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光源氏の子孫と子孫とされた人々

発表者:99001046 小林有紗 「匂宮について」

    99001056 白石才子 「薫について」

    99001066 高橋由佳 「夕霧」

 

<匂宮について> 小林有紗

 今上帝の第三皇子で、母は明石の中宮。紫の上の愛情を受けて育ち、その遺産を相続し二条院に住む。薫と並んで世評が高く、良き友人でありライバルであった。性格は現世への懐疑的な一面を持つ薫とは対照的に、好色的ですぐ行動に出る、刹那的な情熱の持ち主。薫の芳香を妬ましく思い、張り合って着物に香を焚き染めていた。世人は「匂ふ兵部卿、薫る中将」と並び称していた。

 

<幼少時のエピソード>

 三の宮(幼い頃の匂宮)は紫の上に大変可愛がられて育てられた。

五歳の頃、紫の上に、

 

  「まろが侍らざらむに、思しいでなむや」

  訳:『私が居りませんと、お思い出しなさるでしょうか』

と尋ねられて、

  

  「いと恋しかりなむ。まろは内の上よりも宮よりも、はゝをこそまさりて思ひ聞ゆれ    

   ば、おはせずは心地むつかしかりなむ」

  訳:『ひどく恋しいことでしょう。私は御所のよりもよりもがずっと       

    好きなのですもの、いらっしゃらないとご機嫌が悪くなりますよ』

と、目をこすって涙を紛らわしていらっしゃる様が可愛らしいので、紫の上も微笑みながらも涙がこぼれ、

  

  「大人になり給ひなば、こゝに住み給ひて、この対の前なる、紅梅と桜とは、花の折々  

   に心とゞめてもて遊び給へ。さるべからむ折は、仏にも奉り給へ」

  訳:『大きくおなりなさったら、にお住みなさって、このの前の紅梅と桜は、  

    花の咲く時には忘れないでご覧ください。何かの折には、仏にもお供えください』

 と申し上げる、というエピソードがある。これは紫の上の遺言となり、匂宮はこれを守って二条院に住む。

 そして紫の上が亡くなった後も、

  「ははのひしかば」

  訳:『祖母様がおっしゃったから』

と、対の庭先の紅梅を特別大事に世話してまわったり、満開になった桜を見て、

  「まろが桜は咲きにけり。いかで久しく散らさじ。木のめぐりに帳を立てて、をあ

   げずは、風もえ吹き寄らじ」

  訳:『私の桜が咲いた。なんとかしていつまでも散らすまい。木のまわりに几帳を立て

    て、帷を上げずにおいたら、風も近づけまい』

 

と言ったりと、利発で可愛らしい子供であった事がわかる。匂宮は紫の上の死を悲しむ源氏にも可愛がられた。源氏はこの匂宮だけをお遊び相手にしていらっしゃった。

<恋愛>

 好色的で情熱あふれる匂宮は、夕霧の六の君や、紅梅の中の君など、人の勧める縁談には気が進まず、宮の御方など世に隠れた女性に興味を持つ。

 薫の話を聞いて宇治の姫君に心惹かれ、文通を続けるうち薫の手引きで中の君と結ばれる。しかし春宮候補であったがために、父帝や母中宮から好色を咎められ、三日夜までで宇治通いも途絶えてしまう。紅葉狩りを口実に逢おうとするがそれも失敗。帝は身を落ち着けさせるため六の君との縁談を急ぐが、その噂が宇治方を苦しめ、大君の死を招く結果となってしまう。大君の死後、中の君を二条院に迎えるが、六の君の婿に迎えられると二条院には夜離れが続き、中の君を苦しませる。薫を頼る中の君への嫉妬と皇子誕生は匂宮の心を中の君へと向かわせたが、匂宮の女好きは変わらず、中の君のもとで発見した浮船へとその執着は移って行く。

 中の君に身を寄せていた浮船に心を奪われた匂宮は、その場で抱き伏せながら身を隠してしまった浮船の所在を教えるよう中の君を責め、手紙を覗き見て薫の隠し妻として宇治にいることを知ると、早速宇治まで出向き、薫の声を真似て浮船に近づき、無理矢理その思いを遂げた。このことで匂宮は更に浮船に夢中になり、雪の中、宇治を再び訪れ、浮船を対岸の隠れ家に連れ出して、共に二日間を過ごした。この匂宮の情熱的な恋情に浮船は心を動かされるが、この二人の仲に感付いた薫によって厳重な警厳が敷かれ、宇治を訪ねるが逢えない。そして二人の間で思い悩んだ浮船が失踪してしまい、それを知った匂宮は悲嘆に暮れ、病の床に臥してしまう。

 一時は薫が何処かに隠したのではないかと疑ったが、呼び寄せた侍従の話を聞きその疑いも晴れると、それと共に匂宮の気持ちもようやく晴れる。やがて浮船への思いも静まり、宮の君などへ心が移って行く。

<まとめ>

 匂宮は物語全体を通して、薫と対比的に描かれている。薫が静とすれば、匂宮が動といったように、恋愛の仕方の一つを取っても、この二人はまるで正反対であるかのように描かれている。二人は良きライバルであり友人であるが、恋愛となると、二人はその友人関係を失わないように微妙なバランスを取っているように見える。浮船との三角関係においても、二人は直接対決するまでに至る前に、浮船がその身を引いている。この二人は対立しながらも、お互いの友情も大切にしているようである。宇治十帖は、この二人の絶妙なバランスから成り立っている物語のように思われる。

<参考資料>

「源氏物語必携」 秋山虔編 学燈社

「源氏物語事典」 秋山虔編 学燈社

「源氏物語の鑑賞と基礎知識」 編集神作光一 監修鈴木一雄 至文堂

「源氏物語」 第七巻 玉上琢彌訳注 角川書店

 

<薫について> 白石才子

 宇治十帖の主人公と言われている薫は、表向きは、光源氏と女三宮の子であるが、事実は女三宮と柏木との密通によって生まれた。

 「若菜」巻にさかのぼり、病あつくて出家を念願していた朱雀院は、思案の末、女三宮の保護者として適格なのは光源氏より他には無いという考えに落着した。しかし、光源氏の女三宮に対する接し方は、世間体を繕うにすぎなかった。一方、女三宮にかねてから思いを寄せていた柏木は紫の上が病床の人となり、光源氏が六条院を留守がちとなった折、見境も無く女三宮に接近し、夢うつつの思いで年来の思慕を遂げた。

 そうした罪の結果、薫はこの世に生まれおちた。

 薫は、自分の出生に関する異常な事情を、環境の不可解な雰囲気の中から自然に嗅ぎ取っていた。物心ついた時には、母宮は盛りの年であるのに不吉な尼姿であった。それは何故だろう、必ずや深刻な事情がなければならない。と、彼は自分の存在自体を疑惑の網の目に閉じ込めた。可測の宿世を負った自分であると認識すると同時に、尼姿のいじらしい母を助けて来世を願うというそのことが、我が残された道でもあると諦観するようになる。

 

  元服はもの憂がり給ひけれど、すまひはてずおのづから世の中にもてなされて、まばゆきまではなやかなる御身の飾りも、心につかずのみ、思ひしづまり給へり。

などと、薫の反世俗の心がかかれているが、これは一方で「然るべくて、いとこの世の人とは造り出でざりける、仮に宿れるかとも見ゆること添ひ給へり」といわれる彼の特性である。

 薫は自分が不儀の子であるということを早くからうすうす感付いていて、それでおのずから仏道に心を寄せるが、そのことと女との関係を関連させて、強く心の引かれる女があると出家する時の足手まといになるから、深く心を留めるほどには、女を愛さないという。「憎からず思さるる」女もいないではないが、それでも本気に心を留める女はいないので、心がさわやかだといい、またほだしになる女は無くて過ごそうと深く思っていたのに、大君のことからその思いが破れ、「我が心ながらねぢけてもあるかな」と反省し、正常でない事を自認している。

 本気で女を愛さないというのは、女を弄ぶものであり、その意味では薫はこの物語一の浮気者である。浮気物らしく見られないのは、それが仏道を思う心によるということと、大君思慕が真剣であることのためである。

 薫は大君の死後は俗物的になり、すでに匂宮の妻となっている中の君に近づいて通じようとするし、女二宮の降嫁を得ているのに、その姉の女一宮の美しいのを見て心が引かれ、一の宮と二の宮とを並べてみたいなどという妄想も起こしている。また、失踪した浮船の居所がわかり、会いたいと言う消息を送って突き返させると浮船が出家した事を知っていながら、尼の身で誰か男を作っているのではなかろうかなどという、低俗な邪推をしている。

 しかし、薫には大君に対するような真剣で高貴な心もある。真剣な心で言葉を尽くして求婚する。それでも大君はなびかないので、時には強く迫って、再度身近で夜を過ごす事もあったが、女の心がとけないので、ゆるむまで待とうと思って無理わざはしない。ついに大君が病気になり、それが重くなると宇治でつききりで世話をする。涙ぐましいまでの真剣さであり、誠実さである。

 大君が死ぬと、その面影を追って中の君を恋い浮船を愛するが、この二人には大君のような精神的高貴性はない。すなわち、大君に求めた仏道との関わりを捨てており、そのすき心は普通の人とかわらなくなった。大君のような精神性がないことを不満としながら、なお浮船を求めようとするのは、大君に似た肉体的形容だけを追うもので、凡俗の人の恋情である。 

 薫のすき心は道心と絡み合っている点に特色があり、異常性は道心によるもので、それの風俗化は同時に道心の凡俗化となった。

 薫は物語に登場する時から、仏教に心を寄せていて、しばしば宿世を思い、無常を観じ、この世を憂く厭わしく思い、出雛も十数回思っている。それにもかかわらず、その道心は進まず、むしろ退歩したようである。薫は物語に登場した頃は、内向的で堅固な道心を持つ異常な青年として設定されているが、大君を知ってから変わってくる。

 大君に熱烈な思いを寄せるようになって、素子が破られ、我ながら意外に思われて、これも宿世のせいかと思う。大君が重病になって危篤になると、もし大君が死ねば、自分も死ぬる。死ねなければ出家すると言う。これは大君になにか物を言わせようとして言った事で、真剣に死や出家を思っているのではない。大君の死後に六回出雛を思っているが、それは同じ思いの繰り返しである。薫はよく物を思う人であるが、思うだけで実行しない。物語の終末で浮船は出家して心安らかになっているが、薫の心は出家などできなくなって、その道心は色が褪せている。

 薫の道心が成長しなかった理由を考えると、第一に、母三宮の面倒を見なければならないという事が考えられる。しかし、母のことは出家を思って、一度心に浮かんだだけである。

 第二に、大君に恋し、中の君に言い寄り、浮船を愛し、女二宮の降嫁を得て得意になり、前の精神主義的な人間から現実的な人間に変わった事に、重大な理由があるだろう。

 第三の理由は、薫の道心の生成の事情が、もともと堅固なものでは無いという事である。自分の責任でもない出自の事を引き受けて、一時の感慨を催しただけで、その後この問題が念頭に浮かんでこないのも、彼の道心を培った基盤が崩れた事を意味する。

 第四の理由は、彼の性格にある。その心情は繊細で、内向的でよく物を思うが、優柔不断でてきぱきと事を行う性格ではない。

 第五の理由は、出雛を決行さすような重大な事件がないことである。大君の死は重大な事件ではあるが、二人の関係は精神的なもので夫婦関係もなく、それも短い期間の思いで、源氏と紫の上との関係などと比較すべくもない。

 以上の五種の理由で薫の道心は育たなかったのである。

 薫の道心が進まないのは、男よりも厳しい生き方をしている女が、仏に頼らないではおれないという意味が、そして男はその逆であるという意味があるのであろう。そしてこのことには、式部自身の心の投影もあるであろう。

<参考文献>

☆『源氏物語のこころ』重松信弘著 株式会社佼成出版社

 

光源氏の長男で、母は葵の上。祖母の大宮に育てられた。十二歳の夏に元服。四位に叙

せられて当然のところを、門閥を頼りにして本人に実力が無くては将来が危ういと言う父源氏の厳しい教育方針によって六位に留められ、大学に入学し、ひたすら勉強することになった。

 

夕霧は、幼い頃から暮らしなじんできた大宮邸を出て、新たに設けられた二条東院の勉

強部屋に閉じこもって学問に精励するよう源氏にしむけられた。そして、夕霧に許された月に三度ほどの大宮邸訪問は、忘れ得ぬ初恋の人、雲居雁に会えるわずかの貴重な機会となった。 

 雲居雁は、内大臣(昔の頭中将)の二女で、母は皇族出身の姫であったが按札大納言の北の方になって以来、祖母大宮邸に預けられ、幼い頃から夕霧と共に育てられた。そして、二人の間にはいつしか小さな愛が育まれてきた。

(本文)幼心地に思ふことなきにしもあらば、はかなき花紅葉につけても、雛遊びの追従  

   をも、ねむごろにまつはれ歩きて、心ざしを見えきこえたまへば、いみじう思ひか 

   はして

(訳)幼心地に思う事がないでもないから、ちょっとした花とか紅葉とかにつけても、ま  

   た雛遊びに関してのご機嫌取りについても、ねんごろにつきまとってあちこしして、 

   好意をお見せ申されるので、姫君も深く思いあって

と、叙述してあるが、恐らく二人は二、三年前までは同じ部屋で育ったわけで、振分髪の頃からの感情とも、男女としての恋心とも区別のつかないような気持ちで慕いあっていたものらしい。父大臣はまだ何も気付いてはいなかったが、それでも娘が十歳を過ぎた折には、『「睦ましき人なれど、男子にはうちとくまじきものなり」(姫君には親しい人だけれども、女というものは男子にはうちとけてはならないものだ)』と諭し、娘と夕霧の部屋を別にするなどの配慮はしていた。が、かれればますます求め合うのが恋する男女のつねというもの、二人の恋はいっそう募り、人目を忍んで交わす恋文も頻繁となった。『「まだ片生ひなる手の、生ひ先うつくしき」(まだ未熟な筆跡だが将来の美しさのうかがわれる筆跡で)』とあるように、筆跡が、初々しく、清純無垢な二人の恋を象徴している。

陰口にふと耳をとめ二人の仲を知り憤慨する。源氏に対抗する内大臣によって夕霧は敵 視され、雲居雁との恋はさまたげられることになる。

内大臣の厳しい監視に支配され、恋文を取り次ぐ事もできない。こんなとき、経験豊富な大人の恋人達は、他にうまい策略を用いて手紙をかわし、逢いもしようものであるが、まだ年若い二人にはしかるべき知恵も策略も思い浮かばない。二人の理解者である祖母大宮にも、もはや下手な手立ては禁物なので、なす術が無い。

(本文)大人びたる人や、さるべき隙をも作り出づらむ、男君も、いま少しものはかなき   

   年のほどにて、ただ口惜しとのみ思ふ

(訳)もっと年を取った人は、然るべき機会を作り出すこともしているのだろうけれど、

   男君の方も、姫君よりもうちょっとたわいない年頃のこととて、ただ残念だなぁと            

   思うばかりである。

 

やがて、秋好中宮に対する敗北感のため気分の晴れない弘徽殿女御を、内大臣は強引に里さがりさせた。女御の静養の遊び相手として雲居雁を付き添わせることを口実にして、彼は娘を大宮邸から本邸に引取り、二人の仲を裂いた。

(本文)くれなゐの涙にふかき袖の色をあさみどりにやいひしほるべき

(訳)私の袖は、紅の涙でこく染まっているのに、これをあさみどりだとけなしていいも 

   のかしら。

     ★返し★

(本文)いろいろに身のうきほどの知らるるはいかに染めける中の衣ぞ

(訳)いろいろにこの身の憂きが身にしみるのは、いったいどうした二人の仲なのでしょ 

   う。

これから二人の仲はいったいどうなってしまうのかと言う心情がうかがわれる。

この唱和場面で続く条で、愛する雲居雁と離別してひとり悲傷に沈む夕霧の心情が描写されている。

夕霧が『「涙のみとまらねば、嘆きあかして、霜のいと白きに急ぎ出でたまふ」(涙ばかりが止まらないので、その夜は泣き明かして、日が上る朝、まだ霜の真っ白なうちに急いで二条院の学問所にお帰りになる。)』とき、『「道のほど、人やりならず心細く思ひつづくるに、空のけしきもいたう曇りてまだ暗かりけり」(お帰りの途中でも自分の心柄で、こんな物思ひをして心細い気持ちで思ひ続けて来ると空の感もひどく曇っているようだが、あたりはまだ暗いのだった)』という情景が見えてくる。下線の部分の自然は、いうまでもなくこの場での夕霧の心情を象徴している。いわゆる景情一体の描写である。

 

(本文)霜氷うたてむすべる明けぐれの空かきくらし降るなみだかな

(訳)霜や氷が嫌だなぁ、こんなにもと思はれるほど張りつめてゐる明方の暗い空が、い

   よいよ暗く見えるほど、涙は降るやうにこぼれることだ。

という夕霧の独詠歌によって、彼の悲哀に満ちた幼な恋の物語は、ひとまずの区切りをつけられ、雲居雁の再登場は、後の常夏、野分巻を待たなくてはならない。

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