新選組の足跡を訪ねて〜其の壱〜

土方歳三の生家と墓石

土方歳三の生家(資料館)

歳三の菩提寺・石田(せきでん)寺

土方歳三の墓(写真右)
る晴れた日曜日。JR新宿駅から中央線で立川駅に向かう。そして京王多摩モノレールに乗り換え万願寺駅で降りた。駅から徒歩5分の場所に土方歳三資料館がある。
差点を渡り、右の折れて二軒めと意外に近い。今は新築されてているが土方歳三の生家である。表札には土方とあった。(ただし歳蔵が生まれた本来の生家は、この場所東方にあったという)
料館は自宅の一室を資料室にあてているとの事で、(東京都の地図には土方歳三資料室と記されている)あいにく休館日だった。面白かったのは近所の表札を見るとみんな土方だったことだ。近所に留まっていた工務店のトラックにも土方の姓があった。
立日野高校の側に土方歳三の菩提寺の石田寺(せきでんじ)があるが、その墓石にも土方と姓が沢山刻まれていた。元々当時の石田村にその生が多かったのか、子孫が増えたのか定かではない。
時農家の多くは苗字がなかったから。明治になり日野の名士、歳蔵にあやかってつけたのだろう。
だ当時は賊軍であるから、それもおかしいのだが・・・。と、思いながら、土方歳三の墓を探す。(元々この墓には遺骨がない)
すると、墓の前で自転車できていた初老の二人の男性に出あった。そこで、二言、三言、言葉をかわす。
きほど、この寺の周囲をあるいていたら、カシャカシャと、まるで刀でもぶつけるような音がしたという。「きっと、物見愚さで墓を訪ねる人間に、歳三が怒っているんだ」と、笑いながら去って行った。このあたりは、河原が近く風も強いので、たぶん卒塔婆同士がぶつかる音だろうと思うのだが(笑)寺の本堂の前には樹齢400年というカヤの木が青々とした葉をみにまとい青空に向かって高くそびえていた。かつては歳三も、墓参の際にこの神木を仰ぎ見た筈だ。その帰り道。寺の前を通り過ぎると。鳥達のけたたましい泣き声がした。よく見ると住人が地鳥に餌をあげていた。この周囲は農家が多いようで、いまだに牧歌的な雰囲気がある。
野高校のテニスコートの脇を通り、土手を駆けあがると浅川に出た。打ち身、捻挫によく効く土方家秘伝の「石田散剤」の原料を家族総出で採った河原である。
三も新選組入隊前は、剣術修行をしながら、この薬の行商に出ていたと言う。この薬の処方にまつわる話しでは、なんでも河童のお告げがあったらしい(笑)残念なことに今は河川工事中で当時の面影はない。ふと茂みに目をやると一匹の猫が潜んで微動だにしない。近寄って覗くと、じっとこちらを睨み返した。
ばらく、堤防をあるき浅川に架かった新井橋を渡る。目指すは高幡不動尊だ。道の右手には浅川から別れた用水路に沿って遊歩道があった。水の綺麗な水路には鷺のような白い鳥がいた。
らに進むと水車小屋があり、その先には白梅が満開で甘い香りが川面一面に漂っていた。日は少し傾いており小道の向こうから近藤勇や土方歳三がすっと現われそうな気配がした。

新井橋より望む浅川

河原の猫

用水路にいた白い鳥(白鷺?)

遊歩道の水車小屋

岸部に咲く白梅

高幡不動尊の五重塔
のガードを潜り、参道に入る。しばらくして不動尊境内の五重の塔が見えて来た。門を入ると青銅の土方歳三の像が目に入った。この本堂は東京で最古(1340年建立)の木造建築物で国内でも4つの中に入ると言う。不動明王は私の守り神でもある。
参拝をした後。本堂右手横にある顕彰碑を見学した。日も暮れかかり護摩供養が始まろうとしていたのであわてて護摩木に願い事を書き入れた。
りしな、境内の土産物の店主が、新選組の鉢巻き、羽織、刀を貸してくれた。せっかく来たのだから撮っていきなさいと、やけに熱心に薦める。
こで歳三の像の前で写真を撮った。衣装一式を返す折り、新選組ハチマキ二つを購入する。するともう店じまいなのでと、暖かいジャガイモとサツマイを手渡される。さらに試食品やら、昆布茶までごちそうしてくれる。とてもいい人である。申し訳ないので仁王黒まめと開運厄除け昆布を買うと
新選組のポストカードを数枚くれた。負けた(笑)門を出て開運そばと書かれた店に入る。そこで開運そば(700円也)を食べる。これは三色の蕎麦でつゆ、蕎麦とも、とてもうまい。
鼓を打ち満足して後、お代を払いかけようとしたとき、「さっきはどうも!」と声をかけられた。振り向くと見覚えのある顔がそこにあった。土産屋の店主だ。なんと彼はこの店の店主でもあったのだ。しかし、こういう商売をする人も減ったなと。参道を歩きながら、京王線高幡不動駅に向かい帰路についた。そしてこの地は、また訪れたい史跡の一つになった。

幕府御用宿「釜屋」跡 

川駅より京浜急行の各駅停車に乗り、青物横丁で降りる。改札を出て通称「ジュネーブ平和通り」を右に進むと、旧東海道と交わる交差点にぶつかる。そこを右に折れてしばらく歩くと右手に品川寺(ほんせんじ)の門がある。
指す釜屋跡は寺のすぐ手前、左手にあった。今はマンション(南品川)になっているが、当時この宿は幕府御用宿で、その造りから俗に「本陣」と呼ばれた。
三も慶応三年(1867年)十月二十一日に休息している。また慶応四年一月(1866年)。鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組隊士達は同月十五日に品川に上陸後、しばらくここに滞在していた。
た品川寺には江戸六地蔵の1番目にあたる「堂造地蔵菩薩座像」宝栄五年(1708年)造立がある。釜屋があった時には、すでにこの像は立っていたようだ。
の前の第一京浜(15号線)を南下すると道路沿いに海雲寺があり、本堂の裏手奥には岩倉具視の墓があるというが。今回は見送った。

土方歳蔵の像

境内の顕彰碑

五重の塔側から本殿を望む

幕府御用宿「釜屋」跡

品川寺(ほんせんじ)

堂造地蔵菩薩座像(品川寺)

【史跡探索データー】
土方歳三資料館(個人宅) 東京都日野市石田(京王多摩モノレール・万願寺駅・近所)−第3日曜日pm1:00〜4:00のみ開館
石田寺(せきでんじ) 東京都日野市石田145
浅川 都立日野高校そば
高幡不動尊 近藤勇・土方歳三の顕彰碑/土方歳三の像 東京都日野市高幡733(京王線・高幡不動駅下車 徒歩3分)
釜屋跡 東京都品川区南品川3-6-50  
品川寺(ほんせんじ)品川区南品川3ー5ー17