終らない戦争(隠匿された毒ガス兵器) ―相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密の毒ガス工場 No.7―  

池子の森(米軍住宅追加建設予定地)に秘密毒ガス充填工場


北(プロデューサー)



 2003年11月環境省は「旧軍毒ガス弾等に関する全国調査結果」をとりまとめ、国内138事案を発表。更に今年になって7ケ所の新規事案を追加、合計145ケ所が、毒ガス保有・廃棄関連施事案とされ調査を行なっているという。国は閣議決定(2003年12月)で「遺棄毒ガス問題を各省庁あげて全力で取り組む」としたが、はたしてそうであろうか。
 寒川・平塚は国交省の工事現場、おびただしい量の毒ガス(びらん性毒ガス、イペリット、ルイサイト、致死性の青酸等)が発見され、負傷者も寒川で11名、平塚で3名出ている。現場はとりあえずの無害化安全宣言がなされたにすぎず、恒久的な安全宣言ではない。国交省の窓口にたなざらしのまま今もって回答はない。負傷者に対する医療体制も補償も、ほとんどなされていない。(個別の労災適用)のが現状。茨城県神栖町の毒ガス被害の深刻さに対し、国の対応は“ひどい”の一言。高濃度の毒ガス成分、ジフェニルアルシン酸有機ヒ素化合物を飲料水として飲んでいた数百名の住民の健康被害に対し、認定・未認定と線引きをする制度を作り、多くの健康被害者を無視する政策を行なっている。補償も含めた医療体制の不備は被害者とその家族を含む関係者を絶望のふちに追いやっている。

 環境省は今年3月、国内における毒ガス弾等に関する総合調査検討会(第12回)を開き、新規事案として7ケ所を追加発表した。その中に横浜市(横須賀海軍航空部第2工廠造兵部谷戸田注填工場)の事案がある。現場は、逗子市と横浜市にまたがる「池子の森」、海軍の倉庫弾薬庫があり、戦後米軍に接収、弾薬庫として使われていたが現在は逗子市側に米軍家族住宅が建っている。谷戸田は池子の森横浜市六浦側にあり、現在米軍住宅増設計画が進められている場所でもある。ここには海軍第2工廠造兵部谷戸田注填工場があり、相模海軍工廠で作られた毒ガス原料を各種砲弾、弾薬に充填、毒ガスは特薬1号(催涙)、2号(嘔吐、あか)、3号(びらん、イペリット)等である。現場は丘陵地帯の森、谷戸には弾薬庫として横穴があり、地下工場としての地下壕もある。この掘削作業は敗戦後まで続き、未完成のものも多数ある。強制連行された朝鮮の人達、徴用工、学徒が強制労働させられた。
 池子の森の逗子久木地区には環境省、逗子市の事案(神奈川県14-8)があり、久木1号倉庫には「手投催涙弾甲」大4,000発、小6,000発催涙筺25個を保有とある。久木1号倉庫は、「横須賀海軍軍需部引渡目録」の配置図に示され手いるにもかかわらず、未だ確認されていない。更に逗子市、横浜市の事案(神奈川県14-11-3)には、池子にあった海軍軍需部に相模海軍工廠で作った6番1号爆弾、(60kgイペリット爆弾)が2,496発保有、他に中口径砲弾用型薬缶(2号特薬、あか、催涙)がある。相模海軍工廠の技術大佐は3号特薬(イペリット)を瀬谷、池子と大分県耶馬渓の洞窟に貯蔵したと自著に記している。今回発表された新規事案「福島県内の事案」にも元相廠工員の証言として「戦後、寒川からイペリット200kg入りの容器を福島県南部山中の大きな隧道に運び入れた。本数はトラック10台分ぐらい」
 国際法違反の毒ガス製造を隠蔽する為に軍は海に、川に、山中に隠した。又、本土決戦用に作られた毒ガス兵器も各地の地下壕に隠されたままになっている。現在特殊地下壕調査が行われているが、陥没、落盤の危険性に加え地下壕内の毒ガス兵器、原材料の発見調査をするべきではないか。神奈川県は本土決戦用に多くの地下壕が作られている。(県発表592ケ所)。次号で県内毒ガス関連19ケ所の詳細を記します。

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