大学二年の時(1984年)に書いた文章

「(岡本喜八監督について)」

2003.11.08


戻る

事情があって大学の時の学園祭パンフレットを見ていたら、自分の書いた文章が(手書きで)載っていて驚いた。今から19年前、1984年(昭和58年)の学園祭パンフである。
急に何か書け、と言われて、当時最も関心の高かった(今風に言えばマイブームだった?)岡本喜八監督について書いたもののようだ。本来、催しものについて書くべきところなのに、何とも場違いなのだが・・・。

初出/『第34回浜大祭パンフレット』(発行日:1984年11月9日/発行:第34回浜大祭実行委員会)

     発表団体のページ(p.35)に掲載


映画研究部

わたくしは、商学部2年のニンゲンで、映画研究部に属しているものです。これは学祭のパンフの一ぺぇじになるものらしいですが、きのう、あさってまでに かけといわれて、きょう あすまでに書かなきゃなんないものなんですが、まあべつに、こんなこまかい字でだらだら書いてないで、でっかい字で バカヤロー とか かけば1分もかからない。でもまあ、いろいろ書いてみたいこともないわけではないからちょっと書いてみます。▽ちなみにこの紙は(原こうのことよ)まったくの白紙で、マス目も行もないので字の列がぐにゃぐにゃです。お許し下さい。▽さて、まず書いておきたいのは、さる9月26日から10月9日まで池袋の文芸地下劇場で催された「岡本喜八ワンマンショー」とゆー企画のことです。いちおう説明しますと、岡本喜八という人は、映画のカントクです。彼は1924(大正13)ねん2月17日に鳥取でうまれましたから、いま60さいです。’43年に明治大学卒業と同時に東宝に入社したんですが、44年に徴用され、中島飛行機で一年試運転工、45年には松戸工兵学校へ、同年4月に豊橋予備士官学校へ入ったけれども8月終戦で東宝へもどって、谷口千吉、成瀬巳喜男、マキノ雅弘なんかの助監督について、58年、34才の時、雪村いづみ主演の「結婚のすべて」でデビューした。これは今みても非常にテンポのはやいコメディで、三船敏郎がタイトルにクレジットされてないのにでてきて、笑える(戦後しばらく岡本氏と三船氏は同じアパートにすんでいて、友人らしい)。この作品はそんなにヒットしなかったらしいが、58年のキネマ旬報ベストテンでは2人しか票を入れていないものの、そのうちの一人は(最近めっきりとしをとった)淀川長治氏で、7位に入れている−ということにあらわされるように、岡本喜八の初期作品は邦画をみる人より、洋画ファンにうけていた。翌59年、5本目の作品「独立愚連隊」で彼はすっかり有名になる。私はこの映画が好きである。それは、佐藤允演じるところの主人公の名が“大久保”であるということもあるが、まあそれはどうでもいいこととして、とにかく終戦間近の中国大陸の戦場を舞台に、アメリカの推理小説のようなストーリーで、西部劇をやってしまうという はなれわざを彼のほかにやったものがいるか!? 長くなるが、非常にうれしくなってしまう、この映画のオープニングを書いてみよう。 ピストルのアップ。ズームで引くと、丘の上(?)にねている佐藤允だ。彼がパッとめをさまし、荷物をむこう(崖?)の下に投げ、自分もとびおりる−と、そこには馬がいて、そこにパカッとまたがって、大平原へ向かって走る!テーマ曲が流れ、タイトル“独立愚連隊” 以下、平原を走る絵にかぶさってスタッフ〜キャスト。うーん泣かせる。書いてて泣けてくる。これはシリーズになって、「独立愚連隊西へ」「どぶ鼠作戦」と続く。 愚連隊シリーズ以上に泣かせるのが暗黒街シリーズである。59年の「暗黒街の顔役」から始まって、60年「暗黒街の対決」、61年「暗黒街の弾痕」、「顔役暁に死す」、「地獄の饗宴」とまあ5本あるわけでありますが、どーゆー内容かと申しますと、ギャングやら刑事やらなんやらかやらが入り乱れてのアクションものであります。このシリーズの魅力については、多くの人が語っておりますが、最近では山根貞男(映画評論家)が新著『活劇の行方』(草思社・2000円・私は立ち読みですませた)の中で、ムズカシク論じているので、ヒマな人は立ちよみでもして下さい。このシリーズの面白さを、文章で解説することは全く困難で、あの俳優たち(特にミッキー・カーチス、平田昭彦、加山雄三、天本英世など)の魅力、初めてみる人なら とびあがる、もしかすると失禁するかもしれない。あの、筆舌に尽くしがたいカッティング(編集)−だまされたと思って、オールナイトかなんかでみて下さいな。 63年、時代劇の形をかりた西部劇「戦国野郎」に続いて、彼は彼の最高傑作といわれる「江分利満氏の優雅な生活」を作った。カントク自身は一番好きな作品らしいが、私のような、彼の初期作品の純粋アクションを愛する者には悲しい転換期であった(このへんの論旨は『映画宝庫(9)日本映画が好き!!!』の中の、小野耕世氏の岡本喜八論と似ているが、まねではなくて、同意見なのです)。それというのも、岡本カントクは「江分利・・・」以後、2、3の青春物をのぞくほとんど全ての作品で“戦中派のこだわり”をだし続けるからである。私はそれを否定するわけではなく、「日本のいちばん長い日」「肉弾」などはすばらしい映画である。しかし、しかし・・・(うーん、何といったらいいのかわからないので、ちょっと話をもどします)。64年は、私のうまれた前のトシである(ということは私は65年うまれで、今19才である)。その年、(私が思うに)日本映画史上に記録されるべき、すさまじい映画が誕生した。ミュージカル・サスペンス・コメディ、「ああ爆弾」である。登場人物を能狂言、浪曲、ご詠歌、法華太鼓、落語のあがりなどのリズムに乗せて演技させるという おそるべき作品なのであーる。オールナイトなどでたまーにやるので、興味のある方はみてみて。67年の「殺人狂時代」は、TVのルパン三世の旧シリーズのように、あとになって評価された珍品。仲代達矢のめずらしいボケーとした演技と、天本英世の怪演がみどころ。ヒッチコックより面白いサスペンスよ。同67年の「日本のいちばん長い日」と68年の「肉弾」は説明不要だよね。「肉弾」以降の作品についてはあまり触れたくないとゆーのが偽らざる真情でして、わずかに「ダイナマイトどんどん」(78年)の前半は往年の調子があった。しかししかし、岡本カントクは近々、念願の、本当の西部劇(アメリカで)を撮るとゆー話もあるらしく、これはぜひぜひ、がむばって欲しいものだ。とゆーことで、ああそうそう、「岡本喜八ワンマンショー」ってえのは、前述の期間中、日がわり2本立で、彼の35本の作品のうち28本が観れるとゆーすごい企画だったわけ!いい企画だったけど、文芸地下のイスの固さはなんとかならんもんかね。ケツでスプリングをもろに感じる。そうそう、岡本カントクは期間中の2週間毎日舞台あいさつしました。ごくろうさま。▽本当は岡本喜八のことだけじゃなくて、フィルムセンター炎上 星くず兄弟の伝説 リバイバル・ブーム 夏休みのアメリカ映画 映画のTV放映上の問題 小ホール増加 丹波哲郎 と、続く予定だったのに!チクショー、もっと字を小さく書けばよかったのかな?まあ、いいや。(大久保勲)


2003.11.08/38歳の講評

 じじくさい19歳だなあ。でも「好きな事しか書けない」ということは昔も今も変わらないようだ。言葉遣いに品が無いのも19年経過しても改善されていない。

 ちなみに文中にある“西部劇”企画はこの11年後に「EAST MEETS WEST」として実現。

 この作文の後で製作された岡本監督の映画は

「ジャズ大名」(1986年)

「大誘拐」(1991年)

「EAST MEETS WEST」(1995年)

「助太刀屋助六」(2002年)

である。19年で4本は少ないなあ!


戻る