2003年3月


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中原淳一展
2003年3月1日(土)
横浜駅東口のそごうデパート(十合横浜店)の
そごう美術館で開催中の「中原淳一展」を
観て来ました。

特に画集を持っているとかそういうことは
ないんですが、中原氏の絵は大好きなんです。

入場料900円か、高いなあ、とかブツブツ
いいながら入場したが5分後には「9,000円
でも安いよ!」と興奮している私。心理学的
に心境の変化を説明できるが、それはいいや。

今回初めて年代順に見ていったわけですが、
戦前のいかにも「はかなげ」・・・から、
戦後の何ともキリっとした女性への絵柄の
変化は、やっぱり年齢というより“時代”
というものを強く感じさせます。

しかし、なんちゅう美しさですか。
陶然と見ほれるばかりナリ。

よく言われる日本人の好み−
フランス印象派絵画、夢二・中原系の絵、
オードリー・ヘップバーン
という系譜とは・・・

うまく言い表す言葉がないなあ。
今日みた中原淳一の絵について言えば、
絵と一対一で向かい合った時の
「孤独の共有」みたいな不思議ワールド
が現出する魅力かな〜。

貧乏なので目録が買えず、157円の絵葉書を
眺めながらぼうっと考えています。


開催中(2/21〜3/9)

シルベスター・スタローン(1)
2003年3月2日(日)
前日が中原淳一で、今日はスタローンとなると、
お前の感覚はどうなっているんだ、という声も
あがりそうですが・・・。

先日スタローンのインタビュー番組を観て、
自分とスタローンの関わりを考えてみました。

まず、ご挨拶がわりに・・・

●=ひとことコメント

【観た出演作品】

ロッキー
●いい映画だった

FIST/フィスト
●組合活動を描いたマジメな映画だった

ロッキー2
●パート2ものにしては良かった

勝利への脱出
●陽気なヤンキー役で、完全にミスキャスト

ロッキー3
●アポロと浜辺で走るシーンが何とも・・・

ランボー
●画面が暗かったという印象のみ

ランボー2/怒りの脱出
●たしか脚本がJ.キャメロンで、面白かった

ロッキー4
●スタローン映画の完成型。超娯楽

オスカー
●評判悪かったが、私は好きな作品

刑事ジョー/ママにお手上げ
●監督にセンスが無くて、目も当てられない

クリフハンガー
●かなり大雑把な映画だが力技でみせる

デモリッションマン
●細かいギャグが面白い

【観た監督作品】

ステイン・アライブ
●あまりの悪趣味に驚く。無かったことにしたい

【観逃し】

パラダイス・アレイ
●レスリングの映画

ナイトホークス
●わりと評判よかった刑事もの

コブラ
●とても気になる作品

ランボー3/怒りのアフガン
●R.マルケイがそのまま撮っていれば・・・

ロッキー5/最後のドラマ
●観よう観ようと思いつつ幾年月

暗殺者
●枯れた演技が良いらしい

コップランド
●どこかの映画祭で演技賞をもらったらしい

ドリブン
●さらに枯れた味わいを重ねているらしい

シルベスター・スタローン(2)
2003年3月3日(月)
今回観た番組は「アクターズ・スタジオ・インタビュー」
シリーズの一編、「S・スタローン自らを語る」。

この中でスタローンは若い頃にエドガー・アラン・ポー
に傾倒していたことを話していましたが、これが私には
感慨深く・・・。

というのも、1977年の『ロードショー』誌
「海外スター速報」コーナーで、

「ロッキーのスタローンはポーに心酔していていつか
自分で演じてみたいとのこと。ボクサーから文学者?」

といったようなベタ記事を読んだことがあったのを
覚えていたからです。

四半世紀を経て、その件について耳目に接することが
できたことは非常に興味深い出来事でした。

シルベスター・スタローン(3)
2003年3月4日(火)
初めてスタローンの映画と出合ったのは
もちろん「ロッキー」で、封切で観ました。

『少年サンデー』だか『マガジン』の紹介記事を
読んで、是非観たいと思ったのです。

あれは中学1年の時で、小学校の時の友人のY君
と、少年野球の姉妹チームの友人M君と三人で、
たしか どしゃぶりの雨の日に今はなき
横浜ピカデリー という映画館で観ました。

たいへん感動して、映画のノベライズ本を買って
読んだり(たしか版元は二見書房)、主題曲の
レコードを買ったりしました。

二年後に「ロッキー2」が公開されて、その後
1作目と合わせて再度上映された時にもう一度
観たはず。20年前に映画館で二度観た、という
ことになりますか。

この映画のいいところはいろいろあるけれど・・・。

やっぱり、第一にはスタローンのキャラクター
でしょうね。あのトーク、あの体技。

“ロッキー”という人物も良かったですよね。
目がでないボクサーで、借金の取立屋みたいな
こともやっているけど、決してドロップアウト
はしない、人情のある人物で。

ここで強調したいのは、“ロッキー”という
少し頭の弱い人物を演じたために、スタローンも
オツムがゆるい、と間違えている人が多いことだ。

ちがいます!

ファンじゃないけど、ここで声高く言っておきます。

さて、私がこの映画で一番好きなのはアイススケート場
でロッキーがエイドリアンとデート(?)するシーン。
閉場まぎわに入ったので「あと何分!」「あと何秒!」とか
せかされて、ロッキーが色々話してるのに彼女はおぼつかない
足元を見つめるばかりという・・・。

あと、ロッキーが女の子に説教するシーンも良かった。
夜の街角でふらついてる近所の少女に「早く帰れ」と
いろいろ諭して、「わかったよ、ロッキー」と言われて
帰ろうとすると、遠くからその子が「バ〜カ!おめーの
言うことなんか聞くかよ!」とか言って走って逃げて
しまう。「そうだよな、俺が説教するなんて・・・」
とつぶやきトボトボ帰るロッキー。

冴えない(?)シーンばかりのようですが、そういった
エピソードの積み重ねがあるから最後の試合が盛り上がる
んだよね。

試合シーンはすごく新鮮でした。戦う二人、セコンド、
ラウンド・ガール、観客、バーかどこかでTV観戦している
街の人たち、をカットバックして描くのが凄く興奮させ
られました。

それにしても、最後の「試合の結果は二の次」という
展開には当時驚きもし、感動もしたものです。たしか
引き分けでアポロが防衛、なのでしょうが、もう
そんなの関係なしで「ヤォ、エイドリア〜ン」だから
ねえ・・・。心底参りました。

この映画の少し前には「ロンゲスト・ヤード」とか
「がんばれ!ベアーズ」などもありましたが、
スポーツものの金字塔として若い私の心に刻印を
刻んだ映画でした。

(ロッキー続く)

シルベスター・スタローン(4)
2003年3月5日(水)
スタローンの話じゃないんだけど、「ロッキー」と
いえばあの主題曲=「ロッキーのテーマ」が頭に
浮かびますよね。素晴らしい名曲だと思います。

第49回アカデミー賞で、この「Gonna Fly Now」
は“主題歌賞”にノミネートされました。あれ、
歌だっけ? と思う人もいますよね。最後の方で
「♪ゴナ〜フア〜ナ〜」とかコーラスが入ります。
歌詞があるから主題歌・・・。

しかし、インスト部分とコーラス部分の比率を
考えると、「ベートーベンの交響楽第9(合唱付)」
に近いものがあります。

じゃあ「第9」は主題歌賞の対象になるのか、という
議論にもなろうかと思います。ならないか。ともあれ
この時この部門は私の好きなバーブラ・ストライサンドの
「Evergreen」(スター誕生・愛のテーマ)
が受賞しました。


これまたスタローンの話ではないのですが、昨日
ロッキーの1と2が合わせて再公開されたことが
あると書きましたが、その公開名は

「ロッキーフェスティバル」

でした。日本語に訳せば「ロッキー祭り」でしょうか。
後楽園ゆうえんちで、僕と握手! といったノリです。

当時(1978〜79年頃)、こういうリバイバル形態
は他にもあって、

「ヤマトフェスティバル」

 「宇宙戦艦ヤマト」「さらば宇宙戦艦ヤマト」「海のトリトン」
  の三本立て。いわば“西崎義則フェスティバル”。

「トラボルタフェスティバル」

 「サタデーナイト・フィーバー」と「グリース」の二本立て

といったものが記憶にあります。
どれも私のツボにはいりまくりのもので、たいへん有難く
鑑賞しました。しかし、三つとも配給会社は違う(ユナイト、
東映、CIC、名称は当時のもの)のに・・・。こういう
ハヤリは今でも歓迎したい。

むかし、
「巨人・大鵬・玉子焼き」という言葉がありましたが、

「ヤマト・ロッキー・トラボルタ」

というのも口に出して読んでみるとナカナカ語呂が良い。

また、「巨人・・・」は昭和40年ごろ?の子供の好みを
言った言葉だと思うが、その嗜好は今では存在しないものだ。
しかし、「ヤマト・・・」は70年代後半のティーンエイジャー
のみならず、

【肉体鍛えて闘って、歌って踊って、宇宙を旅して戦って・・・】

これは、現在のユース・カルチャーのテイストの根幹だ。
うむ、こうなれば、

『ヤマト・ロッキー・トラボルタ
  〜70年代フェスティバルにみる若者文化の源流』

というタイトルで出版社に売り込みかけてみようかな・・・

シルベスター・スタローン(5)
2003年3月6日(木)

中学の時、映画のチラシを集めていました。当時、
流行っていたんですよね。

スタローン主演の「FIST」のチラシは気に
入っていた一枚でした。特にデザインが良いとか
いうわけじゃなくて、あしらわれていた写真、
スタローンとメリンダ・ディロンのツーショット
フォトがいい感じでね・・・。
トラックの運転席のスタローンの横顔と、
その視線の先の彼女が微笑んでうつむいている
といった絵柄でした。


「ロッキー2」は、これも今はなき東宝会館の
“スカラ座”で観ました。あの傾斜のある映画館。
これは私にとって稀なる体験になりまして、
なんと上映後に客席から拍手が沸いたんだよ!

ナントカ映画祭、とかではよく拍手が起こったり
するらしいけど、あれってサクラによるヤラセ
だよね。

「ロッキー2」は・・・もう観客の
「ロッキー、よくやった!」「ロッキー、おめでとう!」
という熱い感情のほとばしりだったよね。

ちなみに私は・・・恥ずかしくて拍手はしませんでした。


「ロッキー4」は、すごい映画だよ。
観ている人の感情を嵐のようにかきまわす、
ものすごい娯楽映画です。ある意味で完璧。

まぬけなロボットによる笑い!
J・ブラウンの音楽シーン!
殺人マシーンによるアポロ殺害!
復讐に燃えるロッキー!
B・ニールセン登場!
金持ちお父さんと貧乏・・・じゃなくて
ソ連ボクサーのハイテクトレーニングと
貧乏ロッキーの原始トレーニングのカットバック!
(なんと単純な対比よ!)
そして・・・

あの、トレーニング・シーンの音楽は燃えます。
よく掃除・洗濯をする時にBGMとして流して
アドレナリンを分泌させています。

さて、あれは1987年春のこと。
新入社員の合宿研修というのがあって、バスで
山奥に連行されるとき。高速にのって、
バスガイドさんが「じゃあ映画を観ましょう」と
言って、「どちらがいいですかぁ?」と提示して
きたのが

「ロッキー4」と「男はつらいよ」

ううん、どういう選択肢やねん!どちらもオツムの弱い
主人公によるシリーズもの、ということか。

もちろん若者たちはロッキーを支持。かくて関越自動車道
で私たちは「炎の友情」を共有した。22歳の春。

シルベスター・スタローン(6)
2003年3月7日(金)

「ランボー2」「ロッキー4」(どちらも面白い映画)
でスタローンが頂点を極めていた時、私は
『朝日ジャーナル』を購読する大学生であった。
心に“ROCKY”という五文字が刻印されていながら、
「反共」「好戦」というレッテルを貼られていたスタローン
映画を支持するわけにはいかなくなっていた。
引き裂かれた自己。

自らを防衛するため、私はスタローン映画から離れざるを
えなくなった。青春のリグレット・・・


それから数年。

ジョー・ダンテ監督の「グレムリン2」を観ると、
ギズモ(可愛いヤツ)がスタローンの「ランボー3」
をテレビで鑑賞している。赤いバンダナをした
ランボーがブラウン管でこう語っている

「戦いに勝つには 戦いを好きになれ」

食い入るように画面を見つめるギズモ。
さて映画の後半、クィーン・グレムリンの猛攻に
押される主人公たち。絶対の危機。しかし!
そこに赤いバンダナをしたギズモが姿を現す。
スタローンのような据わった眼をしている・・・
ギズモは炎を点火したボウガンでグレムリンを
撃破する。

ギズモの視点で、やっと私も、周りが貼り付けた
イデオロギーから解放されたような気がした。


それからまた数年。
勤務していた部署に、若いYO君が異動でやってきた。
なんと彼は、スタローンの大ファンであった。
「スタローンのファン」と遭遇したのは初めてのこと。
「『コブラ』でピザを食べるシーンは・・・」
「『ロッキー4』で丸太を投げる時の叫びが・・・」
ひとつひとつの言葉が新鮮で、乾いた荒地が水で
潤っていくような気がした・・・

決してファンではなかったが、スタローンと我々の
間の、分かちがたい絆を思い知らされたのは
YO君のおかげであった。感謝します。ぬおおお!

シルベスター・スタローン(7)
2003年3月8日(土)
とは言うものの、スタローンが多方面に朗らかな
笑いネタを振りまいていることはたしかだ


女優のロージー・オドネルはスタローンの真似が
巧い。アカデミー賞の授賞式の舞台裏で
「エイドリア〜ン」ってやっていた記憶が。


ロビン・ウィリアムズが「ミセス・ダウト」の
公開キャンペーンで来日したとき。
日本の女性キャスター相手に色々物真似を披露
した中で、スタローンもやってた。シュワル
ツェネッガーと話しているという設定で

(英語)
「あぉ、アーノルド、キミは・・・家でも
 いつも身体にオイルを塗っているのかい?」

これをスタローン口調で言うのだから、
もう大爆笑でした。


大爆笑といえば映画「クリフハンガー」。
山岳アクションですが、最後の方でジョン・
リスゴーとロープウェイの屋根の上?で
格闘するシーンがあるんだけど、殴り合いながら
「お前が落ちろ!」「いやお前が落ちろ!」と
言い合うのがドリフのコントみたいで、私の
頭の中では「クリフ大爆笑」と命名されて
います。


笑いネタではなく、スタローンに直接関係ないけれど
一つ「ダウト」ネタを。

スタローンの「ロックアップ」という監獄映画が
ありまして、その予告編を観たことがあるのですが
キャスト・スタッフが順々にテロップで出てくる中で

「監督 ローリング・サンダー」

と出ました。
実際には監督はジョン・フリンっていう人なんだけど、
この人が昔撮った映画が「ローリング・サンダー」。
ウィリアム・ディベイン主演のベトナム帰還兵もの。
つまり、
「監督 『ローリング・サンダー』のジョン・フリン」
とすべきところを、間違えて写植打っちゃった訳ですね。
非常に珍しい事例に出合えたので、ここに記述しておく
次第。


さて、長々と書いてきたスタローンの話の最後に。

朝顔に つるべ とられて もらい水

という有名な句があります。加賀の千代女(ちよじょ)作。

「つるべ」という響きが「シルベ・・・」とつながり、

朝顔に しるべ スター スタローン

と、ついつい詠んでしまうようになってしましました。
いったい いつからだろう・・・

何となく、早朝トレーニングを終えて水を浴びようと
井戸へ行ったら朝顔のつるが巻きついていて、それを
見て困っているスタローン・・・という情景が瞼に
浮かびませんか。間違いなく浮かばないでしょうね。

いま、夏に朝顔を見てスタローンを思い浮かべる人間は少ない
かもしれませんが、これを読んだあなたは もうこの連想から
逃れることは出来ないでしょう。

一緒に毎夏毎夏、スタローンと年を重ねていきましょう。

♪Together〜 Together〜 

おわり

石野真子
2003年3月9日(日)
だいたい、古い話を書いている時は、疲れてると
考えてもらって結構です。最近忙しくて〜。


以前この日記で、
「石野真子の『土曜日はストレンジャー』」
って書いちゃって、すみません我ながら恥ずかしい。
当然「日曜日はストレンジャー」です。
今後はちゃんと唄いながら書くよう心がけます。

この訂正を書きたかっただけなのですが、いちおう
ひとこと石野真子について書かざるを得ない状況
ですね。

特に好きじゃなかったんですけど、今、
TVの「懐かしのナントカ」番組で見ると
けっこう可愛かったりしますね。
そういえば去年の映画「恋に唄えば♪」で
ほんのチョイ役で出てたなあ。監督の金子修介
氏の趣味でしょうか。

ただ、「わたしの首領(ドン)」。

時節柄、「わたし・ノドン」と、文節を誤ると
ミサイル名になってしまいますので注意。

悪趣味な冗談はともかく、この曲だけは好きでした。
今でも、カラオケでは歌わせていただいてます。

頭から、
「♪わたしの ドンと呼ばせて下さ いー いー いー」
母音の「い」を強調して伸ばすのって珍しい。

それはともかく、歌詞は、乱暴な人だと思ってとっつき
にくかった彼が好きになった。是非彼を「私の首領」と
呼んでおつきあいしたいわ、という内容。

どうだろう。私は「首領」といったら、佐分利信しか
思い浮かばないが。かなり特殊な女性の指向を描いた
作品と言えよう。

でも、不良と思っていた男の子だけれど、雨の中で
鳴いている捨て猫(子猫)を抱いて連れて帰る場面を
見てしまったら、やはり彼女は彼を好きにならないわけ
にはいかないだろう。この曲も、やはりそういう裏設定
があると推測される。

そういう、まんがテイストが気に入っていたのかもね。
コーラスワークも巧みで、良い曲だと思います。


石野真子といえば八重歯だが、一般的に八重歯の子は
モテる傾向にあったと、自分的には認識している。
何故だろう。親しみやすいから? 妹Aに聞いてみようか。

そういえば、オードリー・ヘプバーンって八重歯を
直したんだよね。たしか「ローマの休日」撮入すぐに。
なのでアン王女が八重歯で笑ってるスチル写真もあって・・・
妹Aの部屋にそのポスター貼ってあったなア。

ダブル
2003年3月10日(月)
笑っている場合ではないんですが。
同居人が買ってきた本
「ブッシュ妄言録」
を読んで笑ってしまいました。

“人間と魚は平和的に共存できる”

から始まって、彼の数々の珍語録を
集めたものです。個人的には

“多くの輸入品は海外から来た”

というのに反応しました。

高校の時の体育のF先生(2年の時は担任)
がこの手のことは良く言っていました。
特に記憶にあるのが以下の二つ。


(サッカーで)“キックを蹴れ!”


(砲丸投げで)“円のサークルから出るな!”


・・・指示内容はよくわかりました。

寒い
2003年3月11日(火)
3/11(火)
天気が良いけれど風が冷たい。

“Cold,cold...It's Cold Place...”
とつぶやいてみる。

これは、ビートルズの映画「HELP!」で
レオ・マッカーンがロンドン市街で発する
セリフ。南国から来たから、寒いんだよね。

声・八代駿
2003年3月12日(水)
捕獲されそうになった某アザラシ。

ちょっと古い話ですが横浜市西区から
住民票を発行してもらったらしいのですが、
名前は「ニシ・タマオ」

貴方は、「ニシ」という苗字から

(1)マンモス西
(2)西一(にしはじめ)

のどちらを連想しますか。ジョー&飛雄馬
ならぬ、ちば&川崎の世界です。

私は(2)しか連想できません。

新橋寄り
2003年3月13日(木)
水曜の夜に放映されている阿部寛主演の
ドラマ「最後の弁護人」。
同居人が見ているので、私は見ていない
けれど音だけ聴いています。
作中で流れるラウンジ・ミュージック
みたいな曲が、なんかカッコいいんだよね。

弁護士事務所が入っているビルは、
新橋〜有楽町間の電車から見えます。

読んでないけど。
2003年3月14日(金)
今日はテレビ東京で「男はつらいよ
旅と女と寅次郎」を放映していたようだ。

都はるみ出演のやつね。当時、タダ券を
もらって観に行きました。1983年の
作品で、当時ベストセラーだった
鈴木健二「気くばりのすすめ」
をタコ社長が読んでいたはず。
それしか覚えてない・・・。

nemui
2003年3月15日(土)
風邪引いたらしくのどが痛い
おととい病院でもらった薬を
服用しているからか、眠い。

こうやtte 書いているうちにmo
眠く・・・

日本の喜劇映画十選(1)
2003年3月16日(日)
私が岡本喜八監督のファンだと知っている人間から

「日本経済新聞の『日本の喜劇映画十選』という
連載記事で『独立愚連隊』が取り上げられていたよ」

という電話連絡をもらった。

さっそく、日曜日の図書館で日経新聞を見てみた。

この『日本の喜劇映画十選』、

山田洋次監督

がセレクト・執筆しているのである。3/14まででは
連載8回の掲載で、その8本は
(カッコ内は製作年・監督名)

1.石川五右ヱ門の法事(1930・斉藤寅次郎)
2.生まれてはみたけれど(1932・小津安二郎)
3.カルメン故郷に帰る(1951・木下恵介)
4.プーサン(1953・市川崑)
5.台風騒動記(1956・山本薩夫)
6.幕末太陽傳(1957・川島雄三)
7.独立愚連隊(1959・岡本喜八)
8.拝啓天皇陛下様(1963・野村芳太郎)

となっている。
ふむふむ。
そもそも、山田洋次がこういうセレクションを行う
というのも珍しいし、セレクト内容も非常に興味深い。

9、10を楽しみにしつつ、このテンをもとに
雑感を綴ってみたいと思います。


最近、ちょっとダウナー系の日記になっていましたが、
なにか題目を決めないと♪駄目な私ね・・・。

(けっこう続ける予定)

日本の喜劇映画十選(2)
2003年3月17日(月)
まず、「山田洋次監督」について。

好きです。非常に巧い監督であると思います。
いまさらなんだよ、と殴られそうですが。

映画ファンとなり始めた私の前に、
日本映画=「男はつらいよ」
という方程式が立ちはだかりました。
大人気シリーズとして松竹の経営を支えていた
作品です。
しかし「男はつらいよ」っていうのは、
タイトルといい音楽といい、あまりにも
ベタな印象で、長いこと観る気にならなかった
のであります・・・。

ということで、最初に観た山田洋次作品は
「幸福の黄色いハンカチ」です。
武田鉄矢と高倉健が出てるし、雑誌『ロードショー』
でも誉めてあったので。果たして良かったのです
が、特に熱狂的に夢中になったわけでもなく。

次に観たのが旧作「吹けば飛ぶよな男だが」かな。
当時封切りで山本薩夫監督・三原順子主演の
「あゝ野麦峠・新緑編」を観て、この映画で悪役を
演じた“なべおさみ”に関心を持っていたところで
黄金町の場末の映画館でかかっていたもので。
地味ながらもナカナカの映画でした。

「遥かなる山の呼び声」はイマイチだったな〜と
いうところで、やっとリバイバル公開された
「男はつらいよ(第一作)」を観ました。
うん、これは面白い。おいちゃん役の森川信が
素晴らしい。

森川信が出てるのは、全部観ました。それ以外は
なんとなく観てるのもあり・・・という感じかな。

このシリーズを見て感じるのは、山田洋次監督の、
ある意味「残酷な眼」といいますか。
寅の「突き放し方」が凄いんだよね。孤独感の
描き方とか、周囲からの迫害のされ方とか。
どの作品だか忘れたけど、真夏の田舎の駅ホーム
で寅が一人立っているのをいくつかのショットで
とらえた場面を見て、あまりの寂しさにゾゾッと
なった覚えがあります。アートフィルムしてたよ。

比較的近年の「息子」なんかを観てもそういう
感覚はあって、山田洋次監督の資質って緊迫系?
と思ったりもしています。

日本の喜劇映画十選(3)
2003年3月18日(火)
それでは個別作品をめぐりまして。

1.石川五右ヱ門の法事(1930・斉藤寅次郎)

山田洋次監督は、「キネマの天地」という
松竹蒲田撮影所を舞台にした映画をつくって
いるが、そこで斉藤寅次郎は登場する。
たしか山本晋也が扮していて、劇中映画
ではレオナルド熊がドタバタを演じていた。
けっこう凝って撮られていたが、やはり
昔のスラップスティックというのは再現
不可能だなあ、と再確認するばかりだった。
サイレント時代のフィルムというのは現存
するものが少なく、文献から想像するしか
ないわけで寂しい限り。

2.生まれてはみたけれど(1932・小津安二郎)

やはり「キネマの天地」では小津監督も登場、
たしか岸部一徳が演じていた。小津ファンからは
「違う」と言われ評判が悪かったようだが、
私はけっこう大監督の雰囲気が出ていて良かった
と思いましたが。一徳ファンだからか。
小津監督の作品は比較的フィルムも残っていて
この映画なんかもビデオで観れるはずだが、未見。
年取ってからまとめてみようと思っているんだけど
いつのまにか もう年だしそろそろ観ようかな。


さて「キネマの天地」、封切り時はあまり評判が
よろしくなかったけれど、私は

有森也実さん

が大抜擢されてそれなりに頑張った作品として記憶
しています。いまでもいろいろやっている小中和哉
監督が当時16ミリで「星空のむこうの国」っていう
SF映画を撮っていて、それの主演が彼女だった。
文芸座ル・ピリエで観たけど時間モノで、けっこう
良かった。順序は忘れたけど菊池桃子主演の映画
「テラ戦士サイBOY」という・・・誰もみてないか
・・・作品に、有森也実さんはワキ役で出演
していたのですよ。桃子の友人グループの一人で、
いつも画面の後ろの方でブラッシングしてるだけ!
という役でした。そんな人物に注目してた俺って・・・。
長いことお姿を見掛けませんでしたが、数年前に
松下由樹が子供を誘拐する(?)ドラマで、実の母親
役で出てきて「うわ〜ひさしぶり〜」と驚きました。
喜劇映画十選とは関係ないけれど、思い出したので
つい書いてしまった次第。

日本の喜劇映画十選(4)
2003年3月19日(水)
3.カルメン故郷に帰る(1951・木下恵介)

山田洋次監督は1931年9月生まれ。
54年松竹入社(61年監督デビュー)です。
よってこの映画は入社前、学生時代(東大在席中)
に観たものと思われます。たしか大島渚が同期の
はずだけど(彼は京大)、二人とも木下恵介の
作品に惹かれて松竹を受けたんじゃなかったかな。
かように、影響力の大きかった人であります。

いつも同じようなことばかり言ってるけど、
あえて言いたい。

「木下恵介は天才」

今更何を・・・という冷たい空気を感じるけど
これはやはり一言言わずにはおれん。
昔「天才たけしの元気が出るテレビ!」という
番組があったが、それを言うなら
「天才・木下恵介の元気が出る映画」が正しいだろ、
と脳内添削したこともあったよ。意味ないケド。

それにしてもこの「カルメン故郷に帰る」、
テレビで2回、映画館でも二度ほど観たけど
撮影、音楽、出演者の演技、の掛け合わせが
実に面白い。木下監督にはもっと完成度の高い
ものがいくつもあるけれど、これは技術的な制約
やらがあるゆえに、かえって微妙な味が出ている
珍しい作品。一つ一つの場面について詳述したい
欲望にかられるけれど、未見の方はぜひ観てみて
いただきたい。大好きなギャグを一つ言うと、
高原にやって来たストリッパーの一人が
「まあ奇麗!」と花を摘むが手についていた
チューインガムがくっついてしまい「やだ!」と
振り払う珍なる一景。占領下日本の文化状況を
象徴する(?)ともいえる天才の所業です。


残念ながら木下監督の映画を封切りで観たのは
「父よ母よ!」と一本きり。高校2年の
時か。少年非行のルポルタージュを原作に、
沢村国男氏がプロデュースした松竹映画。
喧嘩のシーンを「ちばてつや」氏のマンガ絵
で表現したり、全体を記者の一人称視点で
描いたりと才気のある作品でした。いくつかの
画面は今でもハッキリ覚えているし、ラスト
シーンの静かな余韻は忘れがたいものです。
この映画、あまり言及されることがないのが
残念なので、ここに一筆したためておく次第。

日本の喜劇映画十選(5)
2003年3月20日(木)
4.プーサン(1953・市川崑)

山田洋次が市川崑さんを取り上げるということに
なにか意外なものも感じるが。

「プーサン」は横山泰三の漫画から人物名を
借りたオリジナル作品で、あらすじだけ言うと
「独身・貧乏な予備校教師が失業し、軍事関連
企業に再就職する」という話。時は朝鮮戦争の頃。

ジャンルとしては“風刺喜劇”ということになる
のでしょうが、市川崑さんの真面目さが良く出ている
作品です。
映像テクニックが話題になる市川崑作品ですが、
よくよく見ると「労働」「就職」というものが
必ず描写されています。この初期作もそうだし、
今のところの最新作「かあちゃん」でも、
原田龍二が 失職→泥棒→再就職 というのが
メイン・プロットになっているし。
「太平洋ひとりぼっち」では堀江青年が出航準備
をするところの緻密さ、太平洋上でのヨット整備の
執拗な作業描写。
「犬神家の一族」での石坂浩二と小沢栄太郎との
からみ、冒頭雇用されるところや、最後に探偵料
もらって領収書を切るところまでちゃんと描かれて
います。
卓越したビジュアル・テクニックと、地味な描写の
組み合わせといったところが市川崑作品の魅力の
一つであったりします。


漢字変換しようとすると「犬が三毛」と出てしまいますが
「犬神家の一族」、コメディ映画ではないけれど笑いが
たくさんある映画です。
私の好きなシーン。佐武を殺された竹子夫人が
「猿蔵よ!あいつが殺したのよ〜」と叫んで半狂乱に
なって走りまわってガラッと襖を開けるとそこに猿蔵、
新聞を配りに来ていてポン、と竹子に渡す。おもわず
受け取る。襖、閉まる。ハッと我に返った竹子、新聞を
ビリビリと引き裂く。
市川崑さんらしい編集テク、絶妙の間合い、意外性、
の詰まった名シーン(?)です。

日本の喜劇映画十選(6)
2003年3月21日(金)
5.台風騒動記(1956・山本薩夫)

21世紀の新聞に、このタイトルが載って
いるのを見た時はうれしかったねえ。あまり
語られることがないのですが、面白い映画です。

台風に紛れて古い学校の校舎を引き倒して、
国から助成金をもらって新校舎を建てようと
した村での騒動を描いた作品です。

山本薩夫監督は既に故人ですが、いやあ
この人の映画は面白くて大好き。
映画監督の人でも、大森一樹氏や金子修介氏も
その娯楽性をほめていたのを読んだことが
あります。

この作品のほかにも、「にっぽん泥棒物語」とか
「金環食」といった笑い満載の映画があります。
「白い巨塔」「氷点」「戦争と人間」「不毛地帯」
ナドナド、大衆講談的な語り口で楽しめます。
「忍びの者」「牡丹灯篭」なんて時代劇まで
やってるんだよね。あ、「あゝ野麦峠」も忘れて
はいけない。

さてこの「台風騒動記」、観れる機会はあまり無い
こともあり、少々内容も語ってしまおう。
事件の真相を目撃した純朴な教師を、村の警官が
まったくの憶測で付け狙うのが笑いを生むのですが、
この警官の的外れな反共思想がおかしい。教師の
部屋を窓からのぞいて、机の上に雑誌『中央公論』
が置いてあるのを見て「ややっ、共産思想の本を
購読か・・・」などとメモっている。おいおい!
最後、都会へ出て行く教師を見送って
「奴め、とうとう逃走したか」
と警官がつぶやくのがラスト。ちがうよ!
後年、B・ワイルダーの「第十七捕虜収容所」を
観て、ああアレはコレのパロディだったのか・・・
と思ったりもしました。


「にっぽん泥棒物語」は、仕事帰り(?)に
松川事件の真犯人を目撃してしまった泥棒が、
裁判で珍陳述を展開する、という面白い映画です。
この映画のみどころの一つは、裁判の弁護団の強力さ。
加藤嘉と千葉真一
のコンビなんです。この二人からあのハイテンション
で「真実を語って下さい!」とダブルで迫られては、
さすがの三国連太郎も折れるしかない・・・。
適切なキャスティングでした。

日本の喜劇映画十選(7)
2003年3月22日(土)
6.幕末太陽傳(1957・川島雄三)

これは、日本映画史上の名作、と評価の定まった作品で、
私もそれに異議をはさむことのない傑作だと思います。
もう私ごときが何を付け加えることもないです。
私の好きな左幸子さんや南田洋子さんも大活躍して
います。


7.独立愚連隊(1959・岡本喜八)

この映画は本当に好きだなあ〜。
中国戦線を舞台に西部劇+ミステリの映画を作るなんて
とんでもないことで、しかもそれを成功させてしまった
というのが凄すぎる。面白くて、カッコ良くて、そして
胸に迫る情感。何度も観たけれど全然見飽きない。

思えば、大学時代は
「いかに岡本喜八のような映画を作るか」
に腐心した4年間でありました。
今では“センスは真似できるものではない”という
言葉も知り、タイムマシンに乗って当時へ行って
その言葉を自分に投げかけてやりたい気持ちもあるが・・・。

1983年〜1986年にかけて、関東地区で映画館に
かかった岡本喜八の映画は全部観てると思います。
必死に観てはどう撮ってどうつなぐか、というのを頭に
叩き込んで、コンテ切って実際に撮ってみて・・・
やっぱり、違うんだよね〜。例えば−
「暗黒街の弾痕」で三橋達也が物凄いスピードの抜き撃ち
を見せる。そのシーンをビデオで100回ぐらい(←マジ)
見直して同じように撮って繋いでも、全然うまくいかない
んだよね。センスが無いといってしまえばそれまでなんだ
けど、悔しかったなあ。

まあこれはあくまで私の体験であって、別に岡本監督は
テクだけの監督ではなくて、内容的にも優れた作品を
たくさん撮ってます。
「独立愚連隊西へ」「暗黒街の対決」といったアクション、
ユニークな作風の「江分利満氏の優雅な生活」、
「日本のいちばん長い日」と「肉弾」という終戦をウラ
オモテから描いた二作品、
娯楽作「ダイナマイトどんどん」「ブルー・クリスマス」、
巧みな語り口の「大誘拐」、などなど。
最新作の「助太刀屋助六」も良かった。

最後に余計なことを付け加えると、「独立愚連隊」では
私と同じ苗字の人物が登場、この名前が作品中で非常に
印象的に使われている・・・というのもプライベート・
インパクトになっています。「伊賀野カバ丸」とは少し
違うよ!クスッ。

私は見た。
2003年3月23日(日)
連続ものの途中ですが。

昨日の朝、近所の図書館に本を返しに行こうと
フラフラ歩いていると、チェーン店の薬屋の前で
看板を持って立っている人がいる。見ると
「映画の撮影中ですが、お買い物はしていただけます」
との文言。
買い物の用は無いが、早速入店。野次馬ね。

たしかにデカいカメラがあり、スタッフらしき
人が10人以上いる。何の映画だろう?
スクリプターとおぼしき女性に接近し、持っている
シナリオを見ると「ドラッグストア・ガール」
というタイトル。あ、なんかのニュースで聞いた
覚えが。あとで調べたら、田中麗奈主演の映画
だった。
でもその場に女優さんはおらず、いたのは坊さんの
扮装をした「六平直政」氏。いい体格してるなあ。
映画「シコふんじゃった。」「スーパーの女」
なんかで見たスキンヘッドの俳優さんだ。
現場では棚の商品を入れ替える作業が延々と
行われており、たぶん監督さんのビジュアル・
イメージに合うようにしてるのだろうなあ、と
推測しつつその場を離れました。

映画とかテレビの撮影現場を覗くのはなんとも
心沸き立つものがありますね。やってる作業は
地味なんだけど・・・。

大昔、親に「二子多摩川園」という遊園地に
連れていってもらったときに、ジェットコースター
のところで何かの撮影をやっていて、何だろう?
と思っていたら後日その場面をTVで見てビックリ。
当時好きだった番組の

「スペクトルマン」

だったのです!30年以上前だなあ・・・。
乗っていった東横線も緑色の車両だったよ。

天本英世氏死去
2003年3月24日(月)
追悼文は書きたくないなあ。

俳優の天本英世氏が昨日死去されたそうです。
享年77歳。
一般的には「仮面ライダー」の死神博士が
あまりにも有名です。東宝の特撮ものにも
いろいろ出てます(ドクター・フーとか)が、
私にとっては、というか岡本喜八監督の映画を
よく観てる人には、岡本映画の一つのイコン
として強く印象付けられている俳優さんです。

一昨日書いた「独立愚連隊」には出ていませんが
続編の「独立愚連隊西へ」では中国のゲリラ兵と
して登場、加山雄三たちを「日本人は殺す!」
と怪しげな日本語で威嚇していました。
どの映画でも一風変わった役で出てましたね。
「暗黒街の対決」ではコーラスもする殺し屋、
「江分利満氏の優雅な生活」ではサントリーの
柳原良平(!)。普通なのがおかしい
「殺人狂時代」の狂気のナチ組織首領が代表作か
「日本のいちばん長い日」横浜警備隊の佐々木大尉
「肉弾」では主人公に「お国のために死ね!」と
言い切る国粋主義者の父親
「ブルー・クリスマス」では謎の科学者で、岸田森
とのツーショットが凄い!
「大誘拐」「助太刀屋助六」なんかにも出演
総じて、時代の狂気を体現するような役が多く、
作品をびしりと(笑いも含め)引き締めていました。
なので逆に「江分利満氏」での主人公の同僚・柳原役の
笑顔が印象的なんだよね〜。大きい上背を折りたたむ
ようにした姿勢とともに・・・。

ほかにも小林正樹の「怪談」での実体の無い刺客とか
も強く印象に残ってますが、映画では遺作になって
しまったのか・・・金子修介監督の「ゴジラ・モスラ・
キングギドラ 大怪獣総攻撃」の謎の老人役、これの
存在感は素晴らしかったです。この映画、私見では
最後に潜水艦に魚雷一発縛り付けて特攻する点など
岡本喜八監督の「肉弾」を意識したところがあるように
思えます。

「過去の災厄を忘れるな」

というメッセージ、強いメッセージを持った映画だと
感じました。これは常日頃から著作やインタビュー、
TV番組でも自身の戦争体験と、それに基づいた
反戦意識を繰り返し表明していた天本氏の主張と
重なっていました。金子監督の起用意図と、
天本氏の存在が重なって、最後の忘れがたい映画と
なりました。

もう新作でお会いできないのがとにかく残念です。

日本の喜劇映画十選(8)
2003年3月24日(月)
戦争が始まってるのに古いコメディ映画のこと
ばかり書いてるのもなんなんですが、であるから
こそ書いているというところもあります。


8.拝啓天皇陛下様(1963・野村芳太郎)

わりと評価の高い作品ではありますが、私はTVで
観て正直なところ間延びしていて今一つだったなア、
という感想を持ちました。
野村映画では小学生のときにTVで観た、
コント55号と水前寺清子が出てる映画の方が
印象に残ってて・・・すみません。
山田洋次は野村芳太郎の助監督についていたんだよね。
野村・山田といえば70年代松竹の屋台骨を支えた
二人です。野村芳太郎は「張り込み」「影の車」と
いった松本清張サスペンスの評価が高いけれど、
やはり興行的にも大ヒットした「砂の器」が代表作
ということになるんでしょうか。ちなみにこの映画、
脚本が「橋本忍/山田洋次」となっていたはずだ
けれど、山田洋次はどのあたりを担当したんだろうか。
謎です。
この「砂の器」、真面目な映画なので言いづらいが、
話を進行させる刑事コンビが
丹波哲郎&森田健作
であります。私はここが観ようと思ったポイント
であるという不届き者なのですが。果たして、
彼らは図らずもスレスレのおかしみを生み出して
います。丹波氏が捜査会議で長演説をするシーン
があるのですが、末席で神妙に聞いている刑事が
丹古母鬼馬二 −TV「風雲!たけし城」で
鬼のカッコして暴れていた人− であるのも、
微妙な味わいです。
個人的には野村映画では「昭和枯れすすき」という
刑事と妹のドラマがいちばん好きです。というか、
秋吉久美子が出てるから好きなだけか・・・。

アカデミー賞
2003年3月25日(火)
アルコールは駄目なんですけど、天本英世の通夜
だよ、ということで飲めないビールを飲んで夜
アカデミー賞授賞式を見る。そうそう、結局
ピーター・オトゥール氏は特別賞を受け取りました。

今回は第75回であるとのことで、いろいろ回顧
的なフィルムが上映されたりもしていました。
75回か・・・映画ファンになり始めた頃に買った
キネマ旬報の別冊本が「アカデミー賞50回事典」
だったから、25年経ったのか。4分の1世紀。
ちなみに50回は77年度で、「アニー・ホール」
「スター・ウォーズ」などの時でした。

今回は“アカデミー賞受賞者勢揃い”みたいなコーナー
がありました。壇上にずらりと並んで紹介を受けて
ニッコリ笑う俳優さんたち。このあいだ日記でちょこっ
と書いたテレサ・ライトさんが出てきました。たしか
1918年生まれなので・・・85歳ぐらい?いやいや
びっくり。
うわー!という人の連発、ジョージ・チャキリス
とか・・・。わけても驚いたのは

テータムちゃん

もとい

テータム・オニールさんが登場したことです。
といっても話すわけでもなくお顔を見れただけですが
まったくもってお久しぶりでございます!子役の頃の
「ペーパー・ムーン」と「がんばれ!ベアーズ」しか
見ていないもので。この二本はどちらも傑作!
特にお父さんのライアン・オニールと共演した
「ペーパー・ムーン」の彼女は本当に巧かった。
一言コメントしてほしかったなあ〜。

と、回顧モードで見てしまいましたが、式そのものは
「シカゴ」「戦場のピアニスト」が主要部門を受賞と
いう結果。出席できなかったロマン・ポランスキーが
監督賞を受賞。プレゼンターは「フランティック」の
ハリソン・フォード、拍手してるのは「チャイナタウン」
のジャック・ニコルソン。しみじみ。

毎年見続けているアカデミー賞授賞式ですが、お祭りの
楽しさは薄れること無く、楽しい時間です。

日本の喜劇映画十選(9)
2003年3月25日(火)
9.ニッポン無責任時代(1962年)

山田洋次自身はハナ肇とのコラボレーションでしたが、
植木等の映画を挙げています。
クレージーの映画か・・・。
そんなに観てなくて、面白かったのはこの映画と
「日本一のホラ吹き男」かな。小学校の頃、夏休みの
夕方に「ゴジラ」シリーズがよくTVで放映されていた
けれど、その時間帯にポコッと「日本一のゴマスリ男」
(だったと思う)がかかり、つい観たことがあります。
あまり面白くなかったのですがラスト、高速道路の路肩で
植木等が浜美枝に

ブチュ〜〜〜ッ

と濃厚なキッスをするシーンがあって「おおっ」と驚き、
それだけが鮮烈な記憶として残っています。

私の兄貴(2学年上)は、「シャボン玉ホリデー」に
ザ・タイガースがゲストで出ていたのを覚えている、
と言う。うらやましい。私が覚えてるのは、「8時だヨ!
全員集合」が短期間中断した時にやっていた「全員出発」
とかいう番組ぐらいだ(←これとても事実関係怪しい)。

私が中学の頃(70年代末)にオールナイト上映から
火がついたクレージーのリバイバル・ブーム(小規模)が
ありました。その時に植木等がリリースした
「これで日本も安心だ!」
という曲がその頃常時聴いていたニッポン放送でよく
かかり、けっこう好きでした。昔の曲に夢中になった
のは大学以降です。

それにしても今のところ心残りなのが、クレージーが
ゲスト出演しているという小林桂樹主演の映画

「裸の大将」

をまだ観ていないことです。これを観ないと
「へ、兵隊の く、位で言えば・・・」「・・・なんだな」
というセリフが日常生活で使えない・・・。
東宝からDVD出ないんだろうか。期待。
観るまで死ねない。←非戦の動機

無題
2003年3月26日(水)
古尾谷雅人が自殺、って何てこと・・・。
役が違う、と思ってしまうのはあの映画を
観ているからか。私が大学映研時代を過ごした
80年代中期は、学生映画ファンの間では
大森一樹監督がATGで撮った映画
「ヒポクラテスたち」
の人気がひときわ高かったのです。
古尾谷雅人は主人公・荻野愛作、悩める医学生
でした。伊藤蘭が学友「木村みどり」を演じ、
この子が映画の最後で自殺しちゃうんだ・・・。

もっとも、私が彼をスクリーンで初めて観たのは
大森監督の次作・村上春樹原作の「風の歌を聴け」。
1981年の1月1日元旦に有楽シネマにて。
たしか校庭で“当たり屋”の練習をする二人組の
片割れで、最後に「傷だらけの青春」と字幕の出る
小エピソードに登場していたハズ。

「スローなブギにしてくれ」「悪霊島」と、
高校の時に観た話題作に次々出ていたという
印象。「悪霊島」冒頭、角川春樹(特別出演)の
「ジョン・レノンが死んだ〜!」
という絶叫から青年時代の旅を思い出す
初老のビジネスマンを演じた彼、
その表情はハッキリ脳裏に浮かぶよ・・・

Oさんへ
2003年3月26日(水)
スライのことで言い足りないことがあったら
上部左の「掲示板」から全世界に発信してネ!

しょうか
2003年3月27日(木)
昨日は天気良く気温も暖かく、
前日までオーバーコートを
着ていたのに、いきなりコート
無しでOK状態。

さて、コートが取れると頭に浮かぶのは

「♪古いうわぎよ さようなら」

という一節。



さて、皆さんは小学校の学級朝礼で
「うた」を歌っていただろうか。
6年間ずっとではないが、ある時期
毎日歌い続けていた時期があった。
女性の先生の指揮のもと、という記憶が
あるので、4・5・6年は男性担任だったから
下級生のころ、昭和40年代後期の
話であろう。「今月のうた」というのを
決められて、毎朝クラス全員で歌う。
たとえば「箱根七里」とかそんなのだが
その中で

「青い山脈」

も歌ったんだよね〜。ひと月ぐらい毎日。


若く明るい 歌声に
なだれは 消える 花も咲く
青い山脈 雪わり桜
空のはて
今日もわれらの 夢を呼ぶ

これを歌う小学生か。唱歌斉唱。俺って
もしかしてけっこうトシなのかも・・・。
で、2番の頭が

♪古いうわぎよ さようなら
さみしい夢よ さようなら

なんです。

映画「青い山脈」を観たのは大学に
入ってから。昭和24年の映画
だったか。少々テンポがカッタルい
とも思いましたが、ところどころで
感じられる・・・主題歌にもある・・・

♪雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ

・・・田舎の学生の戦後の開放感が
好ましかったです。

この映画の有名なラブレター騒動、
「恋しい恋しい」を「変しい変しい」
と誤記していたという脱力系のオチ
は、何かで応用したいと考えているの
ですが未だ果たせていません。

日本の喜劇映画十選(10)
2003年3月27日(木)
これで完結。

10.シコふんじゃった。(1991・周防正行)

開始時に「偉大な先輩たちの喜劇の系譜をたどり」
と書いていた山田氏、小津映画の技術継承者として
後輩の周防監督を賞揚して連載をしめくくっている。
確かにこの映画は素晴らしかった。でももう十年以上
たっているのか〜。


山田監督の連載冒頭の言葉

「喜劇映画が無くなってしまった。映画館から
楽しい爆笑が消えてしまった。何故か」

・・・これを考察するのが今まで取り上げられた
十本ということになるわけだが、さて
「何故か」
に対応する回答はどういうことになるのか。連載の
文章から箇条書きで書き出せば、作り手側に
・奇抜な発想
・人間性
・文明批評
・風刺の精神
・娯楽映画のテクニック
とまあこういったものが欠落してきているから
でなないか、ということになるのか。それについて
どうこうコメントする能力は私には無いッス。
ご意見として拝聴いたしました、というところに
落ちてしまい申し訳ない。

通常であれば、ここで私も対抗して10本を選出、
といきたいところですが、かぶる作品が多いので
やめておきます。

いちおう関連事項として、My体験談を次回から
書いてみたいと思います。

映画館での爆笑体験十選(0)
2003年3月28日(金)
例えば自分が「喜劇映画十選」なんていうのを作るとすれば、
昔の映画を多く挙げることになってしまいそうです。名画座、
オールナイト上映会などでは、場内爆笑の渦、というような
ことは何度も体験しました。しかし、新作(封切)でのそういう
経験は、思い返してみると意外と少ないことに気付きました。

山田洋次監督から「映画館から楽しい爆笑が消えてしまった」
と言われても、我々は家のテレビで例えばコント55号、はたまた
伊東四朗・小松政夫のコントを見て爆笑していたわけで、
映画館でのコメディはそれこそ「男はつらいよ」シリーズしか
無かったような状況でしたから・・・。つまりテレビ時代に生きた。

とはいえ、数少ない“映画館での爆笑”はテレビとはまた違った
もので、楽しい体験でありました。どうもある時期から映画館の
観客マナーが非常に!悪くなって、お喋りや雑音の被害に遭うたび
ビデオで観ればこんな眼にあわずにすむのに・・・と思ってしまった
こともあるのは事実。でも映画館で、良い雰囲気を共有できた時は
映画鑑賞の印象もまた格段にちがっているわけで。

そんなわけで、これから挙げる鑑賞記十選、新作(封切)で観た
もののみで行きます。映画の出来としては「???」なものも
含みますが、その時の雰囲気が記憶に残っているものを挙げて
みることにします。

映画館での爆笑体験十選(1)
2003年3月29日(土)
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(1977年)

77年の年末に封切られた映画で、
「トラック野郎/男一匹桃次郎」の併映作品です。
私はこの映画を78年の正月に

亀有東映

で観たのです。当時亀有に親戚があって。

さて、この時の館内は古い表現で言えば“熱気ムンムン”。
ご当地映画であり、上映前から住民たち(?)のボルテージ
はかなり上がっていました。
映画自体はそれほど面白いものではなかったのですが、しかし
例えば、
松本ちえこ(←出演していた)が、買い物で菓子屋に入る。
店主さんが写る。
すると、場内爆笑。「あの人が出てるよ〜」のノリなんです。
下町だからね。

しかし私がこの映画で最も笑ったのは、テレビ番組「Gメン75」
のメンバーが、あのテーマ曲とともに現われるシーンでした。
同じ東映の製作とはいえ・・・唐突だった。

むしろ映画としてはメインの「トラック野郎」の方が
(あくまでも比較として)面白かったです。この作品には
清水健太郎と夏目雅子が出てたし。

あえて触れませんでしたが映画の両さんは、せんだみつお。
せんだ&シミケン、という「ぎんざNOW!」系の2本立て、
というのが観たかったポイントでした。テレビ系の動機。

しかし近所の映画館で笑って新年、というのはムカシの風俗
なのでしょうが、一度体験できてヨカッタと思います。

映画館での爆笑体験十選(2)
2003年3月30日(日)
「ミスター・ブー Mr.Boo!」(1979年)

中学2年ぐらいから映画をよく観るようになると、
どうも世の中には「試写会」なるものがあり、公開前に、
しかも“タダ”で映画が観れるらしいということを
知りました。そして私はラジオ番組で“試写会のお知らせ”
があると必死にメモって、ハガキで応募するようになった
のです。ガスホール、ヤマハホール、虎ノ門ホール、
朝日生命ホールなんかによく行ったなあ。“タダ”とは
いうものの、交通費がかかってしまってたんだけど。

この「ミスター・ブー」も試写会で、たしかヤマハホール
で観ました。封切りは2月だったので、多分1月の試写です。

おそらく我が生涯で、最も笑いの量が多かった映画鑑賞
経験は、これです。

まさに場内は「爆笑のるつぼ」と化していました。

しかし、恐らく今「ミスター・ブー」を見返したとしても
笑えるかどうか・・・。香港映画独特のクドいギャグ、
名作喜劇のパクりの嵐。

今では恐らくテレビ放映時の
「広川太一郎の“超訳”吹き替え」
によってのみ映画ファンに語り継がれている映画であると
思います。しかし、あの「広東語」の強烈インパクトは
無視してほしくないファクターですね。実はこの映画の
主題歌が気に入ってシングル・レコードを買い、今でも
持ってます。歌詞内容は不明ですがカタカナでは
「♪チヨウツエイリイバイタアコンツアイ、ムン!
 ツオテリバダアコンツアイ、ブン!」
とでも表記すればいいのか。かなり好きです。次に
封切られた「ミスター・ブー/インベーダー作戦」の
レコードもあります。


それにしても、私は問い続けなければならない。

笑気ガスでも注入されたかのようなあの日のヤマハホール。
あの体験を経た人たちは今それをどのように消化している
のか・・・。
忘れたのか。忘れようとしているのか。はたまた、
離れられなくなり香港映画を今でも観続けているのか。

「マイケル」と言われたときに、ジャクソンを連想するか、
それともホイ3兄弟(マイケル・サミュエル・リッキー)
を連想するのか。「マイケル・ホイの真実」、それは何か。

「ミスター・ブー/ギャンブル大将」は、地方封切りでは
「ルパン三世/カリオストロの城」と二本立てだった。
それを、アカデミー賞受賞の宮崎駿はどうとらえているのか。


思えば、「ミスター・ブー」の宣伝コピーは

「お前は誰だ?どこから来た?」

という疑問型であった。答えはいつか見つかるのだろうか。
考えているのは俺だけのような気もするが・・・。

そんな気は無い
2003年3月31日(月)
ここでちょっとブレイク。


「この危難の機器になる気」




ディス・デンジャラス・マシーンになる気
とは一体何でしょう。

これ、

日立グループのCMソング

「♪この木 なんの木 気になる木〜」

を一気に入力してMS−IME97で
変換するとこうなります。

だから何、と言わないで。


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