロウが巣を作って
いて、二人を見ている。
ポーレットは戦争孤児の施設に入れられることに
なって、大人に連行されてしまう。十字架の類も
没収されてしまうが、ロザリオが一つ残っている。
ミシェルはフクロウのところに行って、巣に
ロザリオを投げ込んでこう言う

「ほら、百年持ってな」


水車小屋もフクロウも少年も100年後には
この世にないだろうが、この映画を観た人の
胸に残る“痛ましい思い”は消えないだろう。

【その10】の補足
2003年7月27日(日)

【My反戦映画・洋画 その11】

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ネタバレしないように書くと、どうも
不完全燃焼感が残ります。プスプス
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モノクロ画面で、静かな物語が展開する
けれども、戦争の傷跡が浮かび上がってくる
映画・・・として、下記の二本も印象の
強いものです。


『シベールの日曜日』(1962年)

昔はよくリバイバル公開されたり、名画座にも
かかっていたような気がしますが、最近お目に
かかる機会がないで。映像ソフトも販売されて
ないようだし・・・残念です。

インドシナ戦争で負傷して記憶喪失した青年と、
寄宿舎に預けられ父親に捨てられた少女が
出会って、毎日曜日に公園で散歩するように
なる・・・という話。

TVでもやらないのは「精神に障害がある青年と
少女の交際」というのが何か問題なのかな?
とも思ったりしますがそういう「題材」の解釈
で規制するのかな・・・。わからん。

青年は戦争でアジアの少女を殺してしまった(?)
というトラウマが残っていて、この映画は
そういった傷が癒されるものなのか・・・という
基調低音を奏で続けていたようです。

散歩する公園、湖の周りを歩む二人をとらえた
映像がこのうえなく美しい。
話の結末は悲しいのですが、映像美といくつかの
セリフが印象に残る、非常に詩的な映画でした。

ただ、私が観たのは「詩的」とは全く相反する
環境で。横浜は黄金町にあった横浜大勝館という
映画館で、ここは名画3本立てをやっていたんだ
けど客層は黄金町らしいオジサンばかり。
ロビーではTVで競馬中継やっていて、みんな
食い入るように見ていた。映画を観ていると
オジサンに「今何時?」と聞かれることがあって、
みんなレースが気になっていたようだ!
でも結構良い映画をここで観れたし感謝はしてる
んです。今はマンションになってしまいました。

とまれこの映画、中学の時一度観たきりなので
もう一度観てみたいものだ。


『かくも長き不在』(1960年)

こちらも記憶を失った男が出てくる話なのですが。

パリ郊外でカフェを営む女。夫は戦争中にゲシュタポ
に連行されたまま帰ってこない。ある日、店の前を
通り過ぎた浮浪者を見て驚く。夫にそっくりなのだ。
彼女は男に近づき、記憶をよみがえらすよう努力を
するが・・・というのがストーリー。

脚本を書いているのがマルグリット・デュラスなので
決して易しい話ではなく、曖昧・難解な部分も多い。

実は・・・

高校の時に、現代国語の先生がこの映画のストーリー
を全部語ってくれたことがあって、のちに観た映画
より、この口演のほうが感動した・・・というのが
正直なところなのです!

この先生、教科書に沿った授業はほとんどやらないで
ムダ話ばかりしていたけれど、一人の生徒にこうして
文章を書く動機を与えてるわけだから、教育としては
成功してるよね。ただ効いてくるのが20年後なのだが。

「彼女がね、ジュークボックスで音楽をかけて、
二人でダンスを踊る・・・すると向こうに鏡が
あって・・・」

「逃げる男に彼女が名前を呼ぶわけ。通りの皆も。
すると・・・」

場面やセリフはS先生の名調子で覚えている。

多様な解釈を許す映画なのであの口演は先生の
感じたところであった。私も私なりのストーリー
を組み立ててみたいと思っています。

『五つの夜に』
2003年7月28日(月)

【My反戦映画・洋画 その12】

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表題作完全ネタバレ。『ひまわり』も
です。注意。
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もう飽きたよ〜とおっしゃる方もいるかも
しれませんが、今回を含めあと4回で
終わりますので もうちょっとおつきあい
下さい。


さて、前回は戦争で傷を負った人を静かに
描いた映画を取り上げましたが、もう少し
“メロドラマ色”が強いものを。

そもそも、このシリーズを書くきっかけと
なった(なってしまった、というのが適切)
『パールハーバー』にしても、恋人が戦死
したと思っていた女が彼の親友と恋仲に
なってしまい、彼が奇跡の生還をとげて
険悪な三角関係に・・・という見事に
“典型”的なストーリーでした。
これは事実として多々あった事例であろう
けれども・・・『パールハーバー』は
あまりにも描写が大味で、観客としては
笑うしかなかった、という不幸な例です。


その系統だと、

『ひまわり』(1970年)

あたりが わたし的には代表として思い浮かび
ます。ロシア戦線へ行って還ってこない夫を
探しに、戦後妻がロシアへ。そこで、ロシアの
娘と結婚して暮らしている夫の姿を見る・・・。
ヘンリー・マンシーニの音楽が涙腺刺激度→
100%。三者三様の心理が細やかに描かれて、
もうどうしようもないやるせなさを感じさせる
デ・シーカ監督の秀作でした。


そういった、戦争で運命を狂わされた人たちの
悲劇・・・というドラマは無数にあります。

世界大戦の際には誰もが当事者であったわけで、
スクリーンに展開されるストーリーに自分たち
の体験を重ね合わせたのではないでしょうか。

まあ戦後生まれの我々としてはイマジネーション
で感じる世界となります。波長の合う作品が
ありましたか? シンクロする話が?


ニキータ・ミハルコフはロシアを代表する映画監督
の一人で、『黒い瞳』『太陽に灼かれて』などの
代表作があります。

『五つの夜に』

はモノクロで撮られた小品で、
あまり評価も高くなかったのですが、私は名画座で
観て非常に感銘を受けました。

50年代末のソ連。イリーンは休暇で訪れたモスクワ
で、戦争中婚約していたタマーラが町にいることを
思い出し彼女を訪ねる。彼女は甥っ子と暮らしていた。
モスクワにいる間、泊まっても構わないと言うが、
嬉しい様子でもない。彼は、一緒に出直さないかと
誘うが彼女は断る。彼が町を出る日が近づいて
・・・というようなお話。

もともと舞台劇らしく、5日の滞在中(5幕か)に
二人の心理がどう変化していくか・・・が
非常に繊細に描かれています。

中年男女が、年相応にクールに接しながらも
ふと過去を思い出し、ふと現在に思いが至り、
と、一進一退を繰り返す五日間。

普通ならまどろっこしくてイライラするところ
なのですが、これがそうならずに

戦争で引き裂かれた17年の空白の重み

の表現に転化しているのが、さすがミハルコフ!
と声をかけたいところ。主演の二人もたいへん
演技が巧い。主人公の男はやや暴力的で、虚言癖
アリ?みたいな恋愛劇の主人公としては共感を
得にくいタイプなのですが、それすらも物語の
リアルさを強化する要因になってました。

えー観る人も少ないかと思うんで言ってしまいますと、
彼女が拒絶して別れるのかな・・・とドキドキして
観ていたのですが、最後にはやっぱり二人は結ばれる。
部屋で抱き合う二人をクルーリとカメラが回り込んで
映して、男のセリフ

「戦争さえ 無かったら・・・」


前々回に指弾したような図式的なセリフじゃないの?
と疑問の声があがりそうですが、プロセスにオリジナ
リティがあれば、結論は普遍的でいいんです!
キャラクターの生な声だったら、いいんです。

ちなみにこの作品では、主人公の中年男女の他に
甥っ子とその彼女という若いカップルが登場して、
イライラしたりもしながら二人の成り行きを応援する
のです。二人がうまくいったのを知った若い彼女が
仕事しながら涙を流すシーンにMYシンクロ率が高い
数値を示しました。

『ニュールンベルグ裁判』
2003年7月29日(火)

【My反戦映画・洋画 その13】

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表題作の重要ポイント、ラストシーン
などを書いてしまってます。注意。
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“ホロコースト”、近年では“ショアー”
とも言う、ナチスによるユダヤ人大虐殺。

この事柄そのものについては、人様に語る
何物も持っていないのですが、
自分の生まれる20年前にはまだ行なわれて
いた、ということだけは認識としてあります。

さて、これを直接的・間接的に描いた映画は
数多くあります。真摯な態度で作られた傑作が
多いように思います。
個人的には、ルイ・マル監督が自身の体験から
つくったという

『さよなら、子供たち』(1987年)

が忘れがたい作品です。


スタンリー・クレイマー監督が戦後裁判を
描いた、オールスター・3時間の大作

『ニュールンベルグ裁判』

は、ナチスの非人道的法律に従って判決を
下した裁判官に戦争責任はあるのかを追及
しています。

この映画、少々メロドラマ的な余分なところが
あったり、演出が単調な部分があったりして
完璧な傑作・・・とは言えないのですが、
素晴らしい役者の演技と、普遍性のある
力強いメッセージが記憶に残ります。

なんといっても・なんといっても、
モンゴメリー・クリフトの演技が
凄い・凄い・凄い。

裁判で証言をするユダヤ人の役で、出番は
ワンシーン・7分ぐらいなんですが、
この場面だけは観た人は絶対に忘れられない
ものとなるでしょう・・・。
少し精神が薄弱、という理由で断種(去勢)
されたユダヤ人の男が、その経緯を証言台で
再現する。
気弱そうな男が、つかえながら質問に答え、
次第にその当時の状況を再現していく・・・。
もうカメラは据えっぱなしで彼の演技を
映しているだけなんだけど、
その恐怖、恐怖。
迫真の演技というより、完全に演技を超えた
証言。
ちょっと自分が何を見たのか怖くなるぐらい
でした。

いま一人は、この裁判で裁かれる立場の元判事・
ヤニングを演じたバート・ランカスター。
裁判で他の皆が絶叫する中で一人沈黙を守る
被告を、重〜い内面演技で演じきっています。
先のユダヤ人青年の処刑の判決書にも彼が
署名していた。自らの有罪性を認めて、
終身刑になる。

この映画、裁判長のスペンサー・トレイシーが
収監されたランカスターと面会して、アメリカ
へ帰る場面で終わるのだが、最後のやりとりに
強い主張がある。

ランカスターが、あの判決書に署名したのは
自分の罪だが、まさか何百万人もの人間が
あんなことになるとは思わなかった、と
つぶやくと、トレイシーが強い調子で答える


無実と知りながらあなたが死刑を宣告した時に、
大虐殺は始まったのです


−と。

もちろんヤニング一人に責任を負わせるセリフ
ではなく、

「あなたが」

末端にいる無数の「あなた」のアクションの
積み重ねが、あの歴史を作ってしまったのだ
ということ。

法律、手続き・・・昨日も今日も新聞を
読めばイロイロ決まっていくけれど、
後にふりかえって

「あんなことになるとは思わなかった」

という重大な決定も少なくないだろう。

『渚にて』
2003年7月30日(水)

【My反戦映画・洋画 その14】

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表題作ネタバレ(モロ)。注意。
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スタンリー・クレイマー監督の映画が続いて
しまいました。映像派の人ではないので
私の好みの監督さんではないのですが、非常に
インパクトの強い映画をつくる人です。
ディレクターとしてよりプロデューサーと
しての才能を評価します。

『渚にて』

は近未来を舞台にしたSF・・・というか
ポリティカル・フィクションか。
第三次世界大戦で核兵器が使用されてしまい、
北半球は全滅。南半球のオーストラリアにも
放射能汚染が近づく。そんな時、人類は死滅
したはずのアメリカから、意味不明の無電が
届く。誰が打電しているのか・・・
その調査に、潜水艦が発進する。
刻々とオーストラリアに放射能が到達する日が
近づく・・・といった話。

ネビル・シュートの原作は非常に有名らしい
が未読。私がこの映画を気にするようになった
のは中学の時か・・・『OUT』という雑誌の
アニメ特集別冊だったと思うが、パロディ
イラストで、イスカンダル星の海岸で出航する
ヤマトを見送るスターシャの後姿を描いた絵に
『渚にて・・・』というキャプションが付いて
いたんだよね。

なかなか観る機会がなくて、その20年後ぐらい
にやっとビデオで観ました。ああ、確かに
エヴァ・ガードナーが出航する潜水艦を
見送る画があったよ・・・。

という小ネタはともかくとして。

アメリカ映画には珍しく、やがて来る死の日を
静かに待つ・・・といった緊張感が描かれて
います。オーストラリアが舞台で、音楽は
『ワルチング・マチルダ』を多様に変奏して
使用していて、明るい旋律が対位法的な
効果をあげています。

無常観・・・みたいなものにあふれた映画で、
なんか日本映画みたい・・・と思いながら
観ました。

最近のアメリカ映画では、原爆は炸裂しても
放射能の被害はナシ、ということになっている
ようですが、この映画では放射能を浴びた人が
その症状を示して死にます。もちろんかなり
ソフトにしか表現されませんが。

しかし、何回か映像で示される、人が死に絶えた
無人の街・・・。映画の原題は「On The Beach」
ですが、生命体が全滅して、波の音しか聞こえない
というイメージ。まんが『デビルマン』や映画
『エヴァンゲリオン』のラストですね。

“バカは死ななきゃ直らない”という言葉も
ありますが、自滅してやり直す・・・『火の鳥・
未来編』の世界。気が遠くなります。

この映画は、このスローガンが書かれた横断幕が
無人の広場で風になびく画面で終わります

「まだ時間はある」

『誓いの休暇』
2003年7月31日(木)

【My反戦映画・洋画 その15=最終回】

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表題作ネタバレ。はじめからおわりまで。
注意。
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唐突ですが、本の『アンネの日記』を読んで
思うことはなんでしょう。
この文章で表現されている豊かなイマジネー
ション、あふれる感情、すぐれた感性・・・
こういったものがアッサリ消されてしまう
状況って何??? という行き場の無い
思いです。
たまたま一人の少女がのこした美しい宝石の
ようなものを読むことができたわけですが、
何万倍、何百万倍の宝石が失われてしまった。
一つの宝石は、それをブッ壊す状況への
STOP!というメッセージを生みます。


ソ連映画

『誓いの休暇』

はそんな宝石の一つです。

ほんの偶然から戦功をあげた青年兵士が、
ご褒美に短期の帰郷を許される。期日に
戻らないと重罰なので、母一人で待つ家へ
と急いで向かう。しかし気のいい青年は
帰路で出会う人たちが困っているのを
見捨てていけない。負傷兵が恋人に
会うのをためらってるのを説得したり、
届け物を頼まれたり。寄り道でどんどん
時間を食ってしまい、家に帰る時間が無く
なってしまい・・・という話。

ソ連映画というと重厚、というか鈍重
というイメージがあるかもしれませんが、
50年代末の雪解け期に製作された作品でも
あり、非常に瑞々しい青春映画になっています。

エピソードの描き方が図式的でなく、「困った
時の助け合い」がさわやかに描写されていて
臭みがありません。
途中で若い娘と道連れになるのですが、
届け物をするために一緒に街を駆け巡るところ、
飛び乗った列車の連結器の上で、見つめあう
二人を太陽の光が包むところなど、美しい
映像が記憶に残ります。

何とか故郷の村にたどりついたものの、
母親とは一瞬抱き合っただけで戦場に
戻っていく青年。
母親は息子が道々どんな美しい行為を
してきたかを知ることはなかった。
道の向こうに去っていく彼の後姿を見る母親の

「彼はこの道から二度と帰って来なかった」

というモノローグで映画は幕を閉じます。

ストーリー解説してしまいましたが、映像が
ポイントの映画なので興がそがれる事はない
と思います。おすすめ。



そういったわけで、長くなってしまいましたが
このシリーズはおしまいです。
見逃し作品が多いことを痛感しましたが、
関心分野なので、また何か良い作品と遭遇しまし
たら、性懲りもなく紹介したいと思います。
映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!
戦国大合戦」なんかも良いって聞くし・・・
たくさん観よう。
ともかく、どうもご清聴ありがとうございました。


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