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〈宇津保物語の僧侶〉

穂積純子・細貝仁美

・阿闍梨  吹上の下

……院そうさせ給て、真言院のあざりになされぬ。弟子・同行などおほく、身のいきをひ時なること、むかしにおとらず。めしありて、さがの院にまいる。車きよらにさうぞきて、人いとほしくてまいる。院の御をいたゞきて、かほはすみよりもくろく、あし・てははりよりもほそくて、つぎのぬのゝわゝけたる、つるはぎにて、あざりのまかづるに、てをさゝげて、「けふのたすけたまえ」と、しりにたちてはいゆく。あざり、あはれがりて、物などくはせて、「むかしいかでありし人の、いつより、かくはなりしぞ」ととへば、「かぎりなきたからの王にて、世中の一の人のめにてなん侍し。……

訳¨……そこで、院の奏請により、真言院の阿闍梨になさった。弟子、同行も多く、身の勢い、世間の信望も、昔に劣らない程であった。院のお召しがあったので参内した。車を立派に飾り、供人も多く連れて出仕した。加持祈祷の事を奉仕して退出する時、院の御所の辺りに、老女の腰も曲がった乞食が、破れた笠を持ち、頭髪は雪のように白く、顔は墨より黒く、手足は針よりも細く、木綿の着物のぼろぼろになったのを、裾みじかに着ているのがいたが、阿闍梨が退出してくるのを、手を差し伸べて、「今日のお助けをお願いします」と、後について這ってきた。阿門梨は哀れに思い、物などを与えて、「昔はどのような身分が、いつ頃から、このようになられたのか」と尋ねると、「(昔は)非常な金持ちで、一人の人の妻でした。……

・律師  国譲の中

 ……かゝる物を、さきえなしけんが、おそろしき」。律師、こそならましか。たてまつりてんとなん思ひ給ふる」。律師、「山ぶしは、なにのれうにかし侍らん。そうのぐに、ごくのをびさし侍らばこそあらめ。もて侍らましかば、……

訳¨……そんな話をからませた人の心が恐ろしゅうございます」。律師、「そういう災難に遭ったわけです」。大将、「その帯は、あなたがおられたら、当然あなたの物となった筈です。私からさし上げたいと思います」。律師、「山伏の私が、何に用いましょう。法衣の上に帯をするのでしたらともかく。持っていましたら、……

・僧正、僧都  国譲の下

 かくて、大将どのは、宮のたいらかにおはしますべきことを、神仏に申させ、所  にすほうなどさせ給。うぶやの、ありしよりもきよらにしてまち給に、十月といふ、かみの十日すぎぬ。人  心もとながり給に、なかの十日もすぐれば、よろづの、『かしこし』といはるゝそうづ・そう正さうじあつめて、ふだんのみすほう、七、八だんせさせ給。しんごんゐんのりしゝて、くざく経おこなはせなどしておぼしさはぐに、廿三日のひるつかたよりなやみはじめ給て、そのよ、ゝひとよなやみ給。……

 訳¨ さて仲忠は、女一宮の安産を神仏に祈願し、諸寺に修法をさせ、産屋を一層立派にして、待っているが、予定の二月十日頃も過ぎた。人々が心配している中に、二十日も過ぎようとするので、世間で善智識といわれる僧都・僧正を申し集めて、不断の修法を七八壇も設けて行わせる。真言院律師には、孔雀経を行わせなどして、心配している中、二十三日の昼頃から兆候が始まり、その夜は夜通し苦しがられた。…… 

〈参考文献〉

    『日本古典文学大系15源氏物語二』 山岸徳平・校注  岩波書店

    『日本古典文学大系17源氏物語四』       〃

    『日本古典文学大系18源氏物語五』       〃

    『源氏物語評釈第八巻』      玉上琢弥  角川書店

    『源氏物語評釈第十二巻』         〃

    『源氏物語事典』         三谷栄一・編   有精堂

    『源氏物語事典』         岡一男  春秋社

    『うつほ物語の総合研究1 本文編1、2』 室城秀之・編  勉誠出版

    『うつほ物語の総合研究1 索引編自立語1、2』

    『宇津保物語全訳 上』  伊藤カズ  明治書院

    『宇津保物語全訳 下』

うつほ物語 楼の上・下〈現代語訳〉

<現代語訳>

「かの近江の判官でありました時持の妻は、朱雀院の御時、官女でありました。その官女が、官も上げられて、叙爵されるはずの時、あさましいことに、後輩に越えられて、お位も頂けなくなってしまいました」と言うと、「そんな事は何でもない事だ。今日でも出仕してお位もほしいと言うならば、取り計らってもよいが、そんな事にこだわるのは今はつまらない。別の事でよく配慮しよう。子どもが京にいるなら、家も世話しよう。誰も彼も、時々は田舎から出てきて住みなさい。この京極の近くにも然るべき家を作らせよう」と言われると、「非常にもったいない事でございます」と申した。「疲れたであろう。食事をしなさい」といって食膳を与えた。「摂津守の所へ、おまえ達の家を作り、家の中の調度も十分に与えるよう申し付けよう。また、摂津には、院より頂いた領地がある。今後は時宗に預けて治めさせよう」と言った。内侍督から、掻練の綾の単衣重ね、織物のうちぎ、袴一具を与えた。また絹十ぴきを、「これは田舎にいる人々に与えなさい。そして必ず必ず京へ出てきなさい。その上で思うようにしてあげよう」と言われた。時宗は、この上もなく喜び、返す返す礼を申した。

仲忠が何かしていらっしゃる所に、……いぬ宮が高殿から降りていらっしゃる様子は、次の巻に見える。

仲忠から、紅のうちぎ一重ね、織物の指貫を与え、「これは、京へ出てくるときなどに、入用の物であろう」と言った。絹二十ぴき、「これは国にいる人に与えなさい」と言い、「馬の世話をする人に」と手製の布を三十与えた。摂津の守の所へは、すぐに京極邸の下家司をつけて時宗と共にやる事にした。「誰か代わりをやってそなたは暫く滞在せよ」と言ったが、「こんな限りない喜びを、一刻も早く帰国して知らせましょう」と言う。「長年、田舎で厄介な目にあい、またひどく言われ、からかわれて、泣き嘆いてやりきれずにおりましたのに、思いもかけぬ立派な物を頂き、それよりも更に、見たこともないほどに美しく光り輝く殿の御容姿を身近に、今は自分のご主人様としてお見上げ申そうとするのは、非常な幸せでございます。"災いは忽ちにかわるもの"でございます」と言って、京極邸の立派な様子を見て、ぼんやりする程嬉しく思い、一人帰国した。

童は、仲忠の家来の相当な者に預け、「よく世話をしてやってくれ」と言って、そのまま、邸内に置いた。顔が美しく、愛敬もあって、巧みな様子は、殿上童と言ってもよさそうである。夜、呼んで、笛を与えて吹かせてみると、田舎臭くなく、たいそう上手に吹いた。四人とも、それぞれとても上手に吹いた。「大変気持ちのいいものだなぁ」と仲忠は思った。舞いもさせてみた。ましてこれは、明け暮れ稽古したので一層上達した。邸内の人々も、「大変趣がございますなぁ」と興じていた。

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