角川学芸出版よりの御案内/ 新編国歌大観 CD-ROM版 Ver.2 /現ユーザーの取り替え特価期間は2003年12月までです。


Last Up Date 2003.12.01          

日記を物語る 2003年11月INDEXホームに戻る             


11月28日(金曜日) Special Thanks 145,000 Hits

曇天時々雨。明治大学の「論文演習」もあとわずか。尋ねられるままに自らの来し方と大学社会を話していたら時間があっと言う間に過ぎていました。移動して青山学院女子短期大学は「演習」の「幻」巻末と「柏木」巻末の諸註集成を学ぶことが出来ました。自由発表は「遊び」。教材提示装置がフル稼働。中村義雄先生の描いた『全講枕草子』(至文堂)の「図録篇」をじっくり堪能しました。「講読」は「手習」巻の浮舟物語。テキストの僕の論文を解説しつつ、出家の手順を丁寧に追ってみました。5時から予報された雨を避けて、青学講堂でクリスマスツリー点火祭。ホール超満員の中、厳粛な儀式に参加しました。さらに移動して慶応で『小右記』の会。至れり尽くせりのレジュメに加えて強い思い入れがあることが参加者に充実感を与えたものと思います。二次会はいつもの中国飯店で。僕の誕生日にケーキまで出され、照明を落としてハッピーバースディーを唄ってくださった店のみなさんとメンバーに感謝。それにしても恥ずかしかったっす。。。

我らが米子の名士・原豊二さんが読売新聞・米子版に登場。あんまり頑張りすぎて妬まれないかと心配になるほどの大活躍です。

11月29日(土曜日)

雨。日本大学国文学科主催の研究集会「平安文学の冬」へ。駅で講演者のお一人と偶然遭遇、文理学部は初めてとのことで会場まで御一緒する。内容はとても充実しており、講演会とはかくあるべしというモデルケースを提示していただいたように思います。懇親会も専任スタッフ・大学院生のみなさんに暖かく迎えていただき恐縮。ありがとうございました。

11月30日(日曜日)

曇天時々雨。深夜のNHKアーカイブスに、ノーベル文学賞受賞決定の翌日の川端康成・伊藤整・三島由紀夫の対談が放映されていました。以前、学生時代大和市に住んでいた弟と、相鉄線に乗って神奈川近代文学館の川端展に行き、このビデオを見たことがある。それからでも約二十年ぶりの視聴となりました。


11月01日(土曜日)

所沢の松井公民館で「古典に親しむ会」『源氏物語』「常夏」巻。光源氏が玉鬘に和琴を教える辺り。話をどのように広げ、どのように絞り込むか。話すことには常に課題がありますね。

11月02日(日曜日)

快晴。埼玉・茨城へ小旅行の一日。まず、大宮で埼玉県立博物館で「平林寺」展。身近にあるお寺で、早朝6時の鐘の音も聞こえるのに、どんなお寺かもよく知らず、その全容を改めて知る。埼玉北西部へと向かい、茨城県古河市へ。市内の古河総合公園、長谷寺と回り、古河歴史博物館へ。ここで黒板先生と合流、さらに鷹見泉石の邸、そして、永井路子展開催中の古河文学館へ。ここで永井先生とも合流して、展示物の解説をしていただく。一般の来館者もびっくりしつつ本当に喜んでおられた様子。直木賞受賞時の、満面笑みの黒板先生と、永井先生のツーショット写真が目に焼き付きました。さらに、復原された永井家まで先生を車にお乗せすることになり、洗車もしなかったことを深く後悔するも、黒板先生からお話があったらしく、先生からいろいろとお話しいただく。先生の生家も立派な家でした。帰りも古河駅までお送りし、いつまでも御夫妻で手を振っておられた姿を目に焼き付けつつ帰宅しました。「永井路子展」のサイン入り図録は家宝となることでしょう。

11月03日(月曜日)

雨。夕方ジムに行った他は、終日、机に向う。筆を休めて開いた「永井路子展」図録の巻頭から引用します。「歴史小説を志したのは敗戦の体験からである。歴史とは何か。人間とは何か。歴史小説とは歴史現象としての人間を描くことだ、と思い続けて、歴史の素肌を剥ぎ取る思いで、永井路子は書き続け、そして年老いた。」(ためらいつつも、いま……)より。

11月04日(火曜日)

曇天。夕方、ジムの他は終日机に向かう。『うつほ物語』論。今月はこの物語で二つ書きます。

11月05日(水曜日)

曇天から夜は雨。原稿を送信して、新潟に向かう。最後の小論文指導。終わった後は名残惜しく、いろいろな話をしてくれました。校門まで担当の先生と生徒さんが見送りと言う栄に浴す。きっとよい結果が出るでしょう。

11月06日(木曜日)

雨のち晴。月曜日の振り替えで明治大学へ。「国語」は「それから」。「論文演習」はレポート未提出者にのみ出席義務を課したけれど、何人か出てきてくれたので、のんびりとランチ。たまには良いでしょう。お昼休みを利用して、CALLシステムなる新時代の視聴覚システムのプレゼンテーションに顔を出す。英語学習用には適しているけれど、日本語学習のシステムとしては手動式採点しか方法はないようです。ただし、テスト・出欠の管理や板書の保存と再加工は便利。いくつかの業者を招いて先生方の反応のよいものから新校舎に導入のようです。

11月07日(金曜日)

曇天のち晴。明治大学。「論文演習」は「手紙を書く」。紅葉の欅並木が照り映える表参道が美しい。青山学院女子短期大学は「演習」の「幻」巻がちょっと戻って「橘=昔の人」の歌の条。お香は本文にある「村雨」にちなんで「時雨」を用意していったけれど「橘」の方がよかったかと後悔する。マッチした写真も見つかりスクリーンにもよく映えていました。「講読」は浮舟の入水まで。作者の筆が乗っているのが分かります。日が落ちるのが早くなってきました。

11月08日(土曜日)

午前中は吉祥寺で仕事。午後は、机に向かって原稿書き。今月は週末がすべて潰れているので時間を有効に使わないといけません。

11月09日(日曜日)

曇天のち雨。東京都立大学で日本文学協会第58回大会へ。「各部門のエース投入」(運営委員の方の談)のせいか昨年より人も多く、「鹿鳴館の舞踏会」(「日本文学」4月号参照)では決してありませんでした。折しもこの都立大学、都知事による人文つぶしの標的になっており、緊急アピールがなされるなどかなり緊迫した雰囲気。気の毒なのは行き場の見えない院生たち。トップダウンとは強権発動のことであると痛感しました。

11月10日(月曜日)

雨。明治大学。「国語」は「それから」最終回。『漱石全注釈/8/それから』と『漱石研究』で予習して臨みました。何人かに感想を求めたけれども、恋愛観・時代相に関する違和感、女性の社会的地位が低いなどの意見も出た他「いまいちよくわかりません」など、日本語にはなっていない解答もありました。「いまいち分からないなら、だいたいは分かったんだろう?分かったところを答えなさい。」常套句で逃げようとする人は出席不要。「論文演習」は「手紙を書く」。「愛と死をみつめて」を見る。今なら携帯写メールで済まされるところ、便箋に封筒、質屋で電車代を作ったり、寮の共同電話など時代の変遷を実感できました。三島由紀夫の書簡も読んで勉強したから、来週は実際に無地のB4テスト用紙に書いた「手紙」を持ち寄っていただきます。

帰宅すると、大阪大学の和田美香さんから「詞林/34」(大阪大学古代中世文学研究会.2003.10)を頂戴しました。和田さんの論文は「光源氏の《琴の琴》 第一部における」。《琴》に桐壺聖代の過往を繋ぐ機能を論じたもの。僕の単行本所収論文も将来加筆修正して体系化する予定です。ありがとうございました。ところで、僕の《琴》の師匠は未だ上海から帰った来ず。十二楽坊の大学の先輩だからでしょうか。秋韻もまた蕭条としたよい音色です。

11月11日(火曜日)

雨。終日『うつほ物語』。昼間は寒さに震えながら原稿を書き、夜は渋谷で『うつほ』の会。「国譲」上巻読了しました。

11月12日(月曜日)

久方ぶりの快晴。日本雅楽会の2003年公演鑑賞のため半蔵門の国立劇場へ。席は最前列中央で、演奏者の手つきまでつぶさに勉強できました。演目は第一部・管弦が「黄鐘調音取」「千秋楽」「越天楽」、第二部・舞楽が「振鉾(えんぶ)」「北庭楽」「延喜楽」「還城楽」「長慶子」でした。中でも「還城楽」の舞人の裲襠装束が美しく、所作も見事な物でした。ただ、とぐろを巻いた蛇があまりに舞台に近い席だったため、頭しか見えなかったのだけが残念といえば残念でした。また来年都合をつけて駆けつけましょう。

後藤祥子先生より『源氏物語解釈と鑑賞の基礎知識/総角』(至文堂.2003.11)を頂戴しました。研究会・仕事先でお世話になっているみなさんの労作です。そう言えば、夏の研究会(蔵開の会)で、締め切りと自分の勉強のバランスが話題となった、その本ですね。宇治の物語の人物関係は、複雑な力学を上手に解説することが難しい。大いに勉強して講義に活用させていただきます。

11月13日(木曜日)

快晴。原稿を擱筆。タイトルは「『うつほ物語』の本文批判」、先の『うつほ』の会の校勘表を利用して論じました。

11月14日(金曜日)

晴。明治大学。「論文演習」は「手紙を書く」来週実作です。代々木公園あたりの風は冷たくて心地よい。青山学院女子短期大学は「演習」の「幻」巻が「文」を焼く場面。自由研究も「源氏物語の手紙」と来てよくまとまった内容。「文」は人気のあるテーマのようです。「講読」は「蜻蛉」の巻。『蜻蛉日記』の話をして《かげろふ》の意味について考えてみました。夜は慶応で「小右記の会」。来年出版予定の『長和四年』のモデルも出来ていました。一太郎の編集機能はたいしたもの。黒板先生を聖路加のお宅までお送りして充実した一日となりました。

11月15日(土曜日) Special Thanks 143,000 Hits

曇りのち雨。渋谷の青山学院大学で物語研究会。発表と書評の二本立て。入試繁忙期にも関わらずいつもと遜色ない数の人たちが見え、熱い激論もあり《懐かしい。。。》、元気の出る会でした。雨の吉祥寺、大泉学園を駆け抜ける深夜バスには様々な人生模様があるらしい。

11月16日(日曜日)

快晴。少し原稿を書いた他は気分転換のための一日。明日から数日が年に一度の締め切りに当たり、最も緊張を要する日々だからです。

11月17日(月曜日)

快晴。明治大学。「国語」は古典文学史などの基礎教養に「終戦の詔勅」の漢語を読む。後者は期末試験に出題します。さらに映画「Mishima」。夏の課題図書に猪瀬直樹の『ペルソナ』を読んだ人は分かるのでしょうが、かなり複雑な構成なので内容理解は注意を要します。「論文演習」は「手紙を書く」。字の丁寧さなど取り組みの意欲が格差にはっきりと見えました。次回からは「研究調査報告」。レジュメを用意してプレゼンしていただきます。いかなるメディアにも対応している最新鋭教室なのでビジュアルに勝負してください。僕は、プレゼンのモデルに「有栖川宮熾仁−皇女和宮」の人生を7分で(実際は7分06秒だった由)。偽物との違いもお分かりいただけたでしょうか。

11月18日(火曜日)

快晴。終日机に向かう。気晴らしに出かけた池袋西武で、サイン会の有森裕子さんを目撃しました。

11月19日(水曜日)

快晴。山梨県南アルプス市内の高校で進路講話。四月に市町村合併で南巨摩郡から街の名が変更になったため、出席表の資料請求希望者の住所欄も、旧市街地名や「南巨摩郡南アルプス市」など新旧地名の混在などが散見され、まだ混乱しているようでした。話の方は二年生と言うことで受験のためのあれこれを。おおよそ僕のメッセージも伝わったかと思います。仕事を終えて大急ぎで山梨県立文学館に向かい、「文士の友情/芥川龍之介と菊池寛・久米正雄」展へ。閉館間際までじっくり展示を眺めました。図録も充実していましたが、担当の方から「来年は樋口一葉展ですから、丸一日空けておいで下さい」と声をかけていただきました。

11月20日(木曜日)

雨。原稿はまだあるけれど二、三日お休み。それにしても寒くなりました。風邪に気をつけましょう。

11月21日(金曜日)

快晴。明治大学。「論文演習」「手紙を書く」は最終回。改まった文面に口語が混じるのはいけません。移動して青山学院女子短期大学は「演習」の「幻」巻がいよいよクライマックス。年中行事をまとめてくれたのはよい整理となりました。「講読」は「蜻蛉」巻の女一の宮物語。この物語にも興味を持ってくれたようです。本日、法科大学院の設置認可が各大学に出されたようですが、「不可」が四大学もあることに驚く。移籍予定の先生とか建築中の校舎はどうするんでしょう?

11月22日(土曜日)

快晴。白百合で『浜松中納言物語』巻一の注釈。「未央宮」の典拠はやはり「長恨歌」とその周辺であったようですね。

11月23日(日曜日)

快晴。池袋で年一回の萩谷先生を囲む会・赤堤会。ちなみに池田亀鑑門下の集まりは先生の命名で「桐葉会」と言うのだそうです。学問を継続している人は御教示も頂戴できますが、地元に戻っているみなさんは貴重な機会となります。今年は、戦争中に家族に宛てて届けられた彩色も美しい絵葉書を影印復刻した『海上六〇〇〇キロの花だより スマトラから愛をこめて ボク一等兵』(赤堤会編)を上梓して会に花を添えました。先生から「君から見た萩谷と言う男をみんなに話してくれよ」とお言葉を頂戴しましたが、これは機会を逸したのでまた来年の宿題に。

11月24日(月曜日) Special Thanks 144,000 Hits

曇天終日寒し。こういう日は静かに時を過ごすのがなにより。

11月25日(火曜日)

どしゃぶり終日寒し。國學院で『うつほ物語』「国譲」中巻巻頭。三条邸の結構が気になりました。

11月26日(水曜日)

快晴。新潟市内の高校で進路講話。紅葉も見頃をやや過ぎつつある感じの田舎道に聳える一学年四クラスの小さな学校。終了後の報告会に顔を揃えた担任の先生方がみなさん若いのにびっくり。この県だけは超氷河期のここ七八年も教員採用試験が毎年行われていたと言う証明ですから。二年生には勉強のよいきっかけになればと思います。

帰宅すると研究会事務局(個人名)より次期事務局案が寄せられ、重要ポストの次期編集長に僕を据える話と抱き合わせで意見を募ると言う内容にただ驚く。問題の核心は、事務局そのものがひとりだけでは運営できず、仲間の献身的な協力がなければ立ちゆかないと言うこと。組閣も危ういような案では編集長どころではないので、もちろん白紙をお願いし、案そのものも再考を要請しました。ただ文面にあるとおり、会の「再生」に関しては当然真剣に考え、尽力するのにやぶさかではないが、これではダメだと言うことです。

11月27日(木曜日)

曇天。溜まった礼状を書き、夕方ジムへ。自分で約束した原稿の締切が今月末ですが、これはちょっと遅れます。


INDEXホームに戻る