新選組の足跡を訪ねて〜其の八〜 |
沖田総司・終焉の地(2)(今戸神社)松本良順 私邸跡 台東区今戸1−5 | ||
![]() 隅田公園から見る隅田川 |
![]() 「花」の碑 |
![]() 今戸神社(松本良順跡) |
早咲きの桜も散った四月のある日。JR上野駅から地下鉄銀座線に乗り、浅草駅で降りた。東武浅草駅の出口へと続く地下道を通り、地上に出る。 松屋浅草店の右脇を通り、道に沿って隅田公園の方へ進む。東武線のガードを通り道路を横断して隅田公園に着いた。 公園入口には「桜まつり」と書かれた立て看板が建っていたが、桜の木はすでに葉を残すのみであった。 ただ園内には人が大勢おり、その大半は赤黒い顔をしたホームレスの風体をしている。この隅田公園は夏になると、隅田川の花火見物の人で賑わう場所だ。 かくいう私も毎年のようにこの地を訪れている。川に沿った公園を上流にさかのぼり、花火見物の会場にもなるグランドへ向かう。 |
グラウンドの側には、明治三十三年。東京音楽学校(現、東京芸術大学)教授だった武島羽衣(当時、二十八歳)が作詞し、同校助教授だった滝簾太郎が作曲(当時、二十一歳)した「花」の碑がある。 春のうららの隅田川のぼりくだりの舟人が さらに先へと足を進める。「台東リバーサイドスポーツセンター」と書かれた建物前のY字路の歩道を渡ると、門前の左右に仁王像が建つ「慶養禅寺(けいようぜんじ)」がある。 寺を左に見て道なりに進む。本龍寺の前を過ぎるとすぐ今戸神社前の信号があり、その左手が「今戸神社」である。今戸は招き猫発祥の地として有名であり、江戸の代表的な日常土器「今戸焼き」誕生の地としても知られる。 |
幕末、この境内には、幕医松本良順の私邸があった。日野で甲陽鎮撫隊を見送った沖田総司が江戸に戻り、この良順宅の一室で結核の治療を受けていたと、史実では伝えられている。 本殿の中には大きな招き猫が二体あり、その社の石畳の前に「沖田総司終焉の地」と書かれていた。 沖田総司の終焉の地には二説ある。この今戸神社で亡くなったという説と、この後、沖田は千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅に移りその離れで亡くなったという説である。 どちらの説が本当でも、沖田総司がこの場所で療養していたのは間違いないだろう。 |
![]() 今戸神社の招き猫 |
![]() 沖田総司終焉の地の碑(右) |
![]() 称福寺(しょうふくじ) |
碑には慶応四年五月三十日没とあるが、碑自体は近年建てられたようで新しかった。隣の碑の建立が平成十二年三月なので、たぶ同時期の建立だろう。碑字は橘右近書とあった。 さて良順宅があったという境内の場所だが、社務所の方に訪ねると、現在の神社の場所は、かつては小高い山になっており、そこを切り崩して平地にしたとの事である。 従って場所は変わっていないのだが位置は同じでも当時とは高さが異なっているようだ。 帰って来た解答も不明との事であった。 次に新選組の隊士達が、松本良順の治療を受ける為にしばらく滞在したという。「称福寺(しょうふくじ)」に向かう。神社を左手にして、もと来た道をさらに進む。 関東陶器(株)と書かれたビルのある交差点の角を右に曲がり、オリエント産業のところを左に曲がるとすぐに「称福寺」がある。 この寺の位置は昔とは違っているらしいが 良順は新選組の傷病者の一部をこの寺に滞在させて治療に当たっていたという。 |
寺の道の反対にある墓所には江戸時代後期の著名な儒学者だったという亀田鵬斎(かめだぼうさい)の墓所がある。文久九年(1826)年七十五歳で没。 再び道に戻り信号を渡ると隅田公園の一角に戻る。門を入ると明治天皇の碑(明治天皇御製碑)があった。 碑の説明には、当時病床にあった元勲三条実美公の別邸対鴎荘に行幸し、その帰途、伊達宗城邸で休息の際、隅田川の冬景色を見て詠んだという和歌があった。 いつみてもあかぬ景色は隅田川 難美路の花は冬もさきつつ隅田川を流れを眺めながら園内の堤防側を駅方向へ戻る。フェンスには都鳥が一列に連なり、羽を休めていたが、船が来るたびに空に舞い上がり、気持ちよさそうに春の風に身をまかせていた。 公園の丁度真ん中あたりにかかる言問橋を渡り、対岸にあるもう一つの隅田公園のエリアに渡る。橋を渡り切ると右に「牛亀神社」という看板が建っていた。この神社は園内の一角にあり、境内には有名な「なで牛」という大きな牛の置物がある。 |
この「なで牛」近づいてみると所々が摺り減っている。立札には最初に自分の体の悪い部分を撫で、その手でこの牛を撫でると、病が治るという御利益が書かれていた。 敷地内の一角には梅屋敷があり、明治維新後に官軍の追っ手を逃れ庄内藩へ移った総司の姉みつと義兄が江戸にもどった際、しばらく住んでいたらしい。それらしき碑があるかどうか、くまなく境内を調べたが、ついにその正確な場所は掴めなかった。 言問橋に戻り、最初入った公園入口まで戻る頃には夕闇が迫っていた。その後、ほんのり灯った提灯と露天商の呼び声に誘われて浅草寺の境内を散策する。境内は人の往来でごった返し、線香の香りやイカと醤油が焼けた匂い、甘いソースの香りが漂っていた。 参道に軒を連ねた土産屋の暖簾を潜ると、店の奥にはすでに「端午の節句」用の武者人形が売られていた。潮の香りと夜風が心地いい浅草は、まさに春爛漫であった。 |
![]() 亀田鵬斎の墓所 |
![]() 明治天皇御製碑 |
![]() 隅田川と都鳥の群 |
![]() 牛亀神社本殿 |
![]() 撫で牛(牛亀神社) |
![]() 浅草寺本堂 |
【史跡探索データ】
今戸神社(松本良順私邸跡) 台東区今戸1−5 銀座線浅草駅から徒歩10分
称福寺 台東区今戸2−5−4 銀座線浅草駅から徒歩15分