清泉女子大学受講生のページへ 日本古典文学基礎演習a  99001043 黒坂 圭以子

日本古典文学基礎演習A 日本語日本文学科 1年  99001043 黒坂 圭以子

 

「 女君たちの死  藤壺について 」

    

       序論

 源氏物語の中で登場する女君達は、それぞれ物語中で大きな役割を果たし、光源氏に影響を与えていく。その中で源氏に、死ぬことにより、いっそうその心に深く印象づけた女君達に光をあて、一人一人の特徴を明らかにし、また物語中での役割を探ってみたいと思う。ここでは、藤壺・葵の上・紫の上という三人の姫君をあげ、私は藤壺についてその死の場面をみて、彼女の死が物語中にどのような展開をもたらしたか、源氏の彼女の死に対する思いを明らかにしようとする試みである。

       本論

 藤壺は、源氏の義母であって、亡き母を慕う源氏の感情が母に似た藤壺への思慕へと変わり、それがのちに紫の上となる若紫を見出すきっかけとなり、作品の骨格が決定される。

また、源氏との密通によって誕生した御子は、即位して冷泉帝となり、源氏栄華の途をひらくというもう一つの骨格を決定している。このように、光源氏の私的恋愛世界・公的政治世界の両面に核心的にかかわって存在する女性は藤壺だけであり、源氏物語における藤壺の存在の重みは明瞭である。

 それだけでなく、物語の意図を主人公光源氏の恋愛世界と見たとき、心の中に純粋に愛する人を持ち、その人とは結ばれる夢を持ち得ず、正妻とは心を交流する慰めを得られないという状況を設定することは、どの恋愛も光源氏のすべてを支配せず、光源氏の恋愛の終着点にならないことを無言に語っている。そしてその閉塞状況が光源氏の恋愛感情をいつまでも妥当とし、恋愛遍歴に駆り立てられる気持ちを正当とする巧妙な役割を果たしているのである。また、そたのような行動のもととなるのは、藤壺の宮への思慕だといえる。

 しかし、永遠の思慕の対象である藤壺はある時期に死ななければならない。物語中ではいくつかの夢占い、宿曜の占いがされるが、いずれも実現されるかもしくはその状況が可能となっている。夢や星によって運勢、吉凶を占うことは、物語中では澪標巻に使われている。そこには「宿曜に、御子三人、帝后必ず並びて生まれ給ふべし。中の劣りは太政大臣にて位を極むべしと考え申したり」と、源氏の子孫についての予言がある。そして今、桐壺巻で高麗の優れた相人が「帝王でもなければ、臣下でもない」と予言したとおり、源氏の身分が実現されなければならない。光源氏の臣下でない身分が納得ゆく手続を経て肯定される形で実現されなければならないのである。

 それは、帝の父という形で実現される。しかし、帝の父であることを世間に暴露するような形で光源氏の身分を改めることはできない。それは冷泉帝の治世を汚し、その地位をも危うくするものである。光源氏も無傷で、冷泉帝の御世も安泰に、天皇の父にふさわしい、臣下にあらざる待遇とするには、無上の位にある天皇の発議によるしかないのである。

そして、天皇のみがただ一人、光源氏を実父と知る方法がとられるのである。しかしそうなると都合が悪くなる事がある。藤壺の存在である。母の不義の事実を子供が突きつけるという、藤壺を窮地に追い詰めることは、永遠に手のとどかない女性、汚辱にまみれることなく、大切にされたまま生涯を通すべき人物というこの物語の掟に反するからである。

 役目を終えた藤壺の死は、幼い源氏の恋慕の物語を一応完結するとともに、その縁の者である若紫が紫の上となり、物語は新しい段階に入っていくのである。作者は、女君が担うべき二つの側面、男君との完全に幸福な愛情の成就と、男君を中心とした栄華の実現という二つの側面のうち、後者を消えゆく藤壺に託すことによってはじめの物語の女君の重みに応えさせたのである。

 亡き桐壺帝・東宮・光源氏のそれぞれが、うまく立場を保持し得るために、女としての感情を殺して、たくましい母親に変身してきた藤壺は、当時の女性の重い厄年である三十七歳の春、具合がいよいよ重体となった時に、見舞いに来た光源氏に対し、「院の御遺言にかなひて、内裏の御後見仕うまつり給ふこと、年ごろ思ひ知り待ること多かれど、何につけてかは、その心寄せことなるさまをも漏らし聞こえむとのみ、のどかに思い待りけるを、今なむあはれに口惜しく。」(薄雲巻・二百二十九ページ)と真情を語る。そして、几帳のかげで涙をこらえかねながら悲しみを訴える源氏の声を聞きつつ、「ともし火などの消え入るやうに」その一生を終える。若くして逝く藤壺は、いつまでも光源氏に惜しまれる人になり、老醜をさらすことはないのである。

 源氏は、二条院の庭前の桜を見ても、<今年ばかりは墨染めに咲け>と、美しい桜の色も喪服と同じ黒い墨の色になってしまえという古歌をひとりで口ずさみ、一日泣き暮らすのである。そして、悲しみのあまり何一つ目に入らない源氏は、雲が薄く棚引いているのが喪服と同じ濃い鈍色であるのを見て和歌を詠むのである。

    入日さす 峰にたなびく薄雲は

           もの思ふ袖に 色やまがへる

源氏は、最後まで亡き藤壺の宮と自分との関係を知られないよう、誰も聞く人のいない念仏を唱えるお堂でただ一人歌を詠み、思い出の人の死を悼まなければならないのである。

       結論

 光源氏が、幼い時から恋い慕っていたにもかかわらず、密通により他人には知られてはいけないという微妙な関係になってしまった藤壺は、会うことがなくても、強く長く源氏の心に存在し続ける姫君である。また、物語の中では源氏が政治的に栄華を極めるために大きな役割を果たしており、後に柏木と女三宮の密通の際には源氏が過去に犯した過ちとの因果に苦しむ原因にもなっている。

 もう一つ藤壺について興味深い点がある。それは、密通の罪の深さに悩み苦しみながらも、出家を決意し、強い母として生まれ変わることである。源氏の烈しい思いにも姿勢を

変えることなく、自分の意思を貫く側面を持たせたまま、静かに死によって物語から退場させたことで、より完全に美しい形で一人の女君を描くことに作者は成功したといえるだろう。

 

<参考文献>

    1. 藤壺の死(清水 好子)                                                                                                                                                                                

  

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