初出誌「野沢南高同窓会報」2001年12月01日発行

  時の流れに

 大学院に進学しながら高校の教壇に立って十二年、ついで大学に転じて六年の歳月が経過した。社会の構造変動は著しく、不況と少子化の波は文学部にも押し寄せて、『源氏物語』を講じていれば済んだ時代は過ぎ去り、実学尊重のスローガンばかりが目立つ昨今の大学事情である。そんな私も、例外ではなく、古典文学の講義のみならず、司法試験を目指す学生対象の講義を課せられるようになった。一年次の冒頭の講義では、吉永小百合主演の『伊豆の踊り子』をテキストに、大正時代の青春について考えることにしている。この映画は、モノクロで、旧制高校生だった主人公が後に大学教授(宇野重吉)となり、青春を闊歩する学生達を前に往事を回想する物語が縁取りされている。

 私の高校生時代を思い起こせば、確かに何もかものどかな時代であった。佐久平も高速交通網時代に突入する直前であり、世がバブル経済に沸き立つことも知らなかった、ひなびた光景が想起される。しかし、長野オリンピックの夢から醒めると、深刻な土木不況がやってきたと言う。数少ない私の男子同級生達はみな建築土木系に進学したはずだから、さぞや、時代の荒波に翻弄されているであろうと思ったりする。さて、講義は最後に、「大正時代の日本人の心はどうしてこんなに純粋だったんでしょうね」と締め括った。ところが、講義レポートを読んで見ると、私はノスタルジーに浸っている場合ではなかったようだ。学生達は、あまりにも当時の女性の地位が低かったことにショックを受けたようである。そう言えば、私の同級生達も、前近代的な発想の不文律が厳然と存在したように記憶する。才能は活かされてこそ未来がある。往事茫々たる時代に思いを巡らせつつ、「日本とは何か、日本人とは何か」と言う命題について、時間の許す限り、語り伝えて行くつもりである。