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和泉校舎で過ごした2年間を振り返って

 明治大学へ入学した1999年、それからあっという間に2年間が過ぎようとしています。私の中では大学の授業は面白い、毎日がお祭りのような大学のイメージが存在していたのですが、全く違っていた気がします。大学の授業は面白いと書きましたが、それは何か授業で特別な事を扱う、この授業は生涯で二度と受けることができない、というようなことを私の中で意味します。受験を受ける際のパンフレットには面白そうなことが掲載されていましたが、ほとんどの授業が高校時代と変わりませんでした。しかし、論文演習という授業は私の中で特別な存在です。その理由として先生が私のようなふしだらな人間を、名簿を見ずに名前を呼び、時には先生の中でのくだらないあだ名で呼んでくれたりすることです。和泉校舎での2年間で初めての事であり、とてもうれしい次第です。確かに受講者の人数は少ないのですが、私の中で人間は言葉を話せる能力を持っていますし、それを存分に使わないともったいないという考えがあるからです。名前を呼び合い、会話を繰り返してこそ、そこから親しみや、愛情などの感情が出現すると思います。

今年は外国に旅行をしましたが、その時にこの事を再度思い知らされました。タイに到着し数日間ビザを取得するため数日間足止めを喰らっていた時、ある定食屋に毎日通っていました。最初はそこの人達も旅行をしているただの日本人としてしか扱っていませんでしたが、次第に会話をするようになり、時にはサービスをしてくれるようになりました。そのあとラオス、ベトナムと周り、また何日かしてタイに戻って来た時にそこの定食屋に行ってみると、私達のことを覚えてくれていました。日本に帰る日にもそこに寄りお別れを告げた時、「また来なさい」と言ってくれました。何か恋愛とは違う愛情を感じた事を覚えています。

普段使用しない言葉という壁に立ち向かい、片言にも達しない私達の英語能力でもってしても、会話によって、「人と人とのふれあい」を享受できること、会話という能力は素晴らしいと思いました。ですから、同じ言葉を話す私達日本人が会話をしないというのは、非常にもったいない気がしてならないのです。だから、和泉校舎の2年間で最も印象に残る授業は、論文演習であり、校舎が変わっても上原先生のような人に出会いたい、もしくは、上原先生がいてほしいと思います。(若干授業を休んだことはすいません。決して単位のためにこのような事を書いたつもりはないです。)  

 明治大学に入学してかなり気の合う人と出会った気がします。地元の友達に比べてみると、何歳かと思わせるような雰囲気、汚らしい言葉遣い、矛盾した行動すべてにおいてとても似ています。テストの前日にお酒を飲んで、起こさずに学校に行く悪魔。週五回焼肉を食べに行く貧乏学生。週4回バイトを入れているのに月8回しか行かない猛獣。バイトの関係で36時間寝てない奴に、12時間休憩も入れずに麻雀を打たせる思いやり。「金貸して」が今日の始まり。とにかく笑顔が絶えない毎日を送っています。このような人達に出会うとは思いませんでした。東京はとても怖い。田舎物の集まりだ。13組になれた事は光栄であり、これからも親しくしていきたいです。

高瀬正樹の自分史

1980.612日 千葉県館山市で生まれる。  名前を近所のおっちゃんに授かる。

1981.  すくすく育つ。

1982.   さらに育つ。

1983.   三歳。

1984.   四歳になった。 物心もついてるだろう。

1985.   館山市立純真保育園に入園。

1986.   館山市立純真保育園卒園。

1987.   館山市立那古小学校入学。

1988.   2年生。

1989.   野球チーム那古ニュ−スターズに入部。

1990.   4年生にしてレギュラー。内野.外野いずれも守らされる。

1991.   5年生でエースナンバーをもらう。関東大会で優勝した。関東ベストナインに選ばれる。

1992.   キャプテンに選ばれる。那古小学校卒業。

1993.   館山市立第一中学校入学。

1994.   野球部ではレギュラー。

1995.   館山市立第一中学校卒業。

1996.   千葉県立安房高校入学。もちろん野球部。いきなり秋からレギュラー。

1997.   肩をこわす。レギュラーから遠のく。

1999.  受験勉強に必死。まぐれで明治大学に合格。みんなから罵声。明治大学法学部法律学科入学。

2000.   2年生にあがられた。今はNHKでバイトにせいを出す。

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