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和泉の二年間で得たもの

2年11組29番 田母神 圭司

 

小学校・中学校・高校時代、卒業という節目に自分の学校生活を振り返ってきた。その度に時が経つことの速さを実感してきた。そして今、再び僕は人生の節目を迎えようとしている。もうすぐ大学生になって丸二年、今回の節目は今までの卒業の時とは違う。来年は三年生となり、校舎も和泉から駿河台へと変わる。そしてなによりも、将来の職業について真剣に考えなくてはならない一年である。だから、大学生活二年間を終えようとしている今回の節目は、単に学校生活を振り返るだけでなく、これからの僕の人生を考えさせる機会となっている。

高校を卒業する時に将来の自分については、ある程度考えてはいた。しかしそれも現在思い描いている将来の自分とは、大きな隔たりがある。なぜだろうかと考えてみると、それは和泉での二年間が僕に大きな影響を与えたのだからだと思う。ではいったい僕はこの二年間でなにを得て、そしてそれからなにを学んだのだろうか。

得たものの中で最も大きなものは、自分らしさである。高校までとは違い、大学には出身も年齢も異なった様々な人達が集まっている。その中で気の合う仲間とこれまで過ごしてきたことは、とてもプラスになってきた。なぜならその仲間との会話によって、僕自身影響を受けることが多かったからだ。一緒にいて話すことといえば、勉強のことや趣味のこと、将来の夢や日本の政治に及ぶまで、その内容は話す相手によって異なるのは当然で、また同じ内容のことを話したとしても、話す相手が違ければ返ってくる答えも違ってくる。つまり様々な人の、様々な意見を聞くことができるのだ。そのことが自分の考えの参考となり、そしてこの繰り返しが僕自身を高めていった。この二年間で様々な人と出会ったことによって、結果自分らしさというものに気づくことができた。そしてまたこの点で、大学で知り合うことの出来た友人というのは、今の僕にとってかけがえのない存在である。

もうひとつ得たものとしては、法律を学ぶことのおもしろさである。そもそも僕が法学部を選択した理由は、将来公務員になりたいと思っていたからだった。しかし、二年間法律を学んで思うことは、公務員になるためだけに法律を学ぶということはもったいないのではないかということだ。特に二年生になってからは、民法を学ぶことにおもしろさを感じるようになり、民法を学んだことのない人に授業という形で教えたりもした。人に教えるために一所懸命勉強したが、それは全然苦ではなく、むしろ自分の理解を深めるためには好都合であった。そして授業をしていくうちに、もっと民法のことを学び、将来はそれを生かした仕事につきたいと思うようになった。大学入学当初は、公務員になることしか考えていなかったが、今では研究者への思いの方が強いというのが事実だ。だから駿河台での二年間はそのための勉強が中心となるだろう。

このように自分らしさと将来の希望を得ることの出来た和泉での二年間は、これからの僕にとってとても意味のある時間だったと思う。

和泉の2年で得たもの

                     2年11組4番 今泉 雄一

世紀末の受験を終え、21世紀始めての大学生として明治大学に入学してはや2年になろうとしている。あとこの和泉校舎に通うのも1ヶ月ぐらいだ。そう考えると、月日が経つのはなんと速いものかと感じる。思えば、大学生ながら友達ができるかかなり不安だった4月。徐々に慣れ始めた5,6月。そのあたりまでは、大学のシステムに慣れるのに精一杯で時の流れがとても遅く感じていた。いつからこんなに、時の流れるのが速くなったのかとさえ思う。あっと言う間に一年を終え、いつの間にかゼミ選択、そして後期試験を向かえようとしている。

 和泉の二年で得たもの。それは何だろうか。入学前の不安もあったせいか、すぐに頭に思い浮かぶのは友達のことだ。「得た」という言い方は少しおこがましいけれど、よく一年目から気の合う友達に恵まれたものだと思う。勿論今までも友達はいたけれど、今までとは違ったタイプの友達ができた気がする。勉強にしても、趣味にしても、様々なことを吸収する事ができる友達だと思う。そんな友達に出会えた人はそう多くないはずだ。

 次に思いつくのは、時間の使い方が上手くなったかもしれないという事だ。高3の頃から手帳でスケジューリングはしていたものの、それほど忙しくなかったし、受験勉強の計画を立てるのが目的だったため、細かい行動については省略していたので、あまり手帳の意味をなしていなかった。でも、大学に入り、自分の予定を把握しきれなくなったので、ちゃんと手帳を書き始めたおかげで、随分無駄な時間を過ごさずに済んでいると思う。いつ自分の体が空いていてどんな予定が入っていて、何をするのか考えるようになった。今となっては、手帳がないとどうしようもないくらいになってしまった。

 あと得たと言えば、法律の知識に様々な教養だろうか。そもそも、後期テストでいっぱいいっぱいになる自分が、法律の知識を「得た」などと言えるかどうかは定かではないけれど・・・。とりあえず、和泉返しをくらわぬように頑張ろうと思う。

 あと「得た」というより「知った」のは、飲酒量の限界。まだそのデッドラインは不確定ではあるものの、ある一定量で僕の記憶がとぶという事が明らかになった・・・。

 そして、大学にはいって、新たなバイトを始めたことで得たもの。それは、精神的成長と、責任感だと思う。自分で胸を張れるほど、大人になることはできてはいないけれど、(そんな日が訪れるのはいつの日か・・・)大学入学当初よりは、随分とましになったと思うし、仕事を任されることで、責任の重さや礼儀の重要性をあらためて学んだ気がする。また、サークルに所属していない僕にとっては、このバイトがかなり多くの時を過ごす場であり、それによって、色々な仲間を得ることができた。これからも、このバイトで、様々な仲間ができるのも楽しみだ。

こうして文字にしてみると、様々なことを得たような気がする。たとえそれが、他の人にとってとるに足らぬような事だとしても、このようなことを少しずつ積み重ねて、自分らしく3年になりたいと思う。

 

和泉の二年間で得たもの

 

2年4組26番 渋井 政晧

 

 2001年4月に明治大学に入学してから、早くも2年の月日が流れ、気が付くと和泉の校舎ともお別れをしなければならない時がやってきた。私はこの2年間で、「自分の力で生きる」ことはどういうことかを教えられた。部活をしていた中学・高校の時は、ある種「学校」というものに、頼ってきた。例えば、受験の時は、勉強して、試験を受けるのは自分だったが、学部・学科の選択、願書の取り寄せ方などといった事務的なことは、全て学校に頼ってきた。しかし、大学ともなれば、何もかもが自分でやらなければならない。掲示板を見て情報を収集するのも、授業の選択も、全て自分で責任持ってやらなければならない。さらに、極論を言えば、今日学校に行くかどうかも、自分で責任持って決めなければならない。

 現在私は、将来の夢をつかみとるため、資格試験予備校に通い、日夜勉強に励んでいる。また、苦労の受験時代の経験を活かしたいという動機で、塾講師のアルバイトもしている。

アルバイト以外の時間は、基本的に法律の勉強に打ち込んでいる。苦しさのあまり、投げ出したいときもあり、その時は、「自分の力で生きる」ことがどれほど難しいものかを実感させられる。しかし、その壁を乗り越えたときは、「自分の力で生きる」ことが、これほど素晴らしいものであるということは、おそらく実際に経験した方々でないとわからないだろうと思う。

 正直な話、私は明治大学に対し、「憧れ」とか「愛校心」などというものは、決して抱いたりはしていないし、今後抱くつもりもない。なぜなら、明治を卒業して実社会に出て行く以上、もはや、「明治大学」というものは単なる「出身校」の存在でしかないからだ。あくまで、実社会で成功するカギは、「明治大学OB」「明治大学卒」「明治大学出身」といったものではなく、「自分の力」だと思う。私は明治を卒業したら、「明治大学」とは完全に縁を切るつもりでいる。もちろん、明治で知り合った方々とは、一生の付き合いでいきたい。だが、「明治大学」という言葉を自分の口から出すつもりはない。その時の環境、運・不運などを、うまく「自分の力」に取り込んで、人生の成功者になるつもりである。

 和泉の二年間で得た、「自分の力で生きる」ことは、私に「自立心」を芽生えさせてくれたのだと思う。そういう意味で、私は明治大学に感謝をしている。来年から、駿河台のキャンパスに通うことになるが、そこでは、和泉の二年間で得た「自分の力で生きること」「自立心」に、更なる磨きをかけていきたいと思う。

和泉の二年間で得たもの

所 隆亮

月日が経つのは早いもので、大学に入って二年が過ぎようとしている。この二年間を振り返ろうとせず、ただ闇雲に突き進んでいた気がするが、ここでほんの少し、自分の二年間が何だったのか考えてみたいと思う。ヒトの人生五十年を考えると、二年間は短いのですが。

 入学したとき、わたしは敗北感に打ちひしがれていた。受験戦争に敗れ、仕方なくここへ来たという感じがしたからだ。人生は競馬と同様、勝ち続けなければいけないというとあるベンチャー会社の社長が言っていた言葉があるが、私の場合、正直負け戦である。昔もそしてこれからも・・・。実際、あまり素直に大学生活を喜んでいない自分がいたのであるが、入ってしまうとそんな事を忘れてしまう自分もいたのである。日々のカリキュラムをこなすのに精一杯で、あまりゆっくり考える時間がなかったのかもしれない。余裕があるようで、余裕がない。本当に…。

この二年間で学業に関して感じたことは、当たり前だが、法律の勉強は難しいというのを深く認識させられたことである。ここで余談だが、法学部に行きたいと決めたのは、高校一年の頃だった。親は、法学部じゃなくて、自分の興味のある文学部の方に言った方がいいと最後まで反対していたが、わたしは最後まで文学部に行くことを拒み、ここの入学を選んだのである。法律の勉強をしていて一番難しいのは、膨大な条文をどう覚えるのか、理解するのかである。というかそれに尽きる。今、一年の頃に勉強したことをどれだけ覚えているのかと考えたら、皆無に近い。もう一度教科書を読んだら、思い出すといったことの繰り返しである。これは仕方がないことかもしれないが、改善していかなければならないと思っている。日夜、本と格闘である。理解することにも大変苦労する。なぜなら、一つのものに判例、通説、学説などがあるためである。そのため、あやふやなまま理解してしまうこともある。毎回、予、復習していく必要がある。だが、私はやっていない。

大学生活をしていて一番得たものは、共に勉強する仲間を得ることが出来たことである。出身が岐阜だからという訳ではないが、関東方面の大学に行く人が少なく、中学、高校の友達が皆、地元及び関西方面の大学に進学したため、入学当初は孤独を感じていたし、不安だった。しかし、入学してすぐにクラスメートと仲良くなり、この二年間、楽しく大学生活を送れていることを考えると、この大学に入って良かったと思う。楽しい環境で勉強出来ていることは、人生の極みである。これが無ければ、おそらくわたしはヒッキーになっていただろう。もしくは退学していたかもしれない。この人間関係を大切にしていきたいと思う…一生(笑)。

あと、国語を含め、ニ年間お世話になった上原先生に感謝。

和泉の二年間で得たもの

明治大学法学部二年五組三十一番 中村真之

 早いもので明治大学に入学して、まもなく二年の歳月が流れようとしている。来年にはこの慣れ親しんだ和泉校舎から、駿河台校舎へ移るはずである。

 ここで私がこの二年間を省みた時、果たして何を成したか、何を成さざるままに放置したのか、を考えねばならない。

 学生の本分とは世に問うまでもなく学問である。だがこの二年間を振り返った時に私は胸を張って学問に専従したかと問われれば、甚だ疑問符をつけねばならない。

 入学する前から「大学のレジャーランド化」という芳しくない昨今の大学事情は聞いていた。なにより高校までの学校教育や予備校などの授業になれきっていた私にとっては、大学の授業は退屈と怠慢の蔓延る物以外の何物でもなかった。

 無論興味深い授業もあり率先して出席はしたものの、それほどの勉強を必要としない、なにより要求されないシステムにより、勉強その物に対する興味を無くしていった。その代わりに私は本と映画に熱中した。

サークルやアルバイトをする傍らで、決してペースは速いとは言えず、年間百冊というそれ程高くはないノルマを稼ぐことすらできなかっただろう。しかしそれらは確かに自分の糧になった、あるいはなるであろうと確信している。映画も視聴覚棟という学校の施設をフルに活用し、観た本数は決して多くはなかったが古今東西の名画を見たという自負はある。

もちろん今まで勉強を怠っていた弊害は出てきている。これから本腰を入れねば後々どんな惨状に陥るかは火を見るよりも明らかだ。

それでも九割方後悔はしないだろう。今の若い時代に、何かに出会うことは後々大きな財産となりうる、と一般に広く流布している言葉を時々思い出す。サークルやバイトで出会った様々な人々と経験は、元来出不精で内向的な自分の考えに大きな影響を与えたし、社会に対する耳目もより鋭くする役目を果たしたであろう。

残りの一割はやはり勉強だろう。来年こそは、と思う。今ここでやらねばならないという意志と焦燥感にじりじりと背中を焦がされつつ、これからの人生をもう一度考え直したい。

――とは言え、多分来年もあまり勉強しないんだろうな……。

和泉の2年間で得たもの

 

2年11組33番 西谷信則

 

私が、明治大学に入学して、もう2年が経過しようとしている。大学に入ってからの、2年という月日は、今まで過ごしてきた中で、最も早く感じられた2年だった。しかし、その中で得ることが出来たものは、数知れない。時間がいくらあっても足りないと思っていた高校時代。その高校を卒業したと同時に、自由な時間が、私の生活の多くを占めていった。これ程までに、自由な時間があることは初めてだったため、最初のうちは、時間を持て余し、今思うと、もったいないことをしたと思う。でも、逆にそんな時間があったからこそ、今の自分があるのだ!と考えると、良かったのかもしれない。人間、時には時間を持て余して、時間の大切さを改めて知ることが、必要なのだろう。大学に入り、今までとは違い、自分からどんどん行動を起こしていかないと、前に進んでいかない、何も起こらない、と痛切に感じた。この2年間で自分が変わったこと…。そう自分に問いかけてみると、車の免許を取得したことが、浮かんでくる。幼い頃から、車が大好きで、『運転できる=大人』と思ってきただけに、免許を取り、自分で車を運転できることが、大人になったと感じ、嬉しくてたまらなかった。さらに、今までよりずっと、行動範囲が広り、色々なところに行けるようになった。しかし、乗っている車がベンツということで、周りの知り合いの人からは、よく怒られ、今ではもうないが、初心者マークをつけて乗っていると、あおられたりもした…。この2年で一番変わったことと言えば、それは法律の勉強を始めたことだろう。実際、大学に入り、法律に触れてみて、難しいけれど、奥が深くおもしろい学問だと思った。この勉強のおかげで、実生活の中での色々な物事の考え方・捉え方というのもが、すごく変わった。今、本当に法学部に入学して良かったと思っている。将来のこと、今はまだ、はっきりとは決めていない。これから、じっくりと自分が何をやっていきたいのか、自分には何が出来るのか、考えて行こうと思っている。そのためにも、今の自分に出来ること、勉強を、精一杯やっていくつもりだ。しかし、勉強だけになるつもりはない。適度に遊び、適度にバイトをし、人間性そして社交性というものも同時に高めていきたい。最後に、私がこの2年間で得た大切なもの、それは仲間のすばらしさだ!大学に限らず、バイト、小学校から高校の間に知り合った仲間達。それは、かけがいのないもので、一生の宝だ。この仲間達がいなければ、今の自分などいなかった。その仲間達の大切さを改めて知った2年間だったように思う。これから、大学を卒業するまで、まだもう2年ある。一生の中で、一番自由な時間であろうこの2年を無駄にしないよう、生活にめりはりをつけ、充実した日々を送っていき、卒業するときには、大学生活を誇って卒業していきたい。

和泉の2年間で得たもの

吉田靖

 私は大学に入ったから何を得たでしょうか。知識を得たのでしょうか。確かに、わずかながら知識も得たかもしれません、しかし、あまり勉強しなかった自分に責任があるのですが、私は自信を持って、多くの知識を得た、と言う事はできません。では、この2年間で得たものは皆無であったのでしょうか。この疑問に対する解答としては、半分そうであるとも言えるし、半分そうではない、という事ができると思います。

 私は、恥ずかしながら、今まで、大変、受動的な人生を歩んできたと言う事ができると思います。最近の例で言えば、大学受験を挙げる事が出来るでしょう。確かに、自分の意志もありましたが、しかしながら、私が大学に進学した事は、周りの人々がそうしていたという事や、親等の薦めたという事に大きく由来すると言わざるを得ません。大学受験ですらそうなのですから、いわんや高校受験をや、です。しかも、それに加え、私はそれでいい、と肯定的に考えていました。なぜそうであったのか、その理由を考察してみると、ひとつの解答として、それが楽であるから、という答えを示す事が出来ると考えられます。換言すれば、自己決定する事は、大変困難で、また勇気が必要だから、という事です。先の例に当てはめて考えると、大学受験を考える上で、ある程度自己において将来の目標を見据え、自分が、入学して何をしたいのかという事まで考えを巡らせて、はじめて受験を決定する事が必要であったのですが、私は、それらを考え、決定する事が難しかったので、放棄してしまったわけです。

 では、私の周囲の人々はどうでしょうか。この点に関して、多くの人々は、私と逆であったと言えるでしょう。大学に入ってから如実に思い知らされた事ですが、多くの人々は、自己の信念というもの、換言すれば、自己の定点ともいうべきものを既に確立しており、それに従って行動しているように思われます。そして、また、その信念、定点あるいはそれに基づくある程度の将来目標を基準にして、受験という自己決定をしてきたのであるとも感じられます。きっと、それらが確立しているからこそ、今、彼らは大学において、大いに勉学に励む事が出来るのでしょう。

 ここにおいて、2年間で何を得たのかという疑問に戻ってみたいと思います。私はこの2年間で、早いうちに何を定点として、何を目指すのか、自己決定しなければならないという事を感じるようになりました。この感覚は多くの人々が、同じ行動をする高校時代、あくまで私がそうであると誤認していただけですが、には、私にとって、感じづらい事柄であったように思われます。換言すれば、かなりの部分で個人主義的ともいえる大学であるからこそ、私は、ようやく自己決定の大切さに気づいたとも言う事が出来るでしょう。つまり、私はまだその領域に達してはいないものの、皆がいつの間にか私よりはるかに高い次元で物事を判断するようになっていた事に気づいたのであって、したがって、冒頭に述べたように、私はこれらの事を、得てはいないものの、気づいたという意味において、半分、得たものがないとも言えるし、得たものはあるとも言えるわけです。

 この観点から、残りの学生生活の中で、早く自分の人生の方向を考えていこうと思います。

和泉の二年間で得たもの

                      大島洋之

 私がこの二年間で得たものは何か、そう聞かれれば、まことに恥ずかしいが、はっきりと答えることはできない。それは、得たものがあまりに抽象的で答えられないというのではなく、何かを得られたという実感がないからである。

 大学生活といえば、怠惰な日々の連続というのが世間の相場だが、私の場合それに輪をかけてひどかった。授業にはろくにでなかったし、年中休暇とも言うべき毎日を過ごしていた。それは、生来持って生まれた、怠け癖に原因があることであるが、それ以上に、退屈極まりない授業に原因がある。学級崩壊ともいうべき語学の授業、授業の質の低さ以上に、騒いでる学生を抑えることもできない教師に嫌気が差していた。それは語学の授業に限らず、大教室の授業にも言えることであった。私は大学に失望していた、高校時代の、自分の苦労が裏切られたような失望感にうちひしがれていた。自分は大学に期待を持ちすぎていたのか、そんなことを思う毎日だった。そんな自分だったから、お世辞なしに上原先生の授業には救われた思いだった。大学で初めてまともに授業をやる人を見た気がした。

上原先生は、非常に教養のある先生で、それが授業に反映して、授業が非常に面白かった。大学から得られたものといえば、上原先生から得られた知識ぐらいである。

 大学から得られたものは、前述のようにほとんどない。しかし、大学生活から得られたものなら、それなりにあるかもしれない。あえて言えば、大学生活の中から、処世術ともいうべき人間関係のあり方を学んだと思う。具体的に言えば、私は怒ることを学んだ。今までの人生で、私はあまり怒ることなどなかった、私が正しいはずなのに、私のほうが折れるということがほとんどだった。その結果、私は数え切れない屈辱を味わってきた。しかし、この怒りといういう感情はその屈辱を味あわずに済ませてくる、かつ、よい結果をもたらしてくれる。サークル活動でバイトで私は、この感情をフルに活用している。その結果、私の今までの人生では見えなかったものが見えてきたような気がした。これは得たものといえるだろう。

 これ以外に得られたといえるものはない、むしろ、惰性に任せて送った日々の生活の中で、失ったものの方が多いと思う。しかし、上原先生以外にも、まともな授業をやる先生を見つけた。幸いにも、その先生のゼミに入ることができたので、来年からは充実した日々を送れそうである。

『和泉の二年間で得たもの』

山崎祐輔

 大学に入って二年間、その短い時間の中で今まで経験したことのないくらいとても多くのものを得たと思う。その中で得たものといえば、自分の行動に責任を持ち、大人になるということについての自覚を持たなければならないということだ。今まではどんな悪ふざけをしていても度が過ぎれば、何かと注意をしてくれたり、困ったときには助けてくれる先生がいた。しかし大学には、そこまで個人にかまってくれる先生はいない。自分は今まで年長者の意見を聞く事が大好きで、昔からとても多くの先生と親しくてきた。大学に入って、自分にアドバイスを与えてくれる大人がいなくなり、最初のうちは不安で寂しかったのだが、大学生とはアドバイスをもらう側の子供ではなく、アドバイスできるくらいの大人にならなければならないのだということを自覚させられた。今までのように他人に甘えてはいられないのだ。また、今までは今やるべきことが目の前に与えられていて、それをこなしていくだけで時間が過ぎゴールに近づけた。しかし今では、自分の時間がとても多くあり、自分自身で、何をしたいのか・何をすべきなのかを考えなければ、するべきこともゴールも何も現れない。今までのように何かを待っているだけだと時間だけが無駄に過ぎていってしまう。それなのに自分は、はっきりとした目標がつかめず楽な方ばかりに逃げてしまっていた。大学生全員がしっかりとした目標を持ちそれの向かって頑張っているというわけではないと思う。自分と同じように楽しいことばかり夢中になり、考えるべきことから逃げている学生も多いだろう。確かに、高校生では経験できない大学生ならではの遊びもこの二年間で多く覚えてしまった。それが悪いことだとは思わないし、今しかできない貴重な時間であるとも思う。しかし、大学生として今するべきことは当然他にあるはずだ。この大学生活の中で自分にとって最も多きかったのは、とても大人でしっかりした友達を得たことだ。彼らといると、自分も何かをしなければならないという気持ちになり、挫折しそうになっても彼らに着いていかなければという気持ちが、挫折の危機から何度も自分を救ってくれた。自分は人に影響されやすく、悩むことが大嫌いなので、もし彼らに会うことができず、自分と同じような人間ばかりと付き合っていたらとっくに大学生活に挫折し無駄な四年間を送ることになっていた気がする。今の自分は彼らに何かを与えてもらうばかりで、お互い刺激し合える仲になるには程遠いが、残りの大学生活の中で自分が誰にも負けない何かを得て、卒業するころにはお互いに何かを与え合える仲になりたいと思う。今まで付き合ったことのない、とても大人で頼もしい仲間を得たことが大学生としての自覚を与えてくれ、大人になるための大きなヒントを与えてくれた。そして、そのおかげで今では自分の大学生活に自信を持てるようにもなった。残り二年の大学生活も今以上に有意義なものにしていきたい。

 


和泉の二年間で得たもの

中村佳裕

 そろそろ後期試験に向けて勉強しなければならない。今回は法律科目の試験がたくさんあるから今から勉強しても遅いくらいだ。というか俺という人間はいつもこうだ。やるべきことをいつもギリギリまでやらないで、ギリギリになったら慌ててやろうとする。高校生のときもそうだったから、大学生になったらその悪い性格を直そうと何度思ったことか・・・。現状は見ての通り。こうして先週提出のはずだったレポートを今頃書いているし、ちなみに休み時間も友達からもらった板書の写しを、あたふたコピーしているというわけだ。

でも大学生になって得たものがないのではない。この2年間で得たものは、かけがえのない多くの「経験」だ。サークルに入って夏・春休みに、北海道・九州・東北地方等日本各地を旅行した。日常生活ではそのサークルでの週2回の練習。そして練習後は(激しく)お酒を飲んだ。クラスメイトでサークルに入っている人が少ないように、大学生のサークル離れが進む中、そのサークルで活動したことは、他の大学生よりも、大学生しかできない充実した経験をしたという思いがある。もちろんあと9ヶ月は熱心にサークル活動を続けていくつもりだ。

そして大学生の8割が経験済みというアルバイトも、人並み、むしろそれ以上に経験した。試験期間中に週5回働いたこともあったし、自己最高で週7回働いたこともある。フリーターのように1年以上週6回働いているクラスメイトには敵わないが、この2年間で5つの職業を経験し、それが全て接客業であったので、言葉使いやマナーが身に付き、「たかがアルバイト」でも少し社会経験を積めたことは今の大きな財産だ。

他の大学生よりも経験が足りないことは、勉強だ。これからはサークル・アルバイトと並行して、勉強にも力を入れて取り組みたい。

何歳生きられるかわからないが、この2年間、そして残りの2年間を、多くの充実した「経験」で一杯にして、それが残りの人生に匹敵するようなものでありたい。大学生の生活は、社会人になるまでのモラトリアムに過ぎないと言う人もいて、たしかにそれを否定しないが、これからの人生に役立つような経験を積むための期間として生活するなら、それもいいのではないか、と思う。

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