日常茶飯

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#10 
目次

ホテルでインターネット

 部屋にLAN接続設備があるビジネス・ホテルに泊まった。 そういうのがあるとは聞いていたが、利用するのは初めてである。 建物は平べったいのっぽビルで、一階ロビーにはパソコンが何台か、 それにプリンタが置いてある。
 ビジネス・ホテルなので部屋は狭いのだが、 持ち込んだノートパソコンを扱えるだけの長テーブルと椅子の後には、 正方形に近い広めのベッドがある。 パンフレットによると、ベッドの横幅1400mm。 テレビに冷蔵庫(中は空)、ティーサーバー、ドライヤー、ズボンプレッサーに金庫。 トイレはTOTOではないけれどウォシュレット式。 ホテル並の設備は揃っているが、安く済ませる所はそうしている。 エアコンは家庭用でリモコン付き。 勝手に点けたり消されたりする心配がないので、館内冷房よりは寧ろ都合がいいかもしれない。 その代わり客室の廊下は冷房が入っていない。 朝食付き、朝夕刊付き、ただし数に限りがあると云うことを後で聞いた。 シングルで税込み5980円、ツインは約2000円増し。 どういう訳か、実際はこれより500円ほど安かった。
 長テーブルの角のところの穴からLANケーブルの端子が出ていて、それを引いてパソコンの端子に接続する。 パソコンの方でLAN接続を有効にすると、そのままインターネットに繋がる。 家で使っている設定そのままで繋がった。 ただし部屋の鍵は、 ドアを開けて入り口近くの壁の穴に鍵に付いたタブレットを差し込むと部屋の電源が入ると云う最近流行りのものなので、 部屋を留守にするときはパソコンのコンセントの電源も切れてしまう。
 夜は、予め買っておいたウイスキーの小瓶とペットボトルの水を用意して、 一階のロービーから氷を貰って来て、水割りを飲みながらインターネット。

写真追加(8月15日)
8月11日撮影
'04年08月13日

定刻遅れ

 昨日の飛行機は定刻より三四十分遅れて飛び立った。 待っている間に、他の便も定刻より遅れますとアナウンスしていた。 去年の秋頃から定刻より遅れる便があると聞いたが、警戒のチェックが厳しいからか。 以前一時間以上遅れの便があったそうで、それは乗客名簿にテロリストの名前が含まれていた為だとか。 その人物の荷物を出して調べて遅れたという記事を読んだ覚えがある。 搭乗ゲートに入る時は、ノートパソコンは取り出して見せないと通してくれない。 去年、試しに鞄の中に入れたまま入ったら、見つかってやり直しさせられた。 安全で無事であることは、見えない所でそのための努力が払われているわけだから、悪いことではない。 空港から出るバスの窓から、風に揺れる百日紅(サルスベリ)の濃い桃色の花が見えた。

8月10日撮影
'04年08月11日

年齢七掛け説

 文藝春秋社の雑誌に『本の話』という雑誌がある。 見たことはあるような気がするが、白い表紙でPR誌といった感じである。 文春社のHPで、この雑誌の大概の記事をオンラインで読むことができる。 最新の特集は、浅田版「新選組」で、 浪士たちが屯所にしていた八木家十五代当主のインタビューは面白かった。 八木家は、芹沢鴨暗殺事件の現場でもある。 HNK大河ドラマ「新選組!」のWebページでも、八木家のセットを再現して見せている。
 さて、このHNK大河ドラマ「新選組!」だが、面白くないので見ていない。 一回目は見たのだが、幕末の時代の空気が感じられない。 どうも、現代の若者がタイムスリップしてカツラをかぶってホームドラマ、 もっと悪く云えば学芸会をやっているような感じだった。 視聴率のことは知らないが、これは失敗作だと思う。 一番悪いのは、基本的なところで見当違いをしている。 NHKのHPにある「企画意図」に、「局長の近藤勇が実は満33歳の若さで命を落としたことは意外に知られていません。」と述べているように、 新選組は若者の集団であったので、 若い俳優を配したことが大きな見当違いではないかと思う。
 以前書いたが、昔の人は今より早く老けているのである。 それだけ老成していたのだから、今の人と同じ年齢で比べることはできない。 「年齢七掛け説」というのがあるそうで、今の人の年に「七掛け」すると昔の人の年になると云う。 「七掛け」とは、七割つまり0.7倍すること。 50歳で亡くなった漱石は、すでに翁と呼ばれていたが、現在では70歳くらいなので違和感はない。 33歳で命を落とした近藤勇も、今の47歳だから相応の風格を備えたことであろう。
 この「年齢七掛け説」の子細は、高島俊男さんの『お言葉ですが … ③ 明治タレント教授』(文春文庫)の 「五十をすぎたおばあさん」をご覧下さい。
'04年08月09日

Mozilla 1.7.2 日本語版

 Mozilla 1.7.2 英語版が公開されているのは知っていた。 先月末に発表された、Mozillaに何年も前から存在する深刻な欠陥の修正版である。 「もじら組」を見ると、日本語版はまだのようなので来週当りかと思っていた。 ところが、「窓の杜」を見ると日本語版が4日に公開されていた。
 アメリカでは、ブラウザを Internet Explorer (IE)から Mozilla や Firefox に乗り換えるユーザーが急増しているそうだ。 切っ掛けは、政府と民間の共同組織が先月発表した警告で、 IE が使用する技術には「重大な脆弱性」が存在するため、IE ユーザーは別のウェブブラウザーに乗り換えることを強く勧めるという内容だという。
 Mozilla が IE より安全である理由の第一は、ActiveX をサポートしていないことだろう。 ActiveX は、マルチメディア機能をサポートするのが本来の目的である。 ところが知らないうちに、 パソコンにスパイウェアやダイヤラーを忍ばせる等の悪用ができる。 使い勝手が違うのもこの点だけである。 Mozilla だと、例えば日経HPの「日経ブロードバンドニュース」を見ることができない。 昨日「倉木麻衣ライブ&ドキュメンタリー映像独占配信」を見た。 約一時間の映像で、Mozillla では見ることができなかった。 こんな時だけ IE を使えばよい。

「もじら組」のURL
http://www.mozilla.gr.jp/
'04年08月08日

用事

 この一週間は忙しくて、片付けるべき用事がいろいろと散らかった状態である。 本当は段取りを付けて整然と片付けてゆくべきだろうが、 用事と用事の間から思いもよらない用事が現れそうで、気が進まない。
 だから簡単なものから片付けていると、ちっとも埒(らち)が明かない。 とうとう嫌気がさして、昨日はビアガーデンへ行った。 待ち合わせ場所は電車一本で行けるが、雲を透かして見える夕陽が暑そうなので、 なるべく外を歩かないで済むルートを考えて、バスと電車を乗り継いで迂回して行くことにした。 乗り継ぎは無駄なく順調に進んで、駅を出て直ぐに地下道へ進む。 確かこの当りかしらと入ってみると、エスカレータが見えるので乗って上がれば、目的の場所に着いていた。 あんまり手際良く辿り着いたので、妙に感心してしまう。 残りの用事も、こんな調子で片付けばいいのだが、そうでないのが恨めしい。
 ビルの屋上だと云うので、暑くはないかと気に掛っていたが、上ってみると風通しの良い涼しい所だった。 近頃はめったにビールを飲まなくなった。 それでも飲めば旨い。 飲みながらいろいろ話をするが、だんだん酔っているのかいないのかよく判らなかったが、 一夜明けてみると話の大概を忘れているので、酔っていたのだろう。 来週も、家を留守にして出かける用事がある。 それが片付けばお盆になり、そのあと残った用事を片付けると、やがて夏が終わる。
'04年08月07日

漱石先生の手紙

 岩波の『漱石全集』には「書簡集」があり、小説とは別格にこれも「名作」である。 夏目漱石の手紙は、おおらかで飾らず、くだけた言葉遣いが読んでいて気持ちがよい。 学生の頃は度々引っ張り出して読んでいた。 最近、漱石の手紙早わかりというような本があったので読んで愉しかった。
 それは出久根達郎さんの『漱石先生の手紙』(講談社文庫)で、気軽に漱石の手紙のエッセンスを味わうことができる。 家族や、旧友それに門下生に宛てた手紙の他に、漱石はいろんな読者、小学生から大人まで、律儀に返事を書いている。 読者が俳句を所望すればそれに応じて書いて送る。 進路相談にも適切なアドバイスを与えるし、 自殺願望の女性には会って上手く諭している。 だから、漱石は私達にとって「先生」なのである。 日本語があるかぎり読み継がれ、いつまでも生きている「先生」である。
 出久根さんは、直木賞作家であると共に古本屋の主(あるじ)である。 集団就職の時代に中学を卒業して、古本屋の小僧になった。 本好きで、書店だと本が読めると選んで上京してみると、それは古本屋だったという。 書店というから、てっきり新刊店と疑わなかったと自伝小説に書いている。
 義務教育しか受けなかった出久根さんにとって、漱石は教師というよりも総合大学だったという。 曰く、 「私は漱石先生によって、この世の仕組みを教えられ、文学を教わり、人間の不可思議に目を開かされた。 言葉の使い方、文章の運び方、世間常識、お金に関する観念、その他あらゆる事を教えられた。」
'04年08月06日

手紙

 作家の大崎善生さんと女流棋士の高橋和(やまと)さん夫妻が、 高橋さんが10歳で亡くなった少年との3ヶ月間の手紙のやり取りを、それぞれ綴っている。 大崎さんは先日の日曜、日経の文化面に、高橋さんは日経HPの「和の小径」という連載エッセーに。 初めて知る名前だが、あわせて読んで心を動かされた。
 少年の最初の手紙は、「高橋先生 いつもテレビを見ています。 おとうさんのメールにおへんじをくださっておてがみを書けてゆめのようです」 という書き出しの几帳面な字である。 締めくくりに、 「おとうさんから高橋先生もこどものときにこうつうじこで大けがをしてたいへんだったことをききました。まだいたいですか。いたくならないようにおいのりしています」と。 これに高橋さんは嬉しい気持ちになり、手紙と一緒に色紙と使い古しの扇子を送る。 それから文通は始まる。 そしていつも少年の手紙は、「高橋先生の足がいたくならないようにおいのりしています」と締めくくられている。
 2ヶ月を過ぎた頃、異変に気づく。 「今まで上手に書かれていた文字はだんだんと大きくなり、そして少しゆがみ始める」。 少年は末期癌の苦しみの中で、手紙を認(したた)めていたことを知る。 最後の手紙には、「いつまでもいつまでもおともだちでいてください」とあり、 足が痛くならないようにお祈りしていますと締めくくられている。
 この、" 物語 " は電子メールーではなくて、手紙による文通だったことに大きな意味があるように思える。 勝手な憶測だけれども、もし電子メールで始まっていたら文通にはならなかったかも知れない。 それだけ、手書きの文字には相手に何かを伝える力を持っている。 高橋和(やまと)さんのエッセーのページに、この少年の最初と最後の手紙の写真が添えてある。 文面から少年の姿が見えるような気さえする。
 父親の手紙には次のように綴られている。 「あまりにもかわいそうに思った神様が、息子に、最後の最後に恋をさせてやってくれたのだと思います。」


NIKKEI NET 将棋王国「和の小径」
http://hobby.nikkei.co.jp/shogi/yamato/

高橋和さんのブログ
http://yamato-takahashi.at.webry.info/
'04年08月04日

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