Last Up Date 2000.06.04          

日記を物語る 2000年05月INDEXホームに戻る             


05月30日(火曜日)

元輔集の注釈作業。全体の半分と言うところですが、萩谷先生はとりあえずレギュラーの監修リーダーはお休みしたいとのことでしたので、また僕の車で新宿までお送りしました。いろいろなお話をしていただきました。折に触れて会のご案内は差し上げようと思います。その足で渋谷の國學院で『うつほ物語』の会。今回から「国譲」下巻に入りました。

05月31日(水曜日)

渋谷のNHKホールに22年ぶりに再結成された、かぐや姫のコンサートツアー「かぐや姫BEST DREAMIN」ファィナルに出かけました。客層は僕が若手くらいの大人のコンサートでした。「青山にでっかいビルを建てて、おかしな連中あつめて、自由な自由なお城をつくろうと」「マキシーのために」より。


05月01日(月曜日)

清泉女子大学。古典演習は要領を得た二年生、自主休講多し。『うつほ物語』のあて宮求婚譚・源正頼の政治の一族の物語を概説して、発表方法の希望を取りました。日本中古文学概論は、ようやく平安遷都から国風暗黒時代の文化と藤原摂関体制の確立、さらには他氏の排斥から菅原道真の左遷までを話し終えました。ようやくテキストを読みました。

この大学の第二学生食堂である「ラファエラ食堂」は、連休中のためか、メニューのかなりが品切れ。朝刊の訃報欄で見かけた味噌ラーメンの考案者、「味の三平」店主・大宮守人さんを偲んで、長い行列の末に味噌ラーメンを食しました。窓の外の五月の青空が美しすぎる昼下がりでした。

05月02日(火曜日)

恒例の帰省をすることにしました。もう汗ばむほどの気候の東京{正確には埼玉ですが}から、信州へ。トンネルを抜けると、まだ桜が散り残り位の気候でしょうか。ハイウェーの周囲のあちこちに、桜や桃の花やたんぽぽが咲き乱れていました。

05月03日(水曜日)  32000カウント

快晴。幼稚園から高校まで同級生で、先年、真打に昇進した入船亭某君の家の畑と、僕の家の畑が隣接していたのですが、彼の家で土地を処分して僕の家の畑にその一部が組みこまれたということを聴かされたため、何年振りかで弟とよく遊んだその畑に行ってみました。故郷の風景はやはりどこまでものどかで美しい。

その弟が昨年結婚、春から岡谷に転勤になって半年前から空いている僕らの部屋で、持参した琴を爪弾くと澄んだ音色が広がりました。隣近所に気がねなく弾けるのもいいですね。

05月04日(木曜日)

軽井沢高原文庫に「片山敏彦展」を見に行きました。隣接する堀辰雄の別荘の中にも入って見ました。なかなか機能的に出来ています。

05月05日(金曜日)

午前中に実家を立ち、車を置いてから新宿で新現場論研究会。次回の古代とものけんの合同シンポについて、まさに寝耳に水の事態を聞かされ動揺しました。ただし『古語拾遺』の発表はかつて『竹取物語』でかじったことがあり、記憶がかすかに甦った感じです。

05月06日(土曜日)

所沢の松井公民館は1990年06月02日からスタートしたので、今月でちょうど10年という節目の会となりました。夕顔からリレーしてまだ薄雲の巻の夜居の僧都の奏上のくだりまで。名簿を見ますと10年お付き合いいただいた方が11名もいらっしゃいます。ほんとうに感謝の念に堪えません。10年前の、今より10kg近くも細い、貧乏書生風の僕が映っている写真を持参して、みなさんと過ぎ去り日々を回顧しました。

05月07日(日曜日)

琴はようやく練習曲を卒業して「鳳求凰」という「鳳」が「凰」を求愛するという曲に入りました。恋心をかすかなハーモッニクスで爪弾きながら表現するのは難しいのひとこと。微妙な指の操作におもわず猫背になって、肩こりがこどくなってしまいました。

05月08日(月曜日)

清泉女子大学。早朝に起きて琴の稽古、七時に車に琴を積んで家をでる。まだ誰も居らず静まり返った本館の講師室でもまた稽古。旧島津邸である本館に琴の音色が響き渡ると、廊下を掃除なさっていた方達が手を止めて聞いてくださっていることが判り、かなりの緊張の中でのリハーサルとなりました。東儀秀樹の、篳篥・龍笛{横笛}、笙のことの解説ビデオと僕の琴の解説と演奏など。『うつほ物語』のように僕が絃を爪弾いても、外は快晴、嵐も起こらず、池も静まり返っていました{当たり前か?!}。二時間目の騒がしかった教室も、僕が「ふるさと」を弾き始めると静まり返り、自然と拍手が湧き起こりました。「みなさん、やはり心のやさしい方達ばかりなのですね。ありがとうございます」。

05月09日(火曜日)

夕方、國學院で『うつほ物語』の会。なんと「蔵開」上中下巻を本日読了できました。「内侍のかみ」巻を読み、「沖津白波」巻は飛ばして、それでも都合十年近くかかったことになります。

05月10日(水曜日)

巻頭の「近代国文学の成立」を執筆された、酒井敏・原国人『森鴎外論集 歴史に聞く』{新典社.2000.05.10}を神野藤昭夫さんより頂戴しました。以前、原国人さんからは「舞姫」論を頂戴しており、いろいろ出来る方だなあと思っていましたが、漱石・鴎外や草創期の帝大系国文学者が留学生として渡欧したことに絡めて、「近代国文学の成立」を俯瞰したものです。この神野藤論文がトップに来ると、日本近代黎明期の文明論的な意味合いを帯びてきますね。それにしても、都合65頁を費やして論じられた、この膨大な先行文献{文末に56項目の施注がなされています}への目配りにはただ驚嘆しました。ぜひご一読を。

05月11日(木曜日)

東京成徳大学。連休を挟んだので僕自身が忘れていたのですが、学バスの中まで漢字練習している学生さんがちらほら。そう言えば先週、「来週から漢字テストやります。あと文学史と文法もな。テストは20点満点、前期10回。200点中100点未満の人は、後期は Good Byeだ。」学生「{一斉に}え〜〜。やめて〜〜」。僕「テスト範囲は坂東玉三郎の『養父の教え』と古代の文学史。欠席は零点扱い。健康管理も忘れずに。では来週{うおっ。おれってどうしてこんなに非情になれるんだろ?!}。」という指示を出していたのでした。先週帰りの学バスでも「漢字テスト、超キツイよねえ〜。でも頑張ろうね。先生なりたいもんね〜」という、声を背中に浴びつつ帰宅したのでした。

今をさかのぼる事、16年前、大学三年生だった僕もみなさんと同じように、教科教育法・国語、さらに書道の履修者でした。国語の方は立川高校の元校長で当時・昭和学院短大の専任だった、中村廣徳先生がご担当でした。先生もやはり毎週漢字テストを実施されたのですが、とんでもないやつはいるもので、同県人どうしでテストを見せ合うと言う、Bad Something。先生が激怒したことは記すまでもありませんが、当事者は国に帰って高校教師、もう一人は私立大学職員を経て県立大学職員となっています。ということは、中村先生、単位は出したんですね?!。中村先生と言えば、中学生の研究授業のビデオで、カメラを気にする中学生に「中学生は子供だね〜。かわいいねえ〜」と、にこにこ。パンダのようなたれ目になりながら、解説してくださったことを覚えています。先年、学会にお見えだったと聞きましたが、お元気でしょうか?。

05月12日(金曜日)

明治大学。論文演習は情報処理室で「自分史」を書いていただきました。ワープロソフトを使って文字修飾し、メールのファィル送信までが課題です。確認すると早くも三通は届いていました。02時限目は横光利一の「春馬車」の二回目。大正15年当時の時代背景や、前近代的家族観の生成と崩壊の過程などを話しました。女子学生が頗る元気の良いクラスです。移動して、青山の文学史は「神楽」「東遊」「踏歌」の説明など。演習はいよいよ「柏木はなぜ死んだのか?」の核心に迫る序章を簡単に。発表の順番も決めたし、来週から文献操作などの説明を始めます。

帰宅すると、実践女子大学文芸資料研究所電子叢書T『物語史研究の方法と展望』{1999.10}を頂戴していました{ただし、アンケートに答える義務があり、送料実費 \380円は自己負担です}。論文篇とCD−ROM篇とがあって、後者には実践の山岸徳平文庫を中心とする『狭衣物語』の写真版が多数収められています。僕が、三谷榮一先生の『狭衣物語の研究−伝本系統論篇』{笠間書院.2000}の書評をある雑誌で担当することになったためです。僕が文献研究で常に指針としてきた、故・中田剛直先生と、三谷先生の畢生の著作を研究史的現在として、いかに位置付けるのか?。じっくり勉強させていただきます。

05月13日(土曜日)

大妻女子大学で中古文学会。ふだんお会いできない遠隔地の研究者のみなさんとお話できることも楽しみのひとつです。懇親会では昨年暮れ、国文学研究資料館の「21世紀の『源氏物語』研究」のシンポジュームで質問させていただいた稲賀敬二先生とお話できました。『源氏物語大成索引篇』や『源氏物語事典』を作る時の方針などをお話くださいました。

05月14日(日曜日)

中古文学会二日目。本日は全部『源氏物語』の発表ばかりでした。こうした発表に自身の方法・理論を再確認・再検討することも大切なことです。今日も、内輪で打ち上げをしました。愛知淑徳や広島大の院生のみなさんも新幹線の時間までご一緒できたし、会場校の倉田実さんも合流されて楽しいひとときとなりました。

05月15日(月曜日)

やはり学会翌日はかなり疲れが残っています。その上、一年生の講義は、なぜか騒がしい。対策を講じようと思います。来週の演習のために、図書館で基本図書借り出しの準備をしました。快晴の日中がなぜか激しい夕立に。初夏の気配がやってきました。

05月16日(火曜日)

すべての仕事が再開されたため、疲労が抜けません。今日は完全休養日。

05月17日(水曜日)

所用で立ち寄った新宿区立四谷図書館で僕の本を見つける。いつか中野区立図書館でも所蔵していることを確認できたけれども、どう言う理由で購入してくれたのでしょうか。謎です。

先日頂戴した、松井健児さんの『源氏物語の生活世界』{翰林書房.2000.05}を読む。これは研究史に必読の一冊となるでしょう。

05月18日(木曜日)

東京成徳大学。国語科教育法は僕が『土佐日記』「門出」を20分で授業しました。どうもいねむりがちな生徒の机を蹴り上げる“藝”まで披露してしまいました。「中世文学」は「平安貴族の生活環境」のビデオを見ながら解説。後ろの席の学生に問題があるようで、全員にレポートを提出してもらうことにしました。

05月19日(金曜日)

明治大学。先日学生会館で火事があったため、校門で、ヘルメットにサングラス、口にタオルを巻いたとあるセクトの一群が拡声器でビラをまいていました。なんと懐かしい光景でしょう?!学生さんたちは、何をやっているのか判らない学生もいたようでした。そこで、論文演習では、先の火事の記事を「革労協」で検索してみんなで勉強しました。ある学生さんが、「ビラを配っていたオジさんは学内○○でレジを打っている人です」と教えてくれました?!{I have no comemnt !!!!}。三田誠広のオフィシャルサイトで「僕って何」の梗概を読みました。もちろん、最後は『日本語練習帳』の問題をやっていただきました。二時間目は「春馬車」の時代背景を知るために「映像の20世紀」の1944〜1946年あたりを見ながら、超大国の動静と日本の位置を解説しながら、なぜ横光が「戦争犯罪人」とされてしまったのかを解説したのでした。

もうひと頑張りの青短。昼間に流される校歌は僕も歌えるようになりました。日本文学史は勅撰三漢詩集の詩を読みました。ゆっくりやったのでふたつしか解説できなかったのが残念です。最後の古典演習は、図書館で恒例の資料・データベース活用法のガイダンス。今年も若杉さんが丁寧な資料を作ってくださり、本のみならず、パソコンを駆使しての資料検索法までフルコースで進めていただき、あとは昨年度のレジュメをWebでみんなで見るという仕上げ。そしたら、来週は僕が模擬発表をする順番だったのでした。

05月20日(土曜日)  33000カウント

物語研究会を明治のリバテイタワーで。比較文学の佐藤美弥子さんの『土佐日記』のパロデー性の論に、日向一雅さんの「帚木三帖の諷喩の方法」。藤井貞和さんも五年ぶりにお見えになっていました。課題の古代文学会とのシンポの準備会は、僕主導の有志によるが、会費予算を執行でき、広報も「例会通知」で可能と言う変則的なものになりました。ならば、前回同様の方式で良いではないかと思いますが、信任した会の執行部が会員の話し合いの上で決定したことです。協力者も名乗り出てくれているし、実現の暁にはかならず大・大成功させたいものです。ただ僕の感想と要望を記せば、なにより「自主的で自由な若き研究者の集団」であるはずのものけんが、管理と規制ばかりを強いて、シンポの成果そのものを問うこともなく、これをパワーゲームの一齣にしてしまってはいなかったか、先の議論を聞いていた皆さんの心心に問いたいと思います。

05月21日(日曜日)

日本文学協会の『うつほ物語』を読む会。僕は『うつほ物語』の研究者だと思っている方があるようですが、実際には論文は05本しか書いていません。ただ、最も好きな物語であるということです。今日も気候が急変、繁忙期につき体調の維持にはみなさん気をつけましょう。

05月22日(月曜日)

清泉女子大学。古典演習は僕の模擬発表形式で「<爛柯>の物語史」を解説。中古文学概論はやはりお喋りが多いので座席指定にしました。もちろん、前の席に詰めている熱心な学生さんたちのために、前三列は空けておき、出席確認後の移動は自由です。今年の一年生、出席率は良いのですが、大学生としての大人の判断が出来ない人が多いような気がします。

大人の判断と言うことで言えば、先日のものけんの古代との合同の決定もきちんと問題点を整理して見ると、あきらかにネガティブな発想や圧力の働いていることが判ってきました。荷い手である僕の不徳ももちろんありますが{もちろん委員は僕ひとりではないが}、「自主的で自由な若き研究者の集団」のスローガンはどこに行ってしまったのでしょうか。「若い」ことと「大人げない」ことはイコールではありません。絶えざる若き研究運動体としてのものけんであるならば、じっくり時間をかけて話し合うことで、生産的かつ創造的に、全円的な叡智が結集できるかたちを構築して行かなければなりません。

05月23日(火曜日)

またまた論文の抜き刷りを頂戴していたのでお礼状を書く。当然、読み返しながらになるのですが、こうした場合、葉書にするのを基本としています。考えて見ればメールアドレスを知っているのは内輪の人々に限られますからね。

05月24日(水曜日)

某銀行融資担当者との交渉に神経をすり減らす。それにしても我が家は、通勤至便{車があれば}なのだが、なにせ狭小な家のためなにかと弊害が多いことを痛感させられています。そうした現実を痛感させられたあの火事からあさってで一年、火もとの御遺族から、補償交渉は今月中に動きたいとのファックスが届いていました。今月末、僕はスペシャル忙しいのですが……。

05月25日(木曜日)

東京成徳大学。国語科教育法は三人の先生に授業をしていただきました。課題はたくさんあるけれども、それは次回までの宿題です。「中世文学」は『無名草子』の「文」を読み終わり、小野小町に入りました。今日は、夕方に浦和で仕事があったため、車で移動しました。八千代市から柏インターまで45分、柏から三郷を抜けて浦和まで、高速でわずか30分。空いているときには便利なものなのですね。もちろん移動の電車賃より高速代のほうが安くなっています。

05月26日(金曜日)

明治大学。論文演習は『日本語練習帳』の問題を詳しく解説してから解いてもらいました。役に立つ授業にしたいものです。国語の時間は「春馬車」の本文を読みながら解説。あと一回くらいで次の『刺青』に進みます。

青短。日本文学史は『古今和歌集』の六歌仙の歌を読みました。古典演習は、僕が「柏木」巻の朱雀院の来訪の場面を諸注見渡しながら読みを定めるという、オーソドックスな訓詁注釈の方法を採用して模擬発表。全部注釈に触れていると時間が足りなくなりますね。自由発表の中身は、僕にとってはいつものパターンなので秘密としておきましょう。

05月27日(土曜日)

放送大学第二学習センター。国文学入門U。このセンターには一年ぶりに復帰しました。「『源氏物語』の世界」と題して、一回目は紫式部と『源氏物語』の話。ベースラインからきちんと抑えて話すのは難しいものです。

05月28日(日曜日)

放送大学第二学習センター。国文学入門Uの二日目、第二時間目、三時間目。どうも二時間十五分の感覚がつかめず時間配分に苦労しました。文化史の中の『源氏物語』と絵画史の中の『源氏物語』について。三時間目の冒頭には質問も受け付けました。いろいろな質問がでてこちらも勉強になりました。夕方、琴のレッスンに行きましたが、さすがにこれだけ日程が詰まっているとうまくは弾きこなせません。

05月29日(月曜日)

清泉女子大学。古典演習はやはり僕の模擬発表形式で「楼の上」下巻の現代語訳とその進め方・方法の解説。ひとり約三ページ換算で読み終えることができそうです。中古文学概論は座席指定に手間取る。講義は戦後の『源氏物語』研究史を判りやすく解説したつもり。やはり、六条院の構成秩序などに興味を持ったらしくようやく質問も出始めました。


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