横浜市金沢区における 中途障害者ピア・カウンセリング活動報告(その6)


ピアズ金沢 幹事 笠井



 最近バリアフリーという言葉が市民権を持つようになって来ました。しかしそれは主に「物理的バリアフリー」を意味しているようです。「物理的バリアフリー」は大切ですが「心のバリアフリー」もそれ以上に大切だと思います。とはいえ「心のバリアフリー」は見えないのでなかなか理解が進みません。そこで随筆風に「心のバリアフリー」について述べてみたいと思います。
 
 友人で左半身マヒのTさんが横断歩道を渡っていて転んだとき誰も助けてくれず、信号が変わると転んでいるTさんを避けて自動車が走り抜けていきとても恐ろしかったという話を聞きました。
 そのとき約8年間住んだ英国と米国のことを思い出しました。英国では年寄りや障害者は悠々と信号が変わろうと慌てず、気にせずマイペースで横断歩道をわたります。
 信号待ちをしている自動車もこれまた信号が変わろうと年寄りや障害者が横断歩道を渡りおえるまで当然のように待っています。時には待っている間に再び赤になることもよくあります。誰も助けを求めない限り年寄りや障害者を手助けはしません。自分でやれることを自分でやることを尊重しているのです。しかし、もし助けを求めたり、転んだりしたら必ず近くにいる人が手助けをします。
 駅の階段で乳母車を押しているお母さんがいます。すると、必ず近くにいる人が階段を登ったり降りたりするために乳母車を持ち上げるのを手伝います。また、通路に扉があると扉を開けた人は必ず後ろを振り返り、後からくる人があるとその人のために扉を開けて待っています。後からきた人は「サンキュー」と礼をいい今度はその人が後からくる人のために扉を開けて待っています。街を歩いていて人と視線が合うと相手が知らない人でも必ず微笑みかけます。
 このような英国で数年暮した後、米国の会社も兼務することになりました。
 ニューヨークについてわが社のオフイスビルに入ろうとし前の人が扉を開けたので英国流に当然開けて待っていてくれるものだと思っていたら前の人が扉を放したため反動で閉まる扉に危うくぶつかりそうになりました。
 こんどは自分で扉を開けて後ろからくる次の人のために扉を開けて待っていると、次々と人々が「サンキュー」ともいわず通りすぎて行き、あたかもドアボーイになったような気分でした。英国ではよく道路の信号が故障していましたが、信号が故障していてもお互いにジェントルマンルールで道を譲り合いながら混乱なく自動車を運転しておりました。
 ところが、ニューヨークではたとえ前方が渋滞していても信号が青でさえあれば当然の権利とばかりに交差点に突っ込んでおりました。渋滞している道路で交差点に突っ込むのですから信号が変わったら交差点を塞いでしまうことはわかりきった事です。そうすると前方を遮断された道路の車はいっせいにクラクションを鳴らします。このような悪循環の繰り返しでロンドンではほとんど聞かなかったクラクションが1日中鳴り響いていました。
 
 近年とみに日本はアメリカナイズされ経済効率一辺倒の社会になってしまいました。 その結果世の中の価値観も効率の良いものが評価され、非効率なものは能力のないものとして見下されるようになってきました。自分が障害者になって特にそれを感じます。
 英国でも当然経済効率は重視されますが、心の豊かさを大切だと考える価値観も尊重されます。
 バリアフリーについても障害者を健常者のペースに合わせさせるための「効率重視型物理的バリアフリー(例えば盲人でも使える自動販売機)」だけでなく非効率だが障害者の自立しようと努力しているペースを尊重するという「心のバリアフリー(信号が青になっても待っている)」もあると思います。
 
 最近英国ブームですができることなら表面的なガーデニングや紅茶の入れ方を真似するのではなく真の心の豊かさを真似してもらいたいものだと思います。
                                    グループ・ピアズ(脳血管障害者の広場)

戻る