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初めての・・・整骨院!?

冷泉ちよ

何週間か前のある日のことだった。最寄りの駅を降りて、家に向かう道を歩いていたら、突然、左側の背中から胸骨のあたりまでが痛み出した。痛いというより、苦しいといったほうが正確かもしれない。家に帰り、母親に訴えてみると「骨でも折れたんじゃないの?咳をしただけで折れた人だっているのよ。」と脅かすモノだから、私はすっかり怖くなってしまい、急いで近所の「並木一丁目整骨院」へ行った。その時初めて、私は整骨院に入ったのだった。中に入ると、強烈な湿布のにおいがした。いままで整骨院というところは老人が多く通うところかと思っていたが、若い人、小さな子供までいたので驚いた。名前を呼ばれ、診療室で医師に事情を説明すると、彼は私の肩を調べて、言った。「あなたの肩はとても10代の肩とは思えない!!」どうやら、とても凝っていたらしい。自分では「肩が凝る」という感覚がよくわからなかったので、自覚はしてなかった。背中の筋肉もかなり堅くなっていて、そういうところから神経を痛めて、痛くなったのではないかという。いわゆる、神経痛らしい。その日は、背中に吸盤のようなモノを張り付ける電気マッサージ、つぼ押しをして、背中に大きな湿布を貼られて帰った。少し様子を見るために、しばらく通わなければいけないという。なぜ若干19歳にして整骨院通いなんて目にあうんだろう?と思いながらも2,3日通うと、痛みはだんだん引いていった。バイトなどで時間もとれないし、めんどくさくなって、最近は通っていない。

私の周りの友達で、「私肩凝ってるんだ〜」と言っている人は結構いる。みなさんも、自分の肩を触ってみて堅かったらご注意を!私のように突然の痛みにおそわれる可能性もあるのだ。ただ、最後に一言、「プロのマッサージ」はとても気持ちがいい!

 

電車嫌い   横野隆義

  僕は、電車という乗り物が大嫌いである。そのため、高校は、家から自転車で通えるところを選んだ。しかし、明治大学に入学してしまい、埼玉県在住の僕は、毎朝1時間以上かけて、電車で通っている。かなりの苦痛である。

  なぜそんなに嫌いなのかと言うと、理由はたくさんあるのだが、まず「通勤、通学ラッシュ」である。僕は、新宿までJR宇都宮線に乗ってくるのだが、「赤羽」―「池袋」間が、特にすごい混み様である。あの、人の多さには、うんざりする。今みたいに暑い時期なんかは、電車内の密着で、ベタついた肌と肌とが触れ合い、最悪である。

  それから、「外と電車内の温度差」も嫌いである。冬に、厚着をして電車にのると、車内の暖房のせいで、汗をかく。運動をしてかく汗とは違い、嫌な汗である。まさに、最悪である。

  また、最近、「人身事故による遅れ」が多く、いらいらさせられる。そのせいで、この間、僕は見事にバイトに遅れた。悪い言い方かもしれないが、死にたいのなら、他人に迷惑をかけないで、一人で勝手に死んでほしいものである。

  これも電車が嫌いな理由の一つなのかもしれないが、電車内で、あんまり仲良くない友達と同じ車両になった時、すごく気まずい。車内だと、会話が途切れても、その場から逃げられないので、無理して話そうとして、かなりつかれる。

  このように、電車という乗り物は、最悪である。しかし、唯一良いところを挙げるとすれば、カワイイ女の子と密着できることぐらいであろうか。

  

作家は大変だなと思う。

 

 小野寺晃 

以前まで僕は、文章を書くという行為が、あまり得意なほうではなかった。もちろん、今でも、その行為自体、あまり好きであるとはいえない。ただ昔に比べて、文章を書く、という行為が多少苦に感じなくなったというだけのことだ。それというのも、昔の僕は、書く前に、文章をどう構成していくかということを、いっさい考えようとしなかった。何かテーマが決められていたとしたら、それについて自分が思っていること、または、書いている途中で新たに思いついたことなどを、ただ、羅列させているというだけで、文章を組み立てるという行為を全く無視していたのだ。そんなわけで、たいてい、何の手も加えていない、文章の原文は、支離滅裂になっていることが多かった。加えて、そうなると、最終的には、書いたり消したりを、繰り返してしまうことになるので、一つの文章を書き終えるのに大変長い時間を要してしまっていたのである。

 しかし、そんな僕に、やがて、大きな転機が訪れることになる。それは、高校の授業の中に毎週一回、校長が、じきじきに講義するテーマ(日本や、世界で起こっている時事問題等)について、最低でもノート一枚分自分の見解を述べさせるという授業があったということだ。当時は、毎週自分の書いた文が校長にチェックされるとあって、大変苦労をした思い出ばかりが頭に浮かぶが、同時に、それによって、多くのものを得ることが出来た。

 その中でも、僕がとりわけ強調したいのは、文章を書く時間を出来るだけ短縮させるよう自分が変わったということだ。そして、そうした気持ちの変化によって、自分の文章スタイルを見直し、再構築させようという気持ちが、僕の中に生まれた。それまで、ただなんとなくで書いていたのが、毎週、何らかの形で、文章に接したことで、考えて書くようになり、より早く、より読み手に分かりやすく書けるように、と成長することが出来たのだ。

 画家に長生きが多く、作家に早死にが多いように、文章を書くというのは、なかなかに大変だなと痛感する。だが、やはり、作家のようにネタ探しに苦労する段階に行き着く前に、文章の書き方に苦労しないためには、それは、結局のところどれだけ文章を書いたかに比例すると思う。僕も幸い、この授業で、毎週、文章のほかに偉人の名文や格言に触れることが出来るので、これから先、そこから、さまざまな技術を吸収し、今よりもっと魅力的な文章が書けるよう努力していきたいと思う。

心の若さ

 

                         中谷正和

 

 最近、駅のフォームで地べたに座り込んでいる高校生の集団を見て、若いなあ、と感じた。そして、馬鹿じゃねえの、と思うと同時に、彼らを少しうらやましく思う自分がいた。

 もちろん、人の多いところで地べたに座るような行為は、人の迷惑になることだから、やるべきことではない。それくらいのことはわかっている。では、なぜ、うらやましく感じたのか?それはもう自分たちにはできないことだと知っているからである。

 最近、二十歳を過ぎた前後くらいから、自分の行動によく制限を加えるようになったなぁと思う。それは、少しずつ大人としての自覚(とはいっても、まだ親に養ってもらっている身なので、まだまだ子供だけど)が生まれてきたということで喜ばしいことであるはずである。しかし、我々は大人になっていくにつれて、心の若さを失っているように思う。

 もう大人なだから、そんなことを言って私たちは、少しでも社会が求める大人の理想像に近づこうとし、自我を殺して、社会に同化しようとしている。それは大人として社会で生きていくために必要であることだけどしかし、そればかりを追い求めすぎて、心の若さまで失ってしまうのは寂しくないか。

 地べたに座っていた高校生たちは楽しそうに、大声で笑い声を上げていた。彼らのように人に迷惑をかけることはよくないことだけど、彼らのように、無邪気に笑える心を持ち続けたい。年はとっても、心まで老化はしたくない。心は若いままでいたい。これから社会に出たらこんなことは言っていられなくなるのかもしれない。しかし、せめて今だけでも心は若くありたいと願うし、そうあり続けると信じたい。

 

『明治大学法学部法律学科演劇学専攻』

早川崇弘

 「なんで法学部に入ったんだっけ??」その理由も、この一年半の、堕落しきった生活の内に、宇宙の遥か彼方へと消え去ってしまった。自分自身に呆れる、というか、もう何も感じない。こうなっては、もう手の付けようがない。しょうがない、諦めよう。

 私は、某映像系サークルに所属している。しかも、今年、新入生が一人も入部しなかったがために、解散の危機(喜々でも可)に瀕している。そんな虫の息のサークルの活動内容は、たまに上映会をやる他は、ほとんど無いに等しい。一説に拠ると、自分が参加してないだけ、という噂もちらほら・・・ しかし、噂は、噂にすぎない。そう、誰も、その事実関係を明らかにしたものはいないのだ。ふふふ・・・ 

 そんなサークルの主な構成要員は、もちろん、文演こと、文学部文学科演劇学専攻の人々である。彼らはすごい。「何故?それは、愚問というものだよ。まぁ、敢えて言うなら、おおよそ実学というものから懸け離れたものを、日々、学んでいる。いや、“学んでいる”では語弊が有るなぁ。こなしてはいるが、学ぼうという意志は、もはやない。と言った感じかな。さぁ、もう日が暮れる。続きは明日にしようじゃないか。・・・」

 テスト勉強。それは、終焉のない、永劫の闇。いや、範囲が終わらなくて、先が見えないだけ。そして、全く関係のない雑誌や、漫画を手に取り、朝まで読みふける。その、現実逃避の産物として、テスト中、頭にあるのは、“阿部サダヲはいい俳優だよね。でも、松尾スズキは・・・”「あぁ、一つ聞きたいことがあったんだ。君は、演劇学専攻かい?」「はい。法学部法律学科演劇学専攻です。」

 

 

                 二十歳              

 細田 愛加里

 私も7月の終わりで二十歳になる。成人だ!!小学生の頃、二十歳といったら、料理ができて、メイクばっちりで、いかにも自立した大人のお姉さんというイメージがあった。ところが今の私は…。二十歳を目の前にして、何にもできない自分がいる。料理もできない、裁縫もできない、身の回りの整頓すらままならない。なんか小学生の頃から身長と体重以外あまり成長していない気がする。それでも‘国民年金のお知らせ’なんかがくると、私も二十歳になるんだなぁ、としみじみ感じる。

 二十歳になるにあったって、もっと家での生活を充実させようと思う。今の私といえば、暇さえあればテレビの前に居座っているか、ベッドの上で雑誌片手にボーっとしている。常に面倒くさい…の毎日。二十歳どころか四、五十のおばさんみたいだ。

 まずは料理。いつまでも母親の料理を待っているばかりでは情けない。少しぐらいは、手伝いでもして料理を習わなければ。あとは自分の部屋をきれいにしようと思う。あのプリントと本が山積みの机の上では勉強しようと思ってもやる気が失せてしまう。花でも飾って、音楽でも聴きながら優雅に読書ができるような部屋が理想だ。

 こう考えると、高校生になったときも同じことを言っていたように思う。私ってほんと成長してないんだなぁ、と感じてしまう。でも、少しはまともなことも考えている。それは将来についてである。この秋、資格を取るためにWスクールする予定だし、もっと世の中のことを知り、論理的に物事を考える必要性も感じている。

 二十歳といっても、今までの延長線だし、急に変わることはできない。今の生活を楽しみつつ、少しずつ大人になっていければいいかな。

とっときばあちゃん      榎本紘子

 

 うちの祖母はすごい。何がすごいかって、物を捨てずにとっておくこと。現在90歳。何度も戦いを味わって、戦中戦後の物のない辛さが、身に染みたのだろうと、孫の私は思うのだけれど。

 なにしろ、祖母の家には、食器棚が二つあるのだが、そのうち一つは祖母のコレクションでうずまっている。廃品回収に出すのかと思いきや、牛乳パックが何個も並べてあったり、そのそばに菓子やのりなどに入っていた乾燥剤の小袋が何十個もあったので、「こんなの何に使うの?」と聞くと、「石灰代わりに畑に入れるんよ」と教えてくれた。

 柱にぶらさげた古い水筒の中で、ポチャポチャ音がするので、不審に思うと、何年も前のミネラルウォーターだったり。ミネラルどころか明らかに腐敗しているだろうに。しかし祖母は「もったいない」の一点張りである。

 コレクションでひときわ目を引くのは、小さなカップが何十個と積み上がって出来た、高さ50センチほどの塔である。何と、このカップがすべて薬用養命酒のふたなのである。

 こんな調子だから、叔母が、廃品回収に出そうとした物も、大半は、祖母の検問にひっかかり、また棚の中で、長いオネンネにつく。

 そんなちゃきちゃきしていた祖母は、今は病院で寝たきりの状態で、点滴だけで生命を保っている。一時は危篤にもなったが、その生き方通り、命を簡単には捨てていない。