Last Up Date 2000.01.19

日記を物語る 99年12月INDEXホームに戻るピカチュウ語「日記を物語る」             

12月31日(金曜日) 

恒例。1999年私的重大ニュース。@05月26日夜、隣家の火災に遭遇。若干罹災する。全焼七軒類焼七軒。年末まで補償交渉に奔走するも越年となる。{関連記事。写真中央は消化活動中の僕。}A二冊目となる高等学校国語科用検定教科書の刊行なる。今年も指導書類の執筆・校閲に追われ、恒常的に締め切りを守れない状態となる。B新規出講の二大学{清泉女子大学・東京成徳大学}で、いきなり責任の重い、必修・教職科目を担当、情熱を傾注する。C身辺の周囲の生活が激変、じしん大きな転機にあることを実感する。

今年もまた一年間ありがとうござました。年末に懐かしいかぐや姫の歌声も聞けたし、山田パンダさんが楽しそうにウッド・ベースを弾きながらハモっている姿に、ちょっと目頭が熱くなったりして、激動の1999年は暮れて行きました。新しい年こそ幸多かれと祈っています。


12月01日(水曜日) 

清泉女子大学。 一号館に飾られたキリスト生誕のミニチュア。いよいよ学年末となり、レポートなどあれこれと指示する。でもポイントを押さえてくれず、同じ質問を繰り返したのは頂けませんね。発表は力作ぞろいでした。

 夕方は、東京會舘で角川源義賞贈呈式に出席。神野藤昭夫さんの多彩な人脈でそれこそ豪華キャスト。 佐々木幸綱さん、長谷川龍生さん、神野藤さん、三村友希さん、藤井貞和さんに僕。 特にパーテーの席とラウンジでのささやかな二次会はつかの間の楽しいひとときでした。 これぞまさしく、物語研究会 70'S。若い人もちょっといるけど。 神野藤さん、ありがとう。そしておめでとうございます。

12月02日(木曜日) 22000カウント達成 

東京成徳大学。まだ薄暗いうちに家を出たものの、地元の国道で事故があったらしく国語科教育法の出席者は当初4名。自動車通学が多いためです。ちなみに、清泉はバイクはもちろん自転車通学も禁止されています{島津山は坂がきついからでしょうか}。徐々にそろってきて和やかに終わりました。京成電車の暖房は眠気を誘ってくれますねえ (_)。。。。

12月03日(金曜日) 

青山は卒論前ということで僕としては極めて異例なのですが、本日休講。そこで国文学研究資料館の公開シンポジュウム・第五回、国文学とコンピュータ「21世紀の源氏物語研究」に出席する。河添さんからは、インターネット第二世代として御紹介いただいていました。最後の総合討論では司会の伊藤鉄也さんから御指名の質問。稲賀敬二先生に『校異源氏物語』の成立過程の質問など。これらはいずれ冊子となると思いますので、その際に詳細は御覧ください。

12月04日(土曜日) 

まず所沢の松井公民館で古典に親しむ会。「松風」巻を読了。徒歩で、まず新秋津駅−西国分寺−水道橋経由でカンダパンセ。日本文学協会第一回委員会。これも予想外に早く終わる。二次会例の如し。

帰宅すると、榎本さんから、井野さんとの合同講義{11.26}の写真集を頂戴していました。

左肩にチョークを背負いつつ熱弁をふるう僕。 井野先生の話に耳を傾ける。

クリスマスツリー点火祭。 寒い中、お茶。右端が僕。

12月05日(日曜日) 

いよいよ古代文学会と物語研究会の合同シンポジウム。あらかじめ予想していた参加者の数が的中、胸をなでおろす。 二次会・三次会例の如し。

12月06日(月曜日) 

榎本さんにデジカメ写真をROMに焼き付けていただく。せっかくソフトもお借りしたのに、うまく行かず何もかもお世話になってしまっています。

12月07日(火曜日) 

今年最後の國學院での『うつほ物語』の会に参加。「蔵開」下巻の後半部にある藤原兼雅の妻妾との和歌の贈答には、「まつ」をキーワードとして、『伊勢物語』の「春や昔の」の歌と『竹取物語』の「年をへて」の歌とが取りこまれていることが判りました{と僕は思います}。なんだか一年早かったですね。と室伏先生とお話しました。

12月08日(水曜日) 

清泉女子大学。『うつほ物語』の仲忠・涼優劣論争の報告は秀逸。こうした才能に出会えたことに感謝。『源氏物語』も一年生ながら、よく調べたものでした。

12月09日(木曜日) 

東京成徳。国語科教育法は3000字スピーチを始めました。なかなかほのぼのとしたものが多いのですが、みんなが消極的なため公開は見合わせます。『伊勢物語』は東下り章段がやっと終わったところであと三回しかなくなってしまいました。一気に「狩の使」章段へと展開させなければ。

12月10日(金曜日) 

今日は朝から不愉快な出来事に遭遇してしまう。青山に向かう車の中、セルフマインドコントロールを試みて、教壇に立ったときにはなんとか平静な心境で『源氏物語』の第二部の紫の上、第三部の浮舟の選択を話し終える。ところが、この講義は僕なりに考えてみると、今まで大学でした数百回の講義の中でも、かなり完成度が高かったかもしれません。深夜、例の火事の火元の長男と、補償交渉の最終的な合意が成立しました。さっさと寝て明日は明日だ!!

12月11日(土曜日) 

放送大学千葉学習センターで後期三回目の講義に出かける。夕方、04時限目は18:15ということで、15:30には家を立ち、首都高速は高島平から。ところが、護国寺あたりから大渋滞で、箱崎を抜けるのに40分を要してしまう。湾岸道路に出た頃には日もとっぷりと暮れていて、ハイウェイの美しい夜景を眺めながら習志野・幕張インターで降りる。17:30。本日の講義は「紫式部と『源氏物語』」。彼女の生い立ちと日記をたどりながら、当時の時代背景を話していたらあっという間の02時間15分は終わっていました。帰りは節約して環状七号道路で。所用時間は約三時間。やはり高速道路は時間と心の癒しをお金で買うものなんですね。和泉式部に関する質問が三つ宿題になったけれど、これは明日にしましょう。

12月12日(日曜日) 

放送大学千葉学習センター。本日は一時限目からで10:00から。日曜日の早朝で交通量も少ないだろうと計算して、08:10に家を立つ。首都高速・高島平から湾岸道路の千鳥町までわずか30分で通過。早く着いて和泉式部に関する質問を予習する。「絵画史の中の『源氏物語』」と「『源氏物語』の女性達」をのべ04時間30分。質問を受け付けるとすべてのメニューがこなせないくらい手が上がる。講義と質問時間のバランスが課題となりました。熱心な受講生の多かった千葉学習センターですが、来年は再び東京第二学習センターに復帰することになっています。

12月13日(月曜日) 

終日辞書を書く。なにしろ風邪やらなにやらで締め切りから遅れに遅れています。夕方は水泳。プールサイドは人気も無く、これは最高の気分でした。

12月14日(火曜日) 

お歳暮の商品券で瀬戸内寂聴《訳・解説》「『源氏物語』ビデオ絵巻 全4巻」(講談社.1999.11.\12800)を購入しました。画面はハイビジョン撮影で、殿舎のみならず、藤や夕顔の映像も美しい。瀬戸内さんの解説は例の如し。また原文の音読に関しては、現在の語誌の研究成果があまり踏まえられていないのが気になりました。辞書も書き終えて深夜に投函。二週間も締め切りを引っ張ってしまいました。反省。

12月15日(水曜日) 

清泉女子大学。演習の発表はすべて完了。最後にこの四月にしたのと同じ質問を回答していただきました。@大学に何をもとめているか。A私にとって文学とは何か。B四月以降読んだ本C印象に残った発表Dこの演習に関する提言・感想Eその他。でした。今年、清泉を揺るがせた事件に言及した学生さんもありましたが、図書館の開館時間の延長などは申しあげてみましょう。やはり女子大は先生が若くてエネルギッシュ、かつ学生さんが話し掛けやすい先生であることが必要のようですね。

12月16日(木曜日) 

東京成徳大学。朝、04時50分に目覚める。原稿整理など。三時限目の「中古文学」の「『伊勢物語』の世界」はようやく49段の「若草」の歌と100段の「つくも髪」の歌まで。レポ−トを提出していただきました。今年の大学出講は青山あとひとつになりました。

時事通信によれば、「テレビ朝日は16日、同局の報道番組「ニュースステーション」のメーンキャスターで、10月から休養していた久米宏さん(55)が、来年01月04日から番組に復帰すると発表した。コメンテーターは、朝日新聞の清水建宇(52)、萩谷順(51)両編集委員が務める」との記事。萩谷さんは僕の恩師 〈萩谷 朴先生 1999.11.29撮影〉の三男。毎晩、大学院時代の勉強修行の夢を見そうな気がしてきました。 

12月17日(金曜日) 23000カウント達成  

青山学院。短期大学の二年間は充実したものであったのか?。文学史で、『更級日記』の菅原孝標娘が上京した後、ゆかしき『源氏の物語』を探し求めていた姿に、地方出身者の僕{なんか恥ずかしいっすね}は、渋谷から青山通りを抜けて講義を受けに来る彼女たちに、孝標娘とおなじような心情を重ねてしまいます。それにしても、クリスマスツリーを背に、冬枯れのメインストリートから家路を急ぐみんなのコート姿は、ほんとうにおしゃれですね。講義終了後、僕のためにファッションアドバイスをしてくれた学生さんのことを{よほど気になったんでしょうね}、ふと思い出したりしながら帰宅しました。

12月18日(土曜日) 

明治大学のリバテイタワーで物語研究会例会。井野さんの「薫の恋の基底」に、僕と浅尾広良さんで日向一雅さんの『源氏物語の準拠と話型』の合評会。浅尾さんのレポートは、詳細かつ広範に著者の意図を概括・展望したもので、著者にも満足頂けたようです。僕のは「保守回帰、もしくは逆襲の言説−日向源氏学の現在」としたものだから、「保守回帰」が引っかかったようですが、この会の慣わしによってご了解頂けたものと思います。二次会、三次会例の如し。次期事務局の方向性も固まったし、これで安心です。

12月19日(日曜日) 

阿佐ヶ谷の余明民族音楽研究所に行き、作曲家の高橋悠治さん所蔵の七絃琴を無償永久貸与のかたちでお預かりし、さっそく余明先生に「挑」「勾」の奏法を伝授していただく。今年は年末の最後にいいことがありました。午後は仲間内の勉強会。テキストはスピバックの『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房)。僕はもちろんスピバックは語ることが出来ませんでした。二次会は友人のささやかなお祝い。こんな日曜日もいいかな。

12月20日(月曜日) 

国文学研究資料館で共同研究。『うつほ物語』と歌枕・和歌に関するレポートを聞く。今年は予算が少なく報告書が作れないのは残念ですが、せっかくのチャンスですから、出来るだけさまざまな情報を共有したいものです。

12月21日(火曜日) 

七絃琴 練習のため、楽譜を神田の内山書店に探しに行きましたが、品切れ。これは困りました。夕方は無人に近いプールで水泳をしました。

12月22日(水曜日) 

完全オフ。教科書関係の校正が残っているから、明日は頑張ろう。

12月23日(木曜日) 

近所に五月の火災で全焼し、その後売却され建売住宅になっている家があります。先々週から看板が並んでいたのが取り払われたので売れたのかなあと思っていたら、年末であることと、事故物件に隣接していると言うことでまだ売れていないとのことでした。つまり、「売り出し中」の看板をずっと掲げておくと商品価値が落ちるとの判断から、まめに掲示したりはずしたりしているようです。勝負を春の転勤シーズーンに賭けているという“噂”ですが、どうなることやら。ちょっと{本当はカナリ}注目しています。

12月24日(金曜日) 

巷では90年代最後と連呼していますが、精確には違うよなあ、と思いつつ。。。。メリー・クリスマス。

12月25日(土曜日) 

ほぼ年賀状を出し終える。吉永小百合主演の「伊豆の踊り子」を録画する。夕方は水泳。本日これまで。

12月26日(日曜日) 

角川の教科書に付帯する生徒用問題集などの校正ゲラがはかどらず、清瀬にある喫茶店「玄」に向かう。大学の同級生・大槻君の店です。落ち着いた雰囲気に加えて、特大のコーヒーカップにブレンドをたっぷり入れてくれました。辞書を片手になんとか校正を終える。問題数が全体に少なめな先生、今度お願いすることがあったなら、削るくらい問題考えてくれい。

12月27日(月曜日) 

年内の仕事を総て終える。夕方と言うより夜に水泳。久方ぶりに神野藤さんの力泳に出会いました。

12月28日(火曜日) 

この正月は角川文庫で宇治十帖でも読もうかなあと思い、テーブルに三冊並べました。

12月29日(水曜日) 

中学生の頃よく聴いていた、伝説のフォーク・グループ、かぐや姫の世界なるページを見つけました。僕よりやや年長の方が運営しているようですね。青山通りを渋谷に抜けるとき、山田パンダさんの奥さん経営の帽子屋さんがあって、その後の消息を知りたいとも思っていましたが、このページですべて疑問は氷解{パンダさん本人提供の最近の写真もあるし、その後の活動もよくわかりました}。明後日の紅白は夜十時過ぎに登場することまで判明。懐かしいなあ。三日連続のプールはいよいよさびしくなってきました。

12月30日(木曜日) 

所沢インターを14:13に入り、15:46に佐久インターを通過。所用時間01時間31分は下り{実際は浅間山の麓への登りなのだが}における新記録だと思います。ちなみに僕の家から実家までは、愛車のメーターによれば149kmでした{平均時速は計算しないでください}。明日までに今年の三大ニュース 考えておきましょう。では僕のパソコンが稼動したときにはまた明日。


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