田辺信介氏研究紹介No.2

「生物蓄積性内分泌撹乱物質による地球規模の環境汚染」より





海棲高等動物の特異な生体機能

 海棲哺乳動物の化学物質汚染が顕在化しているのは、汚染源の南下や海洋が有害物質のたまり場となっていることばかりでなく、この種の動物の特異な生体機能も関与している。
 その特異な機能の第一点は、海棲哺乳動物の皮下に厚い脂肪組織があり、ここが有害物質の貯蔵庫として働いていることである。この脂肪組織はブラバーと呼ばれ、海棲哺乳動物の種類によって変動するが、アザラシの乳仔では体重の50%を超え、体内の有機塩素化合物のほとんどがここに貯留している。イルカの場合、体重のおよそ20〜30%がブラバーで、有機塩素化合物の体内総負荷量の約95%が蓄積している(Tanabe et al.,1981)。有機塩素化合物は脂溶性が高いため、一旦脂肪組織に蓄積すると簡単に出ていかない。したがって、長期間そこに残留することになる。寿命の長い海棲哺乳動物では、餌から取り込んだ有害物質が徐々にブラバーに蓄積し、ここが大きな貯蔵場所として働くため高濃度汚染に結びついている。
 第二点目は、海棲哺乳動物は、世代を超えた有害物質の移行量がばかにならないことである。有害物質が親から子に移るルートとしては、胎盤を経由する場合と生後授乳により移行する場合がある。哺乳動物の場合、一般に胎盤経由での有機塩素化合物の移行量は少なく、せいぜい母親体内の5%程度であるが、鯨類や鰭脚類の乳は脂肪含量が高いため、授乳によって多量の有機塩素化合物が母親から乳仔に移行する。スジイルカでは体内に残留するPCB総量のおよそ60%が授乳により乳仔に移行している(Tanabe et al.,1994)。バイカルアザラシの成熟雌の場合、授乳によってPCBおよびDDT負荷量の約20%が排泄されている(Nakata et al.,1995 )。したがって鯨類や鰭脚類の成熟個体では、有機塩素化合物の蓄積濃度に顕著な雌雄差がみられる。このような大量の有機塩素化合物の母子間移行は、たとえ環境の汚染濃度が低下しても、海棲哺乳動物体内の有害物質はそのまま世代を超えて引き継がれるために簡単に低減しないことを意味しており、高濃度蓄積や長期汚染の一要因となっている。また、乳仔の体重は母親の10分の1程度であるため、有機塩素化合物の体内濃度は授乳期間中に一気に上昇する。このことは体内蓄積の問題だけでなく、毒性影響も深刻化することを暗示している。
 第三点目は、海棲哺乳動物とくにイルカや鯨の仲間は肝ミクロソームに局在するチトクロームP-450系の薬物代謝酵素が発達していないため、有害物質をほとんど分解できないことである。一般に有機塩素化合物を分解する薬物代謝酵素系は、フェノバルビタール(PB)型とメチルコラントレン(MC)型に大別されるが、鯨類はPB型の酵素系が欠落しており、陸上の哺乳動物や鳥類に比べると格段に有害物質の分解能力が劣る(Fig.5)(Tanabe et al.,1986)。一方アザラシなどの沿岸性の鰭脚類ではPB型およびMC型両方の酵素系が機能しているが、陸上の高等動物に比べるとその分解能力は弱い。陸上、沿岸、外洋の方向で高等動物の有害物質分解能力が低下しているのは、進化の過程で陸上に比べ海洋の動物ほど、また沿岸に比べ外洋の動物ほど陸起源の天然の毒物に曝される機会が少なかったためと推察される。したがって、海棲哺乳動物とくにイルカや鯨の仲間は分解酵素の機能を発揮させる必要がなかったとも考えられ、このことが多様な有害物質の蓄積をもたらしたのであろう。

野生生物の高濃度蓄積

 有害物質の貯蔵庫としての皮下脂肪、授乳による世代を超えた移行、弱い分解能力など、前述したこれらの要因はいずれも海棲哺乳動物の高濃度汚染に関与するが、とくに注目すべき点は、薬物代謝酵素系の特異性であろう。高等動物の場合、酵素系による分解は有害物質の主要な排泄ルートであり、この機能が未発達であるということは餌から取り込んだ多様な毒物が生涯にわたり体内に残存することになる。そのことを示唆する代表的な事例として、有機スズ化合物の蓄積があげられる。有機スズ化合物の一種であるブチルスズ化合物は、有機塩素化合物に比べ安定性が乏しいため、高等動物の体内では容易に分解されると考えられていたが、最近の研究により海棲哺乳動物の肝臓に高濃度で蓄積していることが明らかにされた(Tanabe,1999)。また、海棲哺乳動物の中でもとくに薬物代謝酵素系が発達していないイルカや鯨は、有機塩素化合物を驚くほど高濃度で蓄積している。たとえば西部北太平洋のスジイルカは、海水中の一千万倍もの高濃度でPCBを蓄積している(Tanabe et al.,1984)。
 異常な蓄積はこれだけではない。一般に化学物質の濃度は、陸上の汚染源から遠ざかるにつれて低減するのが普通であるが、本来清浄なはずの外洋に棲息しているイルカや鯨は、陸上や沿岸の高等動物よりはるかに高い濃度でPCBを蓄積している(Fig.6)(Tanabe,1994)。外洋性の動物が高濃度の有機塩素化合物を蓄積している事例として、アホウドリがある(Jones et al.,1996;Guruge et al.,2001)。興味深いことに、北太平洋のクロアシアホウドリでは、一部の検体から約100ppmのPCBsが検出されており(Fig.6)、DDTsの残留濃度もきわめて高い。イルカや鯨と同じように、外洋を主な棲息域としているアホウドリ類も、チトクロームP-450系の薬物代謝酵素が一部欠落しているものと予想される。
 イルカや鯨、アザラシなどの海棲哺乳動物は、ダイオキシン類の蓄積濃度も高い。とくに、コプラナPCBの汚染が顕在化しており、このことは最近の環境庁の調査でも明らかにされている(田辺,2002a)。海棲哺乳動物や魚食性の鳥類は、数千pgTEQ/g(脂肪重当り)の濃度を示すものがかなりあり、この値はヒトから検出されたダイオキシン類の蓄積濃度をはるかに上回る(Fig.7)。弱い薬物代謝機能をもつなど、ある種の野生生物にはヒトとは違う生理機能があり、そのことが内分泌撹乱物質の蓄積濃度や毒性影響に関与していることが考えられる。

毒性影響

 有機塩素化合物による海洋汚染が注目されはじめたきっけかは、その毒性影響が高等動物にもあらわれているという示唆であろう。イギリスの生態学者Simmondsは、記録として残されている海棲哺乳動物の大量死事件が20世紀になって、11件あることを報告しているが、このうち9件は1970年以降に集中している(Simmonds、1991)。しかも大量変死事件のほとんどは先進工業国の沿岸域で発生しており、このことはこうした異常が物質文明の進展と無縁ではないことを匂わせている。また“Our Stolen Future(邦訳「奪われし未来」,翔泳社) ”の著書Colbornは、海棲哺乳動物の異常(個体数の減少、内分泌系の疾病、免疫機能の失調や腫瘍など)を総説としてまとめ、1968年以降65例にのぼる報告があり、その原因として生物蓄積性の内分泌撹乱物質すなわち有機塩素化合物が関与していることを示唆している(Colborn and Smolen,1996)。
 環境ホルモンの毒作用機序は、ホルモンレセプターと結合し、ホルモン擬似の作用を介して内分泌系を撹乱すると説明されているが、環境汚染物質によって誘導される薬物代謝酵素系もホルモンを撹乱する。有害物質が蓄積すると、肝臓のチトクロームP-450酸化酵素系が誘導され、この酵素系が化学物質を活性化してガンや奇形を引き起こしたり、ステロイドホルモンを代謝し生殖機能を撹乱する。また、胸腺に作用して、免疫機能の失調をもたらすこともある。したがって野生の高等動物では、化学物質の蓄積量、薬物代謝酵素の活性やホルモンの濃度、病的症状の三者の関係を明らかにし、有害な影響を検証する研究が求められている。しかし、この種の研究ははじまったばかりであり、情報は大幅に欠落しているが、有機塩素化合物の影響を匂わせる結果がないわけではない。例えば、北部北太平洋の冷水域に棲息するイシイルカでは、PCBおよびDDE(DDTの安定代謝物)の残留濃度と雄の性ホルモン・テストステロン濃度との間に負の関係が認められ、この種の物質の濃度が高いとテストステロンの濃度は低いという傾向がみられる(Fig.8)(Subramanian et al.,1987)。また、三陸沖のオットセイ調査では、PCBの残留濃度と薬物代謝酵素活性の間に明瞭な正の相関がみられている(Tanabe et al.,1994)。さらに飼育下のキタゾウアザラシ(Lahvis et al.,1995)や米国フロリダ沿岸の野生のバンドウイルカ(Shaw,1998)では、低濃度の有機塩素化合物でリンパ球の増殖活性が阻害されることが報告されている。因果関係を裏付ける知見の集積は今後の課題であるが、こうした結果は、現実の有機塩素化合物蓄積濃度で薬物代謝酵素系が誘導されたりホルモンレセプターとの結合や免疫機能の抑制がおこっていることを窺わせ、内分泌系や免疫系の撹乱など化学物質の長期的・慢性的な毒性影響が、野生の海棲哺乳動物で起こりうることを暗示している。

汚染と影響の将来

 有機塩素化合物の長期的な影響を予測するには、汚染の消長を理解することが必要となる。この場合、保存試料を用いて過去の汚染を復元し将来を予測することが望ましいが、海棲哺乳動物や鳥類の場合、有用な試料は少ない。断片的ではあるが、三陸沖で捕獲したオットセイの保存試料では、1970年代の中頃PCBやDDT汚染の極大がみられ、その後濃度は低減したが1980年代以降のPCB汚染は定常状態を示し、HCHの汚染には明瞭な低減傾向が認められていない(Tanabe et al.,1994)。南氷洋で捕獲したミンククジラの調査では、最近10年間有機塩素化合物の濃度はほとんど変化しておらずPCBはむしろ増大傾向にあることが判明している(Fig.9)(Aono et al.,1997)。こうした過去の汚染の復元は、海棲哺乳動物における有機塩素化合物の曝露と影響が、今後しばらく続くことを暗示している。とくにPCBによる汚染とその毒性影響は深刻で、モニタリング調査の継続が望まれる。
 
 

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