わたしと映画

1999.05.12


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中学1年までの映画鑑賞記

前説

 年輩の方が書かれた、「私は小学×年生の時『○○』という映画を観て映画に目覚めた」というような文章を読むと、スゴイナ、と思う。わたしはうすぼんやりした子供だったのでハッキリした記憶がない。昭和40年生まれの私の小学校の時の娯楽はもっぱら"TV"と"まんが"だった。
 映画は面白い!と思って熱心に見るようになったのは中学生になってからである。熱心に見るようになってからのことは映画ファンの皆さんと同じ道なので、それ以前の映画への愛のなかったころの素っ気無い態度も一興かと、断片的な思い出話を書いてみることとする。
 
小学校以前はまったく記憶がない。TVは見ていたと思うが。映画を見始めたのは小学校にあがってからなのであろう。

最初に映画館で観た映画

 やっぱり、TVのウルトラシリーズから入って怪獣ものが好きになり、TVで放映された東宝特撮もの、『ゴジラ』シリーズなどを観たものと思われる。 TVではなく映画館ではいつどこで観たのだろう。
 母の実家(横浜市南区弘明寺)の近くに商店街があり、それとクロスして川が流れていた。その川っぺりに映画館があった。封切館ではなく(後年はポルノ映画がかかっていたようだ)、春休みや夏休みは子供向けの番組が組まれていた。ここで観た映画が、最も古い「映画館で観た映画」だと思う。怪獣が世界各地に現れるシーンを覚えている。人に話したところ「それは『怪獣総進撃』ではないか?」と言われた。あと、潜水艦が海上に浮上するシーンが印象に残っている。まあ、もしかしたら私の記憶違いで実は『オール怪獣大進撃』かもしれない。親からは、別の映画館で『南海の大決闘』を見せたゾとの証言も得ている。いずれにしても、初めて観た映画を特定できないというのは悔しいが、謎の方が面白い気もする。
 余談だが、この映画館一帯の地主サンの息子であるM谷くんと中学3年の時に同級生だった。「いつかポルノ映画観に行くから潰すなよ」と言っておいたのだが、高校の時つぶされた。映画館跡はM谷ビルのパチンコ店になった。
 まあ、商店街の近くとはいえ、ほとんど住宅地みたいなところに映画館があった−ということから、かつての映画全盛時というものがしのばれるのである。

俺を映画館に連れてってくれー

 封切りで観た最初のゴジラ映画は『ゴジラ対ガイガン』だと思う。馬車道の東宝会館。かなり強力に親に頼んで連れて行ってもらい結構面白く観て満足した。続いて『ゴジラ対メガロ』『ゴジラ対メカゴジラ』も観た。つまらなかったという記憶もないので、やっぱりそれなりに面白く観たのだと思う。
 が、のちにこれらについて東宝特撮好きの先輩などに語ると、かなり手ひどく批判されて驚いた。曰く「福田純はダメ!」。うーん、その後再見してないのでなんとも言えないがいつか検証してみたい。「それより『メカゴジラの逆襲』は観たの?」と問われたが、これは封切り時少年野球チームの練習が忙しくて観に行かなかった。
 『メガロ』か『メカゴジラ』のどっちだったか忘れたが東宝チャンピオンまつりの中で「フィンガー5」の短編映画があって、これが観たくて観たくて騒いだ覚えがある。アキラやタエコではなく、その兄貴達が好きだったのです。既にマイナー趣味の萌芽がここに見られる−といったところか、トホホである。

アニメ?

 東映まんがまつり−は不思議だが行った記憶がない。TVアニメは浴びるほど観ていたのだが、何故触手が伸びなかったのか?不思議だ。でも『ジャックと豆の木』は観たかもしれない。ディズニーのアニメも観ていない。兄は『101匹わんちゃん』を観たらしいが。『パンダコパンダ』『同 雨降り大サーカス』は観た。自主的にパンダ目当てで観たわけではない。

映画上映会

 小学校で映画上映会がたま〜に行われた。暗幕をはって真っ暗の体育館で、16ミリ(たぶん)映写するのである。少女が主人公の麻薬禍の話の白黒映画を観たような気がする。ロープウェーの映像が記憶に残っている。ある時なぜかTVアニメ『巨人の星』の一話が上映された。青雲高校入学前で、星のタマを花形が打って凄まじい打球が星を襲うが、星は逆立ちしてスパイクで球をはじき落としてアウトにする−といったエピソードのある回だった。いったい如何なる経緯でこれが上映される運びになったのかは謎だが、TVで観るのと違ってみんなで盛り上がったし、ふと後ろを見るとセンセーたちも笑ってみているじゃあないか!
 
町内会の、夏の屋外上映会っていうのもありました。近所の幼稚園の裏の駐車場にスクリーンはって写すのだが、夜風に吹かれて...というライブ感がなんとも興奮させた。外国の短編アニメなんかを上映していたかもしれないが、番組は完全に忘れた。最後に見たのは外国の実写もので、危機に陥った主人公の青年が鉄棒の妙技をみせて天井から天井を渡って逃げる−というシーンだけ覚えている。鉄棒の妙技を見せる俳優といえばバート・ランカスターぐらいしか思い浮かばない(『真紅の盗賊』!『ヴェラクルス』でもちょっと)が、そうではないようだ。

私と映画とどっちが大事?

 昼間 第一作「ゴジラ」を一人TVで観ていた。その時、家人か友達か忘れたが「学校が火事だ!」という声が。天下の一大事だが、私は「ゴジラ」に熱中するあまり、そのままTVを観続けた。夕方学校へ行くと(既に鎮火)、黒コゲの校舎は自分の教室のあったところ。その後プレハブ校舎で過ごした、これは小学校3年生の時のことである。しかしビデオのなかったあの頃とはいえ、TVを観続けるのが最良の選択だったかどうかは疑問だが、この時点でものごとの優先順位が決まっていたのか。やれやれ。
 まあこんな風にTVで東宝の『モスラ』『ラドン』『妖星ゴラス』やら何やら、大映の『ガメラ』シリーズ、『大魔神』などを、放映されれば観ていた。東映の、お化けがたくさん出てくるやつも観たような気がする。観たはずだが、細かいところはほとんど覚えていない。

チャップリン

 さて、私の父親は映画が好きで、若いころはかなり観ていたという。そんな父なので、兄や私が大きくなってくると「これを観たら」と言うことも出てきた。チャップリンの映画を観たのも父のお勧めである。
 NHK総合の銀河テレビ小説の枠(21:40〜22:00)で時々チャップリン小劇場とかそういったタイトルで、短編を日替わりで1週間ぐらいやることがあって面白く観た。ボクシングのシーンや、ローラースケートのシーンが特に気にいっていた。エドナ・パービアンスなる相手役女優の名も覚えた。その後、短編から長編『キッド』『街の灯』、『モダン・タイムス』なんかもだんだん観るようになった。中学生になって、国語の作文で「チャップリンの映画について」なんていうのを書いた覚えもある。
 今でも、会社でバカみたいな単純作業をした後「チャップリンかよ〜」とつぶやいてスパナでボルトを締めるしぐさ(『モダン・タイムス』)をすると熱い共感が場に生まれるあたり、やっぱりチャップリン、俺達労働者の心の友だぜ、とも言える。

横浜ピカデリー

 兄(2学年上)が大きくなると、親ではなく兄に連れていってもらう−という新たな展開が生まれた。『タワーリング・インフェルノ』に兄が友人と行くのに混ぜてもらえた。1975年封切りなので小学校 5年生の時である。兄は中学1年か。今はなき横浜ピカデリーで観た。が、私にはまだ洋画鑑賞能力はなかったようで、観ながら色々質問したり緊張感なくかなりうるさくしたため、そのあと映画同行は禁止され、予定の『新幹線大爆破』行きもキャンセルされがっかりした。自業自得か。その後自力更正し、鑑賞マナーには厳しくなりました。(本件時効後、『がんばれ!ベアーズ』は兄と観た。)中学の時だったか、大森の名画座で『タワーリング...』『スラップ・ショット』というポール・ニューマン2本立てがかかって、雪辱とばかり観に行った。そうしたら休憩時間のトイレで兄貴とバッタリ会ってビックリ。当時仲が悪かったのでお互い見て見ぬふりだったが、因縁か。まあ兄はジョージ・ロイ・ヒルのファンだったので、目的は違ったようだが。とまれ『タワーリング...』、とても面白かった。
 
「最初に映画館で観た映画って何?」と聞かれた時、怪獣映画を挙げるのがまずいような場合『タワーリング・インフェルノ』と答えることもある(←うそつき)。だいたい同年代の人とこの話題になると、この他に『燃えよドラゴン』『エクソシスト』『JAWS』といったタイトルがあがります。

児童映画

 区の公会堂でたまに"名画鑑賞会"みたいなものがあり、学校の前でおじさん(とは書いたが今の私ぐらいの年カモ...)がチケットを売っていた。こういう文部省推薦−みたいなのは親も安心して見てらっしゃい、ということで兄とよく観に行った。『がんばれかめさん』『教室205』といったタイトルが思い出される。
  『がんばれかめさん』はソ連映画(!)で、極論すると一匹の亀がのそのそ歩き回るだけの映画だが、最後の方に興味深いシーンがある。何故か軍事演習場のようなところに亀さんが迷い込むのだが、戦車隊長がそれに気付きマイクで「かめさんに注意!かめさんに注意!」と指示し戦車は亀さんをよけて通る −というコミカルなシーンである。今にして思えばソ連軍の人間性(?)を示すプロパガンダなのかもしれないが、当時は偉そうな口調で「かめさんに注意!」と真似して笑っていた。
 『教室205』は日本映画で、地下だか何処かの空き部屋を使って子供が自分達で理想の学級を作る−というような話だった。原作を先に読んでいたく感動していたため期待して見たが、抱いていたイメージと違い多少失望した。が、「さみしいあいつを呼んでこい〜にいまるご〜」なんていう主題歌の一節を覚えている(伴奏はハーモニカ)。

フリッパーと市川崑

 アメリカのTVドラマ『わんぱくフリッパー』は好きでよく見ていた。主人公の少年の声の吹き替えを中村メイコがやっていた。その中村メイコがやはり子供の声−というのでたまたま観たのが『私は二歳』。 NHKで土曜だか日曜だかの夕方に放映されたのを観た。赤ちゃんが主役の映画というので特撮映画でも観るノリだったのだろう。
 さすがに子供だったので感動した、ということもなかったが、へえ面白いな−ぐらいに思ったようだ。特に祖母が急死する場面や、挿入される暴走族のショット等が印象に残った。市川崑という名も覚えた。たぶん大村崑チャンと同じ名だったからだろう。

2大派閥・抗争

 小学校6年生は「最高学年」ということもあり、かなり行動的になってきた。子供だけで遠くに釣りに行ったり。で、映画も行こうぜ!ということになったが、妙な現象が。何故か正月映画に関して『キングコング』派と『カサンドラ・クロス』派が別れて対抗しあうという事態になった。冗談半分でののしり合ったりして。「ただのサル!」「ただの列車事故!」。どこの小学校でもそうだったのだろうか、すっかり東和とヘラルドにのせられたんだなあ。わたしは特に主体性もなく成り行きで『キングコング』の方だった。『カサンドラ...』の方が大人っぽい気はした。かくして、観た映画自体より、終わったあとみんなで繁華街をブラブラ歩いたことのほうが面白かった。そういう年齢でしょう。

007映画との出会い

 中学にはいると卓球部の練習が忙しかったが、たまの休み、友達と『ロッキー』を観に行った。良かった。が、それはそれ自体で完結していた。このころ、兄が映画ファン雑誌「ロードショー」なんかを買っていて、それを読んで公開されている映画には結構詳しくなっていった。
 「映画のチラシ集め」なんかもはやり出していて、私も透明の下敷きに『ロッキー』のチラシを挟んだりしていた(他にピンクレディ・沢田研二の写真、マカロニほうれん荘の切り抜き等も挟んでいた...)。
 さて、冬休みはさすがに卓球部の練習も休みがあり、クラス仲間と正月映画見に行こうかという話になった。特に今回は「007」派 対「オルカ」派という激突も無く、みんなで『007/私を愛したスパイ』を観に行った。この映画をたいへん面白く観て、これ以降熱心な映画ファンになったのである。

おわり


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