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和泉での2年間を振り返って   2年13組7番  惠良 泰彦

 早いもので、和泉での2年間がもう終わろうとしている。そして、それは大学生活の中間点をむかえることを意味している。4年間というのは、これまでの学生生活のなかで、最も短い期間である。中学、高校と何の変化もなく6年間、同じ学校に通っていたことで、余計に短く感じられるのだろう。加えて、大学生としての2年間は、これまでとは比べものにならないほど、充実し、毎日が刺激的だったからなのかもしれない。

 中学・高校時代は、1時間くらいかけて電車通学していたものの、学校が横浜市内とはいっても人里離れたところにあったことで、授業が終わったら部活動をして、へとへとになって帰る、という毎日を過ごし、たまに放課後にボーリングやカラオケをするくらいだった。塾がある日以外は、ほぼ毎日、夕食前に帰宅していた気がする。

 こんな中学・高校生活をしていたのだから、大学生としての生活には驚くことばかりであった。時間割に空き時間が多いこと、出席を取らない授業であればサボってもまったく問題がないことなど、それまでとはまったく違う世界であり、カルチャーショックを受けたようであった。

 そんななかで、私の大学生活に最も影響を与え、得るものが多かったのは、サークルだったと思う。サークルは、学部や学年を超えて、出身地も個性も違う、さまざまな人たちの集まりで、今の自分にとっては、授業よりも重要な存在だと言えるし、もしサークルに入っていなかったら、あまり大学に来る気も起きないし、空き時間にすることもなくて、今ごろ大学をサボり続けているかもしれないといっても決して過言ではない。こう思うほど、サークルに所属していることで、サークル活動やさまざまなイベントなどを通して、充実した毎日を過ごすことができているのだと実感している。

 また、大学生になって自分の周りの世界が一気に大きく広がったことで、大学生として、そして今年の夏からは成人として、これまで以上に社会の中で自分が果たしていくべき役割が大きくなっているように感じる。中学生や高校生のときは、まだいろいろなことを学ぶ立場であるが、大学生ともなると、社会人への準備期間として、これまで以上に判断力と自分の決断に対する責任が問われる。

そして、大学生としての最大の決断は、卒業後の進路、つまり就職であると思っている。終身雇用型の時代はすでに終わったといっても、やはり社会人としての第一歩をどう踏み出すのかということが、その後転職するにしろしないにしろ、人生を左右する重要な局面であることは確かである。また、自分の希望する職を見つけ、希望通りの職に就けるかということは、社会人として自分の役割を果たしていくうえで、自分の職業に誇りをもてるかということにつながってくる気がする。

4年生になるとすぐに、就職活動が始まる。もうあと1年である。駿河台は、和泉とは違った雰囲気だそうだ。和泉でののんびりとした大学生活を惜しみつつも、これからの1年間を有効に使わなければならないと思っている。

恵良泰彦の自分史

1980年8月27日午後6時50分、横浜で生まれる。身長55センチ、体重3900グラムで、その日同じ病院で生まれたなかで1番大きかった。

1981年 すくすくと育つ。

1982年 今の住所に引っ越す。

1983年 スーパーで迷子になって、一人で帰宅する。

1984年 YMCAの幼児教室に通う。しかしあまり記憶にない。

1985年 近所の幼稚園の年中組に入園。

1986年 幼稚園でブランコにぶつかり、両鼻から鼻血が出て、止まらなくなる。

1987年 横浜市立本町小学校に入学。

1988年 授業参観の日に、自分のザリガニだけが逃げていて、パニック状態になる。

1989年 小学校の学区内で横浜博覧会が開催され、遠足として徒歩で行く。

1990年 小学校の書道大会で、過去3年連続で銅賞だったが、初めて銀賞を取る。

1991年 林間学校で箱根に行く。登山中に気分が悪くなり、リタイアする。

1992年 修学旅行で日光に行く。この頃は、まだサルが日光のシンボルだった。

1993年 神奈川大学附属中学校に入学。初めての電車通学で、面白かったような気もするが、ラッシュを毎日体験することになる。

1994年 部活動で、横浜市の夏季卓球大会で、2年生ながら3年生に混じってベスト32に入り、県大会に進むが、初戦敗退。

1995年 スキー教室で志賀高原に行く。初めてスキーをしたのだが、なかなか好感触。

1996年 神奈川大学附属高校に連絡進学。入学式は1分で終わり、教室は中3の教室のすぐ隣で、全く実感が湧かない高校生活のスタート。

1997年 修学旅行で長崎・沖縄に行く。5月末に行ったので、沖縄は梅雨の真っ最中。

1998年 ようやく大学受験へ向けて動き出す。しかし、日本史の教師と、放課後の特別講義について職員室で大喧嘩する。その後しばらく、先生たちになじられる。

1999年 なんとか明治大学法学部に入学。友人に連れられて、「明大タイムス」という履修王を作っている雑誌サークルに入る。

2000年 元日から水疱瘡にかかる。正月なので入院をあきらめ、自宅療養。2月には、念願の自動車免許を取得。しかし3月には、コップの破片で指を切り、縫うほどのケガ。

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