海の環境問題入門−その2

内湾や内海の変化


松川康夫(海洋学者・日本科学者会議神奈川支部代表幹事)



   干潟・浅瀬の埋立

 東京湾のような内湾や瀬戸内海の様な内海の河口周辺に広がる干潟・浅瀬はアサリ、ハマグリ、バカガイ(アオヤギ)、マテガイなどの住みかであると同時に、ハゼ、ヒラメ、カレイ、マダイ、クロダイ、メバル、クルマエビ、ガザミ(ワタリガニ)、コウイカなどのこどもたちにとってなくてはならない住みかです。また、干潟・浅瀬に生える海草のアマモにはサヨリやコウイカが卵を産み付けます。干潟・浅瀬の周辺の深場にはこれらの魚介類の親たちが棲みついたり産卵に寄ってくるほか、アカガイ、トリガイ、ミルガイなども棲んでいました。1960年代まではこのような干潟・浅瀬がどこにでもあり、漁民にいわせれば、さかな(魚介類)がそれこそ湧くようにいたそうです。ところが1970年頃から干潟・浅瀬はどんどん埋め立てられ、これらの魚介類はとれなくなってしまいました。
 羽田と長崎や博多を結ぶ航空機の窓から瀬戸内海が見えるときがありますが、殆ど全ての河口の干潟・浅瀬が埋め立てられ、港湾と工業地帯になっていることが分かります。実はわが国の殆ど全ての干潟・浅瀬がこのような状況になっているのです。しかも、埋立は公共事業という名でいまも各地で進められています。きちがいじみているとしかいいようがありません。
 私は横浜みなとみらい21地区を好きになれません。高層ビルとだだっ広い無機的な空間にどうしてもなじめないのと、地区全体が広大な浅瀬を埋め立ててつくられているからです。魚介類のこどもたちの住みかがそれだけ無くなったと思うと心が痛みます。
 南本牧の大深度コンテナ埠頭建設の埋立も良くありません。この場所は、本牧の岸から続く緩斜面の海底の先端である水深10mから東京湾の海底の水深40mに落ち込む急斜面に位置しています。この場所はいわゆる潮通しが良く、またこういう落ち込みの棚と斜面には良く魚がつきます。つまり魚の良い住みかなのです。そのために東京湾に残された貴重な漁場となっていました。この埋立はそれをこの世からなくしてしまうということです。

   富栄養化

 東京湾、伊勢・三河湾、大阪湾などのように、入り口が狭く奥行きのある湾を閉鎖性内湾といいます。こういう湾の奥には大きな川があり、干潟・浅瀬を造る土砂と共に、生物を養うチッソ、リンなどの栄養分つまり肥料が流れ込みます。1960年頃までは流れ込む栄養分の量が適度であったため魚介類がたくさんとれました。ところが1960年代の後半から赤潮で海水が見た目にも汚くなり、さかながめっきりとれなくなりました。陸から流れ込む栄養分が多くなりすぎたためです。
 海に流れ込んだ栄養分はまず植物プランクトン(単細胞の植物)になります。この植物プランクトンが大発生した状態が赤潮です。この大量の植物プランクトンは、死んだり小さなエビのような動物プランクトンに食べられて糞になったりして湾の底に沈み、バクテリアによって分解されます。この時に海水に溶けている酸素が使われ、魚介類に必要な酸素が欠乏します。このような状態を貧酸素といいます。東京湾では、「海ホタル」で知られる高速道路「アクアライン」から内側の水深10m以上の海底は春から秋にかけて貧酸素となり、アカガイ、トリガイ、ミルガイ、タイラギ、クルマエビ、シャコ、タコ、カレイ、コチ、アナゴなどがすめなくなっています。また、この貧酸素が風で浅瀬に湧きあがってきたのを青潮と呼びます。青潮には酸素がなく、しかも有害な硫化水素が含まれているので、青潮が発生すると浅瀬の魚介類が大量に死にます。特にアサリの被害が深刻です。東京湾の貧酸素をなくすためには流入する栄養分をほぼ半分に減らす必要があります。
 この富栄養化の最大の原因は、首都圏、名古屋圏、大阪圏などへ人口が集中し、大量の糞尿が全て下水を通じて湾に流れ込むためです。糞尿は下水処理場で処理されますが、チッソ、リンなどの栄養分が取り除かれるわけではありません。また、水質浄化力の大きい干潟・浅瀬を埋め立てたことも富栄養化をひどくしました。都市に人口が集中し、埋立が止まないのは、国が工業を優遇し、農林漁業を冷遇するからです。国が工業を優遇するのは工業とその上に成り立つ業界からの政治献金が多いからです。業界からの政治献金を禁止し、ヨーロッパ諸国のように農林漁業と農林漁村を優遇して都市の人口をせいぜい数10万に抑えるようにすることが、問題解決の確実な道です。

   熱汚染など

 東京湾は埋立と富栄養化のため、干潟・浅瀬で一生の全部あるいは一部を送る魚介類と深場にすむ魚介類が少なく、海面付近を泳ぎ回ってプランクトンを食べるボラ、コノシロ(コハダ)、サッパ(岡山名産ママカリ)、カタクチイワシ、これらの小魚を食べるスズキが多い海に変わってしまいました。
 最近、東京湾の水温が徐々に上がっています。原因は地球温暖化によると思われる気温の上昇と、首都圏からの熱の流入すなわち熱汚染です。首都圏における工場や発電所の冷却水、家庭や商業ビルの給湯・冷暖房設備の普及と使用量の増加、引き続く人口集中などによって、東京湾に下水として排出される熱量が年々増加しているのです。
 陸上の熱汚染はヒートアイランドの名で知られ、最近の首都圏はうだるような熱射と暴走夕立に見舞われます。東京湾の場合はこれとは異なります。一般に生物の活性は温度が高くなると高まります。したがって、海面付近の赤潮と深場の貧酸素の開始時季が早まり、規模が拡大し、終了時季が遅まる、つまり長びくことになります。
 この他に下水道の問題もあります。東京都の下水道は路面に降った雨水も流れ込む方式です。一方、首都圏は人口集中に伴って地面がどんどんコンクリートで覆われ、雨水がしみこむ面積が狭まっています。このため、雨が降ると下水量がどっと増えて下水処理場では処理し切れません。処理しきれない分はそのまま海に流します。この下水の中に含まれている未処理の有機物はヘドロとなって海底を汚染し、魚介類を殺します。

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