早見・Uになった夏


HPを作ろうとしたきっかけ

1998年の夏のことである。
朝、新聞を読んでいると「樹村みのり」という文字が目に飛び込んできた。
何ごとかと見ると雑誌「コミックボックス」の広告で、「特集20世紀の少女まんが」とのこと。
大島弓子からはじまって23人ほどの名前が挙がっておりそこに名があったわけである。
ここ数年お名前をおみかけしていなかったので、何か近況が載ってるか?と大期待。
ふだんはダラダラ仕事をしているがこの日はテキパキ片づけ早く会社を出て、書店へ。2軒で「扱いナシ」
と言われ、3軒目で購入。家へ帰って読むと、竹内オサム氏の『贈り物』評が1ページあり。

これだけ?

しかも近況などナシ、竹内氏の文は「是非どこかで見つけ出して読んでもらいたい短編だ」と結ばれている。
別のところに「<24年組>と呼ばれる作家の最新の仕事」という2ページ記事があり、オオ、と見ると
大島弓子、木原敏江、坂田靖子、ささやななえこ、竹宮惠子、萩尾望都、山岸涼子...のみ。

これで終わり?

竹内氏の「是非どこかで見つけ出して読んでもらいたい」というフレーズが頭の中でグルグル回る。
数日グルグルした後、『零戦燃ゆ』の早見優のセリフが口から出た(1984年・東宝映画)

「このままじゃ、いけない、気がする」


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