Last Up Date 2003.06.01          

日記を物語る 2003年05月INDEXホームに戻る             


05月28日(水曜日)

快晴。信州中北信地区の高校。昨年秋にも訪れ、再度ご指名に預かる栄に浴しました。大学・短大・専門学校の選び方と小論文の書き方を中心に。「論文の書き方を勉強しなきゃな」と感想を話しかけてくれました。

05月29日(木曜日)

快晴。信州中野インターで降りて、市内の高校で進路講話。僕が作ったレジュメのうち、専門学校の設置条件の法令が改正されたことに抵触する文章があることを担当マネージャーから指摘され、加筆して修正。もっと勉強しないといけませんね。蒸し暑い格技室で80名あまりの生徒さんが熱心に僕の話を聞いてくれました。長野電鉄で長野まで通勤定期で月8000円の手当すら出せない企業もあるとか。県内でも、もっとも就職の厳しい地域であるようです。奨学金の話をするべきだったと反省しながら帰途につきました。

05月30日(金曜日)

快晴。明治大学。そして青山学院女子短期大学へ。演習は「幻」巻の舞台をめぐる輪読と自由発表。講読は弁の尼の昔物語と来て「橋姫」巻は終わり。来週レポートです。さらに移動して慶応で『小右記』長元四年六月条。本文に見える「犬矢」を黒板先生が「犬の糞」のことと指摘されたのは目から鱗が落ちる思いがしました。

05月31日(土曜日)

台風一過の豪雨で乗用車の車内は曇って危険な状態の中、都内を移動。車の運転が疲労の蓄積に拍車をかけています。


05月01日(木曜日)

快晴。長岡でのお仕事を頂戴したものの、先約により失礼しました。夜、筋トレでプロレスラーのように鍛え上げた長淵剛に驚く。週2.3日壊れるほど体をいじめているとのこと。。。僕はやめときます。

05月02日(金曜日)

快晴。明治大学は日常よく使われる故事成語を確認してみました。青山学院女子短期大学に移動して、琴を弾いてみたけれど、今日は指が動かず、不満足な出来。次回にご期待下さい。

05月03日(土曜日)

快晴、初夏のような日差しの中、信州へと向かう。関越自動車道が混んでいるのを横目に一般道を選択したものの、かえって渋滞はこちらの方がひどかった模様。下仁田インターで降りて、荒船山あたりの山桜を眺める。季節が約一月逆戻りした感じのこの地の風が心地よく、小諸の懐古園あたりを散策しました。

またまたの快挙。友人の高城弘一さんが、茨城の旧家に眠っていた西本願寺本三十六人集の内、欠損があることの知られていた、『兼輔集』散逸部分の断簡を発見したとのこと。「読売新聞」夕刊。まずは御覧あれ。

05月04日(日曜日)

快晴。学部三年生の時の林四郎・小林一仁編『文章表現法 解説・資料』(秀英出版・1982改訂版)を取り出してみました。中に数通のレポートが挟まっていて、一つは法哲学者の碧海純一「文化の一部としての法」の人文科学と自然科学とを対比させた要約、もう一つは谷崎の「陰影礼讃」の段落毎の要約でした。そこに朱で「字をきちんと書く」とコメントを入れてくださったのは藤村研究で知られる下山先生。当時は、教職の三年次の必修科目だったようですが、今、このレポートを見る限り、比較的まじめな学生だったようです。

05月05日(月曜日)

本日も快晴。古本屋で諏訪緑先生の『西王母』(小学館、1999)を発見。即購入。よい一日でした。

05月06日(火曜日)

快晴。締め切りの近くなった原稿を書きました。『源氏物語』の巻を間違えて持ってきたため、地元の図書館に行きました。お目当ての本はなかったけれども、戦争中、疎開を兼ねて僕の高校で教鞭を取ったことのある文人・山室静の個人蔵書を収めた「山室静文庫」が出来ていました。また、この春、岡山で行方不明になった姉妹のご両親からの寄贈本『野口英世』も手に取ってみました。

05月07日(水曜日)

快晴。緑陰の佐久から帰省。さあ、仕事です。

05月08日(木曜日)

久方ぶりの雨。宇都宮市内の私立高校へ。全国レベルのスポーツ部がいくつかあり、丸坊主系の男子高校生も熱心にお話を聞いてくれました。半数が東京の大学志向なのは通学圏でもあるからでしょう。

帰宅すると秋山虔・室伏信助先生から『源氏物語の鑑賞と基礎知識』(至文堂、2003年)を頂戴していました。昨年、東海大学で明融本を調査したみなさんを中心に本文に関する最新の論攷が並びました。両先生の学恩に萬謝の念あるのみです。

05月09日(金曜日)

快晴。明治大学は自分史。自己の足跡を確認しています。移動して青山学院女子短期大学。演習は「幻」巻冒頭の諸注集成と、自由発表のプレゼンを僕自身がしてみました。『別冊太陽 源氏物語の色』を教材提示装置で示しながら、女楽の衣裳を解説。感想を書いていただきましたが、随分興味を持ってくれたもようです。来週は図書館、情報関係のガイダンス。講読は第二部論を「若菜」下巻まで。来週から宇治十帖に入ります。終わってから、青山スパイラルで、某渋谷系のプレースポットで予定されているイベントの打ち合わせ。企画決定の折には逐次ご案内することになるでしょう。

帰宅すると佐藤信一・正道寺康子ご両人から『源順漢詩文集』(私家版、2003年)を頂戴していました。本文集成・索引・文献目録の整備された必備の基本図書となりました。萬謝。

05月10日(土曜日)

快晴。明治のリバティータワーで中古文学会。たくさんの方に声をかけて頂き、抜き刷りもたくさん頂戴しました。何よりどの発表も充実していたことが印象的です。

05月11日(日曜日)

快晴。中古文学会二日目。野村精一先生から「あなたに読んで欲しい」と「ふたたび、なぜ、いま、さごろも、か? 続『源氏物語』研究史の戦後」(「実践国文学」/62.2002.10)を頂戴しました。大変光栄です。ただし、たいへん厳しいご批判と拝しました。また、細木郁代先生から頂いた『源氏幻想 王朝の影絵』(書肆フローラ/2003)は稀にみる美本です。ありがとうこざいました。

05月12日(月曜日)

小雨模様の朝。明治大学和泉校舎へ。「国語」は『春は馬車に乗って』を読了。五島美術館のレポートを楽しく読ませ頂きます。「論文演習」は自分史。いろいろな人生の軌跡があるんですね。夕方、久方ぶりにジムに行く。帰宅して開いた新聞で、石田穣二先生の訃報を知る。文献学の先達の偉業を偲びました。

05月13日(火曜日) Special Thanks 125,000 Hits

快晴。締め切りの原稿も昨日投函して、ひと安心。季節の変わり目と土日の学会故か、疲労が蓄積しており、仕事の合間に帰宅して横になるだけで随分違いますね。

05月14日(水曜日)

快晴の一日、宮城県最南端の高校へ。福島から出ている阿武隈急行で一時間程度かかるという。体育館の就職ガイダンスは満員とのことでしたが、大学・短大は八名の生徒さんが僕を迎えてくれました。訛を気にする純朴な古き良き日本人の高校生がそこにはいました。時間がたっぷりあったので、後半15分は個別に話を聞く。評定が5.0 という奇跡的な成績の人は国立推薦希望とのこと。「こんな凄い人には初めて会えました。握手してください」。。

05月15日(木曜日)

雨の肌寒い一日。今日が休みで良かったと思われるほどの疲労蓄積状態。五島美術館のレポートなどをチェックしたあと水泳に。そんな折、原岡文子さんより、装丁もこれほど美麗な研究書のあったものかと思われる、『源氏物語の人物と表現 その両義的展開』(翰林書房、2003.05)を頂戴しました。名著の誉れ高い前著『両義の糸』を基幹として、以降の論文を収めておおよそ論文数も倍増の巨編となりました。感銘を受けた一節を書き出しておきます。「もとよりささやかな本書の試みは、幾ばくの時も隔てずして忘れ去られ、跡形もなく消え去ろう。けれども乗り越えられ、踏み固められた研究史という地面の底深く本書もまた眠っていると考える時、静かな充足が胸に広がるのを禁じ得ない。(あとがき)684頁」。ありがとうこざいました。

05月16日(金曜日)

小雨の明治大学。出席にはかなり厳しいはずですが、この時間は再履修の三、四年生ばかりで、正規の受講学年のはずの二年生は一人だけ。やはり、かの「履修王」による最楽勝課目認定の宣伝効果?かも知れません。ちなみに月曜二時限目は全員二年生なので念のため。移動して青山学院女子短期大学へ。演習は図書館ガイダンス。丁寧に解説していただきました。情報系は僕が技術的なことだけ。国文学研究資料館の論文検索の方法とウェブ上から電子テキストをコピー+ペーストの仕方まで。なんでもないことのように思っていましたが、みなさんその手際に感動してくれたようです。講読は宇治十帖「橋姫」巻。宇治八の宮家の来歴から薫の垣間見まで。音読はだんだん上手になりますよ。

05月17日(土曜日)

今日も小雨の中物語研究会のため日大文理学部へ。今月も新しい方多数。十年前とは隔世の感がありますね。発表は二本とも力作で、質問も絶えず、先の学会と違って心ゆくまで質疑応答ができたのではないでしょうか?。届けられた『会報』も楽しく真摯なものばかりで、次号のつもりで見送った執筆が悔やまれる。ただ、東原さん執筆の一文に、例の学術団体登録の際、「会を去った仲間がいた」と書かれていますが、それは何らかの事実誤認ですので、念のため。

05月18日(日曜日)

先日、りそな銀行に入金しようとしたら口座名が分からず、Webで確認したところ、自分の口座は埼玉りそな銀行であったことをはじめて知る。ダイレクトメールに紛れて通知を処分したとしか考えられませんが、おそらくそれも来ていなかったように思います。本当に大丈夫なのでしょうか。

05月19日(月曜日)

雨。明治大学。「国語」は定着率50l以上の外来語を試験。「ディサービス」を「ティサービス」と答えそうになった人には、さすがにアドバイスしてしまいました。映画『伊豆の踊子』を見る。でも最後の時間には劣化したビデオゆえか、テープが切れて急遽次節の谷崎に変更。たまにはこんなこともありますよ。「論文演習」は自分史。照れもあって簡略なのもよいでしょう。

05月20日(火曜日)

昼過ぎからまた雨。午後からは埼玉県最北端の高校へ。新人研修で僕の話を聞きに見えた地元の予備校を経営する先生から、このあたりは小中学校が学級崩壊のため、保護者同伴で授業が行われていること、それでも効果がなく私塾が栄えているという話をお聞きする。実際、ややそうした兆候が見えたものの、大部分の生徒さんは真剣に話を聞いてくれました。途中、立正大学熊谷キャンパスの脇を通ったので、寄り道してみる。まず目に付いたのは大学内郵便局。僕の母校にもありますが、これはかつて郵政省関係の子弟を優先的に入学させる制度があったことに起因するようです。しかし、母校の方は僕が学部時代に制度が廃止され、現在、関東圏では立正大学にのみ存続している模様。ふと郵政寮取り壊しの光景などが思い起こされました。夕方は渋谷の國學院の『うつほ』の会。ファミリーな雰囲気で、参加者もきっと何かしら得るものがあったでしょう。

05月21日(水曜日)

早朝の雨は上がって快晴となる。上越新幹線・長岡経由で新潟県三条市。本来なら埼玉西地区(所沢方面)担当の社員さんと御一緒に。昨日も新潟発最終の新幹線で帰宅して、夕方は市内の定時制の先生と打ち合わせ。夜は佐渡に渡るという。僕の話は最初の30分だけで、後は国公立四校を含む大学からの説明会。教室を回ってみましたが、そのパッションはどうしても私立の方が優勢のようです。帰りの電車の中で見た、田植え直後の田園風景は懐かしいものでした。ところが、埼京線のトラブルに巻き込まれて戸田公園から蕨へバス便に振り替えとなり、疲労困憊の体となりました。

05月22日(木曜日)

快晴。午後自宅に二時間いただけで電話多数。来週は長野県ツアーと言うことに相成りました。

05月23日(金曜日) Special Thanks 126,000 Hits

曇天。明治大学は自分史終了。青空が広がる表参道を抜けて青山学院女子短期大学。演習は今日から発表。「幻」巻の角川文庫版の二段は最もページ数が多く大変だったろうと思いますがよくがんばってくれました。自由発表は「紫の上の魅力について」。講読は宇治十帖「橋姫」巻。宇治の姉妹の奏でる楽器についての問題点と出典の特定がむつかしい垣間見の場面を詳細に。

05月24日(土曜日)

快晴。所沢市松井公民館で古典に親しむ会『源氏物語』「胡蝶」巻。玉鬘求婚譚の光源氏と玉鬘の、微妙な関係の芽生える辺り。心理の綾が巧みに表現されていますね。

05月25日(日曜日)

快晴。石器ねつ造問題や縄文期の稲作など話題沸騰の日本考古学協会に出席されている角田文衛先生にお会いするため、一橋の学士会館へ。昨年の南波浩先生編『紫式部の方法』(笠間書院、2002)に書いた「ある紫式部伝−本名・香子説再評価のために」が角田説そのものの再評価を促す内容だったため、「溜飲を下げた」先生がお招き下さったわけです。昨年の心臓の手術に加えて、その後、目も悪くされてはいましたが、相変わらず頭脳明晰で、紫式部顕彰会のこと、恩師の故・鍋島直康先生や鍋島先生・高城先生とともにお会いしたこともある東伏見慈ntなど京都大学系国史の先生の想い出話などをよどみなくお話下さいました。また冷泉家時雨亭文庫調査時のマスコミ攻勢、本日核心の紫式部研究史やそれに纏わる学説史に対する御見解など、貴重な話は生涯の栄誉として胸に刻ませていただきます。著作集の『源氏物語』と紫式部に関する論文を増補して、宝蔵館から今秋刊行される予定だそうです。充実した気持ちを持続して『枕草子の会』へ。「集は、歌の題は」の意味をこれでもかと論じ尽くしました。

05月26日(月曜日)

小雨模様の明治大学。「国語」は映画『伊豆の踊子』で新感覚派の文学を了え、来週は単元のまとめのレポート提出です。「論文演習」は自分史を読了。文章添削は次の「時事問題」批評文から本格的に進める予定。

05月27日(火曜日)

夕方、夜半から小雨となる。國學院の『うつほ物語』を読む会。「国譲」上巻。散逸物語『尾張の法師』が消息に用いられて登場する場面。「時知らぬ〜〜」の慣用句として用いられていたようです。その後、中央道で松本へ。トンネル直後の坂道のカーブは苦手です。


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