Last Up Date 2002.06.01          

日記を物語る 2002年05月INDEXホームに戻る             


05月30日(木曜日)

夕方を除いて終日自宅。机に向かってたまった仕事をこなして終わりました。論文の抜き刷りのお礼も溜まってきて気になっています。

05月31日(金曜日)

明治大学。時事問題。検索した新聞記事をコピー、ペーストして批評を書いてもらいます。提出は来週に。やたらと混んだ表参道をなんとか抜けて、青山学院女子短期大学。『古今集』は「仮名序」の編成と特に六歌仙歌人に関する批評性について。夏部を中心に読み進めました。『源氏物語』は、「橋姫」巻。薫るの垣間見と弁の尼の昔物語。いよいよ始まりましたね。夕方は、母校の勉強会へ。


05月01日(水曜日)

朝日新聞で「折々のうた」が再開されましたね。実は僕も大岡信さんの父君(博氏)の参画もあった、老舗の短歌結社の幽霊会員なのです。でも僕を誘ってくださった先生方はすべてお亡くなりになってしまって、幾星霜。その先生の点鬼簿(追悼文)を書かせていたただいたこともありましたが。。ところで、明治大学法学部の「国語・論文演習科目群」は大岡主任時代の編成にかかり、いまだにテキストも大岡信編のものを使用していて、その偉大なる功績を今に知ることが出来ます。

05月02日(木曜日)

風間書房から『平安文学論究 第十六輯』が届きました。『狭衣』が僕のを含めて三本、ほかに『堤中納言』や散逸物語、『風に紅葉』『木幡の時雨』『松陰中納言物語』論などなど。「文献目録」も充実、御高架下さいますように。

05月03日(金曜日)

頃合いを見計らって帰省を敢行するも、横川以降の渋滞が予測されたため、下仁田インターから国道254線経由のルートを利用する。まだ山桜が咲いていました。

05月04日(土曜日)

小諸の懐古園のそばにある蕎麦屋「水車」へ。なんと亀井勝一郎の色紙が飾ってあることに気づきました。そういえば昔、ものけんの大会の帰りがけにここを利用したっけ。由緒正しき店だったのですね。

05月05日(日曜日)

佐久市近代美術館の新蔵美術品展へ。平山郁夫画伯が名誉市民と言うことで、一室は専用のコーナー。「仏教伝来」は若き日の名作として知られています。帰りは小諸の温泉に。露天で千曲川と浅間山を眺めていると、立つのがやっとくらいの男の子になぜか気に入られ、お湯をチャプチャプかけてもらう。いくつかある温泉の中で、ここは景色の眺めが最も良いようです。

05月06日(月曜日)

下仁田経由で順調に帰宅しました。下仁田あたりはほんとうに布袋さんという名字が多いところですね。ポストには「八木書店古書目録・古典籍特輯」(八木書店.2002.05)が届いていました。就中、廿巻本『類聚歌合』のうち学界未発の「○(示+某)子内親王家歌合」の断簡「柏木切」が白眉。『歌合大成』一九〇の根幹本文で三番の二首を確認すると、原本の写しである宮内庁本に異同がないことまで判明しました。桃園文庫(池田亀鑑博士)旧蔵の『花鳥余情』は欲しいけれどとても手が出ません。

05月07日(火曜日)

國學院の『うつほ物語』を読む会の本年度第一回目。「国譲」巻の仲忠の手本のあたり。新学期がようやく本格的に始まりました。

05月08日(水曜日)

蒸し暑いくらいの一日。異常気象で頭脳のメモリーがパンクしかけている人はいませんか。夜、仕事関係の電話多数。僕のうちでも受信回数はおそらく過去最高を記録したことでしょう。

05月09日(木曜日) Thanks 91000 Hits

今年からの新しいこころみで、高校に出向いて進路講話や模擬授業をする仕事で各地を回ることにしました。本日は千葉県松戸市内にある県立高校へ。教頭先生、進路担当の先生と綿密な打ち合わせの後、体育館へ。公立の高校の体育館は、教育実習で母校に入って以来。本日は同僚の先生のサポートでしたが、終了後次回の打ち合わせ、各学年毎の計画など、めまぐるしく一日はあっという間に終えました。東京外環自動車道も八潮市あたりまで工事はかなり進んでいました。

05月10日(金曜日)

明治大学。前回書いた自分史を読む。なかなか力作揃い。それぞれの人生、と言うより、幼少時を振り返る。『僕って、私って何?』ということを考えると言うことでもありますね。雨の表参道を抜けて、青山学院女子短期大学。大学脇の店で「香」を仕入れ、焚いてみることにする。教員室で、紅野さんにお目にかかり、下旬の日本大学総合図書館蔵の展観のお話などを伺う。講義は『古事記』の「天の岩戸」「八俣の大蛇」、音読も上手になりますように。『源氏物語』は、第一部、明石物語の展開について。「香」から立ち上る煙にすこし覚醒されたような気分。雨が降ると、おしゃべりがやたらと気になります。夕方は、慶応で『小右記』を読む。充実した一日となりました。

05月11日(土曜日)

広尾の聖心女子大学で中古文学会春季大会。まず、皇太后(旧・久邇宮家)のお屋敷「パレス」を見学してから、会場へ。広い敷地に驚く。懇親会ではいろいろな先生にお世話になりました。

05月12日(日曜日)

学会二日目。源高明と音楽伝承、『源氏物語』と大江朝綱の話など興味深いテーマに耳を傾ける。終了後は、研究会メンバーで楽しい夜を。そこでの話に触発されて、新しい本の構想も浮上。岡一男博士の名著『源氏物語の基礎的研究』のようなコンセプトを僕なりに考えてみたいと思うようになりました。来年あたり。

05月13日(月曜日)

明治大学。ようやくエンジンがかかってきました。「国語」は『春馬車』。まだ教科書を購入しない不届き者がいますね。困ったもの。「論文」は自分史を読む。ところが最新鋭の機器をそろえたはずのAVー7教室はパソコンだけがリニューアルしておらず、機能が追いつかないことが判明。添削より、助手さんをお呼びした回数の方が多いくらいの大失態。やれやれ。

05月14日(火曜日)

片桐洋一先生の『平安文学五十年』(和泉書院、2002年)を読む。ところどころの刺激的な発言に驚きつつも、大事な指摘は付箋を付して再度読み直しました。中古文学会の質の低下を嘆き、学術団体の発表しか業績と認めない現代の大学事情を先取りして、関西平安文学会を中古文学会関西支部へと衣替えさせた重鎮のひとことひとことが貴重です。関西平安の前身の神戸平安文学会については、「厳しい批判は私が嫌われることをいとわず全部言いました。嫌われながらやっていましたが、率直に言われるのがよかったと最近思い出して感謝されることがあります。本番は厳しかったが、懇親会は楽しかったともよく言われます(114頁)」。これを読むと、かつての物語研究会もこんな雰囲気だったような気がします。片桐氏と同じ内容のことを、後輩の会員にもつい最近申し上げたばかり。ところで、片桐先生、僕の父より一日だけ早く生まれておられるんですよね。

05月15日(水曜日)

「トンネルを抜けると雪国は」初夏の装い。田植えがはじまり、遠方の山々にはまだ雪が残っていました。目的地は新潟の十日町。近隣にある県立高校で進学説明会。のどかな田園風景が一望できる教室で、大学の選び方、勉強の方法など。僕が高校時代に、ビートルズの「イエスタディ」を訳しながら、大学進学のお話をしてくださった先生は、今も現役で全国を飛び回っておいでだという。ぜひ機会を得て再会したいと思っています。電車を待つ間、立ち食い蕎麦屋のお母さんと世間話。待つ間、ひとりしかお客さんがなかったけど。。とんぼ返りして渋谷でもう一仕事をこなす。こんな日もたまにはね。

05月16日(木曜日)

本日も進学説明会の仕事。車で一時間程度の所にある埼玉県内の県立高校へ。同時に大学・短大のみならず、専門学校に至るまで体育館でブースを作って説明会が行われていました。あらかじめ希望を募ったため、出席をお断りした学校もあったようです。近隣の新設大学中心でしたが、人気のあるなしはあまりにもはっきりしていて、手持ち無沙汰の学校の方が気の毒で仕方なかったというのが実感です。

05月17日(金曜日)

明治大学。自分史を読む。スクリーンに何気なく映し出された記述、すなわち、明大付属高校のバレーボール部時代、日本選抜に選ばれて北京に遠征し、はじめて世界の壁を知ったというくだりに驚嘆の声が挙がる。寡黙な性格だけに同級生たちにもあまり知られていなかった模様。曇り空の表参道を抜けて、青山学院女子短期大学。講義は『古事記』の「文化の渡来」「枯野の舟」。合わせて、高麗楽の話に転じ、その代表格である、東儀秀樹の「納曽利」の舞を見る。『源氏物語』は第二部、「女楽」から柏木物語へ。いよいよ、「霧と薫り」の宇治十帖の世界が間近に迫りました。

05月18日(土曜日)

物語研究会のため、日大文理学部へ。新講堂の落成を記念して、上代文学会の五十周年記念大会も開催されており、「上田万年文庫」の閲覧を許され、あわせて目録も頂戴できました。さて、研究会、時は流れて人は変われど、なんだか今日のものけんは、僕がはじめて入った頃のあの何とも言えぬような《熱気》が蘇ってきた感じで、若い仲間の力作発表に触発される。ただし、合い言葉は「質疑応答が優しくなった」。キツいのは僕の質問だけらしく。。。

05月19日(日曜日) Thanks 92000 Hits

大和書房の『源氏物語事典』を頂戴する。かなりのボリュームで読み応えのある事典です。僕の担当は「予言」と「喩」。みなさんもぜひ御高架をお願いしたい。

05月20日(月曜日)

明治大学。一時限目の遅刻に業を煮やして、いきなり思いつきの小テスト。これは効果的のようですね。「論文」は自分史を読む。過去最高の履修者でさすがにすべては読み切れず。

05月21日(火曜日)

佐倉の国立歴史民族博物館へ。今年から着任された先生を研究室にお訪ねする。「文字」資料はレプリカを含めてたいへん充実。古代文字のありようをつぶさに知ることが出来ました。夕方は國學院で『うつほ』実忠物語の輪読。

勉誠出版の『中世王朝物語・御伽草子事典』が届く。執筆陣も若手中心の力作揃い。僕の担当は「音楽・芸能」。これもまたぜひ御高架を。

05月22日(水曜日)

進学説明会の仕事のため、東京湾アクアライン経由で木更津へ。海ほたるの絶景の眺めと潮風はよいのだけれど、通行料金3000円は高すぎる(聞けばこれでも千円値下げしたとのこと。でも道はガラガラでした)。控え室で、千葉の県立校長経験者で、今は専門学校の校長先生に親しくお話しいただく。僕もお世話になった、某大学の学長先生夫子と親しいとのこと。世の中、本当に狭いものです。帰りは高速道路を使わずに三時間。さすがに疲れました。

懐風藻之頁等、関係書籍のページを更新しました。ご覧下さい。

05月23日(木曜日)

水泳を除いて終日自宅。三谷邦明さんの『源氏物語の言説』(翰林書房.2002.05)を読む。ほとんどが、《ものけん》で拝聴した論攷ですから、どこからかその声が響いて来るような。三谷さんには、先日、構想中の本の目次についてアドバイスを頂戴したところ。タイトルは『源氏物語生成論』、『光源氏物語生成論』、どちらにしようか迷っています。論文は十五本程度で約千枚程度でしょうか。

05月24日(金曜日)

明治大学。自分史は今回で読了。あとは敬語について学ぶ。午後はいつもの青山学院女子短期大学。文学史は『古事記』のレポートを受け取り、『古今集』。国風暗黒時代から国風の成立までを、遣唐使を絡めて。「仮名序」はやはり名文ですね。『源氏物語』は、いよいよ「橋姫」巻。ここから先は宇治の物語。

05月25日(土曜日)

日大文理学部の百周年記念講堂で、所蔵古典籍の展観と「交差する書物」なるシンポジュウム。宮内庁書陵部、精神を病んで、中原中也が入院していた時の日記が残る中村古峡の文庫、上田万年文庫にヨーロッパの日本関係の古典籍の話。まさに「書物の交差」の世界を堪能しました。

05月26日(日曜日)

余明先生のスタジオで琴のレッスン。運指法についてしごかれる。午後は『元輔集』の注釈作業。たいへんな知識の集積になりました。

05月27日(月曜日)

明治大学。先週の漢字テストでの成績良好者には、「欠席一回を免除する権利」を進呈する。もちろん、権利を行使するのはむつかいとは思いますが。各クラスの雰囲気もグンと良くなってきました。「論文」は自分史を読むの最終回。来週は時事問題の作文です。空き時間を利用して、徒歩で日大文理の新講堂へ再び出向き、平安の古典籍をつぶさに拝見する。紅野さんが詰めておられ、声をかけてくださいました。それにしても「図録」のCD−ROMは貴重品。横山重の『書物探索』などで著名であり、僕は初対面の《島原本『竹取物語』》は、たいへんな美本であることが分かりました。展観は三十日までだそうです。

05月28日(火曜日)

千葉県木更津市にふたたび遠征。進学説明会に同席した大学の書道の先生に親しく声をかけていただく。今の高校生の進学に対する志向性が手に取るように分かります。のりびりしてはいられない。とんぼ返りして國學院で、『うつほ物語』を読みました。

05月29日(水曜日) Thanks 93000 Hits

栃木県下都賀郡足尾町に出没。ここには以前、日光の帰りに銅山に立ち寄って以来18年ぶり。人口もピーク時の十分の一の3000人まで減少、過疎地指定を受け、学校すら隣の日光の学校と統廃合が囁かれているとのこと。さて、就職ガイダンス担当の先生と待ち合わせの駅は、土砂崩れで電車が普通になっていることが判明、携帯の電波も届かず、無人駅から、唯一の通信手段となった電話ボックスの通常電話で東京本部とやりとりせざるをえず、悪戦苦闘する。学校では進路指導主事の先生がにこやかに迎えてくださいました。生徒数約60名、教員30名という、大学院大学のような編成。進学希望の生徒さんも12名だったので、要望の通り「ひとりひとり語りかけるように」話すことを心掛ける。講話のあとは、個別の相談を受け付ける。脇に控える若い先生方が、心配な生徒にやさしく話しかけながら、質問を促すものの臆して先生を通して僕に質問するような純朴な生徒さんばかり。その昔、教育実習の感想を聞いていたある先生が、「僕も最後は、小さな分校の教師で子供達に囲まれて終わりたいねぇ」と呟いたことを思い出しました。学校の先生の原点が、この街にはありました。        


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