2000.10.18
私のビートルズ・雑感 |
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ここのところ、「本の出版」「ベスト盤の発売」そして埼玉のレノン記念館のオープンと、商業上の事柄ばかりとはいえ、ビートルズ関連の話題が新聞上で散見されます。
そこで(←いつも こればっかりですが...)私のビートルズ史をふりかえってみたいと思います。とはいえ、私は歌謡曲愛好者であり また洋楽の「よ」の字も理解できぬものゆえ、愛情のない文章になりますが...。 さて、昭和40年生まれの子供は当然ビートルズをリアルタイムで聞いた記憶はあるはずももなく...。余談ながら音楽(歌)について最古の記憶限界はなんだろう? 「黒ネコのタンゴ」「帰ってきたヨッパライ」あたりかな? 洋楽だと...たぶんS&Gの「コンドルは飛んで行く」かな? 最初に覚えた曲名は「ヘイ・ジュード」。小学生高学年になって「なぞなぞブーム」ってのがありました。お若くて、このブームをご存知ない方は、深谷かおるさんのまんが『エデンの東北』10巻の「めーわくなガキ」をご参照下さい。例「Q.陶芸が得意な妖怪は?」「A.ろくろっ首」−というような、たわいのない コントみたいなものです。 そして そのうちTV「笑点」で「ずうとるび」に出会うことで、4人組であることが判明。パロディ化されるほどの存在の大きさ…が来るべき出会いを準備する。しかし、正確に逆読みならば「ずるとーび」ではないか?と誰でも紙に書いてみたのではありませんか。 中学に入るとラジオを熱心に聞くようになったけれど 高校1年の時、ジョン・レノン死亡ニュースで「レット・イット・ビー」が流れても特に何もわからず(ポールの曲...なの?)、翌年の角川映画『悪霊島』の冒頭で、角川春樹(特別出演)が古尾谷雅人に リチャード・レスターという映画監督がいます。中学の時『新・明日に向かって撃て!』という映画を見て以来のファンだったのですが、この監督が撮ったというビートルズ映画−というのはなかなか観る機会が無かったのです。が、高校卒業した春休みに、映画『A HARD DAY'S NIGHT』が久々に劇場公開されました。今はなき、築地・銀座ロキシーにて。この映画が良くてね〜。1日に劇場で3回続けて観てしまいました。1日3連続で観たのは、『グリース』とこの映画だけです。冒頭の大・スペクタクルシーンが最高。ただこの再公開時、字幕新版−ということだったんだけど、ある女性を評したセリフで「あのワルコ」っていうのがあって(TV「欽ドン!良い子悪い子普通の子」の中原理恵...)、レーザーディスク版でも残ってます。やれやれ。(蛇足ながら、中原理恵出演の映画『幸福』は傑作!残念ながら未ビデオ化作品です。81年・東宝・市川崑監督) 『HELP!』を観たのは大学3年の時だったか...ビートルズ・シネ・クラブの上映会、西区公会堂にて。しかし皆言ってることだけど、ファンのくせに「ビートルズ死ねクラブ」とは穏やかならぬ。会はコンサートフィルムやミュージッククリップが続いた後で、いよいよ映画!が始まる前に進行役の人が「みなさん、もうストーリーは判ってますよね?字幕なしでーす」と言うやいなや英語版の上映が始まりました。素晴らしくシュールな初体験をさせていただいたおかげで、この映画、わが生涯のベストワンです。ストーン・ヘンジの戦車のシーンが最高。ビートルズをつけねらう科学者の片割れの名前がアルジャーノン −というのが少しおかしい。 そんなわけで、「ビートルズのファン」というより「リチャード・レスター監督の映画に出演しているビートルズのファン」といったような者になってしまいました。 「ビートルズ音楽が好き」というより「リチャード・レスター監督のサントラ音楽として好き」というような。ここで、落ち着くところに落ち着いて現在に至ります。 わりと最近になって知ったんですが、TV「ひらけ!ポンキッキ(→ポンキッキーズ)」のキャラクター、ガチャピンとムックって、それぞれポールとジョンを意図した造型なんですってね!知らなかった...でもそう言われると納得。 以上 |