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校訂付記・凡例

本文改訂箇所は赤字として表記する。

仮名遣い・当て字を改めたときも赤色で表記する。

おくりがななどの欠字は〈 〉で補う。

底本の踊り字は用いない。

1999.03.25校訂 /2008.09.20 修訂

古本 竹取物語 〈新井信之旧蔵『竹取物語』校訂本文〉

かぐや姫の生い立ち

いまはむかし、竹取の翁といふものありけり。野山なるをとりてよろづの事につかひけり。名をば、さるきのみやつこといひける。その の中に、もとひかる竹、一筋あり。あやしがりて、よりて見るに、の中ひかりたり。それをみれば、三ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁いふやう、「我あさごとゆふべに、見るたけの中におはするにてりぬ。子になり給べき人なんめり」とて、手にいれて、家にもてきぬ。妻の女にあづけて、やしなはす。うつしきことかぎりなし。いとなければ、にいれてやしなう。竹取の翁、なを竹をとるに、この子を見つけてのち、とる竹に、をへだてて、ことにこかねある竹見つくる事かさなりぬ。

 かくて、やうやうゆるらかになり行〈く〉。このちごやしなうほとに、すくすくきになりまさる。三月ばかりやしなうほどによきほどなる人になりぬれば、髪上げなど左右して、髪上げさす。きせ、のうちよりもいださず、いつきやしなう。

 このちごのかたちの、けうらなる事、世になく、屋のうちはくらきところなく、ひかりみちたり。の、心ちあしく、くるしき時も、この子を見れば、くるしきこともやみぬ。はらだたしきことも、なぐさみけり。、竹をとる事、ひさしくなりぬ。いきをゐ、まことの物になりにけり。この子、いときになりぬれば、この子の名を、みむろのあきたをよびて、つけさす。あきた、なよたけのかぐやとつけつ。の子、一日うちあげうちあげあそぶ。よろづのあそびをぞしける。おとこは、上下えらはず、よびつどへて、いとかしこくあそぶ。

妻どひ

 世界の、あてなるも、いやしきも、「いかで、このかぐやを、えてしがな」とぞ、にもききめでて、そのあたりのかきにも、のとにも、をる人だに、たやすく見るまじき物をよるはやすくゐもねず、やみの夜にいでても、あなをくじり、かいばみ、まどあへり。かかるときよりな、よばとはいひける。人のもせぬところに、まどありけども、なにのしるしあるべくもなし。の人どもに、「物をだにいは」とていひかかれど、ことともせず、あたりをはなれぬきみだち、夜をあかし、日をくらせる、いとおかり。をろかなる人は、「ようなきありきは、よしなかりけり」とてこずなりにけり。そのなかに、なをいひけるは、色ごのみといはるるかぎり、五人、おもひやむ時なく、よるひるきけり。その名どもは、いしつくりの御こ、くらもりの御こ、右大臣あへのみあらじ、大納言おほとものみゆき、中納言いその神のまろたふ、この人たちなりけり。世中におほかる人をだに、すこしもかたちよしとききて、見まほしくする人どもなりければ、かぐやをえまほしくて、物もくはずして、おもひつつかの家にゆきて、たたずみありけどかいあるべくもあらず。ふみをかきてやれども、返事もせず。わびうたなどかきをこすれど、「かひなし」とおもへど、しも月しはすのふりこほり、みな月のてりはたくにも、さはらずきけり。この人びと、ある時は、竹のよびいでて、「みむすめをくれ給へ」とふしおがみ、てをとりてのたまへど、「をのがなさぬ子なれば、心にもしたかはず」などいひて、月ひをすごす。かかれば、この人びと、家にかへりて、ものをおもひ、いのりをし、をたてすれども、おもひやむべ〈く〉もあらず。かくおもひいふ事やまず、「さりとも、つゐにおとこあらせざらやは」とおもひて、たのみをかけたり。あながちに、心ざしを見らんとす。これを見つみて、、かぐやにいふやう、「我この佛、へんげの人と申なから、ここらおおきさまで、なでおほしやしなひたてまつりつ。心ざしおろかならずは、の申さむ事は、きき給〈ひ〉てや」といへば、「なに事をかは、の給〈は〉むことは、うけ給はらざらむ。変化の物にて侍けむ身をしらず、おやとこそ、おもひたてまつれ」といふ。、「うれしくも、のたまふ物かな。、とし七十にあまりぬ。けふあすともしらず。この世の人は、女はにあふことをす。そののち、ひろくもなり侍る。いかでか、さてことなくてはおはせ」かぐやいはく、「なんでう、さる事かし侍るべき」といへば、「変化の人といふとも、女の身をもて、のあらむかぎりは、かくてもいますらむかし。この人々の、とし月をへて、かくのみいましつつ、の給ふことを、おもひさだめて、あひ給〈ひ〉ね」といへば、かぐやいはく、「よくもあらぬかたちを、ふかき心ざしをしらず、あだ心つきなば、のちくやしき事もあるべきを、とおもふばかりなり。世のかしこき人なりとも、ふかき心ざしをしらで、あひがたしとなむおもふ」といふ。いはく、「おもひのごとくもの給かな。そもそも、いかやうなる心ざしに、あひ給はむとおぼすらむ、心ざしおろかならぬ人にこそあむめれ。かぐやのいはく、「なにばかりの心ざしをみむとか、いささかなる事なり。人のみこころざしは、ひとしかんなり。いかでか、これが中に、おとりまさりはしらむ。『五人のひとの中に、ゆかしき物を見せ給はむに、御心ざしまさりたり、とて、つかうまつらむ』と、そのおはすらむ人に、申〈し〉給へ」といふ。「よき事なり」とうけつ。

 やうやう、日くるるほどに、れいのごとく、きあつまりぬ。あるいはふゑをふき、あるいはうたをうたひ、あるいはしゃうがをし、あふぎをうちならしなどするに、いでていはく、「かたじけなく、きたなき所にとし月をへて物し給〈ふ〉。きまりてかしこまり申〈す〉、『、いのち、けふあすしらぬを、かくの給ふ。君たちにも、よくおもひさだめて、つかうまつれ』と申〈す〉もことわりなり。『いづれも、おとりまさるおはしまさねば、さだめがたし。ゆかしくおもひ侍るもの侍〈る〉を、見せ給はむに御心ざしのほどは見ゆべし、つかうまつらむ事は、それになむさだむべき』といへば、これ、よきことなり。人の御うらみ事、あるまじ」といふ、五人の人も、「よき事なり」といへば、いりて、かぐやにいはく。〈かぐや姫〉、「石つくりのみこには、ほとけの御のはちといふ物あり。それをとりて給へ。くらもちの御子には、ひんがしのうみに、ほうらいといふ山あんなり。そこに、しろがねをねとし、こがねをくきとして、しろきたまをみとしたる木あり。それひとえだ、おりて給はらむ。いまひとりにはもろこしにあむなる、ひねずみのかわぎぬを給へ。おおともの大納言には、たつのくびに、五いろにひかるたまあむなり。それとりて給へ。いそのかみの中納言には、つばくらめのもたるこやすがい、ひとつとりてたまへ」といふ。、「かたき事どもにこそあむなれ。このくににある物にもあらず。かくかたき事をば、いかで申さむ」といふ。かぐやののたまはく、「なにか、かたからむ」といへば、、「ともあれかくもあれ、申さむ」とていでて、「かくなむ、この物をなむ、きこゆるやうに、見せ給へ」といへば、みこたち、かんだちめききて、「『おらかに、このあたりよりありきそ』とやはのたまはぬ」といひて、からうしてみなかへりぬ。

仏の御石の鉢

 なをこの女見では、よにあるまじき、心ちどもなしければ、「てんぢくにある物ももてこぬ物かは」とおもひめぐらして、いしつくりの御こは、心のしたくある人にて、「てんぢくに、ふたつとなきはちをば、八千里のほどゆきたりとも、いかでか、とるべき」とおもひて、かぐやのもとには、「いまなむ、てんぢく、いしのはちとりにまかる}ときかせて、三年ばかり、やまとのくに、とをちのこほりにある山に、びんづるのまへなるはちの、ひたぐろにへすみつきたるをとりて、にしきのふくろにいれて、つくり花のえだにつけて、かぐやに、もてきて見せければ、はちのうにも文ぐたり。ひろげてみれば、かくなり

 うみ山のみちに心はつくしてきないしのはちのなみだながれき

かぐや、「光やある」と、とばかりみるに、ほたるばかりのひかりだになし。

 おく露のひかりをただぞやどさましおぐら山までなにたづねけ

とて返していだす。はちをかどにすてて、この御こ、うたのかへしをす。

 しら山にあへばひかりのうするかとはちをすててもなげかるるかな

とよみて入〈れ〉たり。かぐや、返しせずなりぬ。みみにもきき入〈れ〉ざりければ、いひわづらひてかへりぬ。かのはちをすて、またいひけるをききてぞ、おもひなげきをば、「はちをすつ」といひける。

蓬莱の玉の枝

 くらもりの御子は、こころたばかりある人にて、おほやけには、「つくしのくにに、ゆあみにまからむ」といとま申〈し〉て、かぐやには、「たまのえだとりにまかる」といはせてくだり給はに、つかうまつるべき人は、みななにはまで、御おくりしけり。みこいとしのびて、人もあまた、いでおはしまさで、ちかうつかうまつる人どものかぎりして、「おはしましぬ」と人にはしらせ見せ給〈ひ〉て、二日ばかりありて、こぎかへり給〈ひ〉ぬ。かねてこそ、みなおほせられたりければ、その時、ひとりのたからなりける、ぢたくみ六人をめしとりて、たはやすく、人よりくまじきをつくりて、かまどを、三へにして、こめて、たくみらをいれ給〈ひ〉つ。みこも、おなじ所にかくれゐて、しらせたまへるかぎり、十二方をふたぎ、かみにくちをあけて、たまのえだをつくり給〈ふ〉。かぐやののたまふやう、たがはずつくりいでつ。かしこくたばかりて、みそかになにはに出〈で〉ぬ。「ふねにのりて、かへりにけり」と殿につげやりて、いといたく、くるしがりてゐ給へり。むかへに人、おほくまりたり。たまのえだは、なかびつにいれて、物おいてもてまる。いつかききけむ、「くらもりの御子は、うどむげのはなもちて、のぼり給へり」とてののしりけり。これを、かぐやきき給〈ひ〉て、「我はこのみこにまけぬべし」とむねつぶれておもひをり。かかるほどに、かどをたたきて、「くらもりのみこ、おはしたり」とつぐ。「たびの御すがたながら、おはしましたり」といへば、あひたてまつる。みこのたまはく、「いのちをすてゝなむ、かのたまのえだとりて、まうできたる。かくやひめに、とくみせたてまつり給へ」といへば、、もて入〈り〉ぬ。このたまのえだにふみぞつけたりける。

 いたづらに身はなしつともたまのえにたをらでさらにかへらましやは

これをも、あはれとも見でをるに、竹、はしい〈り〉ていはく、「みこに申〈す〉給〈ひ〉し、ほうらいのたまのえだを、ひとつの所あやまたず、もちておはしませり。なにをもちてか、さらにとかく申〈す〉べき。たびの御すがたながら、我〈が〉家へも、より給はずして、おはしたり。はや、みこにあひつかうまつれ」といふに、物もいはで、つらつへをつきて、いみじう、なげかしげにおもひたり。このみこ、「いまさへなにとの給〈ふ〉べきならず」といふままに、にはいのぼり給〈ひ〉ぬ。ことはりにおもふ。「このくにに、見えぬさまなる、たまのえだなり。このたびは、いかでか、いなび申さむ。人さまもよき人におはす」などいひゐたり。かぐやのいふやう、「おやののたまふ事を、ひたぶるに、いなと申さむことのいとをしさになりかたき物を。かくあさましく、もてきたることを、ねたくおもふ」は、ねやの中を、しつらいなどす。

 、みこに申〈す〉やう、「いかなる所にか、この木はさぶらひけ。あやしくうるはしく、めでたき物にこそ」と申〈す〉。みこ、こたへてのたまはく、「さいととしの〈きさらぎの〉十日ころより、なにはよりふねにのりて、うみの中にいで、いかむかたもしらず、おぼえしかども、おもふことならで、世中にいきてかいなし。かぜにまかせてありく。いのちしなばいか。いきてあらむかぎり、かくありきて、『ほうらいといふなる、山はありや』とうみにうきたよひありく。我くにのうちをはなれて、まかりありきしに、あるときには、なみあれつつ、うみのそこにいりぬべく、ある時は風につきて、しらぬくににふきよせられて、おにのやうなる物いできて、ころさむとしき。ある時には、きしかた行さきも見えぬうみにまきいれとしき。あるときには、かてつきて、くさ木のねをくひものにはしき。ある時には、いはむかたなく、むくつけげなる物いてきて、くかからとしき。あるときには、うみのかいをとりて、いのちをつぐ。ある時には、さるたびのそらに、たすけ給〈ふ〉べき人もなき所に、いろいろのやまひをして、ゆくかたそらもおほえず。かへらむ所、いづかたおぼえず。ふねのゆくにまかせて、うみにたよひ、五百日といふ、たつのときばかりに、うみの中に、わづかに山みゆ。ふねのうちをなむ、せめて見る。うみのうへにたよへる山、いとおほきにてあり。その山のさま、たかくうるはし。『これや、もとむる山ならむ』とおもひて、さすがに、そろしくおぼえて、山のめぐりをさしめぐらかして、三日ばかり、見ありくに、天のよそほひしたる山女、やま中よりいできて、しろかねのかなまりをもちて、水をくみありく。これを見て、ふねよりおりて、『この山の名をば、なにと申〈す〉ぞ』ととふ。、こたへていはく、『これは、ほうらいの山なり』といふ。これをきくに、うれしき事かぎりなし。この、『かくの給ふは、たれぞ』ととふ。『わか名はこらんなり』といひて、やまのなかにいりぬ。その山をみるに、さらにのぼるべきやうなし。そのやまの、そばひらを見あぐれば、世〈の〉中になき、はなの木どもあり。こがね、しろがねのみ、山よりながれいでたり。それには、いろいろのたまのはしわたせる。そのあたりに、てりかやく木どもたてり。その中に、このとりてまうできたるは、いとわろかりしかども、のたまひしにたがはず、このはなをおりて、まうできたるなり。山はかぎりなくおもしろく、世にたとふべきにあらざりしかど、このえだをおりてしかば、さらに、なにのこころもなくて、ふねにのりて、おひかぜふきて、四百よ日にな、まうできにし、大にやありけ、なにはにふきよせられて侍〈り〉し。なにはよりは、昨日なむ、にはまうできつる。さらに、しほにぬれたるきぬをだに、ぬぎかへなでなむ、ここには、まうできつる」とのたまふを、このききてうちなきてよむ、そのうたは

 くれ竹のよよの竹取野山にもさやはわびしきふしをのみみし

これを御子ききて、「ここらの日ごろ、おもひわび侍りつる心ちは、けふなむ、おちゐぬる」との給〈ひ〉て

 我たもとけふかけれはわびしさのちぐさのかずもわすられぬべし

ときこゆるほどに、おとこども、六人つらねて、にはかにいできたり。ひとりのおのこ、ふみばさみに、文をはさみて申〈す〉、「つくも所のたくみ、あやむべのうち申さく、たまのえだを、つくりつかふまつりし事、五こくをたちて、千よ日に、ちからをつくしたること、すくなからず、しかるに、ろくいまだ給はらず、これを給〈ひ〉て、われらがけごに給はせ」といひて、ささげたり。竹、「このたくみらが申〈す〉事は、なにことぞ」と、あやしがりてかたぶきをり。みこは、われにもあらぬ心ちして、きもきえゐたまへり。これをかぐやききて、「かのたてまつる文とれ」といひて見れば、文に申〈し〉けるやう、「御子の君、千日、いやしきたくみら、もろともに、おなじ所に、かくれゐ給〈ひ〉て、かしこきたまの木を、つくらせ給ふとて、『つかさも給は』とおほせ給〈ひ〉き。それを、このころあむずるに、『御使つかゐおはしますべきかぐやのえうじ給ふきなりけり』とうけ給はりて、『この宮より給はらむ』とて、まいれるなり」といふをききて、かぐやの、くるるままに、おもひわびつる心に、わらひさかへて、をよびとりて、いふやう、「まことのほうらいの木とこそおもひつれ、かくあさましき、そらごとにてありければ、はや返し給へ」といへば、こたふ、「さだかにつくらせたる物とき〈きつれ〉、かへさむこと、いとやすし」とうなづきをり。かぐやの、心ゆきはてて、ありつるうた、返〈し〉

 まことかとききて見つればことの葉をかざれるたまの枝にぞありける

といひて、たまのえだかへしつ。竹は、さばかりかたらひつるうへ、かすかにおぼえてねぶりをり。みこは、たつもはした、ゐるもはしたにおえてゐ給へり。日のくれぬれば、すべりいで給〈り〉ぬ。かのうれへせしたくみを、かぐや、よびすへて、「うれしき人どもなり」といひて、ろくいとほしくとらせ給〈ふ〉。たくみら、いみじくよろこびて、「おもひつるやうにもあるかな」といひて、かへるみちにて、くらもりのみこ、ちのながるるまで、ととのへをさせ給〈ふ〉。ろくえしかひもなくてければ、みなみな、とりすて給〈ひ〉てければ、にげまどひにけり。かくて、このみこは、「いささのはぢ、これにまさるはあらじ。女えずなりぬるのみにあらず。天下の人の、見おもはむ事ぞはづかしき事」との給〈ひ〉て、ただひとところ、ふかき山へいり給〈ひ〉ぬ。宮づかさ、さぶらふ人々は、みなてをわかちて、もとめたてまつれど、え見つけたてまつらずなりぬ。みこの御もとにては、『かくしはて』とて、としごろは、『たまさかなる』とは、いひはじめける。

火鼠の皮衣

 右大臣あへのみあらじは、たからゆたかに、ひろき人にてぞ、おはしける。そのとしきたりけるもろこしふねの王けいといふ人に、「ひねずみのかわといふなる物、かひておこせよ」とて、つかふまつる人中に、心たしかなる人をつかはす。小野の草もりといふ人して、つかはさす。もていたりて、かのつくしのもろこしといふ所にをる、わうけいにこがねとらす。王けい、この文をひろげて見て返事かく。いはく、「ひねずみのかわぎぬ、このくににはなき物なり。名にはきけども、いまだ、めに見ぬものおほかり。世にある物ならば、このくにへも、まうできなまし。いとかたきあきなひ物なりしかども、てんぢくに、もてたりなば、もし、長者の家々に、とぶらひもとめむに、なき物ならば、つかひにそへて、かねを返したてまつら」といへり。もろこしふねかへりにけり。そののち、もろこしぶねきけり。をののふさもり、まうできて「まうのぼる」といふ事をききて、あゆみとうするむまをもとめてはしらせ。むかへさせ給はむ時、むまにのりて、つくしより、ただ七日に、まうできたり。ふみをみるにいはく、「ひねずみのかは、からうして、人をいだして、もとめてたてまつれり。いまの世にも、むかしのよにも、このかは、たはやすくなき物なりけり。むかし、かしこきてんぢくのひじり、このくにわたりて、にしの山でらにおよび、おほやけに申〈し〉て、からうして、かいとりてたてまつる。「あたひのかねすくなし」と、こくし、つかひに申〈し〉しかば、王けい物くはへて買ひたり。いま、かね五十給ふべし。ふねのかへらにつけて、だにをくれ。もしかね給ぬ物ならば、かはぎぬのしちを、返したべ」といへる事をみて、「なにおぼす。いま、かねすこしにこそあなれ。かならずをくるべきにこそあなれ。うれしくして、をこせたるかな」といひて、もろこしのかたにむかへて、ふしをがみ給〈ふ〉。このかはぎぬいれたるはこを見れば、くさぐさのうるはしきるりを、いろへてつくれり。かはぎぬを見れば、こんじやうの色なりの末には、こがねのひかりをさきたり。たからとみえ、うるはしき事、ならふべき物なし。ひにやけぬ事よりも、けらなる事、ならびなし。「むべ、かぐやは、このもしがり、あひし給けるにこそありけれ」との給〈ひ〉て、「あなかしこ」とて、はこに入〈れ〉給〈ひ〉て、物のえだにつけて、御身のけさう、いといたうして、やがて、とまりなむものぞとおもひて、うたよみぐして、もちていましたり。そのうたは

 かぎりなきおもひにやけぬかはごろもたもとかはきてけふこそはきめ

といひたりけり。のかどに、もていたりてたてり。竹いでてとりいれたり。かぐやに見す。かぐや、このかはぎぬを見ていはく、「うるはしきかはなめり。わきて、まことのかわならむとしらず」竹いでて、いはく、「ともあれかくまれ、まづ、しやうじ入〈れ〉たてまつらむ。よに見えぬかわのさまなれば、「これを」とおもひ給はぬ。人ないたくわびさせたてまつり給ぞ」といひて、よびすへたてまつり。「かくよびすへて、このたびは、かならすあはせ」といひて、女の心にもおもひをり。このは、かぐやのやもめなるを、なげきとしければ、『よき人にあはせ』とおもひはかれど、せちにいなといふことなれば、ことはりなり。かぐやにいはく、「このかはぎぬは、火にやかむに、やけずはこそ、まこととおもひて、人のみことにまけぬ。『よになに物なれば、それをまことと、うたがひなくおもはむ』とのたまふ。なをこれをやきて、心みむ」といふ。、「これ、さもいはれたり」といひて、大臣に、「かくなむ」といふ。大臣、こたへていはく、「このかわは、もろこしにもなかりけるを、からうして、もとめたつねえたるなり。なにのうたがひかあらむ。さは申すとも、はやく、やきてみ給へ」といへば、火の中にうちくべて、やかせ給ふに、めらめらとやけぬ。さればこそ、こと物のかわなり」といふ。大、これを見給ひて、は、くさのはの色にてゐたまへり。かぐやは、「あなうれし」と、よろこびゐます。かのよみたまへりける。うたの返し、はこにいれて返す。

 のこりなくもゆとしりせばかわごろもおもひのほかにおきて見ましを

とぞありける。されば、かへりいましにけり。世の人、あへの大臣、火ねずみのかわぎぬもていまして、かぐやにすみたまふとな、みにみますかりとな。などとふに、ある人のいはく、「かわは、火にくべて、やきたりしかば、めらめらと、やけにしかば、かぐや、あひ給はずなりにき」と世中の人いひければ、これをききてぞ、とげなき事をば、『あえなし』とぞいひける。

龍の首の玉

 おほとものみゆきの大納言は、我〈が〉家の人あるかぎり、めしあつめての給はく、「たつのくびに五色にひかるなり。それもてたてまつりたらむ人には、ねがは事をかなえむ」との給〈ふ〉、おほせ事をのこどもうけ給〈は〉りて申さく、「おほせ事はいともたふとし。たし、たはやすくそのたま、えとらじを。人いはむや、たつのくびのたまをば、いかとらむ」と申〈す〉。大納言のたまふ。「天のつかひといはむ物を、いのちをすててもおのが君のおほせ事をば、かなへむとこそおもふべけれ。このくにになき、天ぢくの、もろこしの物にもあらず。このくにのうみ山より、たつはりのぼる。いかにおもひてか、きぢにかたき物をと申〈す〉べき」のこども申〈す〉やう、「さらば、いかはせん、かたき事なりとも、おほせ事にしたがひて、もとめにまからむ」と申〈す〉に、大納言見すまゐて、なんぢが君のつかひと名をながしつる。君のおほせ事をば、いかがそむくべき」とのたま〈ひ〉て、龍の首の玉をとりに、いでしたてたまふ。「この人々のりてくる物に、殿のうちの絹・綿・銭どあるかぎりとりいでてそへてつかはす。「この人どもの、かへりくるまて、いもゐをして我はらむ、このたまとりては、にかへりくる」との給はせけり。おほせ事をうけたまはりて、おのおのまかりいでぬ。「『龍の首の玉とりえずは、かへりくな』とのたまへば、いづちもいづちも、あしのむきたらむかたへいな〈〉ず。かかるすき事をし給〈ふ〉」とそしりあへり。たまはせたるもの、おのおのわけつつとる。あるいは、おのがにこもりゐぬ。あるいは、をのがかまほしきところへぬ。「君と申〈す〉とも、かくつきなきことを、おほせたまふこと」とばかりゆかぬ物ゆへ、大納言をそしりあへり。「かぐやすへむには、れいのやうにはみにくし」との給ひて、うるはしき屋つくり給〈ひ〉て、うるしをぬり、まきえして、屋のに、をそめて、色々にふかせ給ふ。うちのしつらひ、いふべくもあらず。あやをり物にえをかきて、ごとはりたり。もとのどもは〈かへし給ひて〉、かぐや、かならずあらまうけをして、もとの北の方とは、うとくなりて、ひとりあかしくらし給〈ふ〉。つかはせし人どもは、よるひるまち給〈ふ〉に、としふるまで、おともせで、心もとながりて、ただとねり二人、めしつぎとして、やつれ給〈ひ〉て、なにはのほとりに、むまにのりていまして、とひ給〈ふ〉こと、「おほともの大納言殿の人や、ふねにのりて、ころして、そが首の玉とれり、とやききし」ととはするに、ふ人こたへていはく「あやしき事かな」とわらひて、「もはら、さるわざするふねもなし」と申〈す〉に、「おぢなき事する、ふな人にもあるかな。えしらで、かくいふ」とおぼして、「わがのちからは、つよきを、あらば、ふといころして、首の玉はとりて遅く来るやつばらをまたじ」との給〈ひ〉、ふねにのりて、みごとにありき給〈ふ〉に、いとくて、つくしのかたのうみにこぎいでぬ。いかがしけ、はやきかぜふきて、せかいくらがりて、ふねをふきもてありく。いづれのかたと見えず。ふねは、うみ中にまきいりぬべく、ふきまはして、なみは、ふねにぞちりけつつ、まきいれ、神はおちかかるやうにひらめく。かかるに、大納言はまどひて、またかくわひしきめ見ず。「いかがすべき、いかならむとするぞ」との給〈ふ〉に、かぢとりこたへて申〈す〉。「ここらふねにのりて、まかりありくに、まだかわびしきめを見ず。みふね、うみのそこにいらずは、神ちかかりぬべし。もし、さいはゐに神のたすけあらば、南海道にふかれおはしましぬべるめり。うたたあるぬしのみともにつかふまつりて、すずろなるにをすべかめるかな」。とかぢとり申〈す〉。大納言、これをききての給はく、「ふねにのりては、かぢとりの申〈す〉事をこそ、たかき山とたのめ。なとなくたのもしげなくは申〈す〉ぞ」と、つらつえをつきての給ふ。かぢとり申〈す〉、「神ならねば、なにわざをか、つかうまつらむ。かぜふき、なみこそはげしけれども、神さへ、いただきにをちかかるやうなるは、たつをころさむ、ともとめ給へばあるなり。疾風のふかするなり。はや神にのり給へ」といふ。「よき事なり」とて、「かぢとりの御神きこしめせ。心をさなく、たつをころさむとおもひけり。いまよりのちは、一すぢをだに、うごかしたてまつらじ」とよびことばをはなちて、泣く泣くおがみ給ふ事、千りばかり、申〈し〉給〈ふ〉けにやあら。やうやう神なりやみぬ。やうやうすこしひかりて、風はなをはやくふく。かぢとりいはく、「さればよ。たつのしわざにこそありけれ。このふく風は、よきかたのかぜなり。あしきかたのかぜにはあらず。よきかたにおもむきて、ふくなり。といへども、大納言、これをもききいれ給はず。風二三日ふきて、ふきかへしよせたり。そのはまをみれば、播磨明石なりけり。大納言、「南海にうちよせられたるにやあらむ」とおもひて、いきづきふし給へり。ふねにあるおのこども、くににつけたれども、くにのつかさまうでとぶらふにも、えおきあがり給はで、ふなぞこにふし給へり。松ばらに御むしろしきて、おろしたてまつる。そのときにぞ、「南海にはあらざりけり」とおもひて、からうして、をきたまへるをみれば、風いとおもき人にて御はらふくれ、こなたかなたの御目にはすももを二〈つ〉つけたるやうなり。これを見て、くにのつかさも、みなおほゑみたり、くににおほせ給〈ひ〉て、手輿つくらせ給て、にようによう、はれのぼりたまひて、家にいり給へるを、いかでかきき給けむ、「たつのくびの玉を、えとらざりしかば波にもえまいらざりし。たまのとりがたかりし事を、しり給にければな、かんだうあらじ、とてまいりつる」と申〈す〉。大納言、おきゐての給はく、なんぢら、よくもてこずなりぬ。たつは、なるかみのにこそありけれ。それがたまをとらんとて、そこらの人々のがいせられなとすなりけり。まして、たつをとらへたらましかば、またともせず、われはがいせられなまし。よくとらへずなりける。かぐやといふ、おほぬす人のやつが人をころさむとするなりけり。のあたりをだに、いまはらじ、おのこどもも、なありきそ」とてにすこし、のこりたりける物を、たつのたまとらぬ物どもにたびつ。これをききて、はなれ給〈ひ〉にし、はらをきてわらひ給〈ひ〉ける。いとをふかせてつくりし屋は、とびからすのすに、みなくひもていにけり。せかいの人のいひける、「おほともの大納言は、たつのくびのたまや、とりておはしたる」といひければ、ある人ありて、「いかなるもあらず。みまなこ二〈つ〉に、すもものやうなるたまをそろへていましたる」といひければ、『あな、たべがた』といひけるよりぞ、よにあらぬ事をば、「あなたべがた」といひはじめける。

燕の子安貝

 中納言いそのかみまろたり、につかはるるおのこどものもとに、「つばくらめのすくひたらばつけよ」との給〈ふ〉をうけ給はりて、「なにのようにかあら」と申〈す〉。こたへ給〈ふ〉。「つばくらめのもちたる、こやすがいをとら」との給〈ひ〉ければ、をのこどもこたへて申〈す〉。「つばくらめはあまたころして見るだにも、はかなき物なり。ただし、子む時なむ、いかでかいだすら、はべる」と申〈す〉。「人見れば、うせぬなり」と申〈す〉。また人の申〈す〉やう、「おほゐづかさの、かしぐ屋のむねにつつのあなごとにつばくらめはをくい侍り。それは、まめならむをのこどもを、ゐてまかりて、あぐらをゆひあげて、うかがはせにこそ、つばくらめ〈子うまざらむ〉やは、さてこそらしめ給はめ」と申す。中納言よろこび給〈ひ〉て「おかしき事にもあるかな。もとよりしらざりけり」と「けうあること申〈し〉たり」との給〈ひ〉て、まめなるおのこども、廿人ばかりつかはして、あなひにあげすへられたり。殿よりつかひひなくて、「こやすがいとりたるか」と、はせたまふ。つばくらめも、人のあまたのぼりゐたるにぢて、のぼりこず。かかるよしを申〈し〉たれば、中納言、これをきて、「いかがすべき」とおぼしあつかふに、かのつかさの官人、くらつまろといふ申〈す〉やう、「こやすがいとらせ給はむ、とたばかり申さむ」とて、御まへにまいりたれば、中納言、ひたひをあはせてむかゐゐ給へり。くらつまろが申〈す〉やう、「このつばくらめの、こやすがいは、あしくたばかりてとらせふなり。さては、えとらせ給はじ。あなひにおどろおどろしく、廿人のひと、のぼりて侍れば、れてこず。せさせ給ふべきやうは、みなこのあななひをこぼちて、人みなしりぞきて、まめならむ人ばかりを、粗籠にのせすへて、をかまへて、とりの、子うまあひだに、つなをつりあげさせて、ふとこやすがいやすらかにとらせ給ひて、よかるべき」と申〈す〉。中納言の給はく、「よき事なり」とて、すみやかにあななひこぼちて、人みなかへりぬ。中納言、くらつまろにの給はく、「つばくらめをば、いかならむ時にか、子産むとしりて、人をはあぐべき」との給〈ふ〉。くらつまろか申〈す〉やう、「つばくらめをは、子産まむとする時は、をさしあげて、七度めぐりてなむ、みいだす。さて、七度めぐらむ、ひきあげてこやすがいはとらせたまへ」と申〈す〉に、中納言よろこびて、よろづの人にも、しら給はで、みそかににいまして、をのこどもの中にまじりて、よるをひるになして、とらしめ給ふ。くらつまろが申〈す〉を、いといたくよろこび給〈ひ〉て、の給〈ふ〉。「ここにて、つかはるる人にもなきに、ねがひをかなふることのうれしさ」とのたまひて、御ぬぎて、かづけさせ給〈ひ〉て、さらば、ゆふさり、このにいまして見給〈ふ〉に、まことに、つばくらめ、つくり、くらつまろ申〈す〉やうをうけてめぐるに、粗籠に人をのせて、つりあげさせて、つばくらめのに、をさし入〈れ〉させて、さぐるに、「物もなし」と申〈す〉に、中納言、「あしくさぐれば、なきなり」とはらだち給〈ひ〉て、「たれかは我ばかりおぼえ」とて、われのぼりて、さぐらむ」とのたまひて、にのりて、つられのぼりて、うかがいたまへるに、つばくらめ、はささげて、いたくめぐるに、あはせて、をささげてさぐり給〈ふ〉に、にひらめく物さはるときに、「我、物にぎりたり。いまはろしてよ。、したり」とのたまふに、あつまりて、「とくおろさむ」とて、つなをひきすぐして、つなたゆる、すなはち、やしまのかなへのに、のけざまにおち給へり。人々あさましがりて、かかへたてまつれり。御目はしめてふし給へり。人は水をすくひいれたてまつるに、からうして、いき出給へるに、またかなへのより、てとる、あしとる、さげおろしたてまつる。からうして、「御心ちはいかがおぼしめさるる」ととへば、いきのしたに、「物はすこしおぼゆれども、えうごかさぬ。されども、こやすがいを、ふとにぎりもたれば、うれしくおぼゆるなり。まづ、しそくさして、このかいの見む」と、御ぐしもたげて、御てをひろげ給へるに、つばくらめの、まりおきたるくそを、にぎり給へるなりけり。それを見給〈ひ〉て、「あなかひなのわざや」と、の給けるよりぞ、おもふにたがふことをば、「かひなし」とは、いひはじめける。「かいにもあらず」と見給ひけるに、御ここちもたがひてからびつのふたに、いれられ給〈ひ〉て、てたてまつる。くるまにのり給べくもあらず、御こしはれにけり。「中納言は、かくわらはげたるわざしてむと、人にきかせじ」とし給〈ひ〉けれどそれをやひにて、いとくなりたまひにけり。かいをもえとらずなりぬるよりも、人のききわたらむこと、日にそへておもひ給〈ひ〉ければ、ただにやみしぬるよりも、人聞きのはづかしくおぼえ給〈ふ〉なりけり。これを、かぐやききて、とぶらひにやるうた

 としをへてなみたちよらぬすみよしのまつかひなしときくはまことか

とあるをよみてきかす。いとき心ちに、かしらもたげて、人にかみをもたせて、くるしき心ちに、からうしてかき給ふ。

 かひはなくありける物をわひはててしぬるいのちをすくひやはせぬ

とかき侍〈る〉ままに、たえいり給ぬ。これをききて、かぐや、「すこしあはれ」とおぼしける。それよりして、うれしきことをば、「かひあり」といひける。

御狩の御行

 さてかぐや、かたちの世にも似ず、めでたきを、みかどきこしめして、「さりとも、我さむには、まらざらむやは」とおぼしめして、内侍、なかとみのふさこにのたまはく、「おほくの人の身を、いたづらになして、あはざなるかぐや〈姫はいかばかりの女ぞと、まかりて見てまゐれ」とのたまふ。ふさこうけたまはりてまかれり。竹取の家に、かしこまりてしゃうじいれてあへり。女に、内侍のたまふ。「おほせごとに、かぐや姫、かたち〉、いとけうらにおはすなり。よく見てまいるべきよしの給へるになむ、まいりきつる」といへば、「さらは、かく申〈し〉侍ら」といひていりぬ。かぐやのもとに、「はや、このつかひに、たいめんし給へ」といへば、かぐや、「よきかたちにもあらず、いかでか、見ゆべき」といへば、「うたて物の給〈ふ〉かな、はや、たいめんし給へ。御の君の御つかひは、いかでか、おろかにせ」といへば、かぐやのこふるやう、「御のめしてのたまはこと、けしうかしこしともおもはず」といひて、さらに見ゆべくもあらず。める子のやうにあれど、いと心はづかしげに、おろそかなるやうにいひければ、心のままにもえせず。、内侍のもとにかへりいでて、「くちをしく、このをさなきものは、こはく侍〈る〉物にて、たいめんすまじ」と申〈す〉。「いかで、『かならず見てまいれ』と、おほせ事〈ありつるものを、見たてまつらでは、いかでか帰りまゐらむ。国王のおほせごとを〉ば、まことも世にすみ給はむ人の、うけ給はりたまはでありけや。いはれぬ事なし給そ」と言葉はげしうひければ、これ〈をききて、ましてかぐや姫、あふべくもあらず。「国王のおほせ事そむかば、はやう、殺し給〈ひ〉てよかし」といふ。内侍かへりまゐりて、かぐや姫の、見えずありぬる事を、ありのままに奏す。御門きこしめして〉、「おほくの人ころしてける心ぞかし」との給〈ひ〉て、やみにけれど、なをおぼしおはしまして、「この女のたばかりにやまけ」とおぼしておほせたまふ。「がもちて侍る、かぐや姫たてまつれ。かほかたちよしときこしめして、御使びしかど、かひなく見えずなりにけり。かくたいだいしくやは、ならはすべき」とおほせらるる。うけ給はりて御返〈り〉事申〈す〉やう、「この童、たえて宮づかへつかうまつるべくもあらず侍〈る〉を、もてわ侍〈る〉、さりともまかりておほせ給はむ」とす。これをきこしめして、おほせたふ。などか、の心にまかせざらむ。この女、もし、たてまつる物ならば、にかうぶりを、などか、ばざらむとおほせ給〈ふ〉。よろこびて、に返〈り〉て、かぐやにかたらふやう、「かくなむ御のおほせ給へる。なをやは、つかうまつりたまはぬ」といへば、かぐや、こへていはく、「『もし、さやうの宮づかへ、つかうまつらじ』とおもふを、しゐて、つかうまつらせ給はば、えけるまじく、せなむず。みづから、かうぶりたてまつるをおもひて、いかがはせむ。一時ばかりつかうまつりて、ぬばかりなり」翁いらふるやう、「かくゆゆしき事な給〈ひ〉ぞ。つかさかうぶりも我を見たてまつらずは、なににかはせむ。さはありとも、などか、宮仕へをし給はざらむ。かからに、に給べきやうやはある」といふ。「なを事かと、つかうまつらせて、なずやはある、と心み給へ。あまたの人の心ざし、おろかならざりしを、むなしくなしてき。のおもひは、おとれるもまされるも、おなじ事にてこそあれ。昨日今日も、御門のの給はにつか。人きやさし」といふ。こたへていはく、「天下の事は、ありとも、かかりとも、御命のあやうき、おほきなるりなれば、なをかなへつかうまつるまじきことを申さむ」とて、まいりて申〈す〉やう、「おほせごとのかしこさに、『をまいらせ』とつかうまつれば、『宮へいだしたてば、ただぬべし』と申〈す〉。宮つこまろが、ませたる子にもあらず。むかし、山にいでたる物に侍り。かかれば、心ばせも世にずぞ侍〈る〉」とせさす。御門かせはしまして、「へんげの物にてさいふにこそ、いかがはせむ。御覧じにだにも、いかでか御らんぜむ」とおほせ給ふ。「これをいかがせむ」とせさす。御門おほせ給はく、「宮つこまろがは、山もちかくなり。御りに御行し給はむやうにては見てんや」との給へば、宮つこまろが申〈す〉やう、「いとよき事なり。なに心もなくて侍らに、ふと御行して、御覧ぜに、御らんぜられなむ」とすれば、御門おほせ給はく、にはかに日をさだめて、御に出〈で〉給〈ふ〉。御狩し給〈ひ〉て、やがて、かぐやにいたり給〈ひ〉て見給〈ふ〉に、ひかりみちて、けうらにてゐたる人あり。「これなむ」とおぼして、げいる袖をとらへ給へれば、おもてをふたぎて、げあへて、おもてに袖をおいて、さぶらひければ、はじめよく御覧じてければ、たぐひなくめでたくおぼえさせ給〈ひ〉て、「ゆるさじとす」とて、「いでをはしまさむ」とてするに、かぐや、こたへてす。「をのが身は、このまれて侍らばこそつかい給〈は〉め。いと、出〈で〉おはしましがたくや侍ら」とこゆ。御門、「などかさはあらむ。なをいておはしなん」とおほせ給〈ひ〉て、御輿よせ給ふに、このかぐや、きと人のになりぬ。「はかなく、くちをし」とおぼしめして、「げにただ人にはあらざりけり」とおぼしめして、「さらば、御ともにはかじ。もとの御かたちとなり給〈ひ〉ね。それを見てだにかへりな」とおほせらるれば、かぐやのさまになりぬ。御門、なをめでたく、おぼしめさるること、せきとめがたし。かく見せつる宮つこまろ、よろこび給〈ふ〉。さて、つかうまつる百官の人々に、いかめしくつかうまつる。御門、かぐやをとどめて、帰り給は事をあかずくちをしく、おほしければ、もとどめたる心ちしてなかへらせ給ける。御輿にたてまつりてのちに、かぐや

 かへるさの行ものうくおほほえてそむきてとまるかぐや

かぐやの返し

 むぐらはふしたにもをへぬる身をなにかはのうてなをも見む

これを御門御覧じて、いとどかへり給はむそらもなくおぼさる。御心は、さらにたちかへるべくもおほされざりけれど、さりとて、をあかし給〈ふ〉べきにあらねば、帰らせ給〈ひ〉ぬ。

 つねにつかうまつる人に見給〈ふ〉に、かぐやのかたはらによるべくだにあらざりけり。「ことひとよりはけうらなり」とおぼしける人の、かれにおぼしあはすれば、人にもあらず。かぐやのみ御心にかかりて、ただひとり住みし給ふ。よしなく、かたがたにもわたり給はず。かぐやの御もとに、文かきてかよはせ給ふ。御かへり、さすがににくからずきこかはし給〈ひ〉て、おもしろく、木草につけても御うたをよみてつかはす。

かぐや姫の昇天

 かやうにて御心をたがひになぐさめ給ふほどに、三年ありて、春のはじめより、かぐや、月のおも〈し〉ろうゐでたるを見て、つねよりも、物おもひたるさまなり。ある人の、「月のかほ見ることはいむこと」としけれども、ともすれば、ひとりまほにも、月を見てはいみじく泣き給ふ。文月十五日の月に出でゐて、せちに物おもへるけしきなり。近くつかはるる人々、竹のつげていはく、「かぐやも月をあはれがり給へども、このとなりては、ただごとにも侍らざめり。いみじくおぼしなげく事あるべし。よくよく見たてまらせ給へ」。といふを聞きて、かぐやにいふやう「なんでう心ちすれば、かく物をおもひたるさまにて、月を見給ふぞ。ましき世に」といふ。かぐやのいはく「月見れば、世間心ぼそく、あはれに侍る。なでう物をかなげき侍るべき」といふに、かぐやのある所にいたりてみれば、なを物おもへるけしきなり。これをみて、「は何事をおもはせ給〈ふ〉ぞ。おぼすらんこと、なにごとぞ」といへば、「おもふ事もなし。物な心ぼそくおぼゆる」といへば、、「月な見給〈ひ〉そ。これを見給へば、物おぼすけしきはあるぞ」といへば、「いかでか月を見ではあら」とて、なを、月出づれば、出ゐつつなげきおもへり。やみには、物おもはぬけしきなり。月のほどになりぬば、なをときどきは、うちなげきなどす。これをつかふども「なを物お〈ぼ〉す事あるべし」とささやけど、親をはじめて何事ともしらず。

 八月十五日ばかりの、月に出〈で〉ゐて、かぐや、いといたくなき給ふ。人めもいまはつつまずきまふ。これを見て、親ども、「なに事ぞ」とはぐ、かぐや泣く泣くいふ。「さきざきも、申さむとおもひしかども、『かならず心まどはし給はん物ぞ』とおもひて、いままで過ごし侍りつるなり。『さのみや』はとて、うちいで侍〈り〉ぬるぞ、が身は、このの人にもあらず。月の人なり。それをなむ、むかしのちぎりありけるによりてなむ、この世界にはまうできたりける。いまは、かへるべきほどになりにければ、十五日にかのもとのより、むかへに人まうで来むとす。さらにまかりぬべければ、おぼしなげかがかなしき事を、この春よりおもひなげき侍るなり」といひて、いみじくなくを、、「こはなでうことのたまふぞ。竹の中より見つけきたりしかど、菜種のおほきさおはせしを、わが丈立ぶまで、やしなひたてまつりたるわが子を、なに人か、むへにこむ、まさにゆるさむや」といひて、「われこそなめ」とて、きののること、いとたへがたけなり。かぐやのいはく、「月のの人にて、父母あり。かたときのあひだとて、かのより、まうでしかども、かくこのには、あまたのぬるになありける。かの国の、父母の事おぼえず。ここには、かく久しくあそびならひたてまつれり。いみじから心ちもせず。かなしくのみある。されど、をのが心ならず、まかりなむとする」といひて、もろともにいみじう泣く。

 つかはるる人々も、年頃ならひて、れん事を、心ばへなど、あてやかに、うつくしかりつる事を見ならひて、からことのたへがたく、湯水まれず、おなじ心に、なげかしかりけり。このことを、御きこしめして、竹に、御使つか〈はせ〉給〈ふ〉。御使に竹で合ひて、く事かぎりなし。この事をくに、く、もかがまり、もただれにけり。翁、今年五十ばかりなりけれども、物おもふには、時になになりにけると見ゆ。御使おほせ事とて、翁にいはく、「いと心くるしく、物おもふなるは、まことにか」とおほせ給ふ。竹泣く泣く申〈す〉、「この十五日になむ、月のより、かくやへに、まうで来なり。たうとくはせ給ふ。「この十五日には、人々給〈ひ〉て、月の人、まうで来ば、とらへさせ」と申〈す〉。御使かへりまりて、翁のありさま申〈し〉て、しつる事ども申〈す〉を、きこしめしてのたまふ。一見給〈ひ〉し御心にだにわすれ給はねば、あけくれ見なれたるかぐやをやりて、いかがおもふべき」かの十五日に司々におほせて、勅使少将・高野大国といふ人をさして、近衛のはせて、二千人のを、竹はす。家にまかりて、築地に千人、屋のに千人、家の人、いとかりけるにあはせて、あけるもなくらす。このる人も、弓矢してをり、屋のには、女どもを、におらす。女、塗籠の内に、かぐやかへてり、翁も塗籠の戸をさして、戸口り、翁のいはく、「かばかりしてる所に、天の人にもや」といひて、屋のにをる人にいはく、「露の物もらば、ふとむしたくし給へ」る人のいはく、「かばかりしてる所に、かばり一だにあらば、まづ射殺してむ、にささげけむとおもひ侍〈り〉」といふ。翁、これをきて、たのもしがりり、これを聞て、かぐやは、「さしこめて、かふべき仕度をしたりとも、あのの人には、みなきなむず。あひかはむ人もあらじ」翁のいふやう、「へにむ人をば、して、まなこをつかみつぶさむ、さかをとりて、かなぐりとさむ。さが尻をとりて、ここらのおほやけ人に見せて、を見せと、はらだちる、かぐや姫いはく、「声高かに、なのたまひそ。屋のる、人どものくにいとまさなし。いますがりつる心ざしどもを、ひもらで、まかりなむずる事の、口惜しう侍りけり。りのなかりければ、ほどなく、まかりぬべきなめり」とおもふがかなしく侍〈る〉なり。たちのみを、いささかだにつかうまつらで、まからむみちも、やすくもあるまじきに、日もいかでゐて、今年ばかりのを申〈し〉つれど、さらに、されぬよりてな、かくおもひなげき侍る御心をのみまどはし侍〈り〉て、まかりなむことのかなしさ、たへがたく侍〈る〉なり。かの人は、いとけうらにおはせず、おもふことなく、めでたく侍〈る〉なり。さる所へ、まからむずる事、いみじくもおぼえず、へ給へる御さまを、見たてまつらざらむこそ、しからめ」とひてなく、いはく、「いたき事なの給ひそ」などうるはしき姿ある使にもさはらじ」とねたみ居り。かかるほどに、うちすぎて、りたり。もち月のあかさ、十あはせたるばかりにて、ある人の、さへ、見ゆるほどなり。大より、人、にのりてりきて、より五尺ばかり、りたるほどに、ちつらねたり。これをて、うちなる人の心ども、物におそはるるやうにて、あひたたかは心もなかりけり。からうして、おもひおこして、弓矢をとりてむや、とすれども、もなくなりて、なへかかりたり。に心さはがしき物、じてむとすれば、ほかざまへきければ、あひもたたかはで、心ちただれにれて、まもりあへり。てる人どもは、装束のきよらなること、物にもず。、一したり、ひやがひさしたり。その中にとおぼしき人、家に「宮つこまろ、まうでこ」といふにたけくおもひつる宮つこまろも、物にいたる心ちして、うつぶしにふせり。いはく、「き人、いささかなる功徳を、つくりけるによりて、汝がたすけに、とて時のあひだ、とおもひて、したりき。そこらのこがねを給はりて、身をかへたるがごとなりにたり。かぐや姫は、をつくり給へりければ、かくいやしきをのれがもとに、しばしをはしつるなり。のかぎりてぬれば、かくふるを、翁はなきなげく。あたはぬ事なり。はやいだしたてまつれ」といふ。こたへて申〈す〉。「かぐやを、やしなひたてまつること、廿余年になりぬ。時とのたまふに、あやしく成〈り〉侍〈り〉ぬ。また異所に、かぐやと申〈す〉人ぞ、おはすらむ」といふ。ここおはするかぐや姫は、をし給へば、えこそいでをはしますまじ」と申せば、その返事はなくて、屋のせて、「いざ、かぐやき所に、いかでか、しくをはせ」といふ。たてめたる所の戸、すなはち、ただあきにあきぬ。のいだきたるかぐやにいでぬ。えとどむまじければ、たださしあふぎてり。竹が心ひて、きふせる所によりて、かぐや姫いふ。「ここにも心あらで、かくまかるに、のぼらむをだに、見り給へといへども、なにしにかは、かなしきに、見送りたてまつら。われをいかにせよ、とて、すててのぼり給ふぞ、してをはせ」ときいりてふせれば、「御心まどひにたり。きてまからしからむ折々取りいで見給へ」とて、うちきて、かく葉は、このに、まれぬるとならば、かせたてまつらぬほどまて侍らで、れ侍ぬるこそ、返へすがへす本意なく侍れ。を、形見見給へ。月のいでたらむ夜は、月を見おこせ給へ。見すてたてまつりてまかるは、よりおちぬべき心ちする」とく。天人の中に、もたせたるあり。羽衣れり。また、あるには、不死薬持たせたり。ひとりの天人いはく、「なる御たてまつれ。きところの物したれは、御心ちあしからむ物ぞ」といひて、いささかなめ見給〈ひ〉て、すこし形見とて、に、つつまむとすれど、ある天人ありて、つつませず。御りいでてむ、とす。その時、かぐや姫、「しばしまてといふ。「衣着つる人は、心になるなり」といひて、「物ひとことは、いふべき事ありけり」とて、文く。天人、「遅し」とて、心もとながり給〈ふ〉。かぐや姫言ふ。「かく物おもひしらぬ事なの給そ」といひて、いみじくかに、おほやけに文たてまつれ給ふ。あはてぬさまなり。「かやうに、あまたの人をたまひて、とどめさせ給へど、さぬへ、まうできて、とりいでまかりぬれば、くちをしくかなしきこと、宮つかへ、つかうまらずなりぬるも、かくかくわづらはしきにて侍れは、心ず、おぼしめされつらめども、ころろづよく、うけたまはらずなりにしを、なめげなる物にのみ、おぼしとどめられぬるなむ、心にいとど、とどまり侍ぬる」とて

 いまはとて羽衣着る時ぞ君をあはれとひ出ぬる

ときこえて、薬添へて、頭中将をよびよせて、たてまつらす。天人、とりてつたふ。中将とりつれば、ふと羽衣を、てたてまつりつれば、翁「いとをし」とおぼしつる心もうせぬ。この衣着つる人は、物おもひなくなりぬれば、にのせて、百人ばかりの天人にしてのぼりぬ。

ふじの煙

 そののち、も、して、よばどかひなし。かのきしかせければ、「せむにか、をしからむ、たがためにか、なに事も、なにかはせむ」とて、「なし」とて、はず。やがて、きもあがらで、やみふせり。中将、人ひきつらねて、かへりまりて、かぐやを、えたたかいとめずなりぬるよしを、こまごます。に、文をへてまらす。ひきあけて御覧じて、いとど、いたく、あはれがらせ給ふ。物こしめさず。、こと御あそびなどもなかりけり。大臣・上達部をはじめて、とはせふ。「いづれの山か、き」と。ある人、へてす。「駿河なる山なむ、この宮もちかく、天もちかく侍なる」と奏す。これをきかせ給〈ひ〉て、かぐやの返〈へ〉し、かかせ給〈ふ〉。

 あふことのにうかむ我身にはなぬもなににかはせむ

かのたてまつれる、不死壺添へて、御使に給はす。勅使遣はす。、月のいはかどといふ人をして、かの駿河の国にある、山のいただきへ、もてとづくべきよしおほせ給ふ。みねにてすべきやうを、へ給〈ふ〉。文、不死をならべて、火をつけて燃やすべきよしを、おほせふ。そのよしを、うけ給はりて、つはものども、あまたしてなむ、かの山へはのぼりける。その不死を、きてけるよりは、かの山の名をは、ふじの山とはづけける。いまだ、そのへたちのぼるとぞ、いひつたへたる。

 

 もむけとゝせあまりふたとせ

   なかつきころうつす  ながとき

 

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