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「満足した豚より不満足な人間である方がよく、満足した愚か者より不満足なソクラテスである方がよい」
これは功利主義者J・S・ミルが言った有名過ぎる言葉だ。よくこの形で引用される場合が多いのだが、実はこの言葉には続きがある。
「愚か者や豚はそれは違うと言うかもしれない、だがそれは連中が物事を連中の理解できる側からしか見ていないからだ。比較されている人間やソクラテスたちの方は、どちら側も知っている」
ここまで言えばミルさんの言っていることを履き違えようがないというものだ。むしろここまで言っても理解できないものこそが愚か者や豚である、とも言える。
だが、愚か者や豚はその乱暴な暴力により、この真摯なことばを、真摯故に無防備で守る力の無いこのことばを、ぎたぎたに切り刻み、意味という権利を剥奪し、蹂躙して無力化してしまうのである。そうなっては裸で勇往邁進することばは斃{たお}れるしかない。
「満足した豚より不満足な人間である方がよく、満足した愚か者より不満足なソクラテスである方がよい」
と後半略された言葉も、
「満足した豚よりも、不満足なソクラテスである方がよい」
と変えられ、それでもまだなんとか意味を残してはいるが、しかし愚か者や豚はそれでも飽きたらず、
「太った豚よりも、痩せたソクラテスである方がよい」
などとなってしまっては、最早辛辣な意味はどこへやら、完全に別のことばに整形手術されてしまっている。
これを聞いた世界中のありとあらゆるダイエットに挑戦し続ける豚の如き女、曰く、
「そんなの当たり前じゃない!痩せることこそ正義よ!」
これを聞いたことごとくダイエットに失敗し続けて、開き直った豚の如き女、曰く、
「そんなの身勝手な考えだわ!太ることの何が悪いの!」
最早、勇猛果敢なことばの壮絶なる死を、嘆くしかない。
「It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied. And if the fool, or the pig, are a different opinion, it is because they only know their own side of the question. The other party to the comparison know both sides.」
J・S・ミル『功利主義論』より抜粋
(日本語訳・飛軒 六)
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