わたしとマンガ


わたしとマンガ【小学生まで編】

本当は「まんが」という表記が好きなのですが、ひらがなで書くとわかりにくくなるのでカタカナで
「マンガ」とします。

さて私は今現在「マンガ」に関して、定期購読誌もないし単行本をバリバリ買い込んでる訳でもありま
せん。しかし、いつでもマンガを読みたいと思っており、貸して!読ませて!という欲求は子供の頃と
ほとんどかわりがありません。
私は実際どんな風に子供の頃マンガと関わってきたか−を漫然とですが記してみたいと思います。昭和
40年生まれ男子のマンガの道のりの一例として。とりあえず小学生までの話。

絵本の巻末

マンガ作品として覚えてる最古のものは何か?ちょっと違うかもしれないが...
家にこども向け絵本がたくさんあった。その中で、巻末に別の話が"マンガ形式"で書いてあるやつが
あった。コマ割りがしてあってセリフは吹き出し。絵本よりこっちの方が面白い−と何度も読んだ。
かなり後年映画『バロン』(テリー・ギリアム監督)を観て、「この話だよ〜」と驚いた。つまり、
『ほらふき男爵の冒険』だったのか。大食らいの男は海の水を飲み干し、眼の利く男が信じられない
ような遠くを見て、とてつもなく足の速い男が土煙をたてて突っ走る−というシーンがそのままだった!

マンガを描く

かなり小さい頃から、マンガのような落書きをよく描いていた。紙にタテ・ヨコに線を引いてマスを作
り、そこに絵を描き込んで行く。フキダシにセリフも入れて、ストーリーもあった。というより一枚絵
で完結する絵に興味がなかった。
藤子不二雄の『オバケのQ太郎』のO次郎がお気に入りでこればかり描いていた(一番単純で描きやす
いキャラだったからだろう。但しマンガは読んだ覚えがない。TVアニメやキャラクター商品を見て模
写したのだろう)。
小学校高学年までO次郎系の非・人間キャラで描き続けたが、野球マンガが好きになって魔球とか次々
に考え描くとO次郎では無理(それでもしばらく投げさせたが)で、そうこうしてる内にマンガは描か
なくなった。
幼い頃にはマンガ家になりたいという夢があったが、そうであれば人間キャラを描くべきだった。一度
として人間を描くことなく終わった。いまでもイタズラがきで描く絵はピカチュウとかそんなのばかり
である。

学年誌

小学館の学年誌、「小学○年生」を買ってもらっていた。マンガが載っていたので、読んだ。必ず女の
子向けにバレエマンガがあって、面白く読んだ。「おどろうあかいくつ〜なみだのみずうみで〜」の
『赤い靴』なんかは学年誌掲載ではなかったか?男の子向けのは、あんまり面白いのがなかった。自分
のより、兄の買ってるもの(2学年上)の方が面白く見えた。特に、タイトルは『原始くん』だったか
(ちがうかも)、原始と書いて"はらはじめ"と読む風体の冴えない転校生が実は頭脳明晰スポーツ万能
でみんなの危機を救う−というマンガが特に気に入ってた。覚えてる作家たち。山根あおおに、面白い
ギャグマンガを描いていた。六田登も面白かった。横山光輝の暗いSFものは嫌だった。川崎のぼるは
...絵が苦手。のちに内山まもるも描いていてこちらは絵が好きだった。藤子不二雄では『ボクラ共
和国』とか、他にバウバウとかミウミウとかいう犬・猫キャラが活躍するやつをうっすら覚えている。
あと記憶違いかもしれないが、吉森みき男も何か描いてたような気が。これも記憶違いと思うが、少年
チャンピオンの人気作『ゆうひが丘の総理大臣』(望月あきら)って『ドカドカドッカン先生』という
タイトルで学年誌でやってなかったかなー。ちがうか。

「科学」

学研の学習誌、"「科学」と「学習」"の「科学」を買ってもらっていた。記事も付録も満足のいく好き
な雑誌だった。これもやっぱりマンガが載っていて、楽しみにしていた。基本的に自然現象とか物理法
則の絵解きのマンガなのだが、私はこの手は嫌いではない。石森章太郎(だったか石森プロの別人だっ
たか失念)のマンガの女性キャラが可愛くて好きになった。これから20年後『マンガ日本経済入門』
も買って読んだ。絵解きは嫌いではないとは言ったが、こちらは空しさを覚えた。一時期、あすなひろし
(『青い空を白い雲がかけていった』の人)みたいな絵で、一人身のきままな青年探偵とネコが怪異現象
を解明するマンガが連載されていて、これが非常に好きであった。

さて、学年誌にしても「科学」にしてもマンガは掲載数が少なく、しかも学習誌だからどうもお行儀が
よすぎる。だんだん世の中にはマンガだけがいっぱい載ってるマンガ雑誌があるぞ−とわかると、もう
そちらにばかり眼が行くようになる。

「少年ジャンプ」

最初はたぶん年長のいとこのいる親戚の家で読んだのだと思う。そのうちアニキ(2学年上)が買い始
めたのだろう。
強く印象に残っている作品(カッコ内は資料で調べた連載開始年月)
『ぼくの動物園日記』(72.9−)
『アストロ球団』(72.9−)
『はだしのゲン』(73.6−)
『包丁人味平』(73.6−)
『トイレット博士』,『ど根性ガエル』もこの頃か?ちょっと前後するか。
いずれにせよ1973年頃。私は小学校3年生、アニキは5年生か。ずっと買ってたわけでもないが、
やっぱり「ジャンプ」が家にあった気がする。1年間が52週間だということを知った(年末の号数が
52だった)。情けないが『トイレット博士』が好きで、ハガキで応募して「メタクソバッチ」が当た
った。黄色いトグロうんこの上に赤くMKマークが映える黄金バッチで重量感があり、たいへんうれし
かった。

マンガを読むところ

さっき「ずっと買ってたわけでもない」と言ったが、やはり親としては俗悪(に見えるだろうね)な雑
誌を買うことは許せないわけで、止められることがしばしばだったのである。『はだしのゲン』で対抗
したかったが池沢さとしのエッチな忍者モノとか載ってて強行突破できなかった。買えないとなると何処
で読むか?
まず床屋。床屋のいいところは、バックナンバーがズラリと並んでいるところである。置いてあるのは、
当時はつまらないと思っていた「マガジン」とか「サンデー」だった。が、待つを幸い、読みまくった。
刈ってる時も、床屋のおやじに頼んで腕だして読ませてもらった。開いたページに降りかかる刈られた
髪の毛...。さらにずうずうしくも、刈り終わった後も「もうちょっとで終わるから」と読み続けた。
私はおとなしく自己主張のない子供だったが、ことマンガに関してだけは、欲望のままに行動していた。
あと、近所の本屋。その名も文化堂である。文化堂のオヤジには本当に世話になった。マンガ買いもし
ないのに、毎日立ち読みしに行った。友達と行くと「立ち読みダメだよ!」と言われたが、一人で行く
と何にも言われなかった。「さみしそう」とか思われたのだろうか。ずっと読ませてもらい、調子にの
って「水ちょうだい」とかいって水飲ませてもらったこともある。発売日前の「ジャンプ」を頼んで読
ませてもらったこともある。たいしたガキである。が、やはり幼児体験で"本屋に受け入れられた"−と
いうのは強く無意識下に働いたらしく、その後の志向に影響を与えられたような気がする。今でも、ど
んな本屋にはいっても心理的に"迎えられた"ような気になってホッとするのはこの体験によるのだろう。
繰り返すが文化堂のオヤジには本当に世話になった。いつか本を出すことがあれば妻をさしおいて献辞を
オヤジに捧げたい。
それと、マンガを読めるのは、友達の家である。特にアニキがいるような友人宅は要チェックである(さ
もしいガキだ)。遊びに行って、ずっとマンガ読んでて「お前何しに来たんだよ」と文句を言われたこと
もある。スマン。また、遊びに行って友達が留守で、そのお母さんに「マンガよんでっていい」と頼んで
上がり込んで読んだことがある。いい加減にしろと言いたい。
尚、ここで書いた行状は秘密事項で、親が知ったら「情けない...」と泣くかもしれない。が、親は
ビデオの録画も留守番電話の操作もままならない機械オンチゆえ、パソコンを操作することなど夢にも
なかろう、と安心はしている。

『サイボーグ009』

だんだん雑誌でマンガ家の名前を覚えたりすると、過去の作品の単行本を買ってみようかな−という気
になる。小学校時代に最高に入れ揚げたのが石森章太郎の『サイボーグ009』である。なぜか4巻から
8巻という中途半端な保有をしていたが、もう何度も何度も読んだ。絵が好きだった。メカのデザインも
好きだったし、「科学」のところでも書いたが女性の絵が好みだった。また、絵だけでなくなんというか
話のトーンが、暗く冷ややかなところ−たぶん主人公たちがサイボーグ、機械埋め込み人間ということに
由来すると思われるが−が心を揺さぶった。敵の「黒い幽霊団(ブラックゴースト)」のとらえ方が心に
刻まれた。それはこんな風。ブラックゴーストは基地を破壊され、宇宙へ逃げ出そうとする。ジョーは宇
宙船に乗り込みこれを破壊して(自分も死んでしまう!)敵を殲滅せんとする。が、ブラックゴーストの
本体はジョーにかく語る。ブラックゴーストは人間の心にある悪意、敵意、攻撃心から生まれたものだ、
人がこの世にいる限りあとからあとから生まれてくるのだからお前の行為は無意味だ、ト。ガ〜ンである。
戦争は"ある悪い奴"が起こすものではなく我々一人一人の心が起こすのだ...こども心に衝撃だった。
そしてあの名シーン。宇宙船爆発後、ジョーを抱きかかえたジェットが大気圏突入、炎に包まれる二人
...「ジョー、君はどこに落ちたい?」。場面変わって地上・日本。物干し台で少年と若い女性が夜空
を見上げ「アッ、流れ星」。何を願い事した?−という話になり少女は言う「わたしはね...地球上か
ら戦争がなくなりますように...って祈ったわ」。距離を超え、空間を超えて結びついた平和を希求す
る行動と思念−20年ぐらい読んでないのでうろ覚えで書いたが、とにかく泣ける、感銘深いラストシー
ンである(ついラストと言ったがこの後もシリーズは続く)。
といったわけで、小学校時代私には「石森章太郎」という巨大な名前があったが、不思議なことに「手塚
治虫」氏のマンガをあまり読んだ覚えがない。たまたま環境がそうだったのだろうが、自分を正統派マン
ガファンと言えないのは、ここに由来するようだ(中学の時『ブラック・ジャック』を読んでからは目覚
めてたくさん読みましたが)。

「少年チャンピオン」

「ジャンプ」の次によく読んでたのは、「チャンピオン」でした。
強く印象に残っている作品。(カッコ内は資料で調べた連載開始年月)
『バビル2世』(71.6−)
『ふたりと5人』(72−)
『カリュウド』『ドカベン』なんかもこのころか。望月あきらの『カリュウド』は週刊だったかな?
夏、海の家で『ふたりと5人』を読んだ記憶が鮮明。海行ってまでマンガ読むなよ〜。吾妻ひでおの女
の子も可愛かった(このころはそんなにロリコンチックでなかったと思うが...ダメ?)。
『ドカベン』は土井垣キャプテンがカッコ良くて大好きだった。坂田の"通天閣打法"で土井垣がエラー
するのだが、そこが悔しくて悔しくて(だいぶ昔に読んだので記憶違いかもしれないが)。土井垣がい
なくなってからはそれほど入れ込みはなくなった。しばらく読まず、久しぶりに読むようになったのは
中学に入ってからの『マカロニ』時代である。

「マガジン」、「サンデー」

...は、前にも書いたがあまり面白いと思わなかった。やっぱり対象年齢の低い「ジャンプ」、「チャ
ンピオン」のお客様だったとしか言い様がない。
マガジン系では単行本で『鬼太郎』(墓場かゲゲゲか失念)、『野球狂の詩』(読んで野球好きになった!)
『釣りキチ三平』(釣り好きになった!)などを読み、
サンデー系では『プロゴルファー猿』(ゴルフ...は家の窓ガラス2枚割ってやめた)、『試験あらし』など
をやはり単行本で読んだ。
カッコ内が「○○が好きになった!」ばかりだが、"マンガから入る"行動様式は今も変わらない。マンガへ
の適応が単純すぎる。
聖日出男の『試験あらし』は特筆したい(カンニング好きにはならなかったが)。大ヒット!というマンガ
ではなかったが、私は大好きだった。貧乏長屋に住む、奇術修行中の少年(母子家庭)はアタマが悪く、
母を泣かせない様に毎試験毎試験、奇術テクを応用したカンニングを敢行する。そのテクニックが毎回
趣向を凝らしていて面白かった。特に、"補色の原理"を応用した回はアタマいいなあ...と感心した。
女性キャラが私の好み(←こればっかりだな)だが、劣等生の主人公に冷たい−というのが何か、つらか
った。のちの『なぜか笑介』での聖日出男との再会は驚きだった。反体制っぽいと思っていたから。
モーレツサラリーマンも必死のカンニングも"努力"という点では変わり無かったのか。フクザツ。
「サンデー」、「マガジン」のほかに、たまに学校に月刊誌「冒険王」「月刊ジャンプ」なんかを持って
くるやつもいてあれば読んだが、作品はひとつも覚えていない。後に「月刊ジャンプ」の『どぐされ球団』
が気に入ってこれだけ立ち読みで読んでいたことはある。

手塚治虫先生(一作だけ)

前の方で"小学校時代不思議なことに手塚治虫氏のマンガを読んだ覚えがない"と書いたが、一作だけ大変
印象深い作品がある。アニキの「中一時代」に載っていた『ぐうたろう千一夜』である。タイトルは千だ
が短期連載で三話しかない小編。
第1話 不幸駅へのキップ(75.4)
第2話 女隊長デルマ(75.5)
第3話 異次元教室(75.6)
さえない中学生ぐうたろうが疎外される中での"白日夢のような"つらい話である。"暗い"という評価スレ
スレの、手塚氏のもつ感傷性が胸にしみる一品だ。三話ともよいが特に2話。UFOを信じてるぐうたろ
うをからかってやろうとクラスの連中はお鍋か何かに無線マイクを入れ(宇宙人の声は病院に入院してる
女の子に頼む)、ぐうたろうに拾わせる。ぐうたりうはUFOと宇宙人の声に驚く。女の子は自分はなん
とか星の女隊長デルマ(=マルデデタラメのマルデの逆読み)だと言い、ぐうたろうはこれを信じて宇宙
人との会話に夢中になる。クラスの連中は面白がって笑って眺めている。入院中の女の子は孤独な子でぐ
うたろうとの会話に希望を託すが容体が急変し死亡。ぐうたろうはデルマ隊長を偲んで泣く...という
せつない話である。のちに手塚治虫全集の『どろんこ先生』の巻に収録され大学の時に再読、それから
15年ぐらいたってるからやはりうろ覚えだがラストの「デルマ隊長...」という泣きセリフは思い出
すたび万感胸に迫る。
それまでマンガで読んだことの無い世界だった。恋ではないが、疎外された者同士が持った共感−と今では
認識できるのだが、何かしらんがすごくつらくさみしくせつない、と感じたのだろう。

ピーナッツ

チャールズ・M・シュルツの「ピーナッツ」シリーズ、というかスヌーピーもの。これも好きで何冊も買
って読んだ。今読めば読み方も違うのだろうが(最近癒し系みたいな復刊がなされてる模様)、当時は
ギャグマンガ的に笑いを求めて読んだし、面白くて笑えた。要は、チャーリー・ブラウンの悲哀やライ
ナスの悩みなんかは飛ばして、もっぱらルーシーの毒舌ぶりやスヌーピーとウッドストックの珍妙なや
りとりなんかを喜んでいたのだろう。"精神分析5セント"なんてお約束ギャグもわけわからないなりに
面白がっていた。絵もスラスラした感じでサッパリしてて好みだった。翻訳・谷川俊太郎−という名は
覚えたが、詩集を読んだのは高校2年になってからのことである。今年2月に某映画上映会で谷川さん
のお姿を拝見いたしました。お元気そうでなによりです(←なれなれしいな)。

少女マンガ

小学校時代は、少女マンガにはほとんど眼が行かなかった。が、妹がいた(5学年下)ため、やっぱり
流行ものは家にも流入してくるようになった。あれば読む、が私のスタンスである。『ベルサイユのばら』、
『キャンディ・キャンディ』、『エースをねらえ!』などを面白く読んだが、少女マンガというジャンルに
は足を踏み入れることはなかった。この時点では。(中学になって妹の雑誌「りぼん」でハマることに
なる...)

そんなこんなで私は1977年3月に小学校を卒業し、4月中学校に入学、翌5月に私の人生を変える
『マカロニほうれん荘』が連載開始。
鴨川つばめ氏と雑誌「りぼん」による一人の少年の人格形成史がこれから始まる...

とりあえずおわり


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