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和泉での2年間を振り返って    2年13組 小山幸宏

 和泉での2年間を振り返って「あっという間だったなあ」というのが、私の正直な感想である。高校での勉強漬けの生活から解放されて、緊張感の無い生活にすっかり慣れてしまった自分が今ここにいるとおもうと、「もっと何かする事があったはずだ」という自責の念に駆られてしょうがない。

 時間を湯水のように使い、親のすねをかじりつつ、ただなんとなく過ごした2年間は、自分に何をもたらすのであろうか。大学はそもそも勉学を高い水準でする場所である。にもかかわらず、毎日のように夜遅く帰ってきて、勉学をするどころではない日々の連続であった。もちろん遊ぶのもいいとは思うが、やはり反省ばかりが頭の中をかけめぐってしまう。

 自分は誘惑に弱いのである。遊びに誘われればほいほいついていくし、勉強すると決意しても、その決意がなかなか続かない。簡単に言えば根性が無いのだ。これは高校の時から自覚していたことで、一朝一夕ではなおらないことではあるが、3年からは少しずつ直していこうと思う。

 大学生活は勉強も大事であるが、交友関係を広げる良い機会でもある。私も少ないながら、大学で友達もできた。人生の中で人は何度となく出会いを繰り返していく。大学で得た友人は、一生の宝物になると思うので、あと半分となった大学生活においても、たくさんの人と出会って交友を広げていきたい。

 和泉は何をするにもいい場所だと私は思う。勉強するにもいいし、極端な話交通の便もいいから待ち合わせの場所にもいいであろう。そんないい環境の和泉において、自分は2年前の自分と比べて成長できたのであろうか。成長したならばどこが成長したのであろうか。2年前受験の波にもまれた自分にとって、大学のぬるま湯は天国であった。苦しい勉強から逃れ、楽な方楽な方へと自分をいざない、そしてまったく勉強できなくなってしまった自分がここにいるのかもしれない。成長は多少なりとも自覚できるものであると私は思うから、自覚できていないということは成長していないか、成長していたとしてもその度合いが小さいということに他ならない。

しかし精神的には大人になった気もする。考え方とかにも客観的な思考が生まれ、多少自我を抑えた考え方ができているように思える。自我を抑えることははっきり言って自分の思うところではないが、大人同士のコミュニケーションにおいては必要なものであるし、客観的に状況を捉えて、今はこうすべきだろうと考えて行動できるようになったと思う。それは逆に個性を失う結果になるやも知れない。しかしこれからのいわゆる人付き合いにおいて自分がどう変われるか、何を吸収できるか、それによって今後の学生生活から人生まで大きく変わっていくであろう。人から学ぶ、そして自分を変えて行く。そのことを学んだ私の和泉での2年間であった。

小山幸宏の自分史

1980.04.06 埼玉県春日部市に生まれる。体重4000gの巨大児。

1981 親に抱かれていないとすぐ泣く、親泣かせの赤ん坊だったそうな。

1982 頭でっかちの不恰好なこどもで、体重が重いせいもあり親は抱くのに苦労したそうな。

1983 近所の公園では幼馴染と、兄弟のように遊んでいた。私は一人っ子なので兄弟が欲しい欲しいと、思っていたため、おそらく楽しかった日々だった。

1984 ビックリマンチョコのシール集めに夢中になる。

1985 幼稚園に入学。幼稚園にはバスケットを持っていくことになっているのであるが、私はそのバスケットを入れるロッカーにバスケットをおかず、先生にいつも怒られていた。

1986 このころから背が伸びたため、身長と体重の釣り合いが取れる。

1987 小学校に入学。音楽会で良い賞をもらった。鉄棒の逆上がりという難関が立ちはだかり人生最初の挫折を味わう。

1988 先生がとてもいい先生で、色々面倒を見てもらった。授業で発表するのが好きになる。ソウルオリンピックの鈴木大地に感動を覚え、この頃からスポーツを見るのが好きになる。

1989 クラスの学級委員になる。サッカークラブに入るが、運動神経の悪さはどうしようもない。よってあんまりいい思い出は無し。

1990 クラスの学級委員になる。児童会に入り学校行事の企画運営に興味を持つ。

1991 声変わりがはじまり、背が170センチを超える。鼓笛隊に入ってトロンボーンを吹く。祭りのパレードは楽しい思い出である。

1992 児童会長を務める。この頃が一番充実していたような・・・

1993 中学校入学。バスケットボール部に入り、また生徒会にもはいる。そのころの友人は、今でも最高の仲間だったなと思う。今でも仲がいいけど。

1994 生徒会長を務める。部活、勉強の両立に苦しむ。

1995 クラスの熱血先生による、合唱指導にうんざりした思い思い出もあるが、生徒会の仕事に一生懸命だったなあ。

1996 埼玉県立春日部高校入学。入学したての宿題テストで今まで取った事のない点数を取り、いきなり厳しい現実を見ることに。マスコミ好きなので新聞部に入る。

1997 麻雀を覚える。よく相撲部の部室でやったなあ。

1998 とにかく勉強勉強。

1999 明治大学入学。明大タイムス編集部というサークルに入り、日々堕落した生活を送ることになる。

2000 サークルで毎年出している、履修王を完成・発売。自分はラジオの記事を載せた。

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