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光源氏の子孫と子孫とされた人々

              源氏物語の女たち

小原美樹子 

 私は源氏物語に登場する女性たちのなかから、空蝉、夕顔、末摘花、玉鬘、女三の宮、大君、中の君、浮舟の八人の女性たちについて調べました。これら八人の女性たちは大きく二つに分かれ、前半の空蝉〜女三の宮までは、源氏に関わる女性であるのに対して、後半の大君〜浮舟までは、薫に関わる女性である。

  空蝉 《衛門督の娘》 

若い頃に両親と死別する。年老いた伊予介の後妻となる。伊予介の先妻の子紀伊守邸で、“方違え”に来た光源氏に会う。光源氏とは、身分違いであったにもかかわらず一回の契りを除いてその求婚を拒み続ける特異な女性である。空蝉(蝉の抜け殻)という名は、彼女が着ていた小うちき(略式の礼服)を脱ぎすべらせて光源氏から逃げたことから由来する。

年老いた受領の後妻という空蝉の設定は、作者の紫式部の境遇と一致する。作者紫式部は、母親が物心のつく前になくなり、母なし子として育った。父の藤原為時は当時かなり有名な詩人であり、学者であったため、紫式部は父から学問を教わったのだが、人よりも上達がとても早かった。父為時が長徳二年(996年)受領の職を得て、越前の守に任ぜられ、現地に赴いたときに、父に伴われて紫式部も北国に赴くが、雪深い越前には彼女の心を楽しませるものはとてもなく、一人で帰京する。そして、予てから縁談のあった藤原宣孝と結婚する。結婚したとき、紫式部二十九歳、宣孝四十六歳であった。宣孝の身分は紫式部一族と同じように受領であったが、年齢も年齢であり、男ぶりもよかったため、この頃既に妻妾と何人かの子供もあった。長男は紫式部よりも三歳年下にしかすぎない。このような中年というよりはむしろ初老の男が、未婚女性にとって魅力のあるはずもなく、紫式部ははじめの頃気が進まなかったが、田舎住まいが心の転換になって彼の求婚を受け入れたのである。このように、空蝉と作者紫式部の境遇が似ていることや、さらに気が強く自分の意見をはっきりと持っているという性格の面でも共通点が見られることから、空蝉を作者の自画像にかなり近い人物として考えることができる。

 また、身分も容貌も頭も良いという誰もが憧れている光源氏に対して、ほとんどの女は                 すぐになびくものだが、空蝉が光源氏の求婚を冷静かつ聡明に対処したところからは、作 者紫式部自身の理想とする人物として投影されていると思われる。空蝉は『世』に対する意識が希薄である一方、『身』に対する認識が異常に高い女性であった。

“『方違え』”とは?……自分の行こうとするところが、陰陽道(古代中国におこった                      陰陽五行方角説に基づいて、天文、歴教の判断などを行う学問のこと。)での避けるべき方角に当たる時、別の方向の家に行って泊まり、そこから目的地に向かうというように、災いを受ける方向には行かないようにすること。

  夕顔 《三位中将の娘》

・初めは頭中将の愛人であった。頭中将の語っていた内気な『常夏の女』(夕顔)の話に光源氏は心引かれる。夕顔と光源氏は、夕顔の花が縁で知るようになり、お互い素性も明かさずに、一夜を過ごし、翌日、光源氏に伴われて屋敷を移った。しかし、夕顔に物の怪が取り憑いて、急死してしまう。光源氏は悲しみのあまり病気になってしまう。

・ 光源氏は、お互いに素性も明かさなかったため、女が死んで初めて夕顔が頭中将の愛人     

だったことを知る。また、女房たちも主人の夕顔がいることを隠そうと必死だった。

   私の懸想もいとよくしおきて、案内も残るところなく見たまへおきながら、

   ただ我どちと知らせてものなど言ふ若きおもとのはべるを、そらおぼえして

   なむ隠れまかり歩く。いとよく隠したりと思ひて、小さき子どもなどのはべ

   るが、言あやまりしつべきも、言ひまぎらはして、また人なきさまを強ひて

   作りはべり。(夕顔)

    ⇒惟光は(女の宿の内情をたくみに探り出しておきながら)その宿の女房と

    うまく恋仲になって出入りし、女房たちにほかには下心はなさそうにみせ

    る。女房たちも主人の夕顔がいることを必死に隠そうとつとめている。(

    惟光は夕顔のことを先刻承知のくせに、そらとぼけて、だまされたふりを

    しているので、それを見た女房たちも上手に隠したつもりでいる。)幼い子

    がうっかり言い損なって、主人の夕顔がいることを惟光に勘付かれそうに

    なると女房たちは、側から口を出してごまかして自分たちのほかには格別

    誰もいないふりをしてみせた。

     [惟光が光源氏に命じられた夕顔の宿の検索の中間報告の趣旨である。]

上の文からも、女房たちが必死に夕顔の存在を隠そうとしていたことがわかる。

・ 夕顔の性格は、主体性が強い空蝉に対し、主体性が弱く、相手に従って受動的であった。     

夕顔は光源氏の長い人生をほんの少し横切ったような存在に思われるが、光源氏の記憶には長くとどまっている。そのため、後に、夕顔の娘である玉鬘を養女として育てることになる。 

  末摘花 《常陸の宮の晩年の娘》

・ 父と死別し、荒れるにまかせた屋敷にひっそりと住んでいた。父の常陸の宮は、琴の名

手であったらしいが、生活力はあまりなく、世間からも忘れられていた存在であった。従って、彼女の感性や価値観なども、甚だしく時代遅れになっていた。このような境遇にある姫がどんな人であるのかと、幻想を膨らませる光源氏は、見たこともない姫を間に頭中将と競い合う。

  →なぜ、こんなにも見たこともない姫に対して良い方にばかり幻想が膨らんだのか?

    かつては高貴な身分であったが、今は没落し、寂しく暮らしている宮廷の女性と

    いう状況から、さぞかし綺麗な人と幻想するのに十分であった。

・ しかし、光源氏は、額が広く、青白く、垂れた鼻は末摘花で染めたような紅色、しかも胴長でやせ細っていた彼女の実像を見てひどく驚いた。

・ 光源氏との交渉が絶えてしまった間も貧窮生活にじっと耐え、光源氏を信じ続けていたため、光源氏は、彼女を二条院に迎え入れて末永くお世話した。

・ 末摘花は物語中の唯一の醜女えあり、印象深い。

   なぜ、末摘花だけこのようなキャラクターにしたのだろうか?

    →源氏物語に登場する女性たちは皆美人で、教養があり、すべてにおいて優れて

     いる者たちばかりであるが、この末摘花は、唯一の醜女あり、容貌だけでなく、それに続く変わった衣装と挙措動作によって、物語に滑稽さをもたせている。そして、末摘花章の滑稽さによって、光源氏の好色の失敗の面白さがわかる。醜い姫を手に入れた時の光源氏の困り果てた様子は、読み手を楽しませてくれるのである。

  玉鬘 《頭中将の娘、母は夕顔》

・ 源氏は夕顔の追慕の気持ちから、実の父(頭中将)にも内緒で、養女として六条院に住まわせた。幼時、乳母に連れられて筑紫へ下り、成人の後に土豪の求婚を逃れて京に上り、やがて源氏に見出されて養女に迎えられたのである。容貌、人柄ともに理想的であり、六条院の花形として、大勢の求婚者を集めた。源氏自身も次第に心惹かれ、彼女はその意外さに困惑し、苦悩する。しかし、一面では、源氏を慕わしく思う。玉鬘はその年齢からは考えられないほど晩生で具体的な男女関係について知識がない。

・ 内侍として決意した後、彼女に恋焦がれて六条院に集まった多くの貴公子の中でも一番嫌っていた髭黒大将に強引にわがものにされてしまう。源氏ですら予想だにしない出来事であった。

・ 結婚後、玉鬘は髭黒を嫌いぬき、源氏を懐かしく思う。『若菜上』巻で、源氏の四十賀に若菜を献上する役で再登場すると、振り分け髪の息子二人を連れ、右大将の北の方と呼ばれて、堂々たる人妻として登場する。後に、髭黒と死別し、入内した娘たちの幸不幸を見つめる。

   源氏にとって玉鬘と髭黒の結婚は源氏にとってどのように影響したのか?

    →この結婚は、将来政権の中枢に座るはずの髭黒大将を源氏の婿に迎えたことに         

     より、不都合な結果にはならなかった。

  

  女三の宮 《朱雀院の第三皇女、母は藤壺女御。藤壺中宮の姪、紫の上の従姉妹》

・若菜上巻で女三の宮は結婚前、結婚後のいずれについても詳しく語られているから、長編的人物である。しかし、私たちが受ける印象は、同じく長編的人物でも、紫の上や明石の君とは大違いである。藤裏葉巻で第一部が終わり、光源氏を准太上天皇にまで昇らせて、一応めでたく幕を閉じた後、第二部に入って、女三の宮がはじめて姿を現すと、物語はにわかにこれまでにない相を見せ始める。

・病弱の父朱雀院は、出家の気持ちが高まるにつれて、未娘の三の宮の将来が心配の種で婿選びに悩んだ末、源氏に降嫁する。

   源氏はなぜ親子ほど年の離れた女三の宮の後見を引き受けたのだろうか?

    →女三の宮は、源氏の愛する藤壺宮の『ゆかり』の者だったため、もしかすると、  

     藤壺宮に似ているかもしれないと思う一心で引き受けた。

そして、紫の上を寝殿から対屋に移り住まわせた後へ、女三の宮は正妻として寝殿におあまるのである。私たち読者はその成り行きにはらはらしながら、ようやくこの結着をみて、

「紫の上がお気の毒に、今ごろになってこんな目に合うなんて」と少なからぬ不安を抱く。

・ 可憐で素直で皇女らしい上品さはあるが、相手を疑うことさえ知らない幼稚さが源氏を失望させる。 その後、柏木と密通し、柏木との不義の子[薫]を出産する。柏木は、源氏を恐れ心労の末死んでしまい、女三の宮は、出家してしまう。 幼い女三の宮の性格は、柏木にとっては魅力的であったが、源氏にとっては失望するばかりであった。

  大君 《宇治の八の宮の長女》

・ 八の宮との死別に悲嘆するころから、薫に強く求愛されるが、拒み通す。そして、薫に中の君との結婚を勧めるが、かえって裏目に出てしまい、匂宮の出現を誘発することになってしまう。中の君が薫の手引きのよって匂宮に押し入られて結婚することになった後、両親の怒りにふれて宇治へ訪れて来なくなってからの、大君の心痛はさらにいっそうひどくなる。

・ 大君の念頭にある悩み、あるいは疑惑の種は、一つはもちろん匂宮の無責任さであり、

もう一つは薫の心事の不可解さである。世間でも浮気男と噂の高い匂宮を中の君に手引きさせたのは薫だったということは、大君にも察しがついており、……私たち姉妹を騙したあげくにこんなに悲しいめにあわせる薫はいったいなにを考えているのかわからない……と薫に大きな不信感をいだくようになり、薫の求婚に対しても素直に応じられるはずもなかった。そして、心因によって病がちになり、ついで死への願望がおとずれる。「罪などいと深からぬさきに、いかで亡くなりなむ」と、発病が、心因による自然な推移であったのに加えて、この大君の主体的な死への意思が加わっていることは、軽視できない。死を覚悟した大君は薫の、近くでとの願いを受け入れて「日ごろ経ればにや、今日はいと苦しくなむ。さらば、こなたに。」と枕もと近くに薫を招じ入れる。なぜ急にこんなにも親しげな態度に変わったのかというと、おそらく自分の死後の妹には薫の助力が必要だと考えたからに違いない。薫はたびたび宇治を訪れ、豊明の節会の終日吹雪の日にも大君の看病をする。薫はなおかきくどくが、返事はなく、死が近い大君にとっての関心事は薫自身との関係ではなく、妹中の君のことであることを知っており、声を聞きたいばかりに中の君のことを話すと、

   いまはとなりたまひにしはてにも、とまらん人を同じことと思へとて、よろづは思         

   はずなることもなし、ただ、かの思ひおきてしさまを違へたまへるのみなん口惜し

   う恨めしきふしにて、この世には残るべきとのたまひしものを (宿木)

    ⇒私と同じように妹を愛してくださるように、それとなくお願いしましたのに。    

     それを聞き届けてくださっていたら安心できたでしょうに。それだけが心残り

     で、死んだあとに妄執となって残りそうで。

と言い残し、大君は静かに息が絶える。この臨終の言葉からもわかるように大君の関心はただただ妹の将来のことだけなのであった。薫び対する直接の愛の言葉は、大君が選んだ死への足取りの、ほとんどどの地点にもみあたらない。少なくとも、薫が匂宮を中の君の寝所に手引きした後、大君が薫の求婚を受け入れる余地は有り得ないものだった。そこに一貫するのは、死への願望であり決意であった。

  中の君 《宇治の八の宮の次女》

・ 姉の大君は、年ふけた自分よりも妹である中の君を薫と結婚させたいと思う。薫が、弁に案内させ、大君の寝所に忍んで来るが、寝所は姉妹一緒だったため、大君は、中の君を残して、逃げてしまう。しかし、薫は大君だけを求めているため、中の君とはなにごともなく、一夜を語り明かす。あくまで大君を思う薫は、友人の匂宮を中の君に手引きし、中の君と匂宮は結婚する。しかし、浮気男と噂の高い匂宮と結婚したことは、幸福とは言えなかった。その後、中の君は匂宮邸(二条院)に迎えられ、若君を出産する。盛大な祝福を受けるが、その間にも、匂宮は夕霧の六の君と結婚してしまい、第二夫人のわびしさを痛感する。このことを知った大君は妹のことや、自分の将来に絶望し、死んでしまう。そして、大君を失った薫がその思い出につながる中の君につきまとうようになる。そのため、匂宮に強く嫉妬され、せめられた中の君は薫の“横恋慕”の煩わしさに、大君に良く似た異母妹の浮舟を紹介する。中の君が皇子を出産したことにより、辛い立場からしだいに抜け出していくが、浮舟が匂宮に見つかってしまうと、またあらたな悩みに悩まされるのであった。  

・ 意思頑固で思慮深い性格の大君とは、対照的に、愛くるしく、若々しい性格であったため、姉の大君にも亡くなってしまった父の八の宮の分まで大事にされていた。

・ 宇治十帖の中で、前半の大君と後半の浮舟の物語をつなぐという、大きな役割を果たし

ている。

  “『横恋慕』”とは?……他人の夫・妻または、愛人に恋をすること。 

                (日本語大辞典 講談社より)

     ⇒この場合、『匂宮』の妻である『中の君』に『薫』が恋することを“横恋慕”

     という。

 

  浮舟 《宇治の八の宮の三女、母は、中将の君。大君、中の君の異母妹》

・ 薫の横恋慕に悩む中の君が、彼の接近を避けようと、大君に似ている浮舟の存在を告げる。その時まで、常に母親に操作され、環境や状況により、受動的な人生を送ってきた。容姿は、大君にそっくりだが、性格は異なる。浮舟が薫によって宇治に囲われてから後、やがて、彼女は匂宮と密通、間もなくそれを知った薫が、その裏切りをなじる手紙を浮舟に送ったことから、事態はにわかに緊迫の度を増して、苦悩する浮舟の心中が丹念になぞらえるようになる。その苦悩の種は言うまでもなく、薫への申し訳なさ、匂宮の執拗な好色癖、匂宮に従ったときに予想される中の君の不興などだが、何よりも心を苦しめるのが、ただでさえ苦労の多い母親をいっそう心配させることだった。薫と匂宮の両方に愛され、二人の板挟みに悩み、宇治川へ入水を決意する。入水決行の夜を目の前にして、京の母から、「胸騒ぎがする。」という内容の手紙がくる。その返事として、     

   のちにまたあひ見むことを思はなむこの世の夢に心まどわで

   ⇒せめて、あの世でお会いしたいです。お母さまもそのように思ってくださいね。

その後、近所の寺で読経が始まり、鐘の音が風に乗って聞こえてきたときに浮舟は、独り言のように、

  鐘の音の絶ゆるひびきに音をそへてわが世つきぬと君に伝えよ

と詠むが、『君』のさすものはもはや母以外にはないのである。母と子のつながりは、日常の次元も超えて神秘的な霊魂の交流を思わせるものに達している。浮舟巻の次の巻には、浮舟は姿を見せず、ただ母親の悲嘆だけがしるされている。手習巻で浮舟は、横川の僧都一行に助けられ、小野の山里で養われる。横川の僧都の妹尼は、浮舟を亡くなったわが娘の身代わりのように思って世話をする。しかし、中将から求婚されたのを機に浮舟はついに出家する。

・ 後に、薫は、浮舟が生きていることを知り、浮舟の弟の小君を遣わすが、うれしいにもかかわらず、最後まで否定し続ける。小君に会うことを勧める妹尼に、浮舟は今までのことはみな忘れてしまったけれど、といったあとにつけ加えて、

   ただ一人ものしたまひし人の、いかでとおろかならず思ひためりしを、まだや世に

   おはすらむと、そればかりなん心に離れず悲しきをりをりはべるに(中略)、かの人

   もし余にものしたまはば、それ一人になん対面せまほしく思ひはべる。  

 この世でたった一人お母様に会いたい。これが浮舟最後の、しかも彼女としては最も長くまた最もまとまった言葉である。(中略)の部分には、弟の小君に会いたいのはやまやまだけれど、やはりこうしているとは知られたくない、と、出家後の浮舟の心の大半を占めているものが何であるかは、もはや明らかだろう。

・ 宇治十帖で、作者が全身的な共感とともに自身の思想や感情を投入しようとしたのは、薫や匂宮ではなく、大君あるいは浮舟である。薫がこの後どうしたのか、というようなことは作者にとってはさしたる関心事ではなかったであろう。

  [参考文献]

・ 「源氏物語」鈴木日出男

・ 「源氏物語事典」池田亀鑑

・ 「源氏物語への招待」 今井源衛

・ 「女性別源氏物語(上)」 大学書院

・ 「女性別源氏物語(下)」 大学書院

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