新選組の足跡を訪ねて〜其の参〜

沖田総司・死亡の地? 新宿区大京町29番地

大京神社

大京神社にいた猫

大京町交差点

茶のビルが植木屋平五郎宅跡
田総司は、1844年(天保15年)頃、白河藩の下屋敷で生まれた。総司の死亡場所の伝承については、かつて浅草今戸八幡境内の松本良順私邸」(現:台東区今戸神社)説<永倉新八>、雑司ヶ谷の「植木屋離れ座敷」説<子母澤寛著「新選組始末記」>があった。
が、近藤勇五郎の証言による文書が後に発表され、今では、明治元年五月三十日、結核を患い千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で亡くなった後、東京都港区にある菩提寺の「専修寺」に埋葬された。というのが、新選組研究者の間では定説となっている。
て今回は、総司の亡くなった史跡めぐりの旅を目的に千駄ヶ谷をめざし出発した。スタート地点はJR新宿駅である。千葉行きの中央線に乗り、二つ目の駅。千駄ヶ谷駅に降り立った。
札を出てすぐ左に折れる。クルマの往来が激しい坂を下り、左に折れ中央線のガードをくぐる。そのまま道なりに新宿御苑の裏手にあたる石垣を左手に見ながら行くと、外苑西通りにぶつかった。
こを左に折れしばらく歩くと、歩道橋のある大京町交差点にだどりつく。その隣にはJOMOのガソリンスタンドがあった。
う、ここが最初の目的の場所だ。沖田総司は、この辺で亡くなったらしい。
こには当時植木屋平五郎の離れがあった。平五郎宅の場所は道路を隔てた赤いレンガ造りの富士見ビルで、大京町交差点から数えて、4軒目の道路沿いにある。この場所は昔「池尻」と呼ばれ、いくつかの橋が架かっていたようだ。そして今でもビルの右手には石造りの欄干が残っていて、当時この場所には、川が流れていたことがうかがえる。
干の跡の真ん中にかかる階段を降りると、そこは児童公園になっている。公園はちょうどビルの裏手にあたる。
つてこの細長い公園の場所が川であったようで水車小屋があったと伝えられている。江戸の切り絵図(内藤新宿千駄ヶ谷辺図・一八六二年)にも水車と植木屋が描かれている。
時の川は二股に分かれており、道路の反対側(交番側)にも流れていたようだ。
司の亡くなった離れは、先ほどのガソリンスタンド一帯で、ちょうど新宿御苑裏の石垣と道路に挟まれた位置あたりと推測できるのだが・・・。地形もかなり変わっているために正確な箇所の特定は難しい。
暮れてきたので、その先の大京神社でお参りをして帰路に就いた。そして、神社にも猫がいた・・・(笑)

「池尻橋」跡の欄干


児童公園(川の跡)


スタンド
裏・沖田死亡の地 !?
浄土宗専修寺・沖田総司墓所
用の帰り道のこと。JR恵比寿駅で地下鉄日比谷線に乗り換え六本木駅についた。A1出口を出て六本木通りを広尾方向へ向かう。
回の目的地は沖田総司の墓所。
最初の信号機を左折してテレビ朝日通りをまっすぐ進むと信号機がある。そのコンビニの先に専修寺(せんしゅうじ)がある。
在は一般の人は入ることができないが、寺の右わきの道を行くと塀越しに墓を見ることができる。(右、側面のみ)
の通用口から二列目の奥の赤茶色の屋根がかかっている墓が、沖田総司の墓だ。総司ファンなのだろうか?墓には、千羽鶴や花が埋けてあった。墓参できないので、本堂か境内でも撮ろうと思ったのだが、葬儀の真っ最中だったので、撮影を断念する。

沖田家の菩提寺・浄土宗専修寺

沖田総司の墓

【史跡探索データー】

植木屋・平五郎宅跡 新宿区大京町29番地 現・富士見ビル7F・池尻橋(欄干のみ現存)−(JR中央線千駄ヶ谷駅下車 徒歩七分)
専修寺(せんしゅうじ)・沖田総司の墓所 東京都港区元麻布3-1-37 地下鉄日比谷線六本木駅下車 徒歩十分