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和泉で2年間学んだこと
布沢晶子
 
 明治大学に晴れて入学した私もあれからもう2年間もたったんだなぁと思いました。この2年の間は今までの学校生活の中では最も早く過ぎ去っていったものです。
入学当初は、圧倒的な男子の人数に女子校で育った私は怯え、小さくなることもありました。が、今となれば当時の私はかわいかったんだなぁと思い返すことができます。
大学入学以前の1年間、私は予備校に通っていました。浪人生をしている時、大学生となった友達はよく高校の頃を懐かしがっていました。大学に入ると友達どうしでも表面的なその場限りの付き合いが多くなるよということでした。それを聞いて私も、少なからず淋しさを感じていたと思います。ある意味、大学に入ることは、入学時点で自分の学びたい学問を選び、その道を進めることができるので、個人の意思が尊重されます。また人としても、この期間はある程度の自由な時間とアルバイトをすることで自由になるお金が手に入るので、それまでと違った経験が可能となります。
 和泉で学んだ2年間はとても早く過ぎ去ろうとしています。最近、私の母は将来の就職のことを度々口にします。母は現在パソコンを使った仕事をしており、次々と出る最新ソフトに対応して、常日頃から勉強をしています。「女は仕事が大事よ、ずーっと続けられる専門の仕事を見つけてね」と言う母の姿はとてもカッコ良く、私にとっては見習うべき存在です。
 法学部に入って、私の周囲は法律専門学校に通う人も少なくはありません。私は、学ぶ勉強と興味の涌くことは別だと考えていました。ある程度合致しても100%までそれに合うとは考えていなかったのです。和泉に2年間通い、これからの将来を見据える今、ようやく自分の方向性が見えてきたと思います。それは法学部に入り、勉強をしていくうちにだんだんと強まりました。法とは全く別物になりますが、自分のしたい事に確信が持てることができたので、遠回りになったとしても、よかったと思っています。
和泉の2年間、私の支えとなっていつも私を明るくし、私を助けてくれた人達がいます。それは友達です。この大学1年、2年生の間の生活を楽しく、充実させてくれたのは全て友達のおかげです。人間関係が希薄な現代において、私と友達はとても強い友情と絆で結ばれた関係だと思っています。もしかしたら、大学に入って、最大の財産かもしれません。この2年間、私は素晴らしい友人に囲まれて、一生の思い出となるような充実した時を過ごしてきました。和泉校舎はそんな私を見届けてくれました。和泉での生活は、楽しさや充実、そして時には将来への漠然とした不安を私に与えてくれたと思います。
直に3年となり、駿河台に移りますが、そこでも今までの経験や思いを持って、まだ見えない将来を模索していきたいと考えています。
 
        和泉校舎で得たもの
                            羽石 健一郎
 僕が大学に入って、もう二年の月日が経とうとしています。時の流れは、ほんとに速いものだとびっくりさせられます。よく遊び、よく学ばず、何もしていなかったように感じられます。思い起こせば、一昨年の四月に東京で一人暮しをしはじめ、まったく友達もいないというゼロからのスタートでしたが、今では、友達もたくさんできましたし、ほんとによかったなと思っています。去年の四月は、たくさんの飲み会に参加し、サークルにも入り、合宿にも参加し、入学のお祝い金はほとんど使い切ってしまうくらい遊んでしまいました。学校では、いつのまにか友達も増え、毎日学食を一緒に食べるようになり、そのほかの友達は増えなくなりました。びっくりしました。それからは、その友達たちとお酒を飲みに行ったり、買い物に行ってみたらしゃぶしゃぶあるよとか変なやつに声かけられたりと、楽しいことがたくさんありました。和泉校舎でできた友達たちとの一番の思い出は、ラグビーの明早戦を見に行ったことです。和泉校舎の正門前に朝早くみんな学ランで集合し、まずは日本酒を飲み、みんなの志気を高め、国立に向かい、声がかれるくらい応援し、夜はまた居酒屋へ行き、コマ劇の前でみんなで大騒ぎし、とても楽しかったことを覚えています。来年からは、みんなも忙しくなるので、もうそんなこともできないかと思うとすごく寂しいです。
 サークルでは、違う学校の友達ができ、みんなで海に行ったり、山に行ったりと、すごく大学生らしい生活を経験することができました。
 さて、学校以外の僕の生活はというと、一昨年の五月くらいから、家の近くのお好み焼き居酒屋みたいなところでバイトをはじめ、お店を閉めた後に、朝までお酒を飲むという暮らしが約一年間続きました。そのために僕のおなかは、おっさんのように出てしまうことになりました。しかし、年上の人とお酒を飲むということを学びましたし、仕事はこういうものだということも学ぶことができ、たいへん勉強になりました。その後から今にいたるまではどうしようもないバイトをしています。
 和泉校舎にこなくなるというのは寂しいのでたまには学食でも食べに来ようかなとおもっている今日この頃です。
 
和泉の2年間で得たこと
志野 文子
 
この2年間で得たことは、よく考えてみたけれど特にないというか、思いつきませんでした。大学に入ってきづいたことは、入学する前から何人かの人には言われていたことだけど、大学はやはり、何か夢や目標を持っている人にはすごくいいかもしれないということを実感しました。しかし、私には夢や目標は今のところはなく、ただなんとなく過ごしてしまっただけのような気がします。もともと私は、英語が好きだったので、英米文学科など英語や英米に関することをやりたかったのに、ちょっとした好奇心で法学部を2つだけ受けてみただけでした。入学する大学を選ぶにあたって、自分が生きたいところにはとことん落ちてしまい、じゃあここにしようかな…という気持ちで選んでしまったために、今すごく大変です。これも予備校時代の追い込み時期に遊んでしまったことが多かったせいかと少し後悔しています。でもこれから先、予備校時代に負けないくらい楽しい大学生活になるようにしたいです。
1年の時はまだよかったけれど、2年になると法学部だけあって、専門的な法律のことばかりの毎日なので、正直言ってつまらないです。だから今の試験期間がよけいイヤでイヤでしょうがありません。でも、卒業するためにはなんとしても取らなければとは思っているけれど、はかどるわけもなく…とりあえずがんばりたいです。
大学には様々な地方から来ている子もいるし、その人間性も、今まで私の周りにはいなかったような考え方を持っている子もたくさんいました。だから、自分の中で何回もとまどいなどを感じたこともあったけど、きっと、学校を変えようと本気で考えずにすんだのは、そういう子達はそういう子達として、ある程度の距離をおいて気楽に過ごせばいいときづいたからだと思います。
でもこれからの残された2年間で(実際はそんなに残されてはいないけれど)、いろいろなことに挑戦していきたいです。自分の夢や目標もまだ何もないし、私は就職を考えているので、そのことももっと真剣に考えていきたいと思います。
 
和泉の2年間で得たもの
藤井有紀
「和泉で得たもの」と言われて何を思い出すだろうと考えたとき、まず最初に思うのが、これが1年生のときに出された課題ではなくてよかったということだ。それというのも、私が1年生のときに得たものといえば「大学生」という立場ぐらいだったような気がするからだ。そんなものは私だけが得たものではないし、まして「得たもの」として挙げるのに値するのかさえわからない。でも、1年生のときの私は、受験生活がやっと終わったのだという喜びと、「大学に行って、授業をうけて、家に帰る」ただそれだけで精神的にも体力的にも限界だった。
ところが2年生になって、改めて大学の友達や高校時代の友達の就職に関する話を聞くことによって、自分がどうして、何がやりたくて大学に入ったのかを思い出し、このままでは夢が夢のまま終わってしまうと気付かされた。あとになって考えてみると、この頃の友達の話というのは、今の私に絶大な影響を与えてくれたものであり、とても感謝している。そして、いろいろと資料を調べたり、これまでの自分の生活を振り返ってみたところ、やはり、今のままでは現実と夢との距離は縮まってはいかないのではないか、という結論に達した。そこで、まず何をすればいいのかと考えたところ、今の私にできることといえば、2年後の試験のための準備をはじめるということだった。両親は「将来のためなら」といって快く私の考えを受け入れて、応援してくれた。一時期は、まだ2年生なのだから、そこまで真剣にならなくてもいいのでは?などと甘いことを思ったりもしたが、実際に勉強を始めてみると、決して早すぎるスタートではなかったことをはっきりと感じる。
そして、現在の私がいる。結局、私が「和泉の2年間で得たもの」というのは「夢への第一歩」だったのではないかと思う。
 
和泉校舎で過ごした2年間を振り返って・・
上田智世
 私が、和泉校舎での2年間について、まず一番に思うことは、本当に、あっという間に過ぎていってしまったということです。
 高校生の時には、新しい環境の中で過ごしたいと思い、大学受験を決意したのですが、いざ大学が決まり、入学の日が近づくにつれて、新しい環境の中に、自分一人で入っていくことが、とても不安だったのを覚えています。
 けれども、いざ中に入ってみると、みんな同じ状況でしたし、法学部は、女の子が少ないこともあって、かえって、女の子に関しては話しやすく、とても、ほっとしました。
 しかし、私を待ち受けていたのは、友達関係のことなどではなく、自分自身の問題でした。大学の授業は、ほとんど高校の時のものと変わりなく、法律科目に関しては、出席もとらない。おまけに空き時間も多い。
 私にとって、それがすごい時間の無駄に思えてしまいました。高校の友達や、予備校の時の友達、彼氏と過ごすことが多くなり、ほとんど出席だけの日々が続いてしまいました。
そして後期試験・・・。見事に単位を落としてしまったのです。その代わりに、何かやり遂げた・・とか、何かはじめた・・とかいうこともなく、4年のうちの1年という貴重な時間を、すごく無駄に、中途半端に過ごした自分に悲しくなってしまいました。
2年になり、私は1年での失敗や後悔を繰り返したくなかったので、出席を採らない授業でも、授業に出る決意をしました。当たり前のことと思われて当然かもしれないけれど、私にとっては一大決心だったのです。
授業に出るようになってみると、案外自分の興味を引くようなことを、先生が話していたりしました。大学の友達と話す時間も増えて、みんな、それぞれ、いろいろな考えや夢を持っていることを知り、たくさん自分のプラスになることがありました。人間何かに一生懸命になっていると、生活が全体的にプラスになっていくのかもしれません。
それと大きく自分を変える契機となったのは、1年の途中での、彼氏との別れです。(そのあと結局、よりを戻したのですが・・)別れた間の時間で、自分を見つめ直す事ができ、そして、自分がどうあるべきか。というものを素直に考えることができ、「自分というものを持つ」それを常に考えるようになるきっかけとなりました。そのときの自分にとっては、辛い別れでしたが、それによって、自分がとてもいい方向に進んでゆくことが出来ました。
もう私も二十歳。まっすぐとした芯を持った人間になりたいと思っています。知らない人との出会いを、面倒なことと考えず、自分のプラスにするために、大切にして行きたいと思います。
 この2年間の、失敗や出会いは、たくさんのことを私に教えてくれ、そして、たくさんの教訓を残してくれました。それを生かし、残りの2年間、後悔することのないように、毎日がんばっていきたいと思っています。
 
和泉校舎での2年間を振り返って
田倉俊輔
  和泉校舎で過ごす時間も少なくなってきた。思えば入学当初は、学校の敷地の広さに、高校との環境の違いにと、不思議な違和感をおぼえたものだが、今となってはたくさんの思いでのつまった愛着のある場所であり、駿河台校舎に移らねばならないことが悲しくとさえ思えてしまう。
  和泉での生活でもっとも印象に残っているのは、大学入学一週間、僕は友達ができず、話し相手もいずに、超きょどったことである。知り合いから、大学始まって最初の頃はサ〜クルの勧誘とかがすごいらしい、とか聞いていたのに、誰からも声をかけられず、クラスでも話す人がいなくて、いつも一人で来て一人で帰っていた。
  そのとき一番いやだったのが、学食で一人飯をしたことだった。学食での昼飯はみんなでワイワイ食べるもので、学食で一人で飯を食うなど、それまでの僕の人生からは考えられない。しかもひとりで飯食ってる奴など馬鹿にする対象でしかなかった。それなのに僕はまわりが賑やかにしている中、一人で素で泣きそうになりながらうどんを食べた。そのことが、大学での一番の思い出になってしまうくらいくらいトラウマってる。
  だから、最初の友達との出会いかなりうれしかった。僕が体育の授業に遅刻していくと、鬼みたいな先生がいて、たった5分遅刻しただけなのに、出て行け!と怒鳴られ帰らされてしまった。外に出て、大学って厳しいんだな〜と、途方にくれていると、さらに遅刻してきた奴が話しかけてきた。羽石健一郎くんだった。
  それからは、健一郎つながりでガンガン友達が増えていった。そして今では学校に行けば必ず一人は友達が来ているというすばらしい環境にまでなった。
  授業の点呼の時、返事のない、誰も知らないような人の名前が呼ばれると、僕は、もし体育に遅刻してなければ、大学なんてつまらなすぎて絶対に来なくなっていただろうな、と、このことをよく思い出す。
 
信じられない事にま〜しーまた逮捕。