『枕草子』鑑賞

心にくきもの   192段

章段の内容概説

「もの」尽くしの類想的章段が、随想へと展開し、さらには回想的章段の要素をも併せ持ちつつも、最後は、「心にくき〈モノ〉」としての供回りを論じて一連の連想が首尾一貫する、最も典型的な『枕草子』の感性の連鎖が綴られている章段である。宮中の女房の夜の生態を描写する随想、ついで、随想的回想へと展開し、室内の描写から室外の描写、長徳元年当時の頭中将斉信のあでやかなふるまいを回想し、洗練された男性貴族の勇姿から戸外路上の供回りの洗練された服装が「心にくく見」えるものとして締めくくられている。

章段後半の史実年時

この章段の斉信関連の史実年時は、「五月の長雨の頃、上の局に、小戸の簾に、斉信の中将寄り居給へりしかば」とある本文から、斉信が頭中将であって、中宮が弘徽殿を使用していたことなどの諸条件を勘案すれば、参議に任ずる長徳二年(九九六)四月以前と言うことになる。くわえて、中宮が登花殿もしくは梅壺に在った時の事とすれば、長徳元年(九九五)五月のことと考えられるが、さらに「(香の)大かた雨に湿りて艶なる気色」と記述されることも考慮すれば、この年の入梅である「五月十四日」以降の記事ということになる。本段は、いわゆる類聚的章段群にあって、史実年時の特定可能な数少ない章段のひとつである。

本段の主題−「心にくき」感性の連鎖

 本段の主題を一言で要約するならば、「心にくき」心象風景を融通無碍に思い描いたものとすることができよう。それは論理的に筆が進められたと言うよりも、感性のおもむくまま、放射状に描かれたというべきものである。ただし、その筆は常に「心にくし」という一貫したテーマのもと収斂する構造を有しており、彼女の心象風景が視覚的印象・聴覚的印象・嗅覚的印象の連鎖と交響によって、統一的な観念として彩られた「心にくき」<〈モノ〉たちの珠玉の断章群となっているのである。

 萩谷朴によれば、「心にくき」とは、「相手のすぐれた様子に対して、内心憎しみを感じるほどに心を惹かれるというのが、形容詞ココロニクシの原義であるが、ここでは、間接に相手の美点を感受し心を惹かれる、オクユカシに近いものを随想乃至回想している」(『解環』四巻)、かなり洗練された都会的な感性であるという。かくして、この章段に取り上げられた「心にくき」〈モノ〉は、「宮中の女房のしぐさ」「女房の夜の生態」「室内の描写」「室外の描写」「長徳元年当時の頭中将斉信のあでやかなふるまい」「戸外路上の供回りの洗練された服装」など、論理的には整理することの難しい感性の論理ともいうべき連鎖が展開されているわけである。

貴公子「斉信」への憧憬

 ところで、「心にくき」〈モノ〉の連鎖によって紡がれる本段において、一際異彩を放つ、〈貴公子〉・頭中将斉信の記述が据えられた理由について考えておこう。

 まず、藤原斉信という存在は、『枕草子』を読む限り、清少納言にとって、藤原行成と並び立つきわめて重要な存在であったようである。たとえば、「頭中将の、すゞろなるそらごとを聞きて(七八段)」では、行き違いからか、ひどく清少納言に立腹していた斉信が、白楽天の「蘭省花時錦帳下」になぞらえて、中宮の庇護のもと(=「錦帳の下」)にいる清少納言に、「廬山草堂夜雨独宿」と答えるべき下句を敢えて尋ねたところ(「廬山草堂」は斉信の境遇の意となる)、彼女は機転を利かせて詩句を翻案し、「草の庵を誰かたずねむ」と答えたのであった。すなわち、「錦帳の下」にいるのを斉信へと転換し、草庵暮らしの清少納言が彼の訪れを待つ心を答句として恭順の意を表明することにより、斉信の怒りと周囲の噂による誤解を解いたのである。淡々とした筆致の中に、深層の心理的葛藤が隠された秘めごとのように記されている。ところが、三巻本で連続する「返るとしの二月廿余日(七九段)」の段においては、一転して、翌・長徳二年二月二十七日の、梅壺における斉信の衣裳が、まめで舐め回すかのような清少納言の憧憬に満ちた視線によって描かれている。例えば、「(斉信)めでたくてぞ歩み出でたまへる。桜の綾の直衣の、いみじうはなばなと、うらの艶など、えもいはずきよらなるに、葡萄染の、藤の折枝おどろおどろしく織り乱れて、紅の色・擣ち目など、かがやくばかりぞ見ゆる」とまで詳細の限りを尽くし、加えて、彼のふるまいに清少納言は、「絵に描き、物語のめでたきことにいひたる、これにこそは」とまで思ったとまで記されている。まさに、この斉信こそ、彼女にとっては、「めでまどは」されんばかりの、「心にくき」〈貴公子〉なのであった。

「音なひ」「香」「衣裳」「調度」−〈モノ〉による心象風景

 かくして、「心にくき」〈貴公子〉斉信を描いた感性が、本段では、「心にくき」〈モノ〉と〈人〉とを統合する観念として展開されることになる。

 冒頭は、女主人の優雅なしぐさと、それに呼応していそいそと働く若い女房の衣ずれの音から、呼吸のぴったりと合った緊張感が醸し出され、食事の際の食器の触れあうささやかな音。隔て物で仕切られた空間の聴覚的印象が、清少納言のコーディネートによって、あざやかな心象風景として再生する。ついで、家具や調度のきちんと整えられた部屋で熾された火によって照らし出される御帳台の紐や火箸など、視覚的印象へと視点が転換されると、物語の世界は昼から深夜へと移り、女房たちの記憶の中の、夢うつつの世界へと誘われる。ところが、碁石の音がしたかと思えば、闇夜のひそひそ話の中に男の忍び笑いが漏れ聞こえたりすると、感性の連鎖は聴覚的印象に回帰し、弛緩した感のある空間は緊張感が張りつめる中宮の御前の場面へと転換される。中宮の御前に膝行する「うちそよめく衣の音なひ」の「なつかし」さ、中宮の「ほのかに仰せ」になる声に、若い女房が、遠慮がちに、聞き取れぬほどのお答えをして静まり返る気配など、まさに、息を呑むほど張りつめた〈女〉の世界が、女房達のひそひそ話の中で閉じられて行く。

 世界は一転して、隔て物で遮られた男性貴族の、〈男の気配〉が描き出される。こっそりと逢瀬を楽しむ男の「頭つき」がほの見えたり、その女の几帳には「直衣」「指貫」などが掛けられていたりする。他の女たちには、男の官位を示す袍の色も気になる。〈男の気配〉は、さらに「薫き物の香」という嗅覚的印象を介して、清少納言にとって「心にくき」象徴である頭中将斉信が、あでやかで鮮烈な残り香の記憶の中に呼び覚まされる。かくして〈男〉の鮮烈な印象は、郎等たちの「つややかな」身の回りの品々が彼らの魅力と相俟って躍動的に活写されることで、「心にくき」感性の連鎖は円環の中に完結する。

主要参考文献

萩谷朴「枕草子解釈の諸問題FL」『枕草子解釈の諸問題』(新典社・平3所収)、萩谷朴「枕草子語彙事典」『枕草子必携』(学灯社・昭42)、高橋亨「枕草子鑑賞『心にくきもの』」『枕草子講座 第三巻』(有精堂・昭50)稲賀敬二「心にくきもの」『枕草子入門』(有斐閣新書・昭55)

賀茂へまいる道に 212段

章段の内容概説

賀茂神社へ参詣の途中、田植えする農民の姿を見た折の随想である。前段で五月の節句の前日に、きちんと切りそろえた菖蒲をたくさん担っていた男の連想から、初夏の風物詩とも言える光景が、田植え歌と言う聴覚的印象に転換される形で描き出されている。しかも「田植え歌」には、清少納言の大好きな郭公が、賎の田長{しずのたおさ}よろしく、農夫に仕事を督促するかのようなイメージで詠み込まれていたことから、この歌と、もうひとつの清少納言の贔屓である、『うつほ物語』の藤原仲忠とを「いひおとす人」こそ「いとつらう、憎けれ」と締めくくられたのである。

 なお、能因本にはさらに「鶯は夜鳴かぬ、いとわろし。すべて夜鳴くものはいとめでたし。ちともそはめでたからぬ。」のパラグラフが付加されている。また、前田家本・堺本にはこの段そのものがない。

清少納言のマイブーム

清少納言は、自身のお気に入りのものには徹底的な贔屓を書き記した女性である。その清少納言のマイブーム(個人的なお気に入り)の代表は、郭公と『うつほ物語』の藤原仲忠であった。

 郭公については『枕草子』に再三言及が見られる。「鳥は(三九段)」には真打として登場し、「郭公は、なほさらにいふべきかたなし」とその愛らしさが記される。また、「五月の御精進のほど(九五段)」の段では、「『つれづれなるを。郭公の声たずねにいかばや』といふを『われも』『われも』と出で立」ったことが記されるが、これは『後撰集』撰者たちに見られる、当時の歌壇の新風であった「尋郭公」の趣向を、和歌ではなくあえて散文表現として試みたものであることが知られている。さらに「日は出でたれども、空はなほうちくもりたるに、『いみじう。いかできかむ』と、目をさまし起きゐて待たるる郭公の、『あまたさえあるにや』と、鳴きひびかすは『いみじうめでたし』と思ふに、鶯の、老いたる声して、『かれに似せむ』と、雄々しくうち添えたるこそ、憎けれど、またをかしけれ」「見物は(二〇八段)」ともあって、その愛好のほどが知られよう。

 また、『うつほ物語』の男主人公・藤原仲忠については、「返るとしの二月廿余日(七九段)」の段において、中宮の御前で物語談義をした折に源涼{底本の表記は「すし」}と仲忠の優劣論争を展開している。その中で清少納言は、幼少期の仲忠のうつほ暮らしを非難されたものの、天女まで舞い降りるような琴の秘技によって、帝の皇女・女一宮を妻に得ることになった仲忠を養護する論陣を張っている。さらに、「さて、左衛門の陣などに行きて後(八二段)」では、『うつほ物語』の「吹上」巻で天女が舞い降りた際に、仲忠の詠んだ「朝ぼらけほのかに見ればあかぬかな中なる乙女しばしとめなむ」の第四句を引いて、朝ぼらけの中を左衛門の陣の方へ歩いていった自分の後ろ姿を、天女のように素晴らしいでしょう、と中宮に切り返している。すると中宮は「仲忠が面伏せなる事は、いかで啓したるぞ。(本文は集成による)」と、さらに仲忠を讃美して、清少納言のようなお婆さんの天女と一緒にしてはならない、と清少納言をからかったのであった(集成・解環による)。このように、『枕草子』の物語に言及のある章段をたどっただけでも、中宮定子サロンにおける『うつほ物語』の浸透力は目を見張るものがある。それゆえ清少納言は、「物語は(二○一段)」において、『住吉』と肩を並べて『うつほ』の「殿移り」(現行「蔵開下巻」。集成説。)を秀逸と推挙したのは当然であったと言えよう。

 ところで、『源氏物語』絵合巻の「物語絵合」には、梅壷女御方から、『竹取の翁』、『伊勢物語』に加え、光源氏じしんの『須磨の日記絵』が出品され、対する弘徽殿の女御方からは『うつほの俊蔭』『正三位』、そして『年中行事絵巻』が出品されていることは周知のことである。光源氏を方人{かとうど}に擁する梅壷方が、「いにしへのゆゑある」物語を選んだのに対し、弘徽殿の女御方は「今めかしく、をかしげなる」物語で対抗したのである。これには、『竹取の翁』の物語を「物語の出来はじめの祖」とし、みずから『源氏物語』をその末裔として位置付けようとする、現代の日本文学史観に通ずる展望を持つ紫式部と、『うつほ物語』や継子いじめの物語に古代小説の典型を見出した、清少納言の物語観とを重ね合わせてみることも可能なのではなかろうか。このような物語文学史観は、漢詩文や和歌文学よりも下位に評価されていた当時にあって、はやくから物語そのものに、人生の「いとまことの事」(『源氏』蛍巻)が秘められていることを認めていた女性作家たちの存在が認められよう。ちなみに、『落窪物語』を源順{みなもとのしたごう}の作とし、清少納言が補筆したとする稲賀敬二説がある。童生いのころうつほ暮らしを経験した仲忠や、継子いじめの物語に対する清少納言の一方ならぬ肩入れが想起されもしよう。

主要参考文献

森本茂「枕草子鑑賞『賀茂へまゐる道に』」『枕草子講座 第三巻』(有精堂・昭50)上野理「鶯と郭公」『枕草子入門』(有斐閣新書・昭55)車田直美「『尋郭公』考−『枕草子』『五月の御精進のほど』の段をめぐって」(「中古文学」第五四号・平六・十一)稲賀敬二「清少納言の物語創作」『枕草子入門』(有斐閣新書・昭55)

『枕草子大事典』(勉誠出版.2001年)所収草稿