明治大学大学受講生のぺージへ 明治大学法学部のぺージへ

 

            和泉の二年間

 

稲田怜子

  正直な話、私は明治に来るつもりはまったくなかった。受験だけはしたものの、どこにキャンパスがあるかさえ良く知らず、高校二年のときに、リバティータワーが出来たばかりの時に、一度だけ来て以来、私の中から、「めいじ」の三文字は完璧に抜けていた。

  それが、思わぬ事態に陥り、気が付いたら私の進路は、明治大学法学部に決まっていた。そこで、初めて明治大学の文系キャンパスは二つあることを知った。当然のように、自分は御茶ノ水に行くものと決め付けでいた私は中央線で一本だからという理由で立川に住むことにしたのに、和泉校舎という文字を見て、「?」と思った。たしかに中央線のはずなのに・・・そして初めて和泉校舎を見た私の感想はこうだ。「ちゃっちい・・」

  しかし、気が付けば、もう二年も終わりかかっている。早いものだ。よくもまあ二年間も、首都高と甲州街道に挟まれた、あの危険極まりない歩道橋を渡り続けたものだ。自分をほめたい気になる。

  私の過ごした二年間は、一年のときと、二年のときでまったく二つに分かれる。

  一年次は体を動かそうと思って入ったバレーサークルと、趣味が合うかと思って入った映画サークルを、それぞれ一ヶ月でやめ,いい加減サークル探しを諦めて、一人で行動することが非常に多かった。授業の合間に映画を見に行ったり、一人で美術館に行ったり、とにかく他の友達がサークルに費やしている時間はすべて自分独りの時間だった。それでも、クラスの友達が暇なときは、私が時間をフレキシブルに使えたから、長い間話をすることもよくあったが。

  また浪人時代の友達と遊んだり、高校時代の友達とよく遊んでいたのもこのころだった。お互い大学に入ったばかりで、あまり友達もいない時期で寂しかったのかもしれない。特に予備校時代の友達は、みんな同じ目的(大学合格)があったから、話がしやすかった。大学に来ると逆に人が多すぎて、自分と同じ趣味の人を探すのが大変だというのが私たちの共通の意見だった。

  それが大きく変わったのは二年になってESSに入ってからだ。この団体自体が大きく、総勢150人ほどいる上に全体活動をするのが好きなものだから、それまでの携帯電話の登録件数の二倍ぐらいにメモリが膨れ上がった。しかもやたらと活動が多いので、土日が今まではまったくのオフだったのに、ほぼ毎週大会で休みがほとんどなくなったのだ。当然今までほど浪人の友達や他大の友達とは会えなくなってしまった。その代わりサークルの、特に同じディベートセクションの人間とはかなり仲が良くなったが。状態としては、勝敗が決まるという点では体育会系、中身自体は文化系といった感じなので、メンバーが全員元運動部なのがおもしろい。私としても頭と体を(ディベート中はずっと立っているプラス喋り続けなければならない。)使うこの活動が自分に合うらしい。今までのサークルはどちらかだけだったから続かなかったのかも・・・

  とにかく私が二年間で得たものの一つは、本気で何かをやるときは他のものに手が回らなくなるという自分の性格の認識だといえるだろう。これからさき、何かと何かを両立しなければいけない状態になったとき、無理に両立させようとするとかえってどちらも中途半端になってしまいそうである。それともこの性格、どうにかして直すことが出来るのだろうか・・

  もう一つはそんな私に付き合ってくれる友達だ。大学時代の友達は一生の友達になると聞いたことがあるけれど、私にとっては高校、予備校時代の友達もかけがえがない。ともだちの大切さを学んだのもこの二年間だったと思う。

和泉の二年間で得たもの

                          中道紗治子

 

私がこの明治大学に入学して、はや二年が経とうとしている。二年前と比べて、私は何か変わったのだろうか?ふと、この二年を振り返って、考え込む。

大学に入って、変わったことの一つに、まず自分の言動に対する責任が明らかに重くなったことが、第一に挙げられるだろう。大学の授業は、高校までの義務教育とは異なり、非常に個人の考えや意思といったものが重視される。だから、自分が何を必要とし、学んでいくか、ある意味とても自由で、反面、とても責任も重い。最近はいよいよゼミまで決まって、こんな日々の積み重ねが、自分の将来に大きく関係するのかと感じることも増え、高校時代に毎日友達と同じ授業に出て“もっと自分が好きなことを学びたい”なんて、偉そうに考えていた頃が懐かしい。自分の将来を想像し、形にしていくということが、どれほど難しいことか、高校時代の自分に言って聞かせてやりたいものである。

そういう意味で、私なりではあるが、まず第一に、将来のことも含めて、自分に対する責任というものを、この和泉の大学生活で得られただろうとは思う。

第二は、お決まりな台詞になってしまうが…やはり同じ明治大学の友人は、大学に入って“得た”大切な存在だと思う。自分と(多分)同じような将来を夢見て、その将来に向かって(多分)ともに励む。そんな存在は、やはり自分にとって、とても心強いものだし、大切な存在である。こういった存在は大学以外ではそうそう得られるものではないと思う。大学の友は生涯において長年付き合うことになる。とよく聞くのも、最近なるほどとうなづける。そんなことで、ひとつ末永く宜しく願いたいものである。

ということで“大学の友達”は、和泉の生活で得られたものNo2に決定。

さて…第三になにを挙げようか悩んで手が止まる。第三で考えてしまうなんて。こう書き表してみると、案外“得た”ものって少ない?と焦ってはみたものの…授業などで得た知識まで敢えて挙げるのは気乗りしないので、以上の二つが、私が和泉で得たものに決定。

たった二つ。確かにこの二つは、言葉にしてしまうと、すごくシンプルで、あっさりしている。だが、実際にこの言葉を“得た”として表現することは非常に難しいし、それどころか、まだまだだと感じることのほうが多い。一度に“得る”にはたいそうなものなのだと、改めて実感させられる。

そんなこんなで、(まだ“得た”とまでは言い切れないが)以上に述べた二つのことが、私が大学で得た、ものだと考えて、ひとまずはここで終了。

和泉の二年間で得たもの

前澤高志

 

わたしが高校を卒業し、明治大学生となってこの和泉校舎に通いもうすぐ丸二年が経とうとしています。なんだかんだで、あっという間に過ぎてしまった感のある二年間でありますがよくよく考えてみれば色々と楽しいことや苦しいことがあった充実した時間でした。なかでもわたしにもっとも大きな影響を与えてくれたのは「法学会」という団体でした。

 大学に入りたての頃は勉強を一生懸命頑張るぞとか、サークルに入りその活動を精一杯やろうなどという気持ちはまったくなく、特別目的というものを持たずに過ごしていました。そんなときに出会ったのが法学会でした。サークルとは違い大学組織の一部分である法学会がはじめはどんな団体なのか分からず、なんとなく入ってしまいました。ただ新歓イベントが楽しかったという理由だけで。今思うとあの頃は単純でした。それから法学会が運営する様々なイベントに参加していきました。球技大会や夏の合宿、刑務所参観などなど。高校のときには絶対に経験できないことばかりで大変有意義な時間を過ごせました。時は去年の12月頃、法学会でのイベントもだいたい終わり、来年のことを考える時期になってきたのです。法学会のイベントは楽しいし、友達もたくさんできたので来年ももちろん残ろうと思っていました。しかし法学会の中心人物になって来年運営していこうという気はあまりありませんでした。法学会では二年生が中心となっていろいろとあるイベントを運営・進行していくことになっているのです。自分は幹部などをやれる器ではないし、そんなに深くは法学会に関わっていなかったのでやることはないだろうとふんでいました。ところが結局、ちょっとした役職に就くことになってしまいました。それが決まったときは来年本当にやっていけるのか不安でありましたが、やると決まったからにはやれるだけやってやる!という気持ちで覚悟を決めました。

 そして今年一年間、様々なイベントを企画・運営してきました。一年生のときのようにまったくの受け身でやる仕事とは違い、自分たち自らが中心となってやっていくことばかりでとても大変でした。しかしその大変さの反面、各イベントが無事終わったあとの達成感はものすごく大きかったです。このような仕事から得るものはとてもたくさんあります。しかし失うものもあるのは事実です。世の中そんなに甘くないんだということを痛感させられました。

 わたしがこの二年間で得たものは、結局「目的」というものであろう。大学入学当初はなにも目的がなかったわたしが、法学会に出会い、気の合う友人たちに恵まれることにより、自分に目的意識が持てたのです。これからもその貴重な「目的」というものを無くすことなく学生生活、そしてその後の人生を生きていきたいと思います。

和泉の二年間で得たもの

細田明香

今振り返ると、和泉の二年間は本当に短かったと思う。よく大学生活は夢のように過ぎ去っていくものだとか聞いたが、そのとおりだと思う。ドキドキしながら、大学に通い始めたあの時からもう二年も経ったのかというのが今の正直なところだ。この二年間でわたしはなにを得たのだろうか。とにかくこの二年がむしゃらにきたが、それで何をえたのか。その答えは今もよくわからない。とりあえず将来のために思いつくことは検討してみた、というところである。でもまだ三・四年次の仕込みといったところだ。とりあえず、仕込み段階の中でも私は何を得たのか、考えていきたいと思う。

和泉の二年間で得たもの、一言で言えば、それは大学という世界を知りえたということだろう。

高校までの生活と違って、何もかも自由で、全て自分で決めていかなければならないという大学のシステムは始め不安で仕方がなかったが、むしろ少し適当でいいのだということを覚えたのだと思う。しかし、全てが自己責任の世界だ。これくらいで不安になっているくらいだから、今までかなりまわりの人々に庇護されてきたのだなあと実感した。

そして、今まででは考えられないほどの様々な地域や年代の個性豊かな人々に出会い、その人たちから様々な話を聞いた。それも大きな財産であったと思う。そして、大学の学問もそうだ。今考えると六法が何かも知らないで、よく法学部に入ったものだと思うが、やはり法律学は相当難しい。今までの暗記中心の勉強とちがって、学問ともなると自分の頭で考えなければならなく、かなり頭を使う。これも大きな驚きであった。

このようにいろいろ学ぶべきことの多かった二年間だったが、この二年で一番に得たものは自分の心境の変化だと思う。このような周りの環境の変化によって、高校までの私よりは、心のバリアが解けたのではないかと思う。言い換えれば、肩の力が抜けたということだろうと思う。前の私は、くだらないことを深く考え込み過ぎていたなあと思う。考え方も少し楽天的になったと思う。この内面の変化があったおかげで、様々なことに役に立ったし、大人になったのではないかと思う。

仕込み段階の今得たものだと思うのは、このくらいである。改めて考えるとたった二つしかないと思って少し落ち込んでいるが仕方ない。今はこの状態だが、2年後実を結んでいることを願ってとりあえず日々精進していこうと思う。しかし、このたった二つの得たものは今でしか得られなかったと思うしこれは将来大きな財産になると思う。この二年間様々なことがあったが、トータルしてとても良い二年間であったと思う。今までの二年間を基礎に自分という人間が確立していけたらと思う。私にこの環境を与えてくれたみんなに感謝したいと心から思った。大学の残り二年間も大切に過ごしていきたいと思う。

この二年間の営みをこの程度しか表現できないのがとても心許ないが、この一段落を忘れずに前へ進んでいきたい。

 

和泉の二年間で得たもの

 

                         大西 潤 

 あまり詳しく覚えていないが、確か東京での生活を始めたのは入学式の2日ぐらい前だった。大学生になる前まで身分的にフリーターで、アルバイト生活中心だったので、久しぶりに正式な肩書きを持てたことの安心感もあり、すでに緊張感がなくなっていた。そして、今思えば今後の大学生活の苦難を予告するような出来事があった。たった一度の入学式を寝坊してしまったのだ。あの日本武道館での開催ということもあり、いくらか楽しみにしていたというのに。新しい門出に最初からつまずいてしまい、その日はかなり憂鬱な気分ですごすことになってしまった。

 苦難は続いた。なかなか大学生活に慣れることが出来ずにいたのだ。アルバイトをして朝に疲れが持ち越しても1年生の間は必修科目が多く、出欠をとる授業が多かったので、昼もしくは夕方まで寝るわけにはいかない。疲れているとなかなか寝付けないので、授業の合間に図書館で寝たりして体力の温存をした。すっかり生活リズムは反対になって、気分のさえている日は皆無といってもよい状況だった。

 勉強について言及すれば、真面目に取り組んできたとは言いがたい。大学の授業内容といえば、法学部に入ったのはいいものの、法律科目についてなかなか興味を持てず、講義に出るのは億劫だった。(現在においてもいえることだが。)とにかく何をやっているのかわからない。わからないところがわからないという最悪の状態だった。進行速度も速い。先生によって異なるが、一応先生は学生に対し、予習をしてきていることを前提として講義を進める。私はそれについていけずに、1年生のとき、大教室では出席を取らないことをいいことに、まったく講義に出なくなってしまった。そのため、単位を落とす科目も出てしまった。

 2年生になってからは、同じ失敗をしないように少しだけ考え方を変えた。なるだけ講義には出るようにし、その時間内でその科目の勉強をするようにした。予習する時間があるのなら寝る時間に使いたいのが本音だ。だから聴講していてもまったく頭に入らないのなら、あきらめて勝手にテキストを読んで調べたほうが理解できる。たぶん何とか和泉返しは免れるぐらいの成果は残せるだろう。

 こうなったのも元はといえば法律に興味がなかったことが原因だ。たまたま受かったところで、1番偏差値が高かったのが明大法学部なだけだった。法学部生の中には法学部にこだわって受験する人が多いのを、入学してからはじめて知った。以前は新聞記者になりたいと思ったこともあって、法律のような小難しいのを選ばなくてもよかったのではないかと後悔したこともあった。

 しかし、中には興味深い科目もいくつかあった。その中の1つが来年のゼミで取れることが決まった授業だった。単位の数あわせで取った科目だったが、小難しい理論もなく、雑談形式で、先生の歯に衣着せぬ批判的な発言に興味をそそられた。ゼミもあると聞き、期待してゼミ見学にも行った。しかし、期待は見事に裏切られた。雰囲気が最悪だった。3年生にはやる気が感じられなく、いかにもだるそうだったのだ。ゼミ選びも考え直そうと思ったが、見学中、先生は私がその講義に出ているので顔を覚えてくれていて、いくつか質問してくださったので、これも何かの縁だと思い、第一志望で応募したら見事合格だった。

 和泉での学生生活は本格的な勉強のための基礎固めだったと今では思っている。大教室での受身の講義では何かと退屈でしたが、ある程度の少人数で、自ら発表することによる発見の重要性はこの論文演習でも実証済みだ。

 最後の反省はといえば、この論文演習の授業の目標に、自分の文章に酔えるような文章を書きたいと思ったことである。文章表現に酔う、言い換えれば変に小難しい表現を使うことで情報をわかりやすく伝えることを放棄してしまうこと。どんなに表現に凝っても、内容が濃くなければ意味がない。内容が薄いなら薄いで変にかっこつけずに簡明に伝えていく方法を考えていくべきだったと思うのである。自分が表現していることはわかりにくいが、他人が表現していることはわかりやすいものである。他人の長所、短所を見ることで、もしかしたら自分も他人からそのように感じられているのではと、この授業で考え直すことが出来た。世の中に広まっている多くのものは多くの人がわかりやすいように出来ていることを肝に銘じて、文章を書くことを磨いていきたと思うのである。

和泉の二年間で得たもの

                        秦 優一

 

 入学当初、遥かに遠い道のりに思えた大学生活の4年間も、そろそろ山の中腹まで到達する頃だ。一体僕はどんな山を登ってきたのだろう。見下ろしてみれば、意外と歪な形をしているではないか…。

 今思えば、一年生の僕は、大学の勉強において路頭に迷っていたと言うべきかもしれない。目標も定まらず、何を目指して勉強すればよいのかも分からずに毎日を漫然と過ごしてきてしまった。それは成績を見れば明らかだ。法律系科目にとどまらず、教養科目すら単位を落とすザマである。いつかの警察官僚ではないが、「怠慢でした」の一言である。

 しかしある時期僕は、自分が大学生活をどう過ごせば良いのかを真剣に考え始めた。言い換えればそれは、「自分」という意思弱き人間と正面から向き合う作業だった。将来の希望は定まらなかったものの、まずは、目の前に立ちはだかっている各科目の勉強にマジで取り組んでみようと決心した。そして2年生になり、僕の姿勢は変わった。

 積極的に講義に参加してみると、徐々に法律の面白さが分かるようになってきた。それまでは難解なものでしかなかったのだが、実はその難しさが面白いのだと気付いた。もっと早く気づけよ。それを毎日続けていると、だんだん充実感を覚えるようになってきた。勉強って面白い、一年生の僕には無かった発想である。

 大学、私生活と共にたくさんの友人ができた。時折何かに悩む時、それを支えてくれたのは彼等に他ならない。いくら感謝してもし足りない。

 一つ思ったのだが、なかなかキーボードを打つ手が進まない理由がある。「和泉での2年間」というタイトル、これには誤りがある。なぜなら、僕等の2年間はまだ終わっていないからだ。後期試験、そして春休み。この二つを充実させなければ、本当の意味での2年間を書く事は不可能なのでは?もちろん、1年9ヶ月分の大学生活でも書く事は山ほどある。しかし、いよいよ3年生になる頃でなければ、2年間を語ってはならない気さえするのです。その時になって初めて、和泉での生活を振り返ってみたいのです。きっと、自分なりの素晴らしい自省緑が書けるようになっている…はずです。

 そんなこんなで思うのは、「また来年、無事に駿河台でお会いしましょう。」ということなのです。

    和泉の二年間で得たもの          

筒井俊輔

 

和泉の二年間、そう、入学して二年になる。そしてこの二年で得たもの、それは友達、自転車、知識など色々だ。考えたらきりがないし、自分が無意識のうちに得ているものも数多くあると思う。しかし、この二年は自分にとってとても大きなものであるということは確かだ。自分が生きてきた中でどこをとっても無駄な時間などないし、当たり前のことだから、特別この二年間で得たものを書こう。それを言い表すのは難しいが、それは元々あった自分自身というものを作っていくものだと思う。色んな例えがあるかもしれないが、ぼくが思い浮かべたイメージでは、ガンダム見たいなロボットに色んな装備をつけたような感じに思う。このロボットの特徴を挙げればその自分という本質は一見変わらないが、装備一つで性能は全然違う。武器が付けば戦い方も増えて色んな考え方が浮かぶ。羽根をつければ空も飛べる。行動の範囲が陸と空になる。

 

これは一例だからこの位にして、もう一つ、このロボットにはまだ装備をつけることも外すこともできる。そのたびに変化ができるし、可能性も大きく、何よりも自由だ。そしてとてもありがたいものだ。これが自分のイメージだが、この二年間で大切な友達や、自転車や知識などを得たが、敢えて自分自身に着目してみた。そして装備というのはこれらのものではなく、これらのものから影響され、自分の意志で吸収していったものである。この二年間の主題をこれにした理由は色々あるが、この二年間というのは、今までとは違っている。確かに、大学でできた友達は特別でかけがえのないものだ。高校、中学の仲間も同じように大切だ。だが、「装備」を得たと思えるのはそうないことだった。大学に入るまでは、まず「装備」がなくても自分だけの力で、やっていけると思っていた。確かにやっていける。だが、「装備」がある方が楽だ。逆にないことによって、柔軟性がなく、周りどころか、自分すら見えなくなる。そうすると、知らないうちにストレスも溜まり、無駄な労力を使う。初めて味わった挫折にも似た感覚。それから色々な「装備」をつけたり外したりした。現状を打破するために。人の話に耳を傾けたり、楽しみを増やしたりした。得るものもあれば失うものもあった。だが、自分の中の世界は確実に広がった。特に友達の影響は大きい。色んな部分が見えて楽しいし、常に新しい発見がある。十人十色というが、とんでもない。一人で十色はあると思った。こういう感じで、「装備」を得たと思う。でも、装備はあくまで装備であり、乗り越えていったのは紛れもなく自分の意志と力だと思うし、これからも甘んじることなくジオン軍に負けないようにしようと思う。

和泉での二年間で得たもの

大沼淳子

 明治大学に入学してもう二年。今思うとこの二年はとても長かったような気がする。しかし、高校のときに自分が思い描いていた大学生活とはまったく違っていた。とりわけ大学で得たものというと、特に何かに積極的に取り組んだり、新しいことを始めたわけでもない。

 以前は、小学校のときに「愛という名のもとに」を見て以来、ずっとあこがれていたカヌー部のマネージャーになろうと決めていたのだが、中学・高校とソフトボール部に所属していてどこから見ても「体育会系」だったので、大学は文科系のサークルに入って少し落ち着こうと思っていた。しかし、入学と同時に教習所に行き始めたため、サークルの新歓にはあまり行かず、どこに入るかも決めぬまま免許を取ったら入ろうという安易な考えでいた。ところが、結局免許をとったのは11月でなぜか九ヶ月もかかってしまったので、当然サークルには入らずじまい。だらしない性格がさらに悪化してしまった。

 大学にはいってよかったことは、高校ではできなかったことができるようになったこと。

一年の夏に友達と二人で京都までヒッチハイクをした。三人のトラックのオジサン(お兄さん?)に乗せてもらった。そのうちの一人は元競輪選手で、ついこの間までは何千万ももらっていたと聞いてびっくりした。トラックの運ちゃんというと怖いイメージがあったが、皆とても明るくていい人だった。日ごろまったくで会う機会が無い人たちなので、色々な話を聞くことができてすごくよかったと思った。

 去年の夏ベトナムに行ったのだが、チケットの関係で帰りは一人で帰ることになった。しかもシンガポール経由だったので英語を話さずにはいられない状況になった。ベトナムでは完璧に通じていたので余裕だと思っていたのだが、ただ単語を並べていただけだったので文章だとなかなかでてこなくてかなり苦戦した。中学からやっているのに全然身になってないと感じたので日本に帰ったら勉強しなおそうと思ったのだが、未だ状況は変わっていない。

 去年はだらだら生活を脱しようと思い、ソフトボール部にはいった。というか、やはり入ってしまった。運動不足解消と朝7時半からの練習で規則正しい生活ができると思い入ったのだが、7月に入部して以来練習に行ったのは三回。やはり一年間だらだら生活を送ってきた私には早起きというのはかなり高い壁だった。しかし、今年は生まれ変わり、7割ぐらいは練習に行きたいと思う!

 大学と言えば、勉学。と、入学当初は思っていたのだが、振り返ってみるとテスト前ぐらいしかやった覚えが無いし、結構さぼってしまった。これでも中・高は皆勤だったのに・・。

恐ろしいほど緩みすぎているということに今書いていて気づいてしまった。欠席・遅刻をかなりしてしまったが、この授業をとってよかったと今更ながら思った。

 たしか、去年は永久趣味を作るため、ダンスを習うはずだった。今思うと、大学に入ってから色々な経験をしてきたはずなのに、何一つみになってない。車の運転ぐらいだが、それも今や私を肥満にする道具になりかかっている。

今年こそはこの二年間を生かすべく山積みになっているやりたいことリストを片付けて生きたいと思う。

 明治大学大学受講生のぺージへ 明治大学法学部のぺージへ