#1005_02

『 なりたかった大人でいるか 』

今から十年ほど前の事。
高校の体育祭の時だった。

そのグランドの片隅で、僕は大きな過ちを犯してしまったのだ。

それも、僕の記憶を正確になぞってみたところ、
恐らくそれを言い出したのは僕自身でなのである。

僕等は、自分たちの意志に関わらず年齢を重ね年老いてゆく。

そして僕は時折、
かつての自分を失うために生きているような気がして、
とてつもなく悲しい気持ちになることがある。

人生を経るにつれて、多くの出会いや得る物、
自分を成長させる物もたくさんあるはずである。

だが、”自分自身”という存在だけを思うと、
やはり失くしてしまうののほうが、何倍も多いように思えてしまうのだ。

僕のような人間が、
そうした悲しみに包まれずに、前向きに生きてゆくすべはただ一つ。

決して懐かしまないこと、である。

懐かしむための道具は少なければ少ない程いい。

ニュース番組では子供たちが、
未来の自分たちに向けて今日もタイムカプセルを埋めている。

ドラマでは安直な再会シーンのために、 
頻繁にタイムカプセルが掘り出される。

懐かしまれるためだけにそれらは埋没し、
長い年月を地中で過ごした後に掘り出されるのである。

僕は子供だった。
何でも試してみたかった。
自分のこの手で埋めてみたかった。

どうしてそこに在ったのかは思い出せないが、
スプライトの1リットル瓶がグラウンドにはあった。

仲間数人を集めて、僕は過ちを犯す。

---- 埋めよう。そして、十年後に掘り出そう。

僕等はそれぞれ、十年後の自分に向けてひとことづつ手紙を書いた。

そしてそれを、
その辺にあったガラクタと共にスプライトの緑色の瓶に詰め込み、
グラウンドの隅に埋めたのである。

幸いなことに、スプライトの瓶は十年を経ても掘り出されることは無かった。

仲間は離散し、
地中に眠るちっぽけな瓶の存在など、記憶から消えてているに違いない。

僕は皮肉にも、離散の象徴物を作成してしまったわけである。

そうでなくとも、もしかしたらグラウンドの改装工事か何かで、
僕等の手紙などは、とうの昔に破壊されているのかもしれない。

おそらく永遠に掘り出されることはないであろうその手紙に、
僕はおおよそこんなことを書いたと思う。

「なりたかった大人になっているかい?」

僕だけがこれらの出来事を覚えていて、
何だかんだと文面にしたためながら懐古している。

つまりはこの文章の存在そのものが、
僕の行動が過ちだったというもっとも確かな証拠なのである。

composed by mjn, 1998.08

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