1999.02.06


「新世紀エヴァンゲリオン劇場版END OF EVANGELION
 AIR/まごころを君に」を見た。

TVシリーズの第25話・第26(最終)話のリメイク。この「劇場版」だけ見ても何のことかさっぱ
り判らないわけで、書くとすればTVシリーズから通しての感想を書くことになる。
ストーリー
西暦2000年に南極大陸に大質量の隕石が落下し、水位の上昇により人類の半数が滅亡するという未
曾有の天変地異"セカンド・インパクト"が発生。それから15年後の第3新東京市。14才の少年 碇
シンジは特務機関"ネルフ"の長である父ゲンドウから田舎より呼び寄せられる。人類は"使徒"と呼ばれ
る正体不明の外敵(姿形定まらぬ巨大な生物?必ずネルフ本部を狙ってくる)の襲撃にさらされており、
それに対抗する術はネルフの"汎用ヒト型決戦兵器"である人造人間エヴァンゲリオンしかない。シンジ
はその初号機のパイロットとなるべく呼ばれたのだ。シンジは父に遠ざけられた過去がありわだかまり
もあり拒否するが、傷ついた零号機パイロット綾波レイの姿を見、エヴァに乗り使徒を倒す。以後、シ
ンジはネルフ作戦指揮官の葛木ミサト(年上の女性)の家に同居することになる。内向的なシンジは学
校にもとけこめず使徒との戦う自分の役目への迷いもあり家出。だが捕獲され田舎に戻ることになるが
ミサトとのつながりもありネルフにとどまる。使徒の襲来は続く。迎えるエヴァは3台。エヴァはロボ
ットではないが、人が乗りこんで操縦?する。精神がシンクロしないと動かない。適格者は"チルドレ
ン"と呼ばれる14才の少年少女。ファーストチルドレンは綾波レイ。誰にも心を開かぬ少女だがゲン
ドウとは親しいようだ。セカンドチルドレンはアスカ。ドイツから来た自信満々の勝気な少女である。
ネルフはエヴァで使徒と戦うが、陰では"人類補完計画"という謎の計画が進行しており、"ゼーレ"なる
政府?組織とゲンドウの間で軋轢があるらしい。のちのち、"セカンドインパクト"は隕石の落下ではな
く、使徒がらみの事故であったことが明らかになる。フォース(4人目の)チルドレンとしてクラスメ
イトのトウジがエヴァに乗るが使徒にのっとられる。シンジは父ゲンドウの指示でトウジを殺しそうに
なる。シンジは激しく怒り、田舎に帰ろうとする。だがアスカが使徒に手ひどくダメージをうけるのを
見、エヴァに乗り再出撃。エヴァは"覚醒"?したらしく動物?のように使徒を食い、吼える。シンジは
人間の固体でなくなってしまうがミサトらの必死の救出作業でサルベージされた。アスカは敗戦のショ
ックで精神に支障をきたしてしまい、廃人のように寝込む。さらに強力な使徒が来襲、レイはシンジを
助けるため自爆し使徒を倒す。死んだはずのレイが病院におり、シンジに「私は三人目」だと言う。ど
うもレイはクローン人間?のような存在であるらしい。フィフスチルドレンとして来た少年 渚カヲル
にシンジは好意をよせるが、実は彼は使徒であった。ネルフ本部の地下深くにある"アダム"なる巨大な
人間?に接近。が、死を望むカヲルをシンジは殺害した。
TVの第25話「終わる世界」
シンジの心の中が描かれる。何故殺したのか?何が怖いのか?何故エヴァに乗るのか?アスカ、ミサト、
レイの心が交錯する。ミサトはこの誰も救われない世界はあなた自身の導いたこの世の終わりだと言う。
TVの第26話「世界の中心でアイを叫んだけもの」(最終話)
冒頭、シンジの心の補完について語るとの字幕。
前話に引き続きシンジの心の中。何故?は誰にもわからない。自分だけである。"自分一人だけの世界"
は自由ではなく、他の人たちが自分の心のかたちを作っている。シンジは『自分はいまだ自分が嫌いだ
が自分を好きになれるかもしれない、自分は自分でいたい、自分はここにいてもいいのだ』−と自分を
認め、彼は祝福を受ける。
劇場版の第25話「Air」
最後の使徒 渚カヲルが倒れた後、ゼーレはネルフ本部へ軍隊を送り、エヴァを確保しようとする。エヴ
ァによりサードインパクトを起こすつもりらしい。激しい攻撃でネルフのメンバーはほとんど虐殺される。
アスカは母の心が自分を見守ってくれていたことに気付き、精神が復活して反撃。それに対しゼーレは
エヴァシリーズ9体を差し向ける。シンジは自閉状態で動けず射殺寸前にミサトに救助され、エヴァ初
号機のもとへ(ミサトは死亡)。エヴァで地上へ出たシンジは、エヴァシリーズに蹂躪され食いちぎら
れた肉片と化したアスカの弐号機を見る。
劇場版の第26話「まごころを、君に」(終劇)
ゼーレはシンジの初号機とエヴァシリーズにより"人類補完計画"への儀式をを遂行。"魂を一つに"、群
体としての人類を単体に人工進化させることが目的らしい。一方、碇ゲンドウはレイと独自の計画を実
行しようとするがレイが反旗を翻しアダムと融合。巨大なエネルギー体となり、地球上の人間は固体の
形が維持出来なくなり消えていく。シンジとエヴァもその中に取り込まれるが、シンジは単体になるこ
とを拒否し他人の存在を認めると宣言するとエネルギー体は崩壊。地上にシンジとアスカの二人が残さ
れる。

感想
私の結論を先に言うと、「20世紀最後の傑作映像作品」。
大いに楽しんで観たし、また「わけわからん」と思いながらも啓発されるところが多かった。
【A】「SFミステリーアクション」+
【B】「少年の認識形成ドラマ」――−といったところか、いろいろな謎(エヴァとは何か?人類補完
計画とは何か?etc)があり、そして主人公シンジと彼を取り巻くミサト・アスカ・レイらの精神的
葛藤が描かれている。実は、観ている途中では、わかりにくい部分が「単におもわせぶりなだけ」なの
か「深い思慮に基づいた探求的な表現」なのか判断に苦しむところもあったのだが、TVシリーズの最
後及び映画の完結編を観て、やっぱり後者であったのだなあと確信した次第である。
楽しんで観れたのは、映像的に優れていたからだと思う。アニメの技術的なことはわからないのでその
独自性については語れないが、アクション場面の大胆さと細かさ(映画のガメラシリーズに相通じるも
のがある)、奇妙な構図、緩急のついた編集−が感覚的に受け入れられた。字幕の多用、長回し(?)
といった異質な手法も違和感はなかった。それと音楽、「007」のパクリ?みたいな曲があって失笑
したりしつつも条件反射的に「来た来た〜」と面白がれるものだった。
さて内容は、
【B】をTVシリーズで完結させ、
【A】を映画で完結させた――ということなのだろう。
私はTVシリーズの最終話、そのエンディングを観て感動したのだが、それは何故か?わけのわからな
い長い話がやっとこさ終わったという解放感だったのか?何かしらんが泣いて叫んで拍手してヨカッタ
ヨカッタで終わる自己開発セミナー的な大団円だったのか?やっぱりそうではなくて、結婚披露宴のス
ピーチみたいだが「他人あっての自分」ということ。それに少年が気付くまでの長い長い話である。親
だけと一体化していた世界、自分だけの世界から垣根を外して新しい世界に踏み出したラストであると
思う。私としては、作者がヤケクソで提示したものではなく、"創意のまとめ"として送った、心のこも
ったメッセージであると思う。
で、映画だが、私は「大人主導の運命論に対し、若者達が自分の考えで反抗するドラマ」として観てこ
れまた感動した。ただし2度目に観ての感想であり初見では「なにこれ?」だったことは付記しておく。
間違ってるかもしれないけど単純化すると「もう人類はゆきずまった。みんなで一つの魂になろう」と
じじいにヤラれそうになったけど「他人に傷ついても自分は自分がいい」ってその企みにノらず、自分
の意志で生き続ける――という建設的で感動的な話だと私は認識した。気持ちが通じない?憎しみから
シンジがアスカの首締めて殺そうとするができず、鳴咽を漏らすシンジにアスカが「気持ち悪い」とい
う終劇も、「ケモノから人間になった」「人類の新しい出発だ」と晴れ晴れした気持ちになるラストで
ある。
最後に
「何故ここにいる」「何故殺す」「何故生きる」といった哲学的命題をロボットアニメ(←ちがうけど)
で、しかも、ストーリーやアクションで表現しようとした冒険はスゴいと思う。使徒=他者、ATフィ
ールド=心の壁。再見しないと判らないというのは多少引っかかるが。
映像において「こころのかたち」「ひとのたましい」といったものが結果として立ち現れてくる優れた
作品は数少ない。あえて正面きって目的としてこころの表現をもくろんだ本作の意欲と、結果表現され
たものに対して大きな賛辞を送りたい。
2015年に再見してみたい。その時私は50才だが。


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