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「需要不足失業」が1.4% ?最悪水準 生産縮小を反映?

 藤井有紀

5.4%。10月の完全失業率は戦後最悪を更新した。会社の倒産、リストラで、自己破産や子供たちの退学、学費滞納が増えているという。最高裁の調べによると、2000年の個人の自己破産申立件数は約13万9千件。10年前の12倍を超える急増ぶりだそうだ。そのうち、借金が膨れた理由のトップは、今年度も「生活費」で、日本クレジットカウンセリング協会に相談に来た人全体の39%がそう解答した。4位に「収入減少」(14%)、5位「失業」(11%)と不況感が色濃く、ここ数年、40?50代の増加が目立つという。子どもの教育費と住宅ローンは家計で削れない部分。不況の今、それが生活を圧迫しているのがよくわかる。

 そこで、奨学金制度の必要性が高まっているのだが、学生本人が借りられる日本育英会の奨学金の申請数は、2000年度高校で約3万7千人、大学で約18万2千人と、5年前に比べ高校は約7千人、大学は5万3千人も増えた。

 しかし、文部科学省によると、日本育英会を除いた奨学金事業に取り組む団体は減っているという。利用希望者は多いが、不況を反映し,事業の縮小が続くのが現状のようだ。小泉改革では、日本育英会の奨学金と国民生活金融公庫の教育ローン事業との統合案が浮上している。全国私立学校教職員組合連合は「教育ローンは学生の親に貸すもので、失業中などで返済能力がない親は受けられない」と反対。奨学金制度の拡充を求めている。

 「不況」「失業率の増加」「リストラ」という言葉を耳にすることが多くなっていたが、当然のように大学に進学し、バイトもせずに親のお金で欲しいものを欲しいときに買い、食べたいものを食べ、将来のためとはいいつつも,大学以外にも通わせてもらっている私には「民事再生法の適用を申請し、倒産しました」という一言が、どれほど大きな意味をもつのか身にしみて感じたことはなかった。

 しかし、同年代の人の、上記のような具体的な話をいくつか読んでみると、自分はなんて幸せなのだろうと思う反面、これから先、私にもいつそのような不況の風が厳しく吹きつけてくるかわからない。仮に今、その風が吹きつけてしまい、大学中退か奨学金をもらって勉強を続けるかの選択を迫られたら、私は迷わず勉強したいと答えるが、本当にそのような立場に立たされたときにも、そう言えるとは限らないだろう。だからこそ、今のこの恵まれた環境に感謝しつつ、この生活を大切にしていきたいと思う。

ご出産「消費回復のきっかけに」喜びと期待の経財界

島田美紀

 雅子様のご出産は本当におめでたいことだ。待ちに待ったお子様の誕生で日本中がお祝いムード一色である。女帝誕生かと騒がれる世の中であり、今後の動きにも大変興味がある。

 今回のお誕生騒動で私が気になることは、上の記事でも分かるように、日本の流通業界の動きである。愛子様お誕生を祝うという名目のセールを各社とも実施している。おめでたいことであるから、それを祝う気持ち自体は大いに喜ばしいことであると思う。しかし、私はこの類の便乗セールにはどうしても好感を持てずにいる。

 今回のセールは、日本国民全体の喜びを表すものであるので、まあ、いいとしよう。しかし、例えば巨人の優勝セールはどうであろうか。まったく無関係のデパートまで優勝セールを行う姿に、あきれずにはいられない。何がおめでたいのか、わからなくなりそうである。「とりあえずめでたいからお祝いだ!」という感じで、野球に全く興味のない私にとっては興ざめである。

 日本人は熱しやすくさめやすいという習性があると思う。何かに目をつけては「ワッショイ!ワッショイ!」という感じで物事を進めていく傾向があるように思われる。そのときだけ熱が上がり、その後一気にさめるのである。食べ物で言えばナタデココやティラミスがよい例である。ナタデココなどは他国までも巻き込んだ経済現象なのだから実に情けない。日本人はまさにプチバブルが日々の生活の中で出来たり壊れたりの繰り返しをしているのである。

 そんな一喜一憂が、今の日本経済を作り上げてしまったのではないかと私は思う。目の前のことばかりではなく、遠い未来を見つめていかなければ、これから押し寄せてくるであろう大きな波に飲み込まれてしまうと思う。小泉首相の初心表明の「米百俵」ではないが、これからは将来を見据える力が必要とされるのである。

 今回、私が言いたかったことは、まさにこのことなのである。お誕生セールをして、一時的に盛り上がるのもよいとは思う。しかし、愛子様がお生まれになられたことにより、これから先の日本がどう動いていくかということを常に念頭に置きながら、企業側は広告活動に取り組んでいってほしいと願っている。

 そして我々消費者も、企業側の戦略をそのまま鵜呑みにするのではなく、一歩引いて冷静になって考えることが必要になっているのだと思う。「冷静と情熱のあいだ」の微妙な位置を維持していくことが、これからの日本経済を発達させるのだと思う。

Hello, goodbye

 上田 智世

少し前に、テレビで「元ビートルズのジョージ・ハリスン、余命1週間」という、信じられない記事を紹介していました。私は、とても驚きました。生きている人の余命が「あと何日だ。」なんていう記事は、見たことがなかったし、あのジョージ・ハリスン?というのもあったし、おまけに、1週間なんて・・。

このニュースを聞いたときは、驚きのあまり、頭の中が??はてなばっかりになってしまいました。このニュースをほとんど信じる事ができないまま、何日か過ぎていき、少し忘れかけたとき、彼は、本当に帰らぬ人となってしまいました。

彼は11月上旬、アメリカ・ニューヨークの病院で脳腫瘍(しゅよう)の治療のための放射線療法を受けましたが、過激な療法だったため、失敗し、その後4日に退院したものの、容体が悪化したため、急きょロスのUCLA医療センターに再入院することとなったそうです。通常の薬物療法に最後の望みを託して治療を続けていた、その状況について、11月25日付の英紙が「余命は1週間足らずだろう」と報じていたのです。

彼の晩年は、病魔との戦いであったそうです。97年に、こう頭がんの切除手術を、今年初めには肺がんの手術を受け、さらに7月に脳腫瘍の治療を受けたそうです。そして彼はこの時、「元気です。心配しないでください。」と声明をだしました。しかし、これが最後のメッセージとなってしまいました。

私は、ビートルズ世代ではないので、彼らの映像をオンタイムで観たこともないのですし、私が、ビートルズを知ったときには、ジョン・レノンはすでに、この世にいませんでした。ビートルズが解散し,ジョン・レノンがなくなってから、もうかなりの年月が経っています。それでも、私たちの世代の人間が、ビートルズの曲をいくつも知っていますし、その証拠として、少し前に売り出されたCDは、話題になり、とても売れていました。全員がこの世を去ってもなお、彼らは語り継がれていくに違いありません。

今、街はクリスマス一色となっています。そして、ジョン・レノンの「HAPPY CHRISTMAS」が街を彩っています。今年の冬は、その歌声が悲しく聞こえるかもしれません。

女性の力

  阿部俊樹

 最近、ニュースといえば暗い話題ばかりである。過去最高の失業率、国際テロなど、数え上げればきりがない。そんな中で、先週末から今週にかけ、大変にぎわった商店街がある。雅子様の地元の商店街だ。そこは、御出産騒ぎで盛り上がった商店街であり、空洞化の一途をたどる商店街の中で、唯一、活気のあふれている商店街といえよう。

 20世紀後半は女性が力をつけてきた時代であったと思う。政治、経済、日常にいたるまで、女性の力が強い影響を及ぼしている。これは政治、経済そのものに関する影響力ではなく、間接的に、目の見えないところで働く、底力のようなものである。NHKが女性外交官を特集すれば、視聴率は上がる。流通販売、飲食業界は女性をまずターゲットに考える。今のラーメン屋と昔のラーメン屋と比べて大きな違いは何か。それは断然現在のラーメン屋のほうが店内の内装が清潔感にあふれ、きれいになっているということだ。また、フランスの有名ブランド、ルイビトンの商品の60%が、日本の女性の手に渡っているという。これは驚異的な数字だ。いかに日本の女性が直接的ではないにしろ、社会的影響力を持ち、経済を動かし、そして男の心を動かしているのかを思い知らされる。

 現代だけではない。歴史の紐を解けば、いくらでも女性の権力と言うものを知ることはできる。しかもそのような女性は不思議と世の中を安定させてきた。例えば、弥生時代あたりで皆さんが勉強した卑弥呼と言う女王がいる。彼女は当時、小国がもめていたときに小国連合の象徴として立てられた女王である。彼女の記述は魏志倭人伝にも見られるが、彼女のおかげで当時の日本は丸く収まっていた。そして、彼女亡き後、また日本は小国の群雄割拠時代に突入するのだ。彼女の存在は、当時の国王たちに大きな影響を及ぼしていた証拠である。また、飛鳥時代の推古天皇にしても然り。北条政子然り。歴史的に見れば、女性は、日本において、ある意味特別な意味を持った存在であったのは言うまでもない。そもそも、神道における中心の神「天照大神」は女神である。

 ではなぜ近代に入って女性の声が政治などから遠ざけられるようになったのか。そこには開国における日本の西洋化が大きなウェイトを占めていること、周知の事実である。西洋は女性をさげすむ意識が根付いている。それ故、フェミニズム、レディファーストなどの言葉が脚光を浴びるのである。女性をさげすむ意識、それは太古の昔から連綿と続く西洋文化なのである。例えば、旧約聖書の中のアダムとイヴの話はあまりにも有名であるが、その中で女性イヴは悪者である。イヴがアダムに知恵の実を食べることを勧めなければ我々はずっとエデンで神の恩恵を受け生きていけたのだということである。人間が生まれたときにすでに犯している罪、原罪という話であるが、この原罪には女性が絡んでいるのである。このように、キリスト教が浸透している西洋では原罪の意味について考えるとき常に女性と言う影が落とされるのである。そしてこれは、DNAに組み込まれてきた意識なのである。

 しかし、20世紀には、多くの女性がその意識をくずそうと試み、そして改善されてきた。そして現在、女性が右を向けば、社会が、政治が、経済が、フェミニストが、知識層が、そして男が右を向き、女性が左を向けば、多くの人が左を向くのである。しかし、皮肉にもまだ、政治や経済を動かしているのは男で、女性の向く方向を追いかけるのは男たちが主体であるのだが…。そのような事実があるにしろ、とにかく「現代」は女性を愛しているのだ。脚光を浴びているフェミニストたちは、女性であり、彼女たちのなかにはレズビアンがおおい。女性が女性を愛し、男たちももちろん一部を除いて女性を愛する。そのような時代において、皇室典範第一条はもう時代遅れである。近代合理主義はすでに行き詰まりを見せている。このような時代だからこそ、女帝制度というものは歴史的見地からしても、運命的にも実は必要なのかもしれない。

狂牛病における報道のされ方について

坂本 明日香

狂牛病―私がこの言葉をはじめて耳にしたのは今から3年前の高校2年生の時だった。というのも英国に修学旅行に出かける時に、英国の食事事情について調べている時だったのだ。牛肉好きの私は、英国といえば食事があまり美味しくないことで有名なのに、その上、牛肉を口にすることができないなんて、なんてことだ、と少なからずショックを受けたことを覚えている。

しかし、それは遠い異国のことで、旅行の間のほんの少しのことだと思っていた。あれから約3年後、まさかわが日本でも騒ぎになろうとは正直夢にも思わなかった。焼肉店から客が減り、お歳暮品売り場の定番ともいえる高級牛肉のコーナーが混むことはなくなった。この間もテレビ番組の景品が本来なら高級松坂牛プレゼントとなっていそうなところが、黒豚プレゼントにかわっていた。

言うまでもなく、牛肉関連業者にとって大きな痛手である。こぞって「牛肉は安全です」と広告を出した。政府にしても牛肉関連業者の手前、迂闊な発表は慎しんでいるためか、慎重である。しかし、テレビから流れる欧州の狂牛病発症者の映像をみれば不安を掻き立てられる。国民の大半は狂牛病に関する詳しい情報を持ち合わせていない、素人である。よって渦巻く情報に振り回される。

しかし、今回問題となっているのは、口にする食品であり、ことは重大である。国は、迅速且つ慎重に調査をすすめ、国民に報告するべきである。その際、調査グループは、国付属ではなく、客観的視点からものが言える、第三者グループが望ましいと思うのだが、やはり、すべてを民間グループなどにというのは、時間・コストに無理が生じて無理だと思うので、できるだけ、多種多様な組織から学者を招集して調査グループをいくつか結成してほしい。また、責任の所在を明らかにするため、調査の経過等はしっかり記録し保存してほしい。そしてそれは広く国民が知ることが可能なように開示してほしい。

今回の狂牛病の問題に限らず、近年政府の情報管理は問題となっている。市民オンブズマン等の制度も大分充実してきたといえるだろう。しかし、今回のような緊急事態の情報公開制度はまだまだ整っていないのが実情である。今回の問題が、国が入手できた情報は、できる限り国民に率直に公開するように、制度を整えるきっかけになることを切に願う。

本人3割負担、03年度から 医療制度改革で政府が方針

志野文子

 破綻寸前の医療保険制度を立て直し、高齢化に伴う医療費の増大に歯止めをかける実効性ある対策が見当たらないとして、この大綱は骨抜きの内容で終わったといえる。

この試案では、患者の窓口負担の引き上げについて明確な説明や説得力を欠き、診療報酬の取り扱いでも、試案は引き下げの方針を明示せず、腰の引けた印象を与えた。また、高齢者の医療費伸び率管理制度は、良心的な医師とそうでない医師を区別しない「集団罰則的な医療費抑制策だ」とする日本医師会などの批判に、有効な反論ができなかった。

今回の改革について、厚労省は「中長期的に経済、社会情勢の変化を予測するのは難しい。5年程度、現行制度を維持するしかない」と位置づけていた。結果的に、首相が目指す構造改革とはかけ離れた対応となった。

これからの社会保障制度が、国民の負担を増やさずに再構築することはできないのは明らかであるが、同時に、医療機関の不合理な既得権益の解体と、非効率的な仕組みを徹底してなくす必要がある。患者と保険加入者、医療機関の全てがそれぞれ痛みを負うことになるが、景気の悪化にもつながりかねない。病院へは本当に治療を必要としている人と、それほどの病気ではない人とが通っているし、その病院においても優秀な医者とそうでない医者がいるわけで、そのような実体において、問題のある医師たちをどのように扱っていくかが重要になるのだと思う。

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